96/あなたの沸点

 朝である。
 本日快晴、素晴らしき朝である。
 窓から差し込むうっすらとした日差しを見て軽く頷き、隣で穏やかに眠る袁術に視線を移してまた頷く。
 さて、今日は非番でございます。そして楽しい氷菓作りの日でございます。
 張り切っていきましょう。夜までに、この手でアイスを作るのだ───!

「よしっ、そうと決まれば《ぐいっ!》おうっ!?」

 上半身だけ起こしていた体を動かし、寝台から足を下ろしていざ立ち上がろうとした俺を、なにかがぐんっと引っ張った。
 引っ張られる感触へと振り向いてみれば、にゃむにゃむと眠ったままの袁術が俺の寝巻きという名のシャツを掴んでいて……どういう握力だ?

「………」

 ペリペリと指を一本ずつ外しにかかる。
 しかし一本外せば別の指ががしりと掴み、次の指に移れば外したばかりの指ががしりと掴む。外すって言うと関節を外しているに聞こえなくもないが、剥がすって言い方でも爪を剥がしているみたいで……ってそんなことはどーだっていいんだ。

「にゅむむぅう……なにをしておる、ばかものぉ……わらわをおいて、またどこかへいこうというのじゃなぁ……? ゆるさぬぞ、ゆるさぬぅう…………」
「……これで寝言だっていうんだからすごいよな」

 熟睡中の袁術の頬をぷにぷにとつつくも、その指がハモリと食べ───もとい、口に含まれてしまう。その感触に思わず引っ込めようとした途端、逃がすまいと歯が立てられてギャァアアーーーーーッ!!!

「いたったたたいたいいたいいたいってぇえええっ!!」

 強引にひっぱると、ちゅぽんと解放される指……なのだが、見事に歯型がついていた。
 うぅ……美以じゃああるまいし、蜀を離れれば噛まれることなんてそうそうないと思ってたのに。
 しかも口から指を抜く感触にもめげずに熟睡してらっしゃるよ、このお嬢さまは。

「さらに言えば、シャツも解放してくれないとくる」

 どうしよう。

「あー……んー……」

 思考を巡らせる。
 巡らせて巡らせて、出た答えは……

「よし連れていこう」

 とにかく時間がない。
 まさか叩き起こすわけにもいかないし、シャツを掴んでいるだけならどうにでもなるだろう。寝言であそこまで言えるんだから、目覚めた先が蒼の下だって構うもんか。

「でもまず着替えないとな……って、あー……」

 簡単な攻略法に気づいてしまった。
 なんのことはなく、掴まれているシャツを脱ぎ捨てて、バッグから別のシャツを取り出すだけ。それを着て、フランチェスカの制服……じゃなく、庶人服を着て……と。準備完了!!
 シャツを掴んだまま寝ている袁術をもう一度見て、「ゆっくり休めよ〜」と声をかけて頭を撫でる。寝たままの彼女はくすぐったかったんだろうか、身動ぎすると手を振るい、頭を撫でる腕を軽く払って…………何故か、その拍子に服の袖をがしりと掴んだ。

「…………OH」

 代わりに解放された黒のシャツが、布団の上で伸びていた。
 …………どうしよう。(パート2)
 剥がしにかかるが先ほどと同様の結果しか得られない始末。
 そうなれば───

「よし連れていこう」

 結論もやっぱり一緒だった。
 袁術の寝巻きは庶人の服だから、べつにこのまま外に出て困るわけでもない。
 むしろちいさな街娘って感じでかわいいくらいだ。うん、似合ってる似合ってる。

「よい……しょっ、と……うわ、やっぱり軽いな」

 袖を掴む手がヘンにねじれないように注意しながら抱き上げ、そのまま歩く。
 必要なものはバッグに詰めて、代わりに胴着等は机に置いていく。
 あとはおっちゃんのところまでひとっ走りだ。───いや、さすがに馬でだぞ?

「となると余計に危ないわけだが。袁術? 袁術ー!? 袁術! 袁術ーーっ!!」

 落馬は危険だ。
 やっぱり無理にでも起こして、離してもらうことにした。

「うぅう……どなるでないぃ……きちんときこえておるわ、ばかものめ……」
「だったらまず両の目を開こうな。そして掴んでいる袖を離してくれ」
「何を申すかうつけがぁ……。これは……妾の……蜂蜜水、じゃぞぅ…………むにぅ……誰がおぬしなぞに……くれてやるものか……」

 思いっきり寝惚けてらっしゃる。
 けれども寝ているところを連れていくよりはマシだと、起こす行為を続けた。
 その甲斐あって、ようやくうっすらと目が開かれ……その目が、俺を捉えた。

「や。目ぇ醒めたか?」
「………妾の蜂蜜水はどこじゃ……?」

 返事ではなく疑問が返ってきた。
 うん、べつに構わないけどさ。寝起きの人の言葉っていまいち要領を得ないよな……。

「残念だけどそれは夢の話だ。で、俺これから用事があるから、この掴んだ服を離してほしいんだけど」
「───…………、…………ふむ……? 何処に遊びに行くのじゃ……?」

 たっぷり時間をかけて、返す言葉がそれだった。

「袁術……キミの中で“俺+用事=遊び”は確定なのか……」

 とりあえずは手を離し、こしこしと目をこす……ろうとする袁術を止め、タオルでやさしく拭いてやる。寝起きの人と酔っ払いには紳士的に対応する。これが世の中の生き方です。

「わぷぷっ、なにをするか無礼者っ」
「無礼者らしく無礼を働いておりますお嬢さま。……はい、綺麗になりました」

 執事っぽく軽く頭を下げ、タオルも下げる。
 すると袁術は、「綺麗になりましたでは普段が綺麗ではないみたいであろ!」と怒ってらっしゃる。ええい、乙女心も女心も何もかもが男には理解しきれない。

「ところで一刀? なにやら用事があると申しておったの。何処に何をしに行くのじゃ?」
「ん。出来てからのお楽しみだから、それはちょっと言えないんだ。ごめんな」
「出来てから……? こっ……子供が出来るのかの!?」
「まったく疑いもせずにこの反応!! だ、誰だぁあこの子にこんなこと教えたのは一人しか思い当たらねぇええーーーーーっ!!!」

 疑問がそのままあっさり答えに繋がった瞬間でした。
 桂花には何か仕返しを考えておこう。

「あ、あー……もう……! お菓子だよ、冷たいお菓子を作るためにいろいろと回るんだ。子供を作るわけでも誤解を生みに行くわけでも断じてない」
「おおそうか、ならば妾も連れていくがよいぞ?」
「…………あれ?」

 ハテ、何故こうなる。
 俺としては“面倒だからお主だけで行くがよいぞ?”的な言葉を期待していたのに……どうしてこう袁家の連中は人の期待の裏を掻くのが上手いのか。

「いや、袁術? 袁術はここでのんびりと待っててくれれば───」
「いやじゃっ、こんな狭苦しいところで何日も待つだけなどもはや飽いたわっ!」
「わー、さっすがお嬢サマ。積極的にHIKIKOMOってた人の言葉とは思えませんねそれ」
「うむうむ、そうであろそうであろっ」

 ……胸を張って「うわーははははー」と笑う袁術を前に……うん、なんとなく七乃があんな性格になった理由、解った気がした。
 元からだったら凄いな。でも少なからず袁術からの影響もあるんじゃないかと本気で思い始めてきた。

「でもダメ」
「何故じゃっ!?《がーーーん!》」
「なぜもなにも……」

 口に出して考えてみる。
 袁術を邑に連れていったらどうなるか───……

「1、勝手に動き回って迷子になる。その際、俺の方が迷子だったと言い張る」
「はうっ」
「2、勝手に買い食いをする。支払いは全部俺持ち」
「むぐっ」
「3、よからぬことを考える。手始めに邑の連中を妾の魅力で手下にしてとか言ってな」
「ふくっ!?」
「4、家畜に興味を示し、有無も言わさず突貫。邑の人に大迷惑をかけること前提で」
「う、うみゅう……」
「5、氷菓製作中にいろいろと邪魔をする」
「う、う……うー……!」
「結論。……それは置いていくわ。……な?」
「な、ではないのじゃーーーっ! 一刀お主、妾をなんじゃと思っておるっ! わわわ妾がそのような浅い考えをする筈がなかろ!?」

 もの凄いどもり様……ああそうか、考えてたのか……。

「とにかくだめ。大人しくここで待ってなさい《がしぃっ!》───って、あ、こらっ!」
「いやじゃいやじゃーーーっ! 妾も外に出たいのじゃーーーっ!」
「あぁもう! なんで言うこと聞けないの! いい子にしてなきゃだめでしょ!」

 服を掴まれ、駄々っ子さんを発動されてはこちらもオカンにならざるをえない……じゃなくて。確かにずっと部屋にこもりっぱなしで息が詰まるのも解る。べつに捕虜ってわけじゃなく、三国に下ったことになっているんだから自由に歩けばいい……筈なんだが、どうしてか俺と一緒じゃなければ外を歩く気にならないらしいのだ、このお子様は。
 ソレを考えると、俺は随分と図々しかったんだなぁと改めて確認。
 呉でも蜀でも構えることなく動き回っていたからなぁ。

「……じゃあ、大人しくしていること。興味に導かれるままなんでもかんでも行動を起こさないこと。守れるか?」
「おおっ、そのようなことはこの妾にかかれば造作もないことじゃ。妾の素晴らしき大人しさぶりに、きっと一刀も満足すること間違いなしなのじゃ」
「そっか。さっすがお嬢様だな。なら留守番よろしくなー」
「うむうむ、どーんと妾に任せるがよか───何故そうなるのじゃ!?」
「え? いや、べつに連れていくとは言ってないし」
「話の流れからしてここで連れていかぬは外道というものであろ!? い、行くのじゃ! 妾もいくのじゃー! お主だけ一人行くことは許さぬぞー!」

 そしてまた服を掴まれてのこの言葉である。
 こんな小さな子に外道と言われるのは、これでなかなかこたえるということが解った。
 ああもう、どうするべきか……。




-_-/桂花

 ……いらいらする。
 北郷が帰ってきてからというもの、華琳さまがそわそわする時間が増えた。
 それが誰を思ってのことなのかを理解するのが嫌で、中途半端な理解のままにその原因への嫌がらせを考えている。
 今こうしてその男の部屋へと向かう足も、あの男を地獄へ突き落とすために動いている。それは当然のことであり、それ以外は考えられない。

「それに……あの男へ攻撃を仕掛ければ、華琳さまが私にきついおしおきを……」

 華琳さま直々に下してくださるお仕置きが、私の心を掴んで離さない。
 手違いで華琳さまを落とし穴に落としそうになってしまった時は、さすがに危険極まりなかったけれど……そう。こうして北郷へ仕掛けるのも全ては華琳さまを悪い悪夢から解放するため。
 あんな男の何がいいのか。
 今では私以外の将のほぼが、あの男に骨抜きにされている。
 ならば唯一正気でいる私が、あの男の魔の手から華琳さまが大事にする魏の名を死守しなければ……!!

「ふふふ、北郷……いまにあなたの頭から煩悩というものを追い出してくれるわ。そうよ、そうすればあの男だって多少は使える男になるんだから……!」

 調教が必要だ。
 あの男の意識の全てを、女に走る思考じゃなく仕事のみに役立つ存在に変える調教が。
 どういうことか最近は女に手をだしていないようにも見えるが、どうせ───と、そんなことを思っていた時だった。

「───いかぬは外道というものであろ!? い、イクくのじゃ! 妾もイクのじゃー! お主だけ一人イクことは許さぬぞー!」

 北郷の部屋の前に辿り着く少し前。
 通路の先で、そんな声が聞こえた。
 どこか泣き出しそうな震える声調と、なんとも卑猥な言葉が……!!

「ほらみなさい! 所詮あの男の本能なんてものはみぃんな下半身にあるのよ!」

 やはり必要なのは調教!
 ならばと、嫌がる袁術を無理矢理押し倒しているであろう状況を押さえ、弱みを握ってやろうと扉を開け放ち───

「とうとう本性を現したわねこの全身白濁男!」

 ───そう言ってやった。
 言ってやったのだけど………………私に向けられた視線は、何故だかとても冷たいものだった。




-_-/一刀

 ……朝っぱらから大変おかしなことを叫ぶ軍師さまがやってきた。
 勢いよく扉を開けたと思えば、突然白濁男扱いである。
 で、なんだか固まってたから事情を聞いてみれば───

「……あのさ。あんな言葉で真っ先に“そっち側”を連想するほうが、よっぽど脳内が煩悩まみれなんじゃないか?」
「なっ! あんたにだけは言われたくないわよ!!」
「俺だって今のお前にだけは言われたくないわっ!!」

 ───これである。
 あくまでエロスの戦士は俺であると断言するこの軍師さまは、俺のことを指差しながらギャースカと叫んでらっしゃる。

「とにかく。俺はこれから、華琳に食べさせるお菓子を作るんだから、邪魔だけは……あ」
「華琳さまに食べさせる……?」

 言ってからしまったと思った。
 華琳大好き人間である桂花の前で、華琳に食べさせるお菓子の話題なんて出したら……

「ふん、なに言ってるの? あんたなんかが作ったものを、食にうるさいあの華琳さまが食べるわけがないじゃない」

 ……あ、邪魔するってところまではいかなかったようですハイ。
 よかった、これなら邪魔されないでそのまま行けそうだ。
 ていうか“味にうるさい”って部分は認めてるんだな……───あ、そういえば綿菓子のこと訊いてなかったし、訊いてみようか? ……いや、ここで話を長引かせるよりも、早々に逃げ出したほうが良さそうだ。

「だよなぁ、あっはっはっはっは、じゃあ俺はこれで。無駄な足掻きでもしてみるから」

 サワヤカに返して、開けっ放しの扉へ。
 相変わらず袁術が離してくれなかったから、袁術もそのまま連れて行くことになったが。
 大丈夫、あの手この手で桂花に邪魔されるくらいなら、袁術と一緒に行動したほうがまだやり易いッッ! その確信が俺にはあるッッ!!
 しかしそんな、あっさりと認めた行動がかえって怪しかったのか、桂花はぴくりと眉をひそめ、俺を呼び止めようと───だが遅いッ! もはや逃走の軌道には乗ったわッ!

「に、逃げたわね!? あり得ないと思ったけど、まさか華琳さまが直々にあんたに!」
「そのまさか(・・・)だ! 読み間違えたな軍師筍ケ! お前の敗因は華琳を思うあまり、意外性を見抜けぬところにある! ───ははっ、なにしに来たのか解らないけど、残念ながら今日は捕まるわけにはいかないんだー! またなー!」

 袁術を抱えて走る走る走る!
 氣を使っての疾駆はそれはそれは速く、抱きかかえた袁術も「おっ……おぉおおおっ……!」と驚くほどだった。そんな速さで走れば桂花が追いつけるわけもなく……俺は馬屋までを走ると、そこで既に待っていた思春とともに、行動を開始した。

「ここに来るって解ってたのか?」
「……“華琳様”からのお達しだ」
「……蜀でもそうだったけど、いつの間にか真名を許されてるよな、思春って」
「庶人に真名を許す王など呉にも居るだろう。これでも慣れている………………つもりだ」

 ボソリと最後に付け足された言葉に、少し困惑が混ざっていた。
 華琳が真名を許したのは、“呉から蜀、蜀から魏へと、俺を護衛した褒賞”なのだそうだ。なるほど、確かにいろんな意味で随分と守ってもらってる。

「昨日の邑でいいのか」
「ん。そこで欲しいものを貰えたら、早速とりかかろう」
「……それを連れたままでか?」
「え? あ、あー……」

 思春が見つめる先は、俺が抱える袁術。
 対する袁術はぽかんとした顔で、「この無礼な庶人は誰じゃ」と言っている。
 あれ? 面識なかったっけ。それとも素で忘れてる?

「えっとな、袁術。彼女は元・呉国の将、甘興覇。いろいろあって、今は俺と一緒に居てくれている人だよ」
「──────」
「袁術?」

 説明した……んだが、その途端にびしりと行動を停止した袁術。
 馬に跨りながらだったため、今は馬の上、俺の腕の中に居るわけだが……その小さな体が段々と震えてきて───ってなに!? 何事!?

「ごっ、ごごっ、ごっごごごごごっ……呉将じゃとぉーーーっ!? どどどどう見ても庶人であろ!? 甘寧といえば髪の短い褌女じゃと記憶しておるぞ!? わわわ妾を驚かそうとしたってむむむ無駄なのじゃぞ!? 嘘であろ!? 嘘であると言ってたもーーーっ!」
「………」

 物凄い怯え様がそこにあった。
 詳しい事情はそう知らないけど、呉から連想して震えられるほどに雪蓮が苦手なのか。……ていうか、な、袁術。女の子がそんな、“ふんどしおんな”〜なんて大声で言うもんじゃないぞ……? ほら、思春もヒクリと口の端を引きつらせてるし……。
 あと髪は短かったんじゃなく、結わっていただけだろ……。

「大丈夫だって。言ったろ? “元”呉将だって。それに、怖いことなんてないぞ? そりゃあ何故か背後に居たり器用に俺だけに向けて殺気放ったり、足音立てずに近づいたりとかいろいろする人ではあるけど大丈夫。な〜んにも怖くないぞハハハハハ」
「か……一刀……? 目が、目が笑っておらぬぞ……?」

 ハイ。怖い時はめちゃくちゃ怖いです。思わずヒィって言いたくなるほど怖いです。
 俺のそんな表情が袁術の恐怖に拍車をかけたのか、さらに震え出した。
 恐怖っていうのはそう簡単には克服できないよなぁ……弱い俺でごめんなさい。
 そんな意も込めて、袁術の頭を軽く撫でてから馬に呼びかける。

「揺れるからしっかり掴まってくれな」
「ふふん、言われるまでもないのじゃ」
「やれやれ……」

 怒る気も失せたのか、思春は溜め息を吐きつつも馬を歩かせる。
 さあ、いざ牛乳を得る旅に。

───……。

 城を出てしばらく。
 綺麗な蒼の下、すぅ……と大きく深呼吸をしてみれば、胸一杯に広がる穏やかな空気。
 こんな穏やかさが一年前までは……とか考えると、静かになったなと頷ける。
 様々な道のひとつひとつで、どれだけの命が力尽きたんだろうか。
 何気なく通る道でも、雨に流されただけで、誰かの血が滲んでいたのかもしれない。そうして人を殺すことで国を守ってきた人も、獲物を無くした狩人のように必要無いと言われるような日がやってくるのかもしれない。

「………」

 華琳は“戦がなくとも、武と知を振るえる場所など作ってみせる”って言ってくれた。多分それは本当だ。いつか残したメモにもそれっぽいことは書いておいたし……まあその、武だけじゃあ知を武器とする将の立場が無いって意味も込めて、武部門に天下一品武道会、知部門に論文発表会、酒好き部門に呑兵衛王者決定戦、料理好き部門に料理の徹人、その他にも大食い&早食い対決やら辛さ耐久対決やら、思いつくものを走り書きにしたっけ。渡した時点で、魏の勝利を疑ってなかった内容だったから、当時の華琳がどう思ったかはちょっとだけ気になってはいる。……きっと、何も言わないだろうけど。
 信じてるなら任せておけばいい、か。
 そうだよな、逆のことでも言えるけど、“任せる”って言ったのに心配してたんじゃあ任せるって言葉は適当じゃない。華琳が作ってみせるって言ったんだ、俺はその隣でゆっくりと見ていこう。三国が、民も兵も将も王も、笑っていられる国になっていく“歴史”を。

「俺もいつか、歴史ってものになるのかなぁ……」
「貴様は魏王曹操の名の影に隠れたまま、歴史から姿を消すのがお似合いだろう」
「うわーお、ひどいこと言われてるのに否定出来ないくらいしっくりくる」
「当然よの。天の御遣いがどうと云われようと、一刀が何を為したのかを妾は知らぬのじゃ」
「そりゃそうだ、全部華琳の名に目が向けられるようなことばっかりやってたし。俺はようするに天の御遣いって名前だけあればよかったんだ。あとは知識と行動が華琳の支えになってくれた」

 自分を卑下するわけでもないし、大きく見せたいわけでもない。
 自分ってものを知って、その上で何が出来たかを考えれば、俺には知識だけがあればよかったんだといつでも理解できた。
 知っていれば誰でもよかった。
 それを、一番最初の北郷一刀が銅鏡を割ることで“俺”って欠片を作った。
 軸ってのはきっと、割れた鏡なのだろう。
 欠片の数だけ世界があって、その一つ一つでいろいろな物語が展開される。
 桃香と天下統一をした俺、呉で子宝に恵まれた俺、……銅鏡を使い、新たな世界を作った俺。そして───きっと、こうして魏とともに天下へと至った俺にさえ、別の道を進む俺が居るのかもしれない。
 それはたとえば、こうしてこの世界には戻らずに、天……日本で家業を継ぐ俺、とか。

「……なぁ思春。思春は……もし自分が錦帆賊の頭を続けていたら〜とか、考えたことってあるか?」

 軽い質問をしたつもりが、ちらりと見た思春は俺を見て難しい顔をしていた。
 難しいっていうか……呆れた顔。俺って思春を呆れさせる達人になれるかもしれない。
 や、そんなことはどうでもよくて。

「貴様はいちいち口に出すことが突発すぎる。脈絡というものを持て」
「あれ? そうか?」

 そうか……? そう…………うわ、そうかも。
 考え事を繋げばそれは普通に聞こえるかもだけど、さっきの話からいきなり錦帆賊の話は……いくらなんでも飛びすぎだよなぁ。

「……質問の答えだが、思ったことならそれはある。だが、満足は得られなかっただろう。それだけだ」
「満足? それってようするに、蓮華に会えてよかったーとか、そういうヒィ!?」

 睨まれた! 睨むっていうか眼力で人を殺せるくらいの殺気が俺を包み込む! なのに袁術ってば全然気づいてない! やっぱり俺にだけ!? あぁああああ器用だなぁもう!!

「何故そこで蓮華さまが出てくる……!」
「だ、だって思春っていっつも蓮華の傍に居たし、俺が蓮華と話をしてると常に俺だけに殺気を飛ばしてきたりしたし!」
「私は蓮華さまの護衛の任を任されていた。それをどこの馬の骨とも知れん輩に穢されたとあっては申し訳が立たない……それだけのことだ」
「何処の馬の骨かを理解してもらっても殺気を飛ばされてるんですが!?」
「馬の骨ならば当然だろう」
「はうあ!? なんか一瞬納得した自分が悲しい!?」
「お主ら、よくも話の種が尽きぬものよの……。一刀、喉が渇いたぞ? 蜂蜜水を出すがよいのじゃ」
「はいお嬢様、そんなものはございません」

 そんなこんなで道をゆく。
 馬のペースで行っているから、結構気まぐれなスピードだ。
 いい一日にしたい日は、のんびりするのが一番だと思うわけだ。
 焦るとろくな結果を生み出さないからなぁ、世の中っていうのは。

「ところで一刀? その“あいす”は美味なるものなのかの」
「不味くはないと思うぞ? 俺が作るからには普通になるんじゃないかって不安もあるものの、素材がよければそれなりの味になるだろ」

 道をゆく。いろいろと作り方を組み立てながら。
 どうすれば市販の味になるのか。どうすれば、市販を越えた限定アイスみたいな味になるのか。出来れば美味しいのを作りたいが、果たして……? そんなことを考えながら、やっぱり道をゆく。
 しかしのんびりとしていても、話しながらだと遠い道も近いとはよく言ったもので、いつの間にか邑に辿り着いていた。

「……静かな邑じゃの。ほんに人がおるのかや?」
「そういうこと言わないの。袁術にもいつか、静かってことの大事さが解る日がくるから」
「そういう貴様は少々達観しすぎだと思うが……」

 いや……賑やかなのは好きだけど、出来ればもう少し静かに暮らしたいなぁと思うことが多くなりまして。っと、そんなことは今はいいか。
 よし、と一言口にして、おやっさんが待っているであろう場所までを歩く。
 そこで待っててくれたおやっさんが、俺を見るなり嬉しそうな顔で「丁度搾ったところですよ」と言ってくれる。

「む……? 一刀、これはなんじゃ? 甘いのか生臭いのか、よく解らん香りがするの」
「これが今日の目的の一つだよ。家畜の乳を搾ったものだ。アイスにはやっぱりこれがないと」

 受け取った容器にはたっぷりの乳が搾られていた。
 容器自体がそう大きいものではないから、量でいえばそれほどでもない。
 これを以前のように加熱殺菌して、出てきた上澄みを回収して……うんうん、イメージが膨らんできた。

「それじゃあおやっさん、これ」
「え……あ、いや、やはりそれは……」
「いや、対価はきちんと払わないと、俺が華琳に怒られるから」

 ミルク代といえばいいのか。
 少ないながらも、おやっさんが以前頷いてくれた代金を払う。
 おやっさんは渋々ながらもそれを受け取ったが、これからも元気に育ててやってという俺の言葉に頷くと、笑顔で見送ってくれた。

「じゃ、戻るか」
「な、なんじゃとーーーっ!? こ、ここまで来たのはそれを得るためだけじゃというのかーーーっ!?」
「え? そうだぞ? ここらへんじゃあ家畜の乳搾りしてるのがここくらいしかなくてさ」

 乳牛は貴重です。
 だから快く分けてくれたおやっさんには感謝感謝だ。

「むぅう……つまらぬの……」
「はいはい、行くって言ったのは袁術だろ? あんまり無茶言わないの」

 ぶーたれる袁術を連れ、ミルクが入った容器を持って歩く。
 たらいとかではなく、不恰好なものの一応栓が出来る形のものだ。
 乱暴に扱わない限りは壊れたりはしない安心仕様! でも早速ミルクの温かさで容器も温かくなってきている。や、それはとっくにか。

「これ一刀や? せっかくこんな辺境の地に来たのじゃ、もそっと娯楽を探してみんか?」
「だ〜め。こういうのは時間との勝負なんだ。早く許昌に戻って作業を開始しないと味が落ちそうだ」
「そんな容器ひとつのものよりも、妾の娯楽を優先させるべきであろ?」
「すまん。優先順位から言えばこっちが大事だ」
「なんじゃとーーーっ!?《がーーーん!!》」
「……貴様は少々、いや、かなり……華琳様のこととなると周りが見えなくなりすぎる」

 うぐっ……自覚しているけど、あんな涙を見ちゃったあとじゃあなぁ。
 なんというかこう、今までは感じなかった奇妙な保護欲のようなものがふつふつと。
 でもそういうのにばっかり飲まれていたんじゃあ、いつか周りを傷つけるかも、か。
 そういった何かに気づくか気づかないかで、やさしく出来ていても人を傷つけることもあるって桃香に教わったもんな、うん。
 よし、じゃあ少しだけ時間をとって《ババッ!》───あ。

「あっ、こ、こらっ、大事なミルクをっ……!」
「うわーははは取ってやったのじゃ〜♪ では一刀? これを返してほしくば妾の命を快く受け容れ、妾を存分に楽しませるがよいぞ?」
「………」
「………」
「…………忘れてた。袁術って、麗羽の従妹だったんだよな……」
「厄介なことこの上ないが、そういうことだ」

 思春とともに、ミルクを頭上に掲げて楽しげに笑う袁術を見て溜め息。
 強引に取ろうとすれば暴れそうだし、取らなくても何かの拍子で落としそうだ。
 なのに彼女の目的が達成されるまで、ほぼあの器が砕けることがなさそうとか……なんとなくパターンというものを読んでいる自分が居る。
 これって……そういう状況だよな……? 散々苦労して願いを叶え続けて、いざ返してもらえそうになるとゴシャーンって、そんなの。

「よし、おやっさんからもう一本もらおう」
「いい判断だ」
「なにーーーっ!? ままま待つのじゃっ! ではこのみるくはどうなるのじゃっ!?」
「ククク……お嬢ちゃん、駆け引きっていうのはもっと相手を追い詰める状況を作ってからするものだぜ……? そのまますぐにそれを渡すならよし、多少の時間を割いてでもお嬢ちゃんの要望に応えよう。だが返さぬというのなら……俺はミルクを搾り直すだけだぁ!」
「ふ、ふぐぐ……うみゅう……!」
「………」

 あの、思春さん? たわけものを見るような目で俺を見ないでください。
 こっちだって一番搾りを無駄にされないように、いろいろと必死なんです。
 だって朝からおやっさんが搾ってくれた乳だぞ? それを無駄にしたなんてことがあったら、おやっさんにも家畜にも悪いじゃないか。
 ていうかまさか袁術がこんな大胆な行動に出てくるとは……この北郷、予想だにせんかったわ。と無駄に老兵っぽく考えてないで、どうしたものかなぁこの状況。
 思春に素早く取ってもらう? いや、あとがうるさそうだ。
 強引に奪う? それこそ落として砕けそうだ。
 落とせば割れるようなガラス細工ではないものの、草むらの上でもない限りは簡単にヒビが入りそうな木の器。それを地面に落としたとあっては……割れるな、確実に。うん割れる。

「ふふん、ならば妾はこのみるくを持った上で、馬をいただいていくのじゃっ! そうなれば一刀も困るであろ? 困るであろ〜?」
「……その前に馬に乗れるのか?」
「《ぐさり》はうぐっ! ば、ばばば馬鹿にするでないのじゃ! うぅうう馬くらい妾がちと本気を出せば、歌で民草を支配するより容易く乗りこなせるのじゃーーーっ!」

 エイオー!と突き上げた拳がその勢いを語っていた。
 勢いだけで、視線は物凄く泳ぎまくっていたが。
 ちなみにその格好いいポーズ(?)も、片手で器を持っていられなかったようで、数秒も保たなかった。

「ならば馬に辿り着く前にうぬの手からミルクを奪うのみ!」
「ち、近づくでないのじゃ! 近づけばこのみるくの命が無事ではすまぬぞ!? このみるくがどうなってもよいと申すかー!」
「……なんなんだこの茶番は」
「遊びの一種です」

 呆れ果てる思春にそう返し、じりじりと間合いを詰めていく。
 たまにはこういうやりとりも必要だと思うのだ。
 本質が子供のままなら、悪ふざけには悪ふざけで。悪ノリが行き過ぎない程度にセーブしながら遊ぶのがコツだ。
 ただし、怒る時はきちんと怒らないと届かない言葉もあるので、時には心を鬼にする必要があるわけで……って、この場合、それをするのは俺の役目なのか? 七乃の場合だとそういうのは絶対にしそうにないからなぁ。
 怒る……怒るかぁ。華琳にも言われたけど、怒るっていうのは本能的なものであって、自分の意思で止められる怒りは怒りとは呼ばないんじゃないかって思うんだ、俺。
 だから叱ろうな。めっ、て。それで解ってくれる人が居るかを、俺は知らないが……さて、そんなこんなで言い合いを始め、追いかけっこみたいなものをして、騒いで燥いで……しかしながら馬は危険だからよじのぼらないことときっちり言って、袁術の要求を適度にこなしてきたわけだが……。

「一刀一刀っ、次は一曲ろうじてみせるのじゃっ」
「楽しそうでいいなぁもう! だ〜め〜だっ、いい加減ミルクがやばいっ! もう戻らないとアイスを作る時間が無くなるんだって!」
「ふふふ、よいのか妾にそのようなことを言って。妾の挙動の一つでこんな容器なぞ容易く割れてしまうぞよ? それが嫌なら妾を満足させるのじゃ〜♪」

 ……うん。
 ひとつ勘違いしていたことがあったよ俺。
 俺の部屋での袁術は、文字通り籠の中の鳥状態であって、あれでまだまだ好き勝手には振る舞っていなかったのだ。
 それがこうして蒼の下、それも許昌から離れた場所に至るに、本性が現れ出したと。
 もうね、物凄い我が儘娘だ。
 今もほれほれとニヤリとした笑みのままに、ミルクが入った容器を振るっている。
 俺はそれを眺め、“ああ、もう随分と脂肪分が分離されたことだろうなぁ”とか思いながら、しかし弱気にならずに振る舞う。

「やってみろ。その瞬間、僕のこの丸太のように太い脚がキミの体を蹴り砕くぞ」
「……!《ゴ、ゴクリ……!》」

 もちろん嘘なわけだが。
 あと言っておくけど、べつに丸太のように太くはない。
 もう十分に楽しんだだろ?と視線で訴えかけるも、袁術は口を尖らせて容器をかばいにかかる。まるで子猫を拾った子供だ。なにやらいろいろ間違ってはいるが。

「よくもまあ、これだけ遊ばれて我慢が利くものだな」
「へ? 我慢って? …………あ、あー……いや、俺もこれで結構楽しんでるし。基本的に中身が子供だからさ、俺も」

 だからそう苦ではない。
 楽しい時間は楽しいものだって割り切ったほうが、純粋に楽しめるってものだし。
 それに、袁術にとっては久しぶりの許昌以外での外だろう。
 たまにはこういう我が儘も聞いてあげないと、それこそパンクしてしまう。
 だから、本当に、怒りとかは沸いてなかったんだが───……

「ほら、もう戻るぞ。馬にもあんまりのんびりさせると、寝ちゃうかもしれないし」

 ───袁術を促して、馬を繋げてある場所へ向かい、歩く。
 それを帰る合図と受け取ったのか、まだまだ遊び足りなかったんだろう袁術は、俺と思春を追い抜いて駆けた。もちろん、馬が居る場所までをだ。馬の傍まで辿り着くや、袁術は繋いでいたものを外し、無理矢理によじ登ると馬を叩いて───って、ばかっ!
 よじ登られただけならまだいい。
 それを、急に叩かれれば馬だって驚く。
 訓練された馬だったからほんの一瞬でそれは治まったが、そんな一瞬の驚きがあれば、小さな体を振り落とすくらい容易いものなのだ。
 その予想を裏切りもしないで袁術の体は容易く振り落とされ───予想が頭をよぎった瞬間から氣を足に込めて弾けさせた俺は、地を蹴り弾き続けて滑るように飛び───!

「っ……あぁああああっ!!!」

 頭から落ちそうになる袁術を、ギリギリのところで抱き止め、勢いのままに馬の下を潜り、倒れた。
 当然、舗装もされていない地面だ。服はところどころがほつれてしまい、腕や足も擦り傷だらけになって……

「〜〜〜っ……つぅうう……っ……はぁ……!!」

 痛みに震え、ようやくそれを飲み込んでから、腕の中の袁術を見る。
 突然振り落とされたショックからか、小さく震えながら俺を見上げていた。
 ミルクがどうなったのか、頭の片隅に数瞬浮かんだが……それは思春が無事に受け止めてくれたらしい。いや……ミルクよりも袁術をさ……俺を信じてくれたんだったら嬉しいけど。

「袁術っ、痛いところはないかっ!? 大丈夫かっ!?」

 見る人が見れば、どっちがだと言いたくなるような状況だ。
 俺が着ていた庶人の服には血が滲み、擦り傷だけじゃなく結構大きな傷もありそうな予感が沸き出てくる。けれどもそんなことを後にしてでも、袁術の無事を確認した。
 その理由は、もう冷静じゃあいられていない頭が理解している。

「う、うむ……大事ないぞ……? 妾は無事なのじゃ……」

 申し訳無さそうに、俺を見上げる少女が言った。
 …………そっか、傷はないか……そっか。

「そっか。じゃあ───」

 ……冷静ではいられない。
 そう。それは、こうして心配している今でも。
 そして、彼女が無事だというのなら───……いや、そんなことさえ考える余裕なんてものは、もうなかったのだ。
 袁術が無事だったと解った時点で、俺はもうやることを決めていたのだろう。
 俺が自分の意思としてどうこうするより早く、“俺の体”は衝動に動かされるままに行動していたのだ。
 その行動っていうのが───ぼがぁっ!!

「ふぎゃんっ!?」

 硬く握り締めた拳を、袁術の頭頂に落とすこと。いや、それだけじゃない。
 急な痛みに頭を両手で押さえ、涙目で俺を見上げる袁術へ向けて、声を張り上げていた。

「こんのっ───馬鹿っ!! なにをやってるんだよお前はっ!! もう少し遅れてたら怪我だけじゃあ済まなくなるかもしれないところだったんだぞ!?」

 真っ直ぐに袁術の目を見て、驚きに固まる袁術の両肩を掴んだ上で。

「よじ登るのは危ないって言っただろ!? どうして綱を外したりしたんだ! もし訓練されてない馬だったりしたら、振り落とされて平気だったとしても踏まれたりしたかもしれないんだぞ!?」

 感覚は……体が勝手に喋っているような状態だった。
 なのに体の中には、ひどく冷静な自分が居る。
 止めてやりたいのにその意に反して勢いは決して無くなることなく、目に涙をいっぱい溜めている袁術にこれでもかってくらいの言葉を浴びせ続けていた。
 そんな、自分のことながらどうしようもない状況に対して、華琳が言ってた言葉の意味がしみじみと心に染み渡っていた。なるほど、“いつ爆発するか解らない”かぁ……妙なところで爆発したもんだ。
 というかこれは怒りって言えるんだろうか。
 怒ってる……うん、怒っているのはよく解るんだが、そのきっかけが“相手を心配して”の怒りなんて……俺の怒りの沸点って、他の人とは違うのかなぁ……。

「遊びたいなら遊びたいって言ってくれ! ものを奪って脅迫めいたことをしなくても、ちゃんと時間を作るから! 遊び足りなくても次も絶対に時間を作るから! 危ないことなんて絶対にするなっ! 死んじゃったら……本当にそれまでなんだぞっ!? 解ってるのかっ!?」
「〜〜、〜〜っ……ひぐっ……う、っく……なっ……なぐっ……ひっく……! なぐったのじゃ……! ぶったのじゃ……!!」
「ああそうだ! 急に叩かれたり殴られたりすれば誰だって驚く! 当たり前だろ!? それをお前は馬にやったんだ!」
「ふ……う、ぐ……!」

 血を滲ませながらの説教は続く。
 本能任せの言葉が口から放たれ、恐らく口を開けば嗚咽が漏れるだろうから、なにも言わない袁術に向けて一方的に。
 泣きたい時に泣ける存在であってほしいって思うのに、この口はもはや説教しか飛ばさない。しかし無駄に正論が多いために、自分のことながら結構性質が悪い。

「七乃は……七乃はどんなことを言っても妾を叩いたりなどせなんだのに! なんじゃお主は! ぐしゅっ……せっかく、せっかく妾が気にかけてやったというのに……!」

 一方的な言葉に対して返されるのはやっぱり一方的な言葉。
 言葉を発するたびに震える声が痛々しくて、自分で殴っておきながら、怒っておきながら、抱き締めて宥めてやりたくなる。なのにこの体はじっと袁術の口から吐かれる罵声を受け止めるだけで、やさしい言葉もなにも、返しはしない。

「皆、妾を遠巻きに見るっ……! 皆、妾を避けるのじゃっ……! お主は違うと思うておったのに……! 一緒に居てくれても妾を殴る者などいらぬ! いらぬのじゃーーーっ!!」

 そしてとうとう涙は溢れ、袁術は声を出して泣き始めた。
 それでも何も言おうとしない自分って存在を、心の中で呆然と眺めながら……ただ穏やかに過ぎるはずだったこの非番の日が、音を立てて崩れるのを……止めることも出来ないままに、心の中で空を仰いだ。




ネタ曝しです。  *だが返さぬというのなら……俺はミルクを搾り直すだけだぁ!  劇場版ドラゴンボールZより、ブロリーの言葉。  お前達が戦う意思を見せなければ、俺はこの星を破壊し尽くすだけだぁ!  *やってみろ。その瞬間、僕の丸太のように太い脚が───  ジョジョの奇妙な冒険第一部、ジョナサン・ジョースター-その青春-より。  ファントムブラッドもいいけど、その青春も好きです。  というかジョナサンがなにより大好きです。  はい、55に続きます。  Next Top Back