20/人形が煮える的な名前のアレ

 夏休みが本格的に終盤になる頃。
 とある噂がトリステインに広まっていた。

モンモランシー「そういえば聞いた? ギーシュ」
ギーシュ   「なにをだい? 僕のモンモランシー」

 その噂は貴族平民を問わず、静かに、しかし確実に。

メイド1「ちょっとちょっと、聞いた?」
メイド2「え? なにを?」

 もちろん、王族の耳にも届き───

アンリエッタ「まあ。これは───」
ウェールズ 「はは、これは確認するまでもないね」

 やがては、使い魔の耳にも。

才人 「貴族に買われた平民の娘が姿を消してる?」
ルイズ「そうなのよ。それも、綺麗な子ばっかり」
才人 「綺麗って、じゃあ女の子ってことか?」
ルイズ「そう。まあ体目当ての貴族なんだから、顔がいい子を選ぶのは当然だろうけど」

 トリステイン王立魔法学院。
 その女子寮で、平賀才人は首を傾げて問うた。
 返された言葉は肯定。
 なんでも、綺麗な平民や没落貴族の女に目をつけた貴族、それらに買われた女の子が、忽然と姿を消すらしい。

才人 「なんだそれ、神隠しとかか?」
ルイズ「違うらしいわ。本当に姿を消すんじゃなくて、むしろ逆に買われていくの。
    何人かのスケベで有名な貴族は“消えた”だのなんだのと言ってるらしいけど、
    間が差しただけの貴族とかは“取り引き”をして手放した、って言っているわ」
才人 「………」
ルイズ「あと、この神の癒し手っていうのも気になってて───サイト?」
才人 「あ、いや」

 才人は思った。ちょっと心当たりあるかなぁ、と。

 ───さて。
 話は十数日前に遡る。
 リッシュモンが捕らえられ、捕り物に協力したとある馬鹿者は、アンリエッタに褒美として金銭を───

中井出「いらん」

 ならば騎士勲章を───

中井出「いらん!」

 ならば裏切られたために領主不在のド・ワルドの領地を───

中井出「いらんっ!」

 ならば普通に爵位を───

中井出「いらんって!」

 ならばオルニエール領地を───

中井出   「いらんって言っておろうが!!」
アンリエッタ「何故ですか!」
中井出   「だから領地とか騎士勲章なんてもらったら、
       トリステインのためだけにしか行動できなくなるでしょうが!
       そういうのは才人にやってよ! 僕いらない!」
アンリエッタ「まあ! とんでもない!
       褒賞とは功績を残したものが受け取るべきです!
       それを誰かに譲渡することは、
       その功績に対する人々の感謝を、他人に放るのと同じことですわ!」
中井出   「ぬぐぅ! 何気に痛いところを!
       でも僕は楽しんでもらいたかっただけであって、
       一方的に楽しいを提供した身! そこに報酬なんて貰ったら気分悪いよ!
       感謝を放るだのなんだのっていうなら、感謝だけください!
       モノはいらないから! 大体功績なんて呼べることやってないよ!?」
アンリエッタ「それこそとんでもない! この世界では誰もが出来ぬことをやっておいて、
       どの口がそのようなことを! ルイズに、使い魔さんに、マザリーニに、
       わたくしを鍛えることや冒険させること、
       ウェールズを救うことが出来ますか!? 仰ってくださいまし!」
中井出   「グッ……ググーーーッ!!」
アンリエッタ「それにこのまま帰したのでは、
       わたくしの気が済みませんから一方的にお断りしますわ!」
中井出   「お、おのれぇええ!! 無駄に逞しくなりおってぇえええ!!」

 トリステイン王宮に呼び出された彼、中井出博光は、こんなやり取りをかれこれ30分は続けていた。アンリエッタの隣で苦笑するウェールズの行動はもっともである。苦笑したくもなる。

アンリエッタ「とにかく! 今度という今度は褒美を受け取っていただきます!」
中井出   「お前には出来ないかもしれない《キリッ》」
アンリエッタ「大体、今ヒロミツさんは何処で寝泊りしているのですか?
       宿? それとも男子寮に?
       ルイズからはそういった報告は受けていませんが」
中井出   「え? 野宿だけど?」
アンリエッタ「《サラサラサラサラ》……ここにサインを」
中井出   「ホイ? なにこれ」

 差し出された紙切れを見て、ウェールズに「読んで」と願う。
 彼は素直に答えた。「領地譲渡に関する───」「いらんってば!!」即答である。

アンリエッタ「わたくしの大切なお友達であるヒロミツさんが野宿だなんて!
       いくら自然と関係が深いからといって、限度がありますわ!」
中井出   「ぼ、僕の勝手だろ!?」

 そしてまた、「書いてくださいまし!」「書きません!」の応酬。
 ウェールズは疲れたような溜め息を吐くしかなかった。

アンリエッタ「……どうしても受け取ってはくださいませんか?」
中井出   「くどい!」
アンリエッタ「……では保留という形で治めます。
       次に栄誉を得たら問答無用で受け取ってもらいますから」
中井出   「やめて!? なんでそんなに褒美あげたがるの!?
       出世王国すぎて怖いよこの国!」
アンリエッタ「あなたがそれほどのことをしてくださっているからですわ!
       死んでしまって操られていた兵を正気にし、
       “普通に暮らせ”と仰ったり、
       リッシュモンの行動を監視してくださったり、
       あんなにも素晴らしい芝居を見せてくださったり!」
中井出   「芝居はどうでもよくない!?」
アンリエッタ「それこそとんでもありません!
       あの素晴らしい芝居のお陰で、どれだけ国庫が潤ったとお思いですか!?」
中井出   「考えたくないから言わなくていいです!」
アンリエッタ「それに、万が一の時のために護身術をと勧めるアニエスに、
       体術の極意を見せたら気絶するほど喜んでくれて!」
中井出   「……あの。なにを見せたんですか姫ちゃん」
アンリエッタ「? 打ち込んできてみてくださいと言うから、正中線四連突きを」
中井出   「アニエスさぁああああーーーーん!!!」

 彼はとりあえず、誰もいない虚空を見上げ、謝った。
 あるわけないのだが、視線の先でニヒルに歯を輝かせるアニエスがサムズアップしているような幻覚が見えた。
 しかし視線はアンリエッタにより無理矢理下ろされ、目を合わせられる。

アンリエッタ「とにかく。いいですか?
       わたくしはヒロミツさんに返したくても返しきれない恩があるのです。
       それを返すまで、わたくしは諦めませんから」
中井出   「だから才人に……さぁ……」
アンリエッタ「それはいやです」
中井出   「ウムムムムムーーーーーッ!!」
アンリエッタ「大体、引き取ったジョゼットさんはどうなさっているのですか?
       まさか彼女にまで野宿を? 楽しいを教えるべく引き取ったというのに?」
中井出   「ゲゲッ! 何気にまた痛いところを! だ、大丈夫!
       彼女はヒロライン休憩所である猫の里に───」
アンリエッタ「つまり“女性を内包しながら野宿している”のですね?」
中井出   「《ザグシャア!》ゲボォハァアアアッ!!!」

 その通りといえばその通りなのだが、地味に痛い言葉が彼を突き刺した。
 事情を知らない人が聞けば、腹の上で寝かせているから野宿じゃないと言っているようなものだ。そして彼もそう連想してしまったため、言葉だけで胸を抉られ、吐血した。

中井出「ぐっ……! よ、よーしよしよし! 解った! お兄さん解ったぞ!
    だったら土地買ってやる! 庭付き一戸建てだ! ジョゼットにはそこで───」

 「一人暮らしをさせると?」「《ザグシャア!》ヘヴォォオハァ!!」結果は大して変わらなかったという。
 そう。シスターが了承を得たとはいえ、勝手に連れ去って一人で暮らせなど、外道どころか鬼畜である。外れ道ですら生温い。

中井出   「だだ、大丈夫ダヨ!? だって僕もそこに帰るんだから!」
アンリエッタ「普段は早朝からマルトーさんを手伝っていると聞きましたが?
       それが終われば授業に付き合ったり、ルイズに魔法を教えたり。
       サイトさんからの報告では、別れるのは夜中もいいところだと」
中井出   「あ、あぁあぁんのやろ必要ないことまでベラベラとぉおおお……!!
       つーかそれ言うなら領地持っても変わらないじゃん!」
ウェールズ 「いや。領地を手にするならば、ヒロミツのお連れはキミのお供。
       つまり領主の側近として見られるだろう。メイドとしてでもいい。
       どこそこの平民ではない、“領主の”お供として。
       それが彼女にとってどれだけの護身となるか」
中井出   「ウゲッ……! そ、そりゃあ……!」
ウェールズ 「そう。悲しいことだが、治安が良かろうと悪かろうと、犯罪は起こる。
       平民が土地と家を買った。主人は朝から居ない。家には女性一人。
       土地を買うだけの金がある。……さあ、ヒロミツならどうする?」
中井出   「お友達になる!!」
ウェールズ 「……そこで笑顔で握り拳が出来るキミが、私には眩しすぎるよ」
中井出   「え? なんで?」

 基本、彼は馬鹿である。
 犯罪の話をされていたのに、キミならどうすると言われれば自分のやりたいことをする。
 そんな基本的馬鹿である。

ウェールズ「とにかく。私は持ってみることをお薦めするよ。
      こんな状況だから言うけど、アルビオンでは皇太子である私も、
      亡命し、トリステインで生きる今となってはただの客だ。
      いつかアルビオン復興をと願ってはいるが、私だけの力では無理だ」
中井出  「あ……そか。考えてみりゃ、どさくさでアルビオンの艦隊に勝ちはしたけど、
      それでアルビオンが滅んだかって言やぁそうじゃないよな。
      つーかそうか、しまった。このままじゃウェールズがヒモ状態だ」
ウェールズ「紐? ……私はそんなに線が細いだろうか。
      これでも多少は鍛えているんだが」
中井出  「ああいや、そういう意味じゃなくて」

 あっちゃあ、と彼は額に手首を当てるようにして俯いた。
 ウェールズは貴族であり王族でもある。
 しかし、その肩書きはアルビオンに居てこそ光る。
 このまま───アルビオンを取り戻せぬままトリステインに居ては、ただの客人だ。
 むしろその後は“没落王族”の名を欲しいままにするのみ。
 マザリーニ枢機卿ならび、トリステインの臣下に“ゲルマニア皇帝とウェールズ、今現在アンリエッタは誰と結婚するのが一番か?”と訊かれれば、間違い無くゲルマニア皇帝だと全員が口にするだろう。
 何故か? そうすればゲルマニアとの同盟関係は深まり、戦争も優位になる。
 しかしウェールズと結婚しても、小数の王党派の生き残りがつくだけ。アルビオンに勝つまではアルビオンからの利益はなく、戦争後のアルビオンはひどい状態で、勝ったとしても復興が終わり、栄えるまでは、むしろトリステインが助力しなければならない。
 常識的に考えれば誰も賛成はしないだろう。軍事的にはプラスにはならないのだから。
 むしろアルビオンが条件付きで停戦命令を出すとしたら、ウェールズを要求し、その場合マザリーニは喜んで差し出すだろう。現在のウェールズがアルビオンと関係の無い今、彼の価値は爆薬一つ分にも満たないやもしれない。
 そこに、恋仲である、などといった感情は要求されていないのだから。

中井出  「じゃあウェールズに領地あげて、王党派のみなさんと住めば?」
ウェールズ「それは無理だ、ヒロミツ。私はこの国で武勲を立てたわけでも、
      国の利益になることをしたわけでもない。
      むしろマイナスしか生んでいないよ。
      私がここに居るだけでゲルマニア皇帝はいい顔をしないだろうし、
      アルビオンも迷わずトリステインに的を絞ることが出来る。まるで疫病神さ」
中井出  「ぬぐっ……!」
ウェールズ「ヒロミツ。キミが私を生かしてくれたことには感謝している。
      あの時は死ぬことばかりを考えていたが、
      生きて再興を願う思いは、目先の名誉ある死よりも尊い。
      今すぐそれが叶うほど容易いことではないが、それでもと思う。
      こうしてアンと会うことも出来た」
中井出  「ハイストップ! キミ、アンリエッタが自分よりも、
      ゲルマニウム皇帝とかいうのと結婚したほうが、
      トリステインって国のためになるとか言う気ではあるまいね!?」
ウェールズ「……事実だ。それは曲げようが───」
中井出  「あるとも!! ああもうまったくなんでこの男はこう……!
      ああいや違うか、この世界の貴族がそうなのかくそう!
      いいよもう! じゃあ領地もらう!
      他のお偉いさん方を納得させる判断材料が足りないっつーなら、
      無理難題でもけしかけてみやがれ!
      それでウェールズ! お前は俺と一緒にその領地に来い!
      どーせムッツリーニの野郎、お前を追い出す算段でもしてるんだろ!?」

 がしがしと頭を引っ掻き、ついにキレた。
 普段おちゃらけている者は、キレると案外怖かったりする。
 彼も例外ではなく、この場合は無茶な行動を取りたがり……あとで後悔する。激しく。

ウェールズ 「私が、領地にか?」
中井出   「イエス! そこで畑仕事でもなんでもやってもらうわ!
       この国では客!? なら根付いてみせろ!
       んで、アルビオン取り戻したら王子に戻れ!
       それまでは全面的にトリステインに協力してやらぁ!」
アンリエッタ「まあ! 本当ですの!?」
中井出   「ただ、仲間の危機とかあって、
       トリステインに根付いたままじゃ行動できないような状況になったら、
       遠慮なく裏切ります。それだけは覚えておいて?」
アンリエッタ「そんな……」
ウェールズ 「……ふっ……ふ、くくくっ……! そうか。ならばアンは、
       そうならないように周囲との関係に気を張ればいいんだね?」
アンリエッタ「え? あ……」
中井出   「む……まあ、そうなるかも」
アンリエッタ「……!《ぱああ……!》」

 何故か嬉しそうにするアンリエッタを前に、中井出はやはり頭をカリカリと掻いた。
 遠慮なく裏切ると言っているのに、なにが嬉しいのだろうかと。

アンリエッタ「ではマザリーニ枢機卿とド・ゼッサール隊長に立会いを」
ウェールズ 「私も出る準備をしよう。
       ヒロミツのことだ、叙爵が終わればすぐに領地に向かうんだろう?」
中井出   「じょしゃく? なにか? それ」
ウェールズ 「爵位に就いて居ない者が爵位を得ることだよ」
中井出   「おおそうか。そりゃもうすぐに向かうさー! 向かいまくる俺さー!」

 状況もよく解らないままに彼は笑った。
 すぐにマザリーニとゼッサールが呼ばれ、アンリエッタの私室に重苦しい空気が。

ゼッサール「ぬ……おぬしは」
中井出  「あれ? あの時の隊長さん?」

 彼はきょとんとした。
 以前、密命を受けて帰還した際に通せんぼをした隊長だった。
 しかし彼は気にするのをやめて、やあと挨拶をする。

マザリーニ 「ふむ……陛下。この者が爵位を得るにあたり、どのようなことを?」
アンリエッタ「ええ。どうせ訊かれると思ったから書いておきましたわ」
マザリーニ 「陛下……そういうことは自らの口で……」
アンリエッタ「言っても最後まで聞かずに口を挟むでしょう。
       つべこべ言わずに読みなさい」
マザリーニ 「やれやれ……妙なところで我が儘ですな……」

 枢機卿が、中井出が行った功績の数に目を通す。
 それはマザリーニが理解できるものと出来ないものとで溢れていたが、「それで足りないのでしたら、無理難題をどうぞとヒロミツさんも言っていますわ」とアンリエッタが言う。
 枢機卿はふむ……と溜め息を吐き、そういえば近辺の森や村がオーク鬼に襲われたこと、亜人が暴れているという話を聞いた。ワルドが裏切り、魔法衛士隊の士気も下がっている今、銃士隊に任せるのも気が引ける。傭兵でも雇おうかとも考えていたが、ならばと。

マザリーニ「オーク鬼が森を拠点とし、村を襲う事件が頻発している。
      その討伐を頼みたいのだが、栄誉を得るとなれば一人で───」
中井出  「オッケイ! つーか、それだけでいいの?」
マザリーニ「……若造がよく吼える。ならば───」

 マザリーニはどうせ無理だろうとタカを括り、無理難題を箇条書きにした紙を突き出した。およそ、平民がやるようなものではないものばかりだ。これならば陛下もこの男も諦めるだろうと思ったことだったのだが───

……翌日。

 マザリーニは森に呼び出され、行ってみればオーク鬼の生首多数。
 出すところに出せば褒美として金が貰えるらしいそれを促し、「どーだー!」とブイサインをする馬鹿一人。
 そのまま別のところに連れ出されれば、頼んでおいた橋の修繕、地震によって崩れた瓦礫に巻き込まれた平民の治療、崩れた瓦礫の修繕、補強、その他もろもろを見せ付けられた。

マザリーニ「……貴殿はメイジなのか?」
中井出  「平民ですが?」

 亜人殺しの報酬を得て、にこりと笑う彼を見て、マザリーニは頭を痛めた。
 王宮に戻ってみればニコニコ笑顔のアンリエッタが待っていて、見透かしたような顔で訊ねた。「それで、どうでしたの?」と、嫌味なくらいに上品に。
 最近の陛下は大后に似てきた。そう思った瞬間だったという。

マザリーニ 「目を見張る手際、と言わざるを得ませんな。
       しかしいきなり爵位は早いでしょう。せいぜいでシュヴァリエをですな」
アンリエッタ「ではそのように」
マザリーニ 「むぐっ……ぬう……」

 あっさりと認められ、その日、彼は騎士となった。
 騎士になったのだから陛下のために働げー!とばかりに次から次へと仕事を任すマザリーニだったが、栄誉を得る機会を与えるだけだということに、彼は気づかなかった。
 大馬鹿に係わる天才は、馬鹿に振り回される。世の常である。

マザリーニ 「爵位とは武勲でだけで得られるものにあらず!
       時には金銭の回り方も───」
中井出   「1万エキューを寄付しましょう」
マザリーニ 「ぬごっ!? い、いや! 金回りだけではありませんでしたなぁ!?
       人を思いやれぬようでは、たとえ領地を得たとしても───」
ゼッサール 「……枢機卿殿。以前治療してもらったという者から感謝状が……」
マザリーニ 「ぬおっ!? いやいや! だからといって───そ、そう!
       繁栄させる力が無ければ!」
アンリエッタ「枢機卿? 見苦しいですわよ」
マザリーニ 「《ぐさっ》おふぅ!?」

 何気にショックだったという。
 彼としては、一度でも中井出がミスをしてくれれば、それでよかったのだ。
 完璧すぎる人間は逆に怖いものだと、ワルドのことで思い知っていた。
 陛下の友とはいうが、いつ裏切るものかと怪しんでいたのだが。

マザリーニ 「……ま、まあよしとするとしましょう。しかし陛下?
       私が納得したとして、他の者が納得しますかな?
       私が言うのもなんではありますが、中々に頭の固い者が───」
アンリエッタ「あら。今日まで首を縦に振らなかったのはあなただけですわ、枢機卿」
マザリーニ 「なんと!?《がーーん!》」

 さらにショックだった。
 ここ数日、中井出は王宮を行ったりきたりする間、王宮周りの連中と話し合う機会を得ていた。最初はアンリエッタの周りをうろちょろする怪しい者として警戒されたのだが、それがきっかけとなって“おかしなヤツ”から“面白いヤツ”、“骨のあるヤツ”、“勇敢なヤツ”と、功績を立てるたびに印象が変わっていった。もちろん、そこにCHRをいじくった事実もあったのだが、それは最初だけであった。
 むしろマザリーニの無理難題を平気で片付ける者として、ある意味別の方向で期待されていた。ヤツが居れば自分たちが面倒を被る必要はないのだと。なので他の貴族からも推薦を受けており、マザリーニが頷けばあっさりと爵位をもらえる筈だった。
 そして……今、彼は“よしとするとしましょう”と言った。言ってしまった。
 即座に叙爵は行われ、彼は男爵となった。

……。

 さすがに男爵に元子爵領地であるワルドは任せられないとし、得たのはオルニエール。なかなかに広い場所だが、そこまで潤ってはいない場所。
 年収は一万二千エキュー。……とは九年前の話で、先代の領主が亡くなったところを国に召し上げられたのだそうだ。先代には跡継ぎが居なかったらしい。若い衆は「こんな場所に未来はねぇだ! オラ、ここさ出てシテーボーイになるだよ!」的なことを行って出てゆき、今や老人しか住んでいないというではないか。
 ようするに老人しか居ない、十数年か数十年の命運しかない領地を押し付けられた。
 しかし中井出は笑顔であった。元々祖父母のこともあり、老人は好きである。
 それに、ならば子供を連れてくればいいのだと。

中井出「OK、いい場所だ。手の出し甲斐があるよ」

 場所は魔法学院から馬車で三時間、トリスタニアからは一時間程度。
 そこそこ近いし、ジークフリードならばあっという間だ。
 それに広く、老人が数十人程度。
 ここならばマナの樹も癒しの樹も植えられるとし、彼は上機嫌だった。

……。

 当日から作業は始まった。
 まずは老人たちに挨拶回り。
 病はないかと聞いて回り、調子が悪いものには癒しを。
 それから効率的な地の耕し方や肥料などの提供、これからの計画などを話し合い、実行。
 若い領主ということで不安がっていた老人たちとあっさり打ち解けた彼は、当日の夜から早速うどんパーティーを開催。
 より深く打ち解け、一日目を終了。

 翌日にはマナと癒しの大樹が領主の館の傍に生やされ、ヒビ割れていた館も補強完了。
 マナと癒しの大樹のお陰でマナを得ればこちらのものだと、調子に乗って猛者どもを召喚し、一気に開拓に励んだ。
 結果、マナを使い果たして昏倒。
 二日目が終わった。

 三日目。
 猛者どもではなく、領地の民と一緒でなければ意味が無いとし、老人たちに活力剤を。
 ハッスル状態になった老人たちと咆哮しながら開拓し、効果が切れたところで全員昏倒。
 三日目が終わった。

 四日目。
 そういえばと、老人たちにシエスタとジョゼットを紹介した。
 シエスタは学院で仕事をしていたものの、事実上では中井出が買い取ったメイドさん。
 ジョゼットは言うまでもなく、身元を引き受けた少女だ。
 なのでオルニエールの屋敷に住んでもらっている。
 紹介したあとは仲間だ仲間だと騒ぎ、今日も今日とて開拓、昏倒。
 癒しとマナが老人たちを元気にし、普通では在り得ない速度で回復させると、それにより超回復も起きる。しかし栄養が足りないと知ると、集って食べる食事に栄養水を混ぜ、老人たちをさらに強化させていった。

 五日目。
 老人達が異常なほど元気である。
 然の加護のお陰か作物の育ちもいい。
 中井出は“オルニエールの領地のみ”をマナの膜で囲い、マナと癒しが漏れないようにした。いわゆるテイルズオブファンタジア流のマナ蓄積法である。
 そうするとマナも癒しも少しずつ蓄積され、空気も澄んでゆくと、この領地に入っただけでも癒されるという異常な地帯が完成した。
 しかしそれでも治らないものというものはあるもので、中井出は急に倒れたという老人を診て、その病気を治してみせた。盲腸だったという。

 六日目。
 物腰穏やかで丁寧な、ヘレンという老婆と話をした。
 なにかというと中井出の世話を焼いてくれ、手柄を立てれば褒めてくれるという、なんとも世話好きな老婆だった。
 雰囲気が中井出の祖母に似ているということもあり、中井出はあっさりと老婆をお手伝いとして迎え入れた。家事も得意で、掃除などシエスタが驚くほどに丁寧であった。
 中井出自身も年寄りとの会話は嫌いではなく、仕事が終われば屋敷でヘレン婆さんとよく話をしている。ヘレン婆さん自身も孫が出来たようで楽しそうであり、そんな楽しげな雰囲気に流されるまま、シエスタもジョゼットもそんな暮らしに慣れていった。最初はぶすっとしていたのだが。

 七日目。
 老人達がやはり元気である。
 跳んで走ってをしたところでぎっくり腰にもならず、若者よろしくピンと背筋を伸ばして歩いている。最初にそれをしてみせた老人など、「おぉお! 老紳士のようじゃのー!」と言われたほどだ。
 それからあっさりと広まり、自分でも出来るかと背筋を伸ばすと、あっさりと出来る。
 三日待たずに超回復してみせる筋肉が、骨などをしっかりと支えていた。
 ……さて、このあたりで一度、税の話が出た。
 領主は領民より税の徴収が可能。
 しかし金にはさほどの興味もなく、楽しいが育めるなら現状でも十分とし、税は今までの四割。老人達は弾けるように喜んだ。
 その喜びを仕事で返そうと、老人達は張り切り、昏倒することなく一日を終える。
 ……すでに通常の老人の域など越えていた。

 八日目。
 然の恵みにより、作物が育った。
 「これはよいワインになりそうですじゃ」と、ニッと歯を輝かせる老人。
 そしてやはり日本人ならこれがなくてはと、中井出は米を育てていた。
 名物は多くて困るわけでもないからと言っては、ワインだけではない名物を考えた。
 至ったのは日本の名物などである。
 ……さて、このあたりで一度、老人の伝手で知ったのか、足を怪我したという若者が領地へやってきた。
 中井出はそれを治してみせると、多少の治療費を受け取る。
 「これでまた仕事が出来ます」と言って去る若者は、親らしい老人に軽く挨拶をすると、領地をあとにした。
 そしてまた開拓。「まだまだいけますぞぉおお!」と、老人達が引き際を誤り、昏倒。
 やはり通常の老人の域など越えていた。

 九日目。
 米と塩を用い、麹と合わせて味噌を合成。
 時間をすっ飛ばして完成したそれは確かな味噌。
 ついでに作った醤油も手にすることで、日本の味に大分近付いたことを、彼は喜んだ。
 「ヘレン婆ちゃん! これがYAKIONIGIRIだ! 食べて食べて!」とヘレン婆さんに勧め、食べてもらうと大層喜ばれた───が、歯が弱っている所為で噛むのが大変と言われた。グランドマザコン搭載の彼は当然治療実行。
 「他にも歯が弱い者はおらんかぁあ!」と、老人強化に励んだ。
 そしてやはり老人たちが元気だ。
 歯がテコーンと輝く老人で溢れるオルニエールの大地を、今日も老人が駆けていた。

 十日目。
 なにやら治療してほしいと訪れる者が増えた。
 いつからここは診療所になったんだとツッコンだが、彼はそれでも治療した。
 「私を先に治療しろ!」などと言い出す貴族は当然殴り飛ばして。
 そしてハッキリ言った。「このオルニエールでは平民も貴族もない」と。
 「この領地に踏み込んだ時点でそれは覚悟していただく」と。
 そしてトドメ。「それが嫌なら出ていけぇ!」と。
 しかし殴られただの騒がれるのも困るので、殴ったところを癒すとそれで終了した。
 貴族は逃げ帰ってこのことを言いふらしたが、殴られたあとすらないことで逆に馬鹿にされた。それを馬鹿正直に信じた者が訪れたが、屋敷に入る前に屋敷前に置かれた看板に目を通す。

  この領地に訪れし者は人間と判断。貴族も平民も無いと知りなさい。
  治療願いなら順番を守ってください。守れないなら治療しません。
  あ。亜人も歓迎しますよ? 暴れないなら是非どうぞ。

 そう書かれた看板に、その貴族は笑った。
 そして、そういえばと、いつかの戦で千切れてしまった小指を見下ろした。
 順番がやってきて診てもらえば、治療どころか生やされ、絶叫。
 久しぶりの小指の感覚に、涙ながらに感謝したという。
 ……そして老人が元気である。
 感動の涙を流しながら外に出てみれば、老人が年甲斐もなく追いかけっこをしていた。
 その速度の速いこと。
 訊いてみれば、全ては領主さまのおかげですじゃとのことで、こんなことをされれば信じないわけにもいかなかった。
 貴族は笑いながらオルニエールをあとにし、このことを怪我や病に苦しむ家族を持つ貴族へ教えて回った。

 十一日目。
 ……患者が異常に増えた。
 藁にも縋るといった風情で突っ込んでくる者も多々居たが、だというのに「順番守れこの野郎!!」と叫ばれ、領主の拳を軸に回転する羽目になった。相手が老貴族であろうが子供であろうが容赦無しである。
 多少の傷でも訪れる者も居たが、領地に溢れる癒しの効果で、領地に入るだけで少しすると治り、笑顔で帰る者も居た。
 そうでない者が領主の屋敷まで行き、診察を受ける。
 ところが中井出は中井出で頭を抱えていた。どうしてこうなったと。
 そんなことを続ける中、世話話の中で「娘が貴族さまに買われてねぇ……」と寂しそうに言う奥方に会うことになる。そう、きっかけはそれだった。
 ただ仕えるのならいいのだが、体目当てならたまらない。心の傷まではそう簡単に治せない。そう思うと、この領地の問題を思い返し、行動に出た。

 十二日目。
 屋敷にメイドが増えた。
 メイドと一言で言っても仕事はたくさんあるので、ハウスメイドではない方向で。
 その数は一人どころではなく、何人もである。
 もちろんメイドとしてだけではないので、老人に混じって畑仕事をする女性も増えた。
 先日、貴族さまに娘が……と話していた奥方が、そこであっさりと娘と再会したりした。
 そう、オルニエールは老人しか居ない問題があり、体目当てで逆らえぬ貴族に買われる若い娘が居る。それらを繋げれば、取る行動など一つである。
 治療が盛んになったことで収入は上々。
 相変わらず賭場で金も手に入れているし、治療に対して金払いがいい貴族も居る。
 そうして出来た金を使い、まず若い娘を買った貴族から性欲を一時的に吸収。払った金より少しだけ上乗せした金で娘を購入。その上で性欲を返し、屋敷へ。
 そういうことをやりまくり、オルニエールに長寿と繁栄を運んだ。
 そういった過程で見つけた孤児も引き取り、この広い領地で遊ばせている。
 若い娘らや子供たちは助かったことを喜び、中井出に感謝しつつも、自分よりも遥かに元気で活発な老人を見て唖然とした。
 今日もオルニエールの老人は元気である。

 十三日。
 ───領地に若い娘がまた増えた。子供も増えた。
 額に浮いた汗を拭いながら、いい笑顔で仕事をしている。
 早朝のことだった。
 ───領地に若い娘がまた増えた。子供も増えた。
 穏やかに笑みながら、裁縫をしていた。
 陽も穏やかな朝のことだった。
 ───領地に若い娘がまた増えた。子供も増えた。
 思い出したかのように感謝を虚空へ向けて放ちながら、笑顔で草の手入れをしていた。
 夏の陽が眩しい昼のことだった。
 ───領地に若い娘がまた増えた。子供も増えた。
 他の娘とよかったねと笑いながら、料理をしていた。
 仕事が長引いたために遅れた、昼食恋しい夕食時のことだった。

 十四日目。
 領地の境に木々と柵を立てた。解り易い目印にするためのものだ。
 入れる箇所はひとつしかなく、入るためには杖や武器を置くことが条件となっている。
 そういった関所のような場所を作り、領地内での争いをご法度にした。
 遊びで競う程度はもちろんよしとなっていて、ちなみに本日も若い娘が増えた。
 この世界にはどれだけエロスを愛する貴族が居るのかと、中井出は頭を抱えた。
 そんな日にも治療診療は続き、どうせならばと宿を建設。
 高価なものではないが、普通のベッドなども用意し、一泊するだけで癒されるという効果付きの優れた宿である。なにせ空気自体に癒しが含まれているのだから、呼吸だけでも癒される。
 せっかくならばと温泉も用意し、それは老人達に大好評であった。

 十五日目。
 噂を聞きつけたアンリエッタが、とうとうオルニエールに来訪。
 領地の入り口にて杖をバックパックに仕舞うと歩き、ウェールズとともに癒しとマナの世界を堪能しながら歩いた。
 マザリーニのお小言で少し苛立っていた心が落ち着いていくのを感じ、彼女は感心する。
 突然の陛下来訪に慌てふためく領民や治療を求めてやってきた民たちを前に、そんな感心もあっさり吹き飛び、苦笑するのだが。
 さすがに“貴族平民を問わぬ領地”と知れた場であっても、相手が王女では無理である。
 貴族も平民も素直に跪き、彼女に道を譲った。
 もちろんアンリエッタは中井出がそういう差別が好きではないことを知っていたため、必死になって「頭をお上げになってください!」と願ったのだが、それはさすがに無理というものだった。アンリエッタはアンリエッタで、これが原因で自分が殴られるのではと気が気ではなかった。
 そんな状況だったというのに、急に静かになった賑わいをおかしく思い、屋敷から出てきた中井出が「おっ、姫ちゃんじゃないか! いらっしゃーい!」と軽々しく言うもんだから、平民も貴族も絶叫した。アンリエッタがそれに対して「はい、遊びにきちゃいました、ヒロミツさん」と普通に返すので、さらに絶叫。
 場は混沌と化したが、「病人が居るから静かにねー」と中井出が言うと静まった。
 皆、領主の容赦の無さはこの数日と噂で十二分に知っていた。
 ヤツならば王女だろうと、順番を守らねば殴るのだろうと、妙な確信があったのだ。

……。

 さて、そんな十五日目の昼。

ウェールズ「やあ。変わり無く元気にやっているようだね」
中井出  「よぅウェールズ。キミも元気そうでなによりだ。
      こっちはキミを迎え入れる準備は出来てるから、いつでも来なさい。
      王党派のみなさんにはもう暮らしてもらってるし」
ウェールズ「もうかい!?」
中井出  「うん。ほら、あっちで畑耕してる。
      領地開拓にすっかりハマってしまったらしい」

 促してみれば、老人に負けられんとクワを振るう王党派の貴族連中。
 それも程なく終わり、老人と一箇所に集って水を飲んでいた。笑顔で。
 貴族の衣服など着ているはずもなく、一見すれば普通の平民にさえ見える出で立ち。
 しかし、その表情はアルビオンに貴族として居たのでは、滅多に見ることのできないであろうものだった。

ウェールズ 「は、はは……そうだね。じゃあ私もそろそろこちらに移ろうか。
       なにもせずに王宮にお世話になるのは、いい加減心苦しい」
アンリエッタ「そんな! わたくしは構いませんのに!」
ウェールズ 「はは、そう言わないで聞き入れてくれ、可愛いアンリエッタ。
       私にも、皇太子という肩書き以前に男としての意地がある。
       ずっと何もせずに女性の世話になるのも、情けない。
       それにね、正直なところ、大使殿が現れるまでのあの日々……
       空賊まがいのことをしている時、私は楽しいと感じていた。
       王族にあるまじき思考だろうと笑ってくれていい。
       ただ、私はやはり王族としての視線でしか世界を見れていなかった。
       それに気づけただけでも、あの日々は無駄ではなかった。そして……」
中井出   「おうさ。ここでの日々も、決して無駄にはさせんよ。
       つーか、どうせすぐにあそこで笑う王党派みたいなことになるって。
       お前はこの国では客で、この領地では貴族も平民もただの人間だ。
       ここでは敵も味方もないよ。ルールを守らないヤツだけが敵だ」
ウェールズ 「そうか。胸に留めておくよ。キミと敵対するのは、とても嫌だからね」

 ふふっと笑い、彼は早速駆けていった。
 もちろん、老人たちと王党派の連中が居る場所へ。
 その先でペラペーラと何かを話し合ったのち、老人が自宅へと駆け……戻ってきたその手には、皆が着けている作業着が。
 ウェールズは中井出を見て笑い、屋敷に入ると……少しののち、作業服を着て戻ってきた。アンリエッタが「まあ!」と本気で驚いていたが、これで案外似合うから驚きである。中井出は「イケメンってなに着ても似合うのな……」と、ボソリとつぶやいていた。
 それから作業のやり方を習い、クワを握る。
 アンリエッタがおろおろとしていたが、中井出は心配ないよと言って、診療に戻った。
 ───さて。
 その少しの休憩時間ののちの出来事なのだが。

ワルド「すまない。ここでは千切れた指も治せると聞───ぬおっ!?」
中井出「いらっしゃなにぃ!?」

 ワルドが来訪した。
 トリステインを裏切り、ド・ワルド領も捨てたのだから、ワルドと呼ぶのもおかしなものなのだが。

中井出「ワルド子爵じゃなくなったから、ジャンでいい? とりあえずようこそ。
    治療したいのは腕かい? 生やすのはちと高いけど、いいかな?」
ジャン「待ちたまえ! キ、貴様は……! 何故貴様がここに!」
中井出「あれ? 知らない? ここ、オルニエール。
    俺、ヒロミツ・シュヴァリエ・ド・ナカイデ・ド・オルニエール。
    ここ、俺の領地っす」
ジャン「なぁあっ!!?」

 ワルド……もとい、ジャン・ジャック・フランシスは驚愕した。
 自分がトリステインから離れた間になにがあったのかと。
 千切れた指さえ生やしてみせたという、“神の癒し手”の話を頼りに密かにトリステインに忍びこんだ。……よもや相手が自分の計画の悉くを邪魔した相手とは露知らず。

ジャン「貴様は僕の怨敵でもある! 今ここで───《スカッ》…………ハッ!?」

 反射で杖に伸ばした手が空振る。
 当然、領地に入る前に手放したのだから、あるわけがない。

中井出「お座り。ここでは敵も味方もない。治療を求めるなら治すさ。
    それと、杖や武器になるものは出入り口で手放してもらってるから無駄だよ。
    出る時になったらきちんと返されるし、血液反応で個別認識してるから、
    本人以外には杖も武器も返さない。安心してくれ」
ジャン「………」
中井出「ん? どしたい」
ジャン「敵も味方もない? 外にも書いてあったが、正気か?
    腕のひとつあれば、貴様の首をへし折ることだって───」
中井出「ジャン、横見てみ」
ジャン「なに? ───っ!?」

 ひょいと馬鹿正直に見た横。
 そこには小さな、しかし美しい竜がいた。
 小さな羽根をぱたぱたと羽撃かせて、見ていて可愛いと思ったほど。

ジャン「な、なんだこの竜は。まさかこんなもので僕を止められると───」
中井出「月醒光」

 小さく唱えると、中井出の霊章から月の光が溢れる。
 それを浴びた途端、小さな竜……月光竜の姿が巨大になり、

ジャン「ほぎゃああああああーーーーーっ!!!」

 ズシームと肩に乗っかられたジャンは、さらに大きくなってゆく竜に危うく潰されかけた。

中井出「ここでは争いはご法度。俺は相手が誰であれ、治してくれというのなら治す。
    ああもちろん、トリステインをぶっ潰したいから治してくれってんなら断る。
    ウェールズを殺したいから、でも断る。今の環境が好きなんだ。
    それを壊す理由があるのなら断る。で、このまま潰れたい?」
ジャン「わかった! なにもしない! 僕は腕を治してもらいたいだけなんだ!」

 メキメキと背骨が軋むのを感じ、叫ぶように助けを乞うた。
 その言葉に月光竜であるシャモンは『キュ』と頷き、ひょいと下がって小さな竜に戻る。

ジャン「はっ……は、はぁ……! はぁっ……!」
中井出「よし。じゃあ治療を始めよう。とても痛いけど頑張れる?」
ジャン「ふっ……甘く見てくれるなよ? 僕は閃光のワルドと言われた───」
中井出「領地ほったらかしで裏切った子爵でしょ?」
ジャン「…………」

 一応責任は感じていたようで、彼はばつが悪そうに俯いた。
 思えばここに来るまでの間、領地には子供、大人、老人と、様々な年代の者が居て、皆笑顔で暮らしているようだった。
 訊けば孤児だったことや、貴族に買われて花を散らすところだったことや、面倒を見るのが辛くなったからと家族に捨てられた老人だったことが解った。
 そういった意味では、ここは本当に差別をしていなかった。

中井出「で、失った部位を生やすには、キミ自身の“体の情報”が必要だ。
    その立派な髭か髪を頂くことになる。どれがいい?」
ジャン「なにっ!? 秘薬で簡単にいくのではないのか!?」
中井出「そんなわけないでしょーが」

 本当はそうだが、ヒゲが無いほうが格好いいに違いない。
 というか全く変わらない姿で堂々と来るとか、なに考えてるんだ? と中井出は呆れながら、彼の言葉を受け取ってヒゲを剃った。
 せっかくなのでトリコの与作の真似をして、再生の種を使用。
 義手を外した腕にピコッとつけると、容赦なく月然力で開花させる。
 当然トリコのように体の養分を吸い取られるといった事態になったが、彼は栄養水を飲ませ続けることでこれに対処。
 腕が生える頃にはジャン・ジャック・フランシスはゲッソリと痩せ、髪も白髪になるという変わり果てた姿になっていたが、腕の再生には素直に喜んでいた。

中井出「髪が白髪だな。色を戻すこと出来るが、どうするね?」
ジャン「あ、ああ! 頼む! キミの腕は確かだ!」

 腕が生えた事実に興奮し、彼は願った。
 そのために白髪で長髪だったその髪をジョギジョギ切られ、肩辺りまで短くされるとは思いもよらなかったようだが……色が戻ったことにも素直に感謝をし、代金を払って去っていった。
 ……悲しいことに、髭も剃られ、髪をショートにされた彼とアンリエッタが庭でばったりと出くわしたのだが、彼だと気づかれもしなかった。少しショックだったが、目的は果たしたので喋ってボロを出すこともなく、彼は去っていった。





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