98/傷つけることよりも難しいこと

 ……最近、誰かに見られている気がする。

「………」

 それは、非番の日……俺が袁術に拳骨してしまった日よりも前から感じているもの。
 それと同じものが、ずぅっと俺を追っている気がする。
 ある時は街で、ある時は城内で。
 誰かの鍛錬に付き合わせてもらっている時でもそれは存在し、いつか霞に模擬戦に誘われた日にも、同様の視線を感じていた。
 そして、その視線の正体は多分……

───……。

 中庭の東屋で進捗(しんちょく)報告をするための書を纏める。
 日も半ば。
 昼食を終えてから取り掛かった仕事は、自室では落ち着かない理由もあって、こうして風に当たりながら実行していた。
 前の非番の日、自室に戻ればどうしてか破壊されていた俺の部屋の扉。
 それが、実はまだ直されていないのだ。
 扉が開けっ放しの部屋って、どうしてか解放的な部屋よりも不安になるし、だからいっそのこととこうして中庭で仕事をしているわけなのだが……どうしてだろうなぁ。前までならあっという間に直されていた筈の扉は、今回はやけに直るのが遅かった。
 そりゃあ自然に直るわけじゃないんだから、当然といえば当然なんだが。

「もしや誰かが直すのをやめなさいとか言い出したとか? 最近になって部屋に施錠するクセをつけ始めた俺を狙う誰かが……!」

 …………そうなると一人しか思い浮かばないから困ったもんだ。
 けどまあ、さすがにそれはないだろう。
 出来ることがあるとしたら闇討ちくらいなんだし……それ全然安心できないぞ?

「………」

 あれ以来、袁術は俺の部屋には来ていない。
 元々宛がわれていたらしい部屋へと戻り、以前ほど顔合わせをしない日が続いている。
 華琳は、どうして袁術が急に俺の部屋を出ていったのかについては、一言たりとも教えてはくれなかった。彼女と袁術との間になにかがあったのは間違い無さそうなのだが、言ってしまえば拳骨して泣かせた相手の部屋にHIKIKOMOること自体が、たしかにおかしいといえばおかしい状況ではあった。出て行くのも当然……なのだが、やっぱり気になるのだ。
 気になるものは仕方ない。というのも実際、何度か袁術の部屋に向かおうとすることがあった。その度になんとか我慢して自室に戻るようにしているわけだ。

「ん、仕事仕事っ」

 筆を走らせる。
 進捗報告とはいっても、何をするでもなく平和な時間が続いている。
 対処に困る問題が起こることもなく、どちらかといえば警備隊は誰かの案内をすることが多くなった。
 平和な証拠だよな、うん。
 町人も賑やかに過ごしているし、かつて治安の悪さが目立っていた区画も、いつか流琉と話した警備隊の職安の話が上手くいったのか、落ち着きをみせている。一部じゃあ、かつてはワルだった者でも料理の腕さえ認められればって、躍起になって有名になった料理店もあるくらいだ。

(まあ、実際に今日、その店に食いに行ってみたわけだが……)

 そこで働いていた男が見覚えのある男だったもので、衝撃を受けた。といっても及川ほどの面識があるわけでもなく、ただまあ……この世界に初めて下りた時に会った、あの黄巾党の三人組の中のチビのほうだったって話だ。
 ヒゲのアニキのほうも別の店で頑張っているらしく、デブの方はその力を生かせる範囲で町人の手伝いをしているらしい。
 会ってみれば、揃って“客の笑顔ってのも悪くねぇ”みたいなことを言っていた。
 人間、変われば変わるものだ。
 難しいのはそのきっかけを掴めるかどうかか……。
 あのチャーシューが美味かった店は、やっぱりというかなんというか、別の場所に移転してしまったらしい。つまり、ここではきっかけを掴めなかったってことだ。
 かつてはそこにあったものを見るように、そこを通る度に季衣が“チャーシュー……”と漏らしている。

「はぁ……」

 どうか別の場所でも誰かを幸福にしていますようにと願わずにはいられない。
 美味かったもんなぁ、あの店。

「……マテ? あの頃のことを思い出せば、アイスなんてものも華琳の手にかかれば……」

 とか思った矢先だった。
 視界の隅にぴょこんと動くドリル……もとい、……もとい…………ドリルか。
 麗羽ほどではないにしろ、巻いた髪を歩くたびにぴょいんぴょいんと揺らす存在が。
 まあ、華琳だけど。

「“噂をすれば影が差す”か。いいや、ちょっと訊きたいこともあったし、少しだけ時間をもらおう。……って、華琳への報告のことなのに、華琳に訊くのってどうなんだ?」

 考えてみた途端に、溜め息を吐く華琳の姿が思い浮かんだ。
 よし、自分でなんとかしよう。考えるコト、大事。
 で、そんなことを思った瞬間に見つかるのが世の常ってわけで。
 バッチリと目が合ってしまったからには隠れるわけにもいかず、そもそも隠れる意味もなく、華琳がこちらへ来るまでを待った。

「こんなところに居たのね」
「こんなところって……それが数日前にここで優雅に茶を飲んでたやつの言うことか」
「……言葉のあやというものよ」
「ははっ、まあ少しでも誰かを探したりすると、場所がどこでも“こんなところに”とか言いたくなるのは解るよ。で、どうしたんだ? 進捗報告書なら今まとめてるところだけど」
「ええ結構。けど用事はそれじゃないわ」

 そう言って差し出したのはひとつの容器。
 そこには甘い香りを冷気とともに漂わせる例のブツが。

「…………噂で現れる影ってさ。普通ここまで人の予想通りに動かないと思うんだ」
「? なんの話よ」

 アイスだ。
 間違い無くアイスだ。
 しかもこの香りは……

「果実で香り付けしたのか?」
「ええ。以前、呉で採れたものを雪蓮が分けてくれたものがあってね。一刀と一緒に収穫したものだからって、笑いながら言ってたわね」
「へぇ……」

 人のコト散々引っ張りまわしてくれたからなぁ、あの呉王さまは。
 思い立ったが吉日で、その瞬間の相手の都合なんてものはまず考えない。
 そのくせ本当に大事な用事がある時には突撃してこなのだから不思議だ。
 あれも勘の為せる業ってやつなんだろうか。

「なかなか面白いわね、このあいすというものは。ここまで素材の香りが前に出る食べ物もそう無いわよ」
「材料が少ないくせに、その材料が香りのあるものばっかりだからだろうな。そりゃあ匙加減ひとつで変わるよ。で、食べてみていいのか?」
「そうでなければこうして差し出したりはしないのだけど?」
「そりゃそうだ。じゃあ……いただきます」

 匙子でアイスを軽く掬い、口に運ぶ。
 すると、ふわりと舌で溶けるアイスが口に甘みとほのかな香りを残し……

「あっ、これ茘枝(らいち)かっ!」

 冷気に乗る香りだけでは確信が持てなかった正体が、舌に乗り、ほどけた途端に確信へと至る。
 途端に“あぁ採った採った! 雪蓮と一緒に収穫したよこれ!”って思いが一気に溢れ、俺の顔はどうしようもなく笑みに支配された。

「ていうか美味い! しかもいろいろ思い出せて面白い!」

 ああっ、頬がじぃいんってする!
 酸っぱいのとは違った頬への満足感に、体が痺れる感じだ!

「雪蓮には酒にでもと渡されたのだけれどね。せっかくだから余ったものを使ってみたのよ」
「“せっかくだから”でこの味!?」

 相変わらずどうなってんだこの完璧超人さんは。
 クッキーの時もどうすれば美味いかを見極めたし、ハンバーグの時だってキングサイズを作っちゃうくらいの手際と味を見せ付けたし、ラーメンの時だって店の大将と同じ材料で美味いもの作ってヘコませたし……あれ? でもこの茘枝、雪蓮と一緒に収穫したものだとしたら……大丈夫なのか? カビやすいって聞くけど。
 と、そんな俺の視線が気になったのか、華琳は簡潔に“茘枝酒用に浸けておいたものを使った”と教えてくれた。なるほど。

「いっそおかしいってくらいだろ……天以外でこんなアイス食べられるとは思わなかったぞ……」

 天と違ってそういったもの専用の設備があるわけでもないのにこの味だ。
 やっぱり機械よりも手作りの温かさなのか? 心を込めるって素晴らしいですね。
 と、あまりの衝撃にぶつぶつと言う俺を見る華琳は楽しげだ。
 しかしまだ知識を詰め込む猶予はあるといった、挑戦的な目をしている。
 キミはなにか、己の知識がどこまで天に通じるのかを確かめ…………たいんだろうなぁ。
 あ、じゃあ……

「なぁ華琳。こんなに美味いものを作れる華琳に、もう一つ天のものを伝えたいんだけど」
「あら、この私に作ってみせろと挑発でもする気?」
「妙な受け取り方するなって。ただ、これが出来たらいいなって思っただけだから」
「……? 出来たら、いいもの……?」

 余裕の笑みに困惑が混ざる。
 さて。もったいぶる意味も無いし、ぱぱっと伝えてみよう。
 モノとしては伝えたことはあるものだ。

「こうして天で食べてたものが食べれるなら、郷愁とかもなんとかなると思うからさ。えーと……日本酒が造れるかどうか、試したいんだ」
「日本酒? それって酒のことだったわよね。あなたね、ここに酒蔵でも作れという気?」
「あ、やっぱり作るなら蔵からじゃないとだめか」

 テレビとかで酒蔵は見たことはあったが、やっぱり材料さえあれば何処でも作れるわけじゃないんだなぁ。

「作るにしたってコウジカビとかの採取から始めないと……って待てよ? ラーメンあるんだし、醤油はあるよな。醤油作るのに使う菌がコウジキンだった筈だから……まずは白米を蒸すところから……ふむふむ。甕を用意して酵母も作らないといけないし……」
「ちょっと。作ること前提で話を進めないでほしいのだけど?」
「あ、すまん。こういうのってどうも、考え始めると止まらないな」

 ……それだけ、郷愁があるってことなんだろうか。
 天じゃあ必然的に飲みたくても飲めないってことばっかりだったから、これが郷愁なのかはまた別な話なわけだが……うん。
 でも、じいちゃんは胃の中から清めるために飲むとか言って飲んでたっけ。
 俺は飲めなかったけど。

「霞と約束したんだよな、日本酒を飲ませるって。だからなんとか作りたいんだけど……失敗したなぁ〜、ビールもワンカップも、呉のみんなにあげたから残ってないし……」

 って、そういえば黄酒も米で醸造するんだよな?
 それって日本酒と大して変わらないんじゃあ……いや待て? たしか黄酒は白米じゃなく糯米とか黍米で作るんだったよな。麹菌も麦麹を使うから、日本酒とはやっぱり違うか。

「ちょっと一刀! それはつまり天の食物を持ってきていて、しかも雪蓮にあげてしまったということ!?」
「へっ!? あ、ああ……まあ雪蓮っていうか、ワンカップはほぼ祭さん一人が飲んでたけど」

 あ。あの瓶とか缶に原料とか書いてあるかな?
 ……さすがに捨てられてるか。
 ていうかそれ以前に、俺に詰め寄る華琳が怖い! なに!? 何事!?

「なんてことをしてくれたのよ! せっかくの天の食物を味わう機会を!」
「え、いや……ああ、そういうことか……」

 怒ってた理由が解った。解ったところで対処のしようがないが。
 ワンカップ、柿ピー、缶ビール、あたりめ、チーかま、これらを用意しろと言われても俺には無理だ。干しホタテあたりならなんとかなりそうか?

「ん? でも待てよ?」

 及川のことだから、別のところにも何か詰めてたりとか……。
 一応傍らに持ってきておいたバッグを漁ってみる。
 メモ、シャーペン、シャーペンの芯、携帯電話……ティッシュにタオルに着替え一式……二重底の下にはもう何も無し、と。あとは何処かに………………無いか。
 さすがの及川でも二重底が限界か。
 まあ、あったとしても衝撃とか日光とかで大変なことになってただろうし、この場合は無くて正解かもなぁ。

「けどまああいつのことだ、バックの中の上のほうにめくれる仕掛けとか───……あったよ」

 側面に糸のほつれがあり、軽く引っ張ればブチチチチと切れるソレ。
 中には予想通りにブツが入っていて───白いソレを取り出してみれば、

  “必死こいてモノ探したかずピーへ。おつかれさん。 及川”

「あのヤロォオオオーーーーーーーーッ!!!!」

 白い紙に書かれた悪友の文字に素直に叫んだ。
 ええいいっそこのバッグ解体してくれようか!?
 探せばまだこういったものが出てきそうな気がするぞ?
 ていうか……空気読もうぜ……? な、及川よぅ……。
 ここは“ウワーこんなところに酒ガー”とかいって一気に解決をさ……? なぁ……?

「な、なによ、急に叫んだりして」
「《ビリビリベリバリッ!》なんでもないっ!! 期待した俺よりもさらに馬鹿が天に居るって、それだけだっ!」

 紙を引き裂いてぐしゃぐしゃに丸めて円卓に叩きつけた。
 ボスって乾いた音が鳴っただけで、気分は大して晴れはしなかったよ……。

「天の酒とかについてはほんとすまん。あれはどうしたってもう用意出来ない」
「そうでなければわざわざ怒ったりなんかしないわよ……はぁ」

 溜め息をつかれてしまった……。
 や、でもあれは仕方ないだろ。こっちだって新しい地でドキドキしてたし、早く打ち解けるためにも……って、言い訳だな、これは。
 急ぐ必要なんてなかったし、じっくり仲良くなればよかったんだ。
 ただし、魏に戻るまでに酒等を死守していたとして、飲めたか、味わえたかと訊かれれば否だろう。だって賞味期限があるし。酒やビールはまだセーフだったろうけど、チーカマとかは確実にアウトだ。開けた瞬間、ある意味芳醇な香りが華琳を迎えてくれたことだろう。
 そう思えば、“宴の時に気づく”ってことが最善だったんだろうが……気づけなかったもんな、俺。仕方ない。
 ……と、そうこう話しているうちにアイスをたいらげてしまい、ハッとした時には遅い。
 慌てて全部食べてしまったことを謝るが、

「構わないわ。“味見”のために用意したものだもの、食べ切ってもらわなければ処理に困るし」

 わざわざそんな、“味見”って部分を強調しなくても……。

「うん、でも美味かった。よくこれだけ美味く作れたよな」

 流琉が言ってたことも嘘じゃあなかったってことか。
 料理を食べた瞬間、調理法やらなにやらまで頭に浮かぶとかなんとか。
 で、気に入らなければ“この料理を作ったのは誰!?”と、某倶楽部のおじ様の如き特攻を開始する……そんな話を、今は消えたチャーシューが美味いラーメン屋で聞いた。

「失敗とか考えないよな、華琳は」
「この私が腕を振るうのよ? 失敗なんかする筈がないわ。……まあ、それも地盤があってこそだけれど。なんの知識もなしに成功するのは奇跡だし、知識があっても腕がなければより良いものなど作れないわ。あいすにしたってそうよ。現物をあなたが食べさせたから作り方の想像も出来る。そうなれば、一刀に出来るのなら私にも出来て当然でしょう?」

 うわーあ、物凄い自信だ。
 しかも実際にやっちゃうんだから、大した横槍も入れられないんだよな……。
 が、これだけは言わせてほしい。
 麻婆豆腐は丼で、ご飯にかけて一気に食ったほうが美味い!
 邪道の中からも受け容れられるものを拾えてこその、味の修羅だと思うのだ!
 ……あ、今度店でも設けてみようか。その名も邪道飯店。
 知る限りの、ぶっかけた方が美味しいものや単品では出せない味を用意してみるんだ。
 華琳のことだ、さすがにそういう店では、味も見ずに追い出すなんてことはしない筈。
 そうして食べてもらって、美味いって反応が得られたら───……いつかのように“この程度の店にしては、ね”と付け足されるんですね?
 やめましょう。ええやめましょう。

「一刀? さっきからおかしいわよ? 唸ったり頭を抱えたり」
「……いや。華琳を満足させるのって難しいなって考えてた」
「なにかと思えばそんなこと? 当然でしょう? 軽い事柄で満足するようでは、王なんて務まらないわよ。満足しないからこそ次があるの。鍛錬を続ける身で、それが解らないなんて言わせないわよ」
「あ……なるほど、そういうことか」

 誘われれば迷わず鍛錬に参加する俺だ、それは解る。
 これが限界だ〜って諦めてしまえば、伸びるものだってそこで終わる。
 国を作るのが工夫や町人なのだとしても、管理し金を出す者が居ないのであれば何も成立しない。
 国の主に“この状態で満足しているのだ、勝手な真似は許さん”なんて言われたら、それから先にはなにも作られないのだ。
 王は満足してはいけない……か。また難しい話だなぁ。じゃなくて。

「じゃあ一時だけでも満足したいとか思うこと、ないか? アイスでもプリンでも満足してもらえなかったし、なにかあればなって考えてるんだけど」
「………」

 黙り込んでしまった。
 多少視線を逸らした顔は何故か赤く、そんな華琳に「華琳?」と声をかけつつ手を伸ばすと……ごすっ!と頭頂に空になったアイスの容器が落とされ、悶絶した。

「ごぉおおおおお……!! い、いきなりなにをっ……!!」
「おかしなこと言ってるんじゃないわよっ!」
「お、おかしいって……俺はただ……!」

 急な痛みに苦しみながらも見た華琳は、何故か少し機嫌が悪そうにしたまま、何処から出したのかも解らない絶を構えて中庭を促した。

「……一刀、体を動かしたい気分だわ。少し付き合いなさい」
「エ? や、俺はさ、ほら、さっきも言った通り進捗報告の書類を───」
「なに? 私の言うことが聞けないというの? ……一刀、あなたは私の“なんだった”かしら?」
「ああぁああもう解ったよ! やるよ! 木刀置きっぱなしだから取ってくるから! ちょっと待っててくれ!」

 全てが語られるより早く円卓を立ち、自室へ向かって走る。
 バッグはあるものの、竹刀袋は部屋に置きっぱなしだったのだ。
 ……それにしても、袁術もだけど華琳だって相当な我が儘さんじゃないか。
 あれでよく人のことを………………いや、そりゃあ見合う分の仕事はしてるけどさ。

「…………はぁ。本当に、なんとかしないといけないわね。我が儘を断る気が最初からないのかしら、あのばかは」

 なにか大変失礼なことを、呟きではなく普通に言われた気もしたが、気にせずに走った。
 というかきちんと耳には届かず、俺はそのまま自室へと駆けていった。

 ……ちなみに。
 戻ってきてからの鍛錬は、なんというか普通だった。あくまで華琳の中で。
 春蘭と秋蘭の本気を相手に立ち回る武芸はさすがの一言で、それはもう遠慮無用に踏み込まれた。実際に華琳は手加減なんてものを嫌うわけで、俺にまで全力で来いと言う始末。
 ならばと全力で向かい、余力を残そうともせずにぶつかり合った結果……体を動かしたい気分、なんて言葉から始まったソレは、双方がへとへとになることで決着、というかたちに落ち着いた。
 本当に、技術とかよりも無駄にスタミナばっかりついていると自覚する。
 というのも切り込めた回数は想像していたよりも少なく、華琳の隙の無さに逆に呆れる結果になった。だって鎌だぞ? 見た感じ思い切り隙がありそうなのに……ほんと、どうなってるんだこの世界の女性は。

「………」

 そんなことが終わって、現在は中庭の立ち木に背を預け、座っているわけだが……どうしてかその膝に、華琳さま。

「……風が気持ちいいなぁ」
「ええそうね」

 チラリと東屋を見る。
 書き途中の進捗報告書がそこにあるわけだが……しかしこの、足に乗る心地の良い重さも手放しがたく……手持ち無沙汰とはよくいったもので、心の中で自分に“仕方の無いやつだな”ってこぼしながら、その手で華琳の頭を撫でた。
 汗に濡れた髪が軽くくっつくが、そのまま引っかからないようにさらりと抜く。
 華琳はといえば、自分の汗が誰かにつくのが嫌なのか、閉じていた目を開いて俺を軽く睨んでくる。そんな顔に、“じゃ、膝枕やめるか?”って視線を悪戯笑顔とともに返してやれば、伸ばされて頬を引っ張る華琳の指ってあだだだだだだだ!!?

「ひょっ……ふぁりんっ、いふぁっ……いふぁふぁっ!」
「一刀、あなた……呉、蜀を歩いてから生意気になったんじゃない?」
「《ぱちんっ》ふおっ! ……〜〜……そういう華琳は、随分と……」
「……? 随分と、なによ」

 甘えん坊になった。
 ……なんて言えるわけがないよなぁ。
 あの時……玉座に座らせて、“私のものという自覚を忘れないでいるのなら、春蘭たちに手を出すことには目を瞑ってあげる”と言われた時は、本当に随分と滅茶苦茶なことを言われたものだけど……最近はやたらと無茶を押し通そうとすることが多くなった気がする。
 それが甘えからくるのか、ただ俺を困らせて楽しみたいのかは解らないんだが……ただ、快く引き受けると呆れた顔するんだよなぁ、“ほらみなさい”って感じに。
 前にもそんなことがあって……あの時は俺を怒らせたかったから、だっけ?
 じゃあ今も? …………でも袁術相手に爆発させちゃったしなぁ俺。

(華琳自身が怒られてみたいとか? ……いやいやいや、また泣かれるのは嫌だぞ)

 ……ていうかそれはないだろ、だって華琳だもの。
 そりゃあいつか、蜀に攻められて撤退しようって時、引っ叩いて怒っちゃったけど───わあ、そういえば俺、怒ったの美羽が初めてじゃないや。
 あ、でも……“叩いた”ではなく“本気で怒った上で殴った”は初めてじゃないか……。
 殴った……ナグッタ……女の子殴った……!

(うおお……でも、でもあの時は……!)

 でも、でも……うーん、“でも”が頭から離れない。
 こういう時の気分って、あんまりいいものじゃない。
 もやもやが溜まっていくから、なんだかどっと疲れるのだ。
 じゃあ試しに怒ってみる? 逆に滅茶苦茶怒られそうだぞ? あ、じゃあそれは次に理不尽に何かを仕掛けられた時に……なんてことを考えていたんだが、ひょこりと視界の隅で何かが動いた。

「………」
「……ほうっておきなさい。一歩も進まない者に手を差し伸べるのは、やさしさじゃなく成長の妨げでしかないわ」
「ん……解ってる。解ってるんだけどさ……」

 袁術だ。
 ここ最近だけじゃない、ずぅっと感じていた視線の正体。
 目をかけてやったと言っていたけど、まさか本当の意味で目をかけていたとは思いもしなかった。いつだって、自分が思うよりもずっと、自分以外の誰かの行動力なんてものは高いものなのだろう。
 俺はそれに気づかず、気づいたとしても深く気にしようとはせず、普通に過ごしていた。
 なもんだから袁術も気づかれていないと見て、部屋でもなにも言わなかった……か?
 妙に意地っ張りで頑固だからなぁ、袁家の人は。

(……でも、目をかけてやった、って……目をかけて、どうしたかったんだろうな)

 遊ぶだけなら俺じゃなくても、もっといっぱい…………。

(あ……そっか)

 さっき自分が感じた通りだ。
 よく知らない場所、よく知らない人に囲まれた時、酒やつまみを出してでも安寧が欲しいって思う。そんな状態の中、袁術は俺の部屋に居て……俺は、袁術が望まなくてもズカズカと話し掛けたりちょっかい出したりをしていた。
 自分がなにもしなくても、自分を構ってくれる存在。
 それはとても都合のいい存在で、心細さへのそのお節介は、嫌なくらいに受け容れやすかったに違いない。そりゃ、我が儘にもなる。自分から近づいてきたやつが、まさか自分を叱るなんて思いもしなかったに違いない。
 ……それ以前に、自分が怒られるってこと自体を意識してなかったっぽい。

(こうなると、逆に今までの俺が壁になるのかな)

 今まではほうっておいても手を伸ばした。
 だからきっと、今でも視界に入れば手を差し伸べるのではないか。
 そんなことを……自分ならば考えるかも、と考えては、自分にそんな神経があるかなぁなんてことを考えた。ほら、多少は考えるものの、解らなくなって無神経に突っ走ってそうな気がするんだよ。我ながら計画性ってものがない。
 ないからこそ、少し考えてみることにした。

「……なぁ華琳? 支柱になったらどんなことをすればいいんだろうな」
「好きにしていればいいわよ。支柱として生きるための知識なら、私や他の知ある者が、嫌と言えなくなるほど叩きこんであげるから」

 それはあれですか? 帝王学ってやつですか?
 ……帝王になるよりも、町人と遊んで笑ってられるような支柱になりたいなぁ。

「町人と遊んで笑ってるような支柱って、だめか?」
「そんなもの、ただ舐められるだけよ。自分は王ではないのだからと、そういう意味でそんなことを言っているのなら、それは大きな間違いだわ」
「え? そうなのか?」
「……あなたね。今、何処の誰があなたを支柱にしようと走り回っているのか、忘れたとでも言う気?」
「? 雪蓮に桃香に華琳だろ? それが…………あ」

 解った。
 つまりこれは……

「王や軍師が進んで俺を支柱にしようとしているのに、俺が誰からにも舐められる存在じゃあ、推薦した王たちの面目が立たないってことか……」
「そういうことよ。やさしいのは結構なことだけれど、限度というものを知りなさい。どれだけ平和になろうと、その平和を纏めるための王は必要であり、その王が支柱にしようとする者がただの能天気な男では、あちらこちらで不満が募るわよ」
「……そうかなぁ。解る気はするけど、平和のための支柱がそんな、怖い顔ばっかりしてたら息が詰まるだろ。ていうか呉の民のみんなとは随分と仲良くなったし、しかめっ面とかしていようものなら逆に不満が募りそうなんだけど」
「………」
「い、いやっ! 断じて根回しとかじゃないぞっ!? 俺にこんな先のことまで予見して行動しておくなんてこと無理だからっ! 自分で言ってて悲しいけど!」
「……まあ、そうね」
「…………いや……うん……」

 でも納得されても少し切ないです。
 こんなんで本当に支柱になれるんだろうか。
 帝王学を叩き込まれて、人捌きも上手くなって、こう、キリッとした顔で胸を張って!

(帝王、北郷!!《バァアーーーン!!》)

 ……………………。

「……ガラじゃないよ、これ」
「なによ。私の説明じゃあ不満?」
「いや、そっちじゃなくてさ。ほら、もしだけど、都に住むようなことになって、今の華琳みたいにいろいろな書類整理に追われるとするぞ? 三国の様々を把握しなきゃあいけないし、呉や蜀だけじゃなく、魏からのものにも目を通すコトになったりしてさ」
「ええそうね。それがなに?」
「……あのさ。それって俺が華琳よりも高い位置に居る〜、みたいに見えないか? あくまで民たちにとってはって意味で」
「ええそうね。雪蓮は間違い無く入り浸るでしょうし、桃香もやりそうだわ。私だってそうするでしょうしね。だから言ってるのよ、舐められることになる、と」
「ああ、そっか……ていうか本当にジュノ大公国だなおい……」

 いっそ笑いたくなるくらい似合わないぞ?
 都に置かれた城の玉座に座り、頬杖をつきながら足を組んでニヤリと笑う俺。膝の上には猫でも置こうか? それとも愛など要らぬと無意味に叫んでみるとか……いや、いろいろおかしいからそれ。

「そんな状態が続くと、大陸の覇王である華琳がおかしな目で見られたりしないか? 俺は支柱になりたいんであって、帝王なんかには興味がないんだけど」
「当然でしょう? あなたは支柱であって王などではないわよ。中心に都を構えるにしても、それはあなた自身が同盟を支えるものになる、という意味の支柱なんだから。王の務めは各国の王が務めるものだし、あなたは支柱としての仕事をすればいい。それだけのことよ」

 だから好きにしていればいいと言ったじゃないと続け、溜め息。
 ……そ、そっか。
 中心に構えるなんて言うから、てっきり三国の面倒ごとを全部押し付けられるものかと。
 華琳はただ“もしだけど”って言葉を受け取ってくれただけだったわけか。
 しかし……舐められないように、ねぇ……。
 俺、自分って存在にそこまでの自信が持てないんだけど。

「…………」

 静かに吹く風に撫でられながら、支柱としての生き方を考えてみる。
 自分の知らないところでどんどんと進む話に、正直気が遠くなりはするが……だからって全てを断りたいわけでもない。自分が柱になることで、手を繋げる場所がある。それって、宴の時に桃香が言っていたこととよく似ている。
 手を繋げない誰かと誰かの間に立って、それらを繋げるなにかになる。
 それが、俺っていう存在が支柱になることで果たせるのなら、素直に嬉しい。
 嬉しいけど…………

「………」

 ちらりと目を向けそうになり、我慢する。
 今近くに居る少女に手も伸ばせない俺に、そんな大それたことを果たすことが出来るのだろうか、なんて……弱気を抱いてしまった。
 必要なことだっていうのは解るのに、理解しているくせに納得がいかない。
 もやもやとする中で、出来れば駆け寄ってでも仲直りがしたいのに、それではダメだと自分でも解っている。でもやっぱり、解っていても納得は出来ないのだ。
 ……なんだろな、ヤマアラシのジレンマって言葉が浮かんだ。

「難しく考えすぎなのよ、一刀は。どうせ今近くに居る誰かに手を伸ばせないで、とか考えていたんでしょ」
「うぇっ!? な、なんで解った!?」
「……本当に考えていたの? まったく、単純というかお人好しというか」
「返す言葉が本気でございません」

 見透かされすぎな自分に、いっそ泣きたくなった。
 単純だなぁ俺……。

「とにかく。手を伸ばすばかりがやさしさじゃないと解っているのなら、時に耐えるのは当然のことよ。いいから、普段通りにしていなさい」
「ん……わ、解った」

 一応頷いてはみるが、どうも覚悟として飲み込めない。
 だからぐっ……と飲み込むようにして、自分の胸に当てた手でノックする。
 今日まででもう、何度同じコトを覚悟として胸に叩きこんだか解らない。

「ず〜っと他人任せな蒼天の下を歩いてきた日が懐かしいや……」
「……? ……ふふっ、なんだ、そういうこと。他人任せでサボれはしても、相手が一歩を踏み出さなければ成長に至らない状態で、他人任せをするのは辛い?」
「辛いなぁ……早く来てくれって思うのに、それは相手の覚悟の問題だから強くも言えない」
「あらだめよ。言った時点で接触しているじゃない。それも我慢しなさい」
「…………解って……るんだけどなぁ……」

 華琳は笑っている。
 なにがそんなに可笑しいのか、楽しげだ。
 ただ、「やっぱり私を笑わせてくれるのは大体があなたね」、なんてことを呟いていた。
 よく解らないが、楽しんでもらえているのならなによりだ。
 …………俺にはその愉快の沸点がどこなのかが、まるで解らないわけだが。

「………」

 風が吹く。
 いつから俺を追い掛け回していたのか、少女は小さくくしゃみをした。
 無意識に体が動こうとするのを華琳に抓られることで耐え、座り直す。
 一緒に街に出れば、少しもしないうちから“負ぶってたも”と願った子。
 言われるままに負ぶったり、今日はだめだと突っぱねてみたりもしたけど、思い返せば返すほど、自分がどれだけ甘かったのかと悟る。
 悟りはするが、心配なものは心配なのだから仕方が無い。
 せめて……せめて少女が一歩を踏み出してくれればと願うのに、それはあまりに勝手な都合じゃないかと自分に呆れることを繰り返す。
 自分が怒ったことでこんなことになってしまったのか、それともいずれは華琳が何もしない袁術に裁きを下したのか。
 華琳が…………華琳…………華琳?

「…………あのさ、華琳」
「なに?」
「もしかして、いや、これ言うとものすごーく嫌な顔されそうなんだけど、気になっちゃったから言うな? もしかして、袁術のこと、結構脅したりした?」
「助言と言ってほしいわね。成長するための物事を真正面から口にしてあげただけよ」
「……その時の袁術の反応は?」
「子猫のように震えていたわ。それがどうかしたの?」
「………」

 確定じゃないか? これ。

「いや……その。それってさ、袁術が今の俺に話し掛けづらい状況に繋がってないか?」
「震える原因が傍に居ようと乗り越えるから成長というのよ。大体一刀、今のあなたじゃあ話し掛けられた途端に許し、抱き締めでもすると思うのだけれど?」
「…………………………」
「穴があったら?」
「入りたいです……」

 見透かすように笑い、訊いてくる華琳に正直に答えた。
 ああ……空が蒼いや。……じゃなくて。

「……でさ、華琳。恥ずかしいから早速話題を俺のことから逸らしたいんだけど、その……厨房のほうは大丈夫なのか? アイス、作ってたんだよな?」
「片付けなら桂花に任せてあるわ。味見役を任せたら目を輝かせて頷いたからね」

 犬だな、まるで。
 他人には懐かないで、あくまで主人だけに懐く。
 でもイジメられて喜ぶ犬ってどうなんだ?

「はぁ……ん、少しだけ気分が逸れたよ。どちらにしても待つしかないんだ、ゆっくりと……あ」

 視界の隅で、少女がコクリと頷いた気がした。
 そしてついにその一歩を踏み出し───

「華琳さま〜〜〜っ! ご命令通り、全ての片付けを終わらせました〜〜〜っ!!」

 ───……てくるより先に、誰かさんの声。
 視線を向けてみれば、ほっこり笑顔で中庭へと駆けてくる猫耳フードの軍師さま。

「華琳さま、華琳さま〜〜〜っ!? 何処に……あ」
「あ」

 目が合った。
 東屋の下の立ち木だ、中庭に入った時点で目につきそうなくらい目立つ。
 そりゃ、すぐに見つかるわ。

「あ、ぁあああああんたぁあああっ!! かかかっ、かか華琳さまが日々の激務で疲れているところに付け込んで、ひざっ……ひざざっ……膝枕ぁああーーーーーっ!!?」
「うわばかっ! 大声出すなっ! ていうかこんな状況で来るなんて、どれほど空気読んでないんだお前はっ!」
「北郷ごときがわたしを馬鹿呼ばわりっ……!? いいえそんなことは今はどうでもいいわ! いいから華琳さまの整った体から今すぐその穢れた体を退かせなさい!」
「大声を出すなって言ってるだろうがっ! せっかく一歩を踏み出してくれたのに、これじゃあ───」

 と、ちらりと目を向けてみれば、既にそこに居ない少女。
 ………………終わった。

「……この場合、桂花の大声よりもあなたの大声が原因でしょうね」
「怒鳴って殴ったの、俺ですもんね……」
「いいからどきなさいって言ってるでしょ!? 大体、進捗報告の時期に何を暇そうにしてるのよあんた!」
「その時期に主人の用事の後片付けをしてほっこりしてるお前に言われたかないわぁああーーーーーっ!! な、なにもこのタイミングで来ることないだろ!? もう少しでもやもやが晴れてたかもしれないのにっ!」
「はん? なに? 八つ当たり? 自分の失敗を人の所為にしないでよ汚らわしい」
「八つ当たりで汚らわしい言われたの初めてだぞ俺!」

 ていうかこれ八つ当たりなのか!?
 ああくそう! なんで俺の怒りは目の前のこの軍師の前でこそ爆発しなかったのか!
 それはそれで面倒なことになってただろうけどさぁ!

「はぁあああ………………もういい、作業に戻るよ俺……」
「働くだけ前よりはましなんだから、精々華琳さまの迷惑にならないように働きなさいよね。そして働き続けて死ねばいいんだわ」
「お前は俺の文句を言いながらじゃなきゃ喋れないのか……?」
「願えば叶うくらいなら、あんたなんて百回は死んでるわよ」
「どれだけ嫌いなんだよ俺のこと!」

 言いながらもソッと華琳の体を起こし、俺が座っていたところへと座らせる。
 この立ち木に背もたれすると、なんか安心するんだよな。
 あ〜、魏だ〜って感じで。
 そんなわけで東屋への階段を登って、円卓に座る。
 高い位置から見渡したところで、やはり袁術はもうおらず……俺は深い溜め息とともに、乗らない気分のままに進捗報告書の続きを纏めにかかった。




ネタ曝しです。  *胃の中から清めるために酒を飲む  気づいたら自然と書いてました。あ、これ……と気づいたのは少しあと。  うしおととらの漂さんですね。凡人が強者に至った、素晴らしい例だと思います。  *この料理を作ったのは誰!?  このあらいを作ったのは誰だぁっ! 貴様かっ! 貴様はクビだっ、出ていけっ!  美味しんぼより、海原雄山先生のお言葉。初期の頃の雄山先生はそれはもう最高だった。  えーと、いちゃもんのつけかたが上手かったというか。  美食倶楽部……うん。あの容姿で“倶楽部”って名前をつけたのが、時々信じられないと思うのは僕だけじゃないと思うのです。  オリジナル小説で使っている微食倶楽部の海原雄山(うなばらおっさん)
とはどう足掻いても別人です。  *愛などいらぬ!  北斗の拳より、サウザー様のお言葉。  はい。57話に続きます。 Next Top Back