137/平和に慣れたその先で

 ゴロロロロロ……ゴシャッ。

「…………《ごくり》」

 広い青空の下、城や街の外である草原にて。
 今……俺達は歴史を前に立っていた。
 歴史と言うには時代がいろいろとアレだとか細かなツッコミはいい。
 ともかく、この時代でも先の時代でも普通は作ろうとは思わないものを完成させた。
 本来ならば三国連合の際に発表するつもりだったそれは、出来上がってはいたが“これでは無理だ”と俺がダメ出しをして、さらに改良を加えたもの。
 その名も───

「どーや隊長ー! これが! これがウチの氣動自転車“片春屠くん”や!!」
「カタパルトってお前……。なぁ。いっつも思うんだが、そういう名前はどこから来てるんだ?」

 「んーなんえーから」と俺の疑問なぞそっちのけで、乗り方の説明に入る真桜。
 俺も、もう包帯を取った手を軽く握ったり開いたりを繰り返し、話を聞いた。
 軽く握る分にはもう問題ない。いいことだ。

「この片春屠くん自身に、止める手段はないっちゅーことをまず覚えといて」
「いきなり怖いなおい!! そういうのは普通最後に言わないか!? で、忠告聞かずにワクワクしていた俺がさっさと乗ってドカーンとかそういうオチで!」
「や、名前の由来もそういうところから来とんねん。おっきぃ声では言えんねやけどな? ほら。片春屠くんの“片”は、片道を突き進むって意味で、春は…………ほら、解るやろ? で、あとは相手も自分も屠るって意味で」
「……つまり、これは突撃だけをして相手を屠る、あの将軍さまを思って作ったと」
「…………絶っっっ対に……名前の由来は内緒やで?」
「華琳とか秋蘭は気づきそうな気もする」
「よっしゃ名前変えよ!」
「しかし片春屠くんか。素晴らしい形だな片春屠くん。きっと雄々しくも華麗なる動きを見せてくれるんだろうな片春屠くん」
「連呼やめぇえ!! 今変えるすぐ変える! ちょっと待ったって隊長ぉお!!」

 真桜が屈み込み、コメカミに指をあて、横線のような目になってうんうんと唸り始めた。口はなんというか、栗のような形だ。

「………」

 ふむ。
 しかし見事なまでに二輪車だ。
 バイクとはいわないが、こう……ロードローラーをバイクに近くした感じだろうか。
 ひょいと跨ってみると、まず違和感。
 自転車では味わえないほどの重量感が得られた。
 一言で言うと“滅茶苦茶重い”。

「真桜、これって───」
「んあーーーっ! 隊長が片春屠くん片春屠くんいうから他の名前が浮かんでこんなってもうたやーーん!!」
「それは擦り付けっていうんだ。考えた名前には責任を持とうな。俺は紹介された名前を口にしてただけだし」
「うぐぅっ……隊長のいけずー……」
「はいはいいけずですよー。それでさ、これってどう動かすんだ?」
「強ぉなったなぁ隊長……。前までは急に話振られればおたおたしとったのに」
「各国で散々と振り回されれば、そりゃあな……」

 とはいえ、少しでもスルースキルを発揮できるのは、相手が真桜だからだろう。
 凪や沙和にも言えるだろうが、他となると中々に難しい。
 これも慣れだろうな。
 なんだかんだで真桜や沙和や凪とは付き合いが長い。

「んじゃ、説明始めよか。まず跨り方はそれでええ。次にそこの……そうや、そこを握って───」

 姿勢は自転車やバイクと変わらないらしい。
 ロードローラーを自転車に変えたようなものではあるが、タイヤ……というかローラー部分の幅が広いので、両足をつかなくても倒れることはない。
 もっともこれと一緒に倒れたりしたら、片方の足が確実に潰れるだろう。転倒事故は絶対に起こせないシロモノだ。

「ん、そんでええ。で、氣を送る」
「ん……」

 バイクに跨りハンドルのグリップを握るようにして、ゆっくりと氣を纏わせる。
 ハンドル部分に真桜の螺旋槍が回転する仕組みにもなる絡繰が組み込まれているらしく、そこに氣を送ることで車輪が回る……そういう仕組みなんだそうだ。
 少し氣を埋め込んでみれば、ずず……と車輪が回り、氣動自転車が前に進む。

「お、おお……!」

 感激……!
 自分が係わったものが成功の一歩を踏み締めんとする瞬間、俺と真桜は顔を見合わせた。
 もちろん笑顔で。
 そんな喜びを前に、俺の心はどうしようもなく弾んでしまい、つい送る氣の加減を誤った。
 あとの出来事なんてものは、まあ……誤ったという言葉の通りだった。


   ギャアアアアアア…………!! どっかぁーーーーーん!!


……。

 派手に吹っ飛んだ俺と樹木。
 片春屠くんの名は伊達ではなく、衝突した樹木をいとも容易く破壊して見せた片春屠くんは、操縦主である俺が空を跳ぶことで停止した。
 どうやら氣が無いと満足に動くシロモノではないようで、多少の斜面でもどっしりと動かないようだ。そして風になった俺は地面を“バキベキゴロゴロズシャーーアーーーッ!”と派手に転がり滑ったわけだが。

「真桜……プロテクター作って……お願い……」
「や……ちゅーか……よく無事やったなぁ隊長……」
「ふふっ……春の名を真名に持つ者の突撃には慣れてるからな……」

 のちに彼女は言う。
 “あん時の隊長の目は、ある一部だけ悟りを開いた者の目やった”と。
 それはそれとして、痛む体を引きずりつつも、片春屠くんの無事に驚愕する。

「傷すらついてないぞおい……」
「そらそうや。隊長の氣で包まれるからそれが緩衝材になるし、素材も半端なもんは使ってへんもん。ま、その分金はかかったけど」

 なるほど。貰った給料のほとんどを真桜に預けたのは間違いではなかったか。
 ……前借りもしちゃったから、しばらくはただ働きだよちくしょう。
 追加で「あとはぶつかっても対象が壊れんよう、氣の調整をするんは隊長の役目や」と言っている真桜の顔は、実に生き生きとしている。

「で、ようするに止まるには氣を抑えればいいんだよな?」
「おっ、一発で解るなんて、隊長も氣ぃっちゅうもんが解ってきとるやん」
「そりゃ、毎日使ってればね」

 樹木を破壊したままのそれに跨り、氣を解放。
 すると前に進むそれのハンドルを捻り、方向転換をする。

「おお……曲がる曲がる。名前の由来の通り、曲がれなかったらどうしようかと」
「や、さすがにそれやったったら職人の名折れやろ」
「そりゃそうだ。名の通りに完成させるのも、ある意味では職人業とも言えるけど……さすがになぁ」
「なー……」

 突撃前進しか出来ないんじゃあ、どこにも向かえないし方向転換させるには重過ぎる。
 まあ、なにはともあれ一つの目的が達成されたわけだ。
 あとはどれほどの速度が出るかとか、氣を送らなくなったらどれほどの速さで走行速度が落ちるのか。それを確かめておかないとな。
 急にビタァッと止まられたら、また俺が空を跳ぶことになりそうだし……。

「よし! 真桜、後ろに乗ってくれ!」
「おお! 道連れやな! ってお断りするわ!」
「物騒なこと言わない! 作ったなら信じよう!?」

 漫才みたいなことをしながらも、真桜はにししと笑って後ろに跨る。
 その際、俺の体に腕を回して抱き付くわけだが…………うん、皆まで言わない。
 背中がこう……いや、言わない。

「ん……最近ご無沙汰やし、これが終わったあとでも、どや?」
「ハハハ、ナニヲオッシャルエッセンシャル。もはや俺は我慢の男! 欲望の波などとっくに手懐けていられたらいいなぁ!」
「……隊長、途中から希望的ななにかになっとるでー……」
「ほっといてくれ! 俺はもういっぱいいっぱいなんだよ!!」

 だが大丈夫。まだ藤巻十三にはなっていない!
 あれをやらかしてしまったら、一緒に寝ている美羽にもう顔向けできないし!
 そんな考えを頭から追い出すべき、「しっかり掴まってろよ」と真桜に告げて走り出す。
 まずはゆっくり、徐々に速く。
 広大な平野を走り、速度調整を感覚で覚える。

「面白いなこれ……氣の加減ひとつで随分と細かく速度を変えられる」

 自転車のギアとか顔負けだな。
 もっとも、氣をずぅっと使うわけだから長距離すぎるとバテる。
 錬氣が出来て、最大量が多い人用だ……けど、案外鍛錬に向いている。

「よしっ、思い切り氣を籠めてみるから、しっかり掴まっておけよ真桜!」
「お、お……おおっ? なんや隊長、急に口調が男らしく───」
「男は乗り物で変わるんだ!」

 未知との邂逅、様々な興奮を前に燃えない男は頭脳派だけで良し!
 そんなあなたは突っ込んだ男に向けて“たわけが”とだけ言ってやってくれ!
 そして俺は───そんな馬鹿で痛い! じゃなくて居たい!

「全速前進っ! うぉおおおおおおおおおおーーーーーーっ!!!」
「ほわぁああっ!!? ちょ、強っ! 速ぁぁっ!? ちょちょちょちょぉおお待ってぇ隊長ぉおっ!! 自分で作っといてなんやけど馬より速いなんて予想外───うひゃあああああーーーーっ!!?」

 手に氣を籠めて、今出せる全速力を。
 平野を一気に駆け抜け、体を傾けて曲がったりをして、しかし遠心力で吹き飛ばされそうになりながらも無理矢理にしがみついて速度を堪能する。倒れないようにローラー部分が平らであるため、傾けたところで曲がれるわけではないが、まあ気分だ。
 しばらくすると真桜も慣れたのか、笑いながら様々な動作のチェックに励んでいた。
 うん、これはいい気分転換になる。
 しかも相当速いし氣の消費も少ないとくる。
 こうなるとアレの開発も夢ではないのでは? と思ってしまう。

「なぁ真桜ー! これなら案外空だって飛べるかもしれないぞー!」
「空ー!? これで空は無理やろー!」
「あー! だからー! これは地面を駆けるもので、空はプロペラで飛ぶんだー!」
「ぷろぺらー!?」

 走りながらで、風がバババババッと衣服を揺らす速度の中、叫びながらの会話。
 そう……この技術があれば、人は空を飛べるかもしれない。
 前にも言ったが、その気になれば空だってというのはあながち虚言にはならないかもしれないのだ。
 プロペラ付きのリュックみたいなのを背負って、ロケットベルトのようにシュゴーと。
 ロケットベルトについては、参考としてパイロットウィングスをどうぞ。
 たしかなにかのCMで、ロケットベルトを背負った誰かが空を飛んでいくってのがあったなぁ、なんてことを思い出しながら、空への思いを膨らませた。
 さすがに考え事をしながらだと危ないので、速度は緩めた状態で。

「やー……しかしこんだけの速度が出せるんやったら、各国への送り迎えとか楽でええわ」
「一人くらいしか乗せられないけどな。重要人物との会談だけなら、これで迎えに行くのもありだなって思うよ」
「そん時に駆り出されるんは隊長やろけどな」
「? 凪のほうがいいんじゃないか? 丁寧だし、迎えられたほうも嬉しいだろ」
「あー、あかん。凪はそら氣ぃは上手く使えるよって、進むだけならええねんけどな。絡繰の操作っちゅうもんがどうにも下手なんよ。複雑な絡繰の篭を凪に渡して、絡繰の説明させる場面、想像してみぃ」
「………」

 なんというか、あたふたしながら絡繰を爆発させている姿が浮かんだ。
 うん、氣はいいんだ。でも絡繰となると……なるほど。

「実際にはどうなんだ? やっぱり苦手なのか?」
「絡繰夏侯惇将軍を壊されて以来、触らせるんが怖なっとる」
「なるほど」

 ようするに真桜の苦手意識か……解るような解らんような。
 むしろ真面目に働いてれば、あの時も壊されるようなことはなかったろうに。

「やー、けど気持ちええなぁ。暑い日が来たら、これで遠乗りってのも悪くないわ。あ、もちろん使うんは隊長な?」
「仮にも隊長って人をなんだと……」

 言いながらちらりと後ろを見てみると、なんというか凄く嬉しそうな真桜と目が合った。なにやら異常なほどご機嫌らしい。
 まあ、作った絡繰が予想以上に速かったり性能よかったりして、馬よりも速いし気持ちいいとくれば、気分もよくなるか。

「このまま国境まで行ってみるか?」
「や、どんだけこれが速くてもそら無理やろ」
「仕事サボらなきゃいけなくなるよな。……ん、よし。今度誰かが他国に行かなきゃいけなくなった時は、これで送り迎えを───」
「気に入ってくれたんは嬉しいけど、隊長がそれやったらウチが大将にいろいろ言われんねんけど」
「じゃああれだ。華琳が他国に行きたいって言った時に」
「あー、なるほどなー……それやったら大将自身のことやからな〜んも問題あらへん」

 歯を見せるくらいににんまり顔の真桜が、きししと笑う。
 や、声からしてそんな笑い方をしてるんだろうなって想像だが、その表情が簡単に想像出来てしまうんだから仕方ない。
 そんな想像も苦笑と一緒に散らして、氣動自転車を許昌前に着けると一息。
 降りて体をぐいっと伸ばしながら、ふと気になったことを真桜に訊いてみた。

「と、ところで真桜っ、これには武器はないのかっ? ほら、山賊撃退用のドリルとかっ」
「や〜……隊長? そんな少年みたいな顔でなにゆーとるん……」
「───はっ!? …………あ、いや、べべべつに暴力のためとかじゃなくてだな? えぇと……あー……そ、そうっ、やっぱり乗り物にはそういうのがあったりするのかなーって!」

 氣で動く乗り物を見てしまった。
 その時、きっと俺の中の“常識の壁のひとつ”がパリンと割れたんだと思う。
 じゃなきゃいきなり“武器はないのか”はない。自分でもそう思う。しかもその事実にツッコまれるまで気づけなかったというバカっぷり。

「あんなぁ隊長、んーなん心配せんでも、全速力出されたらまず捕まえることさえ出来へんよ」
「春蘭あたりなら出来そうじゃないか!」
「いつから春蘭様は山賊に───! ………………あ、や、やー……」

 口ごもる気持ちも解らないでもない。
 だって山賊が将をやっているような気質なんだもの。

「……片付けるか」
「せやな……」

 最後はなんだかしんみりムードで片春屠くんを片付けた。
 人の印象って、やっぱり大事だよなー……と、二人して空を見上げながら言った、とあるよく晴れた日の出来事。


───……。


 そんなことがあってから、はや一ヶ月。
 三日毎の鍛錬とは名ばかりに氣の集中鍛錬と称し、今日も片春屠くんに跨る。
 こう言うのもなんだけどいつから嗅ぎつけたのか、三日毎、その日に仕事が無い者が後ろに乗りたがる。本日もその例には漏れず、此度の来訪者は風だった。

「お兄さんは乗り物とくるとなんでも乗りこなしますねー……お馬さんでも絡繰でも女の子でも」
「言われると思ったよ! 思っちゃった自分が悲しかったよ!」

 許昌を離れ、遠くの邑へ。
 今日は華琳が新鮮な牛乳にきな粉を混ぜて飲みたいと仰ったので、その材料の調達だ。
 氣で纏っているからローラーめいたタイヤ(?)が地面を走ろうが、ガゴゴゴと嫌な音がなることもないし、振動もそれほどこないという素晴らしい出来。つくづく真桜ってこの時代の常識を破壊している。

「いえいえー、自覚はとても重要で大事で大変必要なことですよー。何故なら風も乗りこなされた一人であり、そうしておいて自覚も無しでは、この背中に抱き付いている今を好機ととり、刃物のひとつでも抉りこまないと気がすみませんからねー」
「怖いよ!?」
「むふふ、もちろん刃物など持っていないので、指でお腹の横あたりをとすとすと」
「地味に痛いからやめよう!?」

 ちなみに、「ところで馬って?」と訊ねたところ、蜀の麒麟に気に入られていることを蒲公英に聞いていたらしい。どんな縁があって蒲公英と話したのかは知らないが、接触のきっかけは間違い無く蒲公英の方なんだろうなと想像できる。

「しかし見事なものですねー、氣で動く乗り物とは……ふむふむー」
「案は出したけど、まさか本当に作れるとはなぁ……」

 二人して真桜という存在に軽く恐怖した瞬間だった。
 そんな彼女だが、今は自分の工房でプロペラ付きの空飛ぶ何かの製作に励んでいる。
 ……部品代金は主に俺の懐から飛翔するのだが、望んだのが俺だから仕方ない。

「おっ、見えてきた」

 話しているうちに邑が見えてくる。
 さすがに速いなと驚くばかりだ。

「よし、じゃあ行くか」
「おおっ……嫌がる乙女のお乳を搾り取りにいくんですねー……?」
「誤解を生む言い方はやめような?」

 嫌がってない……と、思う。うん。
 目を糸目にして「冗談です」などととほほんと言う風を前に、軽く苦笑を漏らして歩く。邑に入ると真っ直ぐに農場へ行き、そこで額に汗して働いているおやっさんに声をかけた。

「ああっ、これは御遣い───」
「“さま”は無しでっ!」
「───ははっ、はい、北郷さん。随分と反応が早くなりましたね」
「来るたびに言われてちゃ、言いたくもなるよ……というか、おやっさんも解ってて言うのはやめない?」
「はは、すいません。丁度今搾ったところですが……これを持っていきますか? それともご自分で搾りますか?」
「じゃあ、そっちの搾っ《くいくい》……た、も、の…………風?」

 搾ったものを貰おうとしたら、風にくいくいと服を引っ張られた。
 その上で宝ャが「おいおい兄ちゃん、空気読もうぜ」と仰る。

「…………こっちのお嬢様が、乳搾りを体験したいそうで……」
「おおっ、お兄さんは風に、身動きの取れない者の乳を好き勝手に弄び、搾れというのですね……?」
「だから誤解しか生まない言い方はやめよう!?」

 事実だけど! 確かに事実だけどさぁ!!

……。

 そんなわけで、現在は風が牛の乳を……弄び、搾っている。
 いや、ただ搾っているだけなんだが、いちいち宝ャに「おらおらねーちゃん、ここかー? ここがええんかー」とか言わせてるもんだから、俺もおやっさんも居心地悪く離れた場所で話し合っていた。

「なんだか次に搾るのが怖くなってしまいますよ……」
「心の底からごめんなさい」

 もう謝るしかない。
 とはいえ、冗談交じりの言葉だったためか、俺もおやっさんも顔を見合わせて笑った。
 先に代金も支払い、どうぞと沸騰殺菌された牛乳を飲んで一息。

「低温殺菌、と言いましたか。ぼこぼこと沸騰させるのとは違うんですよね?」
「高温殺菌は、そりゃもうボッコボコに沸騰させるから風味も栄養も死ぬとか……どっかで見た気がする。もちろん全部が全部消えるわけじゃないけど、それで納得出来るんだったら水飲めばいいわけだし。なら菌だけを上手く殺して栄養と風味を味わったほうがいいと思うんだ」
「よく解りませんが……そのまま飲むのは危険なんですか?」
「この時代でどれほどの菌がうろついてるかは知らないけど、まあ」

 病気は怖い。この時代では特に。
 華佗っていう超・医者が居なければ、今頃何人の人が死に、何人の子供が産まれていなかったんだろう。
 軽く考えてみるだけでも相当に怖い。

「大事に飼っていても、病気にはなるものなのですか……恐ろしい」
「家畜と人間は体質自体が違うから仕方ないんだろうなぁ……。人同士でも、持っている菌っていうのが違うらしいし」
「人にも菌が?」
「人の唾液には殺菌効果があるにはあるんだけど、空気に触れると悪性に変わりやすいっていうし、他の人にしてみれば拒否反応が出るかもって話もあるんだ」

 だから傷ついた人の指を銜える時は、空気に触れないようにして……すぐに水か何かで洗い、あからさまに空気に触れないように布かなんかで覆うのがいい。
 明命や詠にもやったけど、本当なら本人の唾液が一番だろう。
 だが考えてもみてほしい。指を傷つけた人相手に、“自分で銜えてろ!”とか言えるか?
 うん、少なくとも俺は無理だ。自分の唾液が一番の消毒になるから銜えてろーとか……咄嗟にってこともあるけど、それを言う前に相手の指を銜えている気がする。
 お陰で詠には怒られたな。
 そんなことを適当にぼかしながら話して、また笑う。そんな平和な時間を……

「んふふ〜、こんなに白くて濃い汁を出して、いやよいやよと言いながら気持ちよかったんだろー、えー、ねーちゃんよー」

 ……乳搾りを続けている風と、宝ャによって台無しにされた。

「……とりあえず止めてきます」
「お、お手柔らかに」

 誰かにとっての休日、自分にとっての鍛錬の日。
 誰かと出かける度にこんなフォローをしている気がする。
 凪と出かける時が一番気楽でいいかなぁ……たまに氣動自転車の速度限界に挑戦すべく、二人して氣を注ぎ込みまくって遊んだりもする。
 当然最初は派手に転倒したりもしたが、慣れると面白いのだ。
 そんな話を耳にした春蘭と乗った時は、無理矢理乗らされた秋蘭ともども死ぬかと思ったが。無遠慮に最大放出で氣を籠めるもんだから、速度に負けた自転車がウィリー状態で滑走。
 必死にハンドルにしがみ付く俺と、落ちないように俺にしがみ付く秋蘭。そして高笑いしながらなおも氣を籠める春蘭とで、広大なる大地を駆け巡った。
 ……以降、秋蘭はちょっとした氣動自転車恐怖症に陥っていた。
 とまあ、そんな最近を思い出しながら風に一言三言を注意して、普通に乳搾りをしてもらう。「思ったより握力を使いますね〜」とのんびりと言う風は、なんというか“人の話聞いてました?”とツッコミたくなるほどに平和な笑みを浮かべていた。


───……。


 氣動自転車も大分乗り慣れ、国境まで遊びに行くのも楽になってきた頃のこと。
 覚えることも少なくなってきて、珍しくも空いた時間に外へと繰り出したその日。
 ……山道で山賊に襲われた。

「へっへっへ、金目のもの、置いていきな!」
「………」

 丁度、氣動自転車から降りて休憩していた時だった。
 黄色の頭巾を身につけているところからして、どうやら黄巾の残党らしいが……今となってはその黄色の頭巾は、アニキさんやチビやデブのトレードマークのようなものだ。
 未だにあれを身に着けて黄巾だ黄巾だと後ろ指を指されることがあろうとも、それを外すことはしない彼らのもの。
 それを身に着けて悪事を働くというのなら、この北郷……

「ただではおかんッッ!!」
「おぉっ!?」

 言葉とともに気を引き締め、一応は持ってきておいた木刀を竹刀袋から取り出す。
 生憎と氣動自転車は少し離れた場所にある。蜀で出会った山賊の時のように避け続けてなんとか……といきたいところだけど、相手の様子が明らかにあの時とは違う。
 明らかに“襲い慣れている”。
 避けて、逃げて、氣動自転車のところまで辿り着くというのは無茶だろう。
 だったら……攻撃した上で辿り着くか、相手を無力化するしかない。

「すぅ……はぁ……───んっ」

 構えられた武器に山賊がびくりと軽く引くが、武器が木刀と知ると、刃物を持つ自分の方が有利ととって下品な笑いをこぼす。
 相手は四人。
 対するこちらは一人。
 さすがに四人で一斉に掛かられた勝てそうにないが、まあ、なんだろう。

「あのさ。その頭巾捨てて、帰ってもらえると嬉しいんだけど」
「あぁ? なに言ってやがる。黄巾を捨てるってこたぁ死ぬのと同じだろうが!」
「俺たちゃ泣く子も黙る黄巾党だぞぉお!?」
「ひゃっひゃっひゃっ! いいから身包み置いてけってんだよぉ!」
「それとも脱がされたいのかぁ? いや、だめだなぁ。売りもんに傷がついちまう。なにせおめぇさんと違って、こっちは刃物だからよぉ」

 笑いながらジリジリと近付く四人。
 行動に注意しつつも、焦りを浮かべながらひとつだけ訊いた。

「えっと……もしかして俺、もう狙われてたりする?」
「ああそうだよぉ! 今から《ばきゃあんっ!!》……へ?」

 戦いの了解は得た。
 狙われてるなら遠慮無しと、言葉の最中に相手の武器を右手ごと砕いた。
 直後に訪れる痛みに叫ぶ男と、その声に驚いた男。
 まずはその驚いた男の鼻を砕き、「てめぇ!」と後ろから襲いかかる男も、刃物ごと叩き伏せる。遠慮? しません。殺しにきている相手には、たとえ相手が老人だろうが子供だろうが容赦しない。それが戦ってものだ。

  “死にたくないって思ったなら、老若男女の差別などしない”

 それが、戦場で生き残るってことだ。

「なっ……ど、どうなってんだよ! 木の棒っこ相手に刃物が負けるなんて……!」

 傷つけないために頑張って氣を籠めてますから!
 傷つけたらじいちゃんにどんなこと言われるか解ったもんじゃありませんから!
 そんなわけで残るは一人。
 内心相当緊張してる所為で、結構心臓がばくんばくん鳴っているが、それを相手に悟られないように努めて冷静に振る舞う。

「てめぇいったいなにもんだ! そんなひょろっちぃ体で、木剣だけで───ぼっけ……ぼ……木剣!? きらきらの白い服に、木剣の男……!?」

 怯えを混ぜて叫んでいた男が、急になにかに思い至った風情で驚く。
 そして俺を指差すと、

「ま、ままままさか……! 妙な祭りで呉の孫策を木剣で負かしたっていう…………!」

 ……エ? いや、ちょっと待て?
 なんでそんなことを山賊が知ってるんだ?
 ……と、そのことを訊ねようと声をかけた途端、四人は『ヒ、ヒィイーーーッ!!』と叫んで逃げ出してしまった。

「…………えー……」

 襲いかかってきたくせに、ヒィって……。
 今までこんな反応されたことなかったから何気にショックだった。

「……はぁ、でも、助かったぁ……」

 今頃足が震えてきて、立っていられずに地面に尻餅をついた。
 やっぱり実戦と鍛錬は違う。
 いくら魏呉蜀のみんなと戦った経験や、殺気をぶつけられた経験があるからといって、刃引きのされていない本物の刃物を向けられれば怖い。
 しかも対するのが、人を傷つけることがもう平気になっている相手なら余計だ。
 自分で自分が情けないとは思わない。
 殺されるのは誰だって怖い。当然だ。

「やっぱり外に出る時は、誰かと一緒のほうがいいなぁ……はぁ」

 よくもまあ、将になる前の人たちは刃物に立ち向かう勇気が持てたもんだ。
 英雄って存在を本気で尊敬する。
 ……その英雄として知られる皆様に、鍛錬に付き合ってもらってる方が非常識か。
 なんてったって、斬られはしないけど空は飛ぶんだもんなぁ。

「……ん、よし」

 軽く足を殴って、脹脛に刺激を与える。
 脚気検査といえばいいのか、震える部分に喝を与えるようにして、ようするに痛みで感覚を取り戻させた。
 痛みは怖いものではあるけど、痛覚が無ければいろいろと都合が悪いこともある。
 今はその痛覚に感謝だ。

「なんてったって山賊だ……仲間なんて呼ばれたら、もう立ってられる自信がない……」

 逃げられる戦からは逃げよう。
 対して、絶対に退けない戦ならば全力で向かおう。
 ただし命を大事に。
 生き残ったとしても後がないのなら全力で。
 今は逃げられるから逃げる。

「…………んっ」

 氣動自転車に跨ると、氣を籠めて走り出す。
 “怯えて逃げたのなら来ないのでは”と思う人は、人間の集団思考能力の怖さを考えてみてほしい。
 一人では怖いものも大勢なら怖くない。そういう謎の脳内麻薬を人間は持っているのです。人数が多いのなら村人だって武器を持つが、少ないのなら怯えるだけで終わる。誰かが戦うと言えば俺もと言えるけど、自分だけなら戦わない。
 それと同じように、逃げ帰った先に山賊仲間がたくさん居て、そこにリーダー格の人が居たならば絶対に仲間とともに再来するだろう。

「まずった……久しぶりの大ポカだ……」

 人は怒りを蓄えるものだ。
 他人からの怒りを他人にぶつけて晴らすことが出来る。
 そのくせ、怒りをくれた本人に対する怒りが全て消えるわけじゃない。
 山賊は俺から怒りを得た。でも俺が居なくなればぶつけどころがない。
 じゃあその怒りはどこへぶつける?

「…………山賊狩り、考えておいた方がいいかもな……」

 というか、まだ山賊が居たことの方が驚きだ。
 やっぱり一度甘い汁を吸っちゃうと、人を殺してでも楽をしたいって思えるのだろうか。

「なんか……悔しいよなぁ……」

 氣動自転車が走る。
 この場で起こったことを魏に報告するために。

  ……すぐに山賊狩りは実行され、山賊はお縄についた。

 連れてこられた男たちに“足を洗って真面目に働かないか”と言ってみたが、山賊はこれを拒否。黄巾党の残党というのも嘘で、山道を通る商人を襲う山賊だったらしい。
 殺した商人の数も中々のもの。

  「今さら真面目に働けるか」と笑って言いながら、彼らは死んだ。

 平和だった日々の中、人が死ぬというのは辛い。
 それが山賊であろうと、心に穴が出来て、そこに鉛をくべられたように重かった。
 思春は気にするなと言うけど……さすがにそれは無理だったよ。

「むぅぅ〜……主様、元気を出してたも……?」
「………」

 机に向かいながらも手が動かない俺の膝の上へ、美羽が乗ってくる。
 そんな彼女の頭を「ありがとうな」と返して撫でるが、心に熱は灯らない。
 ……なんで生き残る方を選ばなかったんだろう。
 そりゃあ、山賊相手に足を洗って働かないかって言う俺の感性の方がおかしいとは思う。
 でも受け入れていれば、少なくとも死ぬことは…………

「…………」

 違う。
 違うよな。
 頭の中に桃香の顔が浮かんで、頭を振った。
 許すばかりが人じゃない。
 殺して奪うことに慣れていようが、そこに多少の罪悪感もないのかといえば、きっとそうじゃない。
 死人は何も喋らないけど……だったらせめて、希望くらいは持とう。
 殺し、奪ってしまったからこそ、もう一緒に働けないと踏んだのだと。
 ……そう思わなきゃ、平和な世界に慣れたこの心は立てそうになかったから。
 町人の反応は輝きに満ちていて、安心して山道を通れると言う商人の姿もある。
 それはそれで、きっと喜ぶべきことなのに……お人好しって言われてもいい。俺は悲しかった。
 同盟の支柱としてやさしくあろうと、そんな心を固めていっていた日々の中で起きた、唇を噛むようなやるせない事件だった。


───……。


 「へぇ。それで塞ぎ込んでいたの」……とは、華琳の言葉だった。
 山賊狩りから三日、どんよりとした空気を引きずっていた俺が、なんでか恒例になっていたミルクきな粉を華琳に飲ませた日。華琳が無遠慮に「辛気臭い顔で居られては、美味しいものも不味いわ」と言ったのがきっかけ。
 自室で机に向かい、うんうんと唸りながら仕事をしていた俺に、華琳が溜め息混じりにそういったのだ。

「うぐっ……悪い……」
「自覚はあるのね? ならすぐに直しなさい」
「いや……だってさ」
「この平穏に至るまでにどれほどの者が血を流したと思っているの? その平穏を乱す者は誰であろうと許さない。そう決めたからこそ平穏は保たれているし、件の山賊は死んだのよ」
「………」
「一刀。守られている条件から自ら抜け出し、守っている者を傷つけた時点で、その者は死ぬ覚悟をしなければならないの。出来ていないなんて理由は、他の者には関係がない。それが解らないなどと戯言はぬかさないわね?」
「……ああ。それは解ってる」
「ならば悩むのはやめなさい。時間の無駄よ。彼らは自分の楽のために人から奪う行為をした。ならば、私たちは自分たちの楽のために彼らを殺した。それだけのことよ。やるのならばやられる覚悟を。それすら決められない者が人を殺すなど、笑わせてくれるわ」
「………」

 自分の手を見下ろす。
 木刀を持ち、山賊の手や鼻などを砕いた手を。
 籠めた氣の密度がもっと大きく、思い切り振っていれば、人さえも殺したであろう撃を。

「それから一刀? 何故、山道に向かった際に、思春を連れていかなかったのかしら?」
「あ」

 答えを得ようと働かせていた思考が、ぴうと逃げ出した。
 いや、待ってくれ華琳、もうちょっとで必要ななにかが……!
 そんな不安を華琳にぶつけてみると、華琳は盛大に溜め息を吐いてくれた。
 その上で机を回りこんで俺の隣まで来て、俺の鼻を指でゾスと突く。

「……答えなさい一刀。思春のことはとりあえず置いておくわ。それであなたは、山賊たちの死の先で、“取り返しのつかないことをやり遂げる覚悟を”得られたのかしら?」
「………」

 それは、俺が華琳に言ったこと。
 戻ってきた時に、華琳に会えた時に言った、俺の覚悟の話。

  いろんな思いが交差するこの世界で、それでも前を向いていられる理由が持てた。
  目標があるのなら進まないと。理由があるなら立たないと。
  あの日、俺の頭を抱いてくれたやさしいぬくもりに報いるためにも。

 ……ああ、そっか。
 俺、忘れるところだったのか。
 あんまりにも平和で楽しかったから、吐いてばかりだった自分からようやく立てた頃の自分を、自分から拾いに行くところだった。
 人の死に悲しむなとは誰も言わない。
 ただ、あの日に得た思いを忘れてまで拾いに行くことなんて許されない。
 そうやって答えを見つけた瞬間、そんな思いが表情に出ていたのか、華琳は俺の頭を胸に抱いた。

「え……か、華琳……?」
「手。震えているわよ」
「え、あ、あ……」

 言われてみてようやく気づいた。
 いつかのように震えている体。
 囲まれ、刃物を向けられ、死というものを身近に感じたのを思い出したからだろうか。
 あの日のように震えている体があった。
 そして、そんな体をやさしく包み込むように、華琳は俺の頭を胸に抱き、やさしく髪を撫でてくれる。

「……ごめん。ごめんな……ごめん」
「なんで謝るのよ」
「解らない。解らないけど……悔しい」

 誰でも彼でも救える気で居たんだろうか。
 自分が手を伸ばせばきっと手を繋いでくれると。
 妄信していたわけではきっとない。
 ただ、救える人が増えてくれたのだと、どこかで舞い上がっていたのかもしれない。
 舞い上がって、手を伸ばして、でも掴んでくれなかったから悩んで……震えて。
 自分がまだまだ子供だったことを思い知らされて、もっと大人になれば救えるのかなって思って、でも……きっとそんなことはなくて。

「支柱になったからといって、全てを救えなんて言った覚えはないのだけれど?」

 華琳はそう言う。
 俺だってそう思う。
 なのに“救えるのなら救いたい”とも思ってしまった。
 それは弱さだろうか。
 平和の中で悪事を働いたものを、平和の中から除外出来ない弱さだろうか。

「……はぁ。そう。あなたの“前を向く理由”は、もう折れたの」
「………」
「罪を犯した者を救える気でいて、救えなかった程度で折れるの」
「………」
「……何とか言いなさい」

 でないと殴るわよ、と続けそうな口調のままに華琳は言う。
 俺は……俺の右手は、もう胸をノックしていた。……が、やっぱり一回二回の覚悟なんかじゃ乗り越えられない。
 だから華琳を抱き締めて、勇気を貰った。
 怯える心はいつまで経っても消えない。不安がる心だってきっと同じ。
 それでも、なかなか沸いて来ない勇気が誰かから受け取れるのなら、もっと頑張れる気がした。
 ……情けないとは思わない。これが俺だから仕方ないと苦笑する。
 その分は、しっかりと前を向いて、国に返すことで支払おう。
 誰かの死に泣けなくなるくらいなら、情けないままで十分だ。

……。

 しばらくは空元気に走る日々が続いた。
 魏のみんなも気を使ってか、いろいろと付き合ってくれる。
 そんなみんなも段々と遠慮が無くなって、やがてまた俺が振り回されるようになる頃には、俺も……気持ちの整理がつけられていた。

「人が死ぬたびにそれでは、身が保たんぞ」
「ラーメン一つ! タマゴ入れて!」
「聞け」

 空元気は未だ空元気に近かったものの、少しヤケが入るとあとは回復に向かうだけだと誰かが言った。
 実際に俺もヤケが入り始めていて、昼の休憩に入ると思春を連れて街へ降りた。
 で、ラーメン屋だ。

「はは……まあ、解っては居るんだけど……人死には辛いよ。だからってなんでもかんでも許していいってわけでもない。いろいろ考える時間があって、随分と考えたけどさ。やっぱり……殺したり奪ったりしたなら、殺されても文句は言えない。それが解ってたから命乞いもしないで死んだんじゃないかなって思うんだ」
「ただの山賊としての小さな意地だろう。そこには誇りもなにもない。叫びたくなかったから叫ばなかっただけだ」
「そうかな」
「徒党を組まねば人を傷つけることも出来ない輩どもの集まりだ。許されたところで楽な方向を目指し、再び刃を握るだけだろう。私は奴らではないから罪の意識が全く無かったなどと断言は出来ないが、錦帆賊としての自分で言うのなら、賊として好き勝手にやっていたのなら、裁かれる時は素直に裁かれる。それが、糧を奪い、好き勝手に振る舞った代償というものだ」
「………」
「お前がわざわざ気にすることではない。……全てを救うことなど、無理なのだから」
「……うん」

 解ってはいる。
 ただ、やっぱり悔しかった。
 支柱になれば出来ることが増えて、きっと国に返すことも多くなるだろうと思っていた矢先にこんなことが起きた。
 そういうものを乗り越えなくちゃ辿り着けない場所にある平和っていうのが、ひどく遠い場所にある宝のように思えてしまうのだ。
 手を伸ばしても届かないんじゃないか。
 歩いても無駄なんじゃないか。
 ……今までなにも起きなかったのに、自分が何かを請け負ったときだけとんでもないことが起きた───そんな感覚を思い出す。
 全てを救うのが無理だなんてことは、随分前に気づいたこと。
 だから手の届く範囲の何かを救って、届かないところへは手を繋いだ誰かと救おうと、そう思っていた筈なのに。

「……手が届いたのに……救えなかったんだよな……俺」

 呉で刺されて騒動が起きた。
 蜀で初犯の山賊たちをなんとか抑える騒動が起きた。
 そのどれもがなんとか治まってくれたけど……今回は救うことが出来なかった。
 自分なら出来るって慢心していつもりはなかったのに、心のどこかで“きっとなんとかなる”って思いがあったのだろう。だから悔しい。

「………」

 散々と悩んだ。
 悩んだが、悔しいって思いは消えない。
 偽善か? 偽善だろう。
 悪事を働かれた人にしてみれば、バカかお前はで終わる考えだろう。

「へいおまちっ」

 ラーメンが目の前に置かれる。
 タマゴを落としてからスープをかけたのか、周囲が薄く白んでいる。いい仕事だ。
 ……じゃなくて。

「……はぁ」

 深呼吸。
 ラーメンの香りが肺を満たした。でもなくて。
 うん、少しずつでいいから元気になろう。
 悪事を働いたなら、裁かれる覚悟は当然あって、そうしたから裁かれた。
 それだけなんだから。

「ずぞぞー……」
「わざわざ自分で言うな」
「細かいツッコミが欲しかったんだ……うん。よしっ、張り切っていこう! オヤジさんラーメン追加! 今すぐに食べるから! もちろん味わいつつ!」
「あいよっ!」
「食べる前から追加か……」
「思春。ヤケ食いという言葉がある。ヤケになったら食うべきなんだ。胃に血を送って、一度考えることから休みたいだけとも言う」
「逃避か」
「準備だよ、準備。血が胃から戻ったら、前向きになる。……考えなくてもいいことまで考えるヤツってさ、いろいろやらなきゃ前を向けないんだ」

 ただ……張三姉妹やアニキさんたちは受け入れられて、彼らはダメだった。
 その事実が、魚の骨のように喉に刺さって取れなかった。
 もっと早くに……同じ時期に捕まえていたなら、出来る対処も違ったのかなと思うと、やるせない気持ちがどうしても浮かんできた。


───……。


 空元気を越えて、ようやく自分の日常に戻る。
 拳をギュッと握ったり脱力させたりして、今何をしているのかといえば、凪との鍛錬。

「フラッシュピストンマッハパァーーーンチ!! ハァーーーーウ!!」

 一言で言えば氣の循環速度の向上を目指したものだ。
 拳を突き出すのと戻すのを氣だけで行い、腕の筋などはあくまで脱力させて、速度を上げる練習。
 拳はキュッと握り締めたままなので、速度が乗った状態で当てればそりゃ痛い。
 ……ああ、もちろん叫んだ技の名前に意味はない。

「スーパーウルトラグレートデリシャスワンダフルボンバァーーーッ!!!」

 ただまあ、あれだ。
 ただ拳を突き出しまくるだけだとこう、勢いが足りないというか。
 思春なんかは「空元気が行き過ぎたか……」と、可哀相な人を見る目で見てきているわけだが……それでもなんだかんだで傍に居てくれることにありがとうを伝えたい。
 なので伝えたら怒られた。なんでだ。

「た、隊長っ……脱力、脱力をっ……!」
「はうあ!?」

 いつの間にか力んでいた。
 うーん……叫ぶのはいいけど、無駄に力が入ってしまう。
 や、叫ばなきゃいいだけのことだし、集中するなら余計に叫ばなければいいんだが。
 たとえば叫びながら集中しなきゃいけない時があったとして、俺はそれでいいのか?
 否である、実に否である。
 いっそ様々を受け入れ、乗り越え、様々を興じる華琳とともにその頂を目指すつもりで、この老いることを知らないかもしれない体で歩み続ける覚悟を……!!
 そうすれば、死んでしまう人ももっと減らせるのではと……そんなことを考えた。

「凪!」
「! はいっ! 隊長!」

 突然の声にビッと姿勢を正し、俺の目を見る凪。
 そんな彼女に向けて構え、「実戦で体術を教えてくれ」と言った。
 戸惑う凪だったが、俺が目を逸らさずに言っていることに気づき、すぐに目を鋭くする。
 敵わなくてもいい。今の自分を真正面から叩き伏せてほしかった。
 叩きのめされてから立ち上がれば、今よりもっと視界が広がる気がし───ギャアアアアアアアア!!!

……。

 凪との鍛錬を始めてどれほどか。
 大方の予想通り一方的に攻撃される身となったわけだが、最近は反撃してカウンターをくらうようになった。……あれ? これって進歩か? しかしながらいつでも木刀を持っていられるわけでもないので、これはこれでいいと思っている。いや、殴られるのがって意味じゃなくて。

「コォオオオオッ……! 覇王! 翔吼拳!」

 氣の行使も相変わらずだ。
 自分には氣しかないと気づいてからは、“全ての行動を氣で行う意識”を自然に出せるようにしてきた。
 お陰で氣だけは……氣だけは随分と膨れ上がっている。
 両手から放った氣が一つの大きな塊となって凪を襲う。
 しかし凪はそれに自分の氣弾をぶつけると、あっさり破壊してみせた。

「んむー……大きいのはいいんだけど、見掛け倒しにしかならないかぁ……」
「いえ、錬氣は上手く出来ています。ただ、氣の塊の中心がひどく脆いです」
「うん、まあ両手から出すんだから、どうしても上下だけ強化されてるよな」

 接着というとヘンな響きだが、氣の結合面が脆い。
 だからそこに氣をぶつけてやれば、塊としての存在は壊れ、放った氣も霧散してしまう。

「けど、やっぱり体術っていいな。いつも木刀があるとは限らないからって習い始めたけど、これはいい」
「そ、そうですかっ? そうですよねっ!」
「え? あ、う、うん」

 体術は素晴らしい。そう言うと、凪は目を輝かせた。
 おお……笑顔だ。

「では隊長! 早速型の調整を!」
「いや凪、お前、仕事は───」
「………」

 うあ……今度は凄く残念そうな顔に……。

「ま、まあまあ、また今度手が空いてたら、その時に教えてくれ。時間さえ空いてれば、もう三日毎じゃなくても鍛錬出来るから。……あくまで氣の鍛錬だけだけど」
「あっ……はいっ!」

 そしてまた笑顔。
 感情の起伏の激しい子だ……とは、きっと言っちゃいけないんだろうなぁ。
 言ったら真っ赤になりそうだし。

(……うん)

 山賊のことも随分と割り切れた。
 この世界で生きていくなら慣れなければいけないことだ。
 ただそれが、“華琳とともに天下を目指している”という理由がないだけで、ここまで重いとは思ってなかった。

(“天下のためだから”って割り切る理由が欲しかったのかな……いや)

 じゃあどうすればいいのか。
 ……この平和を守るためって考えればいい。
 そんな単純なことに気づけなかった。
 とは思うが、気づけたとして、人の死になんて慣れたくもなかったのも事実だった。


───……。


 都の完成を目指し、三国の工夫たちが集う場所がある。
 とある寒い日、三国からして中心部にある国境。そこに鎚を落とす音が響いた。
 とはいっても建築を始めてから随分と経つわけだが、今は俺もそこに参加している。
 鎚を振るうのは稀だ。
 俺がやるのはもっぱら、氣動自転車で資材を運ぶことだ。
 なにせ荷馬車も労力も大して必要にならないとくるなら、利用しない手はない。
 ……もちろん、俺は疲れるんだけどさ。
 ともあれ、建築の場というのは忙しいけど楽しい。
 休憩時間などには余った木材で矢などを削り、持ってきていた弓を使って弓術の鍛錬なぞをしてみたりするのだが、やはり上手くいかない。
 溜め息を吐く俺に、思春が言った。「お前には目標を潰す覚悟が足りない」と。
 ……解ってはいたことだけど、やっぱりそれなんだろう。
 射る標的が大木につけた目印だろうと、それが敵の命を奪うかもという意識が自分を止めようとするやもしれぬというのだ。
 深層意識っていうのは案外バカに出来ない。

「これでよしっ……と! 他になにか必要なもの、あるかー!?」
「おー! こっちはそれで十分でさー!」
「ありがとぉごぜぇやす御遣い様ー!」
「“様”はやめろというのに!!」

 それはそれとして手伝いだ。今では工夫の連中とも気軽に話す仲。
 以前様子を見に来た冥琳に、“お前に民たちとの立場の差など、説いても無駄なのだろうな”と溜め息を吐かれたほどだ。
 もちろん、そういうのは王様たちに任せるべきだ。
 俺としてはこうしてみんなと愉快に生きていられたほうがいい。

「それ重いぞー! 気をつけろよ新入りー!」
「へ、へい!」
「おっ」

 と、そんなことをぼんやりと考えていると、新入りらしい若者が綺麗に切られた木を持とうとしていた。
 それを手伝うと、「すいやせん」と苦笑いの若者。
 なんでもようやく働けるくらいになったから、親のために働いているのだと。

「いつか腕あげて、家を建て直してやりてぇんでさ! 頑張りますぜ!」

 威勢がいい青年だった。
 へへっ、なんて言って鼻をこすり、手についた汚れが顔についてもその笑顔が変わることはない。
 他の工夫に呼ばれて元気にすっ飛んでいく姿を見ると、他人事みたいに“若いっていいなぁ”なんてことを思うのだ。うん、俺も若いけど。体が成長しないって理解してしまったからかなぁ……心がどんどんと老人になっていく気分だ。

「それとも氣を使いまくってるからか? ……まあいいか。心は老いても童心忘れず。俺も頑張ろう」

 言って、青年が走っていった方向へ自分も走り出す。
 というか、呼ばれたからって木材置いて走っていかないでくれ青年。

……。

 人が集まるところには、よからぬことを考える者も当然現れる。
 都建築に参加してからしばらく経った頃、夜の番をしていた日のこと。
 遠くから何かが近付く音……言ってしまえば大人数が駆ける音が聞こえ、見てみれば…………うん、遠くてよく解らない。

「賊だ。工夫を起こせ」
「! 賊ぅ!?」

 思春が教えてくれた言葉は、人を驚かすには十分な一言だった。
 しかし、そうしろというのなら素直に実行。
 緊急事態の中では経験者の指示に素直に従う。これ、大事。
 “でも”だの“だけど”は置いていかなきゃ行動が遅れるだけだ。
 なので氣を両手に凝縮させて、地面へ向けてどっかーん!!
 ……音にびっくりして、天幕から出てきた工夫たちに賊の襲撃を伝えた。

「なるほど、音で起こせば手間にはならん。次からはそうしよう」
「……俺が?」
「他にあるか?」
「ぎょ、御意」

 思春さんたら、どんどんと俺の扱いを覚えていって……正直ちょっと切ないです。
 だが頷こう。利用価値がある内は、って条件で魏に入った俺だから、自身の力を利用されて頷かないわけにはいかない。……嫌な意味での利用だったら素直に怒るけどね、さすがに。

「み、御遣い様! あっしらも戦いやす!」
「それはダメ! 優先させるべきは命で、この都と資材だ! 賊は───すぅ……はぁ……全員叩きのめす!!」

 襲い掛かる敵を相手に、自分はどうする?
 殺す殺さない以前に、どうしたい?
 ……そんなの、殴ってやりたいに決まっている。
 人が懸命に働いてるってのにそれを横から奪って楽をしようなんて、許せるもんじゃないに決まってる。ただ、命まで奪うことはないと思うくらいだ。くらいだ、けど……一人だけ馬に跨り、誰よりも先にここへ辿り着こうとする敵は、刃物を手に下卑た笑いをこぼしているように見えた。
 その後ろからは、そいつの仲間であろう賊たちが走ってきている。
 命を奪い、その上資材までも奪おうというのだろう。

「………」

 それを見たら、すぅ、と自分の中から様々な問答が掻き消えた。
 甘い考えは大事だ。平和の中にはそれがなければ、ただの厳しく息苦しい世界になる。
 けど、だからってなんでも許していいわけじゃない。
 いい加減に現実を見ろ、現実を思い出せ。
 殺しに慣れたいわけじゃない。でも、自分がやらないからって相手のソレまでも許していいわけじゃない。
 平和の文字に甘えるな。
 相手が“人を殺せるモノ”を手に、殺す気で襲いかかってきたのなら、それはもう……戦なのだから。

「なぁ思春……御遣いとして、同盟の支柱として、俺は殺しや略奪を許すべきかな」
「許して、やつらがソレを止めるのか?」
「……だよな」

 答えなんて決まっているのだ。
 だから、もう考えるな。
 戦える者が、ここには俺と思春しかいなのなら……ここが、“返すために戦う時”だ。

「じいちゃん……力を振り翳す場所、俺が思ってた場面よりもひどいもんだった。でも……なんでなんだろうなぁ。やっと少し返せるかもしれないのに、ちっとも嬉しくないんだ……」

 持ち上げ、握り締めた拳を見下ろし、胸をノックした。
 
「悪いとは言わないぞ。お前らは……人の笑顔の前で、しちゃいけないことをした」

 心の中を殺気で満たす。
 敵だ。
 相手は敵だ。
 だから───今だけは。返すべきこの時だけは、せめて鬼になれ。

「───」

 弓を手に、矢を番える。
 標的は一番前を走る筋肉質の男。
 引き絞り、放った木の矢は───男の肩を、貫いた。

「…………あ───」

 ぎゃあ、と叫ぶ声。
 痛みと勢いに体を揺らし、落馬した男は後ろを走る賊たちの足元に消えていった。
 あの勢いでは大人数に踏まれただろうが……込み上げる罪悪感と言えばいいのだろうか、それを殺気で押し潰した。
 悪いと思うな。今は思うな。泣きたいくらいに辛いなら、全てが終わってからにしろ。
 俺はもう……戦場に立っているのだから。
 守るべきものを、背にして立っているのだから。

「……思春」
「ああ……ここからは私が、とは言わん。精々腹に力を籠めろ。吐いてもいい、泣き言も聞こう。だから……今は鬼になれ」
「……ああ。はは……思春は、俺にはやさしくないなぁ……」
「不満か?」
「……いや、ありがとう。……だから、終わったら思春の胸で泣いていい?」
「なっ……待て、それはっ───……貴様」

 軽い冗談を言ってから歯をギリッと食い縛り、胸を思い切り殴りつける。思春がじとりと睨んでくるが、その視線もすぐ敵に向けられる。
 冗談を言わないと自分が保てなくなりそうで怖かった。
 そんな恐怖を受け取ってくれたのか、思春はもうなにも言わなかった。

「………」

 腹には全力で力を籠め、握る得物は黒檀木刀。
 足に氣を。木刀に氣を。心には覚悟を。“敵”を潰す……覚悟を。
 果たして自分は本当に泣くだろうか。
 そんなことを考えてから、地面を蹴った。
 次いで思春も走り、敵へと挑む。

「ッ───おぉおおおおおおおっ!!!」

 遠慮はしない。
 木刀に籠めた氣を横薙ぎに放ち、まずは牽制。
 錬氣しながら敵の中に突っ込み、無遠慮に木刀を振るう。
 剣閃で吹き飛んだ前列を蹴り抜くように走り抜け、氣を籠めて硬質化した木刀が足の硬い部分……骨を殴る音を聞く。
 加速も剣閃も、氣を弾けさせた疾駆も思うさまに使った。
 せめて早く戦が終わるようにと。
 しかしながら注意を払わないわけじゃあない。
 振るわれた剣を避けて、勢いのままにたたらを踏みながら肉迫する相手の顔面に、木刀を握り締めた拳をぶちかます。
 鼻血を噴いて倒れる敵を踏み潰すように蹴り、それと同時に別の相手を殴りつける。
 こうまでしなければすぐにまた立ち上がる。
 動けなくなるくらいに痛めつけなければ、繰り返すだけだ。
 痛くなければ覚えない。
 だれが最初に言い出したかは知らないけど、もっともだ。

「ふっ! せいっ! だぁっ! はぁっ───くっ!!」

 足を強打する。
 足に痛打を入れれば逃げられない。ただそれだけの理由で、抵抗する気力を奪ってゆく。
 殺すつもりはない……その考えは甘いだろうかと自分に訊いてみる。
 ……心の中の自分は、苦笑するだけだ。
 だが、自分の想像の中のじいちゃんは、笑っていた。

「な、なんだこいつら……! たった二人なのに! この人数が怖く《パギャアッ!》……あ? あ、ひ、ひぎゃぁあああああっ!! あ、あっ、俺の、俺の足がぁあああっ!!!」

 怖いに決まっている。
 ただ、覚悟があるだけだ。守りたいものがあるだけだ。そのために強くなってきた自分があるだけだ。
 だから、立ち向かわなければ嘘になる。
 これまでの自分が嘘になる。
 そうしたくないから、振るえる。怖いけど、立ち向かえる。
 骨を砕く音に心が震えるけど、それでも今は、守るもののために。

「く、くそっ! 誰だよ! 工夫と甘っちょろい御遣いしか居ないだなんて言ったのは! こ、こんなの聞いてねぇ! ちくしょうがぁああああっ!!」

 叫ぶ男が鈍器を振るう。
 それを左手で受け止め、衝撃を右手に装填。
 そのまま振りかぶり───

「へ───? あ、ひぁっ《パグァチャアッ!!》ぶげぇえあああっ!!?」

 木刀ではなく、拳で殴った。
 男の体が宙を舞う。
 比喩ではなく、夜の闇の中を裂いて飛んだ。
 ぐしゃり、という音を聞いて、敵がそちらへ振り向いた時、誰かが「ひぃ」と声をもらす……それからは早かった。悲鳴を上げて逃げ出す賊と、それを追う思春。
 そうだ、逃がしちゃいけないんだ。
 じゃなきゃ、また繰り返すだけだから。
 地の果てまでも追いすがり、全員を叩き伏せるつもりで───

「っ!」

 ならば、こちらが取る行動はひとつ。
 手段を選ばず無遠慮に、というのなら、これほど丁度いいものはない。
 身を翻すと天幕近くに置いてあった氣動自転車に跨り、そこに氣を籠めた。
 あとは……天でならば絶対にしてはいけないことをするだけだ。
 この世界でならば馬などでやるのだろうが、これは相当に危険だ。

「おぉおおおおっ!!」

 走り出す。
 向かう先には逃げる賊。
 その脇を一気に走り抜け、擦れ違うと同時に木刀を振るう。
 氣動自転車の勢いとともに振るわれたソレは賊を吹き飛ばし、近付くために思い切り氣を籠めていたこともあり、加減が上手く効かなかったために賊は派手に地面を転がる。
 が、それに一瞥をくれると次の賊へと走る。
 ……今、自分はどんな顔をしているのだろう。
 笑って……は、いないと思う。
 ただ、平和に慣れてしまった部分の自分は泣いているかもしれない。
 ……それを情けないとは、やっぱり思わない。
 平和の中でやさしくあろうとするのは間違いではないと思う。
 ただそれが、鍛えた力を振るうべき時にまで自分を弱くするのなら、その事実だけを情けないと思おう。

「せぁあああああっ───あ? あぁあああああっ!!?」

 しかしながら、人にも時には誤算がある。俺の場合はしょっちゅうだが。
 賊に迫り、木刀を構えた先で、賊がヤケを起こして振り向いたのだ。
 走りながらだから、こう……ぐるっとターンをするように。
 で……俺はその場を走り、撃を落とそうとしていたわけで。

「へっ!? あ、キャーーーッ!!?」

 バゴシャア、と。
 女性のような悲鳴をあげた賊が空を飛んだ。
 いわゆる轢き逃げである。
 キュリキュリと錐揉みで飛び、広い大地の草が生えた場所へとドグシャアと落下。
 さすがにヤバイと感じたんだけど、賊は元気に起き上がり、なおも走ろうとする。
 すごい耐久力だ……というか、氣動自転車に纏わせていた氣が緩衝材になったのかもしれない。最初に大木に衝突して以来、どこかにぶつかってもいいようにと氣をクッション代わりに纏わせていたから。
 たださすがに落下ダメージはあったのか、それとも錐揉みの所為で脳が揺れたのか、起き上がりは元気だったものの、途中でぱたりと倒れた。

「………」
『………』

 俺、沈黙。
 ちらりと、立ち止まってこちらを呆然と見ている賊達に向き直ると、ビクゥッと肩を弾かせた。うん、気持ちは解る。解るけど……解るからこそ覚えてほしい。
 華琳が目指し、皆が傷つきながら至ったこの平穏。
 それを穢さんとする輩には……御遣いと俺自身の名において、覚悟してもらう!!

「ひぃいっ! き、来たぁああっ!!」
「ひっ、ば、ばかっ、こっち来んじゃねぇ! 俺を巻き込むんじゃ───って、えぇ!? ななななんでこっちに《どごぉんっ!》ほべぇ!!?」

 逃げ出す者の中から、巻き込むんじゃねぇなんてぬかしたヤツを先に跳ね飛ばした。
 もはやヤケクソではあるが、悪行とはいえ同じなにかを目的としたことをしておいて、巻き込むななんて都合のいいことを言った事実にカチンと来たからだ。
 地面を転がったそいつの傍に氣動自転車を止め、木刀を突きつけて睨みつける。

「ふざけるなよお前……! っ───戦人の誇りを持てなんて言わないけどなぁっ! 仲間を大事に思えないヤツは賊ですらないぞ!!」
「は、は……!? なな、なにを言ってやがる……! お前らが勝手にそう呼んだだけじゃねぇか!」
「……仲間じゃなくて、危険になったら身代わりにしたいから一緒に居たとでも言うのか」
「……へっ、へへっ! てめぇにゃ───関係ねぇよっ!」
「《バサァッ!》───!」

 賊が、手をついた地面の砂利を握り、俺の顔目掛けて投げつけた。
 それは咄嗟に閉じた瞼や頬などに当たったが、直後にメキャリという音が響いた。
 次いで、悲鳴。

「……砂での目潰しは結構だけどさ。来るって解ってれば目を閉じて木刀振るえばいいだけなんだよ。あからさまに砂掻き集めてて、気づかないとでも思ったのか……?」
「い、ひ、ひっ、いぃ……!!」

 指に当たったのか、おかしな方向に曲がっている指を庇いながらズリズリと逃げる賊。
 顔は涙に塗れ、表情は怯えしかない。

「なんで……な、なななんで……! あ、あんた天の御遣いとかいうやつだろ!? ちょっと前に三国同盟の支柱になったとかいう……! そんなやつがなんで俺達を潰すんだよ! 同盟の証みてぇなヤツが人を傷つけていいと思ってんのか!?」

 男は助かりたいがために、思いつく限りの言葉を並べ、叫んでいる。
 俺はその言葉を男の目を見ながらしっかりと受け止めた上で、頷いてやった。

「当たり前だ。同盟の証だから全員にやさしくあれ? そんな甘い考えで柱が勤まるか。罪には罰を。そんな、子供でも教えられれば覚えることをお前達はやったんだ。裁かれる覚悟が無かったなんて言わせない」
「なっ……あ、あぁあああるわけねぇだろそんなもの! 俺達が! 俺が楽するために始めたのに、なんで裁かれる覚悟なんざ決めなきゃならねぇんだ!」
「そっか。じゃあ、これから俺はお前を叩き潰す。もう二度とこんなことをしたくなくなるまで、泣こうが叫ぼうが殴り続ける。いいよな? 俺がそうしたいから始めることだ。裁かれる覚悟なんて決めない」
「───! 冗談じゃねぇ! ふざけるな! な、ななななんだよそりゃあ!」

 男が叫ぶ。腰が抜けたのか、轢かれた拍子に体を痛めたのか、尻餅をついて逃げながら。

「ふざけんな。そんなのこっちのセリフだ。俺だっていい加減頭にきてるんだ。みんなが死に物狂いで戦ってようやく辿り着いた場所で、働きもせず改心もせずに人から盗んで楽をしようとすることばかり。それで邪魔されれば“ふざけるな”? 支柱だからやさしくあれ? ……《ギリッ……!》王の夢の先を穢されて喜ぶ支柱が何処に居る!!」
「ひぃっ!!?」

 メキメキと腹の底で膨れ上がっていた氣を遠慮なく解放する。
 叫ぶ言葉に氣が混ざり、浴びせられた男は怒鳴られた犬のように身を震わせた。

「ああそうだ。確かに悩んださ。処罰された賊を思って、散々と悩んだ。でもあいつらがやったことは確かにやってはいけないことで、反省する気もなかったから処罰された。……大切なもの壊されて怒らないヤツは居ないよな。それが自分たちだけのものじゃなかったら当然だ」

 ギロリと睨む。
 男が、ジリジリと下がってゆく。

「この平和は確かに魏の天下にあるけど、もう魏だけのものってわけじゃない。この平和の先で自分の夢を改めて叶えようとしてる人達が居る。それをお前らは乱そうとしたんだ」
「だ……だったらなんだってんだよ」
「もう、この平和は魏の……華琳だけの“大切なもの”じゃないんだ。三国共通の大切なものを壊されそうになって、黙ってる支柱が居ると思うのか?」
「───あ……」

 俺に被害があるだけなら俺の意思で許せる。
 けど、様々な人の努力や死の先にあるこの平和を乱すっていうのなら、許す道理も庇う理由も一切ない。
 前の山賊はなんとかしてやりたいと思った……それは確かだけど、狙われたのが俺だけだったからだ。それ以前から商人が襲われた事実があろうが、殺したかどうかも解らないのならまだ許せるんじゃないかって希望を持った。
 でも……今回は自分の中で撃鉄がガチンと降りた。
 弾き出される弾丸は怒りとなって、丹田から氣を溢れさせる。

「だから遠慮はしない。我慢は得意だったけど、その我慢だってしてやるもんか。俺はもう、“返すべき国”の平和を守るためだったら、鍛えてきた自分の全てを懸けて“国の敵”を叩き伏せる! そう決めたんだ! 決めたから───!」
「あ、ひっ───!?」

 歯を食い縛り、拳には氣を。
 振り抜く拳が尻餅をついたままの賊の顔面を捉え、持ち上げるようにして弾き飛ばした。

「っ……甘さだって、いくらだって噛み砕いて越えてやる……!!」

 人を殴る感触が心に痛みを走らせる。
 けれどそれを飲み込むと、思い出したように逃げ出す他の賊の後を追う。
 粗方は思春が叩きのめしてくれたようだが、それでも足の速いヤツってのは居る。
 そんなやつらを氣動自転車で追い、追い付くや叩きのめした。
 耳に届くのは悲鳴と、仲間に罪をなすり付けようと叫ぶ、必死な声ばかり。
 そんな、“言葉だけ”の絆もなにもない輩を、ただひたすらに無力化していった。


───……。


 全てが済み、呻き声をあげる賊たちを縄で縛ると、彼らを国境まで連行した。
 そこで彼らの処罰云々を頼むと、戻ってから作業を再開。
 呉側の関所だったけど……蓮華はどんな処罰を下すだろうか。
 そんなことを考えながら、さあ作業をと気分を切り替えた途端、足がかくんと力を無くし、自分の体がとさりと地面に座るのを……ぼうっと見送った。

「あ、あれ?」

 立とうとしても立てない。
 すぐに工夫や思春らが歩み寄ってくるが、苦笑しながらなんでもないと言うと、もう一度立とうと試みて……失敗する。
 そんな俺の腕を持ち上げ、グイと立たせてくれた思春が呆れた顔で言う。
 「戦には向かないな、貴様は」と。
 呆れ顔のくせに、その目はどこか“仕方のないヤツだ”といった色も混ざっていて、どう反応すればいいのか迷っているうちに工夫たちに囲まれた。

「すげぇ! すげぇや! 御遣い様ってなぁ戦も出来るのか!」
「大したもんだぁ! 俺んとこの倅と同じくらいだってのに!」
「え、や、そのっ、えぇっ!?」

 囲む速度は兵にでも欲しいくらいに素晴らしいものだった。
 あっという間の包囲、逃げ道の封鎖。
 これが出来れば敵が来ても怖くないんじゃ……と驚くくらい。
 まあそれはそれとして、自分が守って自分が感謝されるのになんて慣れていない俺は、四方からくる感謝の言葉に目が回る思いだった。
 え、えぇとほら、守りたくてやったのに、そうして当然のことに真剣に感謝されるとこう……あぁあああ顔が熱い! ちりちりする! 俺自身も覚悟を決めながら、理解するものを得ながら戦ってたから褒められたもんじゃないのに!
 救難信号を表情に載せて思春を見るが、“自分でなんとかしろ”とばかりにフイと顔を背けてしまう。おまけに「胸は貸さん」ときっぱりと仰った。
 ……いや、それは俺も忘れてたからいいんだが……───。

「……うん」

 恥ずかしいし照れるしだけど、手には人を殴った感触が残っている。
 奇妙な罪悪感が浮かぶ。
 やらなければいけないことをして、こんな気持ちになるのは久しぶりだ。
 ただ、全てを救うことなんて出来ないと知っているのだから、これでよかったのだと頷いた。俺が俺の意思で守りたいと思う場所のため、国に返すために、練磨した力を振るった。
 そうであることなんて、じいちゃんに土下座する前に決めた筈じゃないか。
 迷うな、揺れるな。
 ゲームや漫画のように全てを守るなんてことは出来ないんだから。
 ならせめて、自分に出来る精一杯で国に返すことだけを考えて、笑いながら生きていけ。

「……よし! じゃあみんな! もう一休みしてから作業を───」
「御遣い様ぁ、そりゃ無理ですって!」
「興奮しすぎて眠れやせんって!」
「あ、ぅー……そりゃそうか。じゃあ無理にならない程度に作業再開ぃいっ!!」
『うぉおおおおおおーーーーーーーっ!!!!』

 工夫たちのテンションは凄かった。
 叫んでみれば叫び返して、拳を突き上げれば拳を突き上げ返す。
 まるで兵へ鼓舞でも飛ばしたかのような気分になったが、言った俺も舞い上がっていることに気づく。
 けれどそれを鎮めてしまうのはもったいないと感じて、その高揚を持ったままに作業を再開。
 複雑な気持ちをいよいよ“未来”に向けながら、鼓舞って大事だなぁと改めて思った。
 



ネタ曝しです。  *ほっといてくれ! 俺はもういっぱいいっぱいなんだよ!  サンデーコミックス、メジャーより。  あの言葉は挫折者の頂にあるんだと思う。  *藤巻十三  我が家で夢精格闘家として名高い、餓狼伝の格闘家。  藤巻十三になっていない=そういうこと、である。  *ただではおかんッッ!!  範馬刃牙より。VSオリバの際、鼻に指を突っ込まれた時とか。  *フラッシュピストンマッハパンチ  魁!男塾より。Jのミラクルパンチ。  最初の設定では使用回数が限られていた。  *スーパーウルトラグレートデリシャスワンダフルボンバー  燃える!お兄さんより。ロッキー羽田のパンチ。  1秒間に50発という異常な連打力を誇る。  ただし一箇所に集中出来ないようで、威力も分散されがち。多分。  デンジャラスじゃなくてデリシャスなのがポイント。  *覇王翔吼拳  龍虎の拳より。今でこそとても速い飛び道具だが、最初は構えも飛翔速度も遅かった。  覇王! ………………翔吼拳! ってくらい遅い。  ネオジオでやった頃なんて、スティックに慣れない所為でコマンドを失敗しがちだった。  龍虎乱舞がとてもやりづらかったのを覚えてる。  確かえーと……下.右下.右+A.B.Cの順にカカカッて感じだったかなぁ。  体力が少ないことが条件だったっけ……? もう覚えてないや。  ただMr.カラテにロバートで挑み、覇王翔吼拳撃ったら相手も撃ってきて、カウンターで一撃で死んだことは覚えてる。  開幕直後の瞬殺劇でした。飛び道具同士なんだから相殺くらいしてほしかった。  *バイクっぽいもので撥ねる  イメージは“モンガロン轢き逃げアタック”。ザ・モモタロウより。  88話をお送りします、凍傷です。  あけましておめでとうございますって言葉をこういう場で使うと、数ヶ月後には「何言ってんだコイツ」とか思われそうな気がしないでもないです。  あれですね、アニメ化を喜んで漫画内にその描写を描いたら、コミックスが出た頃にはアニメが終わっていて、残ったのはその喜んだ時の描写……いえやめましょう悲しくなる。  えー、はい、先月一話しかUPできませんでした。  嫌いなものはなにかと言われれば年末年始と答えましょう。  忙しくてなにも出来ません。  休みなんて1月1日だけだし……もっと、もっと休みをください……。  と、それはそれとして。  なして山賊が一刀が雪蓮に勝ったこと知っとるん? という話は、山賊が襲った商人から聞いたということで。  小説内で書いてみたらやたらと説明くさくなってしまいました。  なのでここで説明することに。  しかし、うちの一刀くんは悩んでばっかりだなぁ。  個人的には「切り替えたー!」とか言って躊躇無く相手を処罰とかは勘弁……いや、そうなると常識破壊のあのバカはどうなるのか。  ともかく、二言目には殺すだの死ねだのは勘弁ということで。  オリジナルならまだしも、余所様の主人公ならこうであってほしいって願望があります。  でもいい加減前を向かせましょう。平和ボケはいかんとです。  平和の中で起きる厄介ごとって辛いですよね。  鍛錬してようが、心がぬるま湯に浸かりきっています。  たとえ孫悟飯が鍛錬しながら大人になったとしても、油断はあったんじゃないかと思うのですよ。  そんなお話。  いやしかしこの恋姫という作品……真桜が居れば出来ないことなんてあんまりないんじゃないかなぁ。  はい。この物語は作者の妄想と願望で出来ております。  こうだったらいいなが実現出来るのって、自分の中だけですよね……悲しいことに。  実現出来ても何処か違うのが余計に悲しい。  では次回で。 Next Top Back