143/続・少年よ、大志を抱いて日々を踊れ

【璃々って人によっては呼びづらい名前だといつか誰かがそう言った】

 さて。
 なんのかんのとあって、蜂蜜水を献上することで仲直りが成立して少々。
 噂を聞きつけた各国の将や王が一目見ようと都にやってきては、代わる代わるに帰ってゆく日々。見世物小屋の珍生物気分を味わっている一刀はといえば、みんながみんな露出が多い服装で目の前に来るため、終始おろおろとしていた。

「へー、お前“璃々”っていうのか。あ、俺、北郷一刀。よろしくな」
「ほんごう……? みつかいさまと同じ名前なんだ〜、すごいね〜っ」
「? よく解らないけど、へへっ、すごいだろっ!」

 子供同士だと気も許せるのか、紫苑が連れてきた璃々とはすぐに仲良くなる。
 将の子供ということもあり、友達が居たとしてもどこかで一線を引かれていた璃々にとっては、遠慮の“え”の字も無く接してくれる子供というのは新鮮だった。

「えっとねぇ……“み〜つ〜か〜い〜さ〜ま”っていうのは、美羽ちゃんが言う“ぬしさま”のことだよ?」
「むっ!? ぬしさま!? またぬしさまか! むむむ……! き、聞いてくれよ璃々っ、みんなヘンなんだよ! 何かある度にすぐみんな“ぬしさま”のことを口にするんだ! 一刀って呼ばれたかと思って振り向いてみれば、あなたのことじゃないわってジョルジュはからかうし!」
「じょるじゅ……?」
「あ、えと、ほら。そーそーとか呼ばれてる金髪のぐるぐる髪の女だよ」
「わっ……そんなこと言ったら、めーなの! そーそーさまはこの大陸の覇王さまなんだよー!?」
「う……で、でもさぁ。みんなそう言うけど、俺のこといっつもからかってくるんだぞ? 遊び甲斐があるー、とか、いじめ甲斐があるー、とか言ってさぁ。覇王さまってもっとこうさぁ、カッコイイイメージの方が強いじゃんか」
「いめーじ……?」
「うぅう……ああもう、なんで解らないのかな。どこなんだよここ。たいりく……? 日本語は解るのに、ワケがわからないよ……」

 子供の悩みなど軽いものと様々な人が思うだろうが、子供はこれで考えていたり見ていたりするものだ。
 自分が知らないことを子供に問われた瞬間から、大人はもっと身構えるべきだろう。
 しかしながら大人に訊くという行動があるように、子供同士で話していても答えに辿り着くことは稀でもあるので、一度教えたくらいで覚えきることも稀───……と油断すると痛い目を見る。
 家族に教えてもらったことを得意げに話し、それが間違いであることを恥とともに知った瞬間の子供の恨みは相当だ。

「どこ、って……ここは都だよ?」
「みやこ…………それでいっか。うん、都だ都! じゃあ璃々、何して遊ぶ? 今日は俺休みらしいから、いっぱい遊べるんだぜ〜?」
「おやすみ? へぇえ、一刀くんってもう働いてるんだー、えらいんだねー」
「え? 偉いかな……そ、そっか。偉いか。へへへ……あ、それでな? なんかねーちゃんがさ……貴様は子供のうちから“かろーし”でもする気かー、とか言ってきて。かろーしってなんだ? 家に住んでる老師さま?」
「えっと……働きすぎて死んじゃうこと、だよ」
「うえっ……! そ、それはヤだな! よし休む! 俺休む! だから遊ぼうぜ璃々!」
「……あれ? それって休むっていうのかなぁ……」
「な〜に言ってんだよっ! 休みってのは遊ぶためにあるんじゃんか!」
「? ?」

 ともあれ、少年は少女の手を取り駆け出した。
 許可を貰って街に出て、一緒に来ることになった華雄とともに騒ぐ。
 最初はキリっとしていた華雄だったが、いつぞやの子供とともにベーゴマをすることになると、やたらと一刀と戦いたがり……勝利を得るや、子供そのものと言っても納得出来るほどに喜び燥いでいた。

「くぅうっ……お姉! もう一回だ!」
「ふふふはははははは! はっはっはぁっ! いいぞ来い! 日々鍛錬を重ねた私に、もはや敗北の文字など《ヂョィンッ》ぬああああああああっ!!?」

 そして再戦時にあっさり負ける。
 妙に力んだために引きが上手くいかず、回転足らずで弾かれてゆくベーゴマが、彼女にはスローモーションで見えた。

「よっしゃ勝ったぁ!!」
「いぃいいいいやいやいや今のは何かの間違いだ! そう! これは三本勝負! 次で勝敗が決まるんだ! 次で!」
「よぉっし解った! じゃあ次で決着だかんなお姉!」
「打ち負かしてくれるわぁあああっ!!!」
「負けねぇぞぉおおおおっ!!!」

 のちに、その状況を見た都の人々は言う。
 誰がどう見ても、子供が二人で遊んでいるようにしか見えなかったと。

「《ガィンッ!!》ぬぐっ!? ば、馬鹿な!」
「よっしゃ俺の勝ちぃ!」
「焦るな! まだ一回残っている!」
「え!? なんだよそれ! 俺が二回勝ったんだから俺の───」
「三回、と言ったぞ? つまり次に私が勝てば同点。決着にはならん!」
「ず、ずっこいぞお姉! そんなの屁理屈じゃんか!」
「だ、黙れ! お前も男ならば当たって砕けろ!」
「へーんだ! 男女差別なんて、戦いの中で口走る方がどうかしてるんだいっ! だから男とか女とかなんて関係ないんだよーだ! でも勝つのは俺だから受けて立つ!!」
「よくぞ言ったぬぉおおおおおおおおおっ!!!」
「ちぇええええええええぃいいっ!!!」

 叫び合う男女の図。
 しかしそこにはもはや老若男女の差別はなく、戦なのだから勝たねば死ぬといった迫力を身に宿し、二人は戦い続けた。
 途中で璃々も混ぜ、遊んで遊んで遊びつくし、様々なことをしている内にとっぷりと夜になり───くたくたになって部屋に戻ると、何故か腕を組んで黒いオーラを放つ覇王さまを発見した。

「あれ? ジョルジュ?」
「その呼び方はやめなさいと言っているでしょう! ……それより一刀? 私はあなたに休みなさいと、そう言った筈なのだけれど?」
「おうっ、休んだぜっ! おかげでクタクタだー!」《どーーーん!》
「……あのねぇ一刀。それは休んだとは言わないわよ?」
「? なに言ってんだよジョルジュ、休みの日に遊ばないで、いつ遊ぶんだ。休みってのはなぁ、普段出来ないことを一日かけて思いっきりやるためにあるんだぞー? じいちゃんの受け売りだけど」
「………」
「んぁ? ……あ、あれ? もしかして違うのか? 俺、じーちゃんに騙された!? くそうじーちゃんめ! どうせまた騙された俺を思って、ムヒョヒョヒョヒョとかヘンな笑い方してるんだ!」
「間違ってはいないわよ。ただ、疲れた体を休ませるために休みを与えたの。だというのにくたくたになるまで遊ばれては、休みをあげた意味がないわ」
「そんなの風呂入ってぐっすり眠れば治るじゃん」
「………」
「?」

 子供の体力回復能力は凄まじい。
 とはいえ、彼女的にもいろいろと考えることはあったのだ。
 子供の内に様々を学ばせるのはとてもいいことだ。
 そうすることで、元に戻った時の彼がどのようになるのかはとても気になる。
 だからこそ、休みになれば遊ぶだけの状態になる癖がつくのは困る。サボリではないだけマシではあるものの、休みの度に遊びに行かれては……いろいろと都合が悪いのだ。
 というか、この子供はいつになったら戻るのか。
 各国の将が来る度に可愛がられ、学び、遊んでいる。
 それが子供らしいのかといえば、学んでいること自体が既に子供らしくない。
 戦が終わった世界で武を学び戦略についてを学ぶというのはどうなのか。
 けれども少年はそれが格好良く思え、まるで抵抗なく学んでいっている。
 すぐに折れると思っていたのに、どういう心境の変化があったのか。

「とにかく。休みなさい。遊ぶなとは言わないけれど、限度というものを覚えなさい」
「……ジョルジュは説教ばっかだなー。そんな、眉間に皺ばっか寄せてて楽しいのか?」
「だからじょるじゅじゃないわよ! そして誰の所為で怒ってると思っているのよ!」
「…………?」
「《こくり》」

 戸惑いののち、自分を指差す少年に、華琳は頷いてみせた。
 少年はぽかんとしてから、どこかくすぐったそうに笑って言う。

「なんだよ、もしかしてジョルジュって俺のこと好きなのか?」
「なぁっ!?《ぐぼっ!》」

 それはカウンターだった。
 およそ自分が知る北郷一刀ならば言わないであろうことを、こともあろうに子供とはいえ北郷一刀が言ってみせた。
 付き合いが長ければ会話の流れというものも理解出来てくるものだが、こんな流れは初めてだったと言える。

「あ。赤くなった。なんだ、ジョルジュも結構可愛いとこあんじゃん」
「なっ、だっ───………《はぁ……ふぅ……!》───……誰が、可愛いのかしら?」

 努めて冷静な自分を作り上げる。
 大丈夫、子供の戯言だ、冷たい心で向かえればどうということは───

「ジョルジュって言ったじゃんか。俺、お前ってただ怒ってるだけのヤツかと思ってた」
「だからじょるじゅではないとっ───…………あぅう……!」

 子供相手に何を向きになっているのかという考えと、それでも相手は一刀なのだという考えとが頭の中で踊っている。
 だがここで彼女は気がついた。

(……ここで大きく否定などすれば、のちの一刀に影響が出る……?)

 北郷一刀の鈍さは異常だ。
 ずかずかと歩み寄ってくるくせに近寄ればひらりと躱し、言葉にすれば難聴になる。
 動きを封じて間近で言ってやらなければ解らないくらいに面倒な男だ。
 ならばどうすればいいのか?
 ……子供のうちにそういうことを刷り込んでおけばいいのでは?

「───一刀」
「ん? なんだよ」

 少年は自分の寝台の上に胡坐をかき、華琳を見つめる。
 そんな彼に、彼女は言った。

「これは命令ではなくお願いであることを先に言っておくわ。……他人の言葉にはよく耳を傾けなさい。人から送られる好意を疑ってはいけない。たとえそれが複数からのものであっても、受け入れられる男こそに到りなさい」
「…………いたる?」
「辿り着きなさいってことよ。女性の誰かが自分を好きだと言ってきたなら、受け止めてあげること。もちろん自分が相手をどう思っているかもよく考えた上でよ。見境なしは許さないわ」
「? なんでジョルジュが許さないんだ?」
「じょるじゅじゃないと言っているでしょう。これは覇王としての願いよ」
「……それって命令じゃ」
「願いよ」
「………」
「………」
「なージョルジュー、お前せっかく可愛いのに、なんで怒ってばっかなんだ?」
「怒らせる存在が目の前に居るからでしょう? そうさせたくないのなら、もっと落ち着きを見せなさい」
「そっか。ジョルジュは俺のこと嫌いなんだな」
「結論を急ぎすぎるのはよくないことよ。落ち着きを見せなさいと言っただけでしょう」
「落ち着くのなんて大人になってからでいいじゃんか」
「………」
「………」
「そっか解ったぞ! お前、俺を自分好みの男に育てる気だな!?」
「……《ビキッ》」

 あながち間違っていないから、大変に困ったそうな。



【言葉にするのは思っているよりも難しい。様々な面で】

 翌日。
 休みも終わり、再び鍛錬や勉強……というところで、声をかけられた。

「一刀くん、ちょっといいかしら」
「んあ? あ、紫苑おば───」
「《ギンッ!》」
「ヒィッ!? しっ……紫苑、ねー……さん?」
「《ニコリ》ええ、おはよう」
「お、おぉお……おはよう……ございます」

 おばさん発言に光り輝いた眼光を前に、彼は瞬時にそれが禁句であることを知った。
 正直に生きると言っても、命は惜しいもの。すぐに無難な“ねーさん”で命を保った。

「それで、えと。なに? 俺、これから華雄お姉と鍛錬があるんだけど」
「少しでいいからお話できないかしら。昨日、璃々がお世話になったそうだからお礼がしたくて」
「んー……解った」

 一つ。相手の話はきちんと聞くこと。
 華琳に言われたことを思い出した彼は、とりあえず耳を傾けた。

「昨日は璃々と遊んでくれてありがとう。璃々ったら部屋に戻ってきてから、ずっと楽しかったって同じことを話してくれて」
「俺も楽しかったからいいよ。ていうか、紫苑ねーさんもここに住んでるんだっけ?」
「ええ。少し見てみたいものがあったから」

 穏やかに微笑みながら、少年一刀を見つめる紫苑。
 随分とほっこりとしている。

「ふーん……でもまあ、お礼言われたくて遊んだわけじゃないから、べつにいーよ。璃々は友達だからな」
「……そう。ありがとう」
「だから、いいってば。他にはない? ないなら行くけど……。お姉、遅れるとうるさいんだ」
「あ、もう少し。……一刀くん、好きな子は居る?」
「うぐっ…………〜〜……い、居るよ」
「あらあら、本当? それは誰?」
「な、なんでそんなこと教えなきゃなんないんだよっ! 自分に正直に生きるって決めたからって、なんでも答えるってわけじゃないんだぞっ!?」
「……そうね。ごめんなさい」

 顔を真っ赤にして怒る姿に、思わず謝る……が、顔は笑っていた。
 それはまるで、近所の悪ガキの恋を暖かく見守るような笑みだったという。
 実は既にその相手が美羽であることは知ってはいるものの、本人に確認を取ってみたかった。恐らくは聞いた通りなのだろう。

「じゃあ最後に。もし璃々があなたのことを好きになったら、どうする?」
「きちんと向き合って話をする! よく解んないけどジョルジュにそうしろって言われたし、相手の言葉を受け止めないのはなんか卑怯だから受け止める!」
「あらあら……ふふっ」

 頭の中が魏のことばかりだった青年の頃とは大違いかもしれない。
 そう思って、彼女は笑った。
 これで青年に戻ったらどうなるのだろう。
 想像してはみるものの、鮮明にはいかなかった。

「なんかな? 言われた言葉に対して、“ん? なんか言ったか?”とか言うのは卑怯らしいんだ。聞こえてるのにそれ言うのはひどいよなっ! 聞こえてないなら、聞き直そうとしてるだけいいと思うけど」
「…………あらあら」
「でもさ、それって“なんか言ったか?”って訊き返されるほど小さく言ったほうもひどいと思わない? 俺、漫画で読んだことあるけどさ、あれってちょっとずるいよな。なんか言ったか〜って訊き返してるのに、女はいっつも“ううん、なんでもないっ”て誤魔化すんだ。なのに男だけが悪いことになるんだぜ? ずっるいよな〜」
「うっ……」

 少し耳が痛かった。
 確かに訊き直そうとしているのに、なんでもないと返すのは卑怯だ。
 けれど、ならば……たとえば意中の相手に好きだと囁いて、訊ね返されたならもう一度言えるのか。それを少年に訊ねてみると、

「出来るに決まってんじゃんっ! みんな根性が足りないんだって! もし俺にやれって言うなら今すぐにだって出来るぜっ!?」

 子供というのは調子に乗りやすいものである。
 大人に出来ないことを出来ると言いたがるのも子供ならではなのだが、この場合は時と場所がまずかった。

「あら、それはすごいわ。それじゃあ見せてくれる?」
「え゙っ……!?」

 ぎしりと固まる、踏ん反り返っていた少年K。
 まさかそう返されるとは思っていなかったが故に、目を泳がせながらもなんとか逃げ道を探す。そ、そう、そういえば自分は鍛錬に行く途中だった。それを言えば───

「あら美羽ちゃん、丁度いいところに。ちょっといいかしら」
「むぁ? なんじゃ?」
「うひぃえっ!?」

 そしてそんなところへ通りかかる意中のお方。
 少年の心に絶望の二文字が浮かぶが……“やると言ったからには逃げはせぬ!”と無駄に雄々しく覚悟を決め、少女の前にずんと立つと、真っ直ぐに目を見て自分の思いを解き放った。

「え、袁術! 俺、お前のことが好きだ!」

 溜めもなにもあったもんじゃない、しかし心からの告白。
 付き合ってくれなんて言葉も出ない子供の、精一杯が放たれたが───

「うみゅ? なんじゃと?」

 いきなりのことに耳を疑うか、はたまた理解が追いついていないらしく、彼女は彼に首を傾げてみせた。
 見事に先ほど言っていた状況の完成だ。
 紫苑が「あら……」と少し焦った様相で一刀を見るが、しかし彼は怯まなかった。

「う、ぐっ……な、何度だって言ってやる! 俺はうそなんてつかないんだからな! 俺は! 袁術が! 大好きだ!」

 顔は真っ赤に、けれど自棄にはならない程度の理性を胸に、彼は叫んだ。
 今度はきちんと耳にした少女はといえば、しばらくぽかんとしていたと思えば急にニンマリと笑い、くすくすと笑いだす。

「お主、妾に惹かれるとは中々に見所があるようじゃの」
「お、おおっ! 見所───見所ってなんだ?」
「妾のことが気になって気になって仕方がないときたか。うははははっ、まったく仕方のない孺子っこよのう」

 にんまりだった顔がどんどんと緩んでゆく。苦笑した紫苑が止めに入るほどに。
 そしてそこまで言ってない。

「しかし残念じゃったの。妾は、妾の全てを主様のもとへ置くと決めたのじゃ。お主のような孺子っこには興味なぞ微塵もないのじゃ」
「《ザグシャアッ!》えぐぅうっ!?」

 言葉の槍が、彼の心を貫いた。
 さすがに意地悪な振りをしてしまったと、紫苑がフォローに入ろうとするも、

「じゃ、じゃあ! 俺が主様とかゆーのより偉くなったら!?」

 自力で立ち直った彼を前に、歩み寄ろうとする足を止めた。

「む? む〜……ありえぬと思うが、そもそも偉さだの男らしさだのの問題ではないでの。妾は主様にこそ様々を学び、ともに歩きたいと思ったのじゃ」
「え、え? じゃあ……つまり?」
「うみゅ? ……解らんやつよの。主様以外となど冗談ではないと言っておるのじゃ」
「《ぞぶしゃあッ!》はぐぅうっ!!」

 言葉の槍-第二章-。
 彼は今度こそ足を震わせ、膝からズシャアと通路に倒れた。
 ……いや、辛うじて手をつくことで、転倒は免れた。

「っ!」

 その状態から顔をバッと持ち上げ、立ち上がると再び少女を真っ直ぐに見つめる。

「そ、それでも好きなんだ! 誰が諦めるもんか! だったらその主様とかいうのに戦いを挑んで、俺が勝てば───!」
「あぁ……」
「ふほほっ、無理じゃ無理じゃ」

 少年の言葉に紫苑が頬に手を当て困った顔をし、少女は口の傍に手の甲を構えて小さく笑う。なんだか馬鹿にされた気がしてカチンときたが、怒鳴るばかりの人は自分自身が嫌いだから、叫ぶのだけは耐えた。

「お主、甘寧にも華雄にも勝てておらぬのじゃろ? 主様はその二人よりも強い、呂布に勝ってみせたのじゃからの。お主とは、あー……じ、じげん? が違うのじゃ! うはーーーははははは!!」

 拳をエイオーと突き上げ、まるで自分のことのように笑う少女。
 そんな彼女を前にした少年はといえば、目の前がぐにゃりと歪むのを感じた。
 泣いているわけではなく、そんな強いヤツが恋敵であることに眩暈を覚えた。
 ……相手が自分自身であるなどと、恋に突っ走る少年が知りえる筈もないままに。

「う、うぅうう……!! だ、だだだだったら、だったら……!」
「か、一刀くん、もういいわっ、もういいからっ」

 カタカタと小刻みに震える少年の様子に気づいた紫苑が、一刀を止めにかかる。
 しかし少年は“自分に正直に生きる”を貫かんとし、さらに言葉を重ね───!


───……。


 ───コーーーン……

「…………」
「あ、あの……か……一刀……くん?」
「…………」

 数分後、通路の欄干の傍に頬擦りするような姿で、へたり込んでいた。
 どれほど言葉を連ねようとも相手にすらされず、彼は恋に敗れた。自分に正直に生きるという意志を貫くことには成功したものの、ダメージが酷すぎた。
 既に美羽は七乃のもとへと歩み消え、紫苑は一刀を慰めているのだが……彼自身は「ツメタイ……柵ガツメタイ……」とうわ言のように呟き、欄干にしがみついたまま動こうとしない。
 しばらくして華雄が探しにきたのを見て紫苑は安堵するも、強引に引っぺがされて連れて行かれる姿に、相当な罪悪感を覚えたのは言うまでもなかった。
 今度、璃々と一緒に何かを食べに連れていってあげよう。そんなことを、通路を歩きながら考えた。

「さあ、一刀よっ、今日も鍛錬だっ」
「うおおおおおおおおお!!!」
「おおっ!? なんだ、元気があるではないか!」

 さて。一方の中庭では、少年一刀が華雄に促されるままに叫んでいた。
 一種のヤケクソである。
 もはや何も失うものなどない、愛など要らぬといった状況でもあり、涙腺に血が溜まるのであれば血の涙だって流せただろう。無理だが。

「お姉! 俺、一歩大人になったよ! 頑張れば好きになってもらえるなんて幻想だったんだ! 俺なんかがモテるだなんて考えること自体が間違ってたんだ! だから俺、強くなるんだ! 好きになってもらえなくてもいいから、“お友達”を守れるくらい強くなるんだ!」
「お、おぉお……? どうしたんだ、そんな血の涙すら流せそうな形相をして」
「強さを見せるためには“主様”を倒さなきゃいけないのに、倒したら嫌われるしそもそも敵わないとか言うし、もうどうすればいいのか解らないんだよ! 恋なんてっ……恋なんてぇええええっ!!」
「……よく解らんが、強くなるのはいいことだ。うむ、お前のその考え方は間違いではないな。難しく纏めることなどないのだぞ? ようは“力”に理解のある伴侶を得ればいい」
「? はんりょってなんだ?」
「夫婦となるための夫か妻のことだ。お前が口にするのなら、妻ということになるな」
「力に理解のある妻…………そ、そっかなるほど! そういえば袁術は力って感じじゃなかったもんな! でも強ければ好きになってくれるヤツなんて居るかなぁ。好きになる相手が自分より強いと、なんか悔しくない?」
「ふふっ、なにも解っていないな……。それを認めることが出来る相手こそが、理解があり包容力のある存在というものだろう」
「───!《ハッ!》」

 少年は華雄の言葉に“理解を得た!”といった表情になり、こくりと頷くと木刀を強く握った。
 主様という相手も武器が木刀らしいので、これで打ち負かすのが最近の目標となっている。そういえばこの木刀、じいちゃんが持っていたのと似てるなーとか思いつつも、目標になっている。
 もちろん簡単に勝てるとは思っていないので、必要になる鍛錬は生半可なものではないだろう。けれどそれに耐えてこそ、見えてくるものがある筈だと彼は信じた。というか信じなきゃ恋する気持ちを放棄しそうで怖かった。
 そもそも北郷一刀という男。広く浅くといったA型典型の血液的性格関係があるかどうかはともあれ、物事に深く入り込まない性格をしている。剣道の実力も中途半端であり、知識面でも広く浅く。三国志についての知識はそれなりではあったものの、一般が持つ知識に多少の上乗せがされた程度だ。
 人付き合いで言っても押しに弱いところがあり、女性との関係のそもそもが相手に押し切られる形になっているのがほぼだ。それを知る者からすれば、子供とはいえ北郷一刀自身が告白に走るというのは貴重な場面ではあるものの、ある意味で初恋は実らない。
 いっそぐいぐいと引っ張っていってくれるような相手こそが似合っているのだろう。だからこそ、華雄の言葉に素直に頷いた。
 弱った心に一日かけてみっちりと叩き込まれる熱き心(武の心)は、出来たばかりの目標に近づくための近道だと彼の心を鷲掴みにし、思春が見回りの過程で中庭に訪れた頃には……

「よし復唱!」
「武・スバラシイ! 武・サイコウ! 突撃イノチ! ソンサクオノレ! ソンサクオノレ!」

 一人の小さな洗脳戦士が出来上が───

「なにをしている貴様ぁああああああっ!!!」
「うわっ!? 思春!? い、いやこれはだなっ!」

 ───る前に、止めが入った。
 思春の怒声により、子供の素直さに調子に乗っていた華雄がハッと正気に戻るのと、慌てるとともに頭の中に様々な言い訳が思い浮かぶのはほぼ同時……ではあったものの、言い訳が放たれるより先に正座と説教が始まった。
 のちに拳骨を頭頂に落とされることで正気に戻る一刀だが、

「ねーちゃん、俺……強くなるよ! 突撃っていいよな! カッコイイよな!」
「………」
「い、いや…………すまん」

 武に対する意識の全てが消えることはなかったそうな。




【いやまあ、それでも子供ですから】

 子供が駆ける。
 知らぬ世界は冒険ばかり。
 子供になってから日は経つものの、知らない場所の方が多いこの世界で、彼は四肢を動かし駆け回っていた。

「待って〜一刀くん〜! はやいよ〜!」
「なにやってんだ璃々ー! 駆けっこ早くなりたいっていったの璃々じゃないかー!」

 早朝より紫苑からの誘いで、昼食は何処かの飯店で食べることが決定。
 朝は既に食し、その腹ごなしもかねての駆けっこ。
 中々に広い中庭を駆ける二人を、紫苑が穏やかな笑みを浮かべて見守っている。
 男の子を産んだなら、きっとこんな光景が普通に見れたのだろう。
 そんなことが頭の中に自然と浮かぶと、昨日はそんな気持ちの浮つきもあって意地悪をしてしまったのかもしれないと結論を得た。
 璃々は元気ではあるが、妙なところで少し大人びている。
 その割りに少年一刀はなんというか素直で、言われたことに“うん”と頷く子供。
 時々ひどく大人びた印象を受けることもあるものの、それが精一杯の背伸びであることに気づくと可愛くて仕方がなかった。
 昨日の意地悪はその延長だろう。

「やっぱ氣がないとだめなのかな。ん〜っと……ほら璃々、手ぇ貸せ」
「は、はぅっ……はぅう…………う? 手……?」

 走り回って息を乱している少女に、少年は手を差し伸べる。
 そこに乗せられた手をきゅっと握ると目を閉じて、息を整えていた。
 ハテ、と紫苑が首を傾げるが、それがどんな行為なのかなど解るわけもない。
 ただなんとなく、見る人が見れば手を差し出して傅く人のように見えなくもない。
 ……傅くというか、疲れて首を下げている我が娘なのだが。

「ん、んー……あった!」
「えぅ?」

 さて。
 一刀が璃々の中の氣を探り当てるのと、紫苑がそういえばと思い当たるのとはほぼ同時だったわけだが、まさか自分の娘が自分の主と同じ人に氣を解放させられるなどと思うはずもなく。
 少女の中に眠っていた氣はこの時、ぽんと解放されたのだった。

「わっ、わわっ? な、なに……?」
「これが氣だ。俺もねーちゃん……思春ねーちゃんにやってもらった時は驚いたけど、これ使うと走ってもあんまり疲れないんだぜっ?」
「へぇえ、すごいねー!」
「すごいだろー!」
「………」

 喜び燥ぐ子供たち。
 口を開け、文字通りポカンと停止する母上様。
 “そんな、簡単に……!”とツッコもうとするも、二人は早速駆けっこを始めてしまった。こうなると、捕まえるのも一苦労だ。

「………」

 諦めて東屋の椅子に座り直すと、駆ける二人を眺めた。
 元気なのはいいことだ。わざわざそれを止めることもないだろう。
 何か忘れているような気もするけれど、我が子の楽しげな顔を見ていたら───

「───はぅ《ぽてっ》」
「璃々ぃいいいいいいっ!!?」

 ───絶叫した。
 考えてみれば覚えたての氣が長続きする筈もなく、早速体の中の氣を使い果たした璃々が倒れると、母は地を蹴り即座に駆けつけた。

「うわぁ璃々!? 璃々!? もう氣が無くなったのか!?」
「あぅうう……なんか……目がぐるぐるするぅう〜〜……」
「り、璃々……平気? 痛いところは───」
「あ、大丈夫だぜ紫苑ねーさん! 俺、こういう時にすることもねーちゃんに教えてもらったから! えーと確か手を掴んで……」

 どんと胸を叩いた一刀が璃々の手をきゅっと握り、目を閉じる。
 それから氣を右手に集中させると、それを引き出す際に覚えた璃々の氣の色に変えて、静かに流し込んでゆく。

「ん…………あ……? あれ……? あったかい……」
「ど、どーだっ!? 俺もねーちゃんにやってもらってぇえぁぉおおぅ……《ぼてっ》」
「え? あら……!? 一刀くんっ!?」

 そしてまあ、一刀も氣を使えるとはいえまだまだ覚えたての子供。
 上手く調節出来ずに送り込みすぎてしまい、ぼてりと倒れた。

「一刀くん!? しっかりっ! ああ、氣を送りすぎてしまったのね……!?」
「う……うおー……だだ、だいじょ、ぶ、だいじょぶ……。“主様”はこれをやっても全然平然としてるって……ねーちゃん言ってたから……。お、俺だって平気なんだからなー…………?」

 んしょ、と倒れた体を起き上がらせる。
 紫苑が寝ていなさいと言うが、なんとなく璃々が見ているところで倒れたままなのは嫌だった───……が、辛いと思ったら素直に辛いと言ったほうがいいかなと改め、ぽてりと倒れた。
 格好つけの自分は捨てたつもりだ。
 それでいろいろな人に情けないとか思われるならそれでもいいかなと。
 知っていてくれる人が居るだけで十分だし、いいよな。……そう思って、ぽてりと。
 しかし丁度そこには上半身を起こした璃々が居て、彼の頭は璃々の膝の上へと落ちた。

「ゔ……あれ? ごつごつしない……?」

 ごすんと草の上に頭を落下させることになっても、どうでもいいやぁと脱力したところにやわらかい感触。見上げてみれば、きょとんとした璃々の顔。
 けれどその顔もすぐにふにゃりと和らぎ、「わぁ、膝枕だー」なんて暢気に笑った。
 反射的に退こうとしたのだけれど、その体はくすくすと笑う紫苑と、にっこりと笑う璃々によって押さえつけられた。

「えぅっ!? あ、や、え? な、なに?」
「うふふ……疲れているのなら休まないと。それに、倒れたのに勢いよく立ち上がるのは、体によくないのよ?」
「えっ……マジでか!? じゃあ休む!」
「ぷっ……く、ふふふっ……!」

 笑ってしまうくらいに素直な反応に、紫苑は自然と笑った。
 璃々も笑いながら、目を瞑る一刀の頭を撫でている。
 ふわりと静かに吹く風が心地よく、いい天気であることも手伝って、とても穏やかな時間を過ごせた。
 ああ、本当に……男の子を産んでいたら、こんな日常を過ごしていたのだろうか。
 目を細め、ぽんぽんと仰向けに寝転がっている一刀の腹部を撫でる。
 びくりと体が震えて、一刀が目を開ける。
 しかし別に危険なことがないと判断すると、目を閉じて呼吸を整え始めた。
 まるで犬か猫のようだと紫苑は思った。

「つんつん〜♪」
「うあー、やめろー……(棒)」
「あははははっ」

 娘が一刀の髪の毛を摘んで遊んでいるのを見て、顔を綻ばせる。
 止めようかとも思ったが、言葉こそ棒読み的なアレだったものの、嫌がってはいない。
 青年の時もそうだったが、どうにも小さな頃からのクセっ毛のようで、ところどころでハネた髪の毛を璃々に摘まれ、遊ばれている。
 しかし剛毛なのかといえばそうでもない。さらりと柔らかい髪だ。ただしクセが強い。
 そんな髪を静かに撫でていると、しばらくして聞こえてくる寝息。
 どうやら本当に眠ってしまったようで、璃々が呼びかけても返事はない。

「あうー……」
「璃々、疲れた?」
「足がしびれてきたー……」

 ふにゃりと泣きそうな顔をする我が子の足から少年をどかし、今度は自分の膝へ。
 随分と軽い頭をとすんと乗せると、何故だか自然と笑ってしまった。

「えへへー、璃々もー♪」
「はいはい」

 こてりと寝転がった璃々が、一刀の隣に頭を乗せる。
 同じ膝の上の娘は機嫌良く“にこー”と笑っている。
 そんな少年少女の頭を撫でる紫苑は軽く鼻歌なぞを歌いつつ、静かな時を過ごした。
 こんな調子で日々を過ごすことが出来れば、それはそれで幸せなのだろうなと考えながら。そして二人が大人になって結婚でもしたら……などという未来を想像してみると、くすぐったくて笑ってしまった。
 それはきっと叶わないことだろう。
 なにせこの少年はじきに青年に戻る。
 璃々が大人になった時に彼を好きになるかどうかも解らない上に、他国の将との付き合い云々だけでも物凄く奥手な少年だ。きっと年の離れた璃々のことは妹のように見るだろうし、それは成長してもきっと変わらない。
 なら今のうちに仕込んでおこうか、とも考えなかったわけでもない。

(………)

 考えなかったわけでもないのに、この少年はそう考えるより先に美羽に恋をした。
 こっぴどく振られてしまいはしたが、見事な振られ様を見て……その。微笑ましいと思うよりも惨たらしいと思ってしまった自分は、大人としてどうだろう。
 頬に手を添えてハァとつく溜め息は、なんのカタチも残さないままに暖かな景色に消えた。



【そして、朱のあの日に辿り着く】

 ぐっ、ぐぐっ、ぐっ……。

「フンハァフンハァッ!《バッババッバッ!》」

 黄親子が蜀に帰ってから少し経ったある日の中庭。
 じっとしていてもじわりと汗が出る陽気の下、少年は連続でポージングなぞをやっていた。もちろん意味はない。意味はないが、なんか強くなれる気がしてやってみた。

「ヘンだなぁ。アニメの角い金髪男は、こうするとビシバシって音が鳴ってたのに」

 子供は様々から嘘と真実を学ぶ。
 今回彼が学んだのはもちろん“嘘”でございます。

「…………!」

 さて、そんな戸惑いを浮かべる少年の傍に、今回新しくこの都を訪れた将が一人。
 体中に傷を持ち、すこしキツ目の目つきをしている女性。そんな彼女は現在、小さくなった己の隊長を前に、目を輝かせて興奮してらっしゃった。

「あ、あのっ、隊長!」
「だーかーらー! 俺は隊長じゃないって言ってるだろー!? 一刀って呼んでって言ってんじゃんかよぉ!」
「い、いえそんなっ……たた隊長を名前で呼ぶなど……! わわわ私には……!」
「楽進はなんていうか、へんだな。なんかずっと俺のこと見てるし」
「いえその……あの。隊長? 隊長はその、子供の頃から鍛錬を?」
「隊長じゃないったら……。子供の頃からって、おかしなこと訊くなぁ。今俺子供じゃんか。子供の頃から〜って、赤ん坊の頃からってことか? …………覚えてないなぁ」

 女性、楽進こと凪は鍛錬をする元隊長を見て、目を輝かせている。
 カタチとしてはキリッとした鋭い目つきなのに、輝かせている。器用だ。

「な、なぁさー……じぃっと見られてるとやりづらいんだけどさぁ……」
「な、ならば一緒に! どこからでも打ってきてください隊長!」
「だから隊長じゃないったら! ……今度、ジョルジュの名前、ちゃんと聞くかなぁ」
「さぁ隊長! どどんと! 思春殿や華雄殿ばかりが将ではありません! 胸を張るのも図々しいかもしれませんが、私も戦ならば多少の自信が! ななななななのでそのっ、お役に立てたなら是非っ、是非そのっ、あのっ、ああああねっ、姉とっ! そのっ!」
「……? 姉? ねーちゃんって呼べばいいのか? なんかここに来るやつらって、俺にねーちゃんって呼ばせたがって───」
「《キリャァアン!!》───隊長。これから私が持つ、氣に関する全てを伝授します。いつでもいいです、どこからでも打ってきてください───存分に!《クワッ!》」
「ヒィッ!?」

 見上げ、ねーちゃんと呼んだ途端、凪の目が“キリッ”では済まないほどに引き締められ、表情から姿勢、纏う氣に至るまでの全てが凛々しく整えられた。それはもう、思わず悲鳴をあげてしまうほどに鋭く冷たく。
 しかしながら氣を教えてくれるのならと、彼は地を蹴り全力で向かってゆき─── 


   ギャアアアアアアアアアア……!!


 ……言葉通り、全てを伝授というか叩き込むような勢いでボッコボコにしごかれた。

……。

 目が覚める。
 どうやら気絶していたようで、しかし体に痛みは残っていない。
 起き上がってみれば傍には凪が居て、脈絡もなく「続きですねっ!」と散歩を喜ぶ犬の尻尾を表すような笑顔で仰った。
 その前にどうして痛くないのかを問おうとしたが、問答無用だった。

「隊長は氣の繰り方に妙な癖がありません。それを上手く生かして鍛えていけば、回りくどい練り方をしなくても錬氣が出来ます」
「う、うぇっ……へっ……へはっ……はぁっ……! はぁっ……!」

 しごかれて疲労困憊。
 なのにその体に凪が触れると、少しののちに体力が回復する。
 そして言うのだ。「さあ、続きを!」と。
 少年は思った。このお姉さまはいったい自分に何を望んでいるのだろうかと。
 最強の男にでもしたいのだろうか。
 それともただ一緒に鍛錬をしたいだけなのだろうか。
 氣脈に氣が満ちるのを感じつつも、心はぐったりな彼はのそりと空を仰ぐと氣の解放に集中することにした。
 なんのかんのありながらも、氣の使い方を学ぶのは楽しい。
 自分はどうにも放出系が苦手らしいと思春に言われているが、なんとなくそろそろ夢にまでみたかめはめ波が撃てそうな気がするのだ。
 氣の鍛錬でそれが可能になるならば、こんなぐったりな心なんて飲み込んでくれる。
 少年が頑張る理由など、たったそれだけで十分なのだ───!!

「いっくぞぉおおお楽進ねぇちゃん!!」
「はいっ! 隊長!!」

 そしてぶつかる。
 言ってしまえば鍛錬はしたことがあるものの、ぶつかり合う“仕合”のようなものはしたことがないこの二人。
 子供になってしまったとはいえそれが出来るやもと思った彼女の心には、もう止めるものなど存在しなかった。いつかは元の隊長に戻ると華琳様が仰っていた。そして、その前に子供の一刀に学ばせたことは大人になってもきっと引き継がれるとも。ならば妙なクセがつく前に出来る限りを学んでもらい、そしていつしか武でも自分を引っ張ってくれる隊長に至ってくれたなら! 少し寂しい気もするが、守られてみたいとも───!
 そんな葛藤が彼女を暴走させた。
 普段冷静で大人しい人が暴走すると怖いといいます。
 これはきっと、そんなことが実際に起こった、とある暖かな季節のこと。

……。

 で。

「隊長っ! 汗を拭きます!」

 その後はといえば。

「隊長っ! 食事です!」

 姉と呼ばれた凪は暴走に暴走を重ね───

「た、隊長っ! そのっ……お、お風呂に……!」
「《がしぃっ!》うわぁあああっ!? ジョジョジョジョジョジョルジュッ!! ジョルジューーーッ!! 楽進がっ! 楽進がなんかヘンだーーーっ!! たすけてぇええええっ!!」

 風呂に連れ去ろうとしたところで叫ばれ、すぐに思春に止められた。
 
「少し落ち着け、馬鹿者」
「し……失礼、しました。目先の結果に欲を生むなど、隊長を慕う者としてなんという無様を……!」
「? 目先の……?」
「は、はい、その。華琳様が、隊長がこのままもとの姿に戻ったなら、今の記憶と経験もそのまま残るだろうと仰られて。ここへ来る前にも沙和や真桜にも言われました。頼れる姉のような存在であることを見せ付ければ、元の姿に戻った時にももっと頼ってくれるようになると……!」
「………………いや、あの、な。…………まさかそれが理由で、か?」
「隊長が都に住むようになってからというもの、魏は少々静かでして。そこに来て隊長が子供になったとの報せと、華琳様が都を取り仕切るという話。日に日に弱々しくなってゆく春蘭さまと桂花さまの様子は、見ていて痛々しく……」
「それと北郷を風呂に連れ込むのと、どういった関係がある」
「はい、あの……桂花さまが“幼い内から北郷を自分に夢中にさせておけば、あなたの帰還と同時に北郷も一緒に魏に戻ってきて、華琳さまから悪い虫も消え失せて一石二鳥よ”と……」
「………」

 思春、通路にて沈黙するの事。
 私たちはこんな相手に負けたのか……と思わず呟きそうになった。

「ひとつ訊くが……それはお前たちが望む北郷の在り方か?」
「いえ……なにせ子供の頃の隊長の姿など、自分は知りませんから……。どうすればあのままの隊長になってくれるのかなど解りません。ならばいっそ自分らを好んでくれる北郷にしてしまえばいいと、桂花様が……!」
「……時々、本気で思うんだが。軍師を変えたほうがいいんじゃないか……?」
「………」

 凪は答えなかった。
 頭はキレるし、戦中は軍師としての腕も見事だった。
 しかしここぞという時の判断は華琳に負けるものがあるし、頭の中の判断基準が主に華琳と一刀であることにいろいろと問題がある。
 華琳には愛を、一刀には嫌悪をといったふうに、好きと嫌いとの最高最低で占められている。なにかしらの作戦中、華琳に危機が及べば華琳を優先させるだろうし、もう少しで何かが成功するという時に一刀が危険だと聞けば喜んでトドメを刺すことに参加、協力することだろう。
 この二つが無くなれば相当なキレものになるだろうに、別の意味でキレた軍師。それが筍ケという軍師だった。

「北郷とともに筍ケの授業を見たことがあったが、あれは授業とは呼べんだろう……華琳さまへの褒め言葉と、他への侮蔑の言葉しか吐けないのか、あいつは」
「さすがにそんなことは…………………………あ、ありません、はい」
「………」
「………」

 それ以上は口には出さず、目で語る。
 頭がキレるのは確かだし、案を出すことに専念してもらい、纏め役を別の者に担当させれば全て上手くいくのではと言おうとした思春も、それはそれで食い違いが出そうだと結論を出し、口に出すのはやめた。
 どのみち、個性がありすぎる者が強い立場に居ると、その下の者は苦労するものだ。

「ともかく。これをいじくりすぎるのはやめてもらおう」
「いえ。隊長のお世話は部下である自分が───」
「部下か、なるほど。そういった意味ならば、私も華琳さまに命じられた上に北郷に正式に登用された家臣だが」
「うっ……それは、確かにそうですがっ! その、嫌々やっているわけでは……?」
「嫌ならば嫌と言う。相手が主だろうと、その考え方は変わらない。そもそも“主の命令だから従え”という考え方を、北郷こそが納得していない」
「それは……はい、そういう方ですから、隊長は」

 どこか誇らしげに言う。
 そんな会話内容に挟まれている当の本人は、まさか自分のことだとは思わずに首を傾げていた。
 凪は小さく溜め息を吐く思春を真っ直ぐに見つめ、思春もまた、そんな凪の目から視線を逸らさずに向かい合う。
 双方、キリッとした表情だった。

「───では訊ねます。思春殿は、隊長のことをどう思っていますか」
「どう、とは、どういう意味でだ」
「こういった際は、問われて最初に浮かんだ言葉を口にするのが正直な言葉だと秋蘭さまから聞いています」
「………」

 ふむ、と考えを纏める。
 最初に浮かんだ言葉はなんだろうか。
 自分でもう一度、北郷をどう思っているのかと問うてみる。
 ……浮かぶ言葉はなかった。
 が、思い返された光景はあった。
 朱を背に振り向く男。
 いつかの日、ともに歩んだ朱の景色だった。

「っ……?!」
「思春殿?」

 思い返した途端に心に動揺が走る。
 どう思っているのか? それ自体に答えはない。なにせ思うより先に光景が浮かぶ。
 そこばかりが浮かぶなら、その時に感じた思いが答えなのだろうかと考える。
 ……さて、では自分はその時に何を思ったのか。

「………………、……〜〜〜〜………………!?」

 思い出そうとするとどうしてか顔が熱くなる。
 頭の中にハッキリと映し出された光景を、その場でもう一度見た気分だ。
 “笑ってくれ、甘寧”と言われた。
 その笑顔を、朱を、思い出しただけで顔は真っ赤になった。
 何を思ったのかさえも思い出したら、抱きかかえられて“悪くない”と感じてしまったことも思い出してしまい、余計に顔の灼熱を感じた。
 そんな自分を見上げる凪に、なんと返せばいいのか。

「わっ……悪く、ない」

 一番最初に何を思ったかを口にしろというのなら、これだろう。
 そう思い、赤くなった所為で冷静さを欠いたままに口走った。

「………」

 言われた凪はといえば、しばし停止。
 悪くない? 悪くないとは…………隊長との関係が?
 顔を赤くして悪くない、などと言われるとさすがにいろいろと考えてしまう。
 以前の隊長ならば魏に貞操を、といった妙な信頼はあったものの、今はそういったものは無しで付き合ってくれという条件を飲みながら暮らしているのだ。
 しかも今は同じ寝室で寝ているという話も聞いた。

「あ、い、いやっ、勘違いをするな。別にあの男のをそういった意味で見る日々が悪くないと言っているわけではなく───」
「……いえ。むしろ自分はそういった意味で訊いています。隊長のことをそういった目で見ているのであれば、そうだと聞かせていただきたいのです」
「う……」
「………」

 真っ直ぐな視線は、思春が眉間に皺を寄せても逸れることはない。
 正直な気持ちを言えと言いたいのだろう。
 正直な気持ち───……女にだらしがないと聞いていた北郷一刀という魏の種馬。
 実際に会ってみれば仕事熱心ではあるし、魏のためならばと苦労も楽しむ男だった。
 なにより他国のためにも懸命に働く男だ。
 嫌いになれと命令されたとして、嫌いになれる部分を見つけるのは中々に難しい。
 好きな女性が居るのなら一人に絞れと言いたいところだが、困ったことに三国共通の意思として、三国の父、支柱という位置を認められてしまっている。

「………」
「思春殿」
「ぐ……、っ……ほっ……他の男に比べれば、なかなか骨のある───」
「いえ。他と比べず、隊長だけを見た意見を聞きたいのですが」
「〜〜〜〜〜っ!?」

 僅かながらの逃げ道をあっさり塞がれた。
 ここまで来れば、適当なことを言うのが逃げであり、はぐらかしでもあることくらいは自覚できる。ならば言ってやればいいのだ。悪くない、ではなく……きちんと北郷一刀という存在を男として意識して、自分がどう思うのかを。

「………」
「…………あの。思春殿?」

 考える。
 しかし、なんだ。
 自分が相手を男として考えてみても、相手は自分を女として見ているのだろうか。
 何日も同じ寝台で寝ようと、手も出さなかった相手だ。
 その部分では既に警戒していないくらいに無害な存在。
 それはつまり、自分を女としてなど見ていないのでは?

「………」
「? なに? ねーちゃん」

 自分を見上げる少年を見下ろす。
 今は自分を“ねーちゃん”と呼び、様々な質問をしてくる探究心と好奇心の塊のような少年。氣の扱い方を教えてみれば、すぐに吸収してみせた不思議な子供だ。
 そろそろ川の中の魚の叩き方でも教えてやろうかと思っていた。
 そんな少年を見つめ、何を思ったのかといえば。

「か───…………一刀」
「ふぇ? ……ど、どうしたんだよねーちゃん。俺のこと、名前で呼ぶなんてことなかったのに。───はっ!? お、俺なにかヤバいことした!? いやいやしてないぞっ!?」

 名前を呼んでみれば、盛大に慌てる少年一刀。
 少年の反応を前に、言った本人は一度深呼吸をしてから大事なことを訊ねた。

「一刀。貴様は強くなれるか?」
「へ? 強く? …………そんなのあったりまえじゃんっ! 俺強くなるぜ? そのうちねーちゃんにだって勝ってやるんだからなっ!」
「その言葉に、嘘はないな?」
「もっちろんっ! ぜってー勝つから、そしたら俺がねーちゃんを守ってやるんだっ! 男女差別とかそういうんじゃなくて、ねーちゃんが難しい顔しなくて済むように、安心させてやるよっ!」
「───…………」

 真っ直ぐな瞳だった。
 自分の成長を信じて疑わず、成長したなら自分を守ると。
 しかもその理由が男だから女を守るというものではなく、いつもしかめっ面をしている自分を安心させるためだという。
 その瞬間に感じた気持ちを、どう言葉として表そう。
 嬉しい、と言えばいいのだろうか…………上手く言葉を見つけられない。
 けれども胸がカッと熱くなったような気がした。

(…………そうだな。貴様は、そういう男だ)

 彼はいつか言った。私の笑顔が見たいと。
 誰かが笑っている中、私だけが笑っていないのは嫌だと。
 それをあの時の都合だけで言ったわけではないということが、少年の彼の言葉で証明された。それが……何故だかとても嬉しい。

「───」

 そんな言葉を純粋な瞳と心で伝えられたからだろうか。
 思春は極々自然に、自分でもそう意識しないままに手を持ち上げ、少年の頭を撫でた。
 少年が、凪が驚く中、初めて見ると言ってもいいくらいに柔かな笑みを浮かべて。

「───ああ。解った。私の“先”は貴様───いや。お前に託そう、か……い、いや、北郷。ただし、守ると言ったからには半端は許さん。強くなれ、今よりももっともっと強く」
「あ…………お、おうっ! ままままかせとけっ!!」

 しばらく硬直し、けれど慌てて胸を張る一刀。
 思春は少しだけ首を捻ったが答えは得られず……その答えは、凪だけが理解していた。
 少年の顔は真っ赤であり、ようするに思春の笑みに見蕩れていたのだ。

「……なんというか。さすが隊長だと納得するべきなんでしょうか。最近までは袁術を追い掛け回していたと聞いていたのに……」
「? なにがだ?」
「なにが?」
「………」

 二人して凪を見て、軽く疑問符を浮かべる。
 見つめられた彼女は素直に思った。“思春殿、あなたも相当鈍いと思います”、と。
 それから、散々待たせた答えを話そうとする思春に「いえ、答えはもらいましたので」と返す凪は、少しの苦笑をもらして歩き始めた。
 釣られて思春も一刀も歩き、ふと漏らす。「ところでどこに向かってるんだっけ」と。

「風呂場ですが」
「《ダッ! がしぃ!》離せぇえええええーーーーーっ!!!!」

 答えた瞬間に逃げ出した一刀の腕をがっしりと掴むと、そのまま笑顔で引きずってゆく。
 抵抗してみるが、腕力がまるで違った。

「た、隊長……私もその、恥ずかしいんです……。ですから、あまり抵抗されると」
「じゃあ別々に入ればいいじゃんか!! ねーちゃんも言ってやってよ! 男と女が一緒になんておかしいって! …………はっ!? あれっ!? それだと男女差別が……あれっ!?」
「凪。北郷は一人で入らせると頭を洗ってこない。たっぷり洗ってやってくれ」
「ねぇえちゃああああんっ!!?《ガァアーーーン!!》」
「はいっ!」

 抵抗虚しく引きずられる少年を見送り、思春は溜め息を吐いた。
 認めてしまえば随分と落ち着くものだ。
 強引に連れられ、見えなくなってしまった一刀を思い、もう一度溜め息。

「守る、か。あんな子供が、大きく出たものだ」

 しかし嬉しいと感じてしまったなら仕方がない。
 どう守るのかは別として、せいぜい成長を見守るとしよう。
 自分が守られていると感じた時、きっとあの男の“国に返す”という覚悟も終わりに近づいているのだろうし。

「………」

 その未来を近くで見れるという事実に、知らずに笑んでいた。
 そしてそのまま、笑んでいるという事実に気づかぬままに歩いてゆく。
 よく見ている人にしか解らないくらいの小さな笑みだったが、彼女は確かに笑んでいた。




 ネタ曝し……ネタ、ありましたっけ?  あ、そうだった。  *ジョルジュ  そう、それは遥か昔のこと。いえ、詳しい元ネタがあるわけではないんですけどね?  あれは天地無用!魎皇鬼を見ている時でした。  鷲羽さんの話の回ですが、彼女の子供の名前がわからなかったんですよね。  当時子供だった僕は兄とそんな場面を見ていて、  名前つけるとしたらどんなんだろうと話し合いました。  そしたらまあ……顔といい金髪具合といい、ジョルジュだろうということに。  そこから来た、なんとも微妙な日常ネタでございました。  でもまあ……ジョルジュって顔だったと思えばジョルジュだったとしか。  *いーやいーやせいやせいやチェストォァチェストォァ!!  ブシドーブレードのブラックロータスの連撃の掛け声。  確か野太刀だったような気が。ただ面を繰り返すだけ。  いーやいーやだったかうーりゃうーりゃだったかは思い出せません。  *ん? なんか言ったか?  モテ男の究極奥義。  大事なところだけ聞き逃す。難聴すごいですね。  *う、ううんっ! なんでもないっ!  惚れ女の究極奥義。  大事なことなのに誤魔化す。伝わるまで言えぇええ!!  言わないのに一方的に男が悪いみたいに言うのは卑怯だろぉおおお!!  *フンハァフンハァッ!  ジョニー・ブラボー。ポージングでビシバシ鳴るマッスル。  とある回で四連続でポージングをキメる時があって、その時の掛け声がこれ。  ビシビシバシビシィ!!とステキな音が鳴る。  *シャイニング・ゲンジ  光源氏ですね。  自分好みの大人になぁれとばかりに一刀くんを成長させんとする皆さん。  そして光源氏はロリコンではなくマザコンである。  ふざけたタイトルだと思った方、あなたは正しい。でも凍傷は普段からこんなんです。  はいな、91、92話をお送りします、凍傷です。  IFということで、書きたかった少年化を書きました。  でも本当に、恋姫なら普通にありそうな話なんですよねこれ……。  子供化の話はもうちょほいと続きますが、のんびり見てやってクラサイ。  漂流教室、面白いですよね。関係ないけど。  では今回はここまでで。  また次回をお待ちください。 Next Top Back