135/日常。常にある日。

 サラサラサラ……カロ……カシャン。

「んー……」

 筆を動かし、文字を書き連ね、乾けば竹簡を丸め、積み上げる。
 朝から晩まで、食事時と厠に行く時以外はほぼがこれ。
 溜め息を吐きながら肩をぐるんと回してみれば、ゴキャッと軋む関節。
 続けざまに溜め息を吐くと、再び机に向かう。

「……はぁ」

 静かな時間の中、もう一度溜め息を吐いて天井を見上げる。
 ……蜀と呉のみんながそれぞれの国に帰ってから、既に一週間が経っていた。
 騒がしい日々から一転、静かになると、随分と空虚といえばいいのか……ボウっとしてしまうもので、それを払拭するためにも仕事漬け───なんて姿勢で仕事をしているわけでない。
 純粋に仕事は山積みで、しかしながらやっていることはずっとずぅっと変わっていない。うん……まあ、山積みではあるのだ。先のことを考えれば。ただし、今日という日だけで考えれば、必ずしも焦ってやるほどのものでもなかったはず。なのだが。
 それでもやることといえば仕事仕事。毎秒毎分毎時毎日、筆を動かしては竹簡に文字を連ね、乾けば重ねる。
 同じことの繰り返しというのは総じて、すぐに飽きがくるものである。
 実際にただ今、逃げ出したい気分でいっぱいだ。
 “国に返す”はどうしたかと?
 いや……実はこれ、べつに今日やらなくてもいいものでして。
 ここ数日、ずぅっと書簡竹簡整理を続けていたこともあり、作業自体は大分進んでいる。
 逆に、纏めるものの数が少なくなってきたくらいだ。無理にでもやれば、そりゃあ明日の仕事の量が減ったりするのは事実なわけだが……うむう。
 じゃあ何故、今日やらなくてもいいものを“飽きているにも係わらずやっているのか”というとだが。

「あら。手が止まっているわよ、一刀」
「………」

 机を挟んだ先に椅子を置き、片手で頬杖をお突きあそばれている覇王さまに、夜に“オヤジの店”に行っていることがバレた。
 で、“俺が抜け出してまで行く店”ということで目をつけられ、華琳が行くと……よりにもよって“行く”と言ってしまったのだ……!!
 もちろん断った! ああ断ったね! 俺達の……男たちの憩いの場を潰されてたまるか!
 こればっかりは譲れない! 男には、たとえ主に言われても譲れぬものがあるのだ! それが男の誇りというものさ!
 だから“命令よ”と言われた時は…………泣いて頼みました。勘弁してくださいって。
 え? 男の誇りはどうしたって? 誇りであの場の空気が買えるか!
 これは魏の誇りではなく、あくまで俺の誇りだから投げるくらい平気さ! 泣いたけど!
 俺は誇りよりも絆を選ぼう。誇りは他のみんなが持っている。なら俺は、誇りのためにみんなが伸ばせない場所へと手を伸ばせばいい。
 故に───断る! 断固としてオヤジの店の場所は教えぬわ!

「一刀? いい加減に白状して案内しなさい」
「やだね。断るね」
「……なんでよ」
「華琳が正直すぎるからだっ! あ、あそこの空気はなっ! 食事がどうとかで壊していいものなんかじゃ断じてないんだっ! 華琳は食事が目当てで行くんだろ!? だだだだったらだめだ! ますますだめだ! 連れていけるもんかー!」
「なによ。そんなに不味いっていうの?」
「いや。男にしか解らない味。あ、でも白蓮なら気に入りそうな雰囲気ではあるかな……」
「白蓮……公孫賛が?」
「でも華琳はだめだ。絶対に合わない。むしろ翌日店が忽然と姿を消してそうだ」
「あら。私が潰すとでも言うつもり?」
「店主が自主的に蒸発するんだよ……ほら、以前もあっただろ? 俺と季衣と流琉で……」
「ああ。あの拉麺の屋台ね」

 それがどうしたのよ。なんて顔を向けられた。
 心の潤い、昼飯ライフの一つを削ってくれておいて、なんとまあどっしりとした構えか。
 ともかく、あんな前例がある以上は華琳を連れていくなどとてもとても。

「えーと、な? 頑張ってるんだ、その店主」
「なら王である私が試すことに、何故異を唱えるのよ」
「……あの拉麺屋がどうなったかは?」
「消えたわね」
「………」
「………」

 脳裏にアニキさんたちの笑顔がよぎった。そしてあっさり消えた。消える瞬間、風呂敷を担いで泣いていた。
 ……よろしくない! てんでよろしくない!

「やっぱりだめ! 絶対に教えない!」
「なっ……! あ、あなたね……! 私がなんのために食事に───」
「誘ってくれるのは嬉しい! もう飛び上がりたいくらいに! でもだめ! あそこだけはだめ! お願いですから勘弁してください!」
「…………まさか一刀? あなたその店で如何わしいことでも」
「するかぁっ!! そういう問題じゃなくて、あそこはあのままがいいの!」
「……はぁ。あのね、一刀? 私が行っただけで、その場の何が変わるというのよ」
「うん、そう思うよなー。きっと誰でもそう思う。時に華琳? そこで出された食事が自分の舌に合わなかったらどうする?」
「“直すべき”を唱えるわよ。当然じゃない」

 フッ、と笑って仰る華琳さま。
 この答えで満足? とばかりに俺の目をちらりと見てくる。
 俺はそんな彼女の視線を満面の笑みで迎えた。
 彼女の瞳が微かに喜びに揺れる……ところへ、

「うん。絶対に連れていかない」

 満面の笑みのまま、そう返した。
 直後、言い争いの勃発である。
 もはや言葉にならないくらいの言い争いを始め、どちらかといえば受身だった俺がこうまで抵抗の意思を露にすることに、華琳自身も驚いているらしく、時折言葉に詰まっていたりするところがカワイ───じゃなくて!

「他のところでいいだろもう! なんでそこまであそこを望むんだよ!」
「あなたが城を抜け出してまで行っているからでしょう!? こんなことになるのなら、店先で捕まえるよう指示するべきだったわ……!」

 珍しくも相当に苛立っているのか、声もトゲトゲしい。
 だが退かぬ! 退けぬわ!
 そんな意思をどっしりと固めた俺を、じろりと睨むはモートクさん。

「一刀。そこへは私以外を連れて行ったことがある?」
「ナイヨ?」
「あらそう。ならば、一瞬だけど視線が泳いだのは何故かしら」
「修行の一環で、散眼っていう技を見につけるために頑張ってるんだ。さ、散眼はすごいんだぞ? 散眼はなぁ」
「一刀」
「ハ、ハイ」

 焦りが生まれてしまったら、もう弱かった。
 ギロリと睨まれて、「連れていった者は誰?」と問われた。

「……もう国に帰ってるから、訊こうとしても無駄だぞ」

 ウソはついてない。
 恋は国へ帰ったし。でも美羽は居る。うん、ウソはついてない。

「そう? それなら、いつも身近に居る者に訊いてみるのはどうかしらね。あなたがそこまで気に入る場所を、毎日毎日隣で寝ているあの子が知らないはずがないもの」
「うーん……《さらさら》」

 笑顔で仕事を続けた。筆がノるなァ今日は! アハハハハ!
 アノコ? ダレ? 僕シラナイ。
 咄嗟に誤魔化す言葉が浮かばなかったから、そうするしかなかった。
 当然、華琳は確信を得て、音も立てずに椅子から立ち上がった。
 ……美羽は七乃と歌の練習をしているはず。
 美羽に口止めする暇もなく仕事を押し付けられたから、このまま行かせたら美羽はポロリと真実を語ってしまうだろう。
 ならばどうする?

1:歩いてゆく華琳を後ろから襲う

2:華琳を引き止めて椅子に座らせ、お茶を振る舞う

3:ナメック星人は誇りを見せる暇もなかった (ゴキャリと首を捻って気絶させる)

4:意地でも止める

5:押し倒す

 結論:オイ5、自重しなさい

……。

 すっくと立った。
 そして歩く。
 少し早歩きだ。

「? あら、話す気になっ《がばしぃ!》ふわっ!?」

 何も言わずに抱き締めた。
 そして机まで強引に引き摺り、とすんと座って足の間に華琳を座らせる。

「………」
「………」

 さあ! 仕事だ!《べしぃっ!》……叩かれた。

「解らないわね。そこまでして行かせたくないというの?」
「そう。そこまでして行かせたくない」
「忠告を受け取って、それを善とするか悪とするかは本人次第でしょう? それは、以前は少しやり方が乱暴になったけれど」
「あのね。誰もが華琳みたいな胆力を持ってると思ったら大間違いなの。頑張ってそこまで辿り着いた人に自分の価値観を一方的にボロクソに押し付けて、立ち上がれなかったら所詮その程度とか言うのはあまりにひどいだろ」
「そのて───」
「その程度とか言わない。味も解って料理も上手い。華琳は確かにすごいけど、そこを基準に考えたらどこの料理も同じ味になるでしょーが。みんな“そこにある味”を求めて集まるんだよ。同じ味なら近場で安い店がいいに決まってる」
「む……言ってくれるわね。私が求める味が一点にしかないような物言いじゃない」
「個人が個々の料理に求める最上級が一点なのは当たり前だろ。誰もが美味いって言う料理なんて絶対にない。華琳が求める最上級に、誰かが“ここに辛味があったほうがいい”って言って、辛味を混ぜたものを華琳は認めるか?」
「と、…………当然じゃないの」
「激辛でも?」
「………」

 あ。
 なんか黙して胸の前で指をいじり始めた。

「はい。黙した時点でダメ。大体な、辛い食べ物にだって、ただ辛いだけのものと、辛さの中に確かな旨味があるものだってあるだろ? そういうのが多少でも苦手なのに、自分の味覚ばかりを押し付けるんじゃありません。だからこの話は無かったことに───」
「ならないわよ」
「してよ! しようよ! どちらにしたって案内なんて絶対にし───」
「警備の兵を懐柔し、城を抜け出して食を摂る。いろいろと罰することが出来るのだけど。一刀はどんな罰を用意されたいのかしら」
「このままここで仕事をする罰です。ていうかもう罰やってるよね俺」
「ええ、やっているわね、“兵を懐柔した罰”を。無断で城を抜け出した罰がまだじゃない」
「子供か俺は! 城を抜け出すくらいいいじゃないか!」
「支柱としての自覚が足りないわよ一刀。あなたに何かあったら、他国からの信頼がどれほど下がるか解っているの?」
「う、ぐっ……!」

 支柱になった。自分は同盟を支える柱。
 その自覚を本当に持っているのなら、一人で、しかも夜に出歩くなんてことはしない。
 華琳はそういうことを言いたいのだろう。

「……じゃあ、罰っていうのは?」
「私をあなたが行こうとしていた店に連れていきなさい」
「そうか綿菓子が食べたいのか! よーし頑張るゾー!」
「一刀。二言目は無いわ。私の聞き違いかしら?」

 後姿しか見えないというのに、その姿からモシャアアアと景色を歪ませるほどの殺気が!
 そしてやっぱりどこからともなく現れる絶という名の鎌。

「ヤア華琳サン。今日モオ美シイ」
「《きゅむ》……」
「《ざくっ》ギャーーーーッ!!」

 カタコトで言葉を発しつつ、誤魔化す意味も籠めて後ろから抱き締めた。……ら、手の甲にサクリと絶が落とされた。
 だが勝った! 俺は言葉遊びに勝ったのだ!

「ふ、二言目を越えたぞ! もう文句ないだろ!」
「………」

 華琳が黙りつつ筆を手に取る。
 竹簡にさらさらと連ねられる文字は、“いつ二言目を言ったというのよ”だった。

「……華琳。屁理屈って知ってる?」
「ええ。あなたにだけは言われたくない言葉ね」

 もはや、首を縦に振るしかなかった。

……。

 夜。
 俺は華琳を連れ、城の外へと出ていた。
 もちろん別の場所を紹介するという外道な方法もあったにはあったんだが、きっと華琳は見破る。見破った上で、罰を与えるだろう。俺にも、きっとアニキさんにも。
 アニキさんまでもっていうのは言いすぎにしても、料理とかに対する評価は厳しくなりそうなので、もう素直に連れていくことにした。

「こんな遅くにやっているものなの?」
「ああ。仕事で疲れて、だけど夜に娯楽を求める男たちの集い。それが“オヤジの店”だ」

 説明しながら裏通りへ。
 月の明り以外はあまり頼りにならないそこを通ると、明りがついた家がひとつ。
 華琳は「へえ」と声を漏らし、俺の案内のもと、その家へと入った。

「こんばんはー、アニキさん」
「らっしゃい……ってまーた来たのか兄ちゃん。ここんところしょっちゅうじゃねぇか」
「うわわっ……! ちょっ……! それはっ……!」

 慌ててわたわたと、黙ってくださいとばかりに手を振るって言うが……ちらりと伺ってみた隣の華琳さまは、笑顔を貼り付けた怒りの表情で僕を見上げてらっしゃった。
 ああはい、罰があるんですね? 案内したのに結局あるんですね?

「ふうん? まあ、賑わっていて悪くないのではないかしら。小汚い《がぼっ》はむ!?」
「かかかかぁああかかか華琳さァん……!? 来て早々になにを言おうとしてらっしゃいますか……!? ここの雰囲気を壊す気なら、全力で怒りますよ……!?」
「………」

 電光石火で華琳の口を片手で塞ぎ、忠告をひとつ。
 料理に対してアドバイスを言うのはいい。受け取り方次第だろう。
 でも、裏通りの店の在り方なんて、そうそう綺麗なもんじゃない。
 それを小汚いって言うのはさすがにどうか。
 ……ラーメン屋の時もそうだったけど、華琳はそういうところでヌケてるところがある。
 なのでこれを機会に、もっと華琳が言うところの“小汚いところ”に慣れてもらおうとか思っている俺は、結構ひどいだろうか。……ひどくて結構だな。綺麗なところばかりに目を向けてるだけじゃ、いつかいらないところで反感食いそうだし。

「あん? どしたい嬢ちゃん。つか兄ちゃんよぉ、ここは嬢ちゃんの口を塞ぐためにある場所じゃねぇぞ?」
「あ、ああっとと、すぐ座るから。空いてる?」
「ああ、今日はそっちに座れるぞ。ついさっきおかしなヤツが出てったところだ」
「おかしなやつ?」
「酒が飲めねぇのに明りに釣られてやってきたんだとよ。飯食って出てった」

 ほれ、と促されて座る。
 しかし、まあ、なんというか。
 アニキさんは、華琳が魏王であることに気づいてないのか?
 大会とかでもなんだかんだで仕切っていたから、気づいた庶人もいっぱいいると思ったんだけどな。…………もしかしてあれか? ずっと店開いてたのか?
 もしかしなくてもそうか。人が集まる日なんだ、開いていなきゃもったいない。
 たとえそれが裏通りでもだ。“そういう匂い”に“そういう者たち”は集まるもんだ。
 主に苦労してる人とか、カカァ天下の家の主人とか……女性に頭が上がらない支柱とか。大黒柱って意味では、どこも支柱なんだろうな。

(……ああ、だからみんなと気が合うのかな)

 そう考えて、少し涙が出た。
 さて、俺の苦悩はさておき、アニキさんはいつものように適当なツマミと酒を用意してくれた。来店すると出してくれる。もちろん金は取る。ツマミも酒も飲めないなら来なくていいよっていう、最初の洗礼みたいなもんだ。前に来た時は、すぐに料理を頼んだから無かったが。
 ともあれツマミを一口、酒を飲むと、そこまでキツくはないあっさりとした熱が、ツマミのいい味とともに喉を通ってゆく。この感じがたまらない。
 華琳も「へえ……」と、ツマミと酒をシゲシゲと見つめている。

「んで? どうすんだい兄ちゃん。特に決まってねぇなら適当に作るぞ」
「あ、じゃあ───」

 屋台よろしく、採譜ではなく壁にぶらさげてあるメニューを見て、食べたいものを告げる。するとアニキさんが「あいよ」とニヤリ。
 手早く調理を始めた。

「中々の手際ね」
「そか」

 裏通り暮らしで、季衣が紹介しなきゃ手に入らなかった仕事だ。きっと必死で身に付けたに違いない。
 しかし華琳は「けれどあの髭と暑苦しい顔は……」とか呟いている。
 外見で人を判断するんじゃありません。
 そりゃあ、だらしない格好の人に作ってもらうよりは、綺麗であったほうがいいとは思うだろうが……アニキさんはあれだからいいのだ。

「へいおまち。しかし御遣いの兄ちゃん、前にも二人連れてきていたが、今回はまたえらく身形の綺麗な嬢ちゃんを連れてきたなぁ」
「うっ……」

 出来た料理を出してくれるアニキさんが、ついでに爆弾を投下した。
 途端にモシャアと溢れる、華琳からの威圧。
 パチパチと目配せをしてみるが、アニキさんはニカッと笑うとこう返した。

「立派に支柱やってるようじゃねぇか。同じ男として鼻が高いねぇ。ま、俺が偉ぇわけじゃねぇんだがよ」

 その言葉に、今日は少なめな男の客が笑う。
 一気にいつもの空気だ。

「んで───前の一人が飛将軍サマだったのは解るんだが……こちらの嬢ちゃんは?」

 少し、ピンと張り詰めていた空気がいつものものになったことを良しとしたのか、アニキさんが爆弾投下二発目。
 思わずヒィと言いそうになる自分をなんとか押し留めたが……いや。ここはもう正直に言ったほうがいいだろう。そんなわけで、アニキさんにだけ聞こえるように、そっと囁いた。

「えっと…………こちら、魏王にして天下の覇王、曹孟徳さま……」
「は───」

 気のいい兄貴分みたいな……まあ実際そうなんだが、そんなニカッとした笑みをしていたアニキさんの表情が、ビシィッと固まった。
 そんなアニキさんには目もくれず、華琳は料理に手をつける。
 ……アニキさんはカタカタと震えながらその様子を見るが、ハッとすると一歩下がってから頭を下げ、厨房へ戻っていった。
 その様子に、他の客が「どうしたんだよ」と声をかけるけど……おお、「どうもしねぇよ」ってニカリと笑ってみせた! アニキさんすげぇ! でもちょっと顔が引き攣ってる!

「あら。てっきり口やかましく挨拶をされるかと思ったわ」
「………」

 いや、料理を出したあとの態度としては、あれは正解だと思う。
 すぐに味わってみてほしいものを出したというのに、無礼をとかこれはこれは孟徳さまとか挨拶してたら、せっかくの料理が冷めてしまう。
 華琳もそう思っていたからか、戻ってゆくアニキさんを見てフッと笑った。
 で、とうとう料理を口に運ぶわけだが。

「………」

 ゆっくりと味わう。
 そんな華琳に、新しく持ってこられた酒をそっと渡すと、それも飲む。

「………」

 華琳の目が、小さく輝いたように見えた。

「馬鹿にできないものね……よく出来ているわ。料理と酒、一つずつではそこまでではないけれど、あわせることでどちらもより欲しくなる。調和が取れているというべきかしら」
「あれ? ……美味い、か?」
「あなたね。私のことを出されたものをなんでも貶す、口だけの美食屋かなにかだとでも思っているの?」
「いや、それはないけど。持ち上げておいて徹底的に貶すんだと思ってた」
「貶しはしないわよ。ただ、助言をするだけ。……ただし、きちんと味わい終えてからね」

 ニヤリと笑い、華琳は食事を楽しむ。
 しばらくはそんな様子を見ていた俺だったけど、妙に気負いすぎてただけだろうなと食事を再開した。
 ここまで来てしまったなら仕方ないし、そもそも相手が華琳だって知っていたほうが、ボロクソ言われることにも覚悟が出来る。そういう理由でアニキさんには先に話したわけだが……そのアニキさんは厨房でぱんぱんっと頬を叩くと、他の客とのいつもの談笑に戻った。
 アニキさんは知っているのだ。ここの空気は男たちにとって、必要なものであると。

「……案外、賑やかなものね」

 華琳はそんな賑やかさを耳にしながら、小さくこぼす。
 開いた器に軽く酒を注ぐと、それをクッと飲み干して溜め息を吐いた。

「こんな時間に開いてる場所っていったら、ここくらいだからなぁ。日々の愚痴を言い合うにはうってつけの場所なんだ」
「ならここに足繁く通っている一刀も、愚痴がたくさんあるということね」
「無いと思ってるならいろいろ言ってやりたいことがあるって」
「冗談よ。人だもの、当然じゃない。仕事以外のところでまで御遣いになれとは言わないわよ」

 他愛無い話をしながらの食事は続く。
 やがてなんだかんだでいつかのように完食し、ことりと箸を置く華琳。
 ……この時ほど怖い瞬間はないわけだ。なにせ以前の場合は、このあとに店主ともめたわけだから。
 頼むから“この程度の店にしては”とか言い出さないでくれよ……!?
 言いそうだったら口塞いで金払って逃走だな。よし。

「……なにを急に肩を動かしたりしているのよ」
「へっ!? あ、いや、左腕の骨の調子はどうかなーって……」
「………」

 じとっとした目で、右腕を見られた。
 ええはい、右腕しか動かしてませんね……。

「安心しなさい。べつにどうのこうのと言うつもりはないわよ」
「………」
「なによ、その嘘つけって目は」
「言葉通り。俺はここを守るためなら、なけなしの覚悟を振り翳すぞ」

 来るなら来いとばかりに、ぐっと腹に力を籠めた。
 や、もちろん戦うわけじゃないけどさ、そうでなくても守りたいものってあるだろ?
 こう、ほら、その……なんていったっけ。パ、パーソナルスペース? ここには縄張り意識にも似た、男たちの安らぎがあるのだ。それを壊されるというのなら、立たずして何が男!

「覚悟、ねぇ……。それは私を敵に回してでもすることかしら?」
「将や王だけの味方が御遣いや支柱なんてやっていけるのか? そんなの、他の人から見れば将や王だけの味方じゃないか。保身しか考えないやつだったら誰にでも出来るよ」
「ええそうね」
「………………あれ?」

 俺の言葉に、珍しくもにっこりと笑み、華琳は立ち上がる。
 そして厨房まで歩いていくと、戸惑うアニキさんに「厨房を借りるわよ」と言を飛ばす。
 反射的に「へ、へい!」と返事をしてしまうアニキさんに、華琳は不敵な笑みを浮かべて調理を開始した。

「───ハッ!?」

 しまった! 笑顔でホウケて厨房入りを許してしまった!
 すぐに止め───……られたら苦労しないよなぁ。
 ああ……! アニキさんが泣きそうな顔でこっち見てる……!

(あんな笑顔を見せたってことは、そうそうまずいことにはならないだろうけど……)

 ならばせめてと、アニキさんに“手際を見ておいて”とアイコンタクト。もちろん、口も動かしたり軽く指を動かして意思を伝えるのをプラスして。
 戸惑いながら華琳と俺とを見比べ、疲れた表情で華琳の手元を見ることにしたらしいアニキさんは、さっきよりも随分老けたように見えた。

「………」
「………」
「………」
「………」

 調理が続く。
 アニキさんは最初こそ疲れた表情をしていたが、華琳の手際の良さ、立ち上る香りなどを感じると、すぐに真面目な顔になっていた。
 なにせ自分の領域で自分と同じ道具、材料を以って、自分の料理以上を作り上げようとしているのだ。怒るよりも先に、自分に向上心ってものがあるのなら、盗まない手はない。
 まして、紹介してもらえなければ今の仕事には在り付けなかっただろうアニキさんだ。その目は本当に真剣で、華琳の手の動きを逃さずじぃっと見ていた。
 ……そのアニキさんの反応に、華琳が小さく笑っていたのにも、まあ驚いた。

「食べてみなさい」

 しばらくして料理が出来ると、華琳はアニキさんにそれを味見させた。
 口に入れて味わった瞬間、アニキさんが驚きに震える。
 華琳から皿を受け取って他の男たちにも味わわせると、皆が皆驚きに声をあげる。
 俺もどうせならともらったが……これは、確かに美味い。

「こ、こりゃあおでれぇた……同じ材料でこうも違うってのか……」
「こんなものは調理の仕方次第よ。誰にでも出来るわ。無論、あなたにもね」
「へ、へぇ、そう言っていただけると……」

 驚くアニキさんにそう言う華琳を見ながら、ふと思い立って酒を口にする。
 口の中に味が残ってるうちに、その味と酒の味を口の中で混ぜてみるのだが……

「………」

 驚きだ。
 とりあえず何も言わずに華琳に残りの酒を渡してみた。
 きょとんとする華琳だったが、意図を読んだのか料理を、酒をと順番に含んだ。

「………」
「どう?」

 ……言った途端にじとりと睨まれた。
 次の瞬間には再び調理を開始。ガーーッと作られたそれを酒と一緒に突き出され、目で「いいから食べなさい」と言われた。

「………」
「ん、美味い」
「で、でしょう?」

 相性の問題っていうものがある。
 華琳はそれを思い出したのか、少し頬を引き攣りながら腕を組んで胸を張った。

「? な、なんでぇ、どうしたってんだ御遣いの兄ちゃん」
「いや、なんでも」

 華琳の料理は確かに美味しいし、目を見開くほどに驚きを与えてくれたのだが……うん。
 食べるのは愚痴をこぼしにやってきた、オヤジばかりなのだ。
 綺麗で美味しい料理は、そりゃあ美味しい料理なんだから美味い。
 けれど、それが必ずしも愚痴の席で馬鹿笑いするオヤジ達の口に合うかといったら……もちろんそうじゃないわけで。
 最初の料理はとんでもなく美味しかったけど、酒には合わなかった。
 次の料理は美味しかったし酒にも合った。ただそれだけのことだけど、食べるのは美食家じゃなくてオヤジなんだもんなぁ。

「はぁ……久しぶりに勉強になったわ。見えないところにも足を運んでみるものね」
「ありゃ? てっきり焦りながら言い訳並べるかと思ったのに」
「───」
「殺気!? いやちょっと待った! その何かを掴むこと前提の、軽く力が籠もった手はいったいどこからなにを取り出す手!? 頼むから店の中で絶はやめてくれよ!?」

 やっぱり四次元ポケットでも持ってるんじゃなかろうか、この世界の人は。

……。

 金を払い、店を出た。
 男臭さから一気に解放された気分なのか、華琳が深呼吸をしている。

「疲れたか?」
「様々を興じてこそ王。こんな経験も悪くないわよ」

 どこか清々しい顔をしている。
 なんというか、ああいう場所は苦手なんじゃないかと思っていたから逆に驚きだ。

「で……アニキさんにいろいろ言ってたけど、あれって───」
「精進なさいと言っただけよ」
「いや嘘だろ。その一言で済むほど短い話じゃなかったぞ、あれ」

 なにやら長々と話していたんだが、近付いたらキッと睨まれては、すごすごと卓に戻らざるをえなかった。
 しかしながらべつに苛立った様子もなかったし……んん、安心してもいい……のか?
 さすがにあそこが潰れたらショックだぞ……? 前のラーメン屋の後追いは勘弁だ。

「べつに。良い場所ねと言っただけよ」
「………《どすっ》うごっ」
「一刀。今何故……人の額に手を当てたのか、教えてもらえるのかしら」
「た、他意はないんだ」
「本意はなにと訊いているのだけれど?」

 熱があるんじゃないかと……ていうか人の腹に肘打ちはどうかと。

「まあまあ……でも実際、どういう心境の変化なんだ? 小汚いとか言おうとしてたのに」
「私の価値観は私の価値観でしかないことを思い出しただけよ。あそこは確かに、男たちが自然な顔をしていられる店だと理解したわ」
「はは……そっか。まあ霞とか春蘭なら、無遠慮で入れそうな気もするけどね」

 ああいや、春蘭相手だとみんな遠慮しそうだ。
 霞は……祭りで一緒に騒ぐくらいだ、きっとあっさり溶け込めるだろう。
 まあその、格好が目に毒ではありそうだけどさ。

「あとはアニキさんの頑張り次第か」
「急に厨房を借りられたというのに、手の動きを見にくるのは良いことよ。それがたとえ、誰からの助言であったとしてもね」
「珍しいな、華琳が人を褒めるなんて」
「目が本気だったもの。戸惑いから始まろうが、他人から受け取ろうとする姿勢は好感が持てたわ。それを言うなら以前の拉麺屋はだめね。盗み見ることもせず、“どうせ口だけだ”と高をくくって睨むだけだったもの。自分の味が一番だと慢心しすぎている時点で、ずぅっとあのままなんでしょうね」

 言いながら、隣を歩く俺をちらりと見上げてきた。
 顔になにかついてるか? と口元あたりを触ってみるんだが、なにもない。

「なにもついてなんかいないわよ。ただ、早いうちに慢心は敵だと気づけたことへの感謝を抱いただけ」
「へー……誰に?」
「………」

 溜め息を吐かれた。
 そんな感じで夜食の旅は終わり───翌日。
 早速といったらアレだけど、普段なら夜へ向けて下拵えをしているであろうアニキさんの店へと向かった。や、もちろんサボりじゃないぞ? うん。……誰に言い訳してるんだ、俺。
 ともあれ、入った店の中ではアニキさんが厨房で頑張っていた。
 近付くまで俺が入ってきたことにも気づかないほどの集中。
 訊けば、「あんなもん食わせてもらったら、このままでなんていられねぇだろ!」と少し怒声混じりに言うアニキさん。華琳が食べさせた料理の味に本気で驚いたそうで、味の向上を目指し、酒との相性も考えながら料理をしているんだそうだ。

「丁度いいや、おぅ御遣いの兄ちゃん、ちぃと味見してくんねぇか。似たような味ばっか味見してた所為で、少し味覚が鈍ってやがる」
「っと、解った。あ、でも酒は───」
「酒と一緒に味わってもらわねぇと解らねぇだろが!」
「えー……」

 仕方も無しに味わう。
 もちろん酒は本当に微量。
 酒だって安くないから、仕方ない。

「ん……」
「ど、どうだ?」
「……前のほうが美味かったな。酒には合うけど、味自体が落ちてる」
「かっ……やっぱりか。上手くいかねぇもんだなぁ……」

 不味いわけじゃない。けど、なにか足りない。
 なにがと言われると首を捻るしかないんだが……よし。

「じゃあ、思いつく限りやってみよう。こうなりゃ意地だ! 絶対に華琳を驚かせるくらいのを作ってやる!」
「お、おぉ? なんだいきなり」
「天の知識を以ってすれば、不可能なことなど───……いっぱいあるなぁ」
「そこはもっと自信満々に言えよ……」
「いっぱいある!《どーーん!》」
「そういう意味じゃねぇ!」

 そんなこんなで、夜には来ないで昼に来ることが多くなるわけだが……も、もちろんサボリは無しで。ひぃひぃ言いながら書簡整理をして、書物を見て覚えて、休憩時間にやってきては料理修行。
 アニキさんとともに料理を学び、都合がつく時にはチビやデブも混ぜての料理研究会を開いた。もちろん、お題は美味くて酒に合う料理。華琳を驚かせる料理では断じてない。最初はその思いもあったものの、改める必要があった。何故なら、華琳を驚かせても夜の男たちが満足しなければ意味がないからだ。

「ア、アニギー、皿洗い終わったんだな」
「うっしゃ、んじゃあそっちの野菜切っておいてくれ。あぁ、あんまりでこぼこにすんじゃねぇぞ」
「わ、わがったんだな」
「アニキ、これにはこっちの味付けでどうでしょうね」
「ん? これか? んー…………おっ、いい味じゃねぇか! やっぱ手先が器用だなぁチビは」
「へへっ、そ、そうっすかね。……つーか」
「ああ……」

 いつもの三人組が仲良く料理をする中で、俺も料理をしてゆく。
 普通の味しか出せず、得意なほうではないが、この時代にはない知恵から出せるものもある。
 なので思いつく限りを尽くし、味付けや彩でカバー。
 華琳を驚かせる天の料理などで地道に腕を磨きましたこの北郷───役に立ってみせましょうぞ!

「あの時殺しかけたあのガキが、まさかここまでだなんてなぁ……」
「よしっ! チビ、ちょっと味見いいか?」
「お前にチビとか言われる覚え、ねぇんだけどなぁ……」

 まあでも、味がどうとかよりもこうして男たちと騒ぐほうが落ち着くっていうのも……どうなんだろうなぁ。
 普段が女性に囲まれてるから? 女性相手だと頭が上がらないから?
 ……いろいろと理由が重なってるからだろうな、うん。

「……こりゃ美味ぇ! なんだよこれ!」
「フフフ……天でじいちゃんに命じられて、酒のツマミを作り続けた俺に───ツマミ作りで死角無し!」

 作ったツマミをチビが食べると、素直に絶賛。
 続いて酒もチビリと飲むのだが、問題なく酒にも合う。
 ……ツマミ自体に名前は無い。だってじいちゃんの味の好みに合わせて作った適当なものだし。味噌があってよかった。生憎と昆布も鰹節もないから味噌汁は作れないが、実にあってよかった。

「こうなったらアレだ、天の酒に合う料理で、ここで作れるものをとことん作ってみよう。もちろん安さ第一。あんまり高いと客が手を出せなくなるから」
「そりゃ同感だな。俺んところは儲けよりも、男どもの日頃の鬱憤の発散を目的にしてるんだからな」
「っへへー、だよなー」
「にっへっへっへ、なんでぇニヤニヤしやがって」
「アニキさんだってニヤニヤじゃないか」

 二人して顔を見合わせて笑った。
 ほんと、かつては殺しそうになったり殺されそうになったりの関係だったなんて嘘みたいだよ。そんな関係があったからこそ、今は無遠慮になんでも言い合えるんだろうけど……奇妙な巡り合わせだけど、その巡り合わせに感謝だ。

「よしっ、んじゃあ煮詰めていくとするか! おぅチビ! 材料は覚えたか!?」
「へへっ、もちろんさアニキ」
「ど、どう作るのかも、み、見たんだなっ」
「おぅデブ! 見ることは大事だから、その調子で忘れんじゃねぇぞ!」

 俺達は料理を作る。
 酒に合う料理を……疲れた男達が心を癒せる料理を。
 やがてそれは華琳を驚かせたいという思いをそっちのけにして、癒しの頂へ───!!




136/その後

 朝である。
 時間が経つのは早いもので、三国連合の祭りが終わってから、もう二週間以上が経とうとしていた。

「今日も今日とて書類作業〜……るるるー」

 祭りが終わり、それぞれがそれぞれの国に帰るのを見送ると、俺を含めた魏のみなさまは支えを失った人形のように眠りに落ちた。
 疲れていたのだ。当たり前だけど。
 しかしそんなに休んでもいられない。目が覚めればいつも通りの仕事の日々だ。
 ……と、いつかの日を思い出せるくらい、似たようなことをしている俺なのだが。
 つい最近まではアニキさんとの料理研究に忙しく、しかし心をワクワクさせながらの仕事の日々だった。そう、だった。
 完成した料理の数々は、日々に疲れた男たちの癒しになった。とてもなった。
 そんな事実が嬉しくて、再び夜に抜け出したのだが……ええはい、華琳に捕まりました。
 ああこれはまた書簡整理かなーとか思っていたら、なんと「連れていきなさい」と言うじゃないか。公式に許可が出たと喜び、華琳とともにオヤジの店へと足を運んだ。
 華琳を連れていくことでハッとなったアニキさんと目が合って……で、自然な振る舞いで新作料理と酒を用意した。ああ、うん。華琳はね、とても驚いたんだ。料理の味にも、酒に合うという事実にも。

「はぁあ〜〜〜……」

 それでただ喜んでくれればよかったんだが、俺をギロリと睨みなすった。
 俺も華琳が驚いてくれたのが嬉しくて、よせばいいのにアニキさんやチビやデブと研究したんだとか、いらんことを言ってしまったわけで……。
 「へえ……私には教えなかったことを、先にあの者らに教えたと」……って言葉が華琳の口から出た瞬間、“オヤジの店”の空気は確かに凍った。
 天の知識を好みとする華琳にとって、そんな興味を擽られるものを自分が一番に聞けなかったのは大変悔しかったらしく、いや、それを訊いてみたら真っ赤になって否定されたわけだが、ともかく怒り始めたのだ。
 もちろん言葉を並べて落ち着いてもらったし、場の空気もアニキさんがいつもの調子に戻してくれたのだが……いろいろ言いながらも食べてるじゃないかってツッコんだら、さらに赤くなって怒鳴られた。うん、正直その時の慌てっぷりは可愛かった。
 ……目の保養の代償がこの書簡なのはどうかと思うのだが。

「美羽〜、これ七乃に渡してきてもらっていいか? 都の警備体制についてのものだって言えば解る筈だから」
「おお! 仕事じゃの! 任せるのじゃー!」

 寝台の上で俺のことをちらりちらちらと見ていた美羽は、俺が声をかけると目をキラッキラ輝かせて寄ってくる。そんな彼女に仕事を頼めば元気に駆けてゆき、戻ってくると「主様主様! 褒めてたも! 褒めてたも!」と眼で語る。……今は口で普通に言ってたが。
 褒めると足の間にとすんと座ってきて、上機嫌で竹簡などを一緒に見る。
 しかし少しすると目を回したかのようにふらりと揺れ、とすんと俺の胸に後頭部を預けると寝てしまう。難しいのは苦手なようだ。

「うん」

 そんな美羽の頭を撫でながら、書簡整理は続く。
 「まずはそれらを覚えなさい」と華琳に渡されたものがほとんどで、決して妙な嫉妬心から無理矢理突きつけたようなものじゃない。きちんと都で暮らすために必要な知識だ。
 あとのものは朱里や雛里、冥琳が“この書物が参考になる”的なことを言って、置いていったものだった。なるほど、読むだけでもどういうやり方をすれば国にとっていいのかが解る。
 解るが…………数、多すぎだろ。

「いやいやっ、やるって決めたんだ、やってやろうじゃないか!」

 これしきで挫けてたら、都を纏めることなんて夢のまた夢だ!
 よし、輝く未来のためにも勉強勉強勉強ォオーーーーーッ!!!

……。

 …………コーーーン……

「終わらない……」

 やあ、北郷一刀だ。
 朝から黙々と整理を続けていたが、夜になっても終わらない。
 どうなってんだこの書簡の山は。

「むしろ朝より増えてないか……? ちゃんと片付けていったはずなのに、どうして……」

 倉に終わった分を持っていって、戻ってきたら…………ああ、誰かが置いてったのか。
 誰だか知らないが…………知らないってことにしたいが、なんという拷問を。

「よし、気分転換気分転換」

 ずっと机に噛り付いてちゃ脳が疲れる。
 なので氣の鍛錬を開始。
 未だにすいよすいよと眠る美羽を包みつつ、氣の放出や固定、増幅の練習をした。

……。

 ……ハッと気づけば朝だった。

「………」

 いつの間に寝たのかも覚えてない。
 ただ体がビクンと痙攣して、気づけば朝だった。

「……最近普通に寝てないな……んん」

 伸びをして頬を叩く。
 美羽は変わらず足の間だ。
 そんな美羽を抱き締めて、椅子を引いてから立ち上がる……つもりだったが、体が固まってらっしゃった。なのでギギギ……とゆっくり体をほぐしながら立ち上がり、美羽を寝台まで運ぶとゆっくりと横たわらせて、布団を被せる。

「さてと」

 穏やかな寝顔の美羽の頭を撫でてからの行動は早かった。
 窓まで歩いて開き、部屋の扉も開けると空気の入れ替えを開始。
 朝の静かな喧噪が空気とともに流れ込んでくる朝に、胴着と袴に着替えた俺は、バッグを持って外へと歩き始めた。何をするか? もちろん鍛錬である。
 中庭までを歩く中で、顔を合わせた兵に挨拶。
 みんなが笑顔で挨拶してくれたり、姿勢を正しておはようございますを言ってくれる。
 気軽に声をかけてほしいこちらとしては、畏まられるのは少しだけ困るんだが……華琳や雪蓮に言わせれば、“必要な緊張だから無理にほぐす必要は無い”、だそうだ。

「はぁ……うん、いい天気」

 今さらだけど快晴の朝。
 厨房に寄って水を貰うと、いよいよ中庭で鍛錬だ。
 東屋の傍にバッグを置くと、まずは準備運動と柔軟体操。
 体をほぐしてからのばす。
 無理に伸ばすんじゃなくて、じっくりと体に負担がかからないように段階を追って。

「胴着と袴を着てると、どうもこう……」

 れっぷうけーん、とか言いたくなる。
 いや、気にしないで続けよう。

「筋肉が成長しないとはいえ、動かしてやらないと眠ったままだもんな」

 朝にはどうにも力が出ない筋肉を、じっくりと目覚めさせる。
 それが終わると走りこみだ。
 石段を登って城壁の上に辿り着くと、見張りの兵に挨拶をする。

「三日ごととはいえ、疲れませんか?」
「疲れる。でも心地いい疲れだから」

 苦笑する兵に「一緒にやってくれるなら大歓迎!」と言ってみると、物凄い勢いで首を横に振られた。このまま押し切ろうとすれば、“ヒィイ”とか言いそうな勢いだった。

「………」

 慣れって怖い。
 それだけの鍛錬をしてるってことか。
 なのに将には全然届かないんだもんなぁ……腕力とか速度とか。
 見切りで雪蓮に近づけはしたものの、結局は倒す力が無いことが判明したわけだし、もっともっと鍛えないとな。よし。

「足に氣を溜めて……っと」

 走る。
 とにかく俺は、氣の絶対量がまだ少ない。
 それを広がせるためにも氣を使って、錬氣してを繰り返さなければ。
 祭さん式の強引拡張は、連合祭りの三日後に華琳に見つかってしまい、本格的に禁止が命じられた。なので使いつつも錬氣するという器用な方法をやってみているのだが、これが辛い。
 息切れが激しいし、やったあとはそのー……強引に氣を練るからだろうか、腹が減る。

「錬氣して、足で弾かせて、また錬氣して……と」

 それを全力で。
 とにかく足一本で地面を蹴って進む距離を伸ばし、さらに回転も上げる。
 大股で走りながら、けれど足の動きは速く……そんな感覚で駆ける。

「っと……いち、に、いち、に……んっ! いぃっち! にぃいっ!!」

 最初はリズムよく、次にそのリズムに慣れると速度UP。
 もっと速く! より速く!
 氣しか鍛えられないなら、氣や勘、戦い方や立ち回りに力を注ぐ!
 もっと前へもっと前へぇええええっ!!

「いちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにぃいいいっ!」

 数えている数も歩調に合わないほどの速度になると、もう呼吸代わりに叫んでいた。
 端から端まで何秒で辿り着くかを数えながらも、方向転換がすぐに出来るように工夫もする。途中から華雄が参加して、一緒に走り始めると、これがまた面白くなる。
 大会で俺が雪蓮に勝ってからというもの、鍛錬のたびにやたらと挑戦してくるので、一緒にこうして鍛錬している。勝負って名目は横に置いておいて、どうせなら競い合うように強くなれますようにと。

「よしっ、じゃあ華雄、あれいい?」
「ああ、構わんが」

 散々走ると汗を拭いつつ、いつもの木の下に戻る。
 そこで自分の中にある氣の大半を華雄に埋め込み、すぐにまた練成。
 それをさらに華雄に渡してを繰り返すと、パワフル華雄さんの完成である。

「ふぅう……はぁあ……!」

 で、華雄は華雄で戦いの中で熱くなりすぎないよう、この状態をキープ。
 前回の鍛錬の時、“挑発に乗り易い”って指摘したら否定したので、実際に戦いながら挑発したらあっさり我を忘れての突撃を開始した。
 そんな華雄をなんとか返り討ちに……できたのはよかったんだが、華雄が落ち込んだ。物凄く落ち込んだ。以来、冷静になれるようにと鍛錬を始めたわけだが……これが二回目だから、まだ安定はしていない。

「ところで北郷。私はお前に負けたわけだが───」
「あれは鍛錬の延長だろ? 熱くなりすぎることを克服した時にもう一度やろう」
「……そうか。お前がそう言うのなら、そうしよう。次は油断も慢心もしないだろうがな」
「その時はよろしくな……は、はは……その、是非お手柔らかに……」
「断る」
「即答!?」

 本気の将にはまだまだ勝てる気がしない。
 とはいえ、あのまま“じゃあ俺の勝ちで”なんて言ってみろ。妙なところで生真面目な華雄のことだ、二言は無いとか言い出して、俺の子を産むとか………………い、いや、ないだろうけど完全に否定できないから困る。

「北郷。お前はどのあたりまで氣を練れるのだ?」
「俺? どのあたりって……難しい質問だな。えーっと……」

 離れていた位置から木のもとまで歩き、木刀を手にして華雄のもとへ。
 そこで錬氣を始めて木刀に纏わせていくと、いつもの量では止めず、さらにさらにと上乗せしてゆく。
 するとどうだろう。
 黒檀木刀が氣を帯びて薄く輝き始め、それでも無視して籠め続けていくと、光の濃度が濃くなって黄金色に輝いてゆく。
 それでもさらに無視して上乗せ、混入、蓄積、装填。

「………」

 そんなことを続けていたら……とんでもないことになった。
 今現在、構えている木刀が黄金色と書いてコガネ色に輝いているんだが、木刀が氣にあてられてミキミキと嫌な音を───ヒィ! やばいやばい! 壊れるってこれ!
 えーとえーと体に戻す……には多すぎる! だったら、そうだ剣閃!
 あ、でも切れ味とかどうなってるんだろうかコレ。
 …………ちょっと試してみようか。
 手頃は石を拾って、軽く上に投げてカッキーンと野球のように《ズパァン!!》……斬れたァアアアーーーーッ!!!? 打つどころか斬れた!? え、あ、えぇ!?

「…………氣って……すごいんだなぁ……」

 改めて感心した。
 思えば使えるようになってからは身近なものになってたけど、普通に考えればとんでもないものだもんな、これ……。放てば看板だって吹き飛ぶし、普通の歩法じゃ出せない速度も出せるわけだし。
 一度、そういうものを扱ってるって意識を戻したほうがいいよな。
 輝く木刀を持ちながら、ごくりと喉を鳴らした……そんな俺を、華雄は羨ましそうな顔で見てきた。

「むう。私はそういうものを使った試しがないのだが」
「いやいや、使ってるって。十分使ってるから」
「? ……どういうことだ?」
「えっとな、俺が氣を流し込むときに気づいたことなんだけど───」

 とりあえずアレだな。自分が感じたことをはっきりと説明してみよう。
 氣はあるけど常時使われている状態なんだってこととか、今はその氣を俺が纏わせた状態だから、案外使えるかもってこととか。

「む、う……使うと言われても解らんが……」
「無意識って怖いなぁ……」

 言ってしまえば今でも使われている。
 試しに握手をしてみたら、ペキコキと指があだぁーーーーーだだだだだ!!!

「華雄待って華雄! 離して! やっぱりもう使えてるってこれ!!」
「なに!? 意識などした覚えもないぞ!?」
「俺としては意識しないでどうして使えるのかが謎だよ!」

 解放されてからもズキズキと痛む手にプラプラと振るい、痛みを逃がす……この行為って普通にやってしまうものの、効果はあるんだろうか。あれか、遠心力で痛みを外に…………逃がせたら苦労しないなけどな。まだ痛いし。
 ともかく華雄に自分の中の氣がどんな状態なのかを説明する。
 説明し終えると、早速使ってみようとする華雄なのだが…………

「………」
「華雄?」
「使い方が解らん」

 いや、だから使ってるんだってば。
 そう言ってみても、なんだか納得出来ていないようだった。

「私もすとらっしゅとかいうものが出来るか?」
「出来る……とは思う。渡した氣が自動で使われる前にやってみようか」
「よし!」

 どうやら春蘭が使ってたのが気になっていたようで、コツを教える間は熱心に聞いていた。何度首を縦に振ったのかは……途中から数えるのをやめたくらいだ。

「よし、よし! こうだな! はぁあああ……!!」

 構えた金剛爆斧に氣が集められる。
 さすがに武人と言えばいいのか、コツを教えたら氣の移動なんて一発だった。
 ……べ、べつに羨ましくなんかないぞ? ほんとだぞ?

「あ〜……か、華雄〜? 熱くならずに、冷静に、冷静にな〜……?」
「何を言っている? 私は冷静だ……っ!《きらきら……!》」
「目が滅茶苦茶輝いてますが!? 縁日の子供並みに輝いてらっしゃいますが!? ってちょっと待った華雄! そんな状態でやったら───」
「おぉおおおおっ!! すとらっしゅ!!」

 やがて振りかぶり───投げたッッ! 斧をッッ! 投げ───えぇええええっ!!?

「え、いやちょっ───逃げてぇ! 見張りさん逃げてぇええええっ!!!」

 斧が飛ぶ!!
 氣を籠めた斧が、中庭から城壁の見張り台目掛けて飛翔する!
 その先には城の安全を見守ってくれている見張りの兵が《ドゴォオオーーーーーン!!》

『キャーーーッ!?』

 俺と華雄、絶叫。
 氣が籠もった斧は見事に見張り台に直撃。
 咄嗟に逃げてくれた兵にはただただブラボーを唱えたかったが…………もちろん当然のごとく華琳に報告が行き、盛大に怒られた。

……。

 鍛錬が中止となり、時間が空いてしまった俺は、とりあえず空いた腹を満たした。
 華雄とはついでとばかりに華琳に仕事をもらい、途中で別れることになったから、現在は俺ひとりだ。
 歩いていれば誰かに会うだろうとは思ったものの、これで結構都の建築などで人材が使われているらしく、城の中は案外静かだ。

「ああ……どうせなら俺も建築のほうに回りたかったな」

 知識はないが、木材運びくらいなら手伝えただろうに。
 氣を使えるようになってからというもの、体を動かすのが楽しくなったフシがある。
 自覚済みだから、頭を使うことよりもいっそのこと……とは思うのだが、しっかりと華琳からは釘を刺されていたりする。

「まあ、今は勉強勉強、だな。覚えなきゃいけないことは山積みだ」

 汗も拭き、とっくにフランチェスカの制服に戻していた服を見下ろしてから苦笑。
 思えばなにをするにもこの格好だったな。
 学んでいくって意味では、確かに学生っぽくはあった。
 戦いまでもこの格好でするのは大変ではあったものの、やっぱり学ぶことは多かった。

「これからどうなっていくんだろうな、てんで想像がつかない……」

 溜め息と一緒に漏れた声を、誰かが拾うなんてこともなく。
 俺は、一日中誰も来訪することがなかった部屋で、ずっと書類整理を続けた。




136/ただ自然に身を委ねて

 時間は普通に流れる、という言葉を誰かが使った。
 普通という基準が誰のもので、どういった経ち方が普通なのかは誰も知らない。
 けれど、なにかに夢中になると時間が経つのが速いように、その逆もまた存在する。
 それを考えれば、普通がその中間に当たると考える。
 楽しくもなくつまらなくもない、確かに普通の時間を過ごせば、時間は普通なのだろう。

「んーと……ここは隊のやつらと話し合うとして……あー……もうちょっと人が居るな」

 そんな普通の中、考えることは山ほどある。
 一日中を部屋の中で過ごすことが多くなった日々は、退屈ではあるのだが、つまらないとまではいかない。
 都で過ごすことを考えれば、期待と不安を混ぜたような……そう、普通の時間だった。

「華琳ー、人材のことなんだけど───……って居ないし」

 日常は普通に流れてゆく。
 部屋を出ても、行くとしたら厨房か華琳の部屋か中庭ばかり。
 書類整理をしながらも氣の鍛錬は毎日行い、じわじわとではあるが強化されていっている……と思う。

「まあ、これは後回しにして別のことだな、よし」

 やることは山ほど。
 覚えることも山ほど。
 それが苦かと問われれば、普通だとしか答えられない。
 別の言葉を並べても、きっと辿り着く答えは変わらないだろうから。

「……………」

 集中しすぎるといろいろなものが遮断されるのは、呉に居た時とあまり変わらない。
 ふと気づくと夜になっており、誘いに行ったけど返事がなかったという声を結構耳にしたりする。さらに言えばその所為で食いっぱぐれてしまい、夜に城を抜け出して、アニキさんの店へ食べに行くこともしばしば。
 ツマミ騒動以来となる来訪だったんだが、アニキさんはニカッと笑いながら迎えてくれた。

「おっ、また来たなぁ?」
「いやははは……ごめん、空いてる?」
「おう、ちっと待ってな。おぅい、そこ詰められるだろ、詰めろ詰めろ」
「おぉお? おいおいおい、キツイぞぉ? ここ」
「うるせっ、どーせ男しか居ねぇんだから、男の親睦深めやがれ」
「ごめん、お邪魔しますっと」
「あー、いいってことよぉ! こうなりゃもう肩組んででも詰めてやらぁ! おうおう、御遣いのにーちゃん、こっち座れこっち!」
「てめぇはもうちっと酒くせぇのを直してから言いやがれ! こっちだー! 御遣いのにーちゃん!」
「んで? なに食うんだ?」
「あ、とりあえず酒」
「たっはっはっはっは! そうだよなぁ! まず酒だよなぁ! せっかく腹空かせてんだから、すぐ酔うためにも酒だぁなぁ!」
「なぁ〜〜に言ってやがる! じっくり酔うのがいいんじゃねぇか! にーちゃんよぉ、まずメシにしろって。俺のつまみ少しやるからよぉ」
「そんな残りッカスで腹が膨れんのかぁ?」
「膨れてんのはてめぇの腹だけだろうが!」
「馬鹿言え! おめぇの連れよりゃ痩せてるよ!」
「てんめぇ妊婦に喧嘩売ってんのかぁ!? 俺のツレの前で同じこと言ってみろぃ!」
「それこそ馬鹿言え! 張り手一発で首が折れちまうだろ!!」
「だぁっはっはっは! ちげぇねぇや! ま、ま、これ食えにーちゃん!」

 町に出れば笑いがあって、その笑いの中で肩を組んで、酔って笑って、話して笑って。御遣い御遣い言いながらも、きちんと一人の飲み仲間として肩を組んでくれることが嬉しかった。

「しっかしまぁ今さらだけどよ、このにーちゃんが支柱ねぇ。まあ、そうなってくれるならありがてーやなぁ」
「ああ。大会見た時ゃちびるかと思ったね。あんな激しいの、今回が初めてだ」
「元譲さまだけは毎度毎度全力だったが、いつもはもっと礼儀正しい、落ち着いた戦いばっかりだったもんなぁ」
「え? そうなのか?」
「そーなのさ。あの場に居たやつなら間違い無く思うね。“戦なんて二度とやっちゃならない”ってな。その同盟がにーちゃんの肩に乗っかってるって考えりゃあ……遠慮ねぇ言い方をすれば、にーちゃんには期待してるんだよ、み〜んなな」
「複雑だなぁ、それって」

 口ではそう言うが、望むところだった。
 自分の肩に戦云々が圧し掛かるのは怖い。だが、それは受け取り方の問題だ。
 戦なんてしなくても、もうみんなの願いが叶う現在があるのだ。わざわざする理由も無ければ、みんなも戦をしたいなんて言わないだろう。
 だから笑った。苦笑ではあったが、笑いながら話を続けた。

「つーかな、こんなのほほんとしてそうなヤツが、元とはいえ呉の王様に勝っちまったんだよなぁ……」
「御遣い兄ちゃん、おめぇ、もしかしてすげぇ男なのか?」
「だっはっは! アニキさんよぉ、すげぇかどうかなんて、種馬って時点で解りそうなもんじゃねぇかぁ!」
『ああ、そうだったな』
「全員で納得!? みんなしてなんだよその生暖かい目!」

 いろいろツッコミたいところがあれば全力でツッコミを入れ、肩を組んで笑い合う。
 最近は将のみんなよりも、兵や民のみんなと騒ぐ時間の方が多くなっている気がする。
 気がするだけで、実際は違うけど……なんというか、色濃い時間を過ごしている気がするのだ。愛し合うとかじゃなくて、ええっと、なんて言えばいいのか。……そうか、悪友と燥ぐ感覚と似ているんだ。
 “城の中だからああしなきゃいけない”って考えから外れた、北郷一刀で居られる時間。男同士だから出来る会話に、緊張しなくてもいい空間で、男たちで馬鹿をする。
 この世界に来てからというもの、自分にはそういうものを得る時間が極端に少なかった。

「っかー! しっかし美味ぇなぁこの料理! にーちゃんとアニキさんが作ったんだっけか!?」
「チビとデブもな。へっへ、まぁ自慢の味だぁな《ニカッ》」

 美味いと言われるのが嬉しかったのか、照れが混じった笑みを浮かべるアニキさん。
 美味いと言った男も言葉の通りに料理を口に運んでは、追うように酒を口に含んで笑っている。なんというか、自分たちが作った料理が笑みのきっかけになってくれるっていうのは、くすぐったいものだ。
 だからアニキさんもあんなに嬉しそうなんだろう。

「ひっひっひ、この調子で行きゃあもっと繁盛するんじゃねぇかぁ?」
「気持ち悪ぃ笑い方してんじゃねぇよ。俺ゃ繁盛する店で働くよりも、こうしておめぇらと騒げるくらいが丁度いいんだよ」
「アニキさん……あんた男だなぁ。よし、俺の娘をやろう」
「ばかやろ! なに言い出しやがるんだ! 産まれたばっかだって言ってただろうが!」
「だはははは! 言う割りにゃあ顔赤ぇぜぇ旦那ぁ!」
「かっ……! 黙って食え! この酔っ払いが!」

 そんな空間の中で一緒に笑っている。
 飲む酒はちびちびと。料理もじっくり味わいながら。
 こういう場所ってなんかいいなって毎度毎度思いながら、結局閉店までを過ごした。
 時間が経って解散して、部屋に戻っても騒いだ興奮で眠れなくて、やっぱり勉強をする。

「………」

 とっくに寝ていた美羽の頭をさらりと撫でてから机へ向かう。
 向かいながら氣の強化を少しずつ。
 なんだかんだやっているうちに机で寝てしまい、また朝を迎える。
 そんな日々の繰り返しに慣れてゆくと、少しずつ変化をつけてゆく。

「放出しながらすぐに錬氣…………くはぁっ……! 疲れるなぁこれ……!」

 今までやっていたことを一回り大きくしたものだ。
 勉強の量も増やして、鍛錬は思いっきりやって、休む時も思い切り休む。
 美羽の練習に付き合っていたら、少しずつではあるが二胡も弾けるようになってきた。
 それは本当に少しずつの進歩であり、通りかかった桂花に鼻で笑われるようなものだが、むしろその鼻での笑いを驚愕に変えてやるつもりで頑張った。
 しかしまあ、上達ってものは本当にジワジワとしか進めないものであり、驚く顔が見れるのはまだまだ先になりそうだ。

「……一刀。これはなにかしら?」
「え? なにって……ミルクきな粉?」

 もちろん料理も忘れていない。
 時折、華琳がなにかしらの刺激(新しいなにか)を欲しがるので、それを味覚でなんとか落ち着かせたりしている。ツマミの研究はこんなところでも役に立った。
 あれ以来、俺がオヤジの店に行く時には声をかけなさいと言われているのだが……よかったのかなぁこれ。いや、そりゃあ華琳と一緒に居られるのは嬉しい。でも、男同士でしか出来ない気兼ねない会話というものがあるわけで。
 それを言ってみれば華琳も一応納得はしてくれた。条件として、酒を飲む時には俺がツマミを作るというものを突きつけて。

「あら……甘いのね」
「っへへー」
「なによ。だらしのない顔をして」
「いや、だってさ。やっぱり自分が作ったもので誰かが喜んでくれたら嬉しいだろ?」
「……一刀。私は“甘い”と言っただけで、喜んだりは───」
「顔、緩んでるけど?」
「!!《ボッ!》」

 あ。赤くなった。
 と、まあ日々はこんな感じだ。
 華琳が作った酒に俺が作ったツマミ。
 それを飲んで少し上機嫌になる華琳と、それを見て心穏やかになる俺。
 俺の方の“日本酒?”も今のところ順調だし、今回ばかりは成功しそうで嬉しい。
 今回の名前は北颪。“きたおろし”と読む。北の山風って意味だな、うん。颪自体が北の風だから北颪って名前は少しヘンなんだけど、まあ気にしない。

「それより一刀。知識の補充は順調なのかしら」
「ああ。毎日毎日しっかりやってるよ。……罰のほうも、もちろん」
「ええ結構。ふふっ……」
「? いきなり笑ったりなんかして、どうかしたか?」
「素直に感心していたのよ。これが、入りたての頃は右も左も解らない、仕事といえばサボったり空回りばかりだった男とは思えないわ、とね」
「……感心か? それって」

 思わず苦笑しながら頬を掻いた。
 しかし彼女は“上機嫌です”って言葉を顔に貼り付けたような笑みを浮かべ、「素直にと言ったでしょう?」と言う。

「最初からなんでも出来る者など居ないとはいえ、いい拾いものをしたわ」

 や、拾いものって……まあ事実か。
 じゃあ俺は、華琳のその“いい拾い物”って認識を壊さないように頑張るか。
 華琳が素直な感心を向けてくれるのは、普通に嬉しいし。
 …………たとえ受け取る側が“素直な感心”には聞こえなくても。

「そか。それじゃ、もっと頑張ってみるよ」

 俺の言葉にくすくすと笑う。
 なにかツボにでも入ったんだろうかとは思うものの、いつも通りの言葉が返されると俺も笑った。
 なるほど、拾われた方としても、いい場所に拾われたもんだって思える。
 存在を張ってまで意思を貫いた甲斐があったってものだ。
 保身に入れば負けていたであろう戦の日々を思って、俺も笑う。
 これもまた、なるほどだ。
 拾った者の言葉なんて無視していれば負けていたであろう日を思えば、巡り合わせってものに笑いたくもなる。華琳も今、そんな心境なんだろう。
 幸いにして、“頑張ることが出来ること”が山ほどだ。
 やることに困ったらとりあえず書類整理。……それが、今の自分に出来ること。
 部屋に戻ればまだまだ“やること”が待っている。

「ところで華琳。氣の強引拡張の許可を───」
「だめね」

 上機嫌なのをいいことに、さらりと言ってみたら断られた。
 ……やっぱり地道にいくしかないか。
 辛かろうが、手っ取り早く氣脈の広げ方を知るとダメだなぁ、横着したくなる。
 あれが横着と言えるほどに楽であったなら、禁止もされなかったんだろうが。
 断られることは想定内だったから、俺は笑いながら部屋をあとにした。
 さて。
 都のために覚えることも随分と読んできた。
 もちろんまだまだ覚えることはあるが、その都で自分がやってみたいことをやるのも悪くない。この時代に天の知識を組み込みすぎれば未来がどうなるのかなんて、まあ想像に容易いというか……あまりしたくはないものの、技術が先走らない程度にやっていこうと思う。

「じいちゃんが言ってたなぁ……過ぎた技術は自分の首しか絞めないって」

 大陸は自然が多い。
 そんな世界で人が生き易い条件ばかりを増やせば、人は見る間に増えるだろう。
 建物が増えて、自然が削られて、いつかこの“当然になった空気”も濁るのかもしれない。そして自分は、その変化にも気づけないくらいにその空気に慣れてしまうのかもしれない。それは……なんだか嫌だって思った。

「栄えるばかりが未来のためじゃない……よな」

 自分勝手だけど、知識を提供するかどうかはその場で生きる者に委ねるべきだ。
 俺は……この時代の“流れ”に身を委ねてみようと思う。
 邪魔にならず、しかし栄えすぎない程度の知識を提供して。
 いつまで生きるのか、もしや果てはないのかもしれないこの体で。

「ははっ……さて、仕事仕事っ」

 苦笑をこぼして歩く。
 さて。
 国に返すための一歩をまた積み重ねますか。
 受け入れられるかは解らないが、出来ることをやったと……せいぜい胸くらいは張れるように。




 夜のお楽しみの回。  いえ、性的な意味ではなく。むしろアニキ回。結構アニキさん好きなんですよ。  だから萌将伝でまた悪役やってる時にはもう黒いものがモシャアア……と……。  しかしアレですね。恋姫はほんと、何があって何が無いのかが解らない。  味噌は普通ならこの時代には無いが豆板醤などはある。  酒が作れるなら味噌もOK。というか64で既に出してます。香りだけですが。  ここでの味噌は、一刀が消える前に華琳に渡したメモに製造方法があった〜などで保管してください。  えー、はい、さて、87話をお送りします、凍傷です。  大掃除の季節ですね。仕事場でも家でも。いやぁ、指が割れます。掃除の時はゴム手袋したほうがいいですね。  大掃除のついでにゲームを25本売却。  中には積みゲーも混ざっておりました。どうせやらないなら糧になってもらおう。  ……あれ? なんのために買ったんだっけ……。  時間が無いくせにゲームなんて買うもんじゃないですね、うん。  と、こんな感じで、小説の内容は山も大してないものが続くと思います。  平穏ほのぼのを書きたかった……! という思いをぶつけているだけな気もしますが、続きます。多分。  IFらしさはどうしたとツッコまれればそこまでですが、多少非常識へ向かうかもしれないので。“恋姫ではそれくらい常識だ”って言われたら焦るほかないです。  もしもこんなことが起きたなら。結局はそこです。  相変わらず作者の妄想を書いたものとなるでしょうが、のんびりお付き合いください。  飽きたらそこまででいいんです。暇潰しの役に立てたなら最強さ。なにが最強なのかは気にしないでください。  では、また次回で。 Next Top Back