113/浮き足を地につけて、ゆっくりと

 三国連合。
 初日から大騒ぎになったその日から、はや三日が経った昼。
 他国に来たということで妙に燥いでいた元気っ子たちがようやく落ち着きを取り戻す頃、俺はあまり変わり映えのしない書簡整理の日々に追われていた。
 仕事が増えたといえば増えたのだが、覚えることが増えたというだけだ。いや、これが“だけ”と言ってしまうのも問題なくらいの量なのだが……。

(はぁ……)

 出る溜め息も自然のものとして受け入れるくらいに繰り返し、やっぱりするのは書類整理だ。やってもやっても片付かないところは、平和な証拠なのか平和ではない証拠なのか。

(……ん)

 悪い報せが一切ないのは平和と受け取っていいんだろうなと受け取って、お茶を一口すすったのちに書類整理を続行した。

「おぅれぇ〜〜い! おぅれ〜〜〜い! す・ぎ・け・ん・さっんっばーーーっ!」

 どうしてか部屋の真ん中にて、大声で、そしてノリノリで歌う美羽を横目に。

「お上手ですお嬢様っ! その人の集中力を掻き乱すと解りきった大声で歌うところなんてもう最高ですっ!」
「うははははーーーっ! そうであろそうであろっ、もっと褒めてたもーーーっ♪」

 原因は七乃だ。
 うん、解りきっていることだった。
 あの日───七乃と久しぶりの再会を果たした美羽は、それはもう燥いだ。
 七乃もそんな燥ぎ様を全力で後押しするもんだから、その興奮はあっという間に臨界点を超え……今ではこの有様だ。
 前までの、元気ではあったが無茶はしすぎない美羽はどこへやら───

「美羽。少し声を抑えような」
「おおっ、解ったのじゃ」
「!?」

 ───なんてことはなく。
 軽く注意をしてみれば、素直にこくりと頷いてくれた。
 それに対する七乃の動揺は凄まじく、その目が俺を睨むわけだ。
 “よもや私が居ないのをいいことに、お嬢様をあの手この手で……!”とばかりに。というか……うん、実際初めてこんな感じで注意した時に言われた。真正面から言われた。一切の遠慮もなしに言われた。つまりこの反応は初めてってわけでもないのだが、七乃にとってはそれだけ衝撃的な事実らしい。

「だ、だめですよぅお嬢様っ、ここは元気にっ、ねっ?」
「妾は主様には迷惑をかけんと決めておるのじゃ。いくら七乃の言葉といえど、それは聞けぬ」
「───!! おっ……おじょっ……お嬢様が……!」

 七乃の目を真っ直ぐに見て言う言葉に、七乃が驚愕という言葉を顔に貼り付けた様子で後退った。それはまるで、かつてない状況に怯えているかのようで……───そりゃそうか、蜀で会っていろいろと話を聞いていた限りでは、随分と……まあその、関係の偏りはあったものの、仲良くやっていたみたいだし。
 だっていうのに突然“自分よりも俺を信じる”みたいなことを言われれば……なぁ。

「従順なお嬢様も……これはこれで……」

 ───なんてことはなく(再)。
 七乃は怯えにも似た表情を上気したうっとり顔に変え、ふるりと震えたのちに美羽を抱き締めた。
 乙女心は未だに勉強中の俺だが、彼女の物事に対する反応はしばらく想像の域を脱しまくるんじゃないかと……小さく苦笑しながら思った。

「ということで一刀さぁん?」
「……な、なにかな?」

 と、ここで七乃が俺を怪しい目でぬめりと睨んでくる。
 獲物を逃がさぬ狩人の目と言えばいいんだろうか……ギロリとも違う、擬音であらわせば“ぬめり”が一番しっくり来るような、嫌な目だ。
 いや落ち着け、睨まれる覚えもなければ、そもそも“自分の代わりにお嬢様を”と言ったのは七乃だ。まあ……そういうことも関係無しに行動した自分は居なかったのかといえば嘘になるが。……だから落ち着けって俺。そういう考えは無しにして、まずはお茶を───ってちょっと待った。こういう状況でお茶を飲むと、次の瞬間に七乃が爆弾発言をして……

「お嬢様をおいしくいただいたのなら、かつてのお話通りに次は私を───」
「………ウワーイヤッパリー」

 飲まなくてよかった。多少の心の準備をしていてよかった。
 軽く頭痛がするのを感じながらも深呼吸して、霊性……もとい、冷静に対処を開始。

「えっとな、おいしくいただくっていうのがどういう意味なのかは解らな───」
「それはもちろん組み敷いて、あはぁんといただいてしまったという意味で」
「断じて無いっ! いただいてないっ!」
「えっ───あれだけの時間をお嬢様と一緒の部屋で過ごし、お嬢様と同じ寝台で寝ていたにも関わらず、あの魏の種馬一刀さんが一切……!?」
「あ……あのなぁ……《ヒタリ》───額に手ぇ当てても熱なんてないから!! 蜀でだって誰にも手を出さなかった前例ってものも少しは判断材料に入れてくれよ!!」
「実はあの頃から信用を得るために前準備を───!」
「するかぁっ!!」

 確かに魏のみんなに手を出したって前科はあるし、それは事実で認めるところだけど、だからって誰にも彼にも手を出す男とか思われるのは心外だっていうのに……!そ、そりゃあもう魏だけのものって存在じゃなくなったぞ? けどそれを理由に手当たり次第にとか思われるのはやっぱり心外だ。
 そういうことはそう、自然の流れでするものであって、華雄が言ったように“支柱になったからって抱く権利が得られるわけじゃない”のだから。

「………」
「……な、なに?」

 思わず脱力しそうになる思考の最中、机越しに俺の目を真っ直ぐに見て、身を乗り出して顔を近づける七乃が。

「では一刀さんは、お嬢様には一切手を出していないと? どんな理由があろうと指一本出していないと?」
「あ、ああもちろ───…………」

 んだ、と続けようとした俺の頭の中に、少女の頭に落ちた拳骨が思い返された。

「いや、その。別の意味でなら手は出したな……うん」
「………」
「その“やっぱり”って顔なにっ!? 言っておくけど、いやらしいことは一切していないぞ!? 俺はただっ!」
「解ってますよぅ、一刀さんにとっては女の一人を食べるくらい、もはやいやらしいことでもなんでもないという」
「ことじゃないからっ!! あ、あーその……さ。前に美羽が危険な目に遭ってさ。その時にこう、手を出しちゃってさ」
「……さっ……《ごくり……!》……さすがです……! よもや危機的状況でお嬢様に欲情するなんて───!」
「人の話を聞こうな!? 欲情とかじゃなくて、拳骨しちゃったんだよ!」

 もうやだこの人! 基本的に俺をエロエロ魔人としてしか見てないよ!

「あー、そうなんですかー。お嬢様があまりにも従順なものだから、てっきりもっとすごいことをやらかしたものかと」
「“やらかしたこと”前提で考えるのをまずやめません?」
「お断りしますっ♪《ピンッ♪》」
「………」

 前のように指をピンと立て、可愛らしい笑顔で言われた。
 七乃って、よーするに人をからかっていられたらそれでいいって性格なんだろうなぁ。

「まあその話は二度と話題に出ないように記憶の底に埋めておくとしまして、とうとう一刀さんは三国の支柱になったわけですが───…………べつにしていることは変わりませんね」
「ん。強いて言うなら筆記仕事が増えたってくらいかな。なんでも三国の中心に都を作って、そこの管理を俺に任せるそうでさ。その前準備として、いろいろと覚えてもらうことがあるんだってさ」
「へー、そうなんですか」
「あんまり関心なさそうだね」
「はい。正直に言うとどうでもいいですね」
「その補佐役が七乃になりそうだって聞いても?」
「───…………え?」

 突然の事実にぴしりと固まる七乃。
 自分をおそるおそる指差して、きょとんとしているところへコクリと頷いてやると、随分と驚いてみせてくれた。

「いえいえいえいえっ! 私ごときが都の補佐だなんてっ! お嬢様を補佐するならまだしも、一刀さんを補佐していたらいつ誰に闇討ちされるかっ!」
「俺何者!? そんなことにはならないし、そもそもこれは華琳が決めたことなんだよ!」
「またまたっ、そんな嘘をっ」
「嘘じゃないって! え〜〜っと……ほらっ、この書簡っ!」

 今回の計画についてを簡単に書き連ねた華琳の書簡。
 今朝渡されたばかりのものをズイと差し出すと、七乃は困った様子のままに受け取り、そこに書かれている文字を検めた。

「あのー……なぜ私に……?」
「たった一言、“暇そうだから”だって」
「……桃香さまのところで頑張って仕事していたんですけどねー……」
「その能力も認めているからこそだとも言ってたな。あ、ちなみにこの言葉は、“七乃がそう言うのを確認してから口にすること”って言われてた」
「先読みの達人ですかあの人は……。知り合ってから随分と経ちますけど、あの人の考えることは未だに理解で追いつくことが難しいですねー……」
「う……ちょっと同感」

 急に予想もしないことを言い出したりする状況は、まさにその一言に付す。
 とはいえ事実は事実で、実際にこうして先読みしてみせたんだから笑えない。
 いつか予言とかしそうで怖いよ。結構前に出会った占い師も凌駕しそうだ。

(……相手が言う言葉を予想してみせるのも予言っていうのかな)

 ちょっとだけ意味が違うか? ん、まあいい。
 とりあえずは仕事を片付けよう。

「ところで一刀さんがしているそれ、なんです?」
「ん? ああ、警備隊のことと、日本酒に関することについての華琳への報告、あとは都の管理をするために必要な知識もろもろと……」
「随分ありますね」
「はは……多少記憶力がついたってこともあって、前よりは役立ってるって証拠……だといいなぁ。未だに状況に困ると、同じことでも相談する癖は直ってないし」

 不安になるから何度でも打ち明けるといえば聞こえはいい……よくもないか? ともあれ、似たようなことで相談するのは出来るだけ減らしていきたいとは思っているのだが、思うだけでは上手くいかないもので。体の鍛錬もいいけど、頭のほうももっと成長させないとなぁ……。

「主様は最近、いつも忙しそうなのじゃ。もそっと息を抜いたらどうかの」
「そうしたいとは思うんだけどさ、困ったことに仕事を回されるのが嫌じゃなくなってきてるんだよな。もちろん休めるのは嬉しいぞ? サボリたい〜と思うのは今でも同じだし。ただこう……きちんと役立ってるんだなって思うと、困ったことにやめられないんだ、これが」

 一年間をこの世界に焦がれる中で、自分は随分変わったんだろう。
 前の自分だったらボランティアがどうとかも、思ったとしても実行したかどうか。困っている人は見過ごせないものの、視界に納めてみなければ本当に困っているのかも解らない。それを理由に手を伸ばしもしなかったかもしれない。

「でも無理は禁物ですよー? ということで遊んじゃいましょうっ」
「それ、自分が遊びたいだけだろ」
「いえいえそんな。一刀さんが遊ぶと決めれば、たとえサボって遊んでいたとしても全て一刀さんの所為に出来るなんて」
「……思ってたんだね」
「思っちゃってました」

 輝く笑顔が眩しかった。
 なので遠慮なく補佐に関する書類を掻き集めると七乃に突き出し、こちらもにっこり笑顔で「じゃあこれ確認しておいて」と返した。
 対する七乃は笑顔を曇らせつつそれを受け取って、俺の寝台に腰掛けると、その横にちょこんと座った美羽とともに書類に目を通していった。

「はぁあ……蜀から解放されて、ようやくこれで自由だと思ったんですけどねー……」
「あっと。その言葉にも伝言。“野垂れ死にしたいのなら、いつでも出ていってもらっても構わないわよ”だそうだ」
「……あの。それって非道じゃないですか?」
「こらこら、衣食住を約束する対価として働かせることの何が非道なの。休みもあるし風呂にだって入れる。美羽とだって一緒に居られるし、七乃にとってはいいことづくめじゃないか?」
「あ…………そう考えると、確かに悪くないですかね」
「ん。恵まれてるほうだよ」

 “この時代では”。そう続けようとしてやめた。
 実際、職にありつけていない人はまだまだ居る。
 仕事が必要だから開拓を続けて、開拓を続けるから仕事が増えて、仕事が増えるから作られる場所が増えていく。
 その連鎖を考えると、天の時代があんなにごみごみしている理由も頷ける気がした。
 1800年あたりでそこまでしか広がらなかったことを安心するべきなのか、1800であそこまで広がってしまったことを嘆くべきなのか。
 人が増えれば建物が増える。仕事も増える。増え切った先になにがあるのかといえば……正直、あまり考えたくない。
 学生やってる時はそんな難しいことを考えず、ただ漠然とした自分の将来を思っていた。

  “自分が進む道にはなにがあるのか”

 どうせ“なんとか”なるだろう───その“なんとか”が解らず、結局は流れるままに任せるしかなかったのだ。だって、“なるようにしかならない”と言っている人ばかりだから。
 この時代の人のように、“自分の手で”と考えるほうが少ないんだ、仕方ない。
 その点で言えば、俺は自分を変えられるほどの貴重な体験をしてこれた。
 人の生き死にはもちろん、自分の手で立とうとする人の強さや意思の眩しさ、厳しさの中に見えるやさしさや……人を心から愛するという気持ち。焦がれる辛さまでもを知った。
 どうせ“なんとか”なるだろう。
 そのなんとかを自分で決められる人は、まだ幸せなんだということも。

(決めてもらった道に文句の無い人も、まあ幸せ……なのかな)

 楽しんでいられるだけ幸せ、だな。
 自分で決めたことでも楽しめない人なんてごろごろ居る。
 そういった意味では自分は恵まれている方なのだ。
 死を見たし吐きもしたし泣きもした。けど、なかったことになんかしたくないのだ、仕方ない。そう思うってことは、無くしたくないと思うほどに、今日まで経験した全てを捨てたくないってことなんだから。
 時々過去に戻ってやり直したいと思うこともあるにはあるけど、今の俺がそれを望むのは贅沢ってものだと自覚している。

(現在の自分のまま、自分が変わるくらいの体験をするのと……過去。子供の自分に戻って人生をやり直すのと、どっちがいいんだろうな)

 過去の自分に戻れたとして、それまでの自分の記憶が無いという条件下ならば間違いなく前者。けれど記憶も持っていけるのだとしたら、それは───断言しよう。そんな風に考えてしまうヤツが、“自分の些細な行動”のひとつひとつで変わってゆく世界に順応出来るわけがない。
 きっとまた同じくらい成長した先で、あそこでああしていたらと後悔するのだ。
 困ったことに、それが人間ってものだから。
 この世界に来て、様々な人の動きを見て、その上で出たものといえばそんな答えばかり。自分たち───1800年先の自分たちは、随分と贅沢だという答えばかりに行き着いた。

「……よし、っと」

 だからといって自分はそうならないように、なんてことは考えないようにしたい。無理に気を張ると、ろくなことにならないことも同時に学んでしまったからだ。
 よーするにそう簡単には上手くいかないように出来ているのだ、この世の中ってやつは。……そう、それこそ1800年も前から。
 上手くやろうだなんて思わないこと。自分に出来ることを確実にこなして、そこから少しずつ自分に出来ることを増やしていく。一気に多くを望むのは、今の自分には荷が重過ぎる。
 だっていうのに支柱になることを望んだんだから、こうして必要な書類に目を通すことに戸惑いなんて感じちゃいけないのだ。───まあその、い、息抜きはもちろん必要だけど。
 自分に甘い思考にやれやれと苦笑をもらしつつ、椅子を軽く引きながら大きく体を伸ばした。それを終了の合図と受け取ったのか、七乃の隣に座っていた美羽がシュバッと顔を持ち上げ、タトトッと駆け寄ってくる。

「終わったのかのっ」
「ん、一通りは。あとは確認して、華琳に届けるだけだな」
「一刀さんはもうちょっと効率よく動いたほうがいいと思いますよ? だから仕事の無い日に書簡整理なんてしなくてはいけないことになるんです」
「仕事の時間に人の部屋に侵入してあーだこーだ質問しまくって仕事の邪魔した人の言う言葉かそれが」
「……よく息が続きますねー」
「これくらい誰でも続くって」

 はぁっと溜め息を吐いて、もう一度伸びをしてから確認を始める。
 その途中、美羽が回り込んで俺の脚の間にちょこんと座ると、確認の真似事を始める。
 せっかくだから声に出しながら確認をしていると、美羽もそれを真似る。こんなことがここ最近では珍しくなかった。

「声に出しながら読むと、脳に刺激が行く……でしたっけ?」
「一応。せっかくだし」
「? うむ、せっかくだしの」

 よく解っていない様子の美羽の頭を軽く撫で、くすぐったそうに、しかし抵抗せずにそのまま読み続ける彼女とともに、平和な時を過ごす。ひとつが終わればまたひとつ。声に出しているからか、おかしな部分は七乃が待ったをかけてくれて、そこをきちんと調べてから修正をする。
 そんなことを何分か続けていると、いつしか俺と七乃は顔を見合わせて苦笑していた。
 補佐がどうのこうのと言っていたんだが、これが案外悪くないのだ。

「そうですねー、一刀さんも悪い人ではないですし、補佐も案外楽しいかもしれません」
「その確認と、いただいちゃってください発言が前後する理由が解らない」

 脱力と苦笑を混ぜた言葉に、七乃はくすりと笑うだけだった。
 ……さて、そうこうしているうちに見直しも終わって、晴れて自由の身。
 これからどうしようかなんて考えは浮かばず、今こそデザートを作り直す時!

「さってとー、これから《きゅむっ》んおっと? 美羽? どうした?」
「…………《きらきらきら……!》」
「うあ……」

 立ち上がろうとした俺の服の袖を、脚の間に座った美羽が掴む。
 空を仰ぐように俺を見上げるその顔は、輝きでいっぱいだった。
 一言で言うなら“遊んでたも”という言葉で埋め尽くされていた。

「あー……よ、よーし美羽っ! これから邑に牛乳を取りに行こう! いつか喧嘩しちゃったときのことを上書きするために、楽しい材料集めだーーっ!」
「むむ? …………おおっ! それは名案じゃのっ!」
「よぅしそうと決まれば今から───」

 邑へゴーだ! ってところで、七乃が自分の頬に人差し指の腹を当てて、

「あのー、材料なら明後日にでも届けられると聞いてますけど?」

 ……そう仰った。うん、そうなんだけどさ。
 華琳には誘えと言われてる手前、出来れば今日中に入手して今日中に作りたいのだ。
 そもそも華琳が作った物流ルートなんだから、華琳が忘れてるはずもないんだけど……誘えと言うのなら誘わなきゃ怒りそうだし、それに華琳と一緒に行動するのは久しぶ───……あ。

「……? どうしたのじゃ、主様」

 俺を見上げる美羽を見下ろし、しばらく停止した。
 ……ごめん華琳、一人か二人増えることを、どうか許してほしい。
 一応そのために、機嫌を直してもらうための献上物でも用意しておこうか。
 流琉、手が空いてるといいんだけど。


───……。


 ……ぶっすぅうう……!!

「……………」
「あ、あのー……華琳さん? そんなに不機嫌そうな顔するとほら、馬も怯えて……」

 本日快晴。
 俺一人で華琳を誘いに彼女の部屋まで行って、仕事中の彼女を誘い出せたまではよかった。「随分来るのに時間がかかったわね」と言いつつ、何処か楽しげだった彼女を見た時は、きっといい日になると確信したものさ。
 だというのに馬屋で待っていた美羽と七乃を見た瞬間、彼女の不機嫌度は飛び跳ねた。
 今は無言で俺が走らせている馬に跨っている。
 美羽は七乃が駆る馬に跨り、なんだかご機嫌だ。

「一刀? たしかに私も、あなたと二人きりでと言った覚えはないわよ。ええ、それはね。けれど、だからってこれはどうかと思うのよ」
「イ、イエアノー……これはそう、三国の交流のための……さ、ほら」
「……そう言えば納得出来るとでも思っているのかしら? そもそも美羽も七乃も三国に下ったのだから、今更交流がどうのと言っても仕方のないことでしょう」
「じゃあ今からでも他の誰かを連れ《ぎゅぎぎぃっ!》あだぁあーーーーーーっ!!?」

 腿を抓られた!
 いきなりなにをと言おうとした途端、抓られたことで跳ねた体に、華琳の体が深く沈む。

「………」
「………」

 そうされることで数瞬、胸が高鳴るんだが……不思議と、華琳から発せられる怒気が少しずつ減少していくのと同時に、俺の鼓動も落ち着きを取り戻して……それが当然って気分になってくる。息を吐いても吸っても心地よく、なんというかくすぐったかった。
 この身を三国のためにと誓ったが、やっぱり魏のみんなを一番に考えてしまう頭は、そうそう切り替えられるものじゃない。華琳と二人きりになりたいと思うことなんてほぼだし、そうならないように意識を周囲に向ければ仕事にも集中出来なくなって、そっちはくすぐったいっていうよりはもどかしかった。

『………』

 意識したわけでもなく、二人の呼吸が重なる。
 吸って吐いてをするだけのことなのに、そんな些細が心をひどく落ち着かせた。

(……一刀のことばかりをとやかく言えないわね。所有物だと謳うならば、もっと深く構えなさい、曹孟徳)
「ん? なんか言った?」
「……なんでもないわ。ただ、少し自分を戒めただけよ」
「? そっか」

 まるで寝息のように吐かれた呟きが俺に届くことはなく、華琳は俺を見ることもなく一層に寄りかかってきて、長く長く息を吐くと目を閉じた。
 抱き締めたくなる思いをなんとか押し込めながら、今はただ、この温かい重みとやさしいくすぐったさを胸に感じながら、ゆっくりのんびりと邑を目指した。


───……。


 村に辿り着く前に聞こえた牛の鳴き声に導かれるように、馬を繋いで歩いてゆく。
 辿り着いたそこには独特の香りと、笑顔で作業をする飼い主の彼。

「おやっさん」
「へ? あ、これは御遣い様。今日は牛の様子を見に?」

 穏やかな笑顔で迎えてくれた彼は、牛乳は明後日に許昌に届くことになっていることを知っているために、見学目的かと思っているらしい。それに笑顔で返しながら、事情があって牛乳が欲しくなったことを伝える。

「そうですか。しかし牛も人手もそう多いものでもないので、それだけの量を揃えるのは難しいですね」
「だよね……」

 元々そういう話だったと聞く。
 華琳が作ったルートにここの牛乳が含まれてはいるが、いっぺんに用意出来ないからこそ間を空けての納品となっている。
 それを今くれ、というのは明後日の納品にも支障が出るというもので。

「構わないわ。今日取れた分は今日いただいていく。明日も明後日も来るから、納品はしなくて結構よ」
「え? あの……」

 俺の横で飼育環境を調べていたらしい華琳が、視線をおやっさんに戻して言うのだが、おやっさんはどうやら曹孟徳の名前は知っていても顔は知らないようだった。
 名前で王であると認識している人は居ても、実際は顔も知らないって人は結構居る。
 天……日本でだってそういう人も居るくらいだ。子供なんかは特に。
 この世界ではテレビも無ければニュースも無い。
 こんな人だと噂を耳にする程度で、会うことも見ることもなく一生を終える人だって居るのだろう。

「おやっさん、この人は───」
「このお方は魏の象徴、曹孟徳さまですー♪」
「あ」

 順を追って、驚かせないように説明しようとした横で、にこりと笑って人指し指を立てた七乃が仰ってしまった───途端に笑顔が固まり、サーーーッと青くなるおやっさん。

「もももももっ、ももも孟徳様!? こ、これはっ、ようこそいらっしゃいましたでございます!!」
「おやっさん落ち着いて! なんか言葉がヘンになってる! 七乃もっ! 人の反応を見るために王の姓字を口にしないっ!」
「いえいえ、私はこの方が誰なのかを知ってもらって、迂闊なことを口にしないようにと注意を促しただけですから」
「う……」

 それは確かにそうだ……迂闊なことを口にしてしまえば、あとで事実を知ったら相当にきまずいし、ヘタなことを言ってしまえば罰さえ有り得る。地味に正論なために続く注意文句が出て来やしない。
 でもひとつだけ。

「……そういうところに頭働かせるよりも、もっと別の方向に向けような……」

 それだけ。
 七乃は、「でしたら一刀さんをからかうことに、この知識の全てを使いましょうか?」なんてことを笑顔で返してくださった。……ああ、「勘弁してください」って言うしかなかったよ。

「で、でででは今すぐに用意しますのでっ!」
「ってあぁああおやっさんおやっさん! そんな慌てないでっ! よかったら俺にも手伝わせて!」
「え───」

 おやっさんが俺の言葉を聞くや、慌てて駆け出した足を止めてゆっくりと振り向く。
 そんな視線を受け止めながら、「ちょっと……」と少し不機嫌そうに言う華琳に向き直って笑顔で伝える。

「乳搾り、やってみないか?」

 と。


───……。


 提案しておいてなんだが、今俺は大変貴重な場面に立ち会っているんだと確信する。
 元々は美羽にやらせてあげようと思っていたことなんだが───

「ん……む……こうかしら?」
「ああ。親指と人差し指で付け根の部分を握って……あ、強くしすぎないようにね」
「わ、解っているわよっ」

 華琳の隣に屈んで、まずは数回絞ってみせる。
 そう……現在、華琳が───あの曹孟徳さまが牛の乳搾りをなさっておられる。
 そんな様子を隣で見て、珍しく緊張している様子にこう……顔が自然と笑顔になるというか。いや、緊張しているのを楽しんでるとかそういうのじゃあ断じてない。
 ただこう、自然な顔の華琳を見られるのが嬉しいんだ。

「なかなか難しいわね……というかこれしか出ないの?」
「そ。これを何度も、何百回も繰り返して、あの量が採れるんだ」
「………」

 華琳がどこか感心した顔で頷いた。
 俺も子供の頃は、あれだけ大きいんだから牛乳も一気にいっぱい出るんだろうな、なんて妙なことを考えていたもんだ。
 それが、子供の頃に体験した乳搾りでは少量ずつ。しかも何度も何度もやらなきゃいけないから、随分と苦労したのを覚えている。それでもそのあとに飲んだ牛乳が美味しくて、それまでの苦労なんて綺麗さっぱり忘れてしまったんだから、今思い返しても“子供だったなぁ”って苦笑してしまうわけで。

「……これ、兵たちの握力強化に使えないかしら」
「いや……こういう時くらいは仕事を忘れてもいいと思うんだけど」

 真面目な顔でふむと頷き直す華琳は、見ていて少し……す、少しだけだぞ? その、可愛いかった。直に伝えたら蹴られそうだから言わないけど。

「それで、一刀? あの“なまくりーむ”というのは、具体的にどうすれば手に入るのかしら?」
「へ? あ、ああ、生クリームな。絞ってれば出るよ。というか、乳と一緒に出てるようなものなんだ。量が溜まってくれば自然に分離してくるから、それを採る。他の方法としては温めてやることとかがあるけど、まあそれも殺菌の段階で取れるから」

 乳搾りをしながら、その過程を自分の知識の範疇で伝えてゆく。
 その一方では七乃が美羽と一緒に乳搾りをしており、「面倒だから直接飲むのじゃ」と言い出す美羽を、七乃が慌てて止めていたりもした。七乃もあれで、からかったり驚かされたりでバランス取れてるからこそ美羽の傍に居るのかも。

「んっ、んっ……」
「………」

 民の行動を知るためにと、華琳は熱心に乳絞りをしている。
 俺もその隣で絞って、容器に乳を溜めていくのだが……地味といえば地味だ。ただ、そういう作業の上でああいった乳製品が食べれることを、もっとよく知るべきだ。そう思うからこそ、華琳も愚痴もこぼさずに続けているんだろうし。
 そうして、民を知ろうとする姿に自然と笑んでしまう自分自身が少しおかしく感じる。非道な王にならぬようにと言ったのは華琳自身だし、こうするのはむしろ当然だというのに、そんな行為が嬉しいのだ。
 だからか、“最初に会った頃の華琳だったらどうしていただろう”と無粋なことを考えてしまう。今のように熱心に乳搾りをしただろうか。それとも効率性を優先させて、誰かにやらせて自分は別のことをと見向きもしなかっただろうか。

「主様主様っ、妾にも教えてたもっ!」
「っと、美羽? 七乃とやってたんじゃないのか?」

 思考にふけっていたところに美羽が割り込んできた。
 割り込んだという言葉が示す通りに華琳と俺の間を割って入るように。
 そんな彼女を慌てずに受け止めると同時に質問をするのだが、「七乃も解らんというのじゃ」とあっさりと返された。
 いや……おやっさんがちゃんと説明してくれたじゃん……。
 ちらりと七乃を見れば、おやっさんに教わりながら乳搾りをしている。
 あーなんだ、つまり上手く絞れなかったから“直接飲む”なんて行動に出たわけか。

「よし、じゃあ美羽はこっちに来てくれ。やり方を教えるから」
「うむっ♪」

 言ってみれば笑顔で応答。
 元気に頷いた美羽は、右隣の華琳とは逆の左隣に屈んで、目をキラッキラ輝かせながら“どうするのじゃ? どうするのじゃっ?”と訴えかけてきた。
 ……どうするもなにも、おやっさんが教えてくれた通りにやれば出るはずなんだけどな。

「いいか? まずはこの付け根を親指と人差し指で掴む」
「むむ……こうかの?」
「そうそう、輪を作るように。乳が逆流しないようにするため少し強く押さえたら、次は残りの三本……中指、薬指、小指の順に握るようにして乳を搾り出す」
「むむむー……てやっ! …………出ぬのじゃ」
「ははは、美羽、小指からになってるぞ。ほら、こうやってゆっくりでもいいから」

 美羽の手に自分の手を重ねて、ゆっくりと圧迫する。
 すると乳が勢いよく飛び出し、ぶつかるように容器に小さな水溜りを作った。

「おおっ、出たのじゃっ」
「よし。あとは今の感覚で、親指と人差し指で輪を作るところから始めて、それを繰り返すんだ。それを何度もやって、溜めていく」
「うむうむっ、こんなものは覚えてしまえばどうということはないのっ、妾にどーんと任せるのじゃ〜っ♪」

 座りながらムンと胸を張った美羽───だったが、仰け反りすぎてぽてりと倒れた。
 ……うん、実に頼りない。
 でもやる気は十分のようで、顔を赤らめながらも起き上がると、早速搾乳作業に入った……途端に七乃が満面の笑みでやってきて、

「お嬢様お嬢様っ、やり方を完全に把握したのでこちら───で……」

 と、途中までは元気に言葉を放ったのだが……俺の横で楽しそうに乳絞りをする美羽を見て、少しずつその勢いを殺すのと同時にゴギギギギ……とゆっくりと首を動かし、俺を睨んだ。冷たい笑顔で。
 ……あれ? なんで睨まれるんだ? 俺はただ、美羽が教えてたもと言ってきたから教えただけで……待とう!? あまりに理不尽だ! ああいやいや、それなら俺が華琳の右隣に屈んで、ここに七乃が来れば《がしぃっ!》…………立ち上がろうとしたら美羽に捕まった。さらに言えば、華琳までもが“そこに居なさい”とばかりに睨んでいる。

「………」

 否! ぶっ……武士道とは死ぬことと見つけたり!
 支柱になることを自ら望んだなら、一方に偏った考えは出来るだけ無くす!

「み、美羽、ほらっ、七乃がもっと上手な絞り方を教えてもらったそうだから、ちょっと教わってみたらどうだ? ───っ!《パチパチッ》」
「───! そ、そうですよお嬢様っ、今私が匠の乳絞りを見せて差し上げますから〜」

 喋りながら七乃に目配せをして、上手く乗ってくれるように頼む。
 即座に反応を示した七乃はあくまで自然な動作で俺の傍までを歩き、俺もあくまで自然な動作で服を掴む美羽の手をするりと緩め、離れる。

(……あれ?)

 そうしてからハッと気づくんだが、これで華琳の右隣に座ったら、結局華琳に偏ってるってことにならないか?

(…………か、華雄さん……偏らないって、物凄く大変なことですね……)

 偏り……偏りか。
 こういう場合、他の誰かだったらどうするんだろうか。
 平均的に上手く付き合っていく? それとも偏ったままでも構わないって、そのまま突き進む?

(たとえば及川なら……………………)

 少し考えて、やめた。女子からの人気はあるものの、特定の彼女が居ないのがあいつだ。
 女子の話題を出せば、いつもいつも別の女子の名前があがる不思議な男。

(少しどっしり構えてみればいいのにな───あれ?)

 それって俺のことか?

(………)

 そうかも。
 ヘンに意識して構えて、支柱になるならこうでなきゃいけないって考えすぎだ。
 もっと自分を客観的に見る癖、つけないと。
 誰かを見た時にそれは見苦しいだろうって思えるような生き様は、出来るだけしないように。

(……見苦しくても貫かなきゃならない芯だけは、捨てるつもりも変えるつもりもないんだけどさ)

 小さく頭を掻いてから、両手で両の頬を叩いて気合を入れた。
 それから結局華琳の右隣に屈むと、美羽に教えるのに夢中な七乃を眺めつつ、華琳に話を振る。

「華琳はさ、王になることで不安になることとかって、やっぱりいっぱいあったのか?」
「………」

 華琳は無言だ。
 けれど牛乳が容器を打つ音が消え、そちらに俺の視線が向かい、戻した時には目を閉じ、大きく息を吸い、吐いていた。
 そして言うのだ。恐らく、俺が想像している次の言葉、そのまんまのことを。

「なに? 今更支柱という役割が重くなってきた?」

 ……うん、予想通り。
 だがその言葉に対する返事を、俺はじっくり考えてから返す。
 答えなんて既に出ているのに、それを何度も何度も自分に問いかけながら。
 “お前はそれでいいのか?”と心が自分の頭に訴えるのを、いつも笑って返す。
 “それがこの国に返すことになるのなら”と。
 自分を殺しているわけじゃない。
 国に返すということは自分のためでもあるし、自分で決めて自分で目指した、ある意味での“俺の夢”なんだ。あの日、俺に剣を向けて訊ねてきた雪蓮に発してから始まりだした、俺がこの世界で生きていく意味。
 御遣いとしてでもあり、北郷一刀としてこの世界に立ち、目指していける“俺に出来る何か”がそれなのだと信じている。
 この世界の様々に感謝して、その先で“俺が居て助かった”と誰かが言ってくれるのなら、きっとそれだけで俺は嬉しくてたまらなくなるのだろうから。
 だから言う。安心してほしいという意味も込めて、ゆっくりと、確かに。

「いや。自分で決めたことだし、重いっていうよりは浮き足立ってる」

 安心って言葉には遠い返事だったけど、華琳はどうしてかそんな返事にこそ安心するように息を吐く。そして言うのだ。やっぱり、どれだけ何をしても一刀は一刀ねと。
 ……いまいち自信が持てない自分で申し訳ない。

「やらなきゃいけないことは解ってるんだけど、どこから取りかかっていいかが解らない。いや、それも解ってるんだけど、迷うっていうか」
「漠然としすぎているわね」
「そうなんだよ……まさにそれなんだ」

 漠然としている。
 やらなきゃいけないことは今のところ、華琳に出された資料や知らなきゃいけないことを纏めて、頭の中に叩き込むこと。……あ、あとそれを実践出来るようになることか。それをやればいいだけという、道が無いよりは進み易い場所に立ってはいる───ものの、やっぱり浮き足立っているのだ。
 警備隊を任された時も妙に張り切った記憶があるが、今回はその比じゃない。

「悩むことはないわ。あなたはあなたらしく在ればいい」
「ん……それって、深く考えるなってことか?」
「一刀。ついさっき、“王になった時の不安”がどうとかと訊いたわよね?」
「ああ」
「私一人が自分が王だとどれだけ言おうと、国というものはなにも変わらないのよ。そこに生きる民が居て、ようやく王という存在が認められる。ならば支柱はどうかしら? 建物がない支柱に、存在の意味がある?」
「………」

 建物のない支柱? 支柱っていうものが俺として、じゃあ建物は…………国?
 いや、この場合は───そっか。
 自分が王だとどれだけ言おうが国は変わらない。民が居てこそ王となり、民と王が生きてこその国がある。つまり建物っていうのは王であり民であり……現状で言うなら、そこに将も兵も含まれる。

「俺が支柱がどうだとか言って悩むまで悩まなくても、国は動いてるってことか」
「そういうことよ。そしてわたしたちがあなたに望む支柱の在り方は、“無理にそうなろうとして作られたもの”などでは断じてないわ。北郷一刀という、お人好しの馬鹿でないと務まらないものなのよ」
「華琳さん、いいこと言いながらひどい言葉を混ぜるの、やめません?」

 事実すぎて反論出来ないのは確かだし、する気も湧いてこないからそれはそれでいいんだろうけどさ。
 そうだよな。
 支柱だからって一人で背負う必要はないんだし、支えるものがあるからこそ“支柱”っていうんだ。建物が支柱と、その周囲とで出来ているのなら、それは国も同じだ。それを理解した上で、自分らしくあればいい。

「………」
「一刀?」

 何もない宙を仰いでしばらく思考。そのさなか、隣の華琳が黙った俺へと声を投げかけると、苦笑しながら牛へと視線を戻した。

「いやさ、この世界に降りてからこれまで、いったいどれだけのことを学んで、どれだけのことをこれから学ぶんだろうなって」

 学ぶことが多すぎる。
 刃物を向けられる恐怖から始まって、女性の強さを知って、真名の怖さを知り、目の前の女性のことを知り。仕事の在り方で怒られて、些細なことでも何度も怒られて。その度に知って、学んで、それでも全然足りなくて。
 お陰で頭の中は学ぼうと努力することを覚えてはくれたが、他人のことでなら懸命になれるくせに、自分のこととなると諦めるのが早い自分は……たぶん直しきれていないのだと思う。
 そんな自分が国の支柱になるのだという。
 振り返るように思い返してみれば、可笑しくて笑ってしまう。
 ───なのに、この気持ちに嘘はないのだから、そんな笑いも中途半端に消えるのだ。

「どれだけでも、何度だって学べばいいわよ。その理解の数だけ、国に返せるのだから」
「…………うん」

 そうだよな、華琳の言う通りだ。
 知れば知っただけ、この世界のことを理解出来る。
 理解出来ればどうすればいいのかももっともっと判断出来て、それが国のために繋がる。
 そういう需要と供給で出来てるから、俺達は信頼し合える。
 ……蜀で桃香とそういう話をしたっていうのに、まったく俺ってやつは。

「ん、よしっ、少しすっきりした。ありがとな、華琳」
「感謝の気持ちがあるのなら、それは結果で表しなさい」
「了解」

 意識しないようにしていても、やっぱり自分は少し切羽詰った状況にあったのだろう。今は肩の荷が下りたみたいにすっきりとした考えが出来て、そんな状態で考えるこれからが楽しみですらあった。
 そんな気持ちを表すように元気に乳搾りに参加して、言葉少なくだけど不快な気持ちも空気もないままに乳搾りを続けた。
 途中で七乃に絞り方を教えてもらった美羽が、得意げに「主様には妾が教えてあげるのじゃ」と言ってきたりもして、苦笑しながらも教えてもらいながら。
 そうやって黙々と絞り続けて、一定量溜まった牛乳をおやっさんのもとへ。きちんと話を通して、代金と引き換えに今まで溜めておいてくれた牛乳も合わせて受け取ると、感謝を伝えつつ帰り支度。

「案外あっさりと終わったわね」
「時間にしてみれば随分と経ってるだろうけどね」
「……そうね。初めてだったから早く感じたのでしょうけれど、慣れてしまった時のことを考えると楽ではないわね」
「ん」

 幾つかに分けて、結構な量の牛乳を馬に背負わせる。
 馬が嫌そうな顔でこっちを見た気がするが、ごめん、少しの間だけ我慢してくれ。
 さてと、それじゃあそろそろ帰───って七乃と美羽が居ない。
 きょろりと見渡してみれば、穏やか笑顔のおやっさんに出来たて牛乳を受け取った美羽が、腰に手を当ててごっふごっふと飲んでいた。

「な、七乃ー? 美羽ー? もう戻るぞー?」
「あ、ちょっと待ってくださいねー。ほ、ほらお嬢様っ、もう帰るそうですからっ」
「ぷあはーーーっ、美味いのじゃーーーっ! 蜂蜜水以外にも、斯様に美味なる飲み物があったとはのっ! 聞いたことはあったが、これは今まで飲まなかったことを惜しむべき味なのじゃ。よい牛を育てておるの、褒めてつかわすのじゃっ」
「ふふっ、これはこれは……ありがとうございます」

 おやっさんは牛を褒められたことで今までで一番のいい笑顔で微笑んで、一方の美羽は口周りを牛乳で真っ白に染め上げながら、上機嫌で笑い返していた。
 喜んで貰えたなら、それでいいのか……な? と、とにかく今は少し時間が惜しい。
 流琉に頼んでおいたあれも出来る頃だろうし、出来れば出来たてがいい。

「一刀?」
「ごめん、ちょっと急ぎの用事があるんだ。出来れば急いで帰りたい」
「………」
「あからさまに不服そうな顔で睨まないでください。これは華琳に関係があることなんだ」
「……? 私に?」

 怪訝そうな顔をする華琳をよそに、戻ってきた美羽と七乃が馬に乗る。
 ……美羽の口周りが真っ白なままなのは、ツッコまないほうがいいのかな、七乃サン。そんな視線を送ってみると、キラキラ輝く瞳で“もちろんじゃないですかっ”と返された。もちろん言葉もない、アイコンタクトで。
 それに気づいた華琳がなんとはなしに美羽を見た途端、肩を弾かせて顔を逸らした。
 既に馬に乗っていた俺の脚の間に跨った彼女が、どうして俺の胸に顔を埋めて震えだしたのかは……ええとその、訊いてやらないほうがいいのだと思う。

「? ……よく解らぬが……のう主様?」
「ん? どうした?」
「これで、前の時の嫌な空気は少しは拭えたかの」
「───……ああ。もちろん」

 彼女も彼女で気にしてはいたのだろう。
 忘れないためにとは言っても、拳骨された後悔をずっと覚えているのは辛いことだ。
 それでも彼女は笑顔で、嬉しそうに燥いでいた。
 辛い思い出だけを教訓にするのって、やっぱり苦しい。
 そこにきちんと温かさを混ぜる方法を、美羽は知っていたのだろう。
 ……ほんと、学ぶことが多い世界だ。
 説教した相手に教わることなんていくらでもある。
 自分もそうであるつもりであっても、ふとした時に忘れる考え方なんていっぱいある。
 そういったものを忘れないためにも、俺も……きちんと覚えておこう。
 また浮き足立って迷っても、今日という日を思い出して。


───……。


 ……さて。
 ひとしきり華琳が笑っ───もとい、震え、治まってしばらくした今。
 無事に許昌に戻った俺達を待っていたのは、にっこり笑顔の流琉だった。
 何故流琉が待っていたのかを考え始める華琳だったけど、すぐに俺を見て「何を企んでいるのかしら」と不敵な笑みで仰った。企むというか……まあ、企んでるか。ひとまずそんな視線には「まあまあ」と返して、流琉に訊ねるのは「出来てる?」という一言だけ。返ってきた「はい、ついさっき」という言葉を受け止めるや、ならばと急いで厨房に向かった。

「ちょっと一刀、なにが───」
「いいからいいからっ! えっと生クリームはこっちの容器だったな。よしっ」

 まだ温かいそれを振るいながら、馬を戻して厨房への道を走る。厨房に辿り着く頃にはいい具合に生クリームが水分と固体とに分かれており、そこに軽く塩を混ぜてから静かに混ぜ、十分に水分を取れば───香り良いバターの完成である。
 もうお解りだろう……そう、流琉に頼んでおいたのはパン! これに出来たてバターを塗って食べてもらう! 地味であり料理とはおよそ呼べないものだが、だからこその美味がここにある!
 流琉が急いで出してくれたパンを食べやすい大きさにカット。
 そこに出来たてのバターを塗り、「さあっ!」と突き出す!!

「……これが企み?」
「食べてくれ!」
「あのね一刀。わたしは」
「た・べ・て・く・れ!!」
「……な、なんだというのよ……」

 華琳のことだ、出来たてのパンが香ばしくて美味いことくらい知っている。
 三国時代の歴史でも主食とまではいかないものの、結構食べてたっていわれてた筈だし、パンは知ってて当然だ。
 けどバターは違う筈。
 ならばこの新しい味を、少しでも新鮮なうちに!!

「……〜〜……」

 しぶしぶといった感じにパンを受け取ると、それをさくりと食べる華琳。
 小さな口がパンを千切り、さくさくと咀嚼し───

「!!」

 仕方が無いとばかりに面倒くさそうだった目が見開かれ、頬には軽く赤みが差し、パンを見ながら固まった。……と見せかけて口は動いて、やがてコクリと嚥下。直後に俺をキッと睨み…………なんだか悔しそうな顔をしてから、今度はさくさくとパンを食べてゆく。
 その反応だけで十分です。
 してやったり顔で流琉を見ると、驚きの表情をしながらも俺を見上げる彼女とハイタッチをする。

「兄様、これは?」
「よくぞ訊いてくれました! その名も───バター!」

 マーガリンではなくバター。
 出来たてのパンにはやっぱり出来たてのバター! 市販品とは違うこの味を、是非!
 ……などと心の中で宣伝していないでと。

「一刀、作り方を教えなさい」
「もう食べたの!?」

 どこかそわそわした華琳が、やっぱりちょっと悔しそうな顔で俺を睨む。
 えと……美味しかったから作り方を訊いてる……んだよな? なんで悔しそうなんだ?

「すごいです兄様……こんなにあっさりと華琳さまを味で納得させるなんて……」
「あ」

 あ、あー……つまりはそういう……こと?
 強引に突き出されてしぶしぶ食べたものが美味しかった……それが悔しかったと?
 ……華琳って結構負けず嫌いだね。

「美味しかったか?」
「……ええ。“あいす”にも“ぐらたん”にも驚かされたけれど、食べたことがあるものでこうまでの味の変化を見せつけられるとはね……」
「そ、そっか」

 恥ずかしそうに頬を染めて、しかししっかりと味を認めてくれた華琳。
 でもやっぱり素材の良さだし、“料理”とは言えない点を考えると自分で美味さを表現した気分になれない。今一歩足りないというのか、うーん……。
 いつかきちんとした料理で“美味しい”って言わせたいもんだ。
 その時もこんな、少し悔しそうな顔をしたりするのだろうか。

「な、なによ」
「ああいや、なんでも」

 想像してたら自然と頬が緩んで、そんな表情のままに華琳を見つめていた。
 よし、気を取り直して作り方だ。特に難しいこともないし、デザートを作りながらでもささっと説明しちゃおうか。流琉も興味津々で見つめてきてるし。


───……。


 そんなわけで───厨房ではささやかな試食会が開かれていた。
 バターとパンの香りに誘われた食いしん坊さんを始め、勘で辿り着いたご隠居さんや、それに付き添っていた美周郎さん、そして小さな赤髪の食いしん坊さんと一緒に来た美髪公、数えればきりがないほどの方々が厨房に集い、出来た傍から一口ずつデザートを味見してゆく。
 ……ええはい、全員分作るの無理です。材料が足りない。というか生クリームの大半を華琳が取っちゃった。よっっっっっぽど、バターがお気に召したらしい。

「ちなみに華琳、そのバターを多めに使ってハンバーグをじっくり弱火で焼くと、かなり美味しく仕上がるぞ」
「……応用が利くのね……《きらきら……!》」

 で、その華琳なんだが……自分で作ったバターが入った容器を手に、おもちゃを手に入れた子供のような瞳をきらっきら輝かせていた。
 やばい、こんな華琳初めてだ。
 食のことでは多少人が変わるのは知ってたけど、ここまでなのは初めてだ。
 パンをパンのままでしか食べず、しかも今まで食べたのは硬いパンばかりだったというのだから、今回のは随分と衝撃的だったのは解るけどさ。でも……ちょっとだけ、その……あの。

「………………ハッ!」

 い、いやいや、撫でたくなったりなんかしてないぞ? 珍しく子供っぽい華琳をそんな、いい子いい子したいだなんて。───落ち着け俺、なんかいろいろと安心した所為か気が緩み始めてる。気をしっかり持て、おかしな気は起こすんじゃないぞ〜〜……!!
 そ、そう、いっそ一度無我の境地に! 欲を無くして仏の領域に達するつもりで! だだだ大体気安く頭を撫でたりしてみろ! 春蘭や桂花が黙ってないし、今のこの状況じゃあ二人きりになんてなれないし、二人きりの時でもなければそんなことは出来っこないし、出来たとしてもまたビシッと額を叩かれたりして……いやそもそも今の華琳を可愛いと感じたわけであって、二人きり時にまたこんな顔を見せてくれるとは到底思えないしあぁあああああだから煩悩消えろぉおおおっ!!

「ちょっとあんたっ、気色悪いから視界でうぞうぞ蠢かないで見えないところで干乾びてなさいよ!」
「今日初めて交わす言葉が“干乾びてろ”ってお前……」

 いつの間に居たのか、自分の煩悩に頭を抱える俺にツッコむ桂花さん。
 ああでもお陰で戻ってこれた。
 本気で落ち着け俺、煩悩もなにも、支柱になったからってそんなことが起こるわけがないじゃないか。真名も許してもらったし握手もしてきた。それは確かな信頼であり、友としての思い出な筈じゃないか。
 そうだよ、こんな煩悩を友達に向けるのが間違ってるんだ。

  貴方なりの甲斐性というものを見せてみなさい。
  三国を愛し、三国を受け容れ……三国に死する貴方で在りなさい。
  天が御遣い、北郷一刀。

 そっと、華琳に言われたことを思い返してみる。
 俺なりの甲斐性……三国を愛し、三国を受け容れ、三国に死する俺。
 あの時、華琳と絶に誓ったように、真剣に求められれば受け容れようとは思っている。もちろん、半端な気持ちでなんて無理だ。真剣に想い、受け容れ、その上で……もし他に好きな人が出来たというのであれば、その相手を一発殴った上で託そうと思った。
 その時の俺がそんなに簡単に諦められるのかは解らない。考えもしない。
 今は……今の俺に出来ることをしていこう。
 何度も何度でも、同じ覚悟も違う覚悟も胸に刻みながら。

「一刀一刀〜っ♪ お酒ないのお酒〜♪」
「……冥琳。このウワバミさん、なんとかならない?」
「無理だな」
『即答!?』

 そんな覚悟もどこへやら。
 どんな時でも酒を求める元呉王とともに、冥琳の即答に大変驚いた。

「普段からどれだけ心労かけてるんだよ……」
「べ、べつにそんなにかけてなんかないわよー! いつもいつも、そのー……」

 ぶちぶちと言いよどむ雪蓮の図。
 この態度だけでももう十分なんだが、てっとり早く知る方法としてお酒のことならなんでもお任せなあの人に声をかけてみることにした。

「祭さ〜ん、雪蓮がお酒が飲みたいって〜」
「なんじゃまたか。策殿よ、そう何度も飲むのは感心せんぞ」
『───』

 ……で。
 返った言葉に雪蓮がさわやか笑顔を見せ、そのままの表情で汗をだらだらと流した。
 そして祭さん、あなたがそれを言いますか。

「雪蓮……? 酒飲みも無茶振りも大概にしないと、本気で冥琳が心労死するぞ……?」
「うぐっ……だ、大丈夫よっ、だって冥琳、なんだかんだで無茶なことを自分の知識でなんとかするの、好きだしっ」
「………」
「ほんとだってば! なんでそこで胡散臭そうに見るのよもー!」
「日頃の行いの所為だろ」
「《ぐさり》ふぐっ……!」

 あっさりと言葉を返すと、雪蓮は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
 けど……無茶なことをなんとかするのが、か。
 じゃあ場違いだけど、ひとつだけ頼んでみようか。

「なぁ冥琳、ひとつだけ頼んでみたいことがあるんだけど、いいか? あ、もちろん無理だったらいいし、あくまで“頼んでみたいこと”だから」
「北郷……ああ、なんでも言ってみろ。お前には借りがある」
「いや……借りがどうとかじゃなくて、厚意で頷いてくれるとありがたいんだけどな。えと……呉のみんなと美羽───」
「無理だな」
「また即答!?」

 美羽の名前が出た途端に却下だった。
 呉のみんなと美羽との間のぎくしゃくをなんとか出来ないかと訊こうとしたんだけど。

「んー……なぁ雪蓮? 雪蓮は今でも美羽のことが嫌いか?」
「嫌いね。でもまあ……この三日の間、様子を見てたけど……随分と丸くなってて、悪い気はしないわ。一刀に従順で可愛いもんじゃない」
「そう思うんだったら───」
「でもだめ。そういうのってほら、一刀なら解るでしょ?」
「……そりゃ、誰かに言われて許す許さないって決めるもんじゃないだろうけど」
「あ、言っておくけど袁術ちゃんに言ったところできっと同じよ? 今のあの子だったら“一刀がそう言うのなら”〜とかそんな理由で話し掛けてきそうだし。それじゃあもっと許せないわ」

 そりゃそうだ、そんなのは俺だって嫌だ。

「まあこのまま気まずいのも嫌だし、避けられ続けるのもヘンに居心地悪くて嫌なのよ。だから───」
「だから?」
「袁術ちゃんから接触してきて、袁術ちゃんから謝るんだったら許すわ。決定するのはもう蓮華の役目だけど、わたしはもうべつに袁術ちゃんへの恨みとか怒りとかは無いから」

 そう言って、彼女は厨房の卓に肘をついた手をひらひらと揺らして笑った。
 もう恨みも怒りもないって……お、大物なのか暢気なのか……。
 でもまいった。
 俺が、雪蓮がこんなことを言ってたぞ〜なんて美羽に言えば、美羽は俺に言われたからって理由で向かいそうだし……そうなったら雪蓮は許さないだろうし。
 かといってこのまま放っておいても、美羽から話しかけるなんてことがあるかどうか。

「……なるほど。“これ”にも精神的な成長を望むところだが、それは袁術にも言えること、ということか」
「……なるほど。たしかに“これ”には精神的に成長してもらいたいと、結構思ったことがあるけど」
「ちょ、ちょっとちょっと、二人して人のこと“これ”とか言わないでよ」

 困り顔で一応止めに入る雪蓮に「まあまあ」と返して、どうしたものかと考える。
 そりゃあ、美羽はきちんと……少しずつではあるが、以前の美羽よりも成長する努力をしている(……と思う)。呉でどれほどの勝手っぷりを発揮したのかまでは知らないが、知らなくても拳骨する前までの美羽がどれだけ我が儘だったのかくらいは俺にだって解る。
 あの我が儘が人の命を左右していた時代があったっていうんだから恐ろしい。我が身がその場にあることを仮定として置いてみると、ちっとも笑えたもんじゃなかった。
 そりゃ、簡単に許せるわけもないか。

「……? そういえば、っと、話は変わるけど、桃香は?」
「桃香? ああ、あの子ならあそこで華琳に料理習ってるわよ」
「料理を? 桃香が……へぇ……」

 促されるままに視線を動かせば、デザートに夢中な将たちがごったがえす賑やかな厨房の中、釜戸に向かってお玉を手にする王と、それを見守る王が一人ずつ。
 訊けば、「蜀に居た頃から華琳に料理を教わってるのよ」だそうで───ようするに、華琳がいろいろと纏めに蜀に行ってた頃から教えてもらっているってこと……らしい。あの華琳が料理を教えるなんて……もしかして俺は、意外に珍しい光景を目にしているんじゃなかろうか。
 ていうか華琳さん、さっきまでそこでバター手にして目を輝かせておりませんでした?

「うちの蓮華にも一緒に教わったら〜? って言ってみたんだけどね、あの子ったら“必要ありません”としか返さないのよ。せ〜っかく料理の腕を盗んでもらって、美味しい料理をず〜っと作ってもらおうっていい案、思いついたのに」
「自分で作りなさい自分で」
「北郷の言う通りだぞ、雪蓮。お前はやれば出来るんだからな」
「いや冥琳? それはちょっと」

 まるで親ばかのオカンみたいだー……などとは言えるはずもなく。
 続く言葉を出せない俺を、冥琳はただ不思議そうに見つめてきていた。

「……こほん。じゃあ、余った材料で何か適当に作るか。雪蓮、なにかリクエス……もとい、食べたいものはあるか?」
「私、またあいすがいいわ」
「太るぞ」

 どこまで食うんだと言う目を向けてみても、雪蓮は不敵に笑むだけだ。一口ずつって約束のアイスを一人でがつがつ食っている姿は、なるほど……確かに不敵かもしれないが。
 そんな不敵さんが目を伏せ自分の胸に片手を当て、少し踏ん反り返って仰った。

「食べ物ごときに負けるほど、やわな鍛え方してないわよ。だから一刀は安心して美味しいあいすを作って頂戴な。大丈夫大丈夫〜♪」

 ……。
 届ける言葉を頭の中で検索してみた。
 ……検索件数、1。

「冥琳、よく見ていてくれ。天ではこういうことを言うヤツほど太るんだ」
「なるほど、よーく見ておこう」
「ちょっ……ちょっとー!」

 天と言う言葉に明らかな動揺を見せる雪蓮をそのままに、冥琳と軽く笑い合ってから釜戸へ。そこで奮闘している桃香を横目に、俺も腕をまくっ───……たら、まくった腕……ではなく、袖がちょいっと引かれた。
 何事かと振り向いてみれば、少し遠慮がちに俯き、しかしこちらはしっかりと見る蓮華。

「蓮華? どうかしたか?」

 ……ていうか蓮華もさっきまで居なかったはずなのに……この世界のみんな、気配消すのが上手くて困る。
 ともあれ訊ねてみると、蓮華は顔を赤くしながらちらりと……桃香と華琳を見る。

「………」
「………」
「………………」
「………………」

 戻された視線が俺と重なる頃には、その瞳は期待と不安に揺れているようで。
 …………つまり、なんだろう。

(あれか、雪蓮には必要ないと言ったものの、やっぱり教わりたくなったから仲介を頼む……とか?)

 い、いやいや、それなら俺じゃない人にも頼めるだろ。じゃあ───……じゃあ。

「……えと。普通にしか出来ない……ぞ?」
「! あ、ああっ、それでいいっ!」

 間違ってたら気まずいなと思いながらも、言ってみればビンゴ。
 本当に俺に教わりたかったようで、蓮華は顔を赤くしながらも頷き返してくれた。

「………うあ」

 ごめん、アイス作るの少し遅れそうだ〜……と報せようと、卓の雪蓮を見てみれば……雪蓮は楽しそうに手を振り、恐らく酒が入っているのであろう小さな猪口を傾けるとけたけたと笑った。
 ……うん。いつか絶対にデコピンくらいかましてやろう。
 王じゃなくなった彼女なら、そんな些細をすることにももはやなんの憂いも……ない、といいなぁ。自分の思考に溜め息を吐きながら、しかし期待の視線を向ける蓮華に頼られたからには気合を入れてと意気込んだ。
 さて。せめて普通以上になれるよう、少し努力をしてみようか。
 どうせなら、華琳が教える桃香よりも、蓮華が美味しいものを作れるように───!




  …………余談だが。

  のちに完成した双方の料理は、一方が味付けがされてなく、一方が目を離した隙に好き勝手に味付けをするというアクシンデントが起き、双方ともに無理矢理味見役にされた雪蓮にダメ出しをくらった。

  もうひとつ余談ではあるが、味見役に立たされた雪蓮がお腹を壊して華佗の治療を受けることになったのは……まあ、それこそ余談。内緒のお話だ。




ネタ曝しです。  *すぎけんさんば  お馴染みといえばいいのかどうか。忘却の旋律です。  マツケンではないですし、コミックスを見てもこんなネタは無いわけですが。  *バタ〜  ネタというよりは別に知らなくてもいい知識です。  出来立てのバターの美味しさは、かの海原雄山先生も認めるところでございます。  お待たせしております、ギャフター67話です。  もっとぽんぽんとUP出来ればいいんですが、なかなか上手くいかないです。  こうしている間でも船をこぐように眠いです。  集中力が続かなくなってきてるんですね、つまり。  これを書いている今も、早速わけの解らない言葉を発見、削除しました。  早速誤字発見。  “王者”と“好き”を“王じゃ”と“隙”に修正。  “覚悟”が“賈駆後”だったことに噴き出しました。  誤字報告感謝です。  ではまた次回で。 Next Top Back