07

 一人で歩く道はとても心細い。
 それを、自分は子供のころから知っていた。
 母は才能のない自分を嫌い、父も才能のない自分を嫌った。
 わたしはきっと、兄とは違って両親の期待に応えられない。
 大人になって、結婚することが決まったとしても、両親は好きにしろとだけ言うだろう。ただ、世間体だけを気にするから、普通に生まれた人以上ではなければ認めない。施設に居た子や捨て子なんてもっての他だ。
 そんな両親を見ているのが嫌いで、弱い自分も嫌いだったし、届こうとしてもがいてみても届かない自分がたまらなく嫌だった。
 そんな時だ。
 父が男の子を拾ってきた。
 犬や猫じゃあるまいしと言うだろうけど、その子供は本当に死にそうで。
 たぶん、その時手を差し伸べなければ死んでしまっていて……それが解ったから、父は手を差し伸べた。世間体、というものを気にする人たちだったから。
 病院で回復を待ったその男の子は、調べた結果は家族無し。
 どうしてそこに居たのかも解らないような子だったらしい。
 施設に送る、というのが一番だったのだろう。
 けれど、父は拾っておいて施設に、という行動よりも立派と思われる行動を取った。
 つまり、養子に迎え入れること。

アスナ「………」

 誰にも期待されない世界は、その日からゆっくりと彩られていった。
 つまらない、どころかつまらないの意味さえ知らずに生きてきたわたしにとって、彼が与えてくれる“楽しい”はとても眩しくて。
 もっと一緒に居たいからと、お兄ちゃんと呼ぶようになった。
 ……きっと、家族に向けるべき家族への思い以上のそれを以って。
 気づけばあとを追って、気づけば自然と笑っている。
 そんな楽しい日々は続いたけれど、いつもいつも母さんに邪魔される。
 母さんはまるで汚い野良犬を見る目で兄さんを見る。
 その目がたまらなく嫌で、世間体を気にするのが当然なのだと思っていたわたしは、いつしか母も父も嫌いになっていた。
 兄は……本当の兄のほうは、解らない。父のあとを継ぐためにいろいろとやっているため、ろくに話したこともない。
 だからきっと、あの現実世界でのわたしにとって、兄さんこそが光だった。

アスナ「…………メッセージ……nanashiへ……《ビッ》……エラー。
    ブロックユーザーに登録されているため、メッセージを送る……ことは……」

 そんな光から離れて、初めて理解した。
 この世界の怖さ。
 独りで居る怖さ。
 知らなければよかった。
 離れたその日に宿に篭り、あまりの心細さに吐くほど泣いた。
 子供のように泣きじゃくり、その声が聞かれてしまったのか、キリト君が部屋のドアを叩く。
 でも、だめ。今は独りにしておいてほしい。
 自分で言った言葉に嘘はない。このままじゃ、返せないから。
 だからわたしは強くなる。ならなくちゃいけない。
 強くなって、兄さんのところへ追いついて、背中を守ってあげられるように。

アスナ「守られてばかりの自分は、もう……」

 いやだから。
 だから、変わる努力をするために、泣き言を吐きつくすつもりで泣いた。


───……。


 血盟騎士団に入ってからどれくらい経っただろう。
 日夜戦うことばかりを繰り返して、周りからは狂戦士なんて呼ばれて。
 気づけば副団長に推薦されて……それを蹴って。
 推薦してくれた人には悪いけど、最初に言ったはずだ。
 役職なんてものは一切要らないと。
 ただ、弱い自分から離れるきっかけを作ってくれたヒースクリフに、義理を立てただけなのだから。
 いつまでもここに居るつもりもない。
 兄さんに寄りかかる戦いが染み付いたこの体からそれが抜けきったら、団を抜けてでも兄さんを追いかける。
 たぶん、その時はいつも文句を垂れているキリト君も一緒だろう。
 むしろ最近、餌付けが出来ている気がしないでもない。
 料理を作っているといつの間にか居るのだ、多分そうだろう。

アスナ「はあっ……っと、そろそろリズとの約束の時間か」

 時間が流れた。
 あの日から続くブロックユーザーのウィンドウは変わらないまま。それを見ても、もうそこまで心は辛くならなくなっていた。
 きっと、それはいいことだ。
 武器も充実してきたし、これもいいこと。
 エギルさんが前線で役立ててくれよと出世払いを条件に格安で譲ってくれた武器は、今もわたしの主力武器だ。
 どうやって手に入れたの、なんて訊いてみたら、取引相手の秘密は守るためにあるんだ、と言いつつも……ジークフリード、というギルドの一人が売りにきたらしい。
 自分が装備出来ないから売って金にしたんだろう、とのこと。
 そんな武器をたまたま手に入れたわたしは、どうやらついていたらしい。
 お陰で前金だけでも有り金の大半が飛んでしまったわけだけど、後悔はない。
 格安なのにあの値段なだけはある。本当に、いい買い物をした。

アスナ「リズー、準備できてるー?」

 リズベット武具店の扉を開ける。
 賑やかと言えばいいのか、耳心地のよいしゃらんしゃらんといった音が鳴る。
 店の中には誰も居ない。
 工房のほうかな、と軽い足取りで奥の扉に手をかけた。

アスナ「リズー?」

 開けてみると、工房の奥で鉱石を叩くリズを発見。
 声をかけようと近寄ると、その真剣な表情につい息を飲んでしまった。
 なんていえばいいんだろう。
 えと……うん、きっとこれ。“職人の顔”。
 すごく真剣で、夢中になれるなにかをようやく得たって感じの顔。
 元から夢中だっただろうけど、どこか前線から離れたことへの引け目みたいなのを感じていたようだったから、少し安心した。

アスナ「?」

 あれ? じゃあ、どうして急に夢中になったんだろ。
 なにかいい鉱石でも見つけた? それとも心が躍るような依頼が来たとか?
 ブラックスミスのことはよく解らないけど、もうちょっと近くで見てみようと静かに近づく。熱された鉱石をかん、かん、と叩く姿は本当に真剣だ。
 もちろんこの世界の武器は、鉱石を叩いて伸ばして冷やしてなんてことをしなくても、武器作成っていう肯定を辿れば自然と完成する。現に叩いていただけなのに、熱で赤く染まっていた鉱石が横に伸び縦に伸び、ひとつの剣へと勝手にカタチを変えてゆく。

リズベット「……はぁ。よしっ、気持ちも込めた、気合いも込めたっ!
      で、肝心の出来は……と。えと? 名称はダークリパルサー。
      武器名簿にも載ってない完全新作……と。おお、いい出来っ!
      次はアスナのを〜っと、ふんふふ〜〜〜ん♪」

 ……ものすごい上機嫌だ。というか、え? あれってクリスタライズインゴット?
 今日取りに行くはずだった鉱石を、なんで?

アスナ  「リズ」
リズベット「ふやぁわっ!? えなっ!? だっ───って、アスナかぁ……!」
アスナ  「いや、アスナかーじゃないわよ。どうしたのそれ。
      それって今日取りに行く筈だった鉱石でしょ?」
リズベット「え? ああこれね。ジークフリードってギルドの一人が、
      掘ったはいいけど自分に必要じゃない鉱石ばっかだったから〜って、
      結構な数を譲ってくれたのよ〜!
      ほらほら見て!? こんなにストックが!」

 アイテムウィンドウを開いて、ズジャーとスクロール。そのほぼがクリスタライズインゴットだった。

アスナ  「譲って、って……こんなに!?」
リズベット「しかも見てこれ! 鍛鎚オンスロート!
      これまでくれたの! もう感激!」
アスナ  「………」

 浮かれきっている理由はこれか。
 でも、そんなものをくれるなんて、随分とお人好しな人も居たもんだ。

アスナ  「なにか条件とか出されなかったの?」
リズベット「あー、えーと。自分らがメンテとか強化する時は、まけてくれって」
アスナ  「なるほど。専属になってもらおうとかそんな感じなわけね」
リズベット「専属は断ったけど、まけるって条件で頷いたよ。
      こればっかりはあたしだけじゃ手に入れられそうになかったし」
アスナ  「…………ん? ちょっと待ってリズ。
      もしかして、ギルド・ジークフリードと鉱石取りに行ってきたの?」
リズベット「うん。お陰で一睡もしてない。帰ってきたのもついさっきでさぁ。
      でもこんなものを手に入れちゃったら、働かないわけにはいかないでしょ」

 むんっと力瘤を作ってみせる。
 服に隠れて解りやしなかった。

アスナ  「大丈夫なのちょっと。
      ジークフリードって、一人しかメンバーが居ない謎のギルドじゃない」
リズベット「んや、大丈夫大丈夫。今は二人らしくて、その一人がシリカだから」
アスナ  「シリカちゃん!? 見かけないって思ってたら……。
      あ、じゃあもしかしてジークフリードを作ったのって」
リズベット「えーと、うん。まあそんな感じ。
      いやー……シリカちゃんすっごく強くなってたよ?
      ユニークスキルまで取っちゃって、
      鉱石取りに行った雪山でも、あたし出る幕なかったし」
アスナ  「ユニークスキルって……」

 すごい。
 そんなものまで手に入れて、しかもギルドまで作って。
 わたし……なんとか頑張れてるって思ってたけど、まだまだだ。
 こんなんじゃダメだ、もっと頑張らないと……。

リズベット(───な〜んてことを考えてるんだろうねぇ、この親友は)
アスナ  「……、……? リズ、どうかした?」
リズベット「や、べつに?」

 なんだか、リズの見透かしたような視線がやけに気になった。
 そんなやり取りをしながらもリズは鉱石を鍛って、出来た武器をわたしに見せてくれた。

リズベット「名称ジャスティスブリンガー。カテゴリは当然細剣。
      自分よりレベルが上の相手にボーナスダメージを与えられる逸品。
      ボス戦とか、レベリングで役立つ武器だね」
アスナ  「……! すごい……!」
リズベット「アスナ、どうせ騎士団に戻るんでしょ?
      せっかくだからキリトのも持っていってもらえる?」
アスナ  「要求筋力が違いすぎて、重いでしょそれ」
リズベット「あはー……、まあ、白状しますと」

 試しにダークリパルサーという武器を手に取る。
 ……重過ぎる。これは持っていられない。
 リズもこのままじゃ作業台から動かせないよと苦笑を漏らしている───そんな彼女の後ろに、見慣れない装備があるのに気づいた。

アスナ  「リズ、その武器と防具……」
リズベット「え? あ、ああうん。これね。シリカちゃんにメンテを頼まれたの。
      耐久力ギリギリまで敵と戦って、レベリングしてたんだって」
アスナ  「………」

 見たことのない武具。
 失礼だとは思うけど、ちょんと触れてウィンドウを開いてみた。

リズベット「あぁはいはいお客さん? 他のお客さんの武具には触らないでください」
アスナ  「あ、えっとぉ……だめ?」
リズベット「かつての仲間だからって、親しき仲にも礼儀あり、だぞー?
      今はギルドとしても違うし、パーティでもない。
      そんな人に触らせたとあっちゃあ、リズベット武具店の名がすたるっ!」
アスナ  「………」
リズベット「いや、なんかツッコミでもなんでも入れてよ……寒いじゃん」
アスナ  「あ、ううん、その……。頑張ってるんだなぁ、って。
      なんかね、今……色が見えないんだよね。子供のころに戻ったみたい。
      あの日までは普通に見えた景色が、今は全然楽しくない」
リズベット「おおう……語るねぇ。それはあたしもだけど」

 だけど、と。言いつつデコピンをする。
 町中での攻撃はデュエル中でなければ通じないので、当たったけど当たってないような感触がはじけただけだ。

リズベット「心の答えなんて、いつでも心の中にあるもんだよ。
      “大切なもの”っていうのはいつだって青い鳥なんだから」
アスナ  「青い鳥? すぐ傍にあるって、あの?」
リズベット「そゆこと。肩肘はどれだけ張ってもいいから、心はリラックスしなさいな。
      あたしも気づくまではずっとそうだったんだし、
      気づけば自然と肩肘も張れなくなるよ」
アスナ  「………」

 うん。
 頷いて、歩き出した。
 ダークリパルサーはキリト君に任せよう。
 任せて……

アスナ「───」

 何かに寄りかかるのを、やめてみよう。
 血盟騎士団は確かに強い。
 強いけど、自由がなくて窮屈だ。
 いつでも自分が好きに動けるくらいじゃないと、永遠にこの焦燥感には打ち勝てない。

アスナ「………」

 メッセージを飛ばす。ヒースクリフ団長に。
 脱退申請。許可が下りなくても二度と近づかない。その有無を書き、飛ばした。
 さあ、決めたからには突っ走る。
 まずは……うう、まずはジャスティスブリンガーを買い取るために、お金貯めないと。
 一緒に鉱石を取りにいくって条件で割引してもらう予定だったのに、こんなのはあんまりだ。少し恨んでもいいかな、シリカちゃん。


───……。


 血盟騎士団脱退にキリト君がついてきた。
 理由は窮屈だから。あとお金がないらしい。
 料理は作らないけどいい? と訊いたら真剣に悩み出した。
 やっぱり餌付け出来ている気がする。

アスナ「ねぇキリト君」
キリト「んぁー? なんだー?」
アスナ「兄さんにメッセージ、飛ばせる?」
キリト「あの日からずーっと無理だ。今頃何処でなにやってんだか」
アスナ「そっか」

 順調に探索を終え、ボスの居ない70層まで辿り着き、転移門をアクティベート。
 誰も居ない場所でキリト君とレベリングを続けて、ドロップしたアイテムが要らないものの場合は素直に売ってお金に。
 売った場合はLAに係わらず二人で山分けにしている。
 お金がないのはどっちも一緒なのだから。

アスナ「でも、よかったの? キリト君まで抜けることなかったのに」
キリト「少人数の方が性に合ってるからいいんだよ。
    規律だのなんだのって、ソロプレイヤーだった俺には窮屈すぎる。
    その点、ナナシのパーティはパーティなのに自由すぎて、
    パーティだってことを忘れるくらいだった。
    他はごめんだけど、あんなパーティならまた組みたいって思うよ」
アスナ「………」
キリト「アスナは嫌か?」
アスナ「キリト君はもう、
    自分が足手まといとか足を引っ張ったりするとかは考えない?」
キリト「よくよく考えてみたら、あんなの俺達が勝手に思ってただけで……
    あいつにしてみれば楽しみながら冒険してただけなんだよな。
    足手まといじゃないかなんてことは、そりゃ思ってたけどさ。
    別れてからはな〜んか違うって思ってたよ。
    最前線に立つヤツが必ずしも攻略しなくちゃいけない理由や義務なんてない。
    命がけで攻略しろとかギルドの連中は言うけどさ。
    武器持って戦う以上はいつだって誰だって命をかけてる。
    そんな進み方を、ゆっくり進むか仲間と進むか楽しんで進むか、なんてのはさ。
    ……俺達じゃなくて、あいつが決めるべきことだったんだよな」
アスナ「───」

 それは……そうだ。
 別に兄さんは誰に言われたから支援していたわけでも、わたしたちのレベリングに付き合ってくれていたわけでもない。
 自分がそうしたいからやっていただけで、そんな中でわたしが借りを返したいから返させて、といえば素直に頷いてもくれた筈だ。
 ……なんだか、から回ってばかりだ。
 急に現れた人の言葉に混乱して、仲間割れして、喧嘩別れみたいな状況になって。
 ……うん、やっぱり血盟騎士団はやめよう。なんといわれようとやめる。
 それで……どうしようかな。
 もうずっとソロでやっていこうか。それとも……

アスナ「ねぇキリト君。キリト君に妹っている?」
キリト「妹? あぁ、スグ……っとと、うん、居る」
アスナ「兄から見て、妹ってどんな感じ?
    こう、実の兄妹じゃなかったらなおいいんだけど」
キリト「なっ!? なんで知って───あ」
アスナ「………」

 沈黙。
 わたしとキリトくんはお互いに気まずい雰囲気の中で、こほんと咳払いをして……観念して語り合った。

アスナ「わたしと兄さんはね、本当の兄妹じゃないの。
    兄さんは捨て子で、父さんが拾ってきた」
キリト「そっちもか。俺はえっと、なんていうのかな。いわゆる孤児ってやつで……
    母さんの姉さんの子供だって言われたけど、どこまで信じていいかは解らない」
アスナ「……そっか。どこの家にも、家庭の事情ってあるんだね」
キリト「俺のほうは事情って呼べるのかどうか。母さんもスグも普通だし、
    あの家に産まれたって考えても疑問に思わないくらいだ」
アスナ「…………。兄さんもそうだったらよかったのに」

 空を見上げる。
 キリト君はそんなわたしを見つめて、目でどういうことだと語りかけてくる。

アスナ「母さんと父さんね、世間体ってものをすごく気にするの。
    だから拾ってきた子なんてって……母さんは兄さんをすごく嫌ってて、
    口ではやさしく言ってるけど、父さんもあまりいい目では見てない。
    本当の兄さんは無関心で目も向けない」
キリト「……それは……」
アスナ「それでもね、兄さん頑張ったんだよ?
    人がつまらない状況が許せないって人だから、
    何度も何度も母さんを楽しませようとした。
    父さんを楽しませようとした。兄さんを楽しませようとした。
    でも……無理だった。何度やってもだめで、
    立派な人になれば認めてくれるかなって、
    努力していろいろな賞も取ったし成績も取ったし大会にも出た。
    でも……優勝までしても、母さんの目は変わらなかった」
キリト「………」
アスナ「わたしが車に撥ねられそうになった時に、
    庇って撥ねられた兄さんを見て母さんなんて言ったと思う?
    “無駄に周りを騒がせるようなことをするんじゃない、
    怪我をするなら誰も見ていないところで勝手にしてなさい”、だって」

 キリト君が唖然としている。
 わたしも、あの言葉を聞いた時は、さすがに兄さんが可哀相だって思った。

アスナ「その時にね、言われたんだ。どうやっても笑ってくれないみたいだから、
    俺は今日からアスナだけを笑わせるよ、って。
    でも、いやになったらいつでも言ってくれ、って。
    最後に……“裏切られるまでは裏切らないから”って」
キリト「裏切り、って……じゃあ」
アスナ「……ひどいことしちゃった。
    恩を返す返さない以前に、いっぱい傷つけちゃった。
    あのあと宿をとって、部屋のベッドを見たら……
    ベッドに寝転がりながら笑ってくれた兄さんを思い出して、泣いちゃった」

 世の中は上手くいかないことで溢れている。
 どうすれば上手くいくのか、どうして自分以外は上手くいくのか。
 そんなことを思わない日はきっと少ない。
 でも……そんな日を見失うほど楽しかった日々は確かにこの世界でもあって、わたしは自分からその世界を……自分のちっぽけな意地のために手放してしまったんだ。

アスナ「……兄さんに謝りたい。謝って…………許してくれるかな」
キリト「ていうか、裏切られるまでは裏切らないって、ある意味すげぇ言葉だな……。
    裏切られて殺されても、それなら別に文句ないって意味なのか?
    そりゃ、よっぽど相手を信頼してなきゃ言えない言葉───あ゙」
アスナ「…………《ぽろぽろぽろ》」
キリト「泣ァアアーーーーーーッ!!?
    なななな泣ぁーー泣な泣くなぁああーーーーっ!!」

 ああ、なんだろう。
 自分はあの言葉を言ってしまった時点で、全てから踏み外していたのか。
 現実世界にはまだまだ遣り残したことがあるから、戻りたいって頑張ってきたけど……現実世界でそこまでやりたいことってあったっけ?
 戻っても弱い自分が居るだけで、眠っていた時間の分だけ体は衰弱してる。
 この世界で自分を変えても、それは力があるから出来ることで、力のない弱い自分に出来ることっていったいなんだろう……恋をするとか? 結婚するとか? 子供をつくるとか? 子供はわからないけど、そんなのこの世界でだって出来ることだ。
 じゃあわたしはいったいなにを希望に今までを……これからを生きていけば……。

アスナ「……心が……」

 心が乾いてゆく。
 そういえば、兄さんが冗談めかしてこんなことを言ったっけ。
 心が潤いすぎている時は失敗をしやすいから、そんな時は乾燥剤……シリカゲル等を気分的に抱きなさいって。
 シリカゲル……シリカ……シリカ……。

アスナ「……ねぇキリト君。ギルド・ジークフリードって知ってる?」
キリト「ああ。攻略組の中じゃあダントツの戦果を上げてるって話だな。
    最近二人に増えたって聞いたけど」
アスナ「リズが言ってた。ギルドマスター、シリカちゃんだって」
キリト「シリカが!? ……っへぇえ〜〜〜……!! 頑張ってるんだなぁ……!」
アスナ「キリト君のダークリパルサーの材料の鉱石、
    取りに行ってくれたのもシリカちゃんだって。
    ……びっくりだよね。随分と遠いところに行っちゃったな、って」
キリト「べつに、俺だけでもあそこくらいならいけるぞ? アスナだってそうだろ」
アスナ「自分でギルド作って、一人でも頑張って、
    ギルドでの予定があるからってすぐに動けなかったわたしたちの代わりに、
    シリカちゃんが行った。それ聞いた時、わたし……なにやってんだろって。
    クリアするために頑張ってた筈なのに、いつの間にか縛られちゃってさ。
    こんなの……そう、こんなの、現実世界となにも変わらない。
    変わろうって思って行動したのに、同じ場所に戻ってきてた。
    わたしは嫌。こんな自分は。だから───」
キリト「……だ、だから……?」
アスナ「会いに行こう、シリカちゃんに。
    会って、もう一度“自分の好き勝手”を散々味わって、
    現実に帰るための冒険だって笑いながら進むの」

 そうだ、こんなのは違う。
 何度間違ったって構わないけど、最後まで間違えるのは我慢ならない。
 兄さんに、わたしが言ったんじゃないか。こんなの全然楽しくないって。
 それを理由に兄さんから離れたなら、わたしは楽しまなくちゃいけない。楽しくなくちゃおかしいんだ。

キリト「でも、どうやって? シリカからもブロックユーザー登録受けてるぞ?」
アスナ「えぇ!? そうなの!?《がーーーん!》」
キリト「……ぶっ! ははははははっ……! な、なんかっ……そういう反応見てると、
    あぁ、兄妹なんだなぁって思えるよ……! っははははは……!」
アスナ「〜〜〜〜っ……!」

 顔が赤くなるのを感じる。
 なんというか、成長しようとすればするほど赤っ恥を掻いたり……自分の弱さばかりを見つけている気がする。
 それらを纏めて受け止めて、それでも笑っていられる先が成長なら……それはとても恥ずかしいことで、受け入れがたい未来だ。

アスナ「あぁあああああもうっ!!」

 むしゃくしゃする。
 するから、POPしたモンスターを細剣で蜂の巣にした。
 もういい、レベリングの続きだ。
 レベルアップしたら冒険しながらシリカちゃんを探そう───否、リズの店に張り付いてでも捕まえてやる。
 張り付いて、捕まえて、そして……そうして……そうしたら……

アスナ「……どうしたいんだろう」

 自分でも解らない自分の傍に居る見えない青い鳥。
 そんなものがいつ、この目で見えるようになるのか。
 教えてくれる人がいないものを待つ時間は、ただただ寂しかった。





08

 レベリングに執着を見せる日々は続く。
 死にたくないならレベリング。レベルを上げて自身を強化。
 ドロップアイテムでさらに武具を強化して、次の層に臨む。
 臨む……筈だったのだが。

シリカ「たぁああーーーーっ!!!」

 目の前に竜巻があった。
 巻き込まれたモンスターはあっという間に斬撃の嵐の餌食に。
 SAOでは剣を振るって、敵の体で武器が引っかかるということはない。
 斬ればそのままスパっと切り抜け、武器が通った場所に赤い線がついてダメージが出るだけだ。痛みも当然ない。
 今、彼女……アスナの前で短剣を振るうシリカの前には、一層のボス、イルファング・ザ・コボルドロードに勝るとも劣らぬ巨体モンスターが居た。
 そんな巨躯が、斬撃HITの証である赤い線だらけになり、元の姿も解らないほどに赤に染まり、ポリゴン片となって消えた。
 一言で言うなら……速すぎる。え、えと、あれかな。閃光なんて二つ名、返上したほうがいいかな。そう思ってしまうのも仕方がなかった。

シリカ「おつかれさま、ピナ」
ピナ 『キュ』

 メンテが終わった武器を持って何処へ行くのかと訊いてみれば、シリカは黙って走った。アスナも追うのだが、ぐんぐん離される。
 キリトもついてきていたはずだが、途中ではぐれたのかどこにも居ない。

アスナ「……シリカちゃん、80層まで来てたんだ。
    あ、でも、転移門をアクティベートしないのはどうして?」

 そう、転移門を使わずに、走ってここまで来た。
 道中現れた敵は全てシリカが切り刻み、現在に至る。

シリカ「迂闊に誰かが転移門頼りで飛んできて、死んじゃわないようにするためです」

 そして、言うことも確かにと頷ける理由だ。
 下層のボスランクモンスターがフィールドで普通にPOPするなんて冗談じゃない。
 今ならソロでも倒せるが、だからといって油断出来る相手でもないのだ。

シリカ「それで……あの。改めて自己紹介しますね。
    矮小ギルド・ジークフリードのギルドマスターを“努め”ます、シリカです。
    本日はどういったご用件でしょうか。
    ここまでついてきたからには、よっぽどのこと……ですよね」
アスナ「………」

 それはそうだろう。
 つい勢いでついてきてしまったが、ここから自力で、転移門を有効化せずに帰れと言われたら、確実に自殺行為になる。
 しかし転移門を有効化してしまえば、無謀なプレイヤーがここへと来てしまう。
 街の名前を言わなければ飛べないのが転移門だが、適当に言った名前が正解にならないと断言できるわけでもない。

シリカ「血盟騎士団に入れという勧誘でしたら、お断りします。
    他ギルドとの協力なんかも絶対にごめんです。それ以外の用件でしたら……」
アスナ「……その。ギルド・ジークフリードって、
    シリカちゃんとあと一人は……兄さんだったりする?」
シリカ「それを知ってどうするんですか? ……謝りたいというお話でしたら、
    ナナシさんは怒ってすらいないと言っておいてくれって言伝を頼まれています。
    むしろ自分を強くするいい機会だろう、って」
アスナ「え……怒ってすら……?」
シリカ「血盟騎士団に入ったんですよね? 噂は聞いてます。
    血盟騎士団の狂戦士って、すごい噂になってました」
アスナ「シリカちゃんほどじゃないよ。ジークフリード、戦果がすごいって……」
シリカ「嫌われ者ですよ。戦果があって攻略範囲も広いのに、
    情報を寄越さない独り占めの最低ギルドだって」
アスナ「あ……」
シリカ「………」

 敵がPOPする。
 大きなコボルドが骨斧を振り下ろしたが、パリィングダガーでパリィされ、次の瞬間には八ツ裂きにされて消えていた。

シリカ「おかしいですよね。
    たぶん……あの頃にあたしたちが望んでたナナシさんの立ち位置がここで、
    なのにみんなから卑怯者呼ばわりされるんですよ。
    頑張ってるのはナナシさんなんだから、
    ナナシさんが受け取って、支援なんてしなければいい。そう思ってたのに……」

 そうなってみれば、気づけば協力し合うべきプレイヤーまで敵になっている。

シリカ「あたし、今のプレイヤーのみなさん、嫌いです。
    一層で暮らしてクリアされる日を平和に待っている人が、
    どうしてそんなことを言えるんでしょうね。
    命がけで戦うことって卑怯なんでしょうか。
    あたしにはもう……ソレが解りません」
アスナ「シリカちゃん……あ、あの、わたし───」
シリカ「……ナナシさんに謝りますか? ナナシさんなら、きっと簡単に許します。
    でも、アスナさんはそれで満足ですか?
    裏切りを口にして、謝れば許してもらって」
アスナ「……それは……」
シリカ「裏切られるまでは裏切らない。あたしも言われました。
    命の恩人ですし、ピナを助けてくれた恩人ですし、
    手を差し伸べてくれた恩人です。
    あたしは……これから先、なにがあっても裏切りません。
    アスナさんはどうですか?」
アスナ「…………」

 考える。
 即答することは簡単だ。
 裏切らないって言えばいい。
 あの日口にした裏切りをなかったことにしてしまえばいいだけだ。
 なのに即答しようとする口を自分で押さえた。

シリカ「信頼することは出来ませんか?」
アスナ「ちっ……違う、それは違う。わたしはっ……他の誰かなんかより、
    両親や兄よりも兄さんを信頼してるし、裏切りたくなんかないわよ!
    でも違う、こんなのやっぱり違う!
    口で裏切らないなんていくら言ったって信じきれやしない!
    こんな質問に、わたしは答えなんて出したくない!」
シリカ「じゃあ、どんな質問なら答えられるんですか?
    口でも言えない人が、裏切らないでいられる確証がどこにあるんですか?」
アスナ「ッ……それは……!」
シリカ「もういいじゃないですか。
    ナナシさん、SAOをクリアしたら、家を出るって言ってましたし。
    べつにもう、アスナさんが信じようが信じまいが、
    アスナさんはそんなことを悩む必要もなくなるんです。
    だから、もう忘れてしまいましょう。
    それより一緒にレベリングでもどうですか? ここ、とっても稼げるんですよ」

 ……待って。待って、なにを言っているのこの子は。
 アスナは信じられないものを見る目でシリカを見た。
 忘れる? 悩む必要もなくなる? 家を出る?
 うそだ、だって兄さんはわたしを───……裏切られるまで、裏切ら、ない、って。

アスナ「───」

 裏切ったじゃないか。
 だからこんなことになったんだ。
 でも、じゃあ、あの時裏切りを口にしなければ、せめてそれさえしなければ、こんな思いはしなくて済んだのか?

アスナ「───すればいいんでしょ」
シリカ「? ああ、はい、するんですね? じゃあパーティを───」
アスナ「違うわ。……今度はわたしが、
    裏切られるまで裏切らなければないって行動をすればいいんでしょ、って。
    そう言ったのよ」
シリカ「───…………正気ですか? 裏切るもなにも、信頼なんて残ってないのに」
アスナ「そんなの回復させてみせるわよ」
シリカ「出来ますか?
    恩返しがしたいからって、したい人を一方的に傷つけたあなたが」
アスナ「っ……あなたになにが解るっていうのよ!」
シリカ「解りません。なにも語られてませんし。
    て、いうか、あの。ごめんなさい、そんなに怒らないでください」
アスナ「怒らないで!? よくもそんなことを───……え? ちょっと待って?」

 ずずいと詰め寄ったアスナは眉を寄せた。
 近寄ってみたら解ったが、シリカはカタカタと震えていた。
 その目には小動物さながらの弱さがあり、なんというか……まるで言われたままに台本を読んでいただけなんですって様子で───

アスナ「……兄さん。居るわね?」
ナナシ「居るよ」

 居た。
 瞬間、今までのが茶番だったということを理解し、顔が赤くなるのを感じる。
 見れば、ナナシの腕の中にはヘッドロックをされて苦しんでいるキリトの姿が。
 ああ、なんだ……つまり、シリカを追った時点で、自分はハメられていたと。

アスナ「兄さん、これはどういうこと……?」
ナナシ「裏切られたから嫌がらせ」
アスナ「《ズキンッ》あっ……ち、ちがっ、あれはっ……!」
ナナシ「裏切られたからには、俺はお前を裏切るよ。
    お前が泣こうが喚こうがどうでもいい。
    家も出るし、あの両親の目が届かないところでひっそりと暮らすよ」
アスナ「そんな……どうして……」
ナナシ「自分を嫌う人たちと裏切り者が住んでいる場所で一緒に暮らせ? 無茶だろ。
    俺の居場所はあそこにゃない。決定は覆らん。
    俺はあそこを出て、オンボロアパートでも借りて、
    そこで───ゴールデンゲーム三昧!《どーーーん!》」
シリカ「格好つけにもなりませんよそれ!」
ナナシ「それでよし! なにせ俺だし!」

 シリアスなのかふざけているのかハッキリしてほしい。
 だがアスナが解ったのは、彼がこのままでは家を出てしまうということだけ。
 またあの、息が詰まるような牢獄暮らしにも似た暮らしの中を生きるのか。
 それが当然であるように。

アスナ「だったら───だったら、わたしも出る!」
ナナシ「ほう? 出来るかな、貴様ごときに」
アスナ「出来るわよ!
    あんな場所を出て、財産目当てでじろじろ人のことを見てくる男からも離れて!
    わたしは───わたしの道を行く! そう決めたのよ!」
ナナシ「本当だなッ!!!《ドンッ!》」
アスナ「! え……」
ナナシ「───約束だ《ピッ》」

 ナナシはアスナの言葉に誓いの敬礼をしてみせた。
 約束に誇りをかけるように誓う、絶対の証。
 もちろんそんなものをアスナが知るはずもないが、アスナはその動作を返して構え、真っ直ぐにナナシの目を見つめていた。

ナナシ「じゃあ許すからギルドに入れてめぇ」
アスナ「いきなり勧誘!? え、えぇっ!? もっとこう、なにか……ないの!?」
ナナシ「え? ない」
アスナ「……〜〜〜〜っ……」

 ああそうだった、我が兄はこういう人だった。
 思い出したことに頭痛を感じたアスナは頭を抱え、深い深いため息を吐いた。

シリカ「あの……ちなみにさっき言った言葉もナナシさんが書いた脚本通りですから。
    あたしは、アスナさんが入ってくれるのは大歓迎です」
アスナ「グル、だったんだ……」
シリカ「あ、でもアスナさんに対して怒ってたのは本当ですよ?
    アスナさんはふらふらしすぎです! もっとどっしりしてください!
    恩返しをしたい人を裏切ったってところは、あたしの本心ですから!」
アスナ「あぅ……! ……解ってる、絶対に……絶対に、もう裏切ったりなんかしない」
シリカ「はいっ、じゃあ仲直りですっ」

 差し出される手。
 アスナはきょとんとしてから苦笑をこぼして、きゅっとそれを握った。

シリカ「ようこそ、ギルド・ジークフリードへ。
    あたしたちはあなたを歓迎しますっ」
アスナ「あ、う、うん。えっと。
    そのー……シリカがギルドマスターっていうのも、嘘だったりは?」
ナナシ「いいかぁ愚民どもォ! この方こそギルド・ジークフリードを背負って立つ、
    ギルドマスターのシリカさまだァァァァ!!
    ギルドが安定して動いているのはシリカさまのお陰!
    ひいては第一の下僕であるこのナナシのお陰なのだァァァァ!!」
シリカ「最初は当然ナナシさんだったんですけど、
    アスナさんを騙すために一度ギルドマスターを代わって、
    と言われて代わったが最後、
    ギルドマスターの権利を受け取ってくれないんですよぅ……」
ナナシ「ホホ、愚かよの。このナナシを前に、一度受け取ったものを返せると思うなど」
キリト「あー……じゃあその、豪華な装備も?」
シリカ「はいぃ……」

 シリカの装備を下から上まで見れば、青みを帯びた白の天使が居るとも思えるくらいの美しさ。今出来る最高の強化をしてもらった結果、装備だけで“+AGI”は400を超えた。
 フォルセティも+6までしかいかないはずだったそれが、6を越えて20まで増えている。これ以上は強化する素材が解らないという理由で手詰まり。
 なにか鉱石を見つけたら持ってきてほしいと頼まれている。
 それがまたマスタースミスが居なければ取れないものじゃないことを祈りつつ、今は経験値稼ぎをしていたところだ。

キリト「ナナシ……もしかしてシリカにドーピングアイテムを……」
ナナシ「手に入れたものと家に保管していた全部を注ぎ込んだ!
    お陰で総合AGIだけなら俺より上だ」
キリト「お前、今レベルは?」
ナナシ「153」
キリト「ぶぅっふぉっ!?」
アスナ「153!? えっ───100が限界じゃなかったの!?」
ナナシ「100で一応止まるけど、限界突破クエストがある。だからこそのこのレベル」
アスナ「ちなみにシリカは……」
シリカ「98です」
キリト「…………」
アスナ「………」

 自分たちの窮屈なレベリングの日々はなんだったんだろう。
 二人は一緒に空を仰いで溜め息を吐いた。

 ……その日、ギルドジークフリードは四人のギルドとなり。
 主力となる筈だったメンバーが二人も抜けることになったヒースクリフは、どうしよう……と頭を抱えたのだという。





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