121/邪魔というのはいいところで来るもの

 朝である。
 あれから結局俺の部屋にお泊りした恋は、朝になると眠たげに動物たちを連れて出て行った。
 それはいいんだが、部屋が獣の香りで満たされてしまっている。
 俺が窓を、美羽が出入り口の扉を開ければ、流れる外の空気が獣臭を撫でるようにさらう。窓際に立つ俺の傍へぱたぱたと駆けて来た美羽とともに深呼吸をして、朝の体操。
 それが終わると寝巻きから着替え、今日も一日の始まりだ。
 朝食を採って、「ではいってくるのじゃー♪」と上機嫌で歌の練習に出る美羽を見送ると厨房の奥へ。今日の勉強は午後からだから、それまでは時間が空いている。なので自主練習をしていたお料理研究家な人達に声をかけると、料理教室(普通科)の始まりだ。

「では普通の料理教室を始めます。蓮華、桃香、準備はいいか?」
「よろしく頼む」
「うんっ、がんばるよー」

 ジャキリと構えるは包丁。きらきらと輝く、透明だけど白いと唱えたいくらいに眩い朝陽を吸って、ギシャアと鈍く輝いておられる。
 危ないから返事と一緒に人に向けて構えるのはやめてください。

「えー、まず炊事というのは、基礎の基礎から知っていくことから始まります」
「基礎……んっと、お料理の作り方?」
「行程としてはそうだけど、まずは食材の捌き方とかだな。調理する際、盛り付ける皿は先に用意しておくことや、調味料もきちんと傍に用意すること。火を使う料理は特に一分一秒が命。皿を用意しているうちにふわとろオムレツが固まってしまった! なんて悲しいことは絶対に防ぐべきだ」
「ふわとろ……おむれつ?」
「天には変わった名前の料理があるんだな……」

 桃香と蓮華がそれぞれ首を傾げたり感心したりをする中で、中華鍋を用意。
 “蓮華の口調が固いのは緊張の表れだろうか”と考えつつ……まずは食材を刻むのと、薪の燃やし方とかだな。
 人にものを教える際、“教えてもらわなくても出来るよ”は極力スルーするべきだ。教えるのならば最初からしっかりと。そうじゃなければ“普通”の料理を作ることですらとてもとても……!

「野菜はしっかりと土を落とすこと。食べた途端にジャリジョリと砂の食感を味わいたいならそのままでも良し。次に切り方だけど……」

 野菜をまな板の上に置いて切ってもらおうとするのだが、桃香は包丁を両手持ちにしてンゴゴゴゴゴと大きく振りかぶった! “アビリティ:りょうてもち”で攻撃力は倍化だ! じゃなくて待ちましょう!?

「いや待った! 切り方よりも包丁の持ち方から行こう!」
「え? でもでもっ、愛紗ちゃんは野菜を放り投げて、空中で切ってたよ?」
「そんな曲芸みたいなことしなくても切れるから! 大体そんなことしてたら、空中にあるうちに埃とかいっぱいくっつくでしょーが! むしろ両手持ちでそんなの無理だから!」

 緊張の所為かカタカタと震える桃香が、へっぴり腰で「へあー!」と言って振りかぶろうとするのを再び止めた。なんとか止まってくれた桃香を前に、まずはルールを作ることにする。

「……あのな、桃香。料理を作る時は絶対に、教える人の言うことは聞いてくださいお願いします」

 ルールを作るって言葉よりも、お願いって言葉のほうがしっくりくるような言葉遣いになったが、そうまでしてでも受け取ってもらわなければ、教えるこっちが先に参ってしまいそうだ。

「包丁を持つ手はこう。しっかりと握って、でも腕にはそう力はこめない」
「こう?」
「そうそう」

 ───タラララッスッタンタ〜ン♪ 桃香は包丁の握り方を覚えた!
 覚え……おぼ………………本当にこんなところから出発しなきゃいけないなんて、どれほど困難なんだ、このお料理教室……。
 いや、あの歓迎の宴の時に作られた料理もこうして完成したのかと思うと、“厨房よ! よくぞ無事であった!”と感心したくなる。作った本人は、自身の料理の味見で昇天めされたわけだが。

「蓮華は───」
「さすがに包丁くらいは扱えるぞ」

 ちらりと見れば、蓮華は器用に包丁を使い、食材である川魚を一撃で仕留めていた。振り下ろされた包丁が的確に川魚の首を切断。勢いに乗った頭部がドンチュゥウウンと空を飛び、厨房の壁に激突する様を見た。

「………」

 ───タラララッスッタンタ〜ン♪ 蓮華は魚の仕留め方を覚えた!
 あの……“器用に包丁を使い”ってそういう意味じゃなくて……きちんと調理用の包丁捌きを覚えてくださいお願いします……。
 しかし約束した手前、途中で放ることなど出来るはずもない。するつもりもない。なので覚悟を決めて、根気良く、しかし短い時間でも覚えられるであろうことを叩き込んでいったのでした。
 ……ハイ、そうして完成したのがこの惨状です。
 失敗しようがないだろうってことで、二人にはスクランブルエッグを作ってもらった。
 なのに、どうしてそのエッグが天井に張り付いていたり、ここまで豪快に炭になれたりするんだろうか。ちょっと、ちょっと目を離しただけだったのに。もったいないからと、魚を串に刺して焼いていただけだったのに、どうしてこんなことに……!

(この北郷も油断しておったわ……よもやこうまで普通にすら辿り着けぬ者が、自国の大剣様以外におったとは……!)

 驚愕が胸を衝いた。だがくじけない。

「あのな、蓮華……確かに中華鍋を使うと、焼いてる食材を振るって混ぜっ返すことに憧れるのは解る。解るけど、混ぜる時は素早く振るって傾ける程度でいいんだ。全力で天へと振るう必要はどこにもないんだよ……」
「う……す、すまない……」
「桃香も……卵は半熟くらいのほうが美味しいから、炭になるまで焼くことはないんだ」
「はうっ……ごめんなさい……」

 中まで火が通るように豪快に焼き上げたらしい卵はモシャアと黒い煙を吐いている。
 つんと突いてみればゴシャッと崩れる外郭。中には辛うじて卵ッぽい色が残っているが、これは食べられそうもない。田畑に撒けばせめて栄養になってくれるだろうか。
 ふぅと息を吐いたら気持ちを切り替えて料理教室を再開。
 彼女たちを普通へ導くべく、片腕での指導を続けた。

……。

 昼が過ぎれば勉強。
 穏がのんびりと教えてくれる物事を纏めながら竹簡に書き、頭に叩き込んでゆく。
 解らないことがあれば、自分で考えてから意見を出し合って納得。
 改めて過去の人の凄さを知りながら、頭を働かせていった。

「一刀さんは本当に勉強熱心ですねぇ〜、穏的にはもう少し手のかかる生徒さんでもよかったんですけどー」
「人に手のかかるとか言う前に、自分で書物とか持ってこれるようになろうよ……」
「うっ……そ、それはちょっと難しい注文ですねぇ……」

 穏の本に欲情する体質も相変わらずだ。
 部屋に来たかと思えば、書物を取りにいくのを手伝ってくださいと頼まれた。
 ああ、もちろん倉庫の前で待ってもらった。一緒に入ったらなにが起こるか解ったもんじゃない。

「高まってしまっても、一刀さんが鎮めてくれれば問題になりませんよぅ?」
「なりますから。めっちゃなりますから」

 相変わらず、穏の姿を直視出来ない。
 直視すれば押さえ込んでいるきかん坊が将軍さまになってしまう。悪い意味で。

「それにしても昨日の〜……おしるこ、でしたっけ? あれは美味しかったですね〜♪ 甘さがあんなに体に染みこんだのは初めてですよぅ」
「ははっ、そうそう。染みるよな、あれは」

 郷愁にも似た思いはいつでも沸いてくる。
 自然と天で食べることの出来たものを探してしまうのは、本能的でありやはり当然。
 味を完全に再現できなかったとしても、似た味と似た姿をしていれば、それだけでも嬉しいのだ。おまけにそれがこの世界の人にも美味しいと言ってもらえることが、こんなにも嬉しい。

「ところで話は思い切り変わるけど、竹簡って底をついたりしないのか? 散々と使ってるのに、あるのが当然のように存在してる…………あれ? 言い方ヘンか?」
「言い方云々は置いておくにしても、そうですねぇ……使っても減らないのは職人さんの腕の見せどころですねぇ〜」

 何も書かれていない竹簡をカショっと手に取ると、それをカロカロと広げてにっこり。
 紐で綺麗に纏められた束が穏の手の中でいい音を鳴らし、再びカショリと山の上に積まれる。
 どこのどなたが作っているのかは知らないが、いつもお世話になっております。
 ありがとう。

……。

 夕刻になり、勉強が終わると休憩。
 使った頭を休めるために寝台に寝転がってグミミミミと伸び、その状態のまま力を抜く。
 ああ……犬になりたい。一日中寝転がってくーすー寝ている犬に。
 なんてことを軽く考えつつ、メモを開いて予定を調べる。
 明後日には祭りが始まる。街自体はもう祭りも祭り、大祭り状態で騒がしいが、城の中は意外とそうでもなかったりする。
 や、蓋を開けてみれば騒いでいる人なんてごまんと居る。
 実際、寝台から降りて窓から外を覗いてみれば、見える景色をケモノ少女が駆けてゆく。
 視線をずらせば夕陽に当てられながらのんびりとキャンディーを舐める風。
 その膝では稟が寝ていて、鼻に刺さった詰め物をみるに、また鼻血が爆発したんだろう。……あの。なにがあったのか知らないけど、俺もう鼻血対策練らなくてもよかったりしますか?

「今度はなにが原因で出たんだか……」

 溜め息を吐きながらも笑ってる俺に気づいた風が、口を「おおっ」と動かして手をパタパタと振る。糸目で。結構離れているから声なんて届かないのだが、それでも手を振り返す。
 しばらくそんな状態が続いたが、やがて振っていた手が下りると、風はこっくりこっくりと頭を揺らし、そのまま目を閉じて動かなくなってしまった。
 寝たのだろうかと思いつつ、寝転がらなくても眠れる彼女が少し羨ましいなとも思った。

「ふむ」

 聞いた話だが、人間の中には眠らなくても平気な人が居るらしい。
 得た情報を脳が整理する時間がとてつもなく早い人がそれに該当するらしく、一秒でも頭が睡眠状態に入ると整理が終わり、起きるのだという。本人の感覚からすると寝ていないのと同じであり、不眠症なのではと心配するらしいのだが……羨ましいよな、普通に。

「体の疲れは取れないかもだけど、疲れない程度にはずっと動いていられるってことだもんな」

 そんな特技を得られたなら、勉強しまくって時間を作って、もっと…………

「……華琳、どうしてるかな」

 そう、華琳に会いに行く。
 都のことが本格化してくると、覚えることややることだらけになって、一日の行動が制限されっぱなしだ。
 夕刻になれば時間は出来るが、そうなった時にはもう脳が疲れていて動くのも億劫だ。
 現にこうして寝台の上でぐったりと伸びて動かない自分が居る。
 疲れた体に鞭打つことは出来るが、これで案外脳の疲労ってのは融通が利かない。
 なにせ体に指令を送る場所だ。そこが疲れてしまっては、鞭を振るう信号さえ出せない。
 なのでこうしてぐったりと伸びているのだが……うん。DHAとガラクタンが欲しい。

「思うに、肉体が成長しないのに頭の鍛錬をして、脳は果たして成長するのか否か」

 しないんだろうな。
 でも記憶していられるってことは、この世界に来る前の頭でもそれなりに覚えられる容量はあったってことだろう。
 今はそれを駆使して頑張ることしか出来ない。
 ここで得る経験や知識は、自分の世界での脳の刺激になるし、だからこそ“覚えること”にも積極的になった。寝ている間の記憶整理の話の延長だが、以前この世界に来た時の知識や経験を、あっちの世界で寝ている間に整理すれば、そりゃあ脳も鍛えられはするだろう。
 逆に言えば記憶などの“持っていけるもの”とは別の、筋力や体力などはどう足掻いたって持っていけない。経験は持っていけるが、筋力までは無理だろう。……そもそも鍛えても筋力上がらないみたいだし。
 俺に出来る自分強化なんてものは、結局は氣の鍛錬だけだってことが解ってしまった。
 あくまで自分強化の話であって、記憶したもの経験したもので“出来ること”を増やすことは可能だ。そうじゃなければ勉強する意味なんてまるでないのだから。

「よしっ! 気力を振り絞って移動開始!」

 なにはなくとも華琳に会いたい。
 今はただそんな気分が俺を動かした。
 気合いの入った言葉の割にはしんどい体をンゴゴゴゴと寝台から下ろし、これまたしんどい体を起こしてズシームズシーム歩かせて部屋の外へ。
 さて。
 夕刻って時間帯で華琳が居そうな場所は何処だろう。
 自室? 街? それとも別の場所の視察中?
 王っていうのは暇じゃない。部屋に閉じこもって読み書きするだけで済むならば別に王じゃなくてもいいし、穏あたりなら輝く笑顔で引き受けるし続かせるだろう。代わってくれと頼まれれば俺だって協力する。
 そんな王である彼女が今何処に居るのか。
 風呂? 厨房? それともどこぞのご隠居様に付き合わされて、どこぞで酒でも飲んでいるのだろうか。
 考えを巡らせるたびに華琳に会いたい気持ちが募り、落ち着かなくなっていく。

「これが……これが恋……?《ポッ》」

 などと顔を赤くしてみせるが、寒い風が吹くだけだった。
 恋なんてとっくに。愛なんて通り過ぎている。
 言葉じゃ足りない想いをぶつけ、世界を越えてもまだ足りない想いを、今この世界に居る時でさえ高鳴らせている。
 しかし状況ってものや仕事に阻まれて、上手く伝えられない日々は続いた。
 もどかしいって言えばもどかしい。
 なんだかんだで結構一緒に居ることは多いものの、二人きりという状況にはなかなか。
 なったとしても“そういう雰囲気”にもなかなか。

「まあ……」

 それを言ったら始まらない。
 他の人には“そういった流れになったら”とか言って避けているのに、華琳には自分から向かっていくっていうのは都合がよすぎる。そうならないために他の人と無理矢理“流れ”を作って関係を結ぶのも間違っていれば、相手の想いを利用するのは絶対に嫌だ。
 そんな考えに至れば、奥手にもなるってもんだ。

「我慢我慢。これまでだって堪えてきたじゃないか」

 外の空気を胸いっぱいに吸ってから部屋に戻ろうとする。
 と、通路の奥の奥で金色の髪が揺れた気がした。気がしたら無意識にンバッと首は動いていて、金色を追った視線が見たものは……笑顔でこちらへと歩いてくる美羽だった。

(……重症だ)

 天を仰いだ。
 通路の天井があるだけだった。


───……。


 恋。
 生きていれば大体は耳にし、目にもする文字。
 子供の頃は好きなんて言葉は面白いように口に出来て、多分今でも口にするだけならば楽なこと。しかしそれを、心を込めて相手に伝えるのは気恥ずかしく、難しい。
 いつだって正直にモノを伝えるのは難しいものなのだ。

「んー……」
「むぅ……? どうかしたのかの、主様」

 先に部屋に入った俺のあと、しばらくしてから辿り着いた美羽は、寝台の上に寝転がっていた俺へとダイヴ。
 慌てて片手で受け止めた先で、こうして寝台に座りつつ、ぼーっとしていた。
 見下ろせば、足の間に座り、後頭部を胸に預けてくる美羽が振り返るようにして俺を見上げている。そんな美羽の髪に指を通すようにして、頭を撫でる。
 返す言葉は「なんでもない」だけ。
 我慢なんて慣れっこだ、辛くてもそれを日常にしてしまえば、いつかはこの恋心というものも落ち着きをみせるだろう。
 それはとても惜しいとは思ったが、今は国に返すために歩く時。
 我慢を無くすのは、もう少しあとでもいいよな。
 そう思ったら少し心が軽くなって、“少し”以外の想いを美羽を抱き締めることで発散した。抱き締めるといっても言葉通りで、片腕でぎうーと抱き締めるだけ。

「なぁ美羽。俺っていろいろと難しく考えすぎか?」
「なのじゃ」

 即答だった。ちょっとショック……。

「主様は妾に“きちんと考えてから答えること”を教えてくれたがの、あーうー……その、なんじゃ。主様の場合は考える時間が長すぎー……る、のじゃ? あ、あー……みみ皆のため国のため、己のためと考えてくれるのは……むむ、なんじゃったかの……おおそうじゃ、う、嬉しいことではあるがの? ももももそっと、その……軽く考えられる部分を増やすべきじゃ?」
「って、七乃あたりに言われたのか?」
「何故解ったのじゃ!?《がーーん!》」
「解らいでか」

 ところどころが無意味に疑問系だった美羽の話を聞くに、確かにと頷ける部分が何個もあった。難しく考えすぎなのはよ〜く解ってるんだ。つまり、ああ、なんだ。こうやってまた考え始めるクセを直せってことだよな。はい終了! そもそも前にも冥琳に言われたじゃないか、俺は難しく考えるよりも自然体でいたほうがいいって。よし、自然体自然体〜……!

「うん。じゃあ難しく考えるのはやめよう」
「うむっ! では主様っ!」
「ああっ! 寝るかっ!」
「なんじゃとっ!? ねねっ……眠る!? 主様はもう寝るのかっ!?」
「なんか今日は体がだるくてな……遊んでやりたいのはやまやまなんだけど、瞼が重い」

 油断してると話の最中でも寝てしまいそうなほどの、凶悪な睡魔。
 このまま後方にぽてりと倒れれば、のび太くんのように素早く眠れるという確信がある。自然体を目指すのならば、もはやこの北郷、堪えることもやめて眠りたいのでございます。

 コマンドどうする?

1:このまま寝る

2:ちゃんと寝転がって寝る

3:頬を叩いてでも起きてる

4:美羽と遊んでから寝る

5:眠くなどないわ! 睡魔!? そのようなもので余を止めることはできぬゥウウ!!

 結論:1(5は無視で)

「うずー……」
「《ずしっ》ふまうっ!? ぬぬ主様っ!? 重い、重いのじゃーーーっ!!」
「……ふおっ?」

 結論が出た途端にオチていた。
 自然と脱力し、体が前へと倒れるもんだから、足の間に座っている美羽を圧迫してしまった。

「あ、ああ、ごめんな美羽……いや、思いのほか眠くてな……」
「むうっ……主様は働きすぎなのじゃ。だというのに次から次へと仕事仕事と、これでは妾とちっとも遊べないであろっ!」
「判断基準が遊びなのはどうかと思うぞ」

 思わずツッコミを入れてしまうが、美羽はそんなやりとりだけでも楽しそうだった。
 かつての袁家がどれほど偉く、美羽がどんな生活を送っていたのかは知らない。
 訊いてみたところで、胸を張っていろいろと教えてはくれるのだが……目が語っていた。その生活は今ほど楽しくなかったと。我が儘放題で暮らせる日々よりも、自分の傍で自分を理解してくれる者が居る生活。そういったものに、密かに憧れていたんじゃないだろうか。もっとも、そういう感情も、袁家で暮らすことが当然であるうちには気づけなかったのだろうが。
 そんな美羽が今、俺の両腕……は無理だから、右腕を掴んで自分の体の前に持ってくると、抱き寄せるようにして笑む。寒い日にコートを引っ張って身を包むような様相なのだが、顔はとにかく楽しそうだった。
 子供が出来たらこんな感じなんだろうかなぁなんて思うと、自然と顔が苦笑を作る。
 美羽に対して失礼だろって思う心と、子供のことを考える自分に対しての心が混ざった結果がそれだ。……子供が欲しいんだろうか、なんて考えが頭に浮かぶと、支柱になったことや三国の父とか呼ばれたことを思い出す。

(出来れば友達でいたい、なんて考えはもう通せないよなぁ……)

 みんなの前でした宣言を思い返すと“早まったかも”って言葉が浮かんでは消える。
 自分の中で決めた覚悟のひとつなんだから、受け入れて然るべきものだ。
 しかしまあ考えてもみよう。
 友達として接してきた人達と子孫を残すために子種を提供する。
 しかもそういう流れになってからと自分で言ってしまっている以上、俺はどこかで“友達以上”になることを望んでいたのでは?

(周りの受け取り方がどうあれ、これじゃあ本当に種馬だ)

 ああもう、考えないようにすればするほど沈んでいく。
 寝ないようにと気張れば気張るほど、睡魔に負けそうになるような気分だ。

(子供か)

 璃々ちゃんと遊ぶのは楽しかった。
 久しぶりに、なんというかこう……学生としての自分を出せた気がした。
 国に返そうと気を張る毎日に、無意識に疲れていたんだろう。
 咄嗟に息抜きをする方法さえ浮かばなかったのがいい証拠だ。散々サボっていたかつての自分が、どういう方法でサボっていたのかさえ咄嗟に浮かばなかったのだから。

「よし美羽っ、遊ぶかっ」
「お、おお? よいのか? 主様、疲れておるのじゃろ?」
「大丈夫! 努力と根性と腹筋でなんとかする!」
「腹筋!?」

 なら、もっと遊ぼう。
 真面目になるのもいい。けど息抜きだって必要だ。
 国に返す時だと気張り続けて、ある日突然倒れてしまいましたでは仕事を回してくれる人達に責任を感じさせてしまう。
 それ以前に休めとツッコまれるだろうが、いっそわざとらしいとさえ感じるくらいの“楽しさ”が無ければ、いくら仕事に達成感や充実感を感じていてももろいものだと思っている。
 ……そうじゃなきゃいつかの日の魏王さまは、徹夜してまで仕事を終わらせて時間を作ったりなどしなかっただろう。
 なので遊んだ。子供が、己の限界まで遊ぶ時のように。
 もちろん着替えてから、周囲に迷惑がかからない程度の騒音……もとい、賑やかさで。


───……。


 ……ハッと気づくと、美羽を抱きかかえながら椅子で寝ていた。
 意識が覚醒すると景色が明るいことにも気づき、窓から差し込む光が朝であることを教えてくれていた。

「………」

 腰が痛い。
 椅子と美羽に挟まれるカタチで眠っていた所為か、血が足に溜まり、体勢も変えられなかった所為で腰が痛んでいる。
 動くとメシミシと軋む手応えを感じ、これをほぐすために少しずつ腰を動かした。
 で、上手く痛くならない力加減を探しながら、もぞもぞと動き出すと……ふと視線を感じて顔をあげる。

「………」
「………」

 目が合った。
 朝陽に集中するあまり気づけなかった視線と自分の視線がぶつかる。
 ハテ? これは幻覚か?
 昨日、その姿を求めていたものが視線の先で腕を組んでムスッとしてらっしゃる。

「…………お、おは……よう?」
「ええ、いい朝ね、一刀」

 幻覚じゃなかった。

「んん……ごめん、ちょっと体勢が悪くてよく眠れなかったみたいで……意識がはっきりしてない」
「ええそうでしょうね。だからこそ訊きたいのだけれど、一刀?」
「ん……なんだ?」

 閉じた瞼を軽くこすりつつ、華琳を見やる。
 なにやら尋常ならざる力の波動がモシャアアと滲み出ている気がしてならないが、言葉にした通り意識がはっきりしてないだけだろう。だからハッキリしてくださいお願いします。

「あなたは意識がはっきりしないと、朝から女を膝の上に乗せて腰を動かすのかしら?」
「…………ホエ?」

 …………え?
 言っている意味がよく解らないんだが……え?
 腰を動か───はうあ!?

「いやっ! これはただ体勢的なものの所為で腰が痛くて、だから腰の体操をっ!」
「だとしても女を乗せたまま腰の体操をする男が何処にいるのよ!」
「こ、ここに居てごめんなさい!!」

 言われてみればそうだった! まだ寝てるからって、膝から下ろすって選択をしなかった俺に馬鹿野郎を届けよう!

「けど待て違う! 腰はあくまで体操で動かしていたんであって、べつにそんないかがわしいことは一切してないって! 昨日は美羽と遊び通した所為で、そのままストーンって眠っちゃったから腰が痛くて!」
「……《ぴくり》」
「あ」

 力の波動の質が変わった。
 モシャアアと出ていたオーラ的な何かがこう、体に纏わりつくような“白くべたつくなにか”風なものに変わった。つまり殺気が纏わりついている。いや、ナメクジの老廃物じゃなくて、表現的な意味で。

「へえ、そう。片腕しか使えないあなたのためにと走る部下を労いもせず、あなたはこの部屋でそれと遊んでいたの」
「ア、イエソノー……ししし自然体がもたらした結果と申しますか……! あっ……もちろん勉強も済ませたぞ!?」
「当たり前でしょう? それすらしていなかったらとっくに首が飛んでいるわよ」
「……だから、いっつもどこから出してるのさ、その鎌……」

 ジャキリと構えられた絶を見て、背筋を凍らせた。
 だって目がマジなんだ、凍りもする。
 しかし華琳は「まあいいわ」と言うと、「早くそれを下ろしなさい」と命じてきた。
 ……まあ、人と……王と話をする姿勢じゃないよな。
 頷くと椅子から立って、持ち上げた美羽を寝台に運んで寝かせる。
 そうしてからフランチェスカの制服に着替えると、華琳に向き直ってこれからのことを話し合おうと───したんだが、向き直った矢先に机に座るように顎で促された。

「……?」

 首を傾げるが、今は逆らえる状況じゃない。
 大人しくすとんと座り、どんなことを言われるのかと緊張していると……その足の間にすとんと座る、覇王さま。

「………」
「………ぷふっ!」
「……!」
「《ぎうー!》あだぁあああだだだだごめんごめんごめんなさい!!」

 そんな行動に思わず吹き出すや、華琳が俺の太腿を抓った。
 でも、だって仕方ない。
 こんな、縄張りを取り戻すために怒った猫みたいな反応をされちゃあ、オチない男のほうがどうかしている。
 太腿を放してくれた華琳は胸の前で腕を組みつつ、ぷんすかした様子のままに「大体あなたは私のものである自覚が……!」とぶつぶつと言っている。
 自覚なら十分持っているが、今この時に言ったところで無駄なんだろうなと俺の経験が教えてくれた。俺の考える所有物としての定義と華琳の定義とでは違うだろうし。

「………」
「………」

 なので自然と言葉も無くなる。
 華琳の呼吸に合わせて静かに吸って吐いてをする俺は、特に急ぎの用があるわけでもないので華琳の気が済むまでこうしていることにした。
 明日は祭りだというのに、のんびりとしたものである。
 これが学園祭とかだとみんながみんな競うように騒ぐもんだけどな。

「なぁ華琳。祭りの準備のほうはどうだ?」
「問題ないわ。間違いが起こらなければ余裕で間に合うわよ」
「そか。で、その間違いっていうのは……」
「誰かが物を壊したり、体調を崩したり、怪我をしなければ平気ということよ。もちろん祭りをするにあたって、それぞれの役回りには代役をつけてはいるけれど、巻き込まれて台無し、なんてことになれば目も当てられないでしょう?」
「あー……そりゃそうだ」

 なにせこの世界の将の皆様は、なにかっていうと誰かを巻き込んで困った事態を起こすのが好きだから。よく巻き込まれているこの北郷一刀が太鼓判を押します。

「祭りで思い出した。勝者への賞品とかって考えてあるのか?」
「勝者というよりは国に対するものね。国と国とで戦い、勝利数の多い国を、とね。大体、勝者全てに褒美をあげていては、苦手分野ばかりの者が何も得られないじゃない」
「む。そりゃそうだ」

 だからこその国への賞品か。
 ……や、だからその賞品がなんなのかをだな。

「で、その賞品って?」
「国の皆で相談してもらい、用意出来るものを用意するわ。可能な限り、どんな願いでも一つだけ、というのも面白そうじゃない」
「そりゃまた勇気が要る賞品だなぁ……あれ? じゃあ魏が勝ったらどうなるんだ? と、つまりこういうことか? どの国かが勝ったら、負けた二国から望むものを貰う、とか」
「ええ、その通りよ。もちろん無茶が過ぎるものは却下。関係を壊したくてするわけではないのだから、まだ笑って済ませられるものを頂くだけよ」
「へぇえ……いいな、それ。適度に緊張出来て」
「そう? まあ、魏が万が一にも負けたなら、あなたもいろいろと覚悟するのね」
「へ? それってどういう───」

 覚悟って……ハテ?
 首を傾げる俺を見て、ニヤリと笑う華琳はその表情の通り可笑しそうに言う。

「期限を設けるのであれば、人を賞品にすることも可能ということよ。他国が賞品として一刀を選べば、あなたは文句の一つも許されずに他国へ行かなければならない。子種が欲しいと言われればそうするしかないと言っているの」
「なっ……なんだってぇええーーーーーーーっ!!?」

 お、俺のっ……俺の自由はいずこっ!?
 あ、い、いやっ、逆に考えるんだっ! 勝てばいいんだ勝てば!
 大体、もし負けたからって、相手が俺を望むかどうかなんて解らないしネ!?
 そうだよそう、そうじゃないかアハハハハ……ハ……は………なんだろ、笑えない……。
 でもな、国のみんなで話し合って決めるなら、その線は薄いよな。
 くそう、こんな時ばっかりは他国に桂花が居ればと思ってしまう俺は異常か?
 分裂できないだろうか。こう、ゴワゴワと。無理だな。本気で落ち着け、俺。

「か、かかか勝ったときのことを考えよう! いや、みんなが嫌ってわけじゃないけど、賞品状態で無理矢理行かなきゃいけないってのはなんか嫌だ! 行くなら自分で、全力で笑いながら行きたい!」
「それだけ言えるのなら、他国の誰か一人とでも寝てみせなさい。言ったでしょう? 私は私が認めた者がくだらない男の子を宿すことを良しとしない。したくもないのよ」
「や……そもそも俺、手と手を繋ぐ礎になりたいとは誓ったけど、子を宿すための糧になるつもりはなかったぞ……?」
「より一層の同盟という名の結束の手を繋げるのに、あなたが必要だと言っているの。私たちが認める支柱というのはつまり、そういうもののことよ。やさしいだけでは足りないの。皆が認めていて、あなたならばと頷いたからこそ都の話が纏まったんじゃない」
「うぐっ……そりゃ、そうなんだけどさ」

 こんな時、じいちゃんだったらどうするかなぁ。
 ……“男ならば誓った言葉に関連するもの全てを汲んでみせぃ!”とか言いそうだ。
 誤解を生ませるのも、明確な言葉を伝えなかった責任である。
 ならばそれら全てを抱いて進む。それこそ男。
 …………男って損な生き物だなぁちくしょう。

「解った、一応覚悟は決めておくよ……」
「まったく、魏の子たちには例外なく手を出したのに、なにをそんなに躊躇しているの?」
「いろいろと事情があるんだよ……みんなとは友達として接してきたし、それを急に抱けとか言われたって出来るもんか」
「あら。魏の子たちには出来たじゃない。乞われれば部下にも手を出すくせに」
「……手を出したからだってば」
「? なに? よく聞こえなかったわ」
「なんでもないっ」

 華琳にとっては、俺はあの時消えてから戻ってきたってだけなんだろうか。
 まあ、一年は経ってるんだからいろいろと考える時間はあっただろう。
 しかしまあなんというか……自分のであるのなら、誰に手を出してもいいって考えはどうなんだろうか。懐がでかいなぁって思いはするものの、かなり複雑だ。

「………」

 俺はこんなに好きなんだぞー、とばかりに、わしゃわしゃと髪の毛を掻き混ぜるように撫でた。……ええ、めっちゃ怒られました。でも膝から降りるつもりはないらしい。

(……おかしいよな、俺。もっと独占してくれてもいいんだぞーとか思ってる)

 なんて言えばいいんだろうか。
 もっと求められたいって言えばいいのか?
 こうして膝に乗っかることが、まさか華琳の精一杯の独占ってわけじゃないだろうし……うーん、一度でいいから思い切り甘えられてみたい。
 そんなことを思いつつ見下ろす華琳の耳は、いつからかずっと赤いままだった。

(?)

 熱でもあるのかなと思いながらも頭を撫でる。
 掻き混ぜたこともあって嫌がられたが、それがやさしいものだと知ると抵抗もなくなった。
 うん、いつでもこうして寄りかかってくれると嬉しいんだけどなぁ。
 それは贅沢か。うん。
 じゃあ、話を変えてと。

「華琳はこれから用事は?」
「昨日のうちに済ませたわね。あとはそれぞれの最終確認が残っているだけだけれど、それは周りが終わらせてからでないと回ってこないことだから問題はないわ」
「へぇええ……」

 さすがは覇王様、行動に澱みがない。
 それなら久しぶりに訪れた休憩時間を有意義に過ごせばいいのに、と言いそうになるが、なるほど。澱みがないからここに居るって……受け取っていいんだよな? 勘違いだったら恥ずかしい限りだ。いや、恥ずかしくてもいいや、素直に嬉しいし。

(あー……華琳だ……華琳だなぁ……)

 強くなりすぎない程度に彼女を抱き締め、椅子の背もたれに深く沈む。
 自然と華琳の頭が俺の胸に預けられるカタチになるが、華琳はとくに抵抗はしなかった。
 深く息を吐き、吸えば華琳の香り。
 おかしな話になるが、そんな香りがひどく心を落ち着かせた。
 昨日アレコレと考えていたというのに、こうして抱き締めているだけで心が落ち着くのだ。我ながら現金というかなんというか。
 しかしながら相変わらず、髪に鼻を埋めて香りを嗅ごうとすると、デシンッと額を叩かれた。まあ、自分の匂いをまじまじと嗅がれて喜ぶ人なんてそう居ないよな。

「………」
「?」

 そんなのんびりとしていながら、どこかくすぐったい時間の中。
 ふと、華琳が美羽のことをじ〜〜っと見ていることに気づく。
 ハテと思い、「美羽がどうかしたのか?」と訊いて見れば、「なんでもないわ」の一言。
 なんでもないのにあんなふうに見るだろうか。
 会話とともに華琳の視線は寝台から外れるのだが、少しするとじぃっと見つめる。
 ……軽く思考を回転させてみても思い当たるものは何もなし。
 まさか美羽の時みたいに即興作り話や怖い話を聞かせろってわけでもないだろう。
 だったらなにが? ……と思っていた矢先に、それが実はその通りだったことを知る。

「一刀」
「っと、なんだ?」
「昨日は軍師との勉強のあと、美羽と遊んだと言ったわね」
「ああ。っていっても作り話を聞かせたりしただけだけど」
「へぇ、そう。いいわ、退屈していたし私にも聞かせなさい」
「エ? ……あ、いや、解った」

 断るのは簡単だが、断りきるのは不可能だ。
 なら無駄は省いて聞かせてみせようホトトギス。

「話の内容はいっつも適当だから、楽しさはあまり求めないでくれ。あと、作り話だから現実味も求めないこと」
「……そんなものが遊びになるというの?」
「言葉遊びだって。在り得ないことだからこそ、考え方の幅も広がる。架空、空想、幻想は人の考え方を柔軟にするし選択肢も増やしてくれるものなんだぞ?」
「そう。まあいいわ、始めなさい」
「む……よし」

 言われて、頭の中で適当な物語を組み立てる。
 もちろん舞台は“アルト=コロ”。時代は“昔々”で、登場人物は適当だ。

「昔々あるところ、普通の民家の普通の家族のもと、一人の少年が産まれました」
「ええ」
「争いなんてない世界でのびのびと成長する少年は好奇心旺盛で、やりたいことはとにかくやってみるといった無鉄砲っぷりを見せつけ、いつも両親をハラハラさせていました」
「……おかしいわね。少年と言われたのに春蘭の顔しか思い浮かばないわ」
「はは、そうそう。そうやって聞いたことから想像を膨らませてみてくれ。それが唯一の楽しみ方と言っても過言じゃない」
「随分と相手任せな遊びね……まあいいわ、続けなさい」

 さっきから“いいわ”ばっかりだなと思いつつ、ちらりと見てみた華琳の耳が赤かった。
 ……もしかして状況に照れていて、余裕を無くしてる?
 そうだったら嬉しいかも。恥ずかしながら、俺自身がそうだから。

「少年には特に秀でた能力もなく、良くも悪くも普通の少年。なにをやらせても平均かそれ以下で、取り得があるといえば元気なことくらいです」
「………春蘭の像は消えたわね」
「ある日、そんな少年に何か才能がないものかと期待した両親は、少年に様々なことをやらせます。家事や勉強、絵や歌、思いつく限りのことをやらせてみますが、どれも平均かそれ以下です。なにかをやらせるにもお金がかかり、一向に才能を見い出せない少年に対し、次第に勝手な苛立ちを募らせます」
「親の気持ちは解らないでもないけれど、平和な世の中にあって、才能というものはどうしても引き出さなければいけないものなのかしら……あったほうがいい、というのは認めるけれど」
「しかし親は頑張ります。子の将来のため、才能あるものを伸ばすことで、彼に力強く生きてもらうため。そうした日々を幾日も続け、やがて……少年になんの才能もないことに気づき、我が子に向けたものといえば落胆と侮蔑の視線。少年は親から向けられる感情に戸惑い、上手くやれなかった自分を嫌いました」
「……ねぇ一刀? これは本当に楽しい話なのかしら」
「親子間での会話も減り、親は子に期待しなくなり、しかし少年はまだ期待されていると思いながら必死に努力を重ねます。けれど並以上にはなれても天才にはなれません。才ある者に近づけはすれど、越すことは叶わなかったのです。それでも頑張ったのだからと、親に成績を見せるのですが、親はやはり出来損ないを見る目で見下ろすだけでした」
「………」

 話しかけられても話を進める。
 作り話の中で大事なのは腰を折らないことだ。
 たとえば歌ってる最中に話しかけられて、中断してからまた歌うとノれないのと同じ。
 華琳には悪いけど、そのまま続行させてもらおう。

「ああ、自分の頑張りが足らなかったのだと思うことにした少年は、さらに頑張ります。何日も、何ヶ月も。……けど、ある日のことです。少年に弟が出来ました。少年はとても喜び、弟の模範になれるよう一層に頑張ろうと心に決めます。才のない少年に落胆したからこその、新たな生命であるとも知らずに」
「…………一刀?」
「そんな、親からの要らない子を見る目に気づきながらも少年は頑張ります。一流になれない自分を追い詰めながら、頑張ります。両親が弟を可愛がる姿を羨ましく思いながらも、頑張ります。……が、そんな無茶がたたり、彼は倒れてしまいました」
「ちょっと」
「大事な試験を前にしての出来事であり、いよいよもって親は少年に落胆します。お金を出して医者に見てもらえば治る病気。しかし必要な額は普通の額ではありません。親は現状維持を装うつもりで、最低限の処置だけをさせて放置しました」
「………」
「ああ、また期待に応えられなかった。自分はもうダメなのだと少年は自分自身に絶望しました。落胆して落胆して、自分にはもうなにも出来ないと悟ると、そういえば弟と何も会話していないことに気づきます」
「………」
「少年は親の目を盗み、弱った体で弟に会いにいきました。かけられた言葉など“お兄さん誰ですか?”という言葉。自分が兄だということにすら気づいてもらえないほど構ってやれなかった自分に苦笑をもらしながら、彼は言います。“哀れな道化師です”と」
「………」

 話しかけられても続行。
 そんな意思が伝わったのか、華琳も口を出すことを諦めて俺の胸に遠慮なく身を預けた。

「道化師はおどけながら、勉強をしていた弟に思いつく限りの遊びを教えます。小さい頃に親としたかった遊び、今やればきっと面白いであろう遊び、本当にいろいろです。ムスッとしていた弟が次第に笑み、笑い、大燥ぎする様を見て、やがて彼も大笑いします。そんな騒ぎに気づいた親が来て怒鳴りながら扉を開けますが……兄弟は笑顔のままに遊びに没頭し、親に気づいても笑みで返すだけです」
「……そう、それで?」
「怒鳴り散らそうとした親でしたが、あることに気づきました。……そう。自分たちは、弟が生まれてから今日まで、彼のこんな笑顔なんて見たことがなかったのです。勉強をしろ集中しろと言いつけるばかりで、遊びらしい遊びなどさせず、自分らも遊んでやることがありませんでした。そして……兄の笑顔でさえ、見ることが久しぶりだったのです」
「………」

 しかしながら、美羽に話して聞かせるのと華琳に話すのとでは緊張の度合いが違う。
 回転させている思考がどうにも上手く働いてくれず、だが中断するわけにもいかないだろと自分に言い聞かせながら続ける。おかしなことにならなければいいが。

「ああ、なんということでしょう。両親はようやく気づきました。兄の才能は、遊ぶことだったのです。人を喜ばせることに長けていた彼に、自分たちの理想を押し付けすぎたために、笑むことを忘れさせてしまっていた。親は今になって自分たちの卑しさに気づき、すぐに医者をと手配しますが……時既に遅く、兄の病は治らぬところまで進行していて、彼は亡くなってしまいました」
「なっ……!?」
「両親は自らを責め続け、弟はそれが兄であることすら知らず、残りの人生を生きます。弟には様々な才能があり、一流以上に至るのですが、結局……兄と過ごした一日以上に笑むことの出来る日に辿り着くことはなく。彼はやがて結婚し、子供を授かりました」
「……そう。それでなに? 子供に兄の名前をつけ───」
「子の名前は呂怒裏解棲(ろどりげす)と名づけました」
「ろどぉっ!? ちょっ───なっ……!?」
「何にも負けぬ益荒男(ますらお)であれと願っての名で、名の通りロドリゲスは逞しく育ち、その逞しさは止まることを知らず、いつしか彼は筋肉王者ロドリゲ=マッスルと呼ばれるように《デシィッ!》痛い!!」

 ……で、照れ隠しめいた話がヒートしていくと自分でも止められず、いい加減おかしな方向に向かいだしたところで華琳に額を叩かれた。

「な、なにを……?」
「なにをじゃないでしょう!? 兄や弟の話はどうなったのよ!」
「や……だからな、華琳。言葉遊びに感動とかって結果を求めちゃいけないんだぞ? 何故ってこれは楽しむために作ったものなんだから。楽しめなかったらそれまでで、楽しめたならもうけもの。気楽に出来るから落ち着けるんじゃないか」
「…………なんだか物凄く時間の無駄をした気がするのだけれど?」
「うーん……言っとくけどな、華琳。死んだ人の名前つけられるのなんて、つけられた人にとってはいい迷惑だぞ? その人のように立派であれ、なんて勝手に押し付けられた日には、話の中の“兄”と同じように期待に押し潰されるだけだ。能力が高いならそれもいいだろうけど、現実はそうじゃないんだから」
「それはそうかもしれないけれど、もっと流れというものがあるでしょう!? どうしてあそこでろどりげすなんて名前が出てくるのよ! 弟の感性と妻の許容力に呆れ果てたわよ!!」
「お、おおお……?」

 なんだか物凄く怒っておられる……! もしや少し感情移入しかけてた……?
 いや、でもな、そういう話だったわけだし、美羽はこの急展開が好きで、いっつもきゃいきゃい燥ぎながら聞いてくれているのだが。

「こほん、じゃあ別の話を」
「はぁ……そうして頂戴。次はもっと楽しめるものを───」
「題名、不思議の国のロドリゲス」
「ろどりげすはもういいわよ!!」
「ごめんなさいっ!?」

 冗談でタイトル言ってみたら怒られてしまった。
 同時に太腿をぎううと抓られてしまい、悲鳴にも似た情けない声が口から漏れる。
 んむ、ここは少し楽しげな方向で話をしよう。

「昔々あるところにお爺さんとお婆さんが住んでおりました」
「お爺さんの名前がろどりげすだったら、首を刎ねるわよ」
「怖ッ!? だだだだだっだだ大丈夫大丈夫! もうロドリゲスは出ないから! お爺さんの名前は吾郎! ね!? 吾郎だから!」
「ならいいわ。続けなさい」
「ちなみにお婆さんの名前がロドリゲスってオチで《ヒタリ》ごめんなさい冗談です絶しまってくださいっつーかどこから出したのそれ!!」

 いつの間にか握られていた絶の刃が、ヒタリと俺の喉元に押し付けられた。
 自分の肩越しに見上げてくる華琳の目は笑ってはおらず、鋭い眼光だけがそこにある。
 こうなるともはや「つ、続けます」としか言えず、俺は喉に絶を押し付けられたまま話をすることになった。

「お爺さんは山へ芝狩りに、お婆さんは川へ洗濯に行こうとしたのですが、何故か急に洗濯をしたくなったお爺さんはお婆さんに代わってくれと頼みます」
「勝手な老人も居たものね」
「張り切って洗濯に出かけたお爺さんは童心に返り、洗濯しつつも川で遊びました。流れる川の水は透き通るようで、じっと見つめてみれば川の生き物がたくさん居ます。中でもお爺さんの目を引いたのはヤゴ。トンボの幼生でした。お爺さんはそれはもう大燥ぎ。ウッヒャッホォーーゥイ!と老人らしからぬ声をあげ、虫取りに夢中です」
「……早速雲行きが怪しくなってきたわね」
「童心を得たお爺さんの力はとどまることを知りません。長年蓄えられ続けてきた若さは今この時にこそ力となり、お爺さんを突き動かしました。爆笑しながら川の流れに逆らい泳ぎ、口の中に水が入って咳き込むことさえ些細なことです。お爺さんはそうやって洗濯のことさえ忘れて遊び続け、童心の分だけ何日も遊び、腹が減れば魚を掴み、火を熾して焼いて食べてをしているうち、若者さえ勝てぬほどのムキムキマッスルに変貌していました」
「む、むきむき?」
「お爺さんは気づきます。“この力さえあれば鬼など取るに足りぬ!”と。今さらですがお爺さんお婆さんが生きる世には鬼がおり、人々を苦しめていたのです」
「物凄い今さら感ね……」

 だからこそ即興作り話は楽しいんだが。

「お爺さんは早速離島である鬼ヶ島を目指すべくカヌー作りに励みました。あ、カヌーっていうのは木で作った小さめの船だから。お爺さんは今日まで鍛えた素晴らしい肉体を以って木をばっさばっさと切り倒し、木を削って船の形を作っていきます」
「随分と元気なお爺さんね。まあ、そういうところを楽しむ話なんでしょうけど」
「ちなみに切り倒したのも手刀ならば、削るのも手刀です」
「元気すぎでしょう!? 作り話だからって、もう少し現実味を持たせるべきじゃないの!?」
「家をほったらかしで自然とともに生きることで悟りを得たお爺さんは、既に人の実力を遥かに越えた存在になっていたのです。無駄な肉は落ち、げっそりとしているものの、皮の下にある無駄の無い筋肉はホンモノのソレ。口癖は“まだまだその気になれば空だって飛べますよ”でした」
「誰に対して卑屈になっているのよ……」
「自然しか友達がいないので、誰ということはありません」
「お婆さんのもとへ帰りなさいよ!」

 まったくだった。
 なんだかんだで可笑しくて、笑いながら話す俺を見て、華琳もいつしか完全に力を抜いていた。ツッコミの時以外。
 ツッコミが飛んできたり語調が激しいのは、少し力が入っていたからなんだろうなって思ってしまえばもう遅く、そんな事実に対しても笑んでいる俺に気づくと足を抓ってくる。
 そのお返しに頭を撫でると、笑むのも半端に話を続けた。
 ……むう、頭を撫でるだけじゃなくて両腕でしっかりと抱き締めたいのに、この腕じゃ無理だった。

……。

 さて、終始ノリツッコミ調子で続けた話もようやく終わった頃、俺の腹がギューと音を鳴らした。そういえば起きてからまだ何も口にしていない。

「っと、華琳。そろそろ朝餉、食べにいかないか?」
「ええ。……そういえば、一刀と一緒に朝餉、というのはあまりしていないわね」
「ん、あ……言われてみれば確かに」

 双方ともに食事を摂る時間が不定期っていうのもあるが、華琳の場合は部屋に食事を運んでもらうのが大半だ。厨房に顔を見せることも、アイス等を作る時以外はあまりないんじゃないだろうか。
 と、すとんと俺の膝から降りた華琳を見やりつつ思っていると、その華琳が俺の目を真っ直ぐに見て言った。

「そうね……一刀、朝餉を作ってもらえるかしら」
「はいダメです」

 言われた言葉に即答を以って返す。
 経験からだろうか、なんとなく言われるような気がしていた。

「ええ結構。たまにはそういうのもいいかとは思ったけれど、断らなかったらどうしてくれようかと思ったわ」
「言われるままに他の人の仕事を奪うわけにもいかないって。それに、多分もう作ってくれてあるよ」
「そうでしょうね。じゃ、行くわよ一刀。そこの蠢く物体も連れていくのなら、早く起こしなさい」
「ん、解った」

 華琳言うところの蠢く物体……寝台で寝ている美羽の傍に立ち、その顔に自分の顔を近づける。もちろん目覚めのキスをするわけでも甘い言葉を囁くわけでもなく、ただ耳もとへと軽い目覚めの息吹を。

(おお神よ! だみんをむさぼる少女にふっかつのいぶきを! アーメン!)

 と、なんとなく“竜の冒険”的な気分を盛り上げつつ……フゥッ、と。

「ふひゃわあうぅっ!?《がばーーーっ!!》」

 ……一発で起きた。飛び起きたな、軽く浮いていた。

「ててて敵襲! 敵襲なのじゃあーーーーああああっ!! 七乃! 七乃ーーーっ!!」

 よっぽど驚いたのか、“きゃうあーーーっ!”と奇妙な悲鳴を上げて助けを呼ぶ。
 しかしながら七乃はここにはおらず、居るとすれば俺と、腕を組んだまま面白いものを見る目で美羽を眺める華琳くらいだ。

「……ほえ?」

 逃げようとして寝台から落ちそうになったところを抱えてやったところで、ようやく現状に気づいたらしい美羽が、じっと俺を見つめる。
 そうしてから部屋をきょろりと見渡すと、長い長い溜め息を吐いた。

「目、覚めたか?」
「う、うみゅっ……!? ま、まままー……まだ、眠い、の……じゃ……?」

 訊ねてみれば、目を逸らしての言葉。
 取り乱した自分を無かったことにしたいようだ。
 まあ、それならそれでと美羽の頭をわしゃわしゃと撫でると、「じゃ、今日も体操から始めよう」と言って一日のための準備体操を開始。

「いっちにー、さんっしー」
「にぃにっ、さんっしー、なのじゃ」

 美羽が素直に俺の言うことを聞いて体操をする。そんな光景が異様に見えたのか、華琳はぽかんとした表情で美羽を見ていた。
 しかしクスリと笑うや、どこか挑発するような目を向けながら口を開く。

「随分と従順じゃない、美羽。以前までは袁家がどうのと偉ぶっていたのに」
「ふふんっ、妾を以前までの妾と思わぬことじゃなっ! 妾は妾を信じてくれる主様に誓い、なにがあろうとも主様の期待には応えるのじゃ。主様の言いつけも守るし、主様を裏切ったりなぞせぬっ」
「へえ……? ではここで一刀が死ねと言えば死ぬの?」
「主様が妾にそのようなことを言うわけがなかろっ! 何を言うておるのじゃ!!」
「ええそうね。とんだ甘ちゃんだものね、一刀は」

 華琳が“よく躾けているじゃない”と目で語る。
 そんな目を向けられても嬉しくないのだが。
 とほーと溜め息を吐きつつ、体操を続ける。美羽はむすっとした顔だったが、次の華琳からの質問には笑顔で応えた。

「ならば、一刀が自分の子を産めと言ったら?」
「うははははーっ♪ 妾にかかれば主様の子の一人や二人、ぽぽんと軽く産めるのじゃっ」
「………」

 ええはい。
 エイオーと拳を天へ向けて突き上げての元気なお言葉ののち、華琳が俺を再び見ました。その頃には当然体操も停止。不思議そうに俺を見上げる美羽を見下ろしながら、しばらく呆然としていたんだが……華琳からの視線がキツくなって、ハッとする。
 ち、違うぞ!? なにその“貴方こんな子相手に早速仕込んで……”って目!
 ていうか美羽にヘンなこと言うのやめて!? この子は調子に乗りやすかったとしても、元気でやさしい子に育ってもらうんですからねっ!? まだ幼さが残るうちからエロスを教え込むなんて、ママはッ……もとい、俺は許しませんよ!
 やっ……生き方を強制するつもりはそりゃあないけどさぁっ!!

「そう? じゃあ他の男の子を産めと言ったら?」
「………」

 無言。
 笑顔がピタリと止まり、顔が青くなり、怯えた顔で俺と華琳の顔を交互に見始める。
 小さく震える体は縮みこませるように、容姿相応の頼りない雰囲気のままに───って!

「言わない! 言わないからそんなこと! 華琳っ、おかしなこと言わないっ! 美羽もそんな、怯えなくていいから!」
「ふみゅうぅう……ま、まことか……?」
「まことだ!」
「断言してみせているところに悪いけれど、なら美羽には一刀の子を産ませるということでいいのね?」
「え゙っ!?」

 産まっ……えっ!? 産ませっ……!? 美羽に!?

「アー、ウー、イヤ、ソノウ……」
「別に今すぐとは言わないわよ。ただ、人はいつまでも子供ではいられないものよ。まるで娘のように可愛がるのは結構だけれど、いつか求められたなら自分が受け止めなければならないことを、今の内に刻んでおきなさい」
「……華琳。まさかそれを言うために、今の話を誘導した……?」
「あら。あなたはこの三国にとってのなに? あなたは覇王を前になんと誓った? 言うだけならばただだと、その場凌ぎを誓われたのなら、私も随分と馬鹿にされたものだわ」
「なっ……! あ、あのなぁ華琳! 確かに誓っておいてそういうことをしないっていうのはおかしく感じるだろうけど、俺が華琳のことを馬鹿にするなんてこと、するわけがないだろ!!」

 試すような口調であることは知っていた。にも係わらず、一瞬にして沸騰した理性の沸点は怒鳴り声となり、華琳に向けて放たれた。直後に冷静な自分がそれを止めようとするが、乱れた精神を突かずに治めてくれるほど、我らが覇王様はやさしくないのだ。

「だったら何故、誰ともそういった行為をしないのよ。魏の種馬と言われたあなた───」
「そんなの! 最初は華琳としたいからに決まってるだろうが!!」
「───が…………」

 …………。

「なっ……あ……、……はっ……!?《ぐぼんっ!!》」
「……はうっ!? え、あ、えぇっ!? 今俺、勢いに任せて何を口走った!?」

 何も言ってないよな!? 気の所為だよな!? 気の所為だって言って!
 視線の先の華琳さんが大丈夫かって心配になるくらい顔を真っ赤にさせてるのとか、全部夢だとか気の所為だとかどうかどうかどうかぁああーーーーっ!!!
 いや待てっ! こういう時こそ冷静に! 選択肢を思い浮かべて行動の数を増やすんだ!

 コマンドどうする!?

1:超法規的措置 〜見なかったことにしようの章〜

2:いっそ赤裸々告白劇場 〜僕が恋したあなたの章〜

3:うそです 〜死亡確定斬首の章〜

4:今すぐあなたと合体したい 〜全蓄積我慢解放の章〜

5:余が三国の父である! 〜空気を読みま章〜

 …………あぁあああああっ!! 行動の数を増やすほどに落ち着かない!!
 どどどどうすれば!? 俺はどうすれば!?

(出すぎだぞ! 自重せい!)
(も、孟徳さん! って、出すぎなのは十二分に解ってます孟徳さん! こんな状況だからこそ、これからの行動を訊きたかったのに!)

 心の中で様々な葛藤を繰り広げる中、美羽が真っ赤になった俺と華琳を交互に見つめる。
 目は合わせられず、俺も華琳もどこともとれない場所に目を移し、必死になって言葉を探すのだが……見つかってくれないのだ、こんな時に限って。

「………」

 だから観念した。
 言い訳も言わず、絶叫して暴れ出したくなるほどの恥ずかしさを胸に押し込んで、華琳の傍まで歩くと……その体を、片腕で思い切り抱き締めた。

「あっ……か、かずっ───」

 少しの抵抗。
 しかし構うものかときつく抱き締め、深く呼吸をする。
 体操も半端だというのに、血液が熱くなったかのように全身が熱い。
 後頭部に痺れるような感覚が走り、呼吸が少し早くなる。

「華琳……」
「か、一刀……」
「華琳っ……華琳っ……!」

 抱き締めた状態で。
 大切なものを胸に抱いた状態で、自分の名を呼んでもらえる。
 それが好意からの声であることに喜びを感じると、腕にもさらにと力が入り───しかし今まで堪えてきたものがそれらを加速させようとすると、理性を以ってそれを抑える。
 欲望のままに傷つけたくなんかないのだ。
 ただ大切に想い、ただ大切にしたい。
 ……ノックの代わりに華琳の頭を胸に抱くと、それで覚悟は完了した。

「………」
「………」

 次第に言葉は減り、頭を抱いていた手も改めて背中に回し、抱き締めるだけとなった。
 華琳の手は俺の背には回されず、俺の胸に添えられている。
 それが俺を突き放すためのものなのか、ただ添えられているだけなのかは解らない。

「……お、お……? ぬ、主様?」

 いきなり発生した場の空気に戸惑う美羽をよそに、俺はとうとう華琳を、深く求める。
 背中から肩に手を動かし、俺を見上げる赤い顔へと自らの顔を近づけ───《ぐー》

「………」
「………」

 …………腹が鳴った。
 しかも同時に。
 さあっと、別の意味で顔が赤くなるのを感じて、俺と華琳はバッと離れた。
 何度目かのきょとんとした美羽の視線が俺を見るが、そんな無垢な視線からも逃げたいほどの羞恥心……!

(あ、あああああ……!)

 やがて落ち込むに落ち込んだ俺は、女の子座り(両足を同方向に向けて座るアレ)をした上で両手をつき、がっくりと項垂れたままに「死にてぇ……」と誰にも聞こえない声で呟いた。
 そう……そうなのだ。朝食をとろうって話になったんだから、そりゃあ腹も鳴る。
 でも、だけど、だからってこんなタイミングで鳴ることっ……ないだろぉおお……!!

(ああっ、ああっ、もうっ! 今すぐ“旅に出ます、探さないでください”とか書き置き残して消え去りたいぃい!!)

 頭を抱えてのた打ち回る。
 しかしそれも長くは続かず、美羽に本気で心配されたあたりで終了。
 男ってやつは見栄を張りたい生き物なんです。
 なので自分を信頼してくれる人の前で、いつまでも無様を曝せるわけもなく。

「……あ、朝餉……食いにいこっか……」
「そっ……───そう、ね……」
「うむっ!」

 一人元気な美羽を連れ、三人で移動を開始した。
 体操が中断になってしまったが、そんなことを気にしていられる余裕は既になかった。
 結局そんな状態で、なんだか味も解らないままに食事を終えると微妙な空気のままに別れる、……などということもなく。
 食事も元気に摂る美羽のお陰で空気は随分と緩和していた。
 もちろん朝餉食べたあとに“さっきの雰囲気をもう一度”なんて無茶にもほどがあるし、実際にそんな空気が訪れることもなかったが、逆に気まずさがくることもなく、お互いが溜め息を吐きながらも次の行動へ移る。

「では行ってくるのじゃーっ!」
「ああっ、頑張ってこーい!」
「うははははーーーっ! 妾にどーーんと任せてたもーーーっ!!」

 美羽は小走りに数え役萬☆姉妹と七乃が待つ事務所の方へ走り、俺は……なんとはなしに華琳と一緒の方向へ。
 今日は明日に向けての最終準備の日。
 祭り前の最後の日ってことで……うーん。鍛錬、どうしようかな。明日やるわけにもいかないし。

「華琳はこれから、何かやることあるか?」
「さっき言った通りよ。そういうあなたはどうなのよ」
「俺か? 俺は……」

 実は特になかったりする。
 準備最終日は思い切り手伝うことを予定していたために、今日は勘弁してくれとみんなに報告してあった所為で。なのに腕はこんな調子で、手伝いに行くとみんな手伝わせてくれない。
 片腕だって役に立つことを証明する隙すら与えてくれないのだ、ちくしょう。

「片腕で出来る何かを探す旅に出ようと思う。こう、片腕で持ち運べるものを運ぶとかで」
「で、余計なことに巻き込まれて怪我を悪化させるのね?」
「………」

 あ、あれ? なんで何も言わないの俺の口。
 何か言い返しましょう!? そんなことないとか! ほ、ほらっ! なにかっ!

「……なによ。本能的に口ごもるほどに心当たりがあるというの?」
「い、いやっ……こんな筈はっ……」

 そうは言ってみても、思いつく言葉がてんでなかったりした。
 行く先々で悶着ばっかり起こしてるもんだから、頭は否定しても体がそうであると断言しているような、妙な感覚だ。

「…………ハイ、返す言葉もございません……」
「………」

 ならば本能に従い、頭を垂れた。
 横を歩く彼女は“はぁあ……”と呆れしか含まない溜め息を吐き、改めて「それで? 予定はあるの?」と訊いてきた。

「たった今無くなりました……」
「そう? だったら───」
「いいんだ……どうせ俺なんて両腕が無ければ行く先々で心配の目しか向けられない、ゲームの中とかだったら魔王に攫われるしか脳の無いお姫さまポジションなんだ……」
「……なにを言っているのかよく解らないけれど、人の話は最後まで聞きなさい」

 がっくりと項垂れる俺に向けてもう一度溜め息を吐き、俺の前まで早歩きで回り込むと、俺の顔を真っ直ぐに見上げて「だったら」をもう一度口にする。
 俺も真っ直ぐに華琳を見下ろすと、続く言葉を待った。
 食事前の話の影響か、視線が交差した途端に逸らしたくなるが、そんな気恥ずかしさをなんとか押し込めながら見つめ続ける。

「その……暇、なのよね?」
「あ、ああ。仕事をくれるなら喜んでやるけど」
「仕事───そ、そうね。ならば仕事をあげましょう。あなたから言ったのだから、拒否は許さないわよ」
「うえっ!? あ、あー……おう! 二言はない! でも出来ればやさしいものを……」
「簡単なことよ。わ、私はこれからそれぞれの準備をしている場を視察しようと思っているの。だからそれに付き合いなさい」
「おうっ! …………OH? それって仕事なのか?」

 別に仕事じゃないような気が……あ、でも警邏と同じに考えれば仕事か?
 ……そうだな、仕事だ。うん。

「仕事だな。よし解った、付き合うよ」
「良い心がけね」

 フッといつもの調子で笑む、目の前の魏王さま。
 しかしその顔は真っ赤であり、きっと俺の顔も真っ赤だった。
 彼女が踵を返して歩くのに習い、俺も小走りに隣に追いつくと、歩幅を合わせて歩く。
 ……さて。
 どこをどう視察するのかを軽く考えてみて、“これってデート?”と思ってみれば笑みが止まらない。抱いた相手だというのにデートの回数も片手で数えられそうな俺達だ、どんな理由であれ一緒に歩けるのが嬉しかった。

(女の子の方から言い寄ってこなきゃ、こんなことも出来ないなんて……俺ってとことん受身だよな) 

 とはいえ、自分からデートに誘おうにもデートプランなんか思い浮かばないし、狙って誰かを喜ばそうとすると大抵は失敗する気がする。
 だからといって相手に丸投げすれば溜め息を吐かれるのは目に見えて…………ないな。
 この時代のおなごめらは、だったらあっちへならばあれをと人を引っ張り回す。
 助けてぇええと叫んだところでそれは止まらない。

(……この時代でだけで言えば、受身なほうが長生き出来そうだよ、じいちゃん)

 あなたは受身な男をだらしないと言うだろうけど、時代が違うって大変なんです。
 むしろ攻めていけば、落とし穴に落ちたり手痛い反撃をくらったり正座させられて説教されたり、ならば受身はといえば…………あれ? あんまり変わらない……?

「俺って……《ずぅううん……》」
(……? なにを頭を抱えているのかしら)

 責めても受けても扱いは変わらないことを自分で確認してしまった瞬間だった。
 自覚って言葉がこれほど胸を抉るものだったとは……。

「さ、さあ華琳! まずはどこ行こうか! どこでもいいぞぅ! この北郷、どこへなりとお供しましょう! むしろ連れてってくださいお願いします!」

 ならばせめて楽しもう! 今の自分に出来ることで役に立とう!
 視察の付き合いが仕事として提示されたのなら全力でこれを遂行!
 もはやこの北郷! 誰に言われようと止まることを知らぬ!!

「落ち着きなさい」
「ハイ《ピタリ》」

 ……そうでもなかったですごめんなさい。
 ギロリと睨まれて言われては黙らないわけにはいかなかったのです。
 まあ……ともあれ、視察が始まった。
 最終確認要請が来るまでは仕事が無いと言っていた華琳が言う視察が、果たしてどういう意味での視察かを考えるとやっぱり頬が緩む。
 そんな緩い顔を注意されながら、のんびりと歩いた。




ネタ曝しです。  *アビリティ:りょうてもち  FF5より。  二刀流ではないところに注意。  アビリティ:二刀流は片手ずつに武器を。  アビリティ:両手持ちは両手で一本の武器を持ちます。  *野菜を放り投げて空中で切る愛紗さん  アニメ恋姫無双より。  らんま1/2でもやってましたね。やるならば洗ってからやりましょう。  もちろん、埃がついても責任は取れません。  *タラララッスッタンタ〜ン♪  ドラクエのレベルアップ音。某ドラクエ4コマの作者さんが使っていた。  記憶が確かなら栗本和博さん。  ちなみに“誰だって自分が一番かわいいのさ……あんただってそうだろ?”のネタは、  同じくドラクエ4コマからきている。ただし作者さんは白井寛さん。  あれだけ人を見下したような目をしたトルネコさんは初めて見ました。  *ドンチュゥウウン  真三国無双などでの無双乱舞の発動効果音。  弓を構えた状態で発動させると、なんとなく音に合ってて面白い。  イメージは2あたりから。だったと思います。  べつに魚の頭は飛びません。  *DHAとガラクタン  頭をよくする栄養素。  DHAはよく知られてますよね。  ガラクタンは寒天や里芋などに多く含まれるものらしく、  脳細胞を活性化させるのに役立つそうです。  頭をこれでもかと使う予定がありましたら、是非ガラクタンとDHAをどうぞ。  里芋のほうはぬめりっぽいのに多い含まれているそうですよ。  そういえば、今は無きあるある大辞典でもやっていたような。  *白くべたつくなにか  デモンズソウルより、ナメクジの老廃物。  右手に持つ武器に塗ると、何故か魔法効果的なものが得られる。  防御力よりも身軽さが重要であることを教えてくれるゲームです。  未だに塔のラトリアの雰囲気は苦手です。  そして荷物番の男の「ハローアゲェ〜ィン」の声が大好きです。  *ロドリゲス  凍傷の中で、力強くゴツそうな名前といったらゴンザレスとロドリゲス。  昔からです。ええ、昔から。  *素晴らしい肉体  外井、雪之丞でございます。  ときめきメモリアルより、筋肉を愛する人へ。  知らない人のために、一応説明。  ときメモには伊集院光というお金持ちさんが居て、  ガッコのみんなをパーティーに招待してくれます。  しかし会場で待ち構えているのは外井さん。  我が家では今井(今日から俺は!)と呼ばれていました男が立っており、  容姿のパラメータが一定以上無いと入れてくれません。  しかし運動ばかりをしてマッチョなっていると、  素晴らしい肉体に目が眩んでなにも見えなくなります。なので入れる。不思議。  ちなみに外井さんが告白しにガッコに乗り込んでくるイベントがあったりします。  昔のゲームは結構無茶も自由も利いていて好きです。  *その気になれば空だって  すごいよマサルさんより、キャシャリンのアレ。  本気の目をしていたらしい。  *竜の冒険  ドラゴンクエスト。「おお神よ!」は神父さんの蘇生とかそっちのほうです。  *超法規的措置  BPS-バトル・プログラマー・シラセ-より。  イザベル・アジャーニさん好きな秋月郁さんのお言葉。  毎回のお約束。見なかったことにしよう。  *あなたと合体したい  フィーバー創聖のアクエリオンより。  アクエリオンと聞くと、まず一万年と二千年前から愛してるって歌が頭に流れます。  *旅に出ます。探さないでください。  失踪書き置きの例文。  探されなかったら探されなかったで悲しいんだろうなぁ。  いつもよりさらにお待たせしています、75話をお送りします。  えー……現在進行形で風邪を引いています。  3日前に鼻が潰れ、2日前に喉が潰れ、1日前に味覚が死に、今日はだるいです。  75話ですが、2話分の容量はあるものの、上手く分割できる場所が無かったのでそのままでいきます。  お、押忍、咳が止まりません。  バルサン焚いた時期が悪すぎました。  Gが出てきたので焚いたのですが、生憎の梅雨の時期。  雨が降っていて換気も出来なければ布団も干せません。  お陰でイエダニー教授の死骸の所為で埃が……風邪もその所為に違いない。  無駄話はこれくらいにしますね。  では、また次回で。  ……ところで思ったのですが。  いえ、恋姫とは関係ないのですが、まじこいSの登場人物の中の長宗我部宗男さん。  彼に兜と紫色のローブを着せると、もうなんていいますかヴァンプ将軍ですよね?  いえはい、それだけです。 Next Top Back