101/難しいお年頃。それはきっと、全年齢に向けて言える言葉

 ぐっ、ぐっ……ぐぅうう……!

「……すぅうう……はぁああ……ん、んん〜〜〜っ……」

 雨の名残も消えたとある朝。
 華琳が他国の王───雪蓮と桃香と直接会い、いろいろ話をするために許昌を発った翌日になる蒼の下、じっくりと呼吸をしながら体を伸ばす俺。
 何をしているのかといえば、実はその。

「ええい北郷っ、貴様準備にどれだけ時間をかけているっ」

 早く体を動かしたいからなのか、どうしてかそわそわしている春蘭とともに、中庭で鍛錬をしていたりします。していたりする、というよりはする予定である。つまり現在は準備運動中だ。

「や、せっかく春蘭が教えてくれるんだから、へばったりしないようにちゃんとやっておいたほうがいいだろ?」
「ふん、軟弱な。準備せずとも即座に動けてこその武人だろう」
「あのな。きっぱり言うけど俺、武人じゃないぞ?」
「警備隊も武人も似たようなものだっ」
「普段一緒にしたら怒るくせに、都合のいい時だけ一緒にしないでくれ」
「じゃあなぜ貴様は鍛錬をする! 武人でなければする意味がなかろうが!」
「や、それはいろいろと事情があってさ」
「ならばしのごの言わずにさっさとしろ!」
「だから準備が必要なんだってば!」
「武人ならば即座に動けてこそだと言っている!」
「武人じゃないってば!」
「ええいああ言えばこう言う! 警備隊長だろうが準備が必要だからともたもたしては、仕留められるものも仕留められんだろうがっ!」
「警備隊長になにを仕留めろと!?」

 ……春蘭って、武に関しては凄くまともなことを言うよな。
 戦略は度外視するとしても。
 そして警備隊長に突撃隊長的なものを望まれたって困ります、将軍。
 そうこう思っているうちに準備運動も終わると、立ち上がって真っ直ぐに春蘭を見る。

「よしっ……と。じゃあまず何をすればいいかな。素振り?」
「百里走れ」
「ああ解った、百里ね百……百里ぃっ!?」
「? どうした?」

 百……百!? 百って、祭さんの鍛錬の十倍なんですが!? それをこの中庭で!? しかも、出来て当然って顔できょとんとなさってらっしゃる!?

「なんだ、まさかまた以前のように出来ないとか無理とか言う気か? これくらい、季衣や流琉なら平然とやるぞ?」
「何者ですかあの親衛隊! あ、いや、親衛隊だからなのか!?」

 確かに体力ありそうだけどさ……いや、ほんとどうなってるんだ、この世界の女性。
 力自慢は動きが鈍重とかって認識、語ることすら恥ずかしい。けどやろう。やりましょうとも……! なにせ今日のこの鍛錬に、俺の新しき明日がかかっているのだから───!

「よしっ! 春蘭、俺やるよ! お前の出す課題の全て、こなしてみせる!」
「なにをそんなにやる気になってるのかは知らんが……華琳さまが貴様をしごけというのだから、わたしも全力で付き合ってやろうっ」
「おおっ、頼むっ」

 ……そう、これは華琳からの命であったりする。
 鍛錬が命なんておかしなこともあるもんだが、事実そうなのだ。
 魏に戻ってから今日までいろいろなことがあったが、様々な事柄が順調。仕事もしているしみんなとの関係も変わらず、華雄や美羽とも仲良くやっている。
 そんな俺を見てどこか安心したんだろうか……華琳が俺にこんなことを言ってきた。





=_=/回想

 ……。

「一刀。あなた、私が蜀へ行っている間、春蘭と鍛錬をしなさい」
「…………ホワ?」

 玉座の間に呼ばれ、来てみればそれだった。
 どうやらこれから蜀へ向かうらしく、服装も王としてのきっちりしたものになっている。

「どうしたんだいきなり。俺に鍛錬するなって言ったの、華琳だろ?」
「ええ。ただ、少し気になった……違うわね。落ち着かないことが出来たから、そう言っているのよ」
「?」

 なんのことだか解らない。意味を探るように、春蘭と秋蘭、最後にもう一度華琳へと視線を戻すのだが……それだけで解るなら苦労はしないよなぁ。
 で、確認した通り、この場には華琳に春蘭に秋蘭、そして俺くらいしか居ない。
 もちろん春蘭と秋蘭に目を向けてみても知らぬといった感じであり……あ、でも秋蘭は知ってるっぽい。

「自覚がないのね。一刀、あなたこのあいだの豪雨の日からおかしいわよ」
「おかしいって……なにが?」
「うむ。少々落ち着きがない。仕事はこなすものの、集中が出来ていないと、華琳さまは仰りたいのだ」
「落ち着きが……?」
「そういうことよ。報告によると、雨の中を濡れることも構わず走り回ったそうじゃない」
「ああ、そうなんだよ。誰か困っている人が居ないかなって走ってたんだけど、思いっきり走ったのも久しぶりだったから……なんかこう、走ることが楽しくなったというか」
『………』

 わあ。華琳と秋蘭に呆れ顔で溜め息つかれた。

「欲求不満で気も散漫の状態で仕事をやらせ続けたとあっては、いろいろと細かな疑いがかけられるでしょう? だから春蘭と鍛錬をなさいと言っているの」
「や、でもそれって」
「もう一度機会をあげると言っているのよ。今回はわたしが蜀に行き、帰るまでの日数を期間とします。その間、春蘭の教えに耐え、仕事もきちんとこなすようなら三日毎の鍛錬の日を設けてあげてもいいわ」
「───! ほ、ほんとかっ!? ほんとにほんとっ!?」
「……なによ。要らないのならわたしは一向に構わないのだけれど?」
「いやいや要るよ要る要る! 要るけど! 普通“なんで急に”って思うだろっ?」
「っ……べ、べつに、ただ気が向いただけよ」
「……気が向いた程度の気まぐれで、鍛錬の日を潰したり復活させられたりされてもなぁ」

 というか、心配させるなとか散々言っておきながら……いったいなにが?
 軽く目を逸らした華琳に、頬をカリ……と掻きながらそう返すと、脇に控える秋蘭がくすりと笑って代わりに返した。

「なに。華琳さまは北郷、お前が仕事も将との交流も普通にしているようだからと、安心を得た上でこうして声をかけたのだ。お前が久しぶりの魏に慣れる期間、魏将の皆が久しぶりのお前との交流を楽しむ期間を考えれば、今日までの時間はむしろ貴重だったといえるだろう?」
「なっ……秋蘭!? なにを勝手なことを言って……!」

 秋蘭の言葉に真っ赤になった華琳が止めに入るが、秋蘭はそんな華琳の姿を嬉しく思うのか、穏やかに笑ったまま特に訂正することもなく言い切った。
 あ……そっか。
 三日毎とはいえ、鍛錬ばっかりじゃあみんなとの交流も多くはなくなる。なにせ戻ってきたばかりな上に、なんでもかんでもやらなきゃって躍起になっていたんだ。
 あ、あー……! だからこそ、“誰かに何かを頼まれたら嫌と言わずに手伝うこと”なんてことを、鬼ごっこの条件につけてきたのか……? なるほど、確かにあれは、久しぶりにも関わらずに無駄に燥ぎながらみんなと走れたっけ。手伝いも嫌とは思わなかったし、むしろするりとみんなと溶け込む切欠になった。

「………」

 ほんと、何処まで先を見てるんだろうかこの完璧超人さんは。
 素直に感心しながら華琳を見ていると、そんな感心の視線は睨みで返された。
 あれ?と思ってもその事実は変わらない。俺、なにかしたっけ?

「う……と、とにかくっ! あなたが、私が帰るまでに春蘭の鍛錬に耐えていられるようなら、これからも三日毎の鍛錬を許してあげる」
「……ほんとのほんとに、いいのか?」
「ええ、いいわよ」
「………《じーーー……》」
「……だから、なによ」
「いや、嬉しいんだけど素直に喜べないっていうか。だって華琳だぞ? いくら理由があったにせよ、そんな急に条件付きで決めたことを曲げるなんて」

 ちょっとおかしいと感じた。本当はなにか裏があるんじゃないかと疑りたくもなるってもんだ。
 そして実際にそう訊ねてみれば華琳は溜め息を吐き、秋蘭はそんな華琳を見て、目を伏せて溜め息。春蘭はよく解ってない顔でとりあえず溜め息。その溜め息の意味を考えてみるも、身に覚えがないし引っかかる知識もない。

「まあ、なんだ。実はだな、北郷」

 少しだけ沈黙が場を支配したが、それを二度目の溜め息ののちに打ち破る秋蘭。
 聞き漏らさないようにと耳に意識を向けて、聞く姿勢を取って待った。

「周公瑾からの願いと言うべきなのかな。“一刻も早く強くなり、あの馬鹿者を御せる男になってほしい”と書状が届いたのだ」
「冥琳から? 冥琳が馬鹿って呼ぶ相手なんて雪蓮しかいないだろうけど……いったいどうしてそんなことに?」

 解らないな。
 冥琳が俺に何かを頼むなんて、それこそ稀すぎてどう反応をすればいいのか。

「解らない、といった顔だな」
「そりゃあ解らないよ。奔放すぎるからなんとかしてくれって意味じゃあ、俺なんかよりも冥琳のほうがよっぽど対処できると思うぞ? なのにその冥琳が俺に……───あ、あー……」

 ちょほぃと待ちなは。
 雪蓮? 雪蓮が関係することで、俺が鍛錬しなきゃいけない理由っていったら……?

「あ、いや、いい、解った。な、なるほどな、限度ってものは考えないといけないよな」
「心当たりがあるの?」
「一応。華琳は雪蓮が興奮し始めるといろいろと大変だってこと、知ってるよな?」
「酒の席でも普段からでも、随分と思い知らされているわよ。特に乱稽古に混ざった時なんて血の雨が降りかねない勢いなのだから」
「うわぁ……ああ、うん、その気持ちは解るかも」

 なにせ腕折られたし、本気で殺されるかと思ったし。
 戦狂いっていうのか? 恐いよなぁあれは。で、冥琳がそれを御せるようになれとせっついているわけだ。無茶を言ってくれる。イメージトレーニングの戦績を聞けば、溜め息を絶対に吐ける勝利数なのに。
 俺が思い出したのは、その戦狂いよりも祭さんが言っていた“熱が下がるまで抱け”って部分だ。まさか雪蓮が冥琳と戦うわけもないし、それを基本として思考するというなら……なぁ? 冥琳が俺を頼る理由なんて、雪蓮が冥琳をいろいろとアレしているってことに他ならない。

「ああ、つまりはあの報告のままの意味ってこと? で、あなたは馬鹿正直に雪蓮を御せるほどの力へ辿り着きたいと思っていると」
「あ、あー……そういうこと、かな?」

 どっちかっていうと過程なわけだが……そもそもの理由が“守れる時に守りたい”って理由だし、返せる時に返したいって理由でもある。今はまだ守ってもらう立場でも、いつかそういう時がきたらって……じいちゃんに教わったから。
 そういった意味では雪蓮の暴走を止めるのも、守ること、ひいては返すことに繋がっているのだろうか。…………なんかあんまり繋がってるって気がしない。

「それで鍛錬か。鍛錬といえば、北郷はよく華雄と鍛錬をしているようだが」
「ああ、うん。なんか戦ってて楽しいんだってさ。俺と戦って何が楽しいのかは知らないけど」

 俺って存在は他の将みたいに化け物的に強いわけでもないのに、何が楽しいんだろうか。
 そう考えていると、どうしてか華琳が「解らないでもないけれど」と呟く。

「え? 解るのか? ……俺と戦って、何が楽しいんだ?」
「簡単なことよ。理由はどうあれ、己に勝とうと必死に向かってくる者を相手にするのは、武に心得がある者ならば誰でも嬉しく思うものよ。なにより一刀は氣の扱い方も得物の振り方も独特だから、定石で先読みをすると振り回されっぱなしになるから、そこも妙な緊張感があっていいわね」
「………」

 いや、華琳さん? それ、聞き方によってはただ俺が遊ばれてるだけっす。

「なっ……華琳さま!? 北郷と手合わせをしたことがあるのですかっ!?」
「あら。言ってなかったかしら?」
「そんなっ、言ってくださればわたしか秋蘭がお相手を……!」
「春蘭。仕事をこなさず鍛錬をするというのなら、鍛錬以前にただではおかないわよ」
「うぐっ……〜〜っ!《キッ!》」
「なんでここで俺を睨むの!?」

 相変わらず華琳がらみだと理不尽さが増すようでたまらない。
 秋蘭はそんな春蘭の行動を眺めつつ、穏やかに微笑んでるし。

「それでどうするの? やるの? やらないの?」
「…………《ちらり》」
「さっさと決めろ! やるならやる! やるならやらない! 好きなほうを選べ!」
「やるって言ってもやらないって言ってもやらされるじゃないか!」
「なにぃいい!? 貴様ぁ、今わたしのことを馬鹿だと思っただろう!」
「思ってないからっ! だからことあるごとに武器構えるのやめよう!?」
「ならばさっさと選べ! まったく、男がネチネチと情けないっ!」

 この状況に男女の区別が通用するんでしょうか。
 ……しないだろうなぁ。だって今の俺の位置を桂花に変えたら、それこそ話が進まない状況になるってもんだ。

「じゃあ…………やらない」
「貴様ぁあああ! せっかく華琳さまが条件つきだろうと機会をくださったというのに、それを断る気かぁああっ!!」
「えぇえええええっ!!? やるならやらないって言ったのは春蘭だろぉっ!? いや、やるっ! やるよっ! やるってば!」
「ならばよしっ! いい機会だ、貴様の性根を叩き直してやる!」

 そう言って、腰に手を当てニヤリと笑む惇将軍がおりましたとさ。
 でも性根……性根?

「なぁ春蘭。性根って、どこを叩き直すんだ?」
「怠けている貴様を叩き直す!」
「あら。春蘭はわたしが、怠け者に三日毎の鍛錬を与えるほど甘い王に見えるのかしら?」
「えぇっ!? あ、いえ……な、ならば北郷! 貴様のその軟弱な体を───」
「姉者……北郷は時間が空くたびに華雄や思春と鍛錬をしているぞ」
「ええ。普段から氣の鍛錬もしているわね」
「うぐっ……な、ならばその女と見れば見境のない───」
「一刀? あなた、一年ぶりに戻ってから、誰かに手を出したのかしら?」
「……解ってて言ってるだろ、それ」
「当たり前じゃない」

 笑顔で言われた。
 当然のことながら、手なんて出してない。

「な、なに……? 手を出していないのか……? あの北郷が……?」
「気持ちは解らないでもないけどさ、本人の前でその反応はないんじゃないかな……」
「いいのよ、それで。支柱になるというのなら、手を出すのは支柱になってからのほうが都合がいいのよ」
「あの。華琳? 初耳なんですけどそれ」

 都合ってどの都合?
 自分の得にならないことをする人ではないとは思ってたけど、やはり裏が……!?

「言っていないのだから当然でしょう? 相手が望んだことだからって、見境無しに将を手篭めにされても困るのよ」
「いろいろ待ちなさいそこの覇王さま」

 ズビシと自然と手がツッコミの格好をしていた。
 俺が手を出すこと前提で考えるのは、もういい加減勘弁してほしいんですが……?

「一年経ってようやく軌道に乗ってきた政治を、将が、王が身篭りましたで崩されてはたまらないでしょう?」
「な、なるほど! さすがは華琳さまっ!」
「なるほどじゃないだろっ! 言われなくてもそんなホイホイと手は出さないってば!」
「それはわたしが許さないわ。時がきたらきちんと出しなさい」
「なんかもうほんといろいろ待てぇえええっ!! “そういうのは自然の流れで”って前にきちんと話し合っただろーーーっ!?」
「? 初耳だが?」
「やっ……そ、そりゃ、華琳にしか言ってなかったけど……って華琳! くすくす笑ってないで説明するの手伝ってくれって!」

 始まる問答はいつものこと。ともかく、そんなこんなで鍛錬の許可が、曹孟徳直々に下りることになった。ただし、けっして無茶はしないこと、と釘を刺された上で。無理したらどうなるんだろうと考えてみて、泣いてしまった華琳が頭に浮かんだらもうだめだった。無理、ヨクナイ。ウン。
 嬉しさはもちろんだったが、まあその……いろいろと別の問題も浮上したわけで。
 そりゃあみんなのことは好きだけど、だからって見境無くとか……あぁああいやいやいやいやここで今さらだとか考えちゃだめだ! 強くあれ、北郷一刀! 自然の流れ! 自然の流れでだ! な!?




-_-/一刀

 ……で、現在は百里目指して走っているわけだが……あ、話の途中で華雄が来たから、誘ってみたらあっさり参加してくれた。結構いい人だよね、華雄。

「遅い! 貴様の足はその程度かぁ!!」
「その程度かーじゃないってば春蘭! ペースってものを考えないか!? 最初から飛ばしすぎだろ! そんなんじゃ百里なんて───」
「ぺーすがどうのと何をわけの解らんことを! 大体わたしはいつだってこうだ!」
「………」

 なんだろうな……桃香、今すぐキミに会いたい気分です。
 思えば桃香は本当に、この世界の女性って意味では普通だったなぁ……胸は別だけど。

「むうっ……負けてはおれん! 北郷、走るぞ!」
「貴女もですか、華雄さん」

 隣を走っていた華雄が、前をゴシャーと走る春蘭に釣られるようにして速度をあげる。たしかにこのままの速度で走っていても、百里走り終えるのはいつになるやら。
 ……そうだな、いつまでも同じ速度じゃあ先には行けても先の先にはいけない。

「よしっ、付き合うよ華雄! 二人で春蘭をぎゃふんと言わせてやろう!」
「応!! ふふふ、このわたしに勝負を挑むとはいい度胸だ春蘭……! いつぞやの真・馬鹿者対決では北郷に邪魔をされたが、これならば───!」

 俺達は走った。
 かつての十倍頑張るつもりで、城壁の上の地面を蹴り弾き続けた。
 だが、俺達はよ〜く考えるべきだったんだ。先導するのが春蘭であると認識した時点で。


───……。


 …………ドシャア……。

「ぜっ……ぜはっ……げほっ! ひっ……ひはっ、はっ……!」
「は、はっ……はーっ……! ふはっ、ははは、は……! なんだそのっ……ざまは……! ほ、北郷、華雄……! わたしはまだ……!」
「ふ、ふぅっ……ふぅうっ……!!」

 結論。
 春蘭がどれだけ走ったのか、途中で忘れた。そもそも百里って城壁の上を何周すればいいのだろうか。途中で目的が完全に入れ替わってて、百里どころかきっとそれ以上走ったんじゃないかと思わなければやってられない状況で、ようやく俺達は止まることを許された。
 氣で上手く走るのにもさすがに限界があり、なにより汗を流しすぎたために、今めちゃくちゃ水が飲みたい。つか死ぬ。死ぬよこれ。

「げっほっ……! に、人間……余力を残そうとっ……げほっ! しな、ければ……〜〜〜っ……はっ……案外、百里も……はぁっ……い、いけ…………ぐはぁ」
「はっ、はぁっ……! た、鍛錬にならんだろう、これは……! 百里どころか……いったい、どれほど……!」

 華雄とともに虫の息状態。
 城壁の硬い地面に仰向けに倒れ、ただひたすらに酸素を求めた。
 おかしいなぁ……走る前は朝のいい日差しを見ていた筈なのに、空の蒼がどこにもない。

「春蘭……さすがに一日中走りっぱなしってのは、どうかと……げっほごほげほっ!!」
「いや……まあその、なんだ…………ええいしのごのぬかすな! 次はきちんとやる!」
「いや、ほんと……頼む……。か、華雄……華雄……? 平気か……?」
「どう、という、ことは……げほっ、ごほっ」

 朝餉以外なにも口にせず、結局夜まで全力疾走。あっさりと以前までの限界を越えてしまった俺は、少し鍛錬と己の限界についてを考えた。
 自分で無意識にストップかけてたのかなぁ……なるほど、無理を通さんとする指導者も時には必要ってことなのか……? さすがにこれはやりすぎだと断言できるけど。


───……。


 三日後。
 前回が走るだけで終わってしまったために、今回は…………やっぱり走っていたりする。

「……なぁ北郷」
「なんだい華雄」
「親衛隊のやつらは、どうしているのだ」
「季衣と流琉なら華琳についていったよ。是非とも季衣が百里走る様を見てみたかったんだけど……ていうかほんとに走ってたのかなぁ。俺、季衣や流琉から普通に逃げ出せたりしたんだけど。そもそも百里走った〜って、どうやって調べたんだろう……」
「むう……」

 走る。只管に。今回は秋蘭が監視してくれているから、走りすぎにはならない筈だ。きちんと「走り過ぎるようなら止めてやる」との嬉しい言葉もいただけた。
 あ、ちなみにこの鍛錬は春蘭にとっては仕事の範疇として扱われているらしい。
 きちんと給金も出るし、サボっていることにはならんのだそうだ……けど、代わりに他の将が春蘭の分まで仕事をしなきゃあならないらしい。

「よしっ、どっちが一歩先へ走れるか、勝負だ華雄!」
「フッ、このわたしに正面から勝負を挑むか。よかろうっ、ならば勝負!!」

 そして走る。
 相変わらずはははははと笑いながら前を走る春蘭を追い抜くつもりで。
 三日前よりも一歩でも先へ……! 競う相手が居るのなら、さらに頑張れる……いつか蓮華と話し合ったことを思い出しながら、地を蹴り弾き続けた───!

…………。

 で……。

「ぜはっ……げっは……! しゅっ……秋〜蘭〜〜……!!」
「い、いや、すまん……。姉者が懸命に走る姿など、落ち着いて見るのは随分と久しくてな。つい、止めるのを忘れた……」
「止められるまで、止まろうともしなかった我らも我らだが、な……げほっ! ごっほ!」

 結局また夜である。
 春蘭は変わらず走り続けることに夢中で、俺と華雄はといえば競争しているうちに負けたくないって気持ちが膨れ上がりすぎ、一歩先を目指しすぎた。
 結論としては三日前よりもよっぽど先へ行くことになり、秋蘭が教えてくれた周回を聞いたら、笑うしかなかった。
 ああ、なるほど。兵のみんなも、春蘭の下で鍛えればそりゃあ強くなるよ。
 突撃しかしない理由も、なんだか解った気がした。
 ただし、今日も百里を駆けれたかといえば、解るはずもない。百里って400kmだっけ……? ああ、でも、魏での短里で考えると……な、7.5kmから9kmあたり……?
 たしかにそれならいけるけど。

「なんだなんだだらしのない。これから手合わせをするのに、なんだそのだらしのなさは」
「一回の全力疾走でそこまで慣れる春蘭がどうかしてるんだよっ! なにその順応性!」

 ちなみに春蘭は平然としていた。
 止まった理由はといえば、腹が減ったかららしく……俺と華雄がぐったりして、秋蘭に介抱してもらっているうちに食事を済ませてきたらしい。
 なるほど、これほどまで出来てこその魏武の大剣か。
 人間じゃないって言葉、こういう時にこそ使うんでしょうか。あれほど走ったあとにモノを食べるっていうのがまず信じられない。
 そして二回もだらしないって言われるほど、生易しくはなかった。

「つかっ……ちょっと……待って……! さすがに今、春蘭と、稽古なんてしたら……!」
「なんだとぉお!? 貴様、わたしでは相手にならんと言いたいのかっ!」
「誰もそんなこと言ってねぇええっ!! いやっ、ちょちょちょ待ぁああっ! ちがっ───たすけてぇえええええええっ!!」

 星が綺麗なその日。
 俺の悲鳴が夜空に散った。


───……。


 三日後。

「物凄い勢いで、引きずられるままに限界を越えていく自分が恐い……」

 主に走りの面で。
 武術鍛錬、仕合等では、疲れきっていて学ぶどころじゃないもんなぁ……。
 春蘭の攻撃を避けるだけで手一杯だ。
 あんな状態で反撃に移ったら死ぬって確信が持てる。

「なに、それだけ氣が充実しているということだろう。武人の中には体を鍛えるよりも、氣を極めたほうが強くなれると豪語する者も居る」
「そりゃ、聞いたことはあるけどさ」

 朝の中庭で準備運動を終え、手伝ってくれた秋蘭と軽い話をしてみた。
 春蘭はといえば、今日も元気に走る準備をしていたりする。聞けばここのところ、賊らしい賊もなくむしゃくしゃしていたんだとか。
 そこに転がり込んだ鍛錬の話は、延々と走るだけとはいえいい気晴らしになっているのだろう。案外華琳もそれを見越して、俺を春蘭に任せるなんてことをしたのかもしれない。
 ……その結果が走り続けるだけの地獄の特訓で、疲れ果てたあとに剣を降り回しながら追い掛け回される俺は、やっぱりただ地獄の特訓を受けている気分なわけだが。

「案外北郷は、氣を高めたほうが強者に辿り着ける者なのかもしれないな」
「まあ……三日毎の自主鍛錬を禁止されてからは、誘われない限りはず〜っと氣の鍛錬をしていたわけだけだから、氣の通り道は無駄に広がってるみたいだけど」

 でも、鍛えているって感じがしないから、強くなった実感は全然だ。
 氣ばっかり強くなっても、模擬だろうと誰かと向かい合わないと剣術の上達にもならない。雪蓮のイメージと戦うのにしたって、相変わらず連敗中だ。
 そのイメージも戦う度に強くなっていて、とても勝てる気がしない。

「北郷! 華雄! なにをしている! さっさと走るぞー!」
「……もう、走ることが鍛錬ってことになってないか?」
「すまんな……姉者もあれで、いろいろと溜まっているのだ。悪いとは思うが、付き合ってやってくれ」
「ああ、それは構わんが……もう一度訊くが、これは鍛錬なのか……?」
「三日前より何歩も先に進めてるんだから、鍛錬だろ……」

 いまいち納得いかない感は否めない。
 しかし元気に石段を登り、城壁に登る春蘭を見てしまっては断れないのだ。

「じゃあ、今日も元気に走るかぁ……」
「そう、だな……」
「あ、秋蘭も走る?」
「わたしまで走ったら誰が姉者を止める」
「………」
「………」
「いや……まあ、安心しろ、今日はきちんと止める」

 疑いの眼差しを向ける俺と華雄に、少し引きつった笑みで返してくれた。
 ……信じてるからな、秋蘭。

「止めてくれなかったら、次回からは秋蘭も」
「だな」
「安心しろと言っているのだが……」

 前科があるっていうのは恐いものだと続ける秋蘭に、軽い笑みを返して城壁の上へ。
 さて。今日も三日前より先へ───!

───……。

 ぜー……ぜー……

「しゅっ……しゅっ…………しゅぅうう…………げふっ《がくっ》」
「なに、かっ……言う、ことは……がはっ《がくっ》」
「…………いや…………すまない」

 結局夜である。
 秋蘭は止めることを忘れ、俺達は止まれず、春蘭もまた止まらなかった。
 その結果が倒れ伏す俺と華雄。ちなみに春蘭はといえば、今日もまたしっかりと夕餉を食べてきたようで……

「はっはっはっはっは! 走るというのもなかなか気持ちのいいものだな! おーい秋蘭! 次はお前もどうだー!」

 まだまだ余裕といった風情で、夕餉が納まっているのであろうお腹を笑いながら撫でていた。……じいちゃん……世界は広いです、いろんな意味で。

「い、いや、姉者、わたしは《がっし》うっ!?」
「ふふふふふ……一人だけ逃げようったって……!」
「くくく……そうは、いかんぞ……!」
「うぐ……」
「おーい貴様らー! 気分がいいから夜通しで鍛錬だ! さっさと武器を構えろー!」
「うわぁーーーい!? と、止めて! 秋蘭止めてぇえ!!」
「その場合、華琳さまとの条件の話が無くなるが?」
「……ヤリマス」

 そんな彼女の前へと、疲れきった体を引きずり立たせた。ならば負けるものかと隣に立つ華雄も相当に頑張り屋だ。そして、そんな俺達の前で元気に笑う春蘭は……頑張り屋じゃなくどうかしていると普通に思った。

「やるからには勝つ気でいく!! いっくぞぉ春蘭んんんんっ!!」
「なんだ、今日は逃げないのか。だったら少しは見直してやってもいいぞ」

 で、その後。
 その体力と速度を生かして飛脚でもしてみたらどうだと……そんなことを提案する夢を、春蘭の一撃のあとに見た。道化になられるよりは……なぁ……。


───……。


 三日後。
 天空を駆け、海を渡ることは出来ないが、日に百里の道を駆けることに疑問を抱く余裕も無くなる頃、それは起きた。
 もう、多くても9kmが百里でいいよな……? じゃないと辛すぎるよ……。

「………」
「……なぁ華雄。今日の春蘭、機嫌悪いよな……」
「むぅ……そのようだな……」

 鍛錬の日には元気に走る春蘭だが、今日は顔を合わせた時から不機嫌全開。
 今にも何かに当たりそうで、迂闊に声をかけられないでいる。
 しかしここで声をかけるのが勇気。肉体でも精神でも、常に一歩を先駆けたいのなら……一刀よ、躊躇は敵だと思いなさい。

「あの、しゅんら」
「!《ギンッ!!》」
「ヒィッ!? カ、カユウサンガヨンデルヨ!?」
「な、なにっ!? おいお前っ!」
「何の用だ! ことと次第によっては貴様を斬る!」
「えぇええ!? 声をかけただけで!?」

 咄嗟に華雄を促してみたところで、結局はこの七星餓狼さんは俺に向けられるらしい。
 そしてこんな日に限って秋蘭が居ないとくる。

「どどどどうしたんだよ春蘭っ、今日はやけにトゲトゲしてるぞっ!?」
「なんだと貴様ぁああ! 誰の肌が乾燥して荒く切った木材のように尖っているだ!!」
「誰も肌のことなんて言ってないんですけど!? そうじゃなくて、春蘭の今の状態! どうしてそんなに苛々してるのか知らないけど、とりあえず落ち着こう!?」
「わたしはいつでも落ち着いている!」

 いや、そう言われれば、苛立っているところ以外は春蘭らしいけどさ……。
 でもこの状況はいったいどうしたことか。
 もしかして鍛錬指導が上手くいかなくて怒ってるとか? ……走りまくって、気の向くままに夜通しで鍛錬することに、どう上手い下手があるのか聞いてみたいけど。
 あと他に原因といえば………………ああそっか、華琳が蜀に向かってから、もう結構経つもんなぁ。
 俺もこう、会えない日が続くとさすがに寂しいというか。

「春蘭。華琳に会えなくて、もやもやする気持ちは解るけど……それはさすがにしょうがないだろ」
「しようがないことなどあるものかっ! なぜわたしは駄目で桂花はいいのだ!」
「……あ、そういえばここ最近、あの毒舌を聞いてないなって思ったら」

 そっか、桂花も行ってたのか。ということは桂花と季衣と流琉とで行ったってことか?
 たしかに運動ばっかりしていると、流琉の料理を食べたくなるから人恋しくなるのも解る。解るけど、同じ大地に居るって解るだけまだ安心ってもんだよ、春蘭。

「けどそんな、十日近く会ってないくらいで心が不安定になってちゃまずいだろ」
「華琳さまに会えないんだぞ!? これが落ち着いていられるかっ!!」
「“いつでも落ち着いている”って、ついさっき聞いたばっかなんだけど!?」
「そんなものは知らん! 北郷、貴様天の御遣いだろう! 貴様の妖術で華琳さまをここへだな!」
「いつから妖術使いになったんだよ天の御遣い! 出来ないからそんなこと!」
「なにぃ、だったらなにが出来るんだ天の御遣いとは!」
「なにってえーと……ここに小さな木の枝があります」
「それがなんだというのだ」

 何が出来るのかと言われれば、とりあえずは……うん。
 華琳恋しさに暴走気味の大剣さまの気を紛らわすくらいならばと答えよう。
 まず手の平の横幅程度の枝を用意。それを左手にちょんと乗せて、右手で左手の親指以外の指を支えるようにしてゆっくりと閉じます。

「? だから、それがなんだと……」
「開けばもちろん枝がありますね? ではもう一度」

 ゆっくりと、小指から手を開いても当然そこにある枝。
 それをさっきと同じ方法で指の間に挟み……今度は覆った右手で枝をスッと抜き取る。
 手の横幅分の大きさじゃないといけない理由はここにあったりする。
 で、またゆっくりと左手を開いてみれば、当然枝はございません。

「!!」
「枝が……消えた?」

 そんな手の平を見て、無くなった枝に驚く春蘭は、これはこれで楽しかった。
 ていうか華雄さん、貴女もですか。

「貴様ぁああ! 華琳さまをたばかり妖術使いであることを伏せていたとは! 今すぐこの場で叩き斬って───」
「だぁああああから違うっての!! これは手品っていって、妖術とかそういうんじゃないの! ちゃんと説明できることなんだってば!」
「ならば今すぐ説明しろ! 解らなかったら貴様を斬る!」
「それ死亡確定してません!?」

 どれだけ上手く説明しても、春蘭が理解してくれる気がまったくしないんだけど!?
 そしてなんで俺は気を紛らわすためにやった手品で、自分の命を賭して種明かしをするハメになっているんでしょうか神様。

「え、えっとだな? ほら、まずは右手にご注目。左手にあった枝が右手にあるだろ?」
「………」
「無言で剣を突きつけないで!?」

 消えた枝の先を教えただけで殺されてちゃ、全国の手品師さんみんな死んじゃうよ!
 とまあ、そんな恐怖の中で、命懸けで手品というものを教えて……───その後。

「“てじな”というのか……これは中々面白いな」
「こっちは死ぬ思いだったよ……」

 午後から空いた時間に中庭にやってきた秋蘭に、楽しげに手品を披露する春蘭がいた。
 ちなみに春蘭がその手品を理解し、練習している間は俺と華雄は仕合(しあ)っていたりした。だって、せっかくの鍛錬の日を手品で終わらせるのもさ……。

「どうだ秋蘭! どうしてこうなるか解らんだろう! 知りたいか? 知りたいだろう?」
「子供みたいな燥ぎっぷりだなぁ」
「ふふっ……だからいいんだよ、北郷。姉者はこれだからいい」
「まあ、解るけど」

 ちらりと見てみれば、教えてくれとも言っていないのに種明かしを始める春蘭。
 その横では華雄も手品に挑戦していて、スッと抜き取るはずの枝を落としてしまい、「むぅう……」と眉間に皺を寄せていた。

「でだ。姉者よ」
「ん? なんだ? 秋蘭」
「鍛錬はどうした。華琳さまから預かった、大切な任だろう」
「あ」

 ピタリと止まる、手品を披露する手。
 やがて目をまん丸にしてカタカタと震え出すと、俺の胴着を引っ掴んで走り出してってオワァアアーーーッ!!?

「走るぞ北郷! 鍛錬だ! 華琳さまより授かった大事な任を放置したとあっては、華琳さまに顔向けが出来ん! ふははははは! 貴様を鍛えれば華琳さまもきっと満足する! 今日は休みなしで鍛錬だ! 五体満足で部屋に戻れると思うなっ!!」
「な、なんだってぇーーーっ!? じゃあ俺は何処に五体満足で帰れば!?」
「……あの世か?」
「それ五体満足以前に死んでらっしゃるんですけど!? いやちょっと待って! 走るっ! 走るから引っ張るのは勘弁してくれ! コケるって!」
「なにぃ! そんな軟弱に鍛えた覚えはないぞ!」
「この間の仕合以外、ただ走らせてただけだろ!?」
「走りの鍛錬になっているではないかっ!」
「確かにそうだけどっ!」

 ギャースカ喚きながらもやがてはしっかり走り、結局また夜まで鍛錬は続いた。
 試しに「華琳に会えないって言ってたのはいいのかー」と訊いてみれば、「任を守ることが先決に決まっているだろう!」と返された。
 なるほど、華琳って人をよく解ってる……って、それは当然か。
 仕事もしないで会いに行ったら、それこそ本気で怒るだろう。

「はぁ……はぁっ……じゃあ、春蘭……今日はここらで……」
「んん? 何を言っている。休みは無しだと言ったろう」
「へ? ……あの、春蘭? もしかして、今日から華琳が帰ってくるまで───」
「鍛錬だ!」
「無茶言うなぁああっ! 仕事だってあるし、さすがに死ぬだろそれ!」
「なにぃ! 貴様は華琳さまからの任と仕事と、どっちが大切なんだ!」
「今は断言するけど仕事が大事! 任も大事だけど、華琳も言ってただろ!? 仕事もしないで鍛錬するようなら、って!」
「わたしにとってはこれが仕事だ!」《どーーーん!》
「そうだけどそうじゃないんだってば!!」

 夜通しの鍛錬は続いた。
 それに慣れようとする自分も相当だが、無茶はしないようにと華琳に釘を刺されていたのを、春蘭は覚えてるんだろうか………………無理か。
 ならばと無理にはならないように、自分のペースを作っていく。
 三日前より先へ進める自分を目指しつつ、けれど無茶には届かないように。
 加減が難しいが、本当に危険になれば秋蘭なら止めるだろうと確信は持てる。
 そんな一方的な信頼を持てばこそ、今の自分を高めることを受け止められた。
 ……華琳、キミは今どうしてる?
 俺は、鍛錬を欲していたかつての自分に疑問が持てるほど、日々をヒィヒィ言いながら生きているよ。筋肉痛無くして語れない日常だ。
 それでも楽しく過ごしています。
 あなたも健康であることを願っています。





-_-/華琳

 ギィインッ! ───ゾスッ!

「はっ……はっ……はぁあ……」
「……励んでいるようね、桃香。けれど、これじゃあまだまだだわ」

 模擬刀が宙を舞い、地面に突き刺さる。
 視線の先には息を切らせた桃香。

「あぅう……やっぱり……まだまだ、全然敵わなぃい……はっ……はぁあ……」
「当然よ。一刀に鍛錬の仕方を教えられただけで簡単に越されるほど、浅い己の研磨などしていないわ。精進しなさい桃香。今の貴女の目は嫌いじゃないわ」
「うぐっ……じゃあ今までの目は嫌いだったの……?」
「さあ? どうかしら。ふふふ……」
「うう〜〜……」

 たまたま城内を歩いていたら見かけた光景。聞いてはいたけど、まさかあの桃香が本当に鍛錬をしているとは思わなかった。
 しかも氣を混ぜた、なかなか面白い鍛錬だ。少し試してみたくなり、剣を取った。
 結果だけを見れば一方的に私の勝ちではあったものの、以前の桃香から比べればまるで違った。得物を構える姿勢、覚悟、なによりも目が。
 その目は、私のよく知るあの男の目に似ていた。

「それで、華琳さんはこれから?」
「魏から届けられた書類の整理ってところでしょうね」
「うわー……蜀に来てまでですか」
「王としての務めを果たすのは王としての然よ。人が生きるために地を耕すのとなにも変わらないわ」
「うーん……それはそうなんだけど。ねぇ華琳さん? 戻ってきたお兄さんに、そればっかりじゃあだめだ〜とかは言われなかったの?」
「………」

 言われたわね。常に王である必要などないんじゃないかと。

「私はいいのよ。特別、したいことを我慢しているわけでもないもの」
「でもでも、そう言いながらすることしたいことを限定してませんかっ? これは王らしくない〜とか、これは邪道だ〜とか言ったりして」
「………」

 どうしてこの子はこう、妙なところで鋭いのかしら。自分のこととなると目を逸らしたがるくせに、人のこととなるとこうも首を突っ込みたがる。
 確かに、王として然であるなんて言ったばかりだし、一刀が勧めた料理も邪道だと一言で切ったわね。王道を王道だと信ずるあまり、道をせばめすぎるのも悪い癖ではあるのだろうけれど。

「というわけで華琳さんっ」
「な、なによ」

 急に近寄り、私の手を取って顔を寄せてくる桃香に、思わず軽く身を逸らす。
 けれどもそんなことは知ったことかとばかりに寄ってくる桃香に、軽く抵抗を感じながら返すと、にこーと笑う目の前の子。

「他国に居る時くらい、お客さんとして振る舞っちゃいましょう! 邪道とか王とか難しく考えないで、もっとこう、楽しく楽しくっ!」
「あのね。振る舞うもなにも、客でしょう」
「相変わらず硬いわねぇ……そう尖らずに、自然体になりなさいって言ってるのよ」
「あ、雪蓮さんっ」
「雪蓮……あなた、いつからそこに?」

 突然の声に振り向いてみれば、酒を片手に笑っている呉王。
 また昼間から酒を飲んでいるらしい。苦労に頭を痛める冥琳の姿が容易に浮かぶわ。

「さっきから居たわよ。ただし、木の上だったけど」

 笑顔で「あなたもどうー?」なんて、軽く徳利を掲げる。
 結構、と返してもまるで聞きやしないソレは、上機嫌でとことこと歩いてくるや、桃香を片手で抱き寄せた。

「やー、いいお酒造ってるじゃない桃香〜♪ 鉱石のことでもお世話になっちゃったし、これは何かお返しを考えないとね〜」
「わぷっ、雪蓮さん、お酒くさいっ」
「雪蓮、臭いわよ」
「ちょっ……ちょっと華琳ー! それじゃあ私がただ臭いみたいじゃないのよー!」
「酒を楽しむなとは言わないわ。ただ、絡むなと言っているの。で? 私の何が自然体じゃないというのかしら?」

 ぶー、と唇を尖らせている雪蓮へと続きを訊ねる。と、尖らせていた口をにやりと横に広げ、彼女は楽しげに笑んだ。
 「そういうところがよ」と返す言葉の真意は……まあ、解らないでもない。だからといって、素直に受け取る気があるわけでもないのだが。

「一刀のほうがよっぽど素直で面白かったわよ? 邪道だろうとなんだろうと、とりあえず首を突っ込んでは邪道の中にある王道に活かせるものを見つけてくるんだもの。それなのに、どうしてそんな御遣いを迎えた王がコレなんだろ」
「“コレ”で悪かったわね……生憎だけど、自分の生き方をそうそう変えるつもりはないわよ」
「そういうところまで頑固だって言ってるの。常に王である必要なんてない、なんてことを一刀に言われたことくらいあるでしょ?」
「……あるわよ。それがなんだというの? 少なくとも、砕けすぎて昼間から酒を呑んで誰かに絡む誰かさんよりは、よほどにいいと思うけれど?」
「ああー……たしかに」
「ちょっと桃香、そこで頷かないでよ……」

 邪道の中から王道ね……確かに一刀なら、そういったことも平然とやるのでしょうけど。
 だからといって、自分の中の芯を曲げてしまうのはどうにも癪ではある。

「まあそれはそれとして、ほらほら、なんかないのー? 一刀が華琳に提案してきて、それは邪道だーとか言って断ったなにかとか」
「…………。麻婆豆腐をご飯の上にかけて食べると美味しいらしいわよ」
「麻婆豆腐を? ……あー、そういえば呉の飯店でも、たまに一刀がやってたかも」
「あ、それ知ってます知ってますっ! 前に魏にお邪魔した時に、凪ちゃんが案内してくれた飯店に特製麻婆丼っていうのがあってー♪」
「ああ、そういえばここでも星がやたらと勧めてくる、えっと───」
「極上メンマ丼っ」
「そうそう、それが美味しいらしいじゃない」
「勧めるだけあって、とっても美味しいんですよー? あ、せっかくだから今日の昼餉はそれにしませんか?」
「いいわねー、なんだかんだでお酒にも合いそうだし。ね、華琳も行くでしょ?」
「………」

 “王三人揃ってそんなところに行ったら、店主が腰を抜かすわよ”。
 そうは思ったものの、そういうのも悪くないかもしれないと考える自分も居た。
 なにより……

(一刀が考えた料理、ね……。ふぅん)

 メンマ丼自体は知っている。
 季衣と一刀が食べていたのを見たことがある。が、好んで食べたいと思ったことはない。

「華琳さん?」
「華琳? ちょっと、華琳」
「聞いているわよ。……ええ、構わないわ。その極上メンマ丼とやらを、私も味わってみることにする」
「やたっ」
「なんだ、嫌がると思ったから話を振ったのに」
「美味しいものならばなんであれ食べてみようとは思うわよ。もちろん、それが邪道でなければだけど」
「あとは“辛いものじゃあなければ”、でしょ?」
「かっ……辛さは問題じゃないわよっ!」
「じゃあ華琳のだけとびきり辛くしてもらいましょ? ほらほら、行くわよ桃香〜」
「なっ! 待ちなさい雪蓮! なにをそんな勝手にっ!」
「問題じゃないんでしょ? だったら平気よ、へーき。あははははっ」
「あ、だめですよー? 味に関して適当な指示とかすると、星ちゃんが怒るから」

 喋りながらも歩は止まらない。
 雪蓮を追いかけ捕まえようとするも、けたけたと笑いながらひょいひょいと逃げる。
 桃香はそんな私たちを笑顔で追い、途中で道を逸れる。着替えてくるのだろう、小さく断りを入れると走っていった。

「へぇ……三日毎に鍛えてるだけあって、結構早くなったわねー」
「前の鍛錬では胸が痛いとぼやいていたけれどね」
「あははははっ、まあ華琳には解らない痛みよねー」
「……何処を見てなにを言っているのよ」
「べっつにー?」

 まあ、好きに言えばいい。
 これが私なのだから、自分の物語を自分らしく生きると決めた時点で、そういったものにはさほどの興味も未練も無くなった。
 未練がましく、酔っ払った桃香の甘言に惹かれたこともあったけれど、それからはもうどうでもいいと思えるようになった。

「雪蓮? 桃香に関心を向けるのも結構だけれど、蓮華の方はどうなの?」
「蓮華? ああ、こっちも頑張ってるわよー? 王としての在り方、料理、三日ごとの鍛錬と、一刀となにを話し合ったのかは知らないけど、随分と張り切ってるわ」
「へえ、そう」
「桃香が一刀に鍛錬の仕方を教えてもらったそうよーって教えてあげてからは、特にね」
「そう。楽しそうでなによりね」
「そりゃもう楽しわよー? だってあの子ったら、桃香のことを知るや“負けるものか”ってくらいに鍛錬の時間を増やすんだもの。可愛いったらないわよもう」

 その在り方は姉として王としてどうなの?
 軽い疑問が浮かんだけれど、立場は違えど私や秋蘭も似たようなことを魏将や春蘭相手にしていることを思うと、言いたいことも軽く霧散した。

「あ、そういえば聞いてなかったけど。一刀って今も鍛錬やってる? 祭に、機会があったら聞いてきてくれーって頼まれててさ。あ、もちろん私も知りたいけど」
「しばらく禁止させたわ。鍛錬の域を越えていると判断した上でね」
「えぇえーーーっ!? なんてことしてくれてるのよ華琳っ! 一刀には、暴れ出した私を軽く止められるくらいに強くなってもらわなきゃいけないのにー!!」
「あのねぇ雪蓮? それは貴女が勝手に言い出したことでしょう? それを理由に一刀に無理をされたらこっちが迷惑なのよ」
「無理なんかじゃないわよぅー! 一刀ってば自分から好んで鍛錬してるじゃない! ほっといたって中庭で木剣振るってるような子なんだから、鍛錬くらい好きにさせなさいよー!」
「ええそうね。辛そうではあったけれど、楽しんで鍛錬をしていたわね。けれど、とりあえず無理もしていない、なんて言葉は腕の一本を折ってみせた貴女の言葉ではないわね」
「《ぐさり》はぐっ! ……あ、あー……あははー……あれはそのー……」
「なに? まだ何か言えることがあるの?」
「一刀のことちょーだい?」
「あげません」

 呆れたことにとんでもないことを言い出す呉王に、溜め息混じりに返してやる。
 対する彼女はぷくーと頬を膨らませ、子供みたいに訳の解らないことを喚き散らしてくる始末。
 見るところも見ていて、武に関しても目を見張るものあり。
 民からの信頼も結構なもの……だというのに、この子供っぽさはなんだろう。
 これが王だというのだから、どうかしている。
 それとも私の中の王としての然の見方がおかしいのだろうか。……それはないわね。少なくとも雪蓮に対してだけは断言できる。
 
「で? どうなのよ。まさか本当に鍛錬の機会を完全に奪ったなんて言わないでしょーね」
「しつこいわね……もう一度機会を与えてきたわよ。私がここに来ている間、春蘭の鍛錬についていけるようなら許可しますって」
「春蘭の…………また随分と難題を振ったわね。あれでしょ? 春蘭の鍛錬って、百里とか走らせるっていう」
「ええ。季衣も流琉も普通にこなしてみせたわ。それくらい出来ないようでは、いざという時に身も振れないでしょう?」
「んー……まあそうだけど。ま、いいわ。一刀なら平気だろうし、今は無理でも華琳が戻る前にはなんとかなってるでしょ」
「? どういった理屈を以って、そうだと断言するのよ」
「んー? んふふ、勘よ、勘。ただの勘〜♪」

 そう言って、彼女はやっぱり笑った。
 ───なんだかんだで気づいたことがある。
 今までの三国連合の集いの中、見てきた将や王の笑顔はもう無いのだということ。
 代わりにあるのは、以前にも増しての自然な笑み。
 一刀の話題が出るや、そこには穏やかな笑顔が浮かぶ。
 それは町人だろうと変わりなく、呉からの商人などは自分の息子として一刀を語るほど。
 報告だけでは全ては受け取れない。
 笑顔っていう“見るもの”は、書簡だろうが竹簡だろうが一刀の手紙だろうが、受け取ることは出来ないのだ。
 それが解って、腹を刺されたり腕を折られたりしたというのに、あのばかが怒らない理由までもが解った気がした。
 “誰かを好きになれる”というのはいいものね。
 一刀の場合、それが人を選ばずに向けられるのだから、ある意味では大したものだ。
 好かれるのを嫌う者は多くない。
 そんな人懐っこさや、困り人をほうっておけない性格が幸いとなったのだろう。

「ところで、貴女のほうはどうなの? 一刀を三国の中心に置くという話」
「順調よ。むしろ町人のみんなは魏だけで独占するなんてずるいーって言ってるくらいだし」
「はぁ……それは貴女の言葉でしょう?」
「わ、もうバレた。あはは、でも本当のことよ? 一刀のことを息子だ〜って思ってる人達は、“大した野郎だ〜”なんて笑ってるくらいだし。それに……」
「それに?」
「他の不満を抱いていた人もね、少しずつ変わってきてる。このあいだ話したおじいちゃんなんかは、独り言みたいに“それがお前に出来ることか”なんて言って、何度も頷いてたし。そもそも同盟の絆が深くなることに反対する者なんて、普通はそんなに居ないわよ」

 それはそうだ。
 好き好んであの乱世を繰り返したいと思う者など、よほどの戦闘狂だ。
 その一人である目の前の女性も、戦をしたいとは言うものの、乱世を繰り返したいだなんてことは口が裂けても言わない。

「まああれね。言った通りこっちは順調。華琳のほうこそどうなのよ」
「こちらはそもそも乗り気よ。天の御遣いとして降りて、事実魏は天下統一に至ったのだから。平穏の象徴として一刀を中心に置くことに異を唱える者は居ないわ」
「へぇ〜? そうなると問題なのが……」
「ええ。蜀でしょうね」

 一刀の噂が商人を介して広まれば、少しずつでも印象は良くなるでしょうけど、どんな噂が広まるかも問題でしょうね。
 印象の良い噂が流れればいいけれど、これがもし種馬としての噂ばかりならば……逆に引かれる可能性が増えてくる。

「そうね……貴女のところに送った者達が、どう交流を深めるのかにもよるでしょうけど」
「悪いことにはならないわよ。味方が居ない状況で、自分の首を締めるようなことは子供だってそうそうしないわ」
「そうは思っても、どうしようもなくそういう輩が現れるから、かつての乱世が存在したのではなくて?」
「……はぁ。否定は出来ないわね」

 出る溜め息はいつの世も変わらないのだろう。
 私たちは民のお陰で生き、民もまた統率の中で生き、統率があるからこそ平穏があり、平穏があるからこそ満足の中で無理に不満を探し、暴れる者が現れる。
 いやな連鎖で成り立っているものだ、平穏というものは。
 と、そうこう話しているうちに戻ってきた桃香と合流、城を出ると、桃香の言う“メンマ園”という場所を目指して歩いた。
 メンマ園、というからには食事のほぼはメンマで占められているのだろう。

「さて、どんな味を楽しめることやら」
「えへへー、きっと雪蓮さんも気に入ると思うよー♪ えと、ただ……」

 言葉の途中で、桃香の視線が私に向けられる。
 途端に雪蓮は「あー……」と苦笑を漏らし、呆れ顔にも似た表情で言葉を投げてくる。

「ちょっと華琳? 自分の舌に合わないからって妙な話をしないでよね? わたし、お腹空いてるんだから」
「はいはい解ったわよ。けれど、言ってあげたほうがその者の上達にも繋がるでしょう? それを解っていながら言わないのは、やさしさじゃなく()れ合いでしかないわ」
「華琳のは“言ってあげる”じゃなくて“言いすぎ”なの。貴女にとっては一番じゃないものでも、他の誰かにしてみれば替えようのない味っていうのがあるんだから」
「………」

 ふと、いつかの屋台のことを思い出す。
 あの程度の店にしてはいい味をだしていた、と認識している店だったが、店主が早々に引き上げてしまった。
 その跡地を見て寂しそうにしていた季衣を思うに、なるほどとは受け取れるものの……。

「解ったわよ。けれど私だって、美味しいのならば口を出したりしないし、より美味しくなる可能性を秘めているからこそ口を出すの。味がよくなれば店のためにもなるじゃない」
「華琳に言われたことを正直に受け取って、自分のために活かせる商人や庶人なんてそれこそ稀よ。店を開くってことは、それなりに自分の味を誇ってるんだから」

 そんな話をしながら、護衛もつけずに歩いた。
 食に関してを話す私と雪蓮とは一線を引いて苦笑いをする桃香はともかく、雪蓮もなかなかに強情だ。どうせならば美味なほうが良いと解るからこその意見と、言い方に問題があるとの言い分。
 それらをぶつけあった先に辿り着いたメンマ園にて、

「これがメンマ丼ね……。先にメンマを食べさせておきながら、個別ではなくメンマを白ご飯の上に乗せる意味がどこにあるのかしら」
「わぁあっ!? 華琳さんっ! ここでメンマを悪く言うのは駄目ですよぅっ!」
「誰もメンマが悪いだなんて言っていないわよ。ただ、単品でもいい味を出しているというのに、こうも見た目の華やかさを食ってしまうような盛り付けをされてはね」

 出されたものに対して、早速この口は遠慮無用に動いていた。
 隣に座る雪蓮も額に手を当て溜め息を吐いている。

「フッ……嬢ちゃん、あんたぁ……このメンマ園へ来るのは初めてだな?」
「ええそうね。それがどうかしたのかしら?」
「へへっ、なぁに……味ってのは理屈で固めるものじゃあねぇ。その目、その鼻、その舌で知るもんさ。どれだけ言葉を放ったところでこの味は伝わらねぇ。……どういう意味か、解るね?」
「へえ? この私にそうまで言ってみるとは良い度胸ね。いいわ、その度胸に免じて味を確かめるくらいはしてあげる《ニヤリ》」
「……恐れ入りやす《ニヤリ》」

 屋台を挟み、ニヤリと笑う。
 とはいえ、香りは悪くない。
 盛り付けに関しても決して大雑把というわけでもなく、メンマ園というだけはあり、メンマが栄えるように盛り付けられている。
 あくまでメンマが栄えるのであって、華やかさがあるのかといえば、言った通り否だ。

「あら。あなたたちは食べないの?」
「先に華琳に食べてもらうわ。そのほうが面白そうだし」
「えへへ、わたしも。美味しいのは解ってるんだけど、華琳さんがどんな反応するのかなーって気になるから」
「はぁ……物好きね。まあいいわ」

 箸を取り、早速メンマを摘む。
 卵が絡んだツヤのいいメンマが、私の意思で私に近づく。
 それを口に含み、ゆっくりと咀嚼すると、いい味ではあったけれど単調でくどくなりがちだった味がやさしさに変わり、口いっぱいに広がっていった。
 これは……酒と卵で濃い味を抑え、にんにくと……軽く山椒を振ってあるわね。
 メンマに絡む卵は固まる前の滑らかさを保ったまま。
 少々の辛さもあるけれど、これは逆に味を引き立てる辛さ。
 けれど……

「一歩も二歩も足りないわね。これでは合格点は───」
「ああ違う違う。嬢ちゃん、そうじゃあねぇんだ」
「───なんですって?」

 違う? いったいなにが? 軽くそう思ったが、すぐに意味に辿り着いた。
 ……そうね、そういうこと。

「そうだったわね。私はメンマではなく“メンマ丼”を注文したのだからね」
「へへっ、そういうことでさ」

 言う前に理解したのが嬉しいのか、店主は子供のように笑った。
 そんな店主の目を気にするでもなく、ご飯と一緒にメンマを口に運ぶ。
 すると、その瞬間に例えようのない味が口の中に広がった。

「───! これはっ……!」

 “味が広がる”。
 その意味が口から全身に広がる感覚を覚えた。
 先ほどメンマから受け取った味とはまた別に、メンマ、卵、にんにく、酒等が合わさって完成する旨味が白ご飯に染み込み、それをメンマとともに咀嚼することでまた違った味わいがあることを知る。
 その感覚は炒飯のようだが、それとは違う歯ごたえとこの味。炒飯のように混ぜるのではなく、白ご飯の上に直接乗せるからこそ完成する味だ。
 硬すぎず柔らかすぎず、かといって辛すぎるわけでも甘すぎるわけでもなく、噛めば噛むほど味が変わるとさえ思う味わいはどうだろう。
 なるほど、これがメンマ丼。
 一刀と季衣が落ち着き無く食べる理由も、まあ解らなくもない。

「ちょっと桃香、どうなってるのよ。華琳ってば、なんか黙々と食べ始めたわよ……?」
「ど、どうって言われても……とりあえず、冷めちゃう前に食べちゃいましょうっ」
「……まあ、解らない以上はそうするしかないんだけど。冷ますのも癪だし、いっか」

 きちんと味わい、最後までを食し終えてから丼を置く。
 そうして一息を吐いてから店主を見やり、一言を。

「ご馳走様。中々に美味しかったわ」
「……その割にゃあ、なにか言いたそうだねぇ嬢ちゃん」
「ええ。店主、味そのものはいいものだわ。初めて食べたけれど、美味しいと言えるものね」
「そりゃあどうも。…………それで?」
「酒の量はもう少し減らしていいわ。メンマも、メンマの園だからといって多ければいいというものではないでしょう? 初めて食べに来てあの量では、少々味わいたい者にとっては苦痛よ」
「む……」
「あとは、にんにくの香りが少々強いわね。メンマを引き立てたいのなら、隠し味程度の量で十分といえるわ」
「むむむ……嬢ちゃん、あんた何モンだ……? 一食でそこまで見切るなんて、趙雲さま以外ではそうそう居なかったってのに……」

 何者? ……ふむ。何者、ねぇ……。

「べつに何者でもないわよ。強いて言うなら、ただの一人の料理というものが好きな者ね」
「ただ料理が好きってだけでそこまで言えるのかい。すごいもんだねぇ……」

 名乗りは伏せ、軽く濁してみればうんうんと頷く店主。
 そんな中、腕を引っ張られて振り向いてみれば、すぐ隣で私の耳に口を寄せて囁く雪蓮。

「どうしたっていうのよ、てっきりひどいけなし方とかするんじゃないかって思ってたのに」
「……あのね雪蓮? 私だって“控えるべき”くらい見極められるわよ。星のお気に入りなのでしょう? そこを貶すようなこと、するわけがないじゃない」
「あ。じゃあ思ってはいたこととか、あるんだ」
「ええ。メンマ好きには気にならないのでしょうけど、味が濃いわ。卵で抑えていても、これは濃いと言えるわよ。それがこの量でくるのだから、初めての者には辛いでしょう? だからといって残そうものなら、拘りを持つものなら許そうとはしないはず。それでは次第に客足も途絶えるわよ」
「へぇえ〜……よく考えてるわねぇ」
「まあ、美味しいと感じたのは確かなのだから、これを機に一層励んでもらいたくはあるけれど」
「名乗らないあたりで気を使ってるのは、なんとなく解ったけどね。《ぱくり》……んっ、んん〜〜〜っ、おいしっ♪」

 ……でも少し食べ過ぎた。なんなのよあの量は。
 普通盛りを頼んであの量は、少々どころか異常よ。
 新しい味を味わえたのはいいけれど、あの量は無い。
 そんな風にぼんやりと考えていたというのに、この場に流れていた穏やかな空気はあっさりと霧散した。桃香が放った一言をきっかけに。

「へぇ〜、食べただけでそこまで言えるなんてすごいなぁ華琳さんっ。やっぱりそこまでいろいろなことを知ってこそ、覇王だ〜って名乗れるんですかっ?」
『───』

 空気が凍った。
 それは、私や雪蓮や桃香がどうこうと言うよりも、店主が原因で。

「はっ……は、ははは……覇王……!? 覇王って───まままさか魏の、そそそそっ……そそそそぉおーーーーーっ!!?」

 店主が見る間に真っ青になり、震え出し、叫びだした。
 次の瞬間にはまな板に頭を衝突させるほどの勢いで頭を下げ、とても痛そうな音が鳴ろうとも頭をあげようとはしない。

「すすすっ……すいやせんでしたぁああっ!! まさか貴女がそうとは知らず、ぶぶぶ無礼な口をっ……!! 玄徳さまとともに居る時点で、そうだと気づくべきでっ……あっしは、あっしはぁあーーーーっ!!」
『………』
「え……あ、あの、あれぇ……!?」

 私と雪蓮の視線が桃香に向けられ、桃香は困惑するばかりだった。
 わざと名を伏せたというのに、まったくこの子は……!

「だだだ大丈夫だよ店主さんっ! 華琳さんはこう見えても、そりゃあ体は小さいけど、心はとっても……ひ、広いといいなぁ……?」
「なっ……誰の体が小さいっていうのよ! というか桃香!? そこは嘘でも心は広いと言い切りなさい!!」
「あっははははははっ! いい! 桃香いいっ! 今のすごくいいっ! そうねー、広いといいわよねーっ!」
「……雪蓮っ! あなたもっ! なにがおかしくてそんなに笑っているのっ!?」
「んふー♪ 恥ずかしくて真っ赤になりながら怒る、華琳のそんなとこー♪」
「くっ……! ええそうよ小さいわよ! だからなに!? これが私なのだから、誇りこそすれ恥ずかしくなんかないわよっ! 大体心の広さだって、メンマを前に出す店なのだからメンマ自体が濃いとか味が単調とか言わないだけ十分に───! ……あ」
『あ』

 そして、場の空気はもう一度凍りついた。
 勢いのあまりに滑った口は、きっと後悔しか産まないことを散々と理解してきたつもりだというのに、どこまでいってもつもりはつもりだったらしい。
 今回ばかりは自分の軽率さに呆れるとともに、

「か、華蝶仮面だっ! 華蝶仮面が現れたぞーーーっ!」
「なにやら物凄い形相で駆け抜けていったぞーーーっ!」

 遠くから聞こえた声を耳にして、軽く空を仰いだ。
 よく一刀がやっていたことを真似てみただけだけれど、なんの解決にもならないことだけが理解できた。
 一刀、今あなたは何をしているのかしら。
 私は……何処に居ても、やることは大して変わっていないわ。
 けれどやはり、どこかで気が抜けるのでしょうね。こういった迂闊さを露呈しては、雪蓮に笑われたりしているわ。
 それとは別に、都を構える話も順調に進んでいる。
 時間はかかるでしょうけど、この世界との絆を深める方法をみすみす逃したりはしない。
 だから……あなたは私の傍に居させる。そして、居なさい。
 帰りたいと言えなくなるくらい、この世界のことで頭をいっぱいにさせてあげるから。
 日々のほぼを自由奔放な雪蓮や、どこか抜けている桃香に振り回されてばかりだけれど……まあ、これで存外楽しく過ごしているわ。
 あなたはどう? ……なんて、訊くだけ無駄でしょうね。
 精々頑張って鍛錬しなさい。健康であることを疑ってなんてあげないから。
 そして、魏に戻った時は……どうして麗羽が私に対して可愛らしさで勝負を挑んできたのかを、きっちりと説明してもらうわよ。




ネタ曝しです。  *わたしは一向に構わないのだけど?  前にも書いた気もしますが、バキより、烈海王の台詞。  体を小刻みに震わせながら、高らかにどうぞ。  私は一向に構わんッッ!!  *ちょほいと待ちなは  渡り鳥シリーズより。  というよりは究極超人あ〜るって言ったほうが解る人が居るやもです。  一曲歌わせてもらふぜ。  *天空を駆け、大海を渡り、日に百里の道をも歩む  戦国サイバー藤丸地獄変より。知っている人居るかなぁ?  忍者、人にして人にあらず。  忍者、常識を遥かに越え、天空を駆け、大海を渡り、日に百里の道をも歩むという。  この流れがとても好きでした。  そして天狗がステキすぎた。ワタシ、オコリマシタ。  はい、そんなわけで59話でした。次はもう60です。  久しぶりの鍛錬もので、結構な勢いで日にちが飛んでます。  そろそろ三国連合に突入すると思いますが、変わらずのんびり見ていただければ。  なお、麻婆丼のお話は真恋姫無双の“突撃!凪の激辛昼ご飯”と“姿無き四時食制を探せ!”をどうぞ。  チャーシューが美味い店の話は“怒髪、冠を衝く卵料理”を。  そして鍛錬百里激走は萌将伝でのお話です。  百里走っても平然としている季衣と流琉の体力は異常です。  ……と思ったら、三国志時代での魏での一里は75m、または90mらしい。  一里が75なら十里で750、百里で7500だから……あれ? そこまでひどくない? 7.5kmか。  そうは思ったものの、真恋姫での祭さんとの会話を考えると、どうやら恋姫世界での一里は日本側の一里、4kmに相当するみたい。  つまり400kmですねって死ぬわっ!  その距離を、仮に朝からやっていたとして、夕暮れがやってくる前に平然とこなす季衣……そしてそんな季衣から、真恋姫時代に風とともに逃げきってみせた一刀……これはいったいどちらが凄いんだろうか。  400kmって車で何時間もかけてようやくって距離だよね? 障害物がないならまだしも……うーむ。あ、そっか、それは呉の話で、魏では75mでいいなら、きっと7.5kmから9kmでいいんだよきっと。  …………いいんだよね?  ではまた次回で。     萌将伝終わりました Next Top Back