116/境界

 なんだかんだですっかり陽が沈んだ中庭の景色の中、軽く灯りを揺らす東屋。
 そこに座る華佗を前に、茶を用意してどうぞと渡す。

「すっかり冷めちゃってるけど、まあ不味くはないよ」
「ああ、いただこう」

 俺が淹れたぬるいお茶をスズ……と飲んで息を吐く。
 そうしてから大した間も取らず、彼は切り出した。

「北郷。武道会には出るのか?」
「へ?」

 出たと思えば武道会。
 てっきり医療のことや、以前に言ったゴッドヴェイドォオーへの勧誘のことかと思ってたのに。そんな俺の戸惑いを受け取ったのか、華佗はうむと頷いて腕を組み、こんな会話になる経緯を説明してくれた。

「……なるほど。街で噂を聞いて、それで。でもさ、どうして俺のところに?」

 街で聞いたのは解った。
 が、それで俺のところに来る理由が解らない。
 というか、一刀でいいって言ってるのに。

「ああ。少し気になることがあってな。北郷、あれから鍛錬は続けていたか?」
「あれから…………いや。いろいろあって、あまり出来なかった。氣の鍛錬だけはやってたけど」
「そうか、なら丁度いい。少し手を見せてくれ」
「? いいけど」

 はい、と……東屋の卓越しに手を伸ばす。
 華佗が伸ばされた手を右手で掴み、左手で掌をぐいぐいと押したりして何かを調べているのだが……うん、解らん。指圧してくれてるわけでもないだろうし……いや待て、まさか妙な病気にかかってたり?
 ちょっ……ちょっと待った! 冗談じゃないぞ!?
 せっかくこの地でもう一度ってところまでこれたのに、こんな時に───!

「北郷」
「あ、ああっ、なんだっ!? 俺、もしかして死ぬのか!?」
「…………い、いや。死にはしないが……」
「……あれ? そうなの?」

 思考が飛びすぎていたらしい。
 冗談とも受け取れない俺の迫力に、華佗が思い切り引いてらっしゃった。

「……北郷。原因までははっきりと解っていないが、伝えたいことがある」
「ん……? なんだ?」

 病気とかでもないらしい。
 ただ華佗自身も理解に至ってないって様子のままに、次ぐ言葉を発する。

「親しい者と顔を合わせるたび、変わらないなと言われないか?」
「え……ああ、言われる。結構鍛えてる筈なのに、変わらないな〜って」

 氣は大きくなった、とは言われることもあるんだが。
 どうしてか筋肉はあまり変わらないようで。

「お前の筋肉だが……呉で見た時と、まるで、全く変わっていない」
「───へ?」

 変わって…………エ?

「変わったのは氣のみだ。お前の体は、まるで鍛えられていない」
「ちょっ……ちょっと待った、なんだそれ。筋肉痛とか味わったのに、まったく……?」

 俺の疑問にあっさりと「ああ」と返す華佗。その顔には……冗談が一切含まれていない。

「どういう意味だ……? あ、いや、意味は解る。筋肉がまるで成長してないって。でも、じゃあ……なんで?」

 首を横に振られる。そりゃそうだ、医者だからって相手の不安をなんでも説明してくれるわけがない。

「以前はどうだったんだ? 天に戻る前は」
「以前は……うう」

 今ほど真剣に鍛錬などしなかった。
 だから筋肉がついたかどうかなんてのはひどく曖昧だ。
 その頃から御遣いの氣ってものに支えられてた自覚が、今ならあるにはあるが───

「ごめん、覚えてない。魏将相手に軽い立会いめいたものをやったことはあるけど、どうせ負けるんだって半端な気持ちでやってたから」
「……そうか」

 思えば随分と不真面目だった。
 あの頃からもっと鍛えておけばよかったと後悔が浮かぶ。
 曖昧のままにその頃のことと今の自分の状態を説明してみても、華佗は眉を顰めるだけ。しかしながら思考を回転させて、予想の域を出ない言葉でもきちんと話してくれる。

「そうだな……今の北郷はまるで、氣と意識だけがここにあるような感じだ」
「え? 幽霊みたいな?」
「いや。体はきちんとここにある。あるが、まるで体の時間は止まっているような……」
「………」

 …………あれ?
 ちょっと待て? 体の時間が……?

「………」

 乱世の頃、時間をかけて天下を統一した。
 服だってぼろぼろ、いろいろな経験をしたし、思ったよりも長い時間を生きた。
 なのに───……家族の反応は、どうだった?

(服がところどころ痛んでいたことに驚かれた。でも……)

 ───待て。待て待て待て。
 俺は……あの頃、そして戻った今でも、この世界で一度でも───“髪を切ったか”?

「あ……れ……?」
「北郷?」

 体が震えている。
 考えてしまった事実に、頭が追いついてくれない。
 けど、予感や判断材料はあったはずだ。
 俺が天に戻った時、時間は少しでも動いてたか?
 服は確かに汚れた。けど、それは“体の時間”とは関係のないものだからだ。携帯だって壊れた。壊れて、そのままだった。
 じゃあ体は? そりゃあ擦り傷切り傷を負った。言った通り、筋肉痛だって味わった。
 でもそれは氣ってものや感覚が覚えていたもので、もし本当に体が成長するためのものではなかったのだとしたら───

「………」

 体は鍛えた分、天で成長してるかもしれない。
 それは、以前ならばごく僅かだからこそ家族に気づかれなかった程度で、今回は別かもしれない。じゃあもし天に戻ったら、急にゴリモリマッスルになったりするんだろうか。……それは、さぞかし驚くだろうな。主に及川が。

「なにか心当たりはあるのか?」
「……予想でしかないけど、一応」

 周りに誰も居ないことを確認したのち、一応思春の氣も探ってから……話し始める。
 今の自分が予想したことの全て。
 もちろん予想でしかないないのだが、華佗は真面目に受け取り、何度も頷いていた。

「天でのことはよく解らないが……そもそもお前が天から降りてきたこと自体が不思議な現象だと俺は思っている。そこになんらかの不可思議が混ざったところで、それはそういうものだとしか受け取れない」
「……そうなんだよなぁ」

 そうなのだ。
 何がどう起こっていようと、これから起きようと、俺はそれを受け入れることしか出来ない。何故って、どういう原理でそんなことが起こっているのかさえよく解っていないのだ。

「えっとつまり…………そういうことなんだよな?」
「そういうこと、というのが何を差すのか……予想はついているつもりだが……」

 辛いと言えばいいのだろうか。悲しいと言えばいいのだろうか。
 この世界はお前の本当の世界ではないと言われているようで、寂しくなる。

「覚悟は決められそうか?」
「今までで一番辛い覚悟になりそうだよ。なにせ───……」

 いろいろなものを見届けなければいけないことになりそうだ。
 その中で俺は何度泣くのだろう。
 それを考えるだけで、胸を突く痛みは大きくなるばかりだった。

「華佗。このことは───」
「大丈夫だ。医者は個人の秘密を他者に漏らしたりはしない」
「……はは、これが医療と関係あるかは解らないけど、助かるよ」
「ああ」

 ふっと笑い、華佗が息を吐く。
 ……まさか、こんなことを話すことになるとは思わなかった。華佗も、こんなことを聞くことになるとは思わなかっただろう。

「えと……」

 深呼吸をひとつ、静寂が辛くなったので話を振ることにした。
 えぇと、話題話題……そうだ。

「俺の体ってさ、鍛えても筋肉はつかないんだよな? でも氣は鍛えられてる」
「ああ。鍛えたなら強くなると思いがちで、勘違いをする時もあるとは思うが───筋肉はついていない」
「《ぐさり》……あ、ああ……」

 つまりあれですね? 少し筋肉ついたなーとか思ってたのは、通販とかで高い金を出して手に入れた賞品を使った際、なんとなくよくなったと思いたい見栄みたいな……アレですね? うう、なんか鏡の前でポージングを取ったりしてた自分が恥ずかしい。

「じゃあつまり、俺がこの世界で強くなるには───」
「氣をとにかく充実させることと、気脈を広げること。さらには氣の扱いに慣れること。あとはお前自身がどれだけ相手の動きを見切れるか。それだけだろう」
「……走った日々とかは無駄だったり?」
「いや、無駄ということはない。動きながら氣を意識することで、確かに氣の流れを操れるようにはなっている筈だ」
「そ、そか」

 それを聞いて安心した。無駄だったなんて言われてたら泣いてたよ。

「はー……」

 そっかぁ……体は鍛えても無駄か、天の体に蓄積されているか、かぁ。
 でもな。殴られれば痛いし痛覚はきちんとあるのに、この体が本物ではないって言われてるみたいでこう、妙に違和感が。それについて訊いてみれば、

「行動するからには体が必要で、その体は天から降りたお前がこの世界で動くための器のようなもの、と考えればいいんじゃないか? 体というものは本人が気づいていないだけで、氣や意思といったもので動いている。それらはひと纏めにしてみれば、“命”としか言えないものだ」
「……ん、んん……?」
「心臓が止まれば死ぬ。心臓が無事でも筋が切れれば手は動かない。血が無ければ死ぬし、だがそれ以前に生きている意思が無ければ体が満足な状態であったところで機能しない。人というのはそういうものだろう?」
「まあ……確かに」
「医者としての考えでも普通の考え方でも、どれだけ考えようと確信に至れないものなど山ほどあるが───解っていることはあるにはある」
「それは?」

 こっちは解らないことだらけなんだが。
 そんな気持ちも込めて訊いてみれば、

「北郷。お前は確かに生きているということだ」

 と返された。
 ……当然といえば当然のことだが……なるほど。この体がどうなっているのか、と考えるよりも、生きて大切な人の傍に居ることを考えるのも悪くない。
 解らないなら解らないなりに、か。
 あれ? でも待てよ?
 俺が天に戻った時、天の時間はてんで流れてなかった。
 ハッと気づけば教室に居たんだ。学校に行く前に確認した日のままだった。

「……あのさ。この体、ちゃんと俺のだと思う」
「? どういう意味だ?」
「前に天に戻った時だけど、時間が全然経ってなかったんだ。この世界であれだけの時間を過ごしたのに、全然。それって俺が……えぇっと、おかしな話になるけど───」
「ああいい。話してくれ」
「……ああ」

 一度頭の中を纏める。
 時間が経たなかった理由や、氣ばかりが成長する理由。
 おそらく、そんなものはゲームや小説の中でしかありえないこととか考えていたが、現にこんなゲームみたいな現象とともに別の次代に飛んじゃってるんだから…………改めて考えてしまえば、今さらすぎて逆に笑えてしまう。

「俺は天で生きるべき存在だから、天以外では時間の流れに影響されないんじゃないかな。傷が出来れば治るけど、それは成長じゃなくてあくまで治癒。氣が成長するのは、氣ってものが体の成長に影響されないものだから、とか……」

 自分でも確信に至らないことを並べる。
 纏めたところで何一つ正解に至ってなどいないんだと自分が疑いたくなるようなこと。
 でも、じゃあ説明しきれるかといえば無理なのだ。
 解らないから理解を求めるんだが、そもそも前例がない時点でお手上げだ。

「……確かに産まれた頃から異常に氣が高い者も居る。かと思えば一切の才もなく、氣さえ満足に持てずに産まれる者も。そういった意味では、氣というものは人体の成長にはそこまでの関係は無い、かもしれないが……」
「というか、成長しないのに痛覚はきちんとあるんだからたまらないよな……」

 どうせなら、不死身の男! 北郷一刀であるー! って勇猛で居られれば………………ああ、なんか無理だ。不死身であっても怖いものは怖い。春蘭の眼力ひとつでヒィと叫んで逃げる自分しか想像出来ないや。

(……成長しない、か)

 他にも居たりするんだろうか。
 俺みたいにわけも解らずこういう世界に飛ばされて、歳もとれずにずぅっと世界を見守ってるような存在が。
 居たら友達になれたりするだろうか。
 そんなことを考えたら、夢の中に出てきた貂蝉が頭に浮かんだ。
 ……いや、いやいやいや、さすがにそれはないだろっ……なぁ!?

「………」

 “でも”、だ。
 もし貂蝉や、貂蝉が言ってた“彼”……左慈が、そんな存在だとしたら……。

(俺、どうするんだろうな)

 外史の肯定と否定の具現として生まれたと聞いた。
 生まれたって、どうやって? 俺はこの地で“産まれた”って過去を持たないから、“生まれた”というのなら降りた瞬間だ。
 どんなきっかけがあるにせよ、こうして降り立って前を見た。
 この世界を愛している。一緒に歩ける人を、手を繋ぐみんなを愛している。
 そんな世界を終わらせたくないという自分を自覚した時点で───

(……そっか)

 俺は肯定者なんだ。
 他の外史がどんな行動を取っていようと関係無い。
 俺はこの世界の終わりを認めたくはないだろうし、続いてほしいと思う。そう思った時点で俺は肯定者として生まれていて、そして……いつか来るであろう、左慈ってやつの敵なのだ。
 そして、そう自覚するもっとずっと前から、左慈にとっての俺は敵でしかない。
 どんな目的があったにせよ、必要だった銅鏡ってやつを盗んだところを俺に邪魔されたとなれば、相当に恨んでいる筈だ。なら───

(強くならないとな。相手がどれほど強いか解らない上に、こんな幸せを噛み締められる世界を否定しようっていうなら。俺とあんたは敵にしかなれない)

 説得が通じるのなら、きっと肯定者である貂蝉がとっくにやっていた筈だ。
 なのに今でも否定を続けているのなら、つまりは力ずくで納得させるしかないわけだ。

(ははっ……)

 なんだろうな、この状況。
 俺と桃香が似てるって自覚があるからなのかな。
 この状況……まるで、自分の夢の前に華琳って壁が現れた時の桃香じゃないか。
 力じゃなければ納得させられないなんて………………辛いな。辛いけど……。

(───譲れない)

 ずっと考え事をする俺に、華佗が困惑の視線を送るが……俺は深呼吸をするとニカッと笑ってみせて、もう一度深呼吸をしてから……心静かなままに胸をノックした。
 強くなろう。
 いつ来るのかなんて解らないし、あの貂蝉自体がやけにリアルな夢でした、なんてオチもあるかもしれないが───それでも、今自分に出来る全てを以って、この世界を肯定する。

(……目標、出来た)

 きっとずっと変わらない目標。
 この国を、大地を、人々を愛し、この世界を肯定し続ける。
 冷静に考えれば本当にファンタジックな話だし、裏付けるものなんてそうそう無いのも事実だけれど。ファンタジー……幻想に裏づけなんて必要ないのだ。起こらないことが起こるから幻想。そう思って受け入れれば、受け入れた分だけ意味を以って頑張れるのだから。

「よしっ!《ばちーーん!!》っ……いァッ……!!」
「ほ、北郷……!?」

 両の頬を思いっきり、本当に思いっきりブッ叩き、喝を入れる。
 あまりの痛さにヘンな声が出て涙も出たけど、そんなものは無視だ。

「華佗っ、氣が異常に高いお前にお願いがあるっ!」
「あ、ああ。俺も元々その話をするために、武道会の話を持ち出したんだが……」
「え? そうなの?」

 涙で滲む視界をグイッと拭って、きょとんとする。
 そんな俺を華佗は苦笑で迎え、

「筋肉がつかないのなら氣を強化するしかないだろう。そういう話をするために、筋肉の話をしたんだ」
「……で、俺が急に勘違いをして話を逸らしたから今の状況があると」
「ま、まあ、端的に言えば」
「………」

 素直にゴメンナサイと頭を下げた。


───……。


 さて。
 そんなわけで話を振り出しに戻して、氣の話。

「北郷。お前の氣は天と地の両方で成り立っている。他に類を見ない希少な氣だ」
「ん……あまり実感ないけど」

 手に氣を集めてみる。
 右手に力、左手に守りといった感じに。
 それを胸の前でパンッと合わせてみれば、輝く氣の完成である。

「氣が輝くか。燃え盛る氣を見たことはあるが、輝くものは初めてかもしれないな」
「そうなのか? ……燃え盛る氣っていうのは身近に覚えがあるけど」

 氣弾で看板ブチ壊して悪者を捕まえてきて、犬のようにハウハウと笑顔だった誰かさんとか。うん、思い出さないようにしよう。

「だが、それはまだ完全じゃない」
「へ?」

 ホォオアァアア……と、アニメとかであるように輝く氣を右手に纏わせたまま、奇妙なポーズを取っていた俺へと言葉を投げる華佗。
 完全じゃないとはいったい? 軽く考えてみたが、よく解らない。

「そもそも、一つの体に氣があるというのに、力と守り、一つずつを出せることが異常だ」
「……あ」

 言われてみればそうだ。
 体はひとつなのに、氣だけは二つ。
 天だ地だとどれだけ言っても、別々に出せるのは逆に怖く感じる。

「そこで、さっき手を見せてもらったわけだが───やはりお前の中には気脈が二つ存在している。ようするに力と守りの気脈だな」
「今さらだけど、それって大丈夫なのか? なにかの拍子で弾けて、気脈が潰れたりとか」
「もちろんある」
「あるの!?《がーーん!》」

 怖っ!? じゃあ下手したら俺の体、破裂してたかもしれないってこと!?
 こっ……これからは気をつけよう……! 本当に……!

「え、えええぇえっとぉおお……!? かっ……完全じゃないってのは、つまり……?」
「ああ。つまりお前は氣を出して本気で向かう際に、二つの氣を出して合わせなければ本気が出せない。闘うのにまずひとつの行程を終わらせなければいけないんだ」
「あ」

 またも、言われてみればそうだった。
 その行程も木刀に氣を流すことで合わせてたから、特に気にしてなかった。
 だって両手持ちですもの。

「じゃあ、完全ってのは」
「そうだ。気脈をひとつにして、最初から攻守の氣を使えるようにしてやればいい」
「おおっ……! …………OH? あれちょっと待て? それって、失敗すると───」
「ああ。破裂するな」
「え、笑顔でしれっと!」

 やっぱり怖っ! 怖…………怖い、が……。

「それで強くなれるのかな」
「最初は持て余すだろう。だが、扱い方さえ間違わずに順応させれば、二つ分の気脈の分、さらには一つの行程を終わらせる必要がない分、力強くも素早くも動けるようになるだろう」
「…………《ごくり》」
「俺ならその手助けをしてやれると思ってこうして来たんだが……最終的な判断はお前に任せる。こればかりは本人の意思がなければどうにも出来な───」
「やってくれ!」
「………」

 華佗の言葉が終わるより先に、そう言って返す。
 守るため、愛するため。なにより自分のために、自分の責任で以って受け止める。
 強くなれる可能性を捨てるなんてことはしない。
 強くなって、一歩でも理想の自分と理想の未来へ近付くために……躊躇も恐怖も捨て去って、真っ直ぐに華佗の目を見た。

「……よし。ならばもう問答は無しだ。俺の針と五斗米道の力を以って、お前の氣をひとつにする!」
「ああ、やってくれっ!」

 言うや否や、華佗が席を立ち、俺にも立つように言う。
 次に促されるままに卓の上に仰向けに寝そべり、先ほどよりも一層に険しくなった華佗の顔を見上げる。やさしさといった甘い感情は脇に置いたまま、一度目を片手で覆い───スッと払うようにどかした手の先には、異色に輝く瞳。

「はぁああああああああっ……!!!」

 途端に華佗の体から氣が溢れる。
 傍に居るだけでも息を飲むほどの氣の流れに思わず息を飲むが、その氣がどんどんと収束してゆく。思わず感覚で辿ってみれば───それは全て、彼の目へと集っていっていた。

「必察……! 必治癒……!」

 いつ聞いても必殺必中としか聞こえないその言葉にやはり息を飲む。
 さらに、目に集う氣が俺を内部まで視線で射抜き、俺の気脈の流れを凝視する感覚。
 彼の氣を追えばこそ感じるその感覚に、不思議と安心を感じるのは何故だろう。
 気づけば物騒な言葉に聞こえた言葉への恐怖など消え、身構えることもなく、構えられた鍼が落とされるのを安心して待っている自分が居る。
 ……なるほど。これは、華佗なら必ず成功させるって確信の表れなのだろう。
 でも正直、鍼で刺されるのは怖いです。

「───見えたっ! 我が身、我が鍼と一つなり! 二つの気脈が重なる位置を、我が鍼を以って一つと成す! 元気にぃぃいいい……なぁああれぇええーーーーーーーっ!!!」

 元気ですが!? とツッコミたくなる自分を我慢し、落とされる鍼を見送った。
 それが落とされたのは───なんと心臓付近。
 ズッ、と突き刺されたソレが一気に摘んでいる部分まで埋まると、鋭い痛みとともに体の中で熱が暴れた。

「っ───!? あ、あぐ、あっ……!? あっ……つ……!!?」

 熱い。
 焼き鏝を押し付けられるとまではいかないまでも、熱湯をぶちまけられたような熱が心臓から広がる感覚。熱をなんとかして体から出したいのに、華佗がそれを制止する。

「かっ、……だ……!?」
「堪えるんだ。今、体の中で二つの氣が融合している。下手にどちらかの氣を閉ざすようなことをすれば、今まで均等に育てられてきた攻守の氣に乱れが発する」
「そ、んなっ……だってっ……! 無茶、言、う……あっ! がっ、あぁああああっ!!」

 熱い……熱い、熱い熱い熱い!!
 焼け爛れるような熱じゃないのに、ただ熱くて苦しい! いっそ焼き爛れれば熱いって感覚からも逃げられるだろうに、この熱はそれを許してくれない!

「無茶を言っていることは解っている。だが、無理矢理にでもいい。ゆっくりと……氣を落ち着かせてくれ」
「っ……こ、んのっ……!」

 本当に、なんて無茶を言いやがるのか。
 熱さのあまりに暴れ出したい自分さえ抑えているというのに、これからさらに氣を落ち着かせろと言う。というかむしろ気絶でもさせてくれた方がありがたい……! ……のに、なんとか言葉として放ってみれば、「気絶したら死ぬ」のだそうです。
 けどっ……けど、落ち着かせればこの熱さから逃れられるかもしれない。
 だったら、苦しくてもやらないと……やらないと、心が折れる……! 折れたら、そのまま自分が壊れてしまいそうな気がする……!

(そりゃ、そんな簡単にっ……強くなれるとは、思ってなかった、けど……さっ……!)

 ギシギシと歯が軋む。
 その音でようやく自分が歯を思い切り食い縛っていることに気づいた。
 息は荒れ放題。
 指はミチミチと拳を作り、今にも掌の皮膚を貫きそうなほど力んで。
 しかし……意外にも、暴れることだけはしなかった。
 これだけ自分の意思の外で動いてくれているっていうのに、この体は……。

(無意識下でも、強くなることを諦めたくないのか……)

 さすがに呆れた。
 呆れたのに、荒い息が一度だけ大きく息を噴き出した。
 そう。笑ったのだ、こんな状況で。

(呼吸を……!)

 荒れる自分の中を、自分の意思でコントロールしようと努める。
 息を吐ききろうとする時、人はほんの少しだけ熱というものを和らげてくれる……そんなことを何処かで見たか聞いたかした気がする。だから、荒れる呼吸を無理矢理整えることも含め、さらには熱を吐き切る意味も込めて、長く長く息を吐いた。
 その、ほんの僅かな……本当に小さく、感じる温度が下がった気がするってだけの錯覚にも近い瞬間に、

(氣を───!!)

 迷うことなく氣を落ち着かせにかかる。
 しかし当然、そんなに容易く落ち着いてくれるわけもない。
 すぐに戻る熱の感覚に叫びを上げそうになるが、再び噛み締められた歯が言葉を発することを許さなかった。

「ぐっ、くっ、ぐ、ひっ……ふぐっ……! ふー! ふーっ……!!」

 自分の中の熱と戦う。
 コメカミ辺りに激痛が走り、視界がチカチカと点滅し出す。
 それでも意識はただただ氣を落ち着かせるためだけに───!

(っ……くっ……!)

 熱に堪える中である程度の覚悟が溜まれば、再び息を吐き続け、錯覚にも近い小さな体感温度差の中で氣を落ち着かせにかかる。それを、落ち着いてくれるまで何度も、何度も。
 その過程で、いつか祭さんとやった錬氣術講座の中で起こった現象が何度か起こったが、舞い降りた天使さんには早々に退場してもらった。

「っ……〜〜〜〜っ……つ……っ……はっ……!!」

 ……やがて、峠を越える。
 氣を落ち着かせ続け、ようやく訪れた脱力の瞬間に体が歓喜したのを感じた。
 手はとっくに血塗れで、体中は汗だく。
 どこにそれだけの水分があったんだってくらいに汗も涙も流し放題で、息苦しくてなんとか拭った口と手には、真っ赤な泡が付着していた。なるほど、こりゃ死ぬわ。
 歯を食い縛りすぎたんだろう、どこかが破裂したとかではなく、歯とか歯茎が痛い。
 氣を落ち着かせることに集中しきっていた所為か、息はとっくに整っているものの……全身はもう疲労で一杯だ。立ち上がるのでさえ難儀しそうなほど。
 しかしそんな体に、一度抜き取られた鍼がトストスと落とされると───今度は疲労しかないと言っても過言なんかじゃなかった体に力が宿る。
 疲労が逆転して活力になるような、そんな奇妙な感覚だ。

「か、華佗? これってあでっ!? いだっ、いたたたたっ!? あ、あいーーーっ!?」

 筋肉が軋む! 筋肉かどうかも解らないけどとにかく筋が吊るっ!! いたっ! なななななんだこれ!

「ああ。氣の熱で痛んでいた気脈に治療の鍼を通した。今日ゆっくり休めば、明日にでもよくなってるだろう」
「そ、そうなのっ……かっ……かかかぁああいだだだだだぁああーーーーーーっ!!!」

 痛さのあまりに、痛みに慣れようと無理していた体が今度は無理矢理普通に戻されようとしている! なんかもう体が突然の変化に悲鳴上げて俺も悲鳴だらけだよ!
 しかしその痛さも、さっきの熱に比べれば全然マシだ。
 少ししたら痛さに慣れてきて、顔を顰めながらも息を吐くことが出来た。

「動けそうか?」
「ちょ、ちょっと待って」

 体を起こしてみる。……起きなかった。
 ならばと指を動かして卓の端を掴むと、力を込めて体を起こす。
 ミシミシと軋みながら起き上がった体で卓から降りる……のだが、足に力が入らずにへたりこんでしまう。

「お、おおうっ……これはまた……」

 足が不自由な人の気持ちってこんな感じなんだろうか。
 ……いや、もっとひどいか。
 こっちはまだ、根性出せば立てないことも…………っく、ぬ、ふぬぅううっ!!

「かっ……〜〜〜〜っ……体が、言うこと聞かない……!」

 足がガクガクだ。
 いったいどれだけ筋肉を緊張させていたのか。
 けれどなんとか立ち上がると、一歩を進んでみて……ズキーンと走る痛みに停止。
 カタカタと震えたのち、また一歩を歩んで停止。
 華佗が見守る中でそんなことを続け、…………結局は肩を借りて、自室に戻ることに。
 うん……無理はいけないよね。素直に肩借りればよかった。


───……。


 というわけで自室の扉の前に戻ってきた俺は、

「ア」

 部屋の中の状態を思い出して固まった。
 待て、部屋に戻っても寝れないんじゃないか? これ。
 でも着替えは部屋の中だもんな……入らないわけにはいかない。
 しかしながら扉を開けるということは、華佗に“俺の部屋の寝台で眠る3人”を見せることになるわけで。そうするとあらぬ誤解が生まれる…………生まれないか。華佗ならそういうことは話さない。そう言ってたじゃないか。

「ん、ん、んんっ……」

 体を少し動かしてみる。
 ……よっぽどさっきの鍼が効果的だったのか、さっきよりは苦しくなく体は動いた。ただし痛いのは変わらない。

「よし……ちょっと待ってて。着替え持ってくる」
「? ここで寝ないのか? お前の部屋なんだろう?」
「う……そうなんだけど。今日はお客さんが寝台を占領しちゃっててさ」
「そうか。好かれているな」
「客=そういう人って考えは、もう誰もが持っているんだろうか」
「好きでもない男の寝台で眠る奴が居るか?」
「…………ああっ、そりゃそうだっ」

 なんだか妙に納得した瞬間だった。
 ポムと手を打ってみれば、ズキーンと痛む俺の体。
 涙を滲ませながらも扉を押し開いて中に入ると、さっきと大して変わらない状態のままの三人。その傍らにあるバッグを手に、やはりギシリギシリと歩いて部屋をあとにする。っと、灯りは消そうな。

(ん……あれ?)

 そういえば今日は美羽が居ないな。
 七乃のところでお泊りかな?

(それならそれの方がいいよな、今日に限っては)

 小さく苦笑して部屋を出る。

「……よし、と。お待たせ」
「ああ。それでお前は何処で寝るんだ?」
「隊舎の仮眠室でも使おうかなって。あそこなら、今の自室よりも狭い思いをせずに眠れそうだ」
「そうか。じゃあ俺も部屋に戻ろう」
「へ? ……部屋、用意されてるのか?」
「ああ。曹操に風邪を引く馬鹿が出るだろうから泊まっていけと」
「………」

 なんでもかんでも見透かしすぎです、華琳さま。
 でも……うむう、確かにこの格好のままだと風邪を引く。
 早く着替えないとな。

「じゃあ、風邪引いたらよろしく頼むよ」
「任せておけ。この鍼と五斗米道の名にかけて、その病魔を滅してやろう」

 頼もしい限りだ。
 出来ればもうあんな痛い目に遭うのはごめんだが、あれはモノがモノだったからだろう。
 そんなわけで華佗と別れて……隊舎へ駆け込むと、途中の見張りに事情を話して通してもらう。何か妙なこと言われるかなーとか思ったものの、兵たちは普通に招いてくれた。

「隊長、また鍛錬ですか?」
「へ? あ、いや、今回はちょっと違うんだ。氣の……開発っていうのかな、あれ」
「開発……ですか?」
「ははっ、いや。仮眠室借りていいか? 空いてなかったらべつにいいけど」
「いえ、空いてますのでどうぞ使ってください。というか隊長、隊長の身でべつにいいとか、あまり遠慮なさらずに。ここは警備隊の隊舎で、隊長の場所でもあるんですから」
「……そう言ってくれると、助かるよ」

 少しだけ遠慮の気持ちが軽くなる。
 ともかく仮眠室へと向かってそこで着替えて、すっかり冷えてしまった体で軽く運動。少しだけ暖まってから布団に入ると、深呼吸をした。

「あの。隊長? まだ起きていますか?」
「ん? おー」

 その深呼吸に合わせるように聞こえた声に返事をする。
 軽い木製の扉の先に居るさっきの兵が、少し遠慮がちな声で訊ねてきた。

「今日はいったい何故こちらへ? いや、はは、隊長の場所でもあるとか言っておいてなんですけど」
「……いや。ちょっとお客さんに自分の寝台占領されちゃってさ」
「…………隊長も大変ですね。いろいろと」
「まあ、楽しいのが救いだし……大変だけど、嫌ではないから」
「そうですか。ははっ……」
「?」

 納得したという感じの返事のあとに、小さく“やっぱり隊長だなぁ”なんて声が聞こえた気がした。やっぱりってどういう意味かと訊き返そうとするのだが───それを口にするより先に瞼が勝手に下り、視界を塞ぐ。
 体はすっかりと脱力状態になっていて、続けられる兵の声も完全に聞き取り切れずに……いつしか、夢の世界へと旅立っていた。


 ……こののち。
 誰かが俺の部屋に忍び込んだりしたらしいのだが、目的の人物を発見出来ないどころか女の子が三人仲良く寝ている寝台を見て暴走。
 三人に悪戯でもしようとしたのだろうが、その悪しき氣を感じ取ったのか急に目を覚ました亞莎に迎撃される。突然のことに訳も解らず逃げ出したその者は、結局何処に逃げたのか捕まえられず終いだそうなのだが……。
 翌朝、何故か擦れ違ったりするたびにギロリと睨んでくる、とある人物が居た。
 とある人物というか、まあ地和なんだが───そんな彼女の頭にたんこぶのようなものが出来ていたことには、触れてやらないほうが身のためなのだと思う。




 お待たせしています、凍傷です。  みなさまご無事でしょうか。  こちらは大きく揺れはしたものの、本がバッサバサ落ちたりテレビがメキミシと嫌な音を立てて軋む程度で済みました。  知り合いとも無事に連絡がつきましたので、ひと安心です。  ……もう一人とは連絡がついていないのですが、きっと大丈夫と信じています。  さて、69話と70話です。  暴露回……と言っていいのでしょうか。  自分の中の外史を纏めるとこんな感じですといったお話です。  あくまで個人の見解なので、自分の外史理論をお持ちの方はあらあらまあまあとスルーしてくだされば。  そもそも左慈や貂蝉が否定や肯定で生まれたと言われても謎です。  どう生まれたのかなーとか考えましたし。  外史って力で、于吉がやるみたいにポポンッと人型を作る感じで生まれるのか、それとも外史に迷い込んだ誰かを肯定者にするのか否定者にするのか。いろいろ考えましたが、自分的には後者かなと。  もちろん別の生まれ方とかもあるのでしょうが……あの姿のまま、ずっと外史を見守っているのなら、やっぱり産まれたというよりは生まれたのかなぁと。  じゃあこんな考え方はどうでしょう。  左慈や于吉や貂蝉や卑弥呼も、別の外史から呼ばれた存在で、それぞれがその世界を憎み、愛しく思ったままに取り残された存在だとしたら、という考えは。いや、強引臭満点かもしれませんが。  否定を糧に生まれたなら人の思念の集合体だ、で片付ければいいんでしょうけどね。  こういうの考え出すと、妙に深読みするタイプの人間なんです、自分。  そのくせ学が無いから妙な方向へと跳ぶこと飛ぶこと。  では、こんなところで。  相変わらず地震が続きます。  節電、募金、小説を書くことくらいしか出来ませんが、またいつか、みんなが遠慮無しにいろいろな“楽しい”で笑える未来が訪れますように。  また次回で。 Next Top Back