146/嫌よ嫌よも好きの内って言うけど嫌って言ってるんだから人の話はちゃんと聞きなさい

-_-/北郷一刀

 部屋に戻って服を着替えて、いつものフランチェスカの制服に腕を通して装着。もちろん下着も交換。
 着替えという作業の全てを終えると、誰も居ない自室でホウと溜め息を吐いた。
 これで華琳が居たら、いい笑いものだ。
 そして今現在、自分こと北郷一刀は美羽にだけはとても会いたくない。
 心の整理が出来るまででいいのだ、会わないでいたい。
 なんてことを思っていると、会ってしまうのが世の常とはよく言ったものです。
 フラグ、って言えばいいのか? などと考えていると会う確率が……減るといいね。

「………」

 静かな日。
 外からは鍛錬している兵の声が僅かに聞こえ、鳥の声と合わさってゆったりと届く。
 兵にしてみれば大変なところなんだろうが、それらが日常化しているように自分に届く日々というのは、少し心強く感じられた。
 俺も頑張らなきゃ〜って気になるよな。
 …………頑張る対象が武なら、まだいろいろと割り切れることもあったろうに。

「あからさまに避けたりしたら美羽だって傷つくだろうし、もっと強くあれ、俺っ」

 むんっと気合を入れて部屋を出る。

「………」

 それでもやたらとキョロキョロしてしまうのは……まあその、人間として仕方ないと理解していただけると大変嬉しい。
 まあそれはそれとして、中庭の東屋へと戻った。
 戻りきる前に霞と冥琳には気づかれて、その場へ辿り着くまで見つめられて妙な恥ずかしさを味わうことになったが……あの時間はどうも苦手だ。こう、妙に気恥ずかしくて勝手に口角が持ち上がるし、目も合わせたくないから微妙に視線をずらすんだけど、そうすると相手にこの気恥ずかしさがバレるんじゃないかって思って……ああうん、つまりはささやかな男の見得ってやつだ。ほっといてくれ。

「おー、ちゃんと一刀やなー」
「顔が赤いぞ」
「ほっといてください」

 冥琳の指摘に、思わず敬語にも似た言葉が自然と出た。
 うん、事実、顔は真っ赤なのだろう。
 霞に半被を返しつつも懐かしい視線の高さで中庭を見る。
 すとんと椅子に座ると早速霞が絡んできて、「酒宴の続き、しよかー」と暢気に言う。
 別に構わないんだが、もっといろいろ訊かれると思っていた自分としては、少し拍子抜けだった。いや、ありがたい。大変ありがたいんだけどさ。

「ああ、いろいろと忘れたいこともあるから、今日は飲もう……」
「あ、忘れる必要ないでー? いろいろ聞かせてもらうんやし」
「そんなこったろーと思ったよどちくしょー!」

 酒の肴にしたかっただけのようです。
 苦笑する冥琳に「そら」と酒を勧められ、猪口に注いでもらいながらがっくりと項垂れた。周公瑾に酌をしてもらうとか何様なんでしょうか俺……とかいろいろ考えることもあるが、難しいことは考えずに受け取ることにした。
 酒の席でいろいろと考えるのは無粋ってことで……友達だもんな、それでいい。
 ならばと酌を返して、冥琳の猪口にも注ぐ。
 途中、霞がウチもウチもーと割り込んできたから、やっぱり苦笑しながらそこにも注いで……準備が出来ると、乾杯をする。

「あ、老酒か。懐かしいなぁ」
「っへへー、あの時以来やろー? 一刀、きちんと日本酒飲ましてくれたもんなー。だから次こーして飲む時は、ぜ〜ったいこれにしよ思とったんや」
「……そっか。ありがとな、霞」
「えーてえーて。ウチと一刀の仲やん」

 本当になんでもないからって風に、手をヒラヒラさせて上機嫌に言う霞。
 俺もなんだかそれに釣られるように楽しい気分になって、卓の上の料理に手をつけて酒を飲んでと、楽しんでゆく。

「で、華琳には報告したん?」

 で、そんな上機嫌な霞が突如としてそんなことを言う。
 突如というよりはむしろ当然のことなのだが、霞の顔は“解ってて言っている”ってものだった。

「報告してたら、俺はここには居ないだろ」
「せやろなー、きっとまずは記憶が残っとるか訊いて、残っとったと知るやいろいろちくちくと責めてくんねやろなぁ」
「やめて、会いたくなくなる」

 口から自然と情けない言葉が出るのは勘弁してほしい。
 だって考えてもみろ、華琳に向けて“馬鹿”って。あの曹孟徳に向けて“馬鹿”って。
 華琳が許してくれてなきゃ、もうとっくに首が飛んでたぞ子供の俺よ。
 ここまで来るとほんと、“俺って生かされてるんだなぁ”って思えるよ。
 だって華琳の一言であっさりトチュリって刺されて死ねるわけだもの。

「しかし、会わないわけにはいかないだろう」
「そりゃそうなんだけど」

 なんというかなぁ……雪蓮に馬鹿って言うのと華琳に馬鹿って言うのとじゃあ、いろいろと違うわけだよ。友達にばーかって言うのと、こう……先生にばーかって言ってしまうのを比べる感じ? いや、先生じゃまだ低い。校長先生……いや、よくよく考えれば天皇陛下に言うのと同じレベルなのか、この世界じゃ。
 …………よく死ななかったなァァァァ……! 俺ェェェェ……!!
 ああ、嫌な汗がだらだら出てる。
 これで華琳に会って、“許したのは子供のあなたであって、今のあなたを許した覚えはないわ”とか言われたら、今度こそ俺の存在がデュラハンに……! あれ? でもその理屈って“じゃあ言ったのは子供の俺であって今の俺じゃないよな”って返せる?
 あっ……ああ、なんだっ、あるじゃないか救いっ! よかった、これで───…………これで…………、……マテ。そんな理屈が、華琳ならまだしも春蘭や桂花に通じるか?

「……んあ? どないしたん一刀。急に胸の前で手ぇ動かしたりして」

 穏やかな顔で十字を切ってみた。
 さよならマイ人生。友情フォーエバー。

「あ、そうだ冥琳」
「うん? なんだ?」
「絵本。すっごく面白かった。そういえば“俺として”はきちんと感想言ってなかったもんな。続きが出たら教えてくれ。ていうか続きが出る日とか知ってたら今教えてくれ」
「……随分と気に入ったようだな」

 やれやれといった様相で溜め息を吐く。が、その顔は笑っている。
 やっぱり人には笑顔だよな。俺も笑っていこう。隻眼の赤い悪魔によって、俺がデュラハンになるまで。フフ、ウフフフ……。

「で、だけど。授業中に酒宴開いちゃって大丈夫か? あ、もちろんこれ終わったらすぐに今日の分はやるつもりだけど」
「それならば問題ない。どこぞの馬鹿な元王のようにほったらかしにしないのならばな」
「言われて当然とはいえ、ひどい言われようだなぁ」
「北郷が呉に御遣いとして降りてくれたならば、もう少しはましだったのだろうがな」
「や、前にも言ったけど、絶対に一緒にサボってたって」
「せやな。一刀やもんなー」

 俺と霞、二人でけたけたと笑う。
 冥琳はやっぱりいまいち信じられないって顔をしているが、まあ……一度目にこの世界に降りた俺からすれば、今の俺は相当に信じられない存在だろう。
 というかな、俺自身も華琳たちに会って、ぶきっちょながらに守ってやりたいとか思わなければ、一度自分の世界に戻ったって“強くなろう”だなんて思わなかったはずだ。
 じゃあ今の俺はなんで、って話だが…………惚れた弱み以外のなにものでもない。
 男ってこういう時、なんというか恥ずかしい生き物だよなぁ。

「まあそんなわけで、今は今で楽しもうか。料理足りないならなにか作ってくるけど」
「あぁええてええて。ここに居て一緒に飲も。一刀もサボるの久しぶりやろ? 懐かしいもんなら楽しまな損やろ」
「戻った途端にサボるとはいい度胸ねとか言われそうだけどなー……」
「ふふっ、なに。相手はあの曹操。結果を残せば怒りはしないさ」

 だといいけど。
 呟きつつも、ちびちびと酒を飲んだ。
 ただまあ、そういった心配はもちろんだが、別の心配もあるわけだ。
 もちろん直接華琳が知っているわけがないことでの心配なんだが、俺が果たして冷静でいられるかどうか。

(……俺、華琳をその、誘おうとした矢先にああなったんだよな)

 愛の営み云々。
 うん、物凄く恥ずかしい。大事なことを大事な人の前で盛大に失敗した気分だ。
 けれども考えたところでどうにもならないのが現状なわけで。
 なら考えることを放棄して、華琳から放たれる文句でもなんでも、フツーに受け入れようか。断る理由もないだろうし。

(こういうこと考えてると、大体ナナメ上の提案してくるから怖いんだよなぁ、華琳って)

 クイッと酒を飲んで、熱い息を吐く。
 霞も冥琳も酒宴自体を楽しんでいるようで、霞は好き勝手に酒を。冥琳は霞に促されるままに酒を飲んでいた。
 猪口が空かない限りは霞も注いだりはしないようで、冥琳はあくまでマイペースでちびちびと飲んでいる。もちろん俺も……と言いたいところだったんだが、「なーにちまちま飲んどんねん」と霞に首根っこを引き寄せられ、その状態で徳利を直接口にゲボバァッ!? いやちょっ……霞!? 霞さん!? おぼれっ───溺れる! ちょ、待っ……!!

……。

 数時間後。

『………………《コーーーン……》』

 酒宴の場……東屋の卓には、酔い潰れた三人が確認された。
 しかしながら本当に潰れると、本気の本気でサボることになるので、揺れる頭をなんとか持ち上げるようにして歩く。
 一応二人にも声をかけたのだが、屍状態だ。返事もなく、ただ深い眠りについている。

「うあー……水分摂りまくったのに、どうして喉が渇くんだろ……」

 酒浸しになった喉が、ただの水を求めていた。
 ああいやいや……自分のことよりもまず、この二人を部屋に運ばないと……。

「はぁ……んっ!《ビシャァンッ!》ぐぁああっだぁああっ!!?」

 右手に氣を集中させて、自分にデコピンをする。
 弾ける氣が、普通では有り得ない音を奏で……奏で? いや、鳴らし、激痛に襲われる。
 しかし視界はスッキリした。

「ん、よしっ」

 さらには両の頬をビシャンビシャンと叩いて意識もしっかりと。
 氣で酒気が抜けるなら一番助かるんだけど、さすがにそんな器用な真似は出来ないらしい。しかしながら簡単に諦めるのもどうかと思うので……

「外で飲むなとは言わないけど、今度からは量を考えような……」

 ……長く生きることになるであろうこの体で、試してみるのも楽しいんじゃないかと思い始めている。子供に戻ってみるのも案外悪くなかったのかも。いろいろなものを新鮮な感覚で見直せた。なにより“やる気と好奇心”に溢れた子供の感覚は、一定の固定的な観念や原則に縛られていた脳にはいい刺激になった。
 子供はいろいろと見ているものだっていうけど、自分自身で知ることになるとは。
 はふぅ、と小さな苦笑を漏らして行動に移る。
 まずは霞を抱きかかえて移動。
 “こんなところで寝たら風邪引くぞー”なんて言葉以前に、もうちょっと暖かい格好をしなさいと口酸っぱく言いたい気分ではあるが、きっと言ったところで変わりはしないんだろう。むしろ変えることになったらなったで、俺に買ってくれとか選んでくれとか言いそうで怖い。

(それくらいの甲斐性を見せろーとか言われそうだけどさ。……人数がなぁ)

 女性を部屋へ運びながら、トホホイと溜め息を吐く男は情けないですか?
 いやもう情けなくてもいいよ、辛くても選んで買ってをする者を男というのなら、俺は間違い無くそういった男にはなれない。金銭的な意味で。だって片春屠くんの制作費のお陰でお金少ないし。今は空飛ぶブツを作ってもらってるから、働いても働いてもお金は飛ぶ一方だ。
 はぁ……。見る人が見れば、露出の高い女性を抱きかかえてるんだから、もっと別に考えることがあるだろうとか言うんだろうけどなぁ。

「……幸せそうな顔で寝ちゃってまぁ……」

 見下ろす寝顔に苦笑が漏れる。
 ……っとと、あんまりのんびり歩いてたら冥琳が風邪引くか。

「及川あたりなら今現在を、“ハーレムやーん!”とか言うんだろうな」

 言われたらこう返そう。
 だらしなく笑っていられるのは最初の一瞬だけだぞ、と。

……。

 霞と冥琳をそれぞれの部屋の寝台に寝かせてから、厨房へ行って水を飲んだ。
 幸いと言うのもおかしな話だけど人の姿は無く、水を飲んだらすぐに自室へ。
 定期的に自分にキツケ代わりのデコピンをしながら残りの仕事を終わらせて、確認が済むやゴシャーンと机に突っ伏して潰れた。寝台まで立って歩く余力は残っちゃいなかった。


───……。


 翌日。
 ……ごめん、うそだ。
 その日の夜のうち、俺の意識は「ほうわー!」と叫ぶ美羽の声で戻った。

「主様! おおお主様なのじゃー! いつ戻ったのじゃ!? おぉおそのようなことはどうでもよいの! うむ! おかえりなのじゃ、主様っ!」
「………」

 頭が重い。
 そんな頭をふるふると振るうと、意識もハッキリ……するよりも、頭にヒモ付きの鉛でもくくりつけたかのように引っ張られる感覚が。
 二日酔いというか、当日酔い?
 おおお……軽く振っただけで、遠心力に引っ張られるかのように頭が傾ぐ。
 それをなんとか我慢しながら美羽に向けて「やあ」と返す。
 うん、やっぱりちょっとおかしい。

「帰ってきたのは……昼ごろ……かな。それからいろいろあってなー……」
「いろいろとな? まあなんでもよかろ、傍に居ることに意味があるのじゃからの」

 たととっと駆け寄り、上体を起こした俺の膝の上へと座る美羽。
 途端に、青かっただろう俺の顔が一気に沸騰する。
 もちろん酔いも吹き飛び……しかし痛みだけがこの頭にこびりついておったわ。ええい忌々しい。

「う、あ……いやっ、その、だな、美羽……? あ、ぁあああ……あまりその、あー……」

 頭、混乱中。
 しかし鼓動の度にじくりと痛む頭が、少しずつだが混乱を抑えてくれている。
 ここは酔いに感謝……でいいのか? 痛みに感謝だな。
 くそう、まさか美羽が近くに居るだけで、こうも動揺するなんて。
 いやっ! 俺はロリコンじゃ……っ…………せ、説得力がないにもほどがある!
 なんでこんな時に季衣や流琉の顔が頭に浮かぶかなぁ! 時々俺に恨みでもあるのかって気分になるぞ、俺の脳よ!

(落ち着けー……落ち着くんだ───……オックスベアってなんだっけ?)

 意味不明な思考が少しだけ落ち着きをくれた。
 よし、いつも通りだー……いつも通り動けば問題ないんだぞ、俺ー……。
 だ、大体俺はフラれたんだから、なにも一生懸命になる必要なんてないんだぞー……?
 いくら意地でも振り向かせてやるーとか考えてたからって、いやむしろそういう気概を持ってたくせに、触れられたらしどろもどろってどれだけ子供なんだよって話でだなっ……!

「………」

 ごくりと喉を鳴らし、頭を撫でた。
 すると笑顔で自分へと振り向く美羽さん。
 神様……心が満たされた気分になった俺は、もう手遅れなのでしょうか。

「………」

 沈黙は、自分が思うよりも長かったのか短かったのか。
 頭を痛めながら、俺はそっと美羽を抱きしめて、その頭を撫でた。

「ふみゅ? どうかしたのかの、主様」

 突然の行動にもきょとんとした返事がくる。
 うん、それでいい。
 ヘンに意識するからいけないんだ。惚れてたのは確かだし、今も気になっているのは確か。
 なら、行き過ぎない程度にこうして頭を撫でたりしてだな───なんて思ってたら突然出入り口のドアがバターンと開かれて、

「一刀〜♪ 昼間っから眠った所為で眠くないんやー、ちぃと寝酒に付き合───おわっ!?」
「キャーーーーッ!!?」

 その先から、徳利担いだ霞さんが。
 しっかりと美羽を抱きしめる俺を見て硬直。
 けれどニコリと笑うとつかつかと歩いてきて、寝台の横にドッカと座った。

「え、えと。霞? これは、えー、その」
「あー、解っとる解っとる、一刀は三国の支柱なんやし、そこんところはもうみんな納得済みや」

 わあいなんと理解のある言い方! でも違うんです! 欲情とかじゃないんです!
 恋が! 少年の淡い恋心がヒィイイイ!? 自分で自分の恋を淡い恋とか言うのってすごい恥ずかしいィイイ!!
 おぉおお落ち着け! 落ち着くんだ俺!
 べつに根掘り葉掘り訊かれてるわけじゃないんだから、まずは美羽を離してだな……!

「………」
「うみゅ?」
「一刀?」

 ……あれ? ……えい、ほっ、そりゃっ! …………あれ?
 オ、オカシイナー、腕ガ美羽ヲ離サナイゾー?

「霞」
「ん? なんやー?」
「俺を殴ってくれ」
「よっしゃ任しときっ」
「ええっ!? 頼んどいてなんだけどちょっとは躊躇し《パゴォ!》ブッホォ!!」

 綺麗に頬を殴られた。
 とても痛いが、それで自分の体は脳の指令に従って美羽を離してくれた。

「おぉおおお……!!《ズキズキズキズキ……!!》」

 重ねて言うがとても痛い。
 し、霞さん? ねぇ霞さん!? なんらかの私怨とかあったりしましたか!?

「はーあ、まったく。ウチらよりこーんなちっこいのを先に抱きしめるなんて、一刀はちぃとばっかし薄情なんとちゃう?」
「…………わあ」

 アー、ソ、ソウイウコトデシタカー。
 納得した途端に確かにと頷けるあたり、自分も相当にお馬鹿だった。
 だからといって“じゃあ抱きしめるよ”っていうのもなにか違うわけでして。
 けど、あれだ。自分にはこう、積極性がないんじゃないかと子供から元に戻ってみて思うようになった。
 もっとやろうと思ったことをやってみよう。
 相手に悪いとかこのあとどうなってしまうのかとかじゃなく、まず一歩。

「霞」
「ん? なにー《がばしっ》うひゃっ!?」

 いそいそと酒を用意しようとしていた霞を、振り向くのと同時に抱きしめた。
 ついでに頭を撫でると、髪を留めているちょっとゴツイ髪留めがコツリと手に当たる。
 ……これってメリケンサックじゃないよな?
 武器を落とした時、これを使うと便利そうですね。なんて的外れなことを考える自分に少し呆れた。うん、ようするに結構頭の中とか滅茶苦茶だ。
 禁欲禁欲考えながら過ごしてきたのに、好きな人をこうして抱きしめるんだから、まあその、解ってほしい。好きな人居すぎだろとかそういうツッコミは是非とも勘弁で。

「……ど、どないしたん一刀。一刀からなんて、珍しいやん」
「いや、少しずつ自分に正直になっていこうかと。都のほうも結構安定してきてるし、少し自分のことに時間を持てそうだから」
「おおっ? ほんならとうとう種馬の本領発揮───」
「自分の時間=種馬って、俺どれだけそういう方面で期待されてるの!?」
「んあ? 違うん?」
「違いますよ!?」

 ンバッと抱きしめていた霞を離し、両腕を掴んだまま全力で説得にあたる。説得……ちょっと違うが、ともかく説明だ! 俺の時間はもっとこう…………もっと……ええと…………あれ? 俺って自分の時間になにやってたっけ……?

(……息抜きの仕方、忘れた!?)

 頭の中で“ガーン”というSEが鳴った。
 なんか前にもこんなことあったなぁ! 以前よりもよっぽど忙しいから忘れてたけど!

「……そ、そう! 買い食いとか! …………それだけ!?《ガーーン!!》」

 自分で自分にツッコんだ。
 あ、あれ!? いやっ……えぇ!? もっとほら、女性と仲良くすること以外あるだろ! そ、そう! 兵のみんなと食べに行くとか……結局食い物!?
 マママママテマテマテ! 子供に戻って大人に戻るって、なんというか自分を見つめ返しすぎて怖い! どれだけ自分が妙な立ち位置に居たのかが丸見えになってしまうというかっ!

「一刀ー? どないしたん?」
「ええもうほんとどうしたんでしょうねぇ俺ってやつは……」

 いっそ泣きたい気分になった。むしろこんな気分になりすぎだろ、俺。
 元の世界に居る時は、こっちに戻りたいって泣きたい気分になっていたのに、戻ってみればこれだよ……。
 いや。いやいや、しかし歩みだした一歩は一歩でしょう。
 いろんなところへ一歩を踏み出しているが、ゲームで言う熟練度問題だと思えばホラ、少しだけ心が軽く……ならないよ!
 うう、でも華琳には“勝手に察するからな”って言っちゃってあるし、言ったからにはきちんとしないと。“勝手に”とは言っても、それが華琳が望む察し方じゃないとあの覇王さま、怒りそうだもんなぁ。

(はぁ……ほんと、妙な立ち位置だよなぁ)

 言ってしまえば女性に頭が上がらないくせに支柱という、本当によく解らない位置。
 もちろんそこに不満があるかといえば、これまたてんで無かったりする。たまに少しやさしくしてくださいとは思うものの、実際女性が先頭を駆け抜けて手に入れた天下だし。
 女尊男卑の匂いがあろうとも、男が笑っていられない世界じゃないんだから。

「さあ霞! 寝酒だ! 付き合うぞぅ! 何を隠そう、俺は寝酒の達人だぁああっ!!」
「へ? ……あっはっはっは、寝酒の達人ってなんやねーん!」
「いえもう正直いろいろテンションで乗り切らないと、見えない分厚い壁の先にある一歩が踏み出せないといいますかええいとにかく酒だーーーっ!!」

 細かいことは気にしません!
 俺、生まれ変わる! もうちょっとだけでいいから物事に積極的に! ね!?
 なので会話に入れず少しイジケ気味だった美羽を手招きして、胡坐をかいた足の上に乗っけ直すと、いざ寝酒を開始する……! まあ、無駄な迫力を出してみたところで、酒は霞が持っている徳利だけなんだけどさ。

「よっしゃ、そんならまずは一杯や! 一刀、一気いってみぃ!」
「一気!? ───望むところだぁ!!」
「おお! 今日の一刀は元気やなぁ!!」
「主様、頑張るのじゃ!」

 美羽の声援を受けて心が弾む自分が恥ずかしく、照れ隠しも混ぜて、注がれた酒をグイッと一気。
 すると酒とは思えない、なんとも微妙な味が喉を通っていき、思わず“ハテ?”と首を傾げた。

「ん……なんか変わった味。飲んでもこう、アルコール独特の熱が通るみたいな感覚がない……? 霞、これってなんて酒?」
「惚れ薬や!」
「ほれぐすり? へー、この時代にも洒落た名前のお酒ってあるんだな」

 日本酒にもヒトメボレとかあったっけ? って、それは米だった。
 あ、でも焼酎かなんかで“あなたにひとめぼれ”とかそーゆーのがあったような。
 …………マテ。大陸にそんな名前の米or酒があるか?

「エ、エート霞サン? つかぬことをお訊ねし申すが、惚れ薬って……お酒じゃないよな?」
「にっへっへー、あったりまえやん」

 にこー、と極上の笑みをくだすった。
 あの霞さん!? そんなもの俺に飲ませてどうする気ですか!?

「なななななんで!? なんでここで惚れ薬!?」
「や、そこで華琳に会うたんやけど……“元に戻ったのに報告にも来ないとは、いい度胸ね”とか言ってめっちゃ機嫌悪そうでな?」
「ワーハーイ!? 報告忘れてたァアアア!!」

 よよよ酔ってて忘れてましたとか言い訳にもならないよなぁ!?
 あぁああああ! 余計な怒りを買ってしまったぁあああ!!

「せやけど、まあ罰はそれでええて。惚れ薬飲んで、どうなるかを報告するだけの簡単な“お仕事”や」
「いやいやいやいや! 簡単に言うけどこれって効き目の強さ云々でいろいろ変わってくるだろ! お互い好きでもないのに自分の意思に反していろいろなんて、俺は嫌だぞ!?」
「んはは、わーっとるわーっとる、そんな時のためにウチが飲ませにきたんやん」
「あ───」

 そ、そうか。
 大事な人が傍に居て効果を見守るなら、その意識の対象は見守る人になるわけか。
 少し、いや、かなり安心した。
 ……ええまあ、ここであえて美羽を見ないのは、効果が現れた瞬間に告白でもしかねない恐怖を抱いているからでありまして。

「……あ、あっ……? なんか体が熱くなってきた」
「おおっ? 効果出たんっ?」
「や、そんないきなり───え? ほんとに?」

 胸がどくんどくんと躍動しているような感覚。
 ような、というか実際にどくんどくんと鼓動の間隔が狭くなり、汗が少しずつ滲みだしてきて……ア、アレー、視界がなんか薄いモヤに包まれて……

「───…………」
「……? 一刀? 一刀ー? おーい、しっかりしー?」

 霞が俺の目の前で手を振るう。
 五本の指が左右に動くのを目で追って、それが引っ込められた瞬間───詳しく言えば霞の顔を、目を覗き込んだ瞬間、俺の体に電流が流れた。

「愛してる!!」
「《がばぁっ!!》うぉうわぁああっ!!?」

 そして抱擁。
 問答無用の抱擁。
 「え? え?」と戸惑う霞を、それはもうぎううと抱きしめ、頭を撫で、頬擦りをするように頭部と肩を密着させてすりすり。

「ああ霞! 霞! きみはなんて可愛いんだ! 美しくもあり可愛い! 霞! 霞!」
「う、うひゃぅ……!? やっ、ちょ、かずっ、一刀っ!?」

 抱きしめたまま寝台から降りて、さらにきつく抱きながら部屋の中心でくるくると回る。
 この、心の底から溢れ出るもやっとした愛しさを伝えたくて、我が身に存在するありったけの氣で霞を包み込み、まるで一心同体になろうとするかのように氣と氣を繋いだ熱い抱擁……!!
 すぐにその一体感に霞が戸惑いの悲鳴を出すが───ああ! 悲鳴も可愛い! なんて可愛いんだ霞! かわっ───カワァアーーーーッ!!?

「おっ……オォオオオオッ!!?」

 抱きしめている霞を強引に離そうとする。
 なのに離れない! なにこれ! やっ、ちょっ……体が言うことを聞かない!?
 つか、頭の中がすごい! なんだこれ! これが惚れ薬効果!? 暴走する思考と冷静な自分とが見事に分かれてるよ!
 ああそれにしても霞が可愛い───じゃなくて! いや可愛いけど! かわっ……あぁあああダメだ認めると冷静な部分まで食われる! 可愛いけど! 可愛いけどさぁ!!

「み、美羽! 助けてっ───はうあ!」
「? お、おぉお? 主様? どうし《がばしぃっ!》はぷっ!?」

 自分の意思ではどうにもならない状況。美羽に助けを求めようと振り向いた途端、俺を見上げていた美羽と目が合い───霞を抱きしめていた腕が霞を離し、急な抱擁と状況に目を回した霞は寝台にくたりと倒れ込んでしまう。
 それと入れ替わるように俺の腕では美羽を抱き締め、持ち上げていた。

「ああ美羽! 美羽! なんてかわ《ガブシャア!!》ギャアアアアアアアム!!!」
「ほわあっ!? ど、どうしたのじゃ主様!」

 可愛い、と言おうとした口を、舌を噛んで全力で止める!!
 か、可愛いさ! ああ可愛いとも! けれどそれを薬の勢いに任せて言うのは間違いだっ! 

「ごっは……! な、なめるなよ惚れ薬……! 俺は貴様の思い通りになど動かん……!」

 痛む舌に涙を滲ませながら、ともかく自分の暴走を押さえ込む。
 見る人が見れば、どこぞの97年度のオロ血に抵抗する赤髪の人のようにも見えただろう。いや、暴走フラグじゃなくて。
 しかし困った。目が合った人に無差別に愛を語るとか、本当に嫌なタイプの惚れ薬だ。
 目が合った相手が惚れるのか、こっちが惚れるのかは不安だったものの……ああ、でもこれならまだいいほうか、俺が我慢すればなにも変わらない……!

「……あ」

 なんとか美羽から目を逸らした先。
 霞が持っていた徳利の窪み部分に紐で括られた紙があった。
 なんとなく心引かれ、美羽を下ろしてから…………お、下ろせっ! 下ろすんだ俺っ!

「はぁ……」

 なんとか下ろし、きょとんと首を傾げる美羽をよそに紙を調べる。ご丁寧に惚れ薬の説明とか書いてあったりしないかなーとか、そんな淡い期待を胸に。
 すると……

 ◆惚れ薬───ほれぐすり
 惚れ薬。惚れます。
 飲んで胃に届いた時点で効果がじわりと滲み出ます。
 目が合った相手に惚れ、褒めちぎって口説き落とそうします。
 けれど言葉は結構適当なので、惚れはするけど惚れられることはほぼないです。
 *効能:惚れます。同じ人を何度も見つめると、意外な効果が……!?

「………」

 惚れるらしい。
 なんか逆に失礼な説明文に見えたのは俺だけだろうか。
 なんとも適当な説明文に溜め息を送り、目は見ないように美羽へと向き直る。

「え、えと、美羽? ちょっと困ったことになった。この薬、相手の目を見るとその人に惚れるみたいで、その……目を逸らしてるのはそういう理由からってことをまず理解してもらいたい。うん、美羽が嫌いだとかそういうのじゃ断じてないから」
「うみゅ? そうなのかの? うむっ、わかったのじゃ! 主様がそう言うのであれば妾はきっちり理解してみせるのじゃー!」

 拳を天高く突き上げてエイオー。
 ああ、可愛い───じゃなくて! なんかやばい! この薬、言語能力奪って可愛いとか愛してるとかそればっかしか言えなくなるんじゃあるまいな!? なんかそれっぽい言葉ばっかりが頭に浮かぶんだが!?

「ふむ……しかし主様が惚れるとな……惚れるとどうなるのじゃ?」
「え゙っ……ほれっ……惚れる、と……? あ、あー……さっきみたいに急に抱き締めて、頭撫でたりして……」
「……《ポッ》……な、ならば主様は、とうに妾に惚れておったのかの……?」
「いっつもそんな行動ばっかでごめんなさいっ!!」

 言われてみれば抱き締めたこともあったし頭も撫でてました!
 いやいやいやいや違うんだよ!? 確かにそういうことはしたけど、落ち着かせたいからとか頑張ってくれてたからとかそっちの意味での行動だったわけでしてね!? あぁああでも必死になって否定すると美羽が傷つきそうだし、子供の頃に惚れてたことは確かで、その所為で惚れていたって言葉を美羽が確認してくれたのが嬉しくてギャアアア思考が自分の思い通りになってくれねぇえええっ!!!
 ───ハッ!? い、いや、落ち着け。汚い言葉は出来るだけ禁止。ししし支柱らしくー、支柱らしくー。ってそれもマテ! 俺らしくありなさいって言われてたでしょうが! …………俺らしくってどうなんだろう。

「と、とにかくっ、薬の所為で急に抱き締めるとか相手を褒めるとか、出来ればしたくないんだ。それって心から褒めてるのとは違うだろ?」
「うむ、それはそうなのじゃ。褒められるのであれば、正当に褒められたいものなのじゃ。その点でいうと七乃はよく解っておるのっ! 妾が皿を割った時も見事な割りっぷりですと敬い、妾が転んだ時も他の人には真似出来ぬ見事なころげっぷりと言ってじゃのっ!」
「ア、アアアウン、ソウダネ……」

 褒められてない……褒められてないぞ、美羽……。
 でも確かに七乃は解ってる。解ってて楽しんでる。いろいろと物事を運ぶのが上手いんだよな、七乃は。特に美羽の機嫌運びが異常なくらい上手い。

「はあ……しかし、どうしたもんか」

 溜め息を吐きつつ、もう一度紙を見下ろしてみる。
 惚れ薬の説明についてだが、一体誰がこんなものを作ったのか。
 大事に保管されていたのか、徳利───陶器の見た目は結構綺麗なものだ。
 つけられている紙は結構古そう。色あせてしまっている。
 それでも文字が読めるあたり、勉強した甲斐があって、少し救われる。
 学んだことが無駄だとヘコむよね……本当に。

「───」

 いや……待て? 惚れ薬。惚れ……薬?

「───!」

 は、はうあ! 大変なことに気づいてしまった。
 これ……華琳に飲ませたらどうなるんだ……!? いくら俺が好きだーって叫んでも察しなさいで幕を下ろし続けたあの覇王様に飲ませたら、一体……!

「………」

 おおお……想像するだに恐ろしい……!
 普段からキリッとしている華琳が、通る女性、通る少女、通るおなごに対して色目を使い、閨へと…………

「……あれ? 普段とあまり変わらない……」

 いやまあ、色目ってのはないだろうけどさ。
 あ、あれー? もっと豹変したような華琳が思い浮かぶと思ったのに。
 あ、でも目が合う人に“好きよ”と言う華琳も見てみた───…………い…………

「……どうしてそこでムカッとくるかね、俺」

 嫉妬ですか。
 や、ほら。女相手だったらいいんだよ? ああ華琳だなって思えるし。失礼な話だけど、思えるし。
 でもそれが町人の男性、兵や店の主人とかだったらと思うと。

「なし、なしね。誰が飲ませるもんですか」

 シンデレラの継母になったような気分で惚れ薬を見下ろす。
 この世界の常識非常識はいくら唱えても足りないものの、惚れ薬なんてものが実在するなんて……本当にすごいもんだ。
 まあ、ガンランスを普通に使っている人が居るような世界だもの……いまさら惚れ薬とか成長する薬とか子供になる薬とか言ってもね……。
 今度桔梗にガンランス……豪天砲の構造について訊いてみよう。

「さーて困ったぞ」

 それはそれとして、さあなんで俺がこんな風に関係ないことを考え続けているのかといえば。……トイレいきたい。泣きそうな声で呟きそうになった。
 現実逃避はこれくらいにして、トイレいきたい。
 でも外に出るとほら、誰かに会うかもしれないし……それにさ。見回りは兵がやってるわけでして。気心しれた連中なんだ。人と話をする時は目を合わせながらすると、相手の反応がわかりやすくなって動きやすいんだーなんて説いちゃったことがあるんだよ、俺。これで俺が目を合わせなかったらどうしますか。逆に合わせちゃったらどうしますか。

「この薬の効果……絶対に性別的なものとか問答無用だよな……」

 そもそも世に言う惚れ薬がどうかしているのだ。
 飲んだら“目が合った異性に恋をする”とか、普通は考えられないだろ。
 どんな魔法ですかって話だ。催眠術で強制的に惚れさせるっていうやつをテレビで見たことがあるが、あれよりもよっぽどひどい。

「………」

 それはそれとしてトイレだが。
 スモールならまだよかった。
 膀胱炎を覚悟しても無理矢理我慢くらいは出来ただろう。
 でも今は腹のほうがヤバイわけでして。明らかにビッグなわけでして。
 そうだよなー、普段やらないくらいに酒飲んだし、お次は作ったのがいつかも解らない惚れ薬ですよ。そりゃあお腹がびっくりしますヨネー。
 ええとはい、なにが言いたいのかと言いますと。

(はっ……腹が痛い……!)

 言いません。だって美羽が居るもの。
 じっとりと嫌な汗をかきつつ、ちらりと出入り口である扉を見る。
 ……うん、支柱の部屋ってだけあって、無駄に豪華……でもない。
 工夫のみなさんにあまり豪華にしないでって頼み込んだのだ。
 いろいろツッコまれたが、“平凡な扉のほうが暗殺者とかを欺けるんですよー!”とヤケクソになって言ってみたら“なるほどー”と頷かれた。うそつきでごめんなさい。
 そんな扉の先にある世界へ、僕は羽ばたかなければいけないのですよ。
 これはなんの試練ですか? 上着を脱ぎつつ歩き、変身すればこの試練には打ち勝てるのでしょうか。

(………………《ゴゴゴゴゴゴ……!》)

 これは“試練”だ。腹痛に打ち勝てという“試練”とオレは受け取った。
 人の成長は…………未熟な過去に打ち勝つことだな……。
 腹痛と惚れ薬と戦うというかつてない状況に、今こそ自分が打ち勝つという……。
 腹痛は…………汗水流して耐え切っても、時間の経過とともにミシミシと這い出てくる…………。
 驚いたぞ……嫌な汗が止まらないわけだ……。

(などとディアヴォロってる場合じゃなくてですね)

 本気でまずい。
 これはどうしたもの───はうあ!

(そ、そうだ! なんという名案っ…………思考の光明…………っ!)

 美羽の目を見ないように向き直り、美羽を後ろから抱き上げる。
 そうっ…………これ…………っ! これこそ光…………! 導っ…………!
 美羽に案内してもらい、俺は目を閉じる…………! 兵に見つかり、訊ねられてもゲームと言い切ることで乗り切れる圧倒的名案…………っ!

  *注:焦りすぎると人間、周りや常識が見えなくなります

 ニヤリと笑う歯の間からよだれでも垂らしながらキキキとかコココとか笑いたい気分にもなるほどに舞い上がったが、もちろんそんなことはいたしません。
 心に安心を得るとともに美羽に説明をして、───…………エ? セツ……せつ、めい?

(…………美羽に? トイレいくゲームしようぜー、って?)

 ………………。

(神様ァアァァァァァァァ!!)

 俺はっ…………俺は本当に馬鹿なんでしょうか!
 無理! 言えない! それってまるで一人でトイレ行くのが怖いからゲームと称して女の子の力を借りるお馬鹿さんみたいじゃないか! ───気づかずやろうとしてる時点で既に馬鹿だった! ごめんなさい!
 ぐったりとやるせない気持ちに襲われながら、美羽を下ろして…………だ、だから下ろせっ! 下ろすんだ、俺の腕っ!

「《すとん》おぉ? どうしたのじゃ主様。今日の主様はなにやら妙じゃの……」
「うんごめんなんかごめん」

 ずごーんと頭の上に鉛でも落としたかのような重さの頭痛を感じつつ、さらには腹痛にも苦しめられながら考えた。どのみちここに居たら様々な十字架を背負うことになるのだから、もう行くしかないでしょう。
 そう……氣だ。氣で気配を消して、俺は自然と一体になる……!

(覚悟……完了!)

 やり方は明命にならった。
 大丈夫、きっと出来る。
 いっそ思春のようになる気で…………あれ? 思春?

「………」

 そういえばぼくらの赤きあの人は?
 や、出てこられたらこられたで大変辛いわけですが。

「……いざっ……!」

 考えていては埒もなし。
 平凡な扉を、まるで大きな扉を開けるかのようにググッと押して外へ。

「───」

 もちろんすぐに出ることはせず、あたりを見渡す。
 人影は…………よ、よーし、大丈夫。
 王の部屋とかだったらこれで、部屋の前に警備がついてそうなものだけど……ここでそういったことはない。
 何故かといえば、まあ言うまでもなく、ぼくらの赤きあの人が居るからなわけで。

(……赤きあの人で、某・赤きサイクロンを思い出すのはおかしいことじゃないよな?)

 いや、こんなことを考えている暇があったら行動しよう。
 そして腹痛からの解放という名の偉大なる勝利を。ボリショ〜イ! パビエーダ!

……。

 ザザッ……

(こちらアルファワン。人影無し。このまま進めそうだ)
(今こそ好機! 全軍、撃ってでよ!)
(孟徳さん!?)

 闇に紛れて進む中、なんとなくそれっぽいことを小声で言ってみると、脳内孟徳さんからの指令が! ……疲れてるんだな、俺。

(くそっ、なんでもっと近くに厠を作ってもらわなかった、俺……!)

 低姿勢で繁みから繁みへ。
 気配は殺せている……と思う。
 なにせ自分じゃ解らないから怖い。

(……なんで俺ばっかこんな目に……)

 もうほんと、華琳にもこの辛さを味わってもらおうかしら。
 大体、人に献上されたらしいものを無断で、しかも献上された人本人に飲ませるって……なんつーことを考えるんでしょうね、ぼくらの覇王さまは。
 まったく、いくら覇王さまでも、悪いことをしたら罰が───…………華琳ならそれくらい解っててやるよね、うん。罰がどうとかも楽しんでそう。最近刺激らしい刺激がなかったから、俺をつついて楽しんでるのかも。
 どーせ近いうち、“罰を下せるのなら言ってみなさい”とかしたり顔で言うんだろうな。
 うん、嫌がりそうなのを考えておこう。
 あくまで華琳が微妙に嫌がって、俺が春蘭に殺されない程度のもので。うん。いのちだいじに。

「《ググッ……》はうっ……!」

 考え事で盛り上がってる場合じゃなかった。
 早く、早く厠へ……!

「あれ? 隊長ですか? どうしたんですか、こんな夜に」
「!?」

 そんなタイミングで、後ろからかけられる声。
 ……うん、気配殺してても、人ってものが消えるわけはないのだから、視認されれば見つかります。
 声で解る、気心知れた警備隊の中の一人だ。

「イ、イヤー……ほら、あれだ。けけけ気配を殺す練習を……ネ?」
「あ……ははぁ、隊長も随分と鍛錬が好きになりましたよね。こんな夜にまでとは。……って、声をかけたのはまずかったですか」
「やっ……これで一層気を引き締められるから、むしろアリガトウ!」
「ははは、感謝するところがおかしいですよ、隊長。……? 隊長が目を合わせずにいるなんて珍しい……おお、もしかして誰にも見つからないようにする特訓も兼ねているので?」
「《ぐさり》……ご、ごめんな?」
「いえいえ、戻ってきてからの隊長は鍛錬熱心だなんてこと、みんな知ってますから。あ、でも気をつけてくださいよ? なにかあったら大声出してください。あ、まあそのー……隊長には敵いませんけど、俺、すぐに駆けつけますから」
「…………ん。ありがと」
「いえっ。それではっ」

 後ろで敬礼する気配。
 遠ざかってゆく足音に、小さくもう一度ありがとうを唱えた。
 こそばゆく暖かい気持ちが胸に溢れて、でも腹が痛いのが憎らしい。
 目を見て話せなくてごめん。でもさすがに抱きついて好きだとか言うと、人生がさ……終わるんだ。終わると思うどころじゃなく、終わるんだ。

(……知らなかったんだ。厠へ行くことが、こんなにも無駄に辛いことだったなんて……)

 ホテルの個室とかって恵まれてるね。今本気でそう思えるよ。
 だが最後に笑えるからこその人生謳歌だと勝手に信じてる! 故にッ! 今駆け出す俺に後悔の二文字など! あっていい筈がないのだァーーーッ!(注:焦りすぎると人間、周りや常識が見えなくなります)

「あ」
「うん?」

 阿吽の呼吸よここに。ではなくて、バッと飛び出した通路の先に、あろうことか冥琳が───!!

「北郷か。丁度よかった、お前に少し訊きたいこと《がばしぃっ!》が、あっ───!?」
「大好きだ! 愛してる!!」

 その時、僕の中の時間はきっと凍りついたのだと思います。
 あろうことか冥琳を抱き締めて、そのままの状態で大好きだ、とか愛してる、とか。ほら、冥琳だって固まっちゃって《ムンズ》ややっ!? あ、頭が鷲掴まれて……あ、あれ? 痛っ!? いたいっ!?

「……北郷? 寝言が言いたいなら寝てからにしてもらいたいのだが?」
「アイアイアイアアイィイアアアア!!? ア、アイィ、アイシッ!!」
「……? ああ、なるほど」

 パッと手が離される。
 すると再び冥琳を抱き締めようとする俺の体───を、全理性を総動員して強引に止め、欄干に向き直るとそこへと全力でヘッドバット!!

「《ごごんっ!!》ほがっ───……!! あっ……ぉおおおぁあああ……!!」

 訪れる激痛。
 けれどそれで体は言うことを聞いてくれるようになり、ひとまずは涙を流しながら安堵。

「さて北郷。単刀直入に訊くが……惚れ薬か?」
「〜〜〜っ……!!《こくこくこく……!!》」

 額を押さえて蹲りつつ頷く。
 返事をしようにも「ほぉおぁあああ……!!」という情けない言葉しか、この口は搾り出してくれません。なんと親不孝な。
 しかしなんとかして“目を合わせた相手に抱きついて口説こうとする”ということだけは知ってもらうことに成功。

「……そ、それは。まさか男女見境なくか」
「確かめる勇気があると思うか……? もしそうなら、試した男に抱きついて愛の告白だぞ……?」
「うっ……すまん」

 なんか素直に謝られた。
 口調がヘンになってるのも特にツッコまれず、それが恥を隠したい誤魔化しだということさえ悟られたようで余計に恥ずかしかった。いっそ殺してくれ。

「しかしそんなものを飲んでおいて、何故部屋から出た?」
「………」

 視界の隅で、真顔で、しかし取り繕うようにおっしゃる美周郎さん。
 ……言えと?

「ゴゴゴゴカイがないように言っておくケド、俺別に自分で飲んだわけじゃないからね?」
「北郷の性格を考えれば、それは当然だろうな」
「うわぁい理解者が居た!」

 薬の所為で感情が高ぶりやすいのか、ホロリと涙が出た。
 感謝します。そっぽ向きながら。

「それで、何故外にって話なんだけど……ほら。早いうちから酒いっぱい飲んで、トドメに古めかしい薬なんて飲んだから───その」
「…………そ、そうか。それはその、ああ、なんだ。…………すまん」

 暗がりでも解るくらいに顔を赤くして目を伏せ、溜め息でも吐くような風情でこくこくと頷く軍師さまの図。
 ともかく道を空けてくれたので、にこりと笑いながらも汗がすごい状態で走った。

……。

 コトが済み、嫌な汗も治まった頃。
 手を洗って部屋に戻……ろうとして足を止めた。
 扉はすぐ目の前。
 誰とも目を合わせずに中に入って、寝台で目を閉じて寝てしまえばいいのだが……霞と美羽が居るんだよな。事情は知ってくれているだろうけど、知っているのと目を合わせないようにするのとではワケが違うのですよ。

「………」

 でも他に行く場所があるわけでもなく。
 俺は自室の扉を開け、中へと入った。
 するとどうでしょう。

「おーーーっ! 美羽ーーーっ! 好きやーーーっ! 愛しとるーーーっ!」
「うはーーーはははは! そうであろそうであろ! 妾も霞のことが好きなのじゃから、当然よの!」
「ワア」

 地獄とまではいかないまでも、出来れば見たくなかった絵図がそこにございました。
 俺は何も言わずに扉を閉めようとして───部屋の隅で気配を消している、例の赤い人を発見した。
 目を合わせないようにしようと、必死になって縮こまっている。
 不謹慎だが可愛いとか思ってしまったのは許してほしい。俯いているから俺も目が合うことはないものの、声とかかけた時点で顔を上げて、目が合いそうだ。
 なのでここは小声でソッと……! っと、その前に惚れ薬も回収して、と……。

(思春、思春〜……! 逃げるよー……! こっちー……!)
「!《バッ!》」

 もしかして最初からずっと部屋に居たのだろうか。
 思春は彼女にしては珍しく、親に置いていかれた子供のような顔でンバッと顔を持ち上げて───…………目が、合った。

「好《ガブシャア!》ィギィイーーーーーーーッ!!!!」

 反射で勝手に開いた口に合わせ、舌を突き出し思い切り歯と歯の間に待機させて自爆。“好き”の“き”の閉口を利用してのキツケだった。“す”でもあまり口は開かないが、強引に突き出した。涙が止まらない。
 激痛に襲われつつも自分を取り戻し、駆け寄ってきた思春の手を引いて部屋から逃げ出した。
 ……うん、今日は霞が寝泊りしている部屋を借りよう。じゃないと俺がいろいろとやばい。
 というか……美羽と霞は大丈夫だろうか。
 二人とも惚れ薬飲んじゃってたみたいだし、今頃俺の寝台の上では大変なことが……!!

「うぐっ……っ痛ぅう……! ……口内炎にならなきゃいいけど……!」

 舌の口内炎って痛いんだよなぁ……この時代には口内炎の薬なんてないだろうし。
 それはともかく走りきり、霞が使っている来客用の部屋へ。
 普段から掃除されているらしいそこは、なんというか小奇麗と言えばまだ聞こえがいい、これといったものもない“必要最低限”がある程度の部屋だ。
 寝台と机と椅子。それだけで十分でしょって程度。
 そんな場所へ逃げ込み、まずはハフゥと一息。

「はぁ……世の中、なんてものがあるんだーとか……今真剣にツッコみたい」

 焦りのためかギウウと握っていた惚れ薬を机の上に置く。
 喉が渇いたから飲んでしまったーとかそんなオチはないと思うが、思春をちらりと見てみると……なにやら難しい顔をしている。もちろん目は見ないように気をつけているものの、随分とまあ難しい顔だ。

「北郷」
「ん───っとと、な、なに?」

 呼ばれて反射的に目を見そうになって、慌てて逸らす。
 思春はそんな、実際にやれば失礼な態度も気にせず話を始めた。

「その惚れ薬とやらの話だ。貴様の様子を見るに、目を合わせると暴走するようだな」
「や、まあ……そうだな。厄介なことこの上ない」
「目を合わせたとして、耐えられそうか?」
「ありきたりだけど努力と根性と気合とかで、なんとか。ただ覚悟するより先に体が動くから、どうしても後手に回る……って、言い回しヘンだよな。薬相手なのに」
「……氣で体を動かして、体自体の力は完全に抜いてみろ。体の自由が奪われるなら、内側から止めてみればいい」
「………」

 や……本気ですか思春さん。
 俺、まさか惚れ薬相手にまで鍛錬の必要性を強いられるだなんて思ってもみなかった。
 いや、でもこれは案外、氣で体を動かすことに慣れるいいきっかけになるのでは……!? なんて、気配殺しの達人さんのアドバイスを受けて、少し浮かれてしまったんだろうなぁ。そうすればきっとどうにかなると希望を抱いて……俺は、思春と視線を合わせた。
 瞬間に脱力! さらに氣で体を固定するイメージを!

「愛して《パゴシャア!》あぽろぉオオ!?」

 弾かれるように突進を始めた俺の顔面が、思春の右手で殴られた。
 痛みに蹲る俺を見下ろし、思春さんはとても素敵な眼力を向けてきました。

「立て。貴様には薬ごときに負けぬ体になってもらう。もしこの先、そんなものを誤って服用してしまう機会があり、蓮華さまと目が合ったら……!」
「ここで蓮華の心配!? すっ……少しは俺の心配もしよう!?」
「貴様がひどい暴走を起こさないことへの心配はしよう」
「普通にひどい!!」

 しかし、物事に、というか身体への異常に慣れるって意味ではこれは結構いいのでは?
 ということで脱力と氣での行動をしつつ、もう一度思春の目を見て───殴られた。ええまあ、また突っ込んだわけですが。

「せめて殴るのやめてください……」
「ならば鈴音を構えていよう。一歩でも進めば貴様の首が飛ぶ」
「やめて!?」

 ヒィと首に走る寒気を、首を庇うことでなんとか消す。
 う、うーん……世の中には惚れ薬が欲しいとおっしゃる方がいっぱいだと勝手に思っているが、これってそんなにいいものなのか?
 条件反射で好きとか愛してるって言われても、嬉しくないだろうに。

「あ、そだ。思春、試しに飲んでみない? 俺、思春なら薬にも勝てる気がするんだ。というか打ち勝つ姿を見てみたい」
「断る」
「ひどっ!? 二回殴っておいて、というか自分から耐える方法とか提案してきておいて、自分は飲まないのはひどいだろ!」
「う……」
「というわけで、はい一口」

 ズイと徳利を突き出してみる。
 や、べつに本気で飲むとは思ってないわけで。だって思春だもの、こういう場合はきっとするりと抜け出す道を選べるはず。ならば俺はそのスルースキルを今後のためにも学ばせてもらい、今まさに思春が薬を手にとってくぴりと一口───あれぇええっ!?

(え、やっ……えぇ!? 飲んだ!?)

 キュッと栓をして、惚れ薬を返してくる思春さん。
 その表情はいつにも増してキリッとしているように見え、むしろ飲む時は潔くというのが無駄に格好よく見えてしまった。女性に対しての“男らしい”って、こういう時に使う言葉なんだろうか。
 こういうのってほら、パターン的にはついうっかり飲んでしまってヤアシマッタって感じにさ……ねぇ? まさか自分からいくとは思わなかった。女は強し……なるほど。
 などと思いながらしばらく様子を見ていると、思春の体がカタカタと震えだし、歯を食い縛った様子を見せてから俺に視線を合わせるように言うと、

「好《ドズゥ!》ぐふっ!!」

 勝手に動く口を、なんと自分で腹を殴ることで止めてみせた。
 俺は机をギウウと掴んだまま、なんとか耐えてみているんだが……気を抜くと飛び掛かりそうで怖い。

「……思春」
「……すまん」

 ヒィ!? 素直に謝られた!?
 どうやら思春の力を以ってしても、この惚れ薬には抵抗できないらしい。
 薬って怖い……随分と久しぶりにその言葉が頭に浮かんだ。
 子供の頃なんかは麻薬のために人を殺す漫画で、薬ってものを嫌ったこともあったが……まさかこんな身近なことで薬に恐怖を覚えることになるとは。
 しかもその恐怖対象が惚れ薬だよ惚れ薬。
 同じく漫画とかならよくあった薬の中の一つ。
 飲んだら惚れるなんていう恐ろしい…………あれ?

(惚れ……惚れる?)

 ふと気になることが頭の中にポッと出た。

「思春。ちょっと部屋に戻ってみよう」
「? 正気か? 抱き合っていた二人の様子とこの状況を鑑みるに───その」

 話している途中で自分が見た光景を思い出したのか、少し赤面する思春。
 俺も心配ではあるものの、なにか確信に近いものを抱いたまま、とりあえずは部屋を出て自室へと戻ってみた。

「………」

 まずはノック。自室とはいえ中に人が居るのなら、当然ですとも。
 返事がないことを確認しつつ、ソッと開いて中を見てみれば…………案の定だった。

「北郷?」

 覗くだけで中に入らない俺を訝しんでか、後ろから思春の声がかかる。
 俺はその声にパタムと扉を閉めて、思春に向き直った。当然、視線を合わせた上で。

「なっ───!?」

 突然のことに対処出来ず、思春は自分を制御できないままに暴走。
 同じく勝手に動く俺の体も思春を抱き締め、好きだ、愛してる、大好きだなどと愛の安売りをしだすわけだが───

「………」

 口は忙しく動き、愛を語る。
 頬だって赤いし、目の前の人が気になってしょうがないものの……まあ、予感は当たった。
 思春は目がぐるぐると渦巻状になってパニック状態だ。対する俺は結構冷静です。
 うん……“惚れ薬”だ。惚れるだけで、“それ以上”は存在しない。
 ある意味すごいぞこれ。

「………」

 けどまあアレです。
 頭の中はひどく冷静だけど、体は勝手に愛を語っているわけで。

「すっ……すすす、すきっ……す、ぐっ……! ぐくくうう……! 好きだっ! 北郷! わわわわワワ私はきさっ、きささっ……! 貴様がっ……!!」

 目の前で思春に、あの思春に好きだとか言われる破壊力は、なんというかこう……!

(怖い! あとが怖い!!)

 ええ、怖かった。
 果たして薬が切れた時……むしろ抱擁が解かれた時、俺はいったいどうしてしまうのでしょう。
 そんなことを考えながらも、この珍しい思春さん劇場に心を奪われた俺は、どうせボコられるならもう少しこの告白劇場を堪能しようと……───油断してしまったのがいけなかったんだろうなぁ。

「───? ……ながっ……!?」

 人の気配。次いで、絶句するような、普段ならば聞かないような言葉が、知っている人の声で聞こえた。
 抱き締めている思春の肩越しにちらりと見てみれば……ひどく驚いた様相でカタカタと震えていらっしゃる冥琳さん。……ア、アー、そうだよねー……! さっきこの通路を使ってどこか行ってたんだから、戻ってくることくらい考えておかなきゃいけなかったよねー……!

「あ、いや、これはその」

 深く抱き締めるという行動によって、こうして肩越しに冥琳を発見するに至り。当然視線は思春の瞳から外れたので、自分をしっかり持てば薬の効果からの脱出も可能だった。
 心から慌てているのかどうなのか、思春が未だに抱きついたままなのは大変意外なわけではございますが。どうかこのままでいてくださいと思う俺はおかしいですか? だって正気に戻られたら鈴音が俺の頭部と首を乖離してしまいそうで。むしろこんな状況なのに、冥琳が“ながっ……!?”なんてヘンテコな戸惑いの声を出すことに貴重さを感じた俺はおかしいですか?

「い、いや。なんだ。解っている。惚れ薬だろう。思春も飲んだのか」

 こほんと咳払いをしてからの言葉。
 軍師さんの頭のキレってどうなってるんだろう。こんな時にまで冷静に物事を考えられるなんて、正直言って羨ましい。……俺、慌ててばっかりだもんなぁ。
 さて、そんな状況でもまだ頭の中がぐるぐる回っているのか、冥琳に気づかずに告白を繰り返す赤い人が僕の腕の中にいらっしゃるわけですが。どうしよう。俺、今すぐにでも首を洗うべきなのでしょうか。

「あ、あのー、思春? 思春さん? 目。目を……」
「好───……目?」
「ほ、ほらっ、そのっ、もう視線は合ってないんだから、努力と根性と腹筋でなんとか正気に戻っていただけると大変ありがたいといいますかっ……!」

 ───ぎしり。
 俺の腕の中の女性の体が、一瞬跳ねた。
 やがてカタカタと震えだし、ちらりと見た彼女の首やら耳やらがシュカアァアアと赤く染まってゆき───! ヒィ!? それと同時に殺気が! 殺気がだだ漏れてきてらっしゃいます! 思春さん!? 隠密はっ!? 殺気は殺さないとまずいよ!

「貴様を連れていってやろう……鈴の音が導く、無音の世界へ……!《ガタタタタタ……!!》」
「怖ァアアアアアアアアアッ!!? やめっ、やめよう!? 怖い! すごい怖い!」

 涙目、真っ赤、震え、鈴音抜刀。
 何一つとして俺に対する救いがない状況がここに完成いたしました。
 助けてとばかりに冥琳に視線を送ってみると、やれやれといった風情で胸の下で腕組みをしてらっしゃる。……え? いや、そんなありきたりの日常に苦笑するような反応されても! 俺そんなに誰かに襲われるような日々を送ってるとでも───…………あはははははは送ってたァァアーーーーッ!!!
 ええいくそうもうヤケだ! 俺は生き残るためにあらゆる手段を使って今をやりすごすぞ! 一時の恥ずかしさで命が救えるなら、俺は迷わずそれを選ぶ! そんなわけで敢えて自分から思春と目を合わせ、抱き付いて告白劇場! そうすることによって、“今”だけは相手の自由を奪うことに成功し《きゅんっ》……おや?

「……え? あれ?」

 きゅん? なんか今胸の奥がきゅんと鳴った。
 胸を締め付けられる音が聞こえるとするのなら、きっとこんな音なのね……! などとラヴロマンスチックに背景に花を咲かせてやりたくなる心が、何故か俺の心に溢れてきて……!? あ、嗚呼……これが、恋……!?
 いや、恋なら知ってるよ! 華琳相手に散々揺らしたものだよ! ……そしてこれは間違い無く恋の鼓動!? ちょっ……冗談じゃないぞ!? “視線が合った人に告白する”ってものがひどくやさしいものに思えてきた! 本気で好きになったらヤバいだろ! ああ! なのに! なのに胸がトクントクンと! ああもうやけに鼓動が大きいなぁ! 聴覚が鼓動の音に支配された気分だ!

(しかし大丈夫! いざとなれば強引な手段だろうが思春が止める! たとえ惚れ薬に操られようが、本気を出した思春さんはあんなもんじゃない! ……はず!)

 人はそれを他人任せと言います。
 でもね、うん。体はさ、自由に動くんだ。その点で言えば、さっきまでの告白地獄よりはよっぽどマシだと思うよ、うん思う。それはいい。それは。けど、相手を本気で好きって思っちゃうと、ある意味反射的に告白するよりもヤバい。ただ今、それを感じております。

「し、思春……」

 自然と思春を熱っぽい視線で見つめてしまう。
 すると思春の目が潤み始め、今まで見たこともなかった恋に恋する乙女のような瞳になっていき、俺と思春は互いに名前を呼びながら手と手を繋いで……やがて、唇が……!!

「落ち着けっ!」
『《ベリャアッ!》はうっ!?』

 あと少し、というところで俺と思春は引き剥がされた。
 この場で唯一まともな、冥琳の手によって。
 ……って、今俺何をしようとしてやがりましたか!? 熱に浮かされて、薬の効果に誘われるままにキスしようとしてました!?

「め、冥琳っ……ありがっ───あ」
「あ」

 心の底から感謝を。
 その礼儀として相手の目を見て感謝の言葉を届けようなんてしたことが裏目に出た。
 バッと見つめてしまった先に冥琳の目。合わさる視線……!

「冥琳! 好きだぁあああああっ!!」
「うわぁああああああっ!!?」

 もはや見境無しでございます。
 体はもはや根性論ではどうにもならず、そのくせ涙だけは支配されていない“洗脳モノのセオリー”は守ってらっしゃるようで、視界は滲む一方だ。
 だがやはり軍師は一足先を見据える者らしい。
 飛び掛り、抱きつこうとした俺は、サッと避けた冥琳の動作に腕を空振らせ、慌ててバランスを取ろうとしたところへスパーンと足払いをされた。冥琳にではなく、思春に。重力に従ってビターンと廊下に倒れる俺が、すぐに腕と足を腰の後ろで縛られたのは、その直後だった。

「…………ア、アノー、冥琳、思春さん? いきなり飛び掛ったのはごめんなさいだけど、さすがにここまでやることはないんじゃ───」
『こっちを見るなっ!』
「ごめんなさいっ!?」

 そうまでされるに至り、さすがに自分の意識を取り戻した俺が抗議してみても説得力があるわけもなく。
 少し寂しい気持ちを抱きながらも、自業自得の四文字を胸に諦めた。

……。

 いろいろあって現在。
 もう夜中と呼べる時間なんじゃなかろうかと思う、とっぷりと暗い闇の中、冥琳に用意された部屋にて、蝋燭の明かりを頼りに冥琳が惚れ薬の紙を見ていた。そうしてなにか思い立ったことがあったのか、部屋を出るとしばらくして戻ってきて、また紙を見てふむふむと言いつつも頭が痛そうに溜め息を吐いている。
 俺と思春は極力人と目を合わせないように待機中。や、まあ、俺は両手両足を背中側で縛られてるから動きようがないんだけどね?

「ふむ……なるほど。ようするに目を合わせた相手に惚れ、同じ相手と目を合わせ続けると効果が変わってくる、と」
「そんな惚れ薬、初耳だよ……」
「そうだな。だが、解決策は見えた」
「え? ……ほ、ほんとかっ!? どうすればいいんだ!?」

 バッと見上げる先に冥琳の顔。
 なにせ支柱なのに床に転がされているんだから、見上げなければ表情が見えない。
 見上げた先の冥琳は、なにやら呆れたというか疲れた表情だ。

「目を合わせ続ければいい。結局のところ、“惚れる”だけの薬のようだ。とことんまでに“惚れ薬”だ。見事だと感心するほどに。北郷の言う通り北郷の部屋も覗いてはみたが、あの二人に特別ななにかが起こったというようにも見えなかった。今は静かに寝ていたよ」
「ウワー……」
「その。つまり、体を動けぬ状態にして、互いに見つめ合えばいい、と?」

 思春の言葉に冥琳は「ああ」と答えて縄を用意する。
 それで思春に断りを入れてから彼女を俺と同じように縛り、俺と向き合わせた。俺と思春は咄嗟に視線を外して、冥琳の言葉に耳を傾ける。

「思うに、これを作った者は“惚れた時の心”というものを知りたかったんだろう。相手が気になってみてもそれが恋かなどとは確信が持てないものだ」
「恋心を知るために……って、また迷惑な……」
「ふふっ、そう言ってやるな。見ている分には中々に面白かったぞ」
「見ている分にはね!? 飲んだこっちはたまらないんだよ!」

 俺だって出来れば傍観側で居たかった。
 でも本当に見たかったか〜と言われれば……そうでもなかったり。
 やっぱり薬とかじゃなくて、本当に好きな相手とそうなってほしいだろう。

「まあ、そんなわけだ。北郷、思春。目を合わせろ」
「イ、イヤ、心の準備ガ」
「聞かん」
「《こきゅり》ハオッ!?」

 冥琳の手によって無理矢理思春のほうへ向けられる顔。
 背けていた視線も、その努力も虚しく打ち砕かれ、俺と思春の視線が合わさった。
 途端に視界がピンク色になるのを感じた。
 漫画とかなら思春の周りに花とかが無意味に咲いているかもしれない。彼岸花あたりが。そんな、あとで殺されたりしないでしょうかという心配とは裏腹に、心は思春に惹かれてゆくばかり。
 手を伸ばせば届く位置に居るのに、手を伸ばせないもどかしさが心を突く。
 ……突くのだが、思春の様子がおかしい。

「…………ば……かな……。 これが……?」

 戸惑いと恋心が混ざり合った人ってあんな顔をするのかな、なんて暢気に考えたが、明らかにおかしかった。惚れた心のままにやさしく「どうしたんだ」と訊ねる俺の口に、俺自身がびっくりしつつも返答を待つ。

「これが…………これが恋心、というものだとするなら、私は……私はいつから……!」
「?」

 けれど俺の質問に対する“答え”らしい“応え”はやってこない。
 その代わりに視線だけは合わさったまま、困惑という言葉を顔に貼り付けた表情で、俺と思春は見詰め合っていた。
 しかし、どうだろう。
 そうしていると好きだという感情が守ってやりたいというものに変わり、守りたいという感情が見守っていたい感情に。最後には見届けた気分になり…………胸のざわめきは、とうとう無くなった。
 最後に残ったのは、人の成長を見守り通したような奇妙な達成感だけだ。
 これが……子の成長を見届けた親の気持ちだというのなら、これほど嬉しいことはない。
 いや、本当に奇妙な感覚なのだ。相手は思春なのに、妙に“よくぞここまで成長してくれた……!”とか言いそうになるくらいに満たされた自分が居る。
 一言で言うならそう。

「なんなんだこの薬……」

 だった。
 でもまあアレだ。
 元からヒネた考えを起こして見てみれば、“惚れる”にもいろいろな惚れ方があるのだ。
 相手に心惹かれるって意味での惚れるや、相手の生き様に惚れる、武力に惚れる、知力に惚れる、意思に惚れる、夢に惚れる。挙げてみればもっといろいろとあるだろう。
 つまりこの薬はそれを順番に出すようなもの……なのか?
 だから全てが叶ったあとには奇妙な達成感だけが残される。
 思い残すことはもはやない……と賢者のような気持ちになって、ひどく眠たくなる。
 そう、手足を縛られているにも係わらず。こんな格好で見届けた男の顔をしている俺は、それはもうひどくおかしな男でしょうね。ちくしょう自覚出来るあたりが切ない。

「あ、あー……冥琳? 薬切れたみたいだから解いてくれるとありがた───大好きだ!」
「…………なんなんだこの薬は……」

 視線が合った途端に叫んだ言葉に、今度は冥琳が溜め息を吐いた。
 どうやら一人一人に対してきっちりと発動する暴走らしく、思春を見てももう惚れるだのと言った感情は湧かないものの、冥琳にはしっかり湧いたようで。
 結局薬の効果が切れるまで、俺と思春は……一晩を床に転がりながら過ごした。


───……。


 朝。
 冥琳と目を合わせたことで興奮した勢いの所為か、てんで眠れなかった俺は、ぐったりしながら冥琳に解放された。
 もう冥琳の目を見ても暴走することもなく、今更眠い頭を引きずるように部屋を出る。
 思春はどうやらぐっすりだったらしい。羨ましい限りだ。

「眠くても仕事はあるんだよな……うう」

 とりあえずこの薬は封印しようね……ほんと、本気で。
 それよりもまずは水。
 厨房へ行って水を喉に通して、顔を叩いて眠気を弾く。
 呼吸を落ち着かせるとまた眠くなってしまうので、酸素を少し内側に篭らせるように呼吸をすると、内側の筋肉が震えて体を熱くさせた。
 うん、これで少しの間は眠気は大丈夫。

「あとは……うん、あとは」

 こくりと誰にともなく頷いて、ちらりと後方を見る。
 すると、厨房の出入り口に隠れるようにしてこちらを見ている思春さん。

「あのー、思春? なんだって妙な隠れ方を? いつもみたいに気配を消してついてきてくれるならまだしも、気配がだだ漏れで解り易すぎるんだけど……」
「!?」

 あ、驚いてる。珍しい。……むしろ自覚がなかった?
 でもいつも見守ってくれてありがとう。
 感謝を伝えようと近くに歩くと、何故かシュヴァアと物凄い速さで疾駆。
 ……エ? と呆けてからすぐに出入り口から廊下を見渡してみたんだが、彼女の姿はどこにも無かった。……何事?

「や、まあ……薬の所為とはいえ、好きだ〜なんて言った相手と一緒に居たくないのは解るかなぁ」

 俺も結構顔が熱いし。
 しかしながら顔が熱いからって仕事が無くなってくれるわけもなく。
 華琳への仕返しをどうしようかなんて考えながら、自室へ向かって歩き出した。
 ……うん、子供になってもらうなんてどうだろうか。
 稟じゃないけど、春蘭あたりが鼻血を出しそうな気がする。

(でも……仕返しか)

 忙しさと楽しさがごちゃ混ぜ状態の今だけど、偉くなったもんだと笑ってしまう。
 偉くなったもなにも、俺が一体何をしたんだって話だが……ただ知っている歴史に抗って、ここまで来ましたよってお話。
 えらくずるい方法ではあるものの、自分の存在を懸けてまでやったことだ。今更悔いるというのは少々ずるい。なので、楽しめる今を十分に楽しんで、これからのことも手探りで経験していく。
 手始めに意地悪な覇王さまに仕返しをするとして、そこまで険悪にならずに笑って済ませられる何かを考えてはみるのだが…………悪事に向いていないのか、コレというものが浮かばない。
 でも子供から元の姿に戻りましたよ〜って報告をしなかっただけでアレはヒドイ。
 なので───…………なので。

「…………《かぁああ……!》」

 子供になる前に、彼女になにをしようとしていたのかを思い出して、また顔を熱くした。
 ……自室に戻る前に華琳に会いにいこう。
 好きだだのなんだのを薬の所為で叫んだ口から、普通に自分で出せる好きを唱えさせてやりたい。というか無駄に胸がトキメいた反動か、華琳のことを考えてからというもの華琳の顔が見たくてたまらない。

「……惚れるのって、なんというか…………弱いなぁ」

 惚れるにもいろいろな意味があるように、弱いにもいろいろがある。
 それを自覚しながら言葉にして、自室前まで歩いた足を別の方向へ向け、歩きだす。向かう場所が決まっている所為か、どうにも緩んでしまう顔をなんとか引き締めようと努力しながら。




ネタ曝しです  *そんなこったろーと思ったよどちくしょー!  GS美神より、横島クンのセリフ。  彼がモテると大抵裏がある。  *落ち着けー……落ち着くんだオックスベア  ドラクエ4コマ劇場より。  うん、内容はもうあまり覚えてないね。  ただ、「誰だって自分が一番可愛いのさ……あんただってそうだろ?」  と言っていたトルネコの人を見下した顔はよく覚えてます。  *何を隠そう、俺は○○○の達人だぁあーーーっ!  武装錬金より。  大丈夫! 何を隠そう、俺は○○○の達人だぁあーーーっ!!  任せとけ! こう見えても俺は、○○○の達人!  “大丈夫”では“達人だー!”と伸ばし、“任せとけ”だと“達人!”で終わる。  ……と、勝手に思っている。似顔絵、催眠誘導、その他が○○○に入る。  *オロ血───オロチ  KOF97にて、勝ち進んでいくと八神庵が暴走する。  オロチの血に抗っていた時に「なめるなよオロチ……!」と言っていた。  なのに次のコマ……シーンであっさりとゴフォオオオと暴走。  当時はなんでやねんとツッコミましたとも。あんたそりゃナメられるわ。  *ビッグorスモール  輝いてる季節のどこぞの折原くん。  トイレをコレで例える素晴らしさに惚れた。  *キキキorコココ  福本さん漫画の不思議な笑い。  カイジとかアカギで見れるかも。  *ボリショイ・パビエィダ  素晴らしい勝利、偉大なる勝利などの意。  褒めよ筋肉! 称えよ祖国! 赤きサイクロン、ザンギエフの勝利台詞ですね。  サーモンを食え! 頭からまるごとな! の言葉が結構好きです。  *あぽろぉォオ!?  瀬戸の花嫁より。  漫画だと「あぽろ……!」だったが、アニメだとこのように。  でもどこらへんであったかは思い出せない。  たしかルナパパが殴られてるところだと思ったんだけど。  二ヶ月ぶりです。凍傷です。  ようやく95話アップです。  いえ……三馬鹿書いたりしてまして。  こっちは八話UPとかやってたんですが、うーむ。  はい、今回は惚れ薬のお話。  構想段階ではもっと賑やかになる筈だったのに、案外大人しい感じです。  やっぱりこれは三国連合編でやったほうがよかったかも。  更新はユックリデス。  秒針の動きよりユックリでデス。 Next Top Back