13

 SAOが終了を迎えてから幾月。
 眠り続けていたためにナマっていた体をリハビリで起こしてやる日々も終わり、人々はやがて元の生活へと戻っていった。
 当然何ヶ月も眠り続けていれば、授業にも遅れるし仕事も無くなる。
 そういった人のために用意された共通の学校が作られた。
 ……そこにナナシという存在は居ない。
 それどころか目覚める筈だった一万人のうちの300人ほどが未だに眠り続けたままであり、その原因も解らないままに日常は続いている。

和人「……はぁ」

 キリト───本名:桐ヶ谷和人は、自室の窓から空を見やり、息を吐いた。
 あれから……SAOから解放されてから、ギルド:ジークフリードのメンバーは英雄扱いだ。
 たった四人で人々を救った〜とかで、ネットでも随分と話題に出た。
 中には自分がキリトだ〜などと言い出し、自分を英雄と呼べとまで言う者も居たが、それを見てもなんの感情も沸かない。当然だ、真に一万人近くを救った人物はまるで別の人物なのだから。

和人「………」

 あの日。
 病院に移動させられていた自分は、目覚めてすぐに重たい体を動かし、ナナシの存在を探した。いや、探そうとしたが、情けない話……満足に動けやしなかった。
 筋肉は随分と弱ってしまっていて、連絡を受けたからだろう……やってきた妹、直葉(すぐは)に無茶を言って肩を貸してもらい、歩いた。
 が……探し回ったところで見つからない。
 当然だろう、約一万人を同じ病院に置いておけるわけがない。
 しかし、今現在の世界の事情を知るために都合のいいことは、案外起こってくれるものらしい。直葉と病室に戻った俺は、スッ飛んできた“総務省SAO事件対策本部”なんていう大層な名前を翳すひとりの男に迎えられた。
 SAOに人々が囚われたことを知られてすぐに結成されたその組織は、様々な面から人々を救おうとしたらしいが、出来たことは病院を用意したことくらい。
 なんとかしてプロテクトを解除してログアウトできればと考えたらしいが、下手にシステムをいじって全員死亡させてしまえば笑えない。
 なのでその日まで出来たことといえば、一部のプレイヤーデータをモニターするだけだったそうだ。
 もちろんデータなので、中の映像が見られるわけではない。
 しかしレベルの上がり様で俺が攻略組最前線であることは理解できていたらしく、目覚める瞬間を待っていた、と。
 ……会話の際、なによりも期待していた相手が最後の最後で死んだ理由を知って、顔を青くしていたのは出来れば思い出したくない事実だ。

和人「はぁ……」

 その人に情報を提供する代わりに、俺は他の仲間の居場所を教えてもらった。
 ナナシ、アスナ、シリカ、エギル、リズベットはどうしているのかと。
 聞くところによれば全員別の病院に運び込まれたらしく、今頃は目が覚めている頃だという。しかし……当然ながらナナシは既に死んでいて、目覚めた人たちの中にあって唯一、そのまま病院内で葬られたそうだ。
 SAOプレイヤーはナナシを救世主と呼んだが、とても笑えない。

和人「……ン?」

 意識を現実に戻す過程で溜め息をひとつ。
 空から視線を下ろせば、庭の池の傍で竹刀を振るう道着姿の妹。
 桐ヶ谷直葉……スグハ、という珍しい名前の妹は、今日も元気なようだ。
 才能ってものがあるのなら、ウチの家系は飛び出た者が多かった。
 家に道場まであるっていう桐ヶ谷家はそれはもう優秀な者の集まりで、当然自分……桐ヶ谷和人も剣道をやった。ああ、やっていた。
 途中でやめ、家族はそれを許さず、妹の直葉が俺の分まで頑張るという条件で俺は許された。ひどい話だ。
 その兄である自分はゲーム三昧で、SAO事件にいたっては迷惑以上のことで家族に心配をかけっぱなしだった。それなのに目覚めた時には涙目の笑顔で迎えてくれて、余計に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

和人「剣道か……」

 剣を手に仮想世界を駆けた日々を思い出す。
 イメージは自分の中に。
 今でも、筋肉が許す限りには体を追いつかせるイメージ(だけ)は存在する。
 最近じゃリハビリの意味も込めて、竹刀を手にしている。妹に押し付けて、一度は離れたっていうのにだ。
 それでも自分がもう一度竹刀を持つことを、直葉……スグは笑顔で迎えてくれた。

和人「………」

 己の中の葛藤を胸に、和人は頭を掻いた。
 すぐに気持ちを切り替えられないのは仕方の無いことだ。
 ……まだ終わっていない。
 SAO事件からどれほど経っても、眠ったままの300人。
 そして……その300人の中にはアスナも居た。
 兄であるナナシがあんな結果になってしまったのなら、せめて妹だけでも。
 そうじゃなきゃ、顔向けなんて出来やしない。
 そんなことを考えてしまえば、彼の足は自然と……彼女がまだ眠っている病院へと向かった。

……。

 病院やアスナの父親は、英雄であるキリトを笑顔で迎えた。
 母親の姿は見ていないが、笑顔であるアスナの父親に嫌な印象を持っていた。
 息子は死んだのに、こんな笑顔が出来るもんなんだな、と。

和人「………」

 仲間であったこと以外では、特別親密であったわけでもない。
 しかし命がけの旅をする仲間であることと、シリカもよく見舞いに来ることで、見舞い自体は親も許可していた。
 相変わらず眠ったままのアスナは、その割りにやせこけた印象はそうない。
 むしろくすぐりでもすればすぐにでも目覚めそうであるのに、彼女は寝たきりだった。
 もしここにナナシが居たら、常識なんて破壊して無理矢理にでも起こしたり出来たのだろうか。ふと……彼はそんなことを思った。
 ……思った途端だった。
 思わずフッと笑いそうになった和人に、アスナの父は言う。
 眠ったままのアスナを貰ってくれる人が居ること。
 その人物は部下で家族同然に暮らしていた者であり、自分も任せたいと思っていること。
 いつか結婚の予定すらあること。
 なにを馬鹿な、と言いたかったが、問題は強く存在するのだ。
 寝たきりの少女は、このままでは誰も貰い手はないだろう。
 かといって適当な相手に任せられるはずもない。
 ならば……と。

和人「それは……」

 否定してやりたかったが、自分はアスナの恋人でもなんでもない。
 むしろこの場合、おめでとうと言ってやるべきなのかもしれない。
 しれないが、アスナがいつも目で追っていた男は確かに居て、そいつを追って家を出るつもりでさえいたのだから……可哀相だからって理由で結婚してやる男を応援する理由なんてものは、きっと今この場には存在しなかった。
 だからって何が言えるわけでもなく。
 和人は曖昧に愛想笑いをして、話を切るしかなかった。


───……。


 幾日か後、エギルからメールが届き、彼が経営するバーまでの道を彼は歩いた。
 店内に入ってみると、ほお、と息を吐いてしまうくらいの小奇麗な店。
 カウンター奥には見慣れたチョコレート色のハゲが居て、和人は軽く手を上げて笑う。

和人 「相変わらず不景気な店だな」
エギル「うるせぇ、夜は繁盛しているんだよ」

 SAO内でも入り組んだ路地の奥にあった店を思い出し、双方ともに苦笑する。
 和人がカウンターの椅子に座ると、エギルも磨いていたグラスを置き、話す姿勢をとった。ちなみに、本名はアンドリュー・ギルバート・ミルズ。カーネギーとかアンナの痛みとかいろいろ浮かんでくるが、関係はない。

和人 「それで? 例の写真はどういうことだ?
    アルブヘイム……っていったか」
エギル「ああ。アルヴヘイムオンライン。妖精の国っつー意味だとさ」

 メールに添付されていた画像を思い出す。
 そこに映っていたのは、拡大しても随分とボケてはいたが……

和人 「名前から察するに、まったり系のVRMMOか?」
エギル「いや、そうでもなさそうだぜ。ドが付くほどのスキル性。
    レベルは存在しない、プレイヤーキルを前提としたものだ。
    まったりどころじゃねぇさ」
和人 「……というと、国がいくつかに分かれていて、敵対してるゲームとかか」
エギル「そういうことだ。スキルの熟練度のみが存在し、それを用いて戦う。
    SAOに魔法は存在しなかったが、こっちは魔法で戦うSAOみたいなもんだ」
和人 「レベルが存在しないんだろ? 身体能力もスキルに含まれてるのか?」
エギル「いや。実際の運動能力がそのまま反映されるらしい」
和人 「…………そりゃハードだ」

 つまり運動能力皆無では敵に囲まれれば終わるということ。
 だがそこで重要になるのが魔法、ということなのだろう。
 運動能力が低かろうが魔法のスキルを上げれば、囲まれようと勝てる。
 そういった類の世界と踏んでよさそうだと頷いた。

エギル「身体能力が本人依存だとしても、こいつが人気なのには理由がある。
    妖精だから羽がある。そいつが、人気な理由の主だ」
和人 「羽。……飛べるとか、そんなところか」
エギル「ああ。バーチャルだろうが空を飛ぶのは人間の夢や願望だろう。
    アルヴヘイムオンラインはそれが可能だ。自分の翼で自由に空を飛べる。
    メールに添付した画像も、
    最終目的である世界樹のてっぺんを根性で写したものらしい」
和人 「最終目的地を根性でって、どんだけ逞しいんだよそいつ」

 アルヴヘイムオンライン。
 ゲーム上の目的は世界樹攻略にあり、頂点に達した種族には翼が与えられる。
 通常の翼には飛行限界時間が設定されており、一定時間飛ぶと羽根が消えてしまう。
 その限界を無くしたものが授けられるというのだから、プレイヤーの皆はその頂を目指した。目指したが、飛行限界ギリギリで飛ぼうとも半分にすら到達しない有様。
 なので何人かが肩車状態で頂を目指し、飛行限界が来れば次が飛び、を繰り返し。
 それでも世界樹の一番下の枝にも辿り着かなかったが、根性で何枚かスクリーンショットを撮った。それが、和人宛に飛ばされたメールに添付されていたものだ。

エギル「まあ、撮った瞬間そいつは真っ逆さま。
    もう一度挑戦しようにもその時点で修正され、
    もう二度と飛行で辿り着くことは出来なくなっちまった」
和人 「そりゃあやられるほうが悪い。出来るわけがないなんて理屈、
    プレイヤーにしてみれば挑戦状みたいなもんだろ」
エギル「ああ。まあ、こんな話はどうでもいいんだ。問題なのは───」
和人 「ああ。問題なのは───」

 エギルは、画像をプリントしたものをカウンターに置いた。
 そこには綺麗な画像とボケた画像があり、ボケた画像は拡大しすぎてボケているだけであり、そこには間違いようもない彼女の姿が。

和人 「アスナ……だよな」
エギル「見間違いか、アバターが異常なまでにそっくりなだけでもなければ確実にな」

 解像度ギリギリまで引き伸ばされたそこに映っている少女。
 巨大な鳥かごのようなものの中で、憂いを帯びた表情で座っていた。

和人 「だとして、なんだってこのゲームの中に?
    調べてみたけど、ナーヴギア後継機専用ソフトってだけで、
    SAOとの繋がりなんてないだろ。普通に考えて、アスナの意識は……」
エギル「ところがそうでもないんだ。RCTプログレス。
    茅場が持っていた管理サーバーが委託された場所の名前だ。
    総合電子機器メーカーの社長の苗字は結城。
    ……病室で知ったが、アスナの苗字も結城だったな。で───」

 エギルが傍にあったひとつのゲームのケースをカウンターに置き、その裏面に書かれた開発会社の名を指差す。
 そこには……RCTプログレスと。

和人 「───! これっ……」
エギル「あんな世界で生きてきて、
    意識をゲームに閉じ込めるなんてことをしちまう人間を知っている。
    なら、意識を戻さず好き勝手に出来る人間を疑うなんてこと、
    オレ達にとっちゃあして当然じゃないか? 茅場の後輩か、その知り合いか。
    はたまた意思を継ぐ者でも居たのかもしれない」
和人 「……茅場本人って可能性は」
エギル「知ってるだろう? 茅場はナナシに殺された時点で脳を焼かれ、死んでいた。
    ニュースにもなったことだ。
    ───まあ、なにが言いたいかっていうとだ。
    SAO開発費に加えて、事件の保証やらで莫大な負債を抱え、
    開発会社である茅場率いるアーガスは解散、消滅。
    その権利はさっき言った通りレクトプログレスに委託された。
    ……その委託されたものの中に、アスナの意識が残されていたとしたら?」
和人 「考えてることが飛び抜けてるな」
エギル「あんな世界を体験しておいて、これくらいの考え方が飛びぬけてる?
    馬鹿ぬかせ。こんなもん、あの世界じゃ常識って言っていいくらいだろう?」
和人 「………」

 エギルは鼻で笑ってみせた。
 なるほど、と和人も笑う。
 だが、そうなると───仮説が真実になる可能性なんて、山ほどある。
 いやむしろあってくれたなら、その世界───アルヴヘイムから彼女をログアウトさせれば、彼女は目覚めるかもしれないのだ。

和人 「エギル。これがSAOの後継なら、ナーヴギアで動くか?」
エギル「ああ。後継機自体は出ているが、ナーヴギアでも問題なく動くそうだ」
和人 「そうか。だったら……真実をこの目で見てやらないとな。
    このソフト、もらっていってもいいか?」
エギル「いや、金は払え。あげるわけないだろう」
和人 「……お前、そこは“別にいいが”くらい気前のいいセリフを……」
エギル「安く仕入れて安く売るがオレのモットーだ。
    そしてそれは……言っただろう、人気なんだ。馬鹿高いんだよ」
和人 「そ……そっか」

 金をしっかり払い(定価分)、消費税はマケてもらってソフトを入手。
 なんだか少し歯がゆい気持ちを味わいつつ、和人はソフトをリュックに入れた。

エギル「ああそれとな。シリカとリズベットにも同じメールを送ったんだが───」
和人 「え? ……まさか、来るのか? ここに?」
エギル「お前みたいなナマイキコゾーならともかく、
    14の子供と活発女子にバーまで来いなんて言えるか」
和人 「それこそあの世界じゃ普通じゃないか」
エギル「そりゃ悪かったな。オレは現実が大好きなんだ」

 この野郎。
 毒づきながらも苦笑した。
 二人にも似たような話が通っているらしく、ここに来たのは和人一人。
 俺にもそうしろよと言いたいところだが、なるほど。
 いくらセキュリティがあるにしても、こんな話はネットでは危険だ。
 それなら真実を知らせるなら和人一人を呼ぶほうが都合がいい。
 そう納得して、和人は席を立った。

エギル「もう行くのか? ウーロン茶くらいなら奢るぜ」
和人 「そこは嘘でもバーボンとか言っとけよ……」
エギル「ああ。ウーロン茶を出そう。ロックでな」

 ニヤリと笑うエギルに、和人はまたも笑う。

和人 「ああ。全部終わったら、その時はみんなでオフ会でもしようか。
    ここ、貸切にして」
エギル「……会費はお前持ちか?」
和人 「“ウーロン茶くらいなら奢る”んだろ?」
エギル「お、おいまさかっ!
    集まってウーロン茶だけ飲むつもりじゃないだろうな! それも奢りだと!?」
和人 「約9000人分のウーロン茶っていくらくらいかかんだろうな」
エギル「……待て。貸切はいいだろう。譲歩する。だが奢りは勘弁してくれ。
    嫁に殺される。冗談抜きでだ。仲間だろう、俺達」
和人 「ははっ……どっかで見た焦りようだな」

 ラグーラビットを食べた日を思い出した。
 今はただ、あんな世界のあんな日々が懐かしく思える。

エギル「ま、まあともかく。おごりは勘弁してくれ。
    調べごともひと段落して、
    明日あたりにでも見舞いに行こうと思っていた矢先にそんな話は勘弁だ」
和人 「見舞いって、アスナの?」
エギル「他に誰が居るんだ」
和人 「急にお前みたいなデカ男が行ったら通報されないか?」
エギル「ギルド・ジークフリードのメンバーとして、
    ひと纏めに感謝されたことがあったろうが。
    その時に名刺も渡してある。怪しいことにはならないさ」

 もちろん冗談だったのだから、エギルも和人もニカッと笑う。
 そうして拳をゴツっとぶつけ合ってから笑みだけをその場に残し、和人はバーをあとにした。

……。

 家に戻ると、和人の妹である桐ヶ谷直葉が縁側に座っていた。
 この寒い中、上はジャージなのに下は短パンという、寒いのか暑いのかどっちかにしろという格好だ。
 そんな格好の少女が「あーん」と包装紙を取った大きいマフィンをバクリと一口。なにかむしゃくしゃすることでもあったのか、大きくかぶりつくどころか口に放り込んでみせた。
 丁度そこに「ただいまー」なんて声をかけたもんだから、うら若き乙女は驚愕。
 “恐怖! 寒空の下、縁側でマフィンを丸呑みにする怪!”というよく解らんテロップが脳裏に浮かぶや、盛大に詰まらせた。

直葉「むぐっ!? んっ、んぐーーーーっ!!」
和人「へっ……!? おわばっ……なにやってんだっ!」

 詰まらせた妹に慌てて駆け寄り、彼女の手が飲み物を求めて彷徨う中、近くにあったパックのオレンジジュースを渡すと……ストローがまだ刺さっていないことに絶望。
 カタカタと真っ青になる妹の前で、これまた慌ててストローを刺して口に運んでやる兄の姿があった。

直葉「ぷあはっ……はっ……し、死ぬかと思った……!
   マフィン怖い……凶器だよこれ……!」
和人「丸々ひとつを口に突っ込むうら若き乙女こそ怪奇だろ」
直葉「うぅう……《かぁあ……!》」

 普段ならなそんなことはしない。
 というか、この兄の……義兄の前でそんなことは絶対にしない。
 居ないと思ったからこその油断であり、もやもやしていたからこその一気食いだ。

和人「……で? そんな、ヤケ食いみたいな真似をする理由は?
   スグは、ちびちび食べて味を堪能するタイプだと思ってたけどな」
直葉「………」
和人「スグ?」
直葉「あのさ、お兄ちゃん」
和人「? ああ……?」
直葉「………」

 直葉はあの日のこと───病院から連絡を受けた日のことを思い出した。
 電話を受けた彼女は母を待たずに病院に向かい、ベッドの上で体を起こして、寝たきりで返事もしなかった人からの懐かしい声で、自分の名前が呼ばれた瞬間のことを強く強く。
 あの瞬間から、自分の中には強い想いが生まれた。
 いつでも近くに居たい。もっと話をしたい。
 そんな様々な気持ちを持ったというのに…………帰ってきてくれた義理の兄は、喜びの顔をそう長く保ってはくれなかった。
 聞いてはいる。
 自分たちが助かったのは、一人の男性が自分を犠牲にしたお陰だって。
 言われるままに肩を貸して、もしかしたらの希望にすがって歩き回っても目当ての人はおらず。
 すぐに看護婦に見つかって戻されたあと、待っていた人に聞かされた話に驚愕。
 男の人は携帯電話で各地に居る他の対策部の人と連絡を取って情報を教えてくれた。
 ただ……その情報は明るいものじゃあなかった。

  誰もが目を覚ましていても、ただ一人、動かない死体があったらしい

 人物の名前を聞いて、兄は泣いた。
 “すまない”と。“ごめん”と言って、弱った体でいつまでも。
 家に帰ってからも、笑顔を見せたりはするけれど、それはSAOを始める前までの笑顔とはまるで違っていた。どんな世界を体験すれば、人はあんな顔が出来るようになるっていうのだろう。そう思ってしまうほど、兄は思いつめていた。

直葉「あっちのこと、知らないあたしがこんなこと言っちゃいけないって解ってるよ?
   でも……今のお兄ちゃんを見てるの、辛いよ。
   せっかく帰ってこれたのに、いっつもいっつもごめんなさいって顔して」
和人「…………スグ」
直葉「なっ……名無子さんって人が、みんなを救うためにその……んじゃった、のは。
   とても悲しいことかもしれないけどっ、でも……」
和人「……あいつさ」
直葉「え───」

 感情が爆発し、閉じ込めていた言葉を全部ぶつけてしまいそうだったところへ、和人は言葉を被せた。
 思いを閉じ込めていたのはなにも、彼女だけではない。
 目の前で人を死なせてしまって、それも“自分が殺されるんじゃ”なんて、ありもしない事実に怯えてしまったことを今でも後悔している。
 誰かに向けて吐き出したところで自己満足にしかならない事実が、今までそれを語らせようとはしなかった。けれどどんなことにも限界ってものはあるのだ。
 隠していた感情は悲鳴をあげるばかり。
 いっそ泣いてしまえれば、過去にし切れてしまえばどれほど楽なのか。
 結局あの世界を生きたほぼ全ての人が、最初はナナシ支援に救われ、最後は彼自身に救われた。そして、そんな感謝も忘れ、今は自分の生き方を確定させるのに忙しい毎日に溺れているのだ。

和人「あいつ……ナナシさ、拾われ子だったんだってさ。
   世間体のために拾われて、なのに家の中じゃ味方が一人しか居なくて。
   だからかな。人を楽しませるのが好きで、いっつも馬鹿やってた」
直葉「………」
和人「俺も随分救われたんだ。死んだら死んじまう世界で、
   本当なら笑ってなんかいられない世界だっただろうに、随分笑った。
   ……多分、今まで生きてきたよりもよっぽど楽しかった。
   おかしいだろ。スグやみんなが心配してくれてる中で、
   俺……デスゲームの中だってのに、怖くはあったけど楽しくもあったんだ」
直葉「…………うん」
和人「その楽しさのほぼがあいつと、あいつの周りにあつまったものがくれたもので、
   きっと……こうして現実に戻ったあとでも、いい友達になれるって思ってた。
   最後の瞬間まで、そう信じて疑わなかった。助かることが頭の中で確定してた。
   誰が約束してくれたわけでもないのに、絶対に助かるって。
   あんまりにも楽しかったから、きっとこのまま最後まで……って」

 “なのに”。
 懐かしむように言う和人の表情が歪む。
 悔しそうに、静かに。

和人「人を疑わなきゃ危険な世界で、あいつは馬鹿みたいに人を信じた。
   俺達のパーティはそりゃあ、周囲が呆れるくらいの仲良しこよしのパーティでさ。
   ソロプレイが好きだった俺が、気づけば人の輪で笑ってるんだよ。信じられるか?
   ……って、あ、あー……」

 思い出したのだろう。悔しそうな表情が一転して笑顔に変わったが、それもまた、思い出したことによりすぐに歪んだ。

和人「……ナナシはVRでの生き方が上手かった。
   以前にもデスゲームみたいな世界を生きたんじゃって思うくらい、
   気の使い方も立ち回り方も上手かった。人の心を支えるのも上手くて、
   現にナナシ支援〜なんて言って、
   多くのプレイヤーに自分が手に入れたアイテムや情報をタダで提供してた。
   でも……そんなことをするから攻略が遅れるんじゃないかって言うやつが居てさ。
   パーティは一度、ナナシを裏切る形で解散になった」
直葉「裏切り……え? な、なんで?」
和人「あいつ一人のほうがさっさと世界を終わらせられるんじゃないかって、
   そう言ってきたやつが居たんだ。
   実際、足手まといなんじゃって自分でも思うくらいに上手かったんだよ、
   あいつの立ち回り方は。だから……」

 だから裏切った。
 そうして一度別れてから、それでももう一度和解して……

和人「それからしばらく離れて、俺は俺で攻略して……。
   でも、和解したんだ。足手まといなんてあいつは思ってなかった。
   言われるままに俺がそう思いこんでただけだったって。
   もう二度と裏切らない。あいつを信じて、ずっと馬鹿やっていこうって……。
   現実に戻ってからも笑っていけるって思ってたのに……!」
直葉「っ……おに……」

 鋭い後悔が喉をつき、嗚咽が漏れる。
 それを無理矢理押し込め、懺悔するように言葉を続ける。

和人「100層について……俺達は茅場と対峙した。
   でもさ、そこにつく前にシステムに介入して、
   俺達は茅場本人をプレイヤーとして認識させることに成功していた。
   自分を破壊不能オブジェクトに設定してプレイヤーたちに紛れ込んでた茅場に、
   俺達と同じ思いを味わわせるためだった」
直葉「う、うん……」
和人「でも……それは間違いだった。
   あいつをプレイヤーに落とした時点で、あいつはボスじゃなくなってたんだ。
   ……当然、ボスを倒さなきゃゲームは終わらない。
   権限を使用して、ボスを再設定して倒さなきゃいけなかった。
   茅場は動揺してる俺達に言ったよ。自分を殺した相手にGM権限を譲るって。
   それで……あいつは誰よりも先に茅場を殺して、権限を得た。
   みんなが恐怖して出来なかったことを率先してやって、
   一番最初に確かめたのは全員を強制ログアウト出来るかどうかだった」
直葉「……出来なかった……んだよ、ね?」
和人「……ああ。そうなれば、もう残る手段は一つしかない。
   ボスを設定して、殺す。それだけだった」

 適当なモンスターをボスに設定すればよかったんじゃと思わなかったわけじゃない。
 けれどそんなこと、あいつが試さない筈がない。
 なによりもまず試した筈だ。
 試したからこそああ言って、“じゃあ”と続けた。

和人「信じてるつもりだったのに、もしかしたらって思った瞬間、俺はナナシに怯えた。
   他の仲間も、多分……その状況を映像として茅場に見せられてたみんなも。
   そんなことにナナシが気づいて……あいつは、俺達全員に裏切られたまま、
   自分を世界のボスにして……自殺した」
直葉「───……」

 声が出なかった。
 え、とも、そんな、とも。
 自分が見ている世界とはあまりにも違うものを、兄は見てきたのだ。

和人「最後の言葉がさ、せいぜい幸せなまま長生きして寿命でくたばれ、だったんだ。
   裏切られたのに、まだ他人の“楽しい”を望んでたんだ。
   あいつは、自分が殺されるんじゃってみんなから恐れられる中、
   ずっと……みんなが無事に帰れる方法を探してくれてたってのにさ……」
直葉「…………でっ…………でも、それはっ……」

 仕方ない。そう、仕方ない。
 自分がボスにされて殺されるのかもなんて思ってしまえば、誰だってそうなる。
 だってあと一歩だったんだ。茅場を……ボスを倒せばゲームクリアなら、そうした時点で救われる筈だった。なのにそれがダメで、希望を絶望に変えられた瞬間に、ボスを決められる権限がその人に移ったりすれば───

和人「……ごめんな、スグ。仕方ないなんて言葉で済ませたら、俺は自分を許せない。
   二度と裏切らないって……根っこのほうでは信じ続けるって誓ってたんだ。
   誰に言わなくても、馬鹿やって笑っていられる自分でいようって。
   なのに……。……〜……っ……信じて、あげられなかった……っ……!」

 とうとう、悔しさのあまりに嗚咽に負けた。
 涙がこぼれ、縁側に座ることで膝の上に置いていた、組んでいた手を額に当てるようにして歯を食い縛る。

和人「あれからずっと考えた……!
   ああするしかなかったのか……出来ることがあったんじゃって……!
   今でも思いだせるあいつの笑顔が、この世界で見れないことが悔しくて……!」
直葉「お兄ちゃん……」

 だからこそ探した。
 なにか自分に出来ることはと。
 そんなもの見つかるとも思っていなかったし、見つかっても自分にしてやれることなのかも解らない。
 ……だから。
 そのきっかけがVRMMOにあるかもしれないと解った時、自分は多分、喜んだ。
 不謹慎だし酷いことだと思う。
 でも……解っていることだ。
 自分が活躍出来たのは、それがゲームだから。解ってるんだ、全部。
 解ってるからこそ……ゲームに囚われているやつを救えるかもしれない。
 解ってるからこそ、そこに希望が持てるのだ。
 泣いている場合じゃない。やれることがあるのなら立たなきゃ嘘だ。
 泣きたいなら泣けばいい。その代わり、泣き終わったら立つ。
 その覚悟を、奮い立たせよう。

直葉「っ───」
和人「《ふわっ……》……え?」

 そう思った時だった。
 ふわりと自分の頭が柔らかいなにかに包まれる。
 なにが、と考えるより先に、その温かさと落ち着く香りに、弱った心が身を委ねたくなってしまう。

直葉「ね、がんばろうよ……。
   大切な人のために出来ることを探すの、そんな簡単に諦めちゃだめだよ……。
   そ、その人のこと、あたしは何も知らないけど……偉そうなこと、言えないけど。
   その人の最後の言葉がそれだったなら、
   お兄ちゃんは……絶対に、悔しがり続けてなんかいちゃだめだよ……」
和人「スグ……」

 直葉は和人の頭を胸に抱き、耳元でそう囁いた。
 もっといい言葉があったかもしれないが、どれだけ考えても思った以上のことなんて浮かばない。取り繕った言葉なんてきっと届かないと思ったから。
 どうしても見ていられなかったのだ。
 まるで小さい子供のように小さく丸まるように泣く兄の姿を。
 だから抱き締め、頭を胸に抱…………き…………───!?

直葉(ハッ……はわぁああぅぁあああっ!!?)

 走る動揺。
 しかし言った言葉も取った行動もそうしたいからしたものであり、ここで急に離れでもしたらいろいろと不都合が。
 なのでいろいろと頭の中で複雑な乙女心を整理しようと試みた。
 ………………整理した結果、自分は義理の兄が好きだという事実だけが残った。
 泣いていいだろうか。兄不幸な妹で申し訳ない。
 そう思っていたのだが、スッと和人が力を抜き、身を預けるようにして泣きだしたことに、そんな考えは吹き飛んだ。
 おかしな思考なんて考える必要もないほど、兄の涙が本物だったからだ。

直葉(……なにか出来ないかな……あたしにも)

 思ったところでなにも出来はしない。
 死んだ人は戻らないのだ、それは世界の法則から見て、どうしようもない常識なのだから。


───……。


 夜になった。
 妹の胸で泣くという悶絶後に切腹モノの恥ずかしさを得た和人は、真っ赤な顔のままにベッドに腰掛ける。
 手に取ったナーヴギアにアルヴヘイムオンラインをセットして、深く溜め息。

和人「切り替えよう……むしろ忘れたい」

 言いながら久しぶりに被り、ベッドに横になった。
 あとはリンクスタートを口にすればいいだけだ。
 もう何人ものプレイヤーがログインし、ログアウトも出来るという人気ゲームだ。
 茅場がそうしたようにデスゲームになる心配もない。

和人「……」

 だからこそ、和人は笑った。
 思うことはひとつ。
 “死んでもいいゲームなんてヌルすぎる”。
 ログアウト出来ずに心配をかけた家族には悪いとは思うが、彼は再び口にする。
 リンクスタート……それを言うだけで、またゲームの世界へ降りるのだ。
 真実をこの目で、とはいうが、言ってしまえば自分がやらなきゃいけない理由には繋がらない。一度あんな世界を体験すれば、普通ならば二度とゲームの世界には行きたいなんて思わないだろう。
 SAOのサーバーが引き継がれたゲームとなれば余計だ。
 だが……自分は、いや、自分だけではない。
 SAOを体験したその全ての人が、たった一人に救われたのだ。
 そして、その救ってくれた恩人の家族が今も囚われているのかもしれない。
 だったら……仲間でもあり恩人の義妹である彼女を救わなければ、いったいなにに対して胸を張って、この命を謳歌すればいいのか。

和人「……リンク、スタート!」

 ならば今さらこの言葉を口にすることに躊躇はない。
 新たなる世界へ旅立ち、真実を目にし、救えるのなら必ず救う。
 そんな決心を胸に、和人はアルヴヘイムオンラインの世界へと旅立った。

和人「………」

 アルヴヘイムオンラインへようこそ、の言葉とともに、初期設定画面が開かれる。
 既に見える景色は仮想空間。
 その場に立ち、目の前に出現した画像と半透明のキーボードを前に、設定をする。
 名前はkirito……キリトにし、九つから選べる種族の中で選んだのは黒が主体の種族、スプリガン。確定の質問に対しOKを選択すると、キャラフェイスなどはランダムで設定され、少しののちにスプリガン領のホームタウンへ転送しますの言葉ののちに、一気に世界は弾けた。
 ……真っ逆さまに。

キリト「へっ……!? へあぁっ!? なっ、どっ!
    どうなってるんだぁああーーーーーっ!!!」

 転送された景色は実に鮮やかで……あまりに絶景だった。
 見下ろせばスプリガン領(多分)。
 当然だ、上空すぎる上に、彼は今落下していた。

キリト「これがアルヴヘイムオンラインの洗礼みたいなもんなのか!?
    みんなこんなニューゲーム味わってるのか!?」

 なんてことを叫んだ瞬間、そういえばエギルが“空を飛べる”だのどうのと言っていたことを思い出す。つまりこれは、まずは飛んで落下を防げということで───

キリト「そ、そっか! 早速醍醐味を味わえってことで───…………」

 待て。これ、どうやって飛ぶんだ?

キリト「…………!」

 本日の教訓。
 ゲームに慣れているからといってなんでも無視せず、説明書はちゃんと読みましょう。

キリト「おぉおおおあぁぁああああああああああっ!!!!」

 叫びながら落下した。
 叫んだところでもちろん落下速度は緩まず、そのまま顔面から地面に激突。
 途中、景色が削れた暗闇に落ちたような気もしたが、目を開けて見た地面は……草のある大地だ。真っ暗で冷たい闇なんかではない。

キリト「いっ……ぢぢぢぢ……! っはぁ〜〜〜っ……!」

 どしゃりと倒れてからすぐに立ち上がると、まず調べるのは当然ログアウト。
 SAOのように右手を振ってコマンド画面を出そうとするが……出ない。
 まさか今度はメニューすら出せないんじゃと焦るが、左手を振るってみると出てくれた。ひとまず安堵。次にログアウトを探してみれば……きちんとあることにさらに安堵。

キリト「あった……よかった……」

 安心はそこまで。
 次にスプリガンの特性を知るためにステータス画面を開いてみた。
 するとどうだろう。
 生命力が1200、魔力が2400、スキルは片手剣が1000でカンスト状態。
 すぐ下の項目は??????????とバグっており、投剣、武器防御、戦闘時回復、索敵、追跡、隠蔽、暗視、限界重量拡張、疾走……数えればキリがないスキルは全て1000で止まっている。
 どれも見覚えがあるスキルであり、言ってしまえばそれはSAOで育てたスキルそのものだった。つまり片手剣の下の?????は……二刀流。

キリト「これ……SAOのパラメータと同じ……!?」

 自分で呟いて、エギルが言っていた言葉が自分の中でしっくりくるのを感じた。
 SAOのサーバーの引継ぎに、囚われたままの300人。
 やっぱりこの世界は……形こそ違うものの、SAOの設定を引き継いだ世界。
 名前とナーヴギアのデータの一致によって、SAOのデータが引き継がれたのだ。

キリト「コピーだろうと上書きだろうと構わない……こっちにとっちゃ好都合だ」

 これなら攻略に困難はない。
 本人の身体能力に依存するっていうなら、SAOで鍛えた能力に勝る身体能力なんてありはしない。軽くジャンプしてみればあっさりと木を越える自分に、思わず笑ってしまった。
 そこまで跳んでみて、今が夜であり……明らかにその場がスプリガン領とやらのホームタウンではないことに気がついた。ホームタウンと言っていたくせに人が居ないのだ、間違い無い。
 どうやらバグで何処かに飛ばされてしまったらしい。

キリト「アイテムは……ダメだな、苦労して集めたもの全部バグってら」

 アイテム欄は全て“?????”で埋め尽くされていた。
 こういうものはチート行為で見られる現象にもあるものだ。
 エラー検出プログラムに引っかかる前に全部捨てるべきだろう。
 その代わり、金は……よかった、きちんとこの世界での金として数えられている。
 ……ちょっと、いやかなり、とんでもないくらい、金額がおかしいが。

キリト「……いや、いまはいい。とにかく情報を集めないと……」

 バグの所為でチュートリアル的なものは全て省略されてしまったと考えていい。
 だったら今はプレイヤーを探して、そいつからこの世界の情報を掻き集めるべきだ。
 ひとまずはアイテム欄からアイテムの全てを捨てて、スプリガンの初期装備である剣を片手に溜め息。
 捨てたものの中にはLAで思い出深いものもあった。
 リズベットに鍛えてもらった武器もあった。
 ……エギルを経由して、ナナシから買った武器も。
 心の中でごめんと唱えて歩き出す。

キリト「誰だか知らないが、人の苦労と死の先にある世界を利用して、
    悪夢を終わらせないクソ野郎に……抗い続けた人の強さってのを見せてやる」

 世界樹だかなんだか知らないが、ようは攻略してしまえばいいのだ。
 攻略して、アスナを必ず救い出す。
 もう、それくらいしかしてやれることがないのだから。

……。

 夜の世界を進む。
 敵とは……今のところ遭遇していない。

キリト「まいったな。向かう場所が解らない上に現在地も解らない。
    最寄の街でもなんでもいいから、どこか近くに……」

 というか、飛べれば空から探せるのに。
 ジャンプして見てみようにも、一本の木を越えた程度ではこの世界は見渡せない。
 明かりが見えたりはするが、それを辿って辿り着いても木が光っていただけだったり草だったりと、あまり当てにはならなかった。
 妖精の世界なのだ、メルヘン要素は多いのかもしれない。

キリト「空はこんなにも綺麗なのにな」

 見上げる夜空には幾つかの雲が存在する程度で、夜なのに明るく、綺麗だった。
 あんな空を自由に飛べるのなら、確かに心ときめくものがある。
 しかし飛び方を知らない自分にしてみれば悲しいだけだ。

キリト「あ……いや待てよ? ログアウト項目の上にヘルプがあったような」

 と、メニューを開こうとしたその時だった。

キリト「……ン」

 遠くの空に、人影幾つか。
 目を細め、索敵スキルの応用で見てみれば、どうやらプレイヤーらしい。一人の……シルフらしい種族の女性を、赤い甲冑を着た複数のプレイヤーが追っている。

キリト「プレイヤーキル推奨ゲーム、だっけ。なるほど」

 来て早々にそんな場面に出くわすとは。
 しかしまあなんだろう。彼女が狙われている理由も知らなければ、別に見捨てるのが礼儀的な場面でもあるし、入ったばかりの自分がしゃしゃり出る場面でもないのでは、という考えが沸いたのだが……そもそもだ。
 そもそも、俺はそう、入りたてで何も知らない。
 で、追われている女性を助けて、お礼にいろいろ教えてもらう、なんてのはどうか。

キリト「……《にたぁ》」

 悪い顔してる。
 今自分は絶対に悪い顔をしている。
 主にナナシと悪巧みをしていた時のような顔だ。間違い無い。
 自覚しつつも堪えられず、彼は笑った。
 笑ってから……疾走スキルを最大に利用し、空を飛ぶ影を追った。
 呆れる速度で、呆れる跳躍力で。
 疾走で距離を詰めてからは跳躍で木の枝を蹴り弾き、空は飛べずとも空を飛ぶ男……サラマンダーの種族らしい男の傍まで跳ぶと、にこりと笑って訊ねる。

キリト「なぁ。よってたかって一人追い詰めて、なにが目的なんだ?」
男1 「なにって、任務だろーが───ってスプリガン!?」
キリト「任務ね……ちょっと失礼っ」
男1 「《どずっ》おわぁっ!? てめっ! なに人の上に───」
キリト「じゃ、今から俺も任務だ。お前らを落とす。悪いな、任務だから恨むなよ」
男1 「はぁ!? てめ、ふざけ《ゾブシャア!》うげぇええああああっ!!!」

 怒った赤い甲冑男を背中から剣で貫き、消えるより先に蹴り弾いては前をゆくサラマンダーの男に飛び乗る。

男2 「おぁっ!? なんだ!? 誰だか知らないが任務中にふざけ───」
キリト「死なない世界だからって、串刺しって後味悪いって思わないかぁ……?」
男2 「なっ……誰だテメ《ゾンッ》えぎゅっ……」
キリト「まあ、あっちの女の子が先に切り捨てたから安心して出来るんだけどな」

 殺しても死なない世界。
 殺せば死ぬ世界を体験して、そこに囚われていた身としては、確信が持てるまでは人を斬りたくはなかった。
 しかし離れた位置に居るシルフの女性はサラマンダーの男を斬り、消滅させていた。
 男は体が燃えたように赤い炎に包まれ消える。あれがこの世界でのリタイアエフェクトのようだ。
 そんな光景を見ながら人から人へと飛び移って近づくうち、近接攻撃に気をとられていたシルフの女性が遠距離魔法で打ち落とされる。
 直撃だ。無事ではすまないだろう。
 キリトは慌てて飛び降りると、落下した女性を追った。

……。

 シルフの女の子は、ここらじゃ一番大きな木を背に立っていた。
 手に持つ剣は鈍く輝き、それはキリトに向けて構えられている。

キリト「あれ?」

 ちょっと待った。助けにきてどうして剣を向けられてんだ?
 とても疑問ではあったが、誤解ならば解かなければ。

キリト 「ちょっと待った、誤解だ、俺はべつに敵対したいわけじゃ」
????「敵だって言って近づくヤツが居るわけないでしょ」

 ごもっとも。
 頬をコリ……と掻いたのち、両手を軽くあげて降参の意を示す。
 次いで、アイテムストレージと武具を見せて誤解であることを説明。

????「うわっ……なんも持ってない……なに? 初心者なの?」
キリト 「ついさっき始めたばっかなのに、画面がバグってこの森に落とされたんだ。
     チュートリアルみたいなものもないし、何処にいけばいいのかも解らない。
     ヘルプを開こうとしたら、よってたかって女の子を追うやつらを見つけた」
????「で、追ってきた? 無茶するね、初心者じゃあ逆立ちしたって勝てないのに」
キリト 「や、身体能力には自信があるんだ。そこいらの人には負けない。
     この世界って反射神経とかの伝達速度がキャラに影響されるんだろ?
     なら大丈夫。他のVRMMOで随分鍛えたから」

 他のVRMMO。
 そう聞いたシルフの少女は小さく疑問を抱いた。
 他のVRMMOって。SAOとALO以外に出てたっけ、と。
 もしかしたらSAO経験者? ううん、デスゲームのあとにVRMMOをまたやるなんて正気じゃない。ってことは、あたしが知らないだけで別にあったんだ。
 そう結論づけて、苦笑をもらして返事をした。

????「……それもそっか。
     じゃなきゃ、そんな初期装備であいつら倒せるわけないもんね」
キリト 「それで、あー……その。助けたお礼とか要求するようで悪いんだけど、
     この世界のこと、教えてくれないか? なにより…………」

 ちらりと視線を動かす。
 おそらく、どの地方に居ようとも見上げれば見えるであろう、大きな樹を。

キリト 「あの樹のことを」
????「……───ん、いいよ。ついでに一杯おごっちゃおう。
     こう見えてもあたし、結構古参なんだ。
     解らないことがあるならどんと頼ってくれていいよ」

 この世界に立っているのに、目的である世界樹のことも知らないのか。
 そんな風に思った彼女は、鼻を伸ばす勢いで胸を張ってみせた。
 やたら大きな胸がゆさりと揺れる……が、キリトは別に気にしちゃいなかった。

キリト 「俺はキリト。よろしく。一応えーと、スプリガン……だっけ?」
????「あはは、だっけ、って。ほんと初心者なんだねきみ。あたしはリーファ。
     見ての通りシルフだけど……はは、きみには見てのとおりじゃ通じないか」
キリト 「む……他のVRで経験積んでるって言ったろ、それくらい解るさ」

 むすりとして言う姿に、ますます少女……リーファは笑った。

リーファ「そっかそっかぁ。じゃあ経験豊富なキリト君。
     ちょっと遠いけど先に行った場所に中立の街があるから、そこで奢るよ」
キリト 「中立? ……ああ、プレイヤーキル推奨系VRだもんな。
     そりゃ、敵対関係とかもあるか。……どの世界も同じなんだな、そういうの」
リーファ「きみがやってたVRもそんなのがあったの?」
キリト 「……生きるのが辛くなるくらい、生きることに執着しなきゃいけない世界だ。
     矛盾してるだろうけど、あんな最後じゃ誰だってそう思うさ」
リーファ「最後……へぇ。それってクリアしたからこっちにきたってこと?
     じゃあすごいプレイヤーなんだね、キリト君は」
キリト 「………」

 本当に凄いのは、自分以外の全員を救うために自殺出来る男だろう。
 思わず“そんなことはない”と搾り出しそうになる口を引き締め、言葉を飲み込む。

キリト 「大切な友達が居て……そいつの妹が今、この世界で困ってるって聞いてさ。
     助けてあげたいんだ」
リーファ「ふぅん……」

 リアルの友達かなんかかな。
 リーファはそう結論づけて、まあいいやと笑った。
 なにより俯いて言葉を発する姿が、彼女の知る人とダブって見えたから、彼女の中でキリトを助けてやらないという選択肢はあっさりと消えてしまっていた。

キリト 「あ……ところで一番近い街って?
     俺、別に中立の場所じゃなくてもいいんだけど」
リーファ「え? それ本気で言ってる?
     一番近いのはシルフ領のスイルベーンって街だけど、
     スプリガンのきみが入ったら、きみは相手に攻撃できないけど、
     シルフはきみに攻撃出来るってルールがシステム自体にあるんだよ?」
キリト 「別に争うつもりはないって。そんな、即攻撃してくるわけでもないんだろ?
     いざとなったら逃げるって。言ったろ? 身体能力には自信があるんだ」

 それに、シルフ領って綺麗なイメージがあるから見てみたい。
 そう続けられては、愛着のある領を褒められているようで悪い気はしない。
 仕方ないなぁと溜め息を吐きつつも顔が緩むのは、それこそ仕方ないことだった。

リーファ「じゃあ行こうか。命の保証はしないけど、いいよね?」
キリト 「ああ。えと、どっち?」
リーファ「こっちを真っ直ぐ」
キリト 「そっか。真っ直ぐね……よしっ!《ギュオッ!!》」
リーファ「え? あ、ちょっ───速ぁああーーーーーーっ!!?」

 教えた途端に走った姿がもう見えない。
 慌てて空を飛んだ彼女は空から彼の姿を確認、全速力で飛行して追うこととなった。

リーファ「自信があるとかそういう次元の話なの!? あれっ……もうっ!」

 ともかく追うしかないので飛行を続けた。
 続けて、続けて……「スプリガンが攻めてきたぞーーーっ!」……なんて言葉を聞いたのは、それから少しあとのスイルベーンでのことだ。あたまいたい。

……。

 結局、初心者ということで見逃してもらったキリトは、たははと笑いつつリーファに保護されていた。
 道を歩く中、たははと苦笑するのはキリトだけだ。
 リーファは呆れ顔のままに先を歩いている。

キリト「いや、面目ない。
    攻撃はされなかったけど、随分笑いものにされて困ってたんだ」

 敵対関係も知らないなんてどこのガキだって爆笑されていたのを拾ったリーファは、それはもう恥ずかしい思いをした。
 まるで迷子の子を引き取りにきた保護者のような気分だった。

リーファ「身体能力が高いのはわかったから、もうあんな無茶しないでよね……」

 寿命が縮む思いだ。
 自分が教えた街で初心者狩りなんて起こったら目覚めが悪い。
 そんな思いが通じたのか、キリトはまた面目ないと頭を下げ、素直に従った。
 とはいえ、知りたいことを知るまでが彼女とともに居る理由だ。
 教えてもらえばそれなりの感謝はするだろうが、向かう先は別だ。
 必要な無茶がある場面で無茶が出来ないほど、良い子ちゃんではないのだ。

キリト 「それで……」
リーファ「はいここ」
キリト 「へ?」

 立ち止まり、ピッと指差された場所。
 そこは“すずらん亭”という店であり、リーファが贔屓にしている場所らしい。
 促されるままに入ってみるが、店に客は一人もおらず、静かなものだった。

キリト 「静かだな」
リーファ「夜でも、ひと仕事終えてごくろーさーんって言うには早いでしょ?」
キリト 「なるほど、そりゃそうだ」

 奥の席にリーファが座ると、キリトもそれに習う。
 あたしが持つから好きに頼んでとの言葉に頷き、メニューに目を通すと早速注文。
 来た飲み物をカツンとぶつけ、「改めて、助けてくれてありがと」の声に笑みを返す。

キリト 「えらい好戦的な連中だったけど……ああいう集団PKって珍しくないのか?」
リーファ「世界樹攻略に向けて気が立ってるんだと思う。
     領地が隣り合ってて、中立の狩場でも鉢合わせして、
     仲はそりゃもうよくないのは確かなんだけどね。
     だからって見境無しに襲ってくるなんてこと、してはこないわよ」
キリト 「世界樹攻略ね……って、どうしてそれが集団PKに繋がるんだ?」
リーファ「倒した相手からはランダムでアイテムを奪えるの。
     あ、非・装備アイテムだけね? 所持してるものの中から30パーセント」
キリト 「結構ごっそり持っていかれるんだな……」
リーファ「うん。おまけにデスペナルティまであるから、
     殺されるのだけはなんとしても避けたいって、
     自分からアイテム置いて見逃してもらうって人も居るくらい」
キリト 「……キルして、そのまま来ちゃったけど。俺、ひょっとして損した?」
リーファ「なにか持ってたら初心者って認めなかっただろうし、結果オーライ?」
キリト 「そこは疑問系じゃなくてスッパリ言ってほしかった」

 まあいい。元々、世界樹の上だけが目的なのだから。
 切り替えると、本題へと移る。

キリト 「で、世界樹なんだけど。世界樹攻略ってことは、
     やっぱ生半可なことじゃ攻略出来ないってことだよな?」
リーファ「まあね。正攻法じゃ攻略できないとまで言われてるくらいで、
     むしろ最近じゃ永久に無理なんじゃないかとも言われてる」
キリト 「種族同士で協力して、ってのは?」
リーファ「……このゲーム、先に到達した種族がゲームクリアの条件を得られるの。
     そんな条件下で協力なんて、矛盾してるでしょ?」
キリト 「……確かに」

 どれだけ協力しても先に到達した種族だけがクリアじゃあ、協力した種族が馬鹿だ。
 
リーファ「一番先に到達した種族にだけ、永久的に空を飛べる翅が授けられる。
     それを知っていて、他の種族を先に、なんて許すはずがない」
キリト 「だから争い続けてるってわけか」

 ここに来るまでの間、シルフらにじろじろと見られていた理由がよくわかった。
 この世界がデスゲームじゃなくて本当によかったと心から思える。

キリト 「世界樹の上に行く方法っていうのは?」
リーファ「根元の内側が大きなドームになっていて、
     そこから飛んで空中都市に行けるようになっているの。
     でもそこを守るガーディアンNPCが凄い強さで、
     今までどんな強い勢力が挑んでもあっという間に全滅」
キリト 「そんなに……?」
リーファ「もうオープンして一年近くになるこのALOだけど、
     一年近くもかけて攻略できないクエスト。
     ……そう言えば、どれだけ馬鹿げてるか解るでしょ?」
キリト 「なるほど、そりゃそうだ……───って関係ない話するけど、
     ALOってのはアルヴヘイムオンラインの略だよな?」
リーファ「え? ああ、うん、そうだけど。って、ちょっと」
キリト 「なんでAHOに───」
リーファ「はぁ、やっぱり。あのさ、……ローマ字」
キリト 「……ロー……? ───ああ、そっか。アホ、になるからか」

 納得したところで気分を切り替え、食事を終えてから席を立つ。
 なんにせよ行かなければいけない。
 期間は……アスナが眠ったまま結婚させられるまで。
 それで起こして、アスナの意思をしっかり聞かなければ仲間としても、あいつの……友達、としても、この婚約……認められない!
 ていうか、もしかしていつかアスナが言ってた財産目当てでジロジロ見てくるヤツって……その婚約者のことなんじゃ……?
 待てよ? エギルがレクト関連のことでアスナの苗字を出していて、その部下が家族同然の付き合いのアスナと結婚するかもしれない相手で……いや、いやいや、それこそ待て。そう都合のいいことが……でも。

キリト(引き継いだシステムサーバーを利用して、
    自分を嫌っているアスナをこの世界に閉じ込めておいて、
    現実ではアスナの知らないうちに結婚してゆくゆくは財産を……とか、なんて)

 そもそも苗字が同じだからってそうだとは限らない。
 でも結構金持ちだって聞いた。実際の兄が後を継ぐためにどーのこーのとか世間体がどーのとか、そもそも財産がどうとか言ってる時点でなんかもう。

キリト(……そうじゃなかったとしても、一応頭に入れておこう。
    現実で出来ることが、一つでも増えるかもしれない)

 確証なんてものがなくてもいい。
 ゲームでしか強くあれない自分でも出来ることを、ひとつでも。

リーファ「キリト君?」
キリト 「え? あ……ありがとな、リーファ。いろいろ教えてくれて助かったよ。
     ここで最初に出会えた人がきみでよかった」

 じゃあ、と。食べた食事の礼を口にして、立ち上がる。
 が、すぐにその腕が掴まれる。

リーファ「ま、待ってよ。まさか世界樹に行く気なの?」
キリト 「それくらいしか出来ることがないんだ。してやれないんだ。
     だから……行かないと、なにも終わらないんだよ。
     努力して届くかもしれないならやらない理由が見つからない。
     それだけのことをする覚悟なら、もう決まってる」

 だから、と。掴まれていない手でリーファの頭をやさしく撫でた。
 妹にやるように、やさしく、やさしく。
 ……死んでも死なない世界で、死ぬ気で努力すれば届くかもしれないものがある。
 だったら、それしかしてやれない自分は、それをするしかないのだ。
 そんなことしか出来ないのだから。
 自身の無力感に思わず俯いてしまうが、そんな目をリーファは見上げ、ハッとした。

リーファ「じゃあ、あたしが連れてってあげる」
キリト 「え?」

 途端そう言い、ハッシと頭を撫でていた手を掴む。
 キリトは思わずきょとんとしたが、どうにも整理できず、慌てながらも言葉を出す。

キリト 「……あ、いや……え? ……ちょ、ちょっと待った。
     さすがに会ったばかりの人に頼むのは」
リーファ「いいの! もう決めたの!」

 リーファはそう返しながらも慌てていた。
 会ったばかりの人……まさしくその通りだ。
 でも……放っておけないと思ったのだ。
 無力感に歯噛みするような表情が、自分の大切な人にあまりにも似ていたから。
 
リーファ「……すごく遠くて、途中で強いモンスターもいっぱい出てくる。
     そんなこと言っても、止まる気なんてないんでしょ?」
キリト 「……ああ。どうしても、行かなきゃいけないんだ」
リーファ「っ……」

 俯き、悔しそうに歪む表情を前に、リーファは思った。

リーファ(やっぱり似てる……)

 悔しさばかりに囚われてしまっている、自分のよく知る人に。
 掴んでいたキリトの手をキュッと握って、自分の唇も軽く噛んだ。
 今、自分はすごいことを考えている。
 やらかすこともとんでもないことだろう。

リーファ(スプリガンのために領を出るって……裏切り行為だよね)

 レネゲイド……領地を捨てた背教者を、この世界ではそう呼んでいる。
 自分がそうなるかもしれない日がくるとは思ってもみなかった。
 でもいい加減、新しい風を感じたいとも思っていた。
 だから……これは、きっといいきっかけだったのだ。
 
リーファ(うん。だからあたしが、キリト君をアルンまで…………アルンまで?)

 ハタと気づく。
 世界樹があるアルンは遠い。とても遠い。
 片道でも一日二日では無理だし、そうなればどこかで泊まる必要があって……。
 あ、あれ? もしかしてあたしはとんでもないことを言ったんじゃ?
 これって軽い小旅行並みの距離で……泊まり? 会ったばっかりの他種族の男と?

リーファ「〜〜〜〜〜っ《かぁああああっ!!》」

 ……い、いや、大丈夫だ、問題ない!
 だって別にこの世界で泊まる必要なんてないんだし、夜遅くなったらログアウトすればいいんだし!
 そう、そうだ、焦るな焦るな。冷静に。……うん、大丈夫。

リーファ「あ、あのさ。明日もイン出来る?」
キリト 「へ? あー……ああ、そりゃあ、出来るけど」
リーファ「じゃあ三時にここでね! あたしもう落ちなくちゃいけないからっ!
     あ、あー! ログアウトはこの上の宿屋でやってねそれじゃあ!」

 全然大丈夫じゃなかった。
 喋れば喋るほど慌てて、立て続けに語った言葉は動揺のためか、文字通り動いて揺れていた。
 しかし言いたいことは言ったのであとはログアウト「あ、待ってくれ!」───できなかった。呼び止められて思わずメニューから顔をあげれば、そこにはコリ……と頬を掻くキリト君。
 そんな彼がにっこりと笑い、「───ありがとう」と感情を込めて言った。
 ……焦りつつも深呼吸。こちらこそーとかよく解らないテンションで叫びそうになったが、なんとか飲み込んでこれまたなんとか微笑み、頷いて返してからログアウトした。

……。

 ……うっすらと目を開けると見える天井。
 見慣れたそこには大空を鳥の群れとともに飛ぶリーファの姿がある。
 撮ってもらったスクリーンショットを引き伸ばしてポスターにしたものだ。
 そんな自分のアバターを客観的に見るに至り、ようやく現実に戻ってきたのだと強く実感し───た、ところで顔と言わず体が真っ赤になり、彼女───桐ヶ谷直葉は悶絶した。

直葉「はぁあっ……はわぁぅ……うぁああうあぅあぁああ〜〜〜〜〜っ!!!」

 抱き枕を抱いて、仮想ダイヴシステムであるアミュスフィアを外すと遠慮無用に悶絶した。
 なんてことをしてしまったのだろう。
 なんてことを、出会ったばかりの人にあんな……!
 これはあれか。あれなのか。
 もしこのまま領を出て、誰かに見つかったりでもしたら……あたしがキリト君に一目惚れして駆け落ちしたってことになるのか。

直葉「う、うー! うーーーーっ!」

 悶絶度が増した。
 でも……放っておけなかったのだ。
 自分の無力感に押し潰されそうになっているようなあの顔が、今日……胸に抱き締めたあの人にあまりにも似ていたから。

直葉(………)

 現実世界で自分に出来ることなんてなにもない。
 それならせめて、何かが出来るゲームの中でくらい誰かを救ってみせたかった。
 それが自分の満足にしかならないものなのだとしても、何かが出来る証明がほしかった。

直葉「キリト君、か」

 おかしな人だった。
 まるっきり初心者な筈なのにサラマンダーを倒しちゃうし、じゃあ初心者じゃないのかと思えばなんにも知らないし。

直葉「………」

 いや、おかしいのは自分もだ。
 放っておけなかったからって、スプリガンを……敵対種族を世界樹まで道案内だ。
 味方のシルフからしてみれば不穏な行動以外のなにものでもないし、世界樹攻略の手助けともなれば裏切り行為そのものだ。
 けど、だというのにわくわくしている自分に気がつく。
 こんな気持ちは久しぶりだ。

直葉(そうだ。あたしは───)

 あの空が好きだった。
 自由に飛び回っても誰にも咎められないあの頃の空が。
 反射神経などがモノをいい、いつしか五強なんてものに数えられる前は、それはもう自由だったはずなのに。
 挑まれるままに戦って、剣道で培った力のお陰で勝てて、勝つたびにシルフ領での地位があがって。気づけば自由であった翅にはずしりと重い、理不尽な“不自由”がついてまわった。勝手な行動をとれば咎められ、インしなければいけない時間までもが設けられ、楽しむための世界が義務だらけの世界になってしまっていた。
 気づけば最初の頃から抱いていたわくわくは消え、兄を奪っていった仮想世界への苛立ちがぶり返してくるほどにまで至っていたのに。

直葉(お兄ちゃんを寝たきりにしたゲームなんて、って……)

 そもそも最初は嫌っていた世界。
 でも、お兄ちゃんがあれだけ自分を没頭させることが出来た世界を、いつしか見てみたいと思っていた。思ってしまえば、行動は早かった。強く思ってしまえば自分をコントロールできないあたしは、学校の中でもゲームに詳しい人物を屋上に呼び出して、何故かカチンコチンに緊張している彼にゲームのことを訊ねた。
 そうして至った世界がアルヴヘイムオンラインだった。
 スキルと個人の実力がモノを言う世界。
 相手の攻撃を避けるなんていう面倒なことはせず、斬られれば思いきり斬り返すような世界で、あたしは避ける方法を取り、戦いにも勝っていった。こんなところで剣道が役立つだなんて、プレイ当初は思ってなかった。本当だ。
 なにより飛ぶことの喜びが、あの世界に没頭させた。
 野蛮なだけの世界だったらきっと、既にやめていただろう。
 戦いばかりで裏切られたり不信を抱いたりし続けるだけの世界なら、お兄ちゃんを奪った世界はこの程度のものだったと……すぐに蹴っていたはずだ。

直葉(レネゲイドかぁ)

 ふと気がつけばそんな輝きも消え、地位と義理に縛られた日々を生きていた。
 そんな世界とさよならする勇気はもう、胸の中のわくわくが生み出してくれている。
 たくさんの人に迷惑をかけるだろう。同じ種族の人からは随分と嫌われるだろう。
 でも……そうまでしてでも自由を選ぶ理由があったからこそ、レネゲイドという存在は生まれたんだと今なら解る気がする。

直葉(問題なのは動機だけなんだよね。
   会ったばかりのスプリガンとシルフ領を出ます、なんて)

 顔がジンと熱くなるのを感じてまた悶絶。
 でも決めた。キリト君にも言ったように、もう決めたのだ。
 あたしはあたしの目的のためにシルフ領を出る。
 効率ばかりを求めて、個人の楽しみ方を押さえつける世界の空なんて、もう飛びたくない。
 一時のわくわくのためにいろんなものを捨てることになっても、それが出来る世界がゲームなんだと今は思おう。
 思って、飛び立てばいい。いつか感じた翅の軽さとともに、なにものにも縛られていなかったあの初めての空へと。
 高く、高く。





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