23/才がもたらした擦れ違い

 翌日。
 夏期休暇が終わりを告げ、いよいよ学院開始ですよという朝、カトレアは公爵とカリーヌに連れられ、馬車でラ・ヴァリエール邸へと帰っていった。
 何度もお礼を言っていたが、礼なら確認が終わってからねと返され、笑っていた。

中井出「さぁってとぉ……よし!
    マナも大分溜まったし、また楽しいを求める人を探しますか!
    あ、でも公爵が戻ってきた時に居ないとやばいね。
    まあ治ってなかったら殺しにきてねって言ったし、治ったら来ないでしょ。
    治したら不問にするって言ってたんだし、それでチャラになるわけだ。
    もうここに用は無いわけだもの。……でも、妙な難癖つけられても、
    領地のみんなが迷惑するだけだしね。じゃあ書置きでも」

 学院は無視のようだった。

中井出「だって領地のことで忙しいんだもん! ウソだけど!」

 収入が入るようになって以来、時々にしか学院には顔を出さないつもりのようだ。

中井出「フムス。“楽しいを知らない人に楽しいを与える旅に出ます。
    二ヵ月経つまでには戻りますので、領地経営はウェールズに任せます。
    治療の方はマチルダ、ジョゼット、シエスタに。
    薬には用途が書いてあるので、客の症状に合わせて使ってください”……と。
    あ、公爵のことも書いておかないとだな。
    “ラ・ヴァリエール公爵らが来たら、治ってるなら不問ですよね?
    大切な用事があるのでちょっと出ますと伝えておいてください”っと」

 ペンと紙を卓上に置き、歩き出す。
 が、いざ放浪をと張り切ったところで、屋敷前の掃除をしていたティファニアに見つかった。
 それは、屋敷から出て45秒後の邂逅だった。

中井出   「やあ」
ティファニア「あ、お、おはようございますっ」
中井出   「……誰も“やあ”って返してくれない……」
ティファニア「えっ?」

 小さく落ち込んだ。
 オルニエールを下賜されてから一ヶ月近く経つわけだが、一人として“やあ”を返すものは居なかった。
 子供たちに大いに期待していた中井出だが、返ってくるのは“あー! おもしろいにーちゃん!”や“どーけー! どーけのにーちゃんだー!”とか“ほほえみのドーケだー!”などといった言葉である。最後の言葉に、マチルダが吹き出して爆笑していた。
 そんな彼の心に気づかず、時は流れ……現在。彼の喉から搾り出された。

中井出   「あ、いや、なんでもないです。
       これから僕、ちょっと楽しいを求める人を探しに行きます。
       少し領地空けるけど、良い子にして待っててね?」
ティファニア「え、あ、あのっ」
中井出   「ウィ?」

 ジークフリードを空中に寝かせ、どっこいせーと登ろうとしたところで声を掛けられる。
 振り向いてみれば、ティファニアが近寄ってきて、彼の服を掴んでいたところだった。

中井出   「一緒にくる?」
ティファニア「あ、いえあのっ……そのっ……」
中井出   「…………。急ぎません。じっくり纏めてから話してごらんなさい」
ティファニア「う、うん……」

 やんわりと言うと、ティファニアは小さく口を開けて深呼吸をした。
 その度に異常とも言えるほどの豊満な胸が上下に動くが、中井出の目には入っていなかった。というか、“愛する者”の体にしか興味が無いのだ。

ティファニア「ヒロミツ、訊きたいことがあったの。
       その……どうしてわたしたちを受け入れようと思ったの?」

 ティファニアの口から不安を具現化させた言葉が吐き出さ

中井出「楽しんでほしかったから」

 ……即答である。

ティファニア「え……そ、それだけ?」
中井出   「え? あ、うん。それだけ。
       だってつまんないじゃん、エルフ、ハーフエルフってだけで嫌って、
       仲良くできないなんて。俺そういうの、大嫌いだ。
       しかもそれだけの理由で親を殺された? 冗談じゃない。
       まあ、殺されたってことに怒りを覚えたのは受け入れたあとのことだし、
       受け入れたのは本当に楽しんでほしいって思ったからだよ」
ティファニア「……どうして、楽しんでほしいって思ったの?」
中井出   「目が合った時、怯えてたろ? だから。
       わざわざアルビオンからここを目指すなんて、観光にしちゃおかしすぎる。
       しかも女二人が子供をぞろぞろ連れてだよ?
       ワケありだとしか思えないじゃないか」
ティファニア「わ、わけありだから許してくれたの?」
中井出   「ワケありだから、楽しんでほしかったんだ。
       許すことなんて俺にゃあなんにもないぞ?
       お前は来て、住まわせてと言って、俺がどうぞって言った。
       それだけのことだし、ここは一応俺の領地だから。
       誰にも文句は言わせないし、国が攻め込んできても───」

 苦笑ではなくにっこりと笑い、ティファニアの頭を撫でて、彼は言った。

中井出「守りましょう。全部を守るのも全部を救うのも、正直嫌いだ。
    正義ってのが嫌いだ。でも、俺は友達と仲間と家族は絶対に裏切らない」

 中井出は、自分でも珍しいことを言っている自覚があった。
 かつての仲間、晦悠介の最果て……ルドラが、“守り続けた結果”どうなったかを知っている彼にとって、守るという言葉は尊くも、ひどいものであることも知っている。
 しかしそれでも守ると言った。
 その言葉に偽りはなかった。

中井出   「外ではまだ許されないけど、
       せめてここでだけはそのままのテファとして生きてくれ。
       ハーフエルフだからって、エルフにも人間にも怯えながら暮らすなんて、
       そんなのは俺が嫌だから」
ティファニア「……ふふっ、ヘンなの。ヒロミツが嫌だからわたしを楽しませたいの?」
中井出   「っへへ〜、そだよー? 俺は我が儘な人間なのだ。
       自分勝手だし自分の考えばっかりを優先させる外道ってやつさ」

 だからと。ティファニアの頬をそっと両手で包み、真っ直ぐに微笑を向ける。

中井出「幸せにおなり。たくさんの楽しいを見つけて、たくさん幸せにおなり。
    俺は一方的にそれを望んで、自分勝手にそれを押し付ける。
    みんなが楽しいなら、俺も楽しいから。
    俺が楽しみたいから、みんなの楽しいのお手伝いをさせてくれ」

 しかしそう言った途端、にーう、と頬を引っ張る。
 ティファニアが何か言おうとした途端のことだった。

中井出「心のやさしいお子に、祝福あれ。
    ブリミルではなく、それぞれの心の拠り所に願いを」

 パッと放すのではなく、もう一度頬を包むようにして戻す。
 途端にいろいろと言われたが、全てを笑って返した。

中井出   「っとそうだ。テファ、キミにプレゼント」
ティファニア「えっ?」

 いつか分析したジョゼットのネックレスを、形と性能を変化させて創造。
 チョーカーの形にして、ティファニアの首につけた。
 すると耳がぽしゅんっと人の形になり、それに気づいていないティファニアは、正面からチョーカーをつけられたことに対して真っ赤になっていた。

中井出「おお、見事見事。
    じゃあ、僕これから楽しいを知らぬ人に楽しいを《くいっ》ムオッ!?」

 やりたいことを勝手に済ませ、さっさと去ろうとした中井出だったが、服が再び掴まれた。振り向いてみればやはりティファニア。

中井出   「え? あ、あの? お話終わったよね? 僕、これからいろいろ……」
ティファニア「わ、わたしにも手伝わせてっ」
中井出   「いいよ?」
ティファニア「えっ……? ……いいの?」

 てっきり断られるかと思っていたティファニアだったが、物凄くあっさりと頷かれ、逆に驚いていた。
 思えばウエストウッドで暮らしていた時も、マチルダにお願いをしてみれば、はぐらかされたり断られたり。そんな経験が自分の願いは叶いづらいのだと思わせていたのだが……本当にあっさりで、彼女は驚いていた。

中井出   「いやいや、自分から楽しいを探すのはいいことですぞ。
       この博光めはそれを全力でお見事といいます」
ティファニア「いやだわ、ヒロミツったら。まるで従者さんみたい」
中井出   「いや……最近お兄さん的な振る舞いもダメになってきてる気がして。
       ならもうセヴァスチャン的な振る舞いじゃないとダメかなって……」

 とほ〜……と溜め息が漏れていた。
 しかしティファニアの手を取ると、寝かせた剣の上まで飛び乗り、「準備はいい?」と訊ねる。コクリと少し興奮気味に頷くティファニアの格好を上から下まで見ると、“その格好じゃ、患者さんに見てくれって言ってるようなもんだよ”と渡した服が身に着けられていた。
 胸の大きさが異常なので、それが出来るだけ目立たないようにと工夫を凝らした創造物だが、それでも隠しきれないほどの大きさに、創造した本人が手を上げた。言葉通りのお手上げである。
 それに対して「わたしの胸、ヘンなのかな……」と不安を吐くティファニアに対し、彼は「人それぞれだしヘンじゃない」と言う。
 なんにせよ、男の患者にジロジロと好奇の視線を送られるティファニアにとって、きちんと目を見て話してくれる中井出という存在は、少しありがたく、少し変わった存在だった。

ティファニア「この服、長いのに涼しくてすごいね」
中井出   「そうなるように創りましたとも。うん、やはり女性は慎ましくですな」

 手首まで隠れる袖に、首下に合わせたポンチョのようなマントは、膝下まで伸びている。合わせているのは首の下やや横二箇所だけなので、腕を出すのに支障はない。下はスカートではなくズボンであり、これは覗かれる心配を少しでも無くすための配慮だった。
 美的感覚の薄い彼だが、男が見てもなんとなくカッコイイかも……と思える服装を想像して創造したつもりである。……この場合の男とは、がきんちょのことを指すが。
 子供たちと一緒に育ったティファニアにしてみれば、子供がカッコイイと思うものもカッコイイと思えたりするのである。なんにせよ、マントというものに男の子は一度は憧れるものなのだ。

ティファニア「くすくすっ♪ やっぱりなんだか貴族さまになったみたい」
中井出   「貴族といいますか、王族でございましょう」
ティファニア「むうっ、その喋りかた、やめて、ヒロミツ」
中井出   「な、何故でございますかお嬢様!
       この博光めから、よもや従者の在り方まで取り上げると!
       そうっ……そう仰るのですか!?」
ティファニア「だって……なんだかお友達って感じがしない」
中井出   「ぬぐはっ!」

 まったくその通りであった。
 なので渋々口調を元に戻すと、笑顔のティファニアに喜ばれた。

……。

 空を往く。
 目的地は霊章内の猛者情報に従って、もう決まっていた。
 今回の出来事の攻略のコツは、疑わずにただ実行すること、とのことらしい。
 中井出は以前からそのことで騙されていたので、「また女関係じゃねぇだろうな」と疑いをかけたのだが、キッパリと“男だ。激しく男だ”と言われ、ホっとしていいのかよくないのか微妙な感覚に陥った。
 それはさておき、やってきたのは大国とも呼べる広い国、ガリア。
 ここで言われるがままに行動しろというのだ。

中井出「見知らぬ国で、僕になにをしろと……」

 疑問ばかりが沸いたが、これがオルニエールのためになるのだとよく解らないことを言われ、ガリアと領地の何が関係しているのかを悩んでいるうちにガリアである。

中井出「俺って馬鹿なんかなぁ……」

 呟いたところで、返事はなかった。
 ティファニアも、空から見下ろす大国に興奮してそれどころではないのだ。

ティファニア「すごい、とても大きいのねっ」
中井出   「絶景だろー! こうして空飛べるのももうちょっとだけだから、
       今のうちにたーんと堪能してくれーい!」
ティファニア「え? 今のうちってどういうこと?」
中井出   「いやね? 僕いろいろなものと融合して、
       いろいろなものに支えられて生きています。
       で、それの中にはもちろん空界のものもたーんとあって……
       ええまあ、ハイ。弱齢の時期もしっかりあるのですよ」
ティファニア「じゃくれいの……?」
中井出   「千年の寿命っていう……あー……ハルケギニアでいう秘薬の副作用。
       力を得る代わりにね、一定の時期になると、能力が使えなくなるんだ」
ティファニア「そうなの? 大丈夫なの?」
中井出   「まあ今のところは。この感じだとあと二ヶ月もしたらヤバイかな」

 だからこその二ヶ月経つまでには帰るとの書置きだった。

ティファニア「そんなに危険なの?」
中井出   「俺にとって能力が使えなくなるっていうのはねぇ……。
       というかね、まず気持ち悪くなる。
       マナの吸収も蓄積も今ほど出来なくなるし、
       武具とかも満足に扱えるかどうか……」

 不安ばかりが募る。
 まあそんな、タイミングよく不幸な事態など起こらないだろうと、この時の彼は安心していた。

ティファニア「……無事に帰って、みんなでまたヤハラしようね」
中井出   「おや。気に入った?」
ティファニア「う、うん。あれ、とっても“仲間だなぁ”って思えるから大好き」

 ヤハラ。敵を倒せって意味だが、オルニエールでの意味は違う。
 そもそもハルケギニアにはそんな言葉はなく、叫ぶと心に炎が燃えるという理由で、中井出が領民に叫ばせた言葉である。
 使うのはもっぱら、焚き火と大鍋で食らう大ヨシェナヴェパーティーの時。
 皆で作物や魚などを持ち寄って、領民で飲めや歌えの騒ぎをする。
 その開始の合図が全力で叫ぶ“ヤハラァーーーッ!!”であり、つまるところの敵は、アツアツのヨシェナヴェということになる。
 何気なく言ってみた言葉にノリのいい老人が続き、ジョゼットが続き、ウェールズが……と、次第に広がり、今では全員が叫ぶほど。
 そんな一体感が皆好きで、ティファニアもまたその一人だった。
 領民の心が一つになった時から、ヨシェナヴェパーティーの名称はヤハラに変わった。

中井出(敵を倒せ、って……ティファニアが言う言葉じゃないよなぁああ……)

 そして彼は奇妙な罪悪感に苛まれていた。自業自得であるが、彼自身も何気ない叫びがみんなの心に浸透するとは思っていなかったのだ。
 もし才人を招くことがあったら、いろいろバレる前に始末しよう……密かにそんなことを考えていると、やがて王宮へと辿り着いた。

ティファニア「おっきいお城……え? ここに? は、入るのっ?」
中井出   「そんなお告げを得たのです。
       というわけでテファ、危険だからマントの中に入っておりなさい」
ティファニア「ヒロミツは? 危険じゃないの?」
中井出   「危険なら逃げますとも」

 マントにティファニアを収納。
 ジークフリードから飛び降りながらジークフリードを回収、王宮に乗り込むと、早速時を止め、言われた場所を目指して走った。
 示された場所は……ガリア王ジョゼフの前だった。

……。

 ガリア王ジョゼフ。
 外見で言えば……“エレメンタルマスタァーーッ!! ウゥーーッハッハッハッハ!”な姿と形である。頭にサークレットつけて色黒になれば完璧だと思うんだ。豪快さんだし。
 ……さて。ともあれ、ジョゼフの私室にてジョゼフを発見した中井出は、とりあえず天井に張り付いた。隠れるならカーテンの後ろだのクロゼットの中だのあるだろうに、何故この男はこうなのか……時々彼自身も思うことだが、そのほうが普通じゃないから。ただそれだけである。

ジョゼフ「…………うん?」

 時を動かす。
 すると、ジョゼフがきょろりと辺りを見渡す。
 丁度チェスをしていたのか、卓上には盤。右手には駒。
 それをカッと置こうとして、彼は停止。辺りを見た。

ジョゼフ「フッ……フハッ! フハハハハハッ! なんだ、突然ネズミが現れたな!」
中井出 「いや……違うな」
ジョゼフ「ほう? 逃げも隠れもせぬか。まあいい、退屈凌ぎにはなるだろう。
     チェスの相手をしろ」
中井出 「おお了解。勝ったら褒美もらっていい?」
ジョゼフ「望みのものをくれてやろう。クックック」

 何がおかしいのか、天井に張り付いた中井出を………見ているから笑っているのだろう。
 その事実に気づいた中井出は、少し悲しそうな顔をしながら絨毯の上に下りた。
 途端、背後に人の気配。

ジョゼフ「よい、ミューズ。手を出すことは許さんぞ」

 ミューズと呼ばれた女性はその言葉に従い、下がる。

中井出 「じゃ、俺が負けたらどうしようか」
ジョゼフ「おれを楽しませろ。それだけでよい」
中井出 「了解」

 青髪の男の正面に座し、彼はチェスを構えた。
 そして15秒後。

中井出「ありません……」

 ルールも知らん馬鹿者は、あっさりと敗北した。
 そして対戦者からの一言。

ジョゼフ「つまらん」
中井出 「《ザグシャア!》ゲブゥウハァッ!!?」

 楽しいを提供する者にとって、これほど突き刺さる言葉はない。
 中井出はクロマティ高校の前田くんのように真っ青をになりながら頭を抱えた。
 が、すぐに顔を上げるともう一戦を申し込んだ。
 今までのは実力じゃねー!と勝手に言って。
 そして望む二回戦目…………霊章内の全員の頭脳を以って、なんとか勝利。

ジョゼフ「ほう! おれを負かすか! 負けるなどいつぶりだ!?」
中井出 「いや知りませんが。では約束通り、あなたを楽しませ、褒美をいただきます」
ジョゼフ「フハハハハ! 好きにしろ! だが、楽しめるまでは帰さん!」
中井出 「大丈夫でございます。それどころかあなたを泣かせてみせましょう」
ジョゼフ「───なに?」

 言うや、場の精霊に協力してもらい、力場を生成。
 この部屋一つを丸ごと時の流れに切り抜くように調整し、“言われるままに”ジョゼフが指に嵌めている土のルビーの記憶を辿った。
 ようするに次元干渉───月空力の能力である。

ジョゼフ「……ここは……?」

 急に景色が変わったことに、ジョゼフは軽く動揺してみせた。

ジョゼフ「父の執務室ではないか」

 家具の並びを見るに、父王が崩御するほんのわずか前の様子だった。

中井出 「ジョゼフ王。これはあなたが持つ土のルビーの過去の記憶にございます」
ジョゼフ「土のルビーの? そんなことが」
中井出 「できるのか、と? 虚無の貴方がそれを仰るか」
ジョゼフ「……なるほど、ではこれは───」

 そこまで言うと、誰かの足音に気づき、咄嗟にカーテンの中へと隠れた。
 懐かしい香りがする。
 手入れは届いており、埃くささではなく、自分でも弟のものでもない、父王の部屋の香りがした。

ジョゼフ(……? 何故、おれは隠れた?)

 堂々と立っていればいい。
 だが、過去と言われた途端、妙な期待と不安が自分を襲っていた。
 不安? このおれが? と自問するが、答えが出るより先に、男が部屋へと入ってきた。

ジョゼフ「───!」

 その男を見て、ジョゼフは目を丸くした。
 その男は、自分が確かに殺してしまった弟、シャルルだったからだ。
 知らず、自分でも信じられないようなか細い声で、シャルル、と漏れた。
 こんな声が出せたのかと驚くほど。
 そんな状況の中、シャルルは険しい顔をし、父王の机の引き出しを乱暴に引っ張り、中身を床にぶちまけた。

ジョゼフ「!?」

 父王の宝石や勲章や書類が音を立ててばらまかれる。
 ジョゼフは混乱した。
 弟は常に冷静で人当たりがよく、こんな顔も行動もしたことがなかったのだ。
 シャルルは散らばったそれらの上に突っ伏すと、低い嗚咽を漏らし始めた。

ジョゼフ(なんだ……? なにがどうなっている。なぜお前は泣いているんだ、シャルル)

 飛び出し、問い詰めたい気持ちに駆られた。
 自分が父王に次の王はお前だと言われた時にも、サポートに回ることを笑顔で言っていた弟が、何故? あの言葉にどれだけ自分が打ちのめされたか。
 服装からして、恐らくは父王から次王の報告がなされた直後。
 あのあと弟は笑顔で立ち去り…………では。

シャルル「なぜ……どうして僕じゃないんだ……!」
ジョゼフ(なんだって……?)
シャルル「父さん、どうして僕が王じゃないんだ……! おかしいじゃないか……!
     僕は兄さんよりも何倍も魔法ができるんだぞ……!?
     家臣だってみんなぼくのことを慕ってる……!
     なのにどうして……わけがわからないよ……!」

 シャルルは、一個の指輪を手に取った。
 引っ張り出した際に散らばった、宝石の一つだ。
 ジョゼフは慌てて自分の指に目をやるが、そこには同じものがある。
 ではやはりと、何故か天井に張り付いた男を見上げる。
 そいつは視線を受けると静かに頷いた。

シャルル「兄さんに勝つために、ぼくがどれだけ努力したと思ってるんだ……!
     ぼくのほうが優秀だと証明するために、
     どれだけ見えないところで頑張ってきたと思ってるんだ……!
     すべては今日のため、今日のためだったのに……!」

 ……ジョゼフは静かに理解した。
 これは実際に起こったことで、土のルビーの記憶。
 ルビーを両手で胸に抱いて嗚咽を吐き出す弟は実際に居て、あの時の言葉は本音でもなんでもなかったのだと。
 “兄さんが王になってくれて本当によかった。ぼくは兄さんが大好きだからね。ぼくも一生懸命努力する。一緒にこの国を素晴らしい国にしよう”……そう言った弟に、自分は負けたのだと思った。いや、勝てた試しなど一度もないのだと思っていた。
 魔法が一切使えぬ“無能王”として様々に笑われ、弟は12歳という異例の若さでスクウェアクラスのメイジとなった天才。
 悔しがる姿など見たこともなく、常に冷静に、しかし笑顔が堪えない弟だった。

ジョゼフ「だというのに、これはなんだ……」
シャルル「!? だ、だれっ……だ───!?」

 知らず、声が漏れていた。
 しかしそれに焦る様子もなく、ジョゼフは静かに歩いた。
 慌てて涙を拭い、「ちがう、兄さん、違うんだ」と取り繕うシャルル。
 ジョゼフは、そんな弟の怯える姿さえ見たことがなかった。
 ……いや。きっと見ようともしなかったのだ。
 自分では勝てぬ天才の弟。
 それを直視することを、どこかで恐怖していたのかもしれない。

シャルル「父君の荷物をっ……整理していたら……っ……あ、慌てて、しまって……!」

 嗚咽が声を殺す。
 そんな彼は、今まで抱え込んでいたものに、今まさに押し潰されそうな顔をしていた。
 だから歩いた。
 怯えながら距離を取ろうとする弟を、もう……許してやるために。

ジョゼフ「いいんだ」

 どこまでもやさしい声でジョゼフは呟き、弟を抱き締めた。

シャルル「……兄……さん……?」

 シャルルは、もはや我慢しなかった。
 今の出来事を全て見られていたと理解するや、ぽろぽろと零れていた涙は溢れだし、泣き出した。

シャルル「ごめんよ、ごめんよ兄さん。ぼくは悔しい。どうしても悔しい。解らないんだ。
     どうしてぼくじゃなかったんだろう。あんなに努力したのに。
     あんなに苦労して魔法を覚えたのに。
     いつしかそれが当然みたいになって、それがたまらなく辛かった。
     父さんや兄さんは、ぼくがどれだけ頑張っていたか、知らないんだろうね」
ジョゼフ「わかっている。知っているよ、シャルル。だからもう泣くな。
     おれもそう思う。おまえのほうが王に相応しいよ。
     だってお前はあんなにも魔法が出来るじゃないか」
シャルル「兄さん、にいさん……!」

 しゃくりあげる弟を、子供をあやすようにポンポンと背中を叩く。

ジョゼフ「だからな、おれがお前を王にしてやる。
     父上の言葉はおれとお前しか知らないんだ。
     お前が王になって、おれは大臣になる。お前が言ったんだ。
     一緒に、この国を素晴らしい国にしよう。
     おれたちならそれが出来る。それがいい。そうしよう。な? シャルル」

 二人は抱き合いながら、涙を流し続けた。
 弟は懺悔を、兄もまた懺悔を。
 天才であった弟が、自分が敵わない存在だと思っていた弟が、自分に勝とうと努力していたこと。無能であった兄が、魔法以外では敵わないと思っていた兄が、自分に勝とうとしていたこと。
 互いに互いを愚かだと思いながらも、もっと早くに気づければ。もっと見ていてやれればと思えば思うほど、ジョゼフの目からは涙が止まらなかった。

中井出「……?《ニ、ニコッ?》」

 そして一人状況が読めずに、とりあえず笑んでみる馬鹿一人。
 言われるままに忍びこみ、言われるままに過去を見せた。
 二人の過去を知らないのであれば、いきなりこんな状況になっても戸惑うだけだ。

 ───今よりも過去。
 先代ガリア王は二人の子供を得た。
 一人はジョゼフ、一人はシャルル。
 ジョゼフは魔法が使えぬが全てにおいて天才を凌駕する力の持ち主。
 シャルルはジョゼフには劣るが、様々において天才の力を持ち、魔法においては天才以上の才能を持っていた。
 だが才能を開花させるには、当然努力が必要だ。
 本人が慟哭したとおり、そこには人には見せずにいた影での努力があったのだ。
 魔法を成功させれば“さすがシャルル様”と言われるほど、彼は魔法が上手かった。
 その他についても、兄と戦って負けても、悔しさは顔に出さずに“さすが兄さんだ”と褒めていた。……その言葉が、兄をどれほど追い詰めているかも知らないままに。
 知っての通り、この世界は魔法が全て。
 魔法が使えるからこそ貴族であると言うものが全てであり、貴族でありながら魔法が使えなければ、ルイズのように“ゼロ”などといった不名誉な二つ名をつけられることもある。

 だからこそ、魔法が使えぬジョゼフはシャルルに嫉妬していた。
 シャルルもまた、魔法以外では決して兄には勝てず、嫉妬していた。
 魔法以外の全てをこなす無能など、なにが無能なものか。
 しかし魔法を全てと考える貴族たちは、ジョゼフへ無能と陰口を叩いた。

 兄に勝つにはどうしたらいいのか。兄の悔しそうな顔を見るにはどうしたらいいのか。
 それを考えた末、シャルルは王位継承を願った。
 長兄が継承するのが普通ではあるが、兄は魔法が使えぬ“無能”。
 ならば魔法が使え、かつ臣下からの信頼も厚ければと、シャルルは家臣たちをたきつけ、根回しし、味方につけた。裏金さえ使い、ただただ王になることを望んだ。

シャルル「兄さん、ぼくは卑怯な男だ。どうしようもない、最低な男だ。
     それでも、ぼくは王になりたかった。兄さんは堂々としていたのに、
     ぼくはそうまでしても兄さんに敵わなかったんだ」
ジョゼフ「もういい、いいんだ、シャルル。俺とお前は一緒だった。
     どちらも馬鹿みたいに嫉妬し合い、それを打ち明けずに探り合いをしていた。
     口にすればよかったのだ。子供の頃のように、隠し事などせずに。
     笑いながら、ただお前は王になりたいと。俺は、お前を支えたいと。
     ただそれだけで……俺達は笑っていられたのだろうになぁ……!」
シャルル「兄さん……泣いて、いるのかい……?」
ジョゼフ「ああ……泣いている。おれも悔しくてたまらない。
     なぜ踏み込まなかったのだろうか。
     何故間に合わせることが出来なかったのだろうか。
     変わらぬ俺達であれたなら、おれはこんな過去に泣くことなどなかったのに」

 悔しいと言っているのに、ジョゼフは笑っていた。
 声を出してではなく、口角を持ち上げて。
 微笑であるそれは自虐であった。
 だというのに心には爽やかな気持ちが溢れ、満たしてゆく。
 ……それが悔しさを迎えた先にあった喜びであることに、彼はようやく気がついた。

ジョゼフ「シャルルよ……俺達でこの国をもっと素晴らしい国にしようじゃないか。
     父王にも負けないほどに立派な国だ。俺とお前とで、父を越えるんだ。
     俺達はこんなことになってしまったが、イザベラやシャルロットたちは、
     せめて笑んでいられる国にしよう。そこで……そんな国で、
     また飽きることなく勝負をしよう。
     負けてもいい。悔しかったら悔しいと言える勝負を。
     もう、感情を隠してお前が我慢して微笑む必要のない国で……」
シャルル「兄さん……ははっ……めちゃくちゃだよ、それは……。
     でも……ははは……あははははっ……!
     うんっ……それはとても楽しそうだね……!
     勝てるまで何度だってやって……そうだよ、
     兄さんの悔しがる顔を見てやるんだ……!」
ジョゼフ「ああ、そうだ。お前はそうやって笑っていてくれ……。
     おれが、俺がお前を王にするから……お前を支えていくから……。
     だから、この国をもっともっと素晴らしい国にしよう……!
     なぁ、シャルル……この国を、世界を、もっと……!
     俺達ならできるさ……俺達なら……なぁ、…………シャルル…………!」

 ……過去の景色が消える。
 抱き締めていた弟の体は消え、ジョゼフは自分の体を抱き締めるようにして泣いた。
 自分を抱き締めていた両手で顔を覆い、膝を着き、獣のように。

ジョゼフ「おれ、たちなら……! なぁ……シャル、ル……!」

 嗚咽に混じる声は何度も何度も繰り返された。
 もはや手の届かない過去へと届いてくれとばかりに、何度も。
 自分が手に掛けてしまった命の重さに、尊さに、泣き続けた。

ジョゼフ「シャルル……俺達は、世界で一番愚かな兄弟だなぁ……。
     必要なものは揃っていたのに。手を繋げば、王位などに拘らなければ、
     俺達はあの時から既に、この国を変えていけていただろうに……」

 足りないものを互いに持っていた兄弟だった。
 どちらが王だと拘らなければ。
 最初から二人で歩んでいれば、今頃二人で……いや、互いの娘や妻も合わせた人数で、賑やかに笑っていられただろうに。

ジョゼフ「くっははは……っ……〜〜〜〜っ……!!
     悔しいな……悔しいよ、なぁ、シャルル……!
     俺とお前とで作ったガリアが見られなかったことが、こんなにも悔しい……!」

 思えば弟を手に掛けた時から、自分は壊れていた。
 感情というものが上手く働かず、殺しも躊躇わず、何が潰れようが笑った。
 泣くこともなく悔やむこともなく、ただ、いつでも自分を追い詰めた弟に迫る何かを求めていた。
 やがて、いつか気づいた。
 あれほどうとましいと思っていた弟こそが、自分にとってのライバルであり、勝ちたいと思える相手だったのだと。
 それを失って以降、自分は泣くことも、なにかを可哀相だと思うことも無くなっていた。
 様々なものから興味というものが薄れ、なにをやってみても自分を追い詰められる者など居ない。無能だと罵るくせに、その無能に勝てぬ者ばかりだった。
 思うのはシャルルならばどうしただろうというものばかり。
 チェスだろうと剣だろうと、追い詰めたとしても必ずこちらが驚く切り替えしをしてきた。最後まで諦めないその姿勢が好きだった。終われば笑顔で自分を褒め称えるその姿勢が嫌いだった。

ジョゼフ「なんだ……おれは泣いているじゃないか……っ……!
     あれほどうとましく思っていた魔法が出口を見つけるとは…………。
     ふっ……ふはは……あっけなく、なんとも皮肉なものだ……」

 ジョゼフは泣き続けた。
 弟を狩りに誘い、手に掛けた瞬間から今まで死んでいた感情が、これまでの時間を取り戻すかのように。
 泣くこともなく怒ることもなく、ただ空虚に笑う日々だった。
 その反動がこの悲しみと後悔だというのなら、自分はどれほど弟を大切に思っていたのだろう。……やはり、もはや答えも出ない思考に、彼は涙で答え続けた。




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