21/千客万来

 それから数日の、夏休みもいよいよ終わるという頃。
 オルニエールの領地に二人の女性と数人の子供が来訪した。
 一人は二十台前半あたりの顔立ち。
 一人は、まるで妖精のような顔立ちの女性……歳は16、7あたりで、人の美しさではないとさえ思えるほどの美貌をもっていた。
 子供たちは無邪気に騒いでいる。
 その者らはこの領地に来るのは初めてのようで、空気が綺麗なことや心が落ち着くこと、穏やかな雰囲気に心動かされ、落ち着きながらもわくわくした気分で辺りを見渡していた。
 姉と妹関係である二人が子供を連れているのには訳があり、姉が仕事仲間に聞いた噂を信じてのことで、ここへとやってきた。
 子供たちを引き取ってもらえればと。
 もちろんそのまま放置ということはしない。自分たちもここで働かせてもらえればと願いに来た。

「空気がとても綺麗……」
「信じられないね……ウエストウッドでもここまでじゃないよ」

 子供が元気に燥ぐ中、治療を願ってやってくる者や、珍しさで訪れる人々の中に混ざって移動する。目的地は領主の屋敷。
 孤児や買われた娘や捨てられた老人を受け入れるとはいうが、もちろん限度はある筈。
 願って受け入れてくれるほど、やさしくはないかもしれない。
 ましてや自分たちはアルビオンから来たのだ、話はそう簡単ではない。
 ……と、思っていたのだが。

中井出「え? いいよ?」

 あっさりと受け入れられた。

中井出「それにしても久しぶりだねぇミス・ロングビル。元気してた?」

 そう。姉はミス・ロングビルとして学院で秘書を務めていた土くれのフーケ。本名をマチルダ・オブ・サウスゴータ。
 そんな偽名を知らない妹は、「ろんぐ、びる……?」と首を傾げる。

マチルダ「っ……悪いけど、テファには……この子には、
     そのこと内緒にしてもらえるかい……!? 受け入れの件も無しでい───」
中井出 「内緒ね? OK。べつに深い事情なんて聞くつもりないって。
     困ってるならお互い様だ。
     領地にゃ限りがあるけど、屋敷にゃ空き部屋もあるしね。
     いいよ、ゆっくりしちぇけ。このオルニエールはキミらを歓迎しよう。
     あ、でも最大条件としてひとつ」
マチルダ「な、なんだい、まさかとんでもないものを要求───」
中井出 「《ボソリ》……盗賊家業から手ぇ引いて、ここで働きなさい」
マチルダ「……へ? そ、そんなことでいいってのかい?」
中井出 「いいよ? そんなことより楽しいを探そうぜ!
     働いてくれるなら生活は保障するし保証する。ただし争いご法度。
     遊びで競うのならいいけど、明らかな暴力はダメ。…………え? お?
     あ、ああ、ええっと。あと、そちらの方と話させて?」
マチルダ「テファと?」

 真面目に話していた中井出がふと妙な表情をすると、突然マチルダの後ろの、おどおどとした少女を促す。帽子を深く被り、怯えた様子さえ見せる彼女に、彼はニコリと微笑んだ。

マチルダ「……なにかあったらただじゃおかないよ」
中井出 「話をするだけなんだけどね。ただ、我が領地はなんだって受け入れる。
     ここを滅ぼす気で居る者以外はね。で、早速だけど───えーと?
     やあ僕博光。ヒロミツ・シュヴァリエ・ド・ナカイデ・ド・オルニエール。
     あなたのお名前は?」
少女  「ひぅ……っ……あ、えと……てぃ、ティファニア、といいます……」
中井出 「ティファニアか。いい名前ですな。で、やっぱり早速だけど」

 こほりと咳払い。
 で、部屋に誰も居ないかを確かめたのち、彼女に小さな声で言った。

中井出「帽子、取ってもらえる?」

 瞬間、マチルダがティファニアを庇うように間に割って入った。
 「どういうつもりだい」と言いながら、拳をギゥウと握り固める。

中井出「言ったでしょうが。ここはなんでも受け入れる。
    明かすなら最初のほうがいいよ?
    ていうかさ、僕座っててキミたち立ってるから、
    帽子深く被ってても見えてます。きゅい」

 イルククゥの真似をしつつ、ぴしゃりと言うと、ティファニアは真っ青になり、マチルダは拳をさらに固めた。のだが。

中井出 「可愛い耳ですな。エルフを間近でじっくり見るのは初めてだけど、
     別にそんな緊張しなくていいよ? これから友達になるんだし」
マチルダ「っ───えぇっ!?」

 殴りかかろうとさえ思った出鼻が挫かれた。
 目の前の男は何を言っているんだろうと、正気を疑ったほどだ。
 ……ハルケギニアにおいて、エルフは恐怖の象徴と言っても過言ではない。
 理由は様々あるが、訊ねてみればほぼ10割がエルフを恐れるだろう。あくまでほぼだ。
 そんな世界にあって、目の前の男はのほほんとそんなことを言う。
 それどころか怯えるティファニアに「怖くない怖くない」と言って、帽子ごと頭を撫でていた。

マチルダ「あんた……」
中井出 「いいかい、マチルダさん。
     ここで暮らすってことは、俺達ゃ友達で仲間で家族だ。
     俺はべつに相手が誰だろうが気にしないし、むしろ歓迎する」

 言いながら、ひょいと帽子を取り上げて、「あっ」と怖がる少女の頭を笑顔で撫でる。
 あんまりにも予想外だったからか、ティファニアは「ひゃぁあぅうぷぷぷっ!?」と撫でられるままに撫でられていた。

中井出   「んむ。帽子もよく似合ってるけど、無くても可愛い可愛い」
ティファニア「かわっ───《ぼむっ》」

 彼女が住んでいた場所はアルビオンのウエストウッド。名前の通り森の中にある、小さな廃村と孤児院を合わせたような場所だった。
 そこには同年代の男性などおらず、居るのは孤児である連れて来た子供たちだけ。
 姉代わりであるマチルダはそれらを養うために盗賊家業に身を置いていたが、盗むのは貴族連中からだけという奇妙なプライドを持っていた。
 まあそんなこともあり、同年代の男性から可愛いなどと言われたことがなかった上に、エルフであることで怖がられていた彼女にとって、こんなに気安く受け入れてくれた上、可愛いと言ってくれ、さらに友達、仲間、家族と言ってくれた人など初めてだった。

中井出 「マチルダさん、いいかな。
     俺はキミらを歓迎するけど、キミらが断るならそこまでです」
マチルダ「……ひとつ聞かせな。エルフを怖がらない理由ってのはなんだい?
     テファには悪いけど、
     エルフというだけでテファを殺そうとしたヤツを私は知ってる。
     自分の親もその所為で殺されたわけだしね。
     だから警戒するっていう当然が存在する。理由を聞かせな」
中井出 「理由? べつにティファニアが俺になにかしたわけじゃないし。
     まあ何かしても、よっぽどの悪意がなけりゃ許すって」
マチルダ「……ふ、ふん。怪しいもんだね。じゃあそのよっぽどってのはどれほどさ」
中井出 「え? んー……そうだねぇ。顔を燃やされたりだとか全身燃やされたりだとか、
     体がメキメキ軋むほど樹木で縛りあげられたりだとか───」
マチルダ「いきすぎだよそりゃあ! そんなのやられたら許す以前に死───」
中井出 「───それくらいなら笑って許すよ?」
マチルダ「許すの!?」

 あまりの常識外れっぷりに、マチルダは素直に驚いた。
 しかし、次いで言われたことには素直に納得した。

中井出 「ただし、裏切らないでほしい。俺は裏切られるまで信じるから。
     硬く考えることなく普通に暮らしてほしいけど、裏切りは勘弁してくれ。
     友達や仲間や家族に裏切られることほど、辛いことはないから」
マチルダ「…………」

 くい、とマチルダの服が引っ張られる。
 振り向けば、ティファニアが彼女を見ていた。

マチルダ「……解った。条件を飲むよ。それで? 私はなにをしたらいい?」
中井出 「え? なにって……だから普通に暮らして?
     田畑も提供するし、住む場所は屋敷でいいよ。
     さすがに子供たち全員を寝かせられるほど部屋の数はないから、
     子供たちは子供たちの総合施設に行ってもらうけど」
マチルダ「総合施設?」
中井出 「孤児たちはみんなそこで暮らしてる。
     誰かの伝手で知ったから来たんじゃないの?」
マチルダ「まあ、そうなんだけどね」

 若い娘や子供、老人たちはそれぞれがそういった場所で暮らしている。
 それだけ人が集まれば諍いも起きそうなものだが、常に癒しが空気中に含まれているため、呼吸をしているだけで怒りというものも落ち着きやすく、喧嘩してもすぐに仲直りをしている。
 そういった意味では、大人も子供も皆仲良しだった。

中井出 「食料や飲料は無駄にあるから、ご近所さんと協力するのもありだよ。
     自分が育ててないものを交換しようって持ちかければ、喜んで交換してくれる」
マチルダ「変わった場所だねぇ、ここは」
中井出 「ここじゃあ貴族も平民も王族も関係ない。もちろんエルフも。
     差別するヤツが居たら教えて? とりあえず回転してもらうから」
マチルダ「か、回転?」
中井出 「拳で殴って解らせます。領主の務めです」

 拳で殴って回転するもんかね、とマチルダは呟いたが、のちに何気なくそこらの老人に聞いてみれば、「あんたそりゃ冗談でもなんでもないんだよ、領主さまは本当に拳で回転させるんじゃからの」と笑われることとなる。
 想像がつかないのは当然だろう。

中井出 「よし。じゃあ子供たちはジョゼットに案内してもらうとして。
     二人はどうする? 働くなら今日からでもいいけど」
マチルダ「……ひとつ聞いときたいことがあるね。ここに、学院の連中はいるのかい?」
中井出 「いや、シエスタくらいじゃない? メイドさんの。
     食堂とかで会った時あると思うけど。ほら、黒髪の」

 マチルダは「あああの子かい」と納得して頷いた。

マチルダ「なら安心さね。じゃ、早速働かせてもらいたいんだけど、杖は───」
中井出 「魔法はダメ。自分で働いてください。いい? ここでは貴族も平民もない。
     だから魔法に頼る生活からは離れてもらう。
     貴族なのに泥まみれで働いてるヤツ、結構いるんだよ?」
マチルダ「な、なんだって!? なんの冗談だいそれは!」
中井出 「いや、冗談なんかじゃなくて。……あー、じゃ、いいや。見てもらおう」

 言って、二人を促して歩き出す。
 子供達には外で待っているようにと言ってある上、施設のほうに案内してくれとジョゼットにメールを飛ばしてあった。既にジョゼットもヒロラインメンバーである。
 部屋を出て廊下を歩き、外に出ると田畑のほうへ。
 土の匂いがする広い敷地を見て、マチルダは「へぇ……」と声を漏らした。
 中井出は熱い日差しの中、麦藁帽子を被って土を耕している青年へと声をかけた。

中井出  「や、調子はどうだい、ウェールズ」
ウェールズ「ふぅっ……いや、いいものだね、自分で働くというのも」
マチルダ 「ぶぷぅっふぅうっ!!?」

 驚愕。
 くるりと振り向いて、首にかけたタオルで汗を拭うプリンス・オブ・ウェールズを前に、マチルダは本気で吹き出した。笑いという意味ではなく、驚愕という意味で。

マチルダ  「なっ、ななっ、なっ……なぁあ……!!?」
アンリエッタ「? どうされました、そちらの方」
マチルダ  「ほぎゃあああーーーーーっ!!?」

 驚愕-2-。
 水を手に、ウェールズにはいと差し出す人を見て、マチルダ絶叫。
 王族二人がなにしてんだい!と叫びたくなったが、口をぱくぱくとさせるだけで、声は出なかった。……しかし、ギリッと歯を食い縛ると、ウェールズにではなく中井出の胸倉を掴んで叫んだ。

マチルダ「……冗談じゃない! あんた!
     この男と友に、仲間に、家族になれっていうのかい!」
中井出 「怒る事情があるならまず聞きましょう。どうぞ、キッパリ言ってやれぃ」

 しかし中井出は冷静にマチルダの目を見る。
 彼女は「ぐっ……」と押し黙ったが、キッとウェールズを見ると、次にティファニアを見て俯いた。

マチルダ 「……プリンス・オブ・ウェールズ。あんた、自分の父のことは好きかい」
ウェールズ「父を嫌いな息子など、そう居ないと思うが。失礼だが、あなたは?」
マチルダ 「マチルダ・オブ・サウスゴータ。モード大公直臣の娘さ」
ウェールズ「サウスゴータ……では」
マチルダ 「ああそうさ。あんたの親に家名を潰された。いや、家名なんてどうでもいい。
      あんたの父はね、そこのティファニアの両親を殺した相手なんだ」
ウェールズ「なにっ!?」
中井出  「なんと!?」

 その場に居た全員に衝撃が走った。
 ティファニア自身も驚き、ウェールズを呆然と見ている。

ウェールズ 「父上が!? 馬鹿な! 父上は理由もなくそんなことをする方ではない!」
マチルダ  「理由があれば人を殺していいってのは一方的な考えだろう?
       あんたは理由があれば、両親を殺されても納得出来るのかい?」
ウェールズ 「っ……それは…………!」
アンリエッタ「お待ちなさい! ……ならば理由を聞かせてくださいまし。
       その方の両親が殺されなくてはならなかった理由を」
中井出   「…………ふむ」
マチルダ  「……テファ。いいかい?」
ティファニア「……うん」

 ティファニアが帽子を取る。
 綺麗な金髪がさらりと揺れ、そこから尖るように覗く両の耳を見て、ウェールズとアンリエッタはハッとした。

ウェールズ「エルフ……!? っ! では、あの話は!」
マチルダ 「テファの父はモード大公。ジェームズ一世の弟さ。
      彼がエルフの女と情を結び、テファが産まれた」
ウェールズ「………」
マチルダ 「ジェームズ一世はそのことを知るや、
      モード大公やテファを匿った私の両親を始末したよ。
      おまけに家名を潰すだって? 潰されなきゃいけないのはどっちだい」
ウェールズ「……しかし」
マチルダ 「エルフと結ばれるのは始祖の教えに反するって? 冗談じゃない。
      国を越えた愛が許されて、種族を越えた愛が許されないから殺す?
      そんな言葉で納得出来るほど、今まで楽な生き方しちゃいないんだよ。
      なにより、立場が悪くなれば始祖の教えを盾にするなんて、
      私はそんな貴族どもの生き方を絶対に認められやしないんだよ!!」

 キッと、マチルダがウェールズを睨む。
 ウェールズはその視線を真っ直ぐに受け止め、しかし頭を下げたりはしなかった。

ウェールズ「父が人を殺した。
      王だから許される、という理屈など、子には関係ないのだろうな」
マチルダ 「ああそうさ! だから───」
中井出  「でもね、マチルダさん。
      親が残した責任は、子が全部負わなきゃいけないのかい?」
マチルダ 「───! ……それは」
ウェールズ「父は貴族派と戦い、死んだ。私は最後まで諦めず戦った父を見事だと思った。
      私もそうありたいとさえ思った。
      こうしておめおめと自分だけ生き残った今でも、
      父とともに逝けなかったことを悔やむ時がある」

 アンリエッタが言葉を遮ろうとするが、それはウェールズ自身によって止められた。

ウェールズ「マチルダ・オブ・サウスゴータ。知っての通り父は死んだ。
      復讐したい気持ちも、私にだって解る。私は貴族派が憎い。
      復讐できるのならと、心が何度もざわついている」
マチルダ 「……あんた……」
ウェールズ「父があなたに恨まれているのはよく解った。そちらの女性など特にだろう。
      だが……死ぬべきだったなどとは間違っても思いたくない。
      あなた方の両親が尊い者であるように、
      私にとっての父もまた、大切な父だった」
マチルダ 「………」
ウェールズ「父の意思を継いで、貴族達を律することが出来ればと願った。
      しかし私一人の力などでは、
      国を変えるどころか貴族一人の心さえ変えられない」
マチルダ 「当たり前さ。立派だから従うだなんて、そんな───」
ウェールズ「……だから、滅んだ」
マチルダ 「っ……!」

 母も父も死に、貴族派についた臣下の大半など、クロムウェルに殺された上で操られている。そうであろう事実を考えるたび、律することが出来なかった過去を悔やむしかなかった。

ウェールズ「運命というものがあるのなら、父は王として死ねただけ、ましなのだろうね。
      私はきっと、そこに辿り着けずに消えてしまうのだろう」
マチルダ 「王として、だって? あれの何処が王だい!」
ウェールズ「王だったさ。父は父の意思を王として貫いた。
      たとえそれが無様であろうと王に見えなかったのであろうと、
      父は“自分の中の王として”を貫き、逝った。
      しかし私は彼に意思を曲げられ、生き落ち、ここでのうのうと生きている」
マチルダ 「……死んだほうがましだったとでも言う気かい?」
ウェールズ「それは否だ。私が生きたことで泣き顔を笑顔にしてくれた人が居るのなら、
      その笑顔の分だけでも生きなければ、私は“私として”を二度と貫けない」

 真っ直ぐに目を逸らさず。
 父の、目を背けたい過去を目の前にしても、ウェールズはマチルダとティファニアの前から逃げ出さなかった。
 ウェールズの父、ジェームズ一世を殺したのはレコン・キスタ。
 そして“土くれのフーケ”はレコン・キスタに参加していた。
 間接的とはいえ、彼女は復讐を成し遂げたといえる。
 ならばウェールズはどうだろう。
 相手が両親を殺された仇を討ったならば、彼は父親の仇を取る権利を得られるのか?

マチルダ「……あんたは、復讐するかい?」

 そう思ったマチルダは、本人にこそを訊ねた。
 どうせ頷くだろう……そう思っていたが、彼は首を横に振った。

ウェールズ「ワルド子爵がレコン・キスタだった。
      そんな彼とままごとのような戦いをしていた協力者の土くれのフーケもまた、
      レコン・キスタ。……だがね、ミス・ロングビル。
      もう、終わったことだ。終わったことなんだよ、復讐など」

 悲しげに、しかしどこか苦笑を混ぜ、彼は言った。

ウェールズ「始祖のもとに生きる者として、
      エルフの間に子など、と思った父を否定する気はない。
      しかし、だからといって殺していいかと言われれば、私は否だと答える。
      なぜそっとしておいてあげられなかったのだろうと悔やむばかりだ」
マチルダ 「ハッ、調子のいいことを───」
ウェールズ「だから……父が死んでいいとも思わない。
      あれでよかったのだなどと、思いたくもない。
      彼は私のたった一人の、厳しくも誇らしい父であり王だったんだ。
      ああ、レコン・キスタが憎い。
      私は、復讐ができるのなら、手が赤く染まっても構わないと叫べる」
マチルダ 「だったら!」
ウェールズ「だがね……だからこそ終わりにするんだ」
マチルダ 「───!」

 息を飲む音がした。
 何を言い出すのだと、神経を疑ったほどだ。

ウェールズ「父は殺された。
      あなた方の仇は死に、アルビオンは貴族派に飲まれた。
      それを守れなかったのが悔しくてたまらない。
      父が殺されたのが悔しくてたまらない。
      それでも……彼が王であったからこのことが起こり、結果が今ならば……。
      受け入れ、それでも生きて抗うしか……ないではないか……!」

 見れば、彼の拳は硬く握られていた。
 ギチチ、と音が聞こえてきそうなくらい、きつくきつく。

マチルダ「………」
中井出 「マチルダさん。ウェールズはウェールズだ。
     王である父に憧れた、ただの皇太子。
     父がキミタチの親の仇だったことなんて知らないし、
     そんな罪は子供が請け負うべきものじゃあない。
     そうなんだとしたら、キミらはレコン・キスタとして、
     ウェールズの復讐の刃を受けなければいけない」
マチルダ「なっ……冗談じゃないよ! こっちはやっとの思いで仇を───」
中井出 「なら、ウェールズが父の仇だと刃を向けたら、お前は受けなきゃウソだ」
マチルダ「っ……」
中井出 「お前らが殺したんだ。殺されたから殺し返した。
     なら、ウェールズが殺されたから殺し返すことも出来る。
     でも、ウェールズはそんなこと望んじゃいないって言ってる」
マチルダ「………」
中井出 「ね、マチルダさん。親子ってのは血は繋がってるけど、中身は他人なんだよ。
     親の責任を背負いきるには子供は小さいし、
     自分が殺したわけでもないのに人殺しなんて言われたら泣きたくもなる。
     キミは、親が匿ってたからティファニアを匿ってたの?」
マチルダ「最初はそうだったさ。けど、今は───」
中井出 「だったらそれでいいじゃん。親は親、マチルダさんはマチルダさんだ。
     ウェールズは復讐の連鎖を自分の番の時点で終わらせようとしてる。
     それをマチルダさんが受け入れなきゃ、あいつは苦しんだままだ」
マチルダ「私が、だって? テファのことを忘れるんじゃ───」

 言いながら、自分の妹分を見た。
 だが、彼女は悲しそうな顔で目を伏せ、首を横に振るうだけ。
 復讐は復讐しか生まない。別に生まれるものがあるとすれば、憎悪か、或いは家族を憎んだために生まれる感謝か。
 それでも、視線の先の妹は悲しそうだった。
 そんな顔を自分がさせたのかと思うと、マチルダは動揺を隠せはしなかった。

中井出 「誰かが我慢しなきゃいけない。
     復讐したって心が晴れるなんてことは完全には在り得ない。
     結局みんなが我慢しなきゃいけない。
     でも、一番我慢しなきゃいけないのは……ぶつける場所がないヤツだ。
     この場合のそれが誰なのか、もう解るだろ?」
マチルダ「………」

 ウェールズは拳を握り固めていた。
 顔には決して出さず、表情は凛々しいままに、しかし拳で泣いていた。
 それに気づいたマチルダは、もう何も言えなかった。

中井出「別の誰かが損したからって別の誰かが得をする、なんてのは絶対じゃないよ。
    みんなが泣かなきゃいけない時だってある。
    大勢の中で、たった一人だけが泣かなきゃいけない時だってある」

 中井出の言葉に、ウェールズとアンリエッタは悲しそうな視線を向けた。
 中井出はすぐに取り繕うが、笑顔を作るのに失敗して、頭をがじがじと引っ掻いた。

中井出「でもまぁ、止まない雨はないんだそうだよ?
    雨が止めば固まるものだってあるでしょ?
    こうして心の中ぶちまけられたんだ。ここからまた始めりゃいいさ。
    ここからの道、頑張って固めていこうぜ? 土メイジさん」

 言って、マチルダの背中をポムッと叩いた。
 マチルダはそんな彼へと振り返り、文句のひとつでも言ってやろうと思ったが、そいつがあんまりにも情けない顔をしていたために、なにも言えなくなってしまった。

アンリエッタ「……わたくしからもお願いします。
       今さら王族などになにも言われたくはないでしょうが」
ウェールズ 「言い訳になるだろうし、都合のいいことだと笑われるかもしれない。
       けど、ここは貴族も平民も無い領地らしいから。
       死ぬ以外ならなんでもしよう。
       だから……ともに手を取り、大地に根を下ろし、生きてゆこう。
       空に……アルビオンに居たのでは理解できないことを、
       大地とともに知っていこう。ここでならそれが出来る気がするんだ」
マチルダ  「…………」

 真っ直ぐに見つめる。
 マチルダもウェールズも視線を外さない。
 そんな状態が一分以上続いた頃、ふと……マチルダが溜め息とともに言葉を吐いた。

マチルダ 「……一度だ」
ウェールズ「え?」

 一度だ、と。
 意味を捉え損ねたウェールズが訊ねると、マチルダは舌打ちをしてからもう一度。

マチルダ 「一度だけ、信じてやる。貴族じゃなく、ただのウェールズを。
      ここでは貴族も平民も無いなら、あんたはただのウェールズだ。
      だから裏切るな。裏切ったら、今度こそあんたの血を恨み続けてやる。
      幾度失敗しようと、末代まで憎み続け、殺し続けてやる」
ウェールズ「……憎むのは私ではなく、ジェームズの血、ということかい?」
マチルダ 「…………あんたが関係ないなんてこと、最初から解ってたさ。
      ぶつける場所も無くなった今、ただ平穏に暮らせりゃいいと思ってた。
      でも、会っちまったら黙っていることなんて出来やしない。
      日陰でしか生きられなくなった今までの人生の分、
      それだけは絶対に譲れないし謝れないことだよ」
ウェールズ「……受け取ろう。私にはその義務がある」
マチルダ 「馬鹿言うんじゃないよ、義務じゃなくても受け取ってもらうさ」
ウェールズ「もちろんだ。父の責任の全てを背負うなんてことは、今の私には無理だ。
      だが、約束しよう。これからの君達の人生を少しでも支えると」
マチルダ 「ハ。なんだいそりゃ、口説いてるのかい?」
ウェールズ「生憎と好きな人は居てね。
      だが、私たちはこれから友であり仲間であり家族だろう?
      ……この作物が出来たら、真っ先に届けたい。受け取ってくれるかい?」
マチルダ 「…………」

 唖然。
 貴族が償いのために取り繕うものとは明らかに離れた贈り物だろう。
 しかし、いつからか貴族を嫌い、その在り方さえにも嫌悪を抱いていた彼女にとって、“出来た作物を真っ先に届ける”なんてことを鼻の頭に土をつけたままの皇太子に言われては、

マチルダ「……、くっ……ぶ───ぷはっ! あっはははははははは!!」

 ───笑う以外、無かった。
 それはなんでもない贈り物だろう。
 かぼちゃが出来たならかぼちゃで、いいかぼちゃが出来たからやるよ、なんて軽く言うようなもの。しかし、作っているのはアルビオンの皇太子で、真剣な顔で真っ直ぐに言われたのだ。
 ……貴族が嫌いだ。
 しかし、目の前に居る貴族のなんと土臭いことよ。
 目ばかりを見ていたのだと思いながら見てみれば、あちこち土がついて、途中でコケでもしたのだろうと容易に想像できる。そんな想像までもが笑いのタネとなり、彼女は笑った。
 相手が何かの侘びを贈るとして、いったいなんだったのならば許せたのだろう。
 そう考えてみても、家名の復活では怒るだろうし、金でも怒る。勲章をもらったらその場で破壊しているだろうし、適当な褒美でも結果は同じだった。
 だというのに、目の前の男は作物をくれるのだと言う。
 出来たものを真っ先に自分に届けると。
 ご機嫌取りや侘びとしては全然なっちゃいないというのに、自分が笑っているという結果を想像出来るものが、この答え以外には考えられなかった。

マチルダ「あはっ、あ、あ〜……もう……! くそっ、なんだって……!」

 笑いながら、泣いていた。
 ジェームズ一世が死んだ時点で、自分たちの復讐は終わったのだと割り切るべきだった。
 しかしウェールズが生きていて、そんな彼に怒りをぶつけて。
 情けないと思うと同時に、自分より年下の男が悔しさを飲んで我慢をしてみせた事実に衝撃を受けた。
 情けないと思う。悔しいと思う。悲しいと思う。
 それでも……以前よりも薄れた憎しみを抱いている自分は、もうとっくにこれからの道の一歩を固められたのかもしれないと。そう思えた自分が、悲しくもあり、嬉しかった。
 泣いてしまった自分に寄り添い、ともに泣いてくれる妹に感謝を。
 泣きながら、今まで気を張ってくれてありがとうと言ってくれる妹に感謝を。
 義理の姉妹は抱き合いながら、泣くだけ泣いて、涙が止まったなら、“もう一歩目の地”も固まるのだなと泣きながら笑っていた。



───……。


 夏期休暇最終日。
 翌日には再び朝には学院に行き、マルトーの仕事の手伝いだと意気込む中井出は、しかし現在医者もどきの仕事にてんてこ舞いだった。
 客は増える一方。
 秘薬も使わずに、平民も貴族も関係なく治してくれるということで、周囲からの評判はいい。水のメイジが“秘薬が売れない”と怒っているそうだが、商売の世界は残酷である。

マチルダ 「まったく、あんたは土の扱いがてんでなっちゃいないね。
      そんなんで収穫できるのかい?」
ウェールズ「う、うーん……これは難しいね。けど遣り甲斐がある。
      ところで草がいっぱい生えてきたんだが、これはなんという作物だい?」
マチルダ 「そりゃ雑草だよ! そんなことも知らずにあんなこと言ったのかい!?」
ウェールズ「出来たものを真っ先に届けるという言葉には、ウソはないつもりだが……」
マチルダ 「……はぁ。こんなのを憎んでたなんて思うと、
      自分が情けないったらありゃしない」

 ところどころでぎくしゃくしているものの、マチルダとウェールズの関係もそこまで尖ってはいない。出来の悪い弟を見る目でウェールズを見て、土ってものを教える土メイジさんは溜め息を吐いていた。
 そこへティファニアが水分を持って声をかける。
 ……帽子は、もう被ってはいなかった。

マチルダ  「あぁ、悪いねテファ……って、なんだいこれ」
ティファニア「ヒロミツさんが“暑い日はコレだ”って。“ムギチャ”っていうんだって」
マチルダ  「へえ」
ウェールズ 「ムギチャか。もらって、いいかな?」
ティファニア「あの、その……そう、畏まらないでください。
       両親を殺したのはあなたではないし、
       私も……マチルダ姉さんも、復讐なんか考えるよりも、笑っていたいから」
マチルダ  「テファ……」
ティファニア「それに、マチルダ姉さんと一緒に暮らせてる今が、とっても幸せだから」
マチルダ  「うぅっ……そ、そうかい? そ、そうかいそうかい……たははっ……」
ウェールズ 「……ふふっ」
マチルダ  「なにを笑ってんだいあんたは!!」
ウェールズ 「えっ!? い、いや、今のは嫌な意味で笑ったわけでは……!」

 関係はやはり姉弟のそれ。
 そもそもウェールズとティファニアは親が兄弟ということもあり、王族の血を引いている従兄妹ということになる。
 そこにきて、義理とはいえ姉のマチルダだ。姉と弟のような関係が出来るのも、不思議ではない……のだが、こんな関係になるなんてね、と苦笑するマチルダは、怒りながらも多少楽しそうだった。

ジョゼット「畑のほうは楽しそうですね」
中井出  「こっちは忙しいのにね。でも、“楽しそう”でなによりだよ。俺も嬉しい」
シエスタ 「誰かの楽しいが自分の楽しい、ですか……ヒロミツさんも大変ですね」
中井出  「自分の楽しいを他人の中にしか見い出せないだけだって。情けない。
      でも、姫ちゃんが居たらもっと騒がしかっただろうね」
シエスタ 「仕方ないですよ。陛下がそんなに王宮を空けるわけにもいきませんし」
ジョゼット「王宮……道化のお兄さま、トリステインの王宮って大きいんですの?」
中井出  「結構ね。王宮って言うだけはあるよ。……っと、はい次の方ー」

 話しながら診察を終えると次を呼ぶ。
 入れ替わりに入ってきた男性は貴族のようで、ほぼ毎日訪れていた。
 熱っぽい視線をジョゼットに向けている。

中井出「それで、症状は?」
貴族 「あ、ああ、うむ。実は胸が痛くてな」
中井出「ジョゼットの方を向きながら言われてもね。じゃあ次の方ー」
貴族 「待ちたまえ! まだ治してもらってないだろう!」
中井出「恋の病とかは専門外って看板に書いてあるでしょうが。
    あと、領地内の誰かを売るつもりも渡すつもりもありません」
貴族 「ぬう! 解っているのなら話は早い! ジョゼットくんを譲ってくれ!」
中井出「だめだ」

 即答である。
 その即答っぷりに、ポッとジョゼットが頬を染めた。
 自分は大事にされているのだと、そう受け取ったのだ。
 実はこういったことは一度や二度ではなく、あちこちの貴族から引き抜いた若い娘などを見るや、譲ってくれと言う貴族や口説きに走る平民は多かった。
 中井出と女衆の反応は一貫として“NO”。
 男の勝手で買われたりし、しかもそれが体目当てだというのだから、娘たちは軽い男性恐怖症になっていた。
 貴族に買われた娘の末路など、散々と好きでもない男に抱かれ、子供が出来たら少ない手切れ金を握らされて捨てられるだけなのだ。
 その事実を知るだけに、貴族に買われた平民の女はある意味で人生を諦める。
 貴族の子供を宿し、その上捨てられた平民の女は平民からすら穢れた者として見られる。
 子の生命を破棄する方法を取ったところで、子を殺した事実がついて回る。
 平民にも貴族にも味方が居なくなれば、ただ辛い人生が待つだけなのだ。

中井出  「ほんと、口説くヤツ増えたなぁ……」
ジョゼット「まあ! 原因であるお兄さまがそのようなことを!
      道化のお兄さまが優しすぎるからですわ!」
中井出  「だって、男の欲望のために女が傷つくなんて、なんか嫌じゃない。
      欲望の捌け口になるために生きてきたわけじゃないんだからさ」
シエスタ 「……買い戻してくれたお方がヒロミツさんで、よかったです」
中井出  「そう思ってくれるなら、それだけで十分だって」

 そんな辛い人生の幕開けを、ひょいと現れた男が救ってくれた。
 わけも解らず、横から買われて連れていかれた先で、自分はやはりいいようにされるのかと半ば諦めていた……のだが、辿り着いてみれば老人達が賑やかな領地。
 言われたのは、「楽しく元気に生きなさい。それだけを理由に、僕はキミを買いました」という、なんだかよく解らないものだった。油断させるための言葉では、と警戒してみたりはした娘達だったが、夜の老人集会でそんな考えは吹き飛んだ。
 “楽しい”のことしかあまり考えていない領主は、自分たちの体のことなど“健康面でしか”気にしていないのだ。それに気づいた娘たちは気が抜けると同時に腰も抜かし、笑顔の領主に介抱された。
 それからは、新しく連れてこられた若い娘に領主のことを話すのが、彼女らの仕事になった。仕事といっても別にメイドとしての仕事もしているのだが、連れてこられたばかりの娘は半信半疑の者が多いのだ。
 大体は一日でもう笑っていたりするのだが、“男嫌い”は大体の娘に刻まれていた。
 貴族には特にであり、平民の男でも口説こうとしてくる男には明らかに怯える。
 その度に中井出が殴り飛ばしてご退場願っているのだが、懲りずにやってくる。
 なので───

中井出 「ところで、出入り禁止カードを作ったんだけど」
シエスタ「出入り……なんですか?」
中井出 「禁止カード」

 ───彼は奇妙なカードを創っていた。
 領地内で不埒なこと、または女目当てで病でもないのにやって来た場合は弾くという、スケベ排除カード。領地の出入り口で効果を発揮しカードが通る者の感情を受け取り、退場願う。

ジョゼット「まあ。ではお兄さまに独占されているのですね」
中井出  「? 独占? なにを?」
シエスタ 「領地に居る美しい女性全員ですよ、ヒロミツさん」
中井出  「……? えっと?」

 首を傾げる。
 ボケではなく、本気で。
 彼は本気の本気で、ただ絶望の道を歩まされそうになっていた子に手を差し伸べただけである。そこに女性を独占だとか、子供を育てて光ってゲンズィーな考えなどは一切ない。
 ただ元気に楽しく生きてほしい。それだけである。
 だから傾げる。女性らは苦笑する。

ジョゼット「道化のお兄さま。わたしのこと、好きですの?」
中井出  「好きっていうか、大事」
シエスタ 「わたしは?」
中井出  「大事」

 友で仲間で家族だし、とにっこり笑顔で言う。
 ……二人は黙って、中井出の頬を片方ずつ引っ張った。

中井出「ひゃれーふぁんわん!!《どーーーーん!!》」

 カレーパンマンと言いたいらしい。
 めげない男である。

ジョゼット「お兄さまは自覚無しに女性を口説くのですね」
中井出  「ひゅふぉふ? ふぁふぃふぉ?」
シエスタ 「なにを、って……あれだけの人数を連れてきておいて、自覚がないんですか」
中井出  「ふぃふぁふ? ふふー…………?」

 フムー、と腕を組む。頬は変わらず引っ張られ、カレーパンマン状態だ。
 しかし口説いた覚えなどないので、答えに辿り着かない。
 ヒロラインのどこかで、然の精霊と無の精霊が「北郷一刀さんの木刀から意思を取り込んでからというもの、博光さんが鈍感になった気がするんです」「皆まで言うな、解る」という会話をしていたが、気にすることでもないので流そう。
 そうこうしているうちに頬は解放され、彼はふむと頷いた。

中井出「なるほど、確かに横から女性を奪っていくのは、ある意味口説きだよね」

 結婚式でかっさらうとか、昔ドラマでやってたしなぁと楽しげに言う。
 ……頬が、再び引っ張られた。
 さて、そんな長閑な日々。休暇最後の日に、事件は起こった。
 事件と呼べるのかは疑問ではあるが、騒ぎがあったのは確かである。

……。

 昼である。
 本日快晴。客も珍しく切れ、中井出は自室のベッドですいよすいよと眠っていた。
 外では「いつになったら覚えるんだいこの馬鹿王子!」という罵声が聞こえてくる。どうやらウェールズがマチルダに怒られているらしい。
 段々と砕けているようで、罵声からは以前には存在した刺々しさが少しだけ抜けていた。
 王党派の貴族たちも見慣れた光景だとばかりに苦笑している。
 老人達は相変わらず絶好調で、連れてこられた子供や娘も元気に生活している。
 そんな穏やかな時間の中、貴族に買われた一人であるメイドに起こされ、目を開ける。
 申し訳なさそうに「お客様です」という少女は、扉を開けて待機する。
 客というのは“会いに来た者”ではなく“治療を願う者”のことだ。
 中井出は頬をびしゃんと叩くと目を覚まし、気分だけでもといつも着ている白衣を着る。
 そして部屋を出る途中でドアを開けて待機していてくれた少女の頭を「ありがとう、いつも助かりまする」と言って撫で、客が待つ診察室へと移動した。
 ……少女は、主人に褒められた忠犬のように嬉しそうだった。

中井出「お待たせです」

 診察室とは名ばかりの個室に行くと、そこには使い魔を抱えたメイジが居た。
 これで結構使い魔やペットの治療も頼みに来る者も少なくない。
 今回は使い魔のようで、主人も学院の生徒のようだ。
 水メイジでもなければ治療というのは案外難しく、親が貴族だから子供までもが金を持っているかといったらそうでもない。グラモン家とモンモランシ家が良い例だ。
 なので安くて済むここへと来たのだろう。

中井出「おや、学院の生徒さんか。今日は治療で?」
メイジ「御託はいいから治したまえ。医者に医者以外の仕事など望まない」
中井出「そりゃそうですが、もっと気持ちよく仕事させてくれコノヤロウ」

 言いながらも分析を開始する。
 何処が悪いのかを分析するのと、その人物や動物にとって“どの状態が正常か”を調べ、その状態へと持って行く。それがこの診療所もどきで行われているものだ。
 口の減らない貴族は後を絶たず、その度にストレスが溜まる。
 貴族が嫌いなのだ、さっさと治せと言わせて治せば、言いなりになっている感覚さえ生まれてしまう。彼はそれがたまらなく嫌だった。
 癒しの空気の中に居てもその嫌悪感が途切れることはない。
 ようやく休めたと思えば客が来て、平民でありますようにと願えば特大に嫌なヤツ。
 そういうカウンターがストレスを蓄積させていた。
 ……そして、そんな時にばかり嫌なことは重なるものである。
 診察中&治療中だというのにドアが乱暴に開けられ、偉そうなおっさんがズカズカと入ってきたのである。

おっさん「貴様か! 貴様が噂の“神の癒し手”の───」
中井出 「順番守れクサレ貴族がぁああああっ!!!」

 なので、キレた。
 急に入ってきて胸倉を掴んだおっさんを、彼は思い切り殴り、真っ直ぐに殴り飛ばすのではなく拳に引っ掛けるようにして振り回すように飛ばした。
 その先にある窓をブチ破り、スッ飛んでゆくおっさん。
 畑で仕事をしていたウェールズやマチルダ、手伝いをしていたティファニアが大層驚いたが、「また順番守らない馬鹿な貴族が来たんだね」と、鼻で笑われた。
 ……そのおっさん。
 名を、ピエール・ド・ラ・ヴァリエール公爵という。




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