25/イーヴァルディの勇者

【Side:中井出】

 ひょ〜るるるる〜……

中井出「お〜うまっきばぁーはぁ〜みぃーどぉーりぃーーっ!!
    ふふーんふふーんふん・ふふーんふふふふーん♪
    お〜うまっきばぁーはぁ〜みぃーどぉーりぃーーっ!!
    ……い、いや、べつに歌詞忘れたわけじゃないよ?」

 ガリアからトリステインに戻り、魔法学院に行った中井出は、そこでマルトーらの仕事の手伝いをしていた。
 それが終わると掃除をし、ふぃーと額に浮いた汗を拭った。

中井出「やー、今日もいい天気ばーい!」

 ガリアでの出来事から一週間が経った。
 ティファニアとともに一度オルニエールに戻り、マチルダに叱られ、ウェールズに苦笑されながらも、とりあえずは無事を報告し、腰を落ち着けた。観光もしてきたとはさすがに言わなかったが、ティファニア経由でマチルダにバレ、大目玉をくらった。
 それとはべつに、予想通りにラ・ヴァリエール公爵らは、留守中に訪れたらしい。
 完全に治っていたと喜びつつも、報告を待たずに別件を求めて旅立ったことにご立腹だったとか。許される条件は満たしたというのに、どうしろというのか。

中井出「えーと……なにかいい歌なかったっけ。口ずさむときって結構悩むよね。
    んー…………じっくっうっをっこ〜えた〜♪ ぼ〜おっけ〜んっの〜たび〜♪
    果て〜ない〜……ワンダーランド!《どーーん!》」

 帰ってからの領地経営云々の大体をホギーズブレインで処理し、暇が出来れば他地方へと“楽しい”を振り撒きに出発。ガリアに行く際、ティファニアが同行したのをきっかけに、彼についていこうとする少女は増えた。主にジョゼットやシエスタだ。特にジョゼットとシエスタはぐいぐいと突っ込んでくるタイプであり、ティファニアは連れて行ってくれるのならと受身だった。
 三人でトリステイン国内の空をぐるりと回ったときは、騒がしくて楽しかったが大変でもあった、とは彼の本音中の本音だろう。

中井出「おっ、やぁ才人! ルイズ! 今日も壮健かい!?」

 どうあれ、彼は今日も元気だった。

才人 「よっす提督。掃除か?」
中井出「うす。そして通るお子全てにやあと挨拶! ……誰もやあって返してくれねぇ」
才人 「あ、えと。が、がんばれ?」
中井出「おうさ! というわけでルイズ! やあ!」
ルイズ「………」
中井出「……ルイズ? ……ってにゃぁあああくしょぉおいっ!」

 話しかけるのだがルイズはなにやらむず痒くも幸せそうな顔をしてうずうずと微妙に震えながらもああなんというか一言で言うならキモかった。
 そして何故か急に出たくしゃみに、出した本人が一番驚いていた。

中井出「む、むむー? 誰か僕のこと噂してる? ……って、どしたのルイズ(これ)」
才人 「なんか実家から手紙が来たらしくてさ。なんつったかな。
    “神の癒し手”とかいう医者が、
    不治の病っぽかったルイズのねえちゃんの病気を治したんだとか」
中井出「へぇええ……不治の病って言葉、久しぶりに聞いた」
才人 「言ってて俺もちょっと思った。で、会いに行きたいんだけどほら。
    夏休み終わったばっかだろ? 纏まった休みをもらうのも体裁悪そうじゃんか」
中井出「あー、あるわー。そういうのあるわー……。
    そういうのって休みが終わってから来るんだよなー」
才人 「だよなー」

 男二人、カタカタと震えるルイズを見ながらウンウンと頷くの図。
 奇妙である。

才人 「けどすげーよな、不治の病治すなんて。どんなヤツなんだろ」
中井出「いや……どんなだろ」

 彼は思った。とりあえず“自分は医者ではない”と。なので徹底的に知らんフリするつもりらしい。なぜならそのほうが面白いから。

才人 「で、明日虚無の曜日だろ? タバサのシルフィードを借りて、
    まずはルイズの実家に行って、
    ルイズの姉ちゃんを診にいこうって話で纏まったんだけど……」
中井出「なるほど。次はシャルが見つからないと」
才人 「そうなんだよなぁ……キュルケの話じゃ、急にどっか出かけたらしいし」
中井出「急にか」
才人 「そ。急に」

 空を見上げる。
 シルフィードが飛んでたりしないかと思ったが、ただただ広い蒼があるだけだった。



【Side:タバサ】

 ガリア、プチ・トロワ。
 シルフィードに跨り、全速力でやってきたその城の奥に、ジョゼフの娘であるイザベラがいかにもな衣装を着て待っていた。

イザベラ「遅い! 遅いんだよ! もっと早く来───あ、いやこほんこほんっ!
     え、えと……あー……その、なんだろね、うーんと……」
タバサ 「早く用件を言って……!」
イザベラ「解ってる、解ってるよ! その、なんだったっけ……!?
     まったく、久しぶりに会いに来てくれたと思ったら、
     急になにを頼むんだい、しかもゲンコツまでくれちゃって……!」
タバサ 「早く!」
イザベラ「解ってるって言ってるだろう!? ああもう!
     七号! 人形七号! あんたに命令だよ! あんたのお気に入り……
     ヒロミツ・ナカイデってヤツを攫ってきな!」
タバサ 「───!? えっ……」
イザベラ「早急に、迅速にだ!
     もしも遅いと判断したら、預かってるあんたの母親は───」
タバサ 「やめて!」
イザベラ「っと……!?」

 シャルロットは、無意識に叫んでいた。
 しかし頭の中は混乱したまま。
 何故焦っていたかといえば、召集命令に“すぐに来ること。遅れれば母親の無事は保証しない”と書かれていたから。
 確認しに行ったわけではないが、恐らくはもうオルレアン邸には居ないのだろう。
 不覚だと思った。
 せっかく癒してもらったというのに、あの家に住まわせっぱなしだった。
 もっと早くに彼に相談して、ヒロラインにでも住んでもらっていれば。
 後悔が渦巻き、焦りばかりが表に出る。

タバサ 「なぜ……? 彼は、彼は関係が───」
イザベラ「関係がないだって? あんたと関わった時点で関係者だろう。
     いいから連れてくるんだよ。手遅れになってもいいのかい?」
タバサ 「───っ!!」

 走る。
 長い城の中でも構わずに口笛を吹き、シルフィードを呼んで、城の中で背中に乗ると、学院を目指して全速力で飛んだ。
 ……彼は学院で庭掃除をしていたはずだと。

  あなたには、もう殺させない

 そう言った自分を思い出した。
 もう迷惑などかけないつもりでいた。
 せめて恩返しをと何度も思っていた。
 だというのに、自分は母のためにあの人を攫わなければいけない。
 彼は抵抗するだろうか。
 それともついてきてくれるだろうか。

イルククゥ『きゅいっ……? おねえさま、泣いているの?』
タバサ  「ずるい……ずるいっ……なんで、どうして……」

 世界はあまりにも理不尽だった。
 ようやく母を取り戻した。
 一緒に居ると楽な人に会えた。
 その人は自分にいろいろなものをくれる人で、寄りかかってしまっても、迷惑をかけてしまっても、笑って頭を撫でてくれた。
 怒る時には真っ直ぐに怒ってくれて、つまらないことばかりの世界でも、探せば“楽しい”なんていくらでも転がっていることを教えてくれた。
 そんな人に、自分はなにかを返すどころか……迷惑を与えなければいけない。
 ずるい。
 こんなのはずるい。
 どうして自分の周りばかりがこんなにも不公平なんだろう。
 自分より不幸な人は、それはたくさん居る。
 でも、こんなのはあんまりだと思う。

タバサ「ジル……それでも、わたしは……」

 それでも。

 母のためにと立ち上がったのが自分の覚悟で、彼が覚悟を背に生きているのなら。
 ジルを死なせてしまった過去に、父に美しいと言われた長い髪を切った事実が自分の中にまだあって、前を向けるのなら。

タバサ「わたしは───……!」

 やらなければいけない。
 感情を殺してでも、彼を、あの場へ。



【Side:オルレアン公、夫人】

 ……うそだと言ってほしかった。
 いや、正確には本当だと言ってほしかった。

夫人「あ……あ、ああ……!」

 目から雫が落ちる。
 両の手は自然と、嗚咽が漏れる口に当てられる。
 滲む視界の先には、あの日失ったはずの主人の姿。

シャルル「やあ、その…………ただいま《がばぁっ!》おっとと!?」

 気づけば駆け、抱き付いていた。
 てっきりシャルロットが帰ってきたのだと思っていたのに、なぜあの人が?
 そう思いながらも溢れる涙を止めることは出来ず、わんわんと子供のように泣いた。

ジョゼフ「女泣かせめ」
シャルル「兄さんがそれを言うのかい……」
夫人  「───! えっ……!?」

 その涙が、唐突に止まる。
 嗚咽も喉に引っかかるように止まり、バッと離れて見た先には、義理の兄の姿が。

夫人  「陛、下…………なぜ……」
ジョゼフ「ああ、なんだ、その。謝りにきた。すまん!《バッ!》」
夫人  「え……」

 オルレアン公夫人は、当然のことながら訳が解らなかった。
 夫の仇だと思っていた者の突然の来訪はもとより、夫の生存も。
 抱き付いてみて解ったが、心音があんなにも嬉しいものだとは思わなかった。
 しかしそんな夢心地もあっさり砕かれ……た、先で、謝られた。

ジョゼフ「全てを話そう」
シャルル「……ごめん。実はね、ぼくは……死んでなんかいなかったんだ」
夫人  「え……えぇええっ!?」

 驚く夫人をよそに、シャルルとジョゼフは顔を見合わせて苦笑した。
 ここから、全てをクロムウェルに押し付けた芝居をしなければならない。
 王になるために積んだ経験を生かせばどうということはないが、妻を、義妹を騙すのは正直に言えば気が引けた。

シャルル「あの日、兄さんに狩りに誘われたぼくは、言葉通りに狩りをしていた。
     兄さんに負けないようにってやたらと張り切っていたよ」
ジョゼフ「張り切りすぎて気配を殺せていなかったがな」
シャルル「だから、それを兄さんが言うのかい?」
ジョゼフ「む、ぐ……」

 だからこそ楽に殺せたといえばひどい話だが、心の中に黒を宿していたシャルルは、狩りの時に気配を殺せていなかった。
 気配を殺せなければ、野生の勘を持つ動物を狩るのは難しい。
 それすら出来ず、むしろここに居ますとばかりに気配でアピールしていた。

シャルル「ぼくを射ったのはね、クロムウェルという男だったんだ」
夫人  「クロム……ウェル……? あの、アルビオンの?」
シャルル「ああ。もちろん本人じゃない。結果として彼がぼくを狙ったということだ。
     結局ぼくは毒矢で射られた所為で、上手く回復出来なくてね。
     兄さんはそんなぼくがもう狙われないようにと、
     ぼくという存在を死んだことにした」
夫人  「そんな、そんな嘘です。だって、わたくしはたしかに……この目で、見送って」
シャルル「スキルニル。知っているだろう?」
夫人  「あっ───!」

 夫人はもう一度、口を両手で塞いで驚いた。
 そして、上手く纏まらない思考のままにこくりと頷いて、続きを促す。

シャルル「ぼくという存在は死んだことにされた。
     毒の所為で動くこともままならなかったし、
     その毒も、魔法を使っても治らなかったんだ。
     結局はぼくを寝かせて、固定化することで回復を待つことにしたんだ」
夫人  「固定化……? あ……だから姿があの日と変わらず……!」
シャルル「そう。毒を治せる人が現れるまで、待つしかなかった。
     そして、兄さんが手配してくれた“神の癒し手”が、
     こうしてぼくを救ってくれた。もう、自由に動けるんだ」
夫人  「では……では本当に……? これは、わたくしが見ている夢では───」

 ぽろぽろと涙をこぼす夫人の手を取り、シャルルは自分の胸に当てた。
 穏やかに笑みながら。

シャルル「心臓の音。聞こえるだろう?」
夫人  「はい……はい……っ……聞こえます……聞こえ、ます……!」

 涙が止まらない。
 滲む視界は滲んだままで、嗚咽と水滴ばかりがこぼれる。
 もうずっと二人だけかと思っていたのに。
 なんだか急に信じられないことばかりが起きて、本当に整理が追いつかなかった。
 それでも夫は生きていて、義兄であるジョゼフは他の貴族になにを言われようともそれを隠していた。夫の、シャルルの身を案じるがために。

夫人(……では、あの薬は)

 シャルロットを庇って飲んだあの薬は、義兄が知るところではなかったのだ。
 では誰が? ……クロムウェルか。
 めらり、と夫人の背中から見えない炎が上がった。殺意の波動である。
 見る人が見れば、天の文字が見えることだろう。

夫人  「……けれど、陛下。シャルロットがシュヴァリエとなり、
     イザベラに任務を任され続けたという話は───」
シャルル「兄さん!? それは本当かい!?」
ジョゼフ「落ち着けシャルル。そのことについてだが、
     結果的に王族の権利を剥奪されたシャルロットでは、
     苛立ちを隠さぬ貴族たちの手にかかるかもしれぬと思ったのだ。
     あれは俺を恨んでいたからな。俺のもとで匿うわけにもいかん。
     故にシュヴァリエの称号を用意し、ガリアとトリステインの境に家を用意した。
     もちろん、ここのことだ」
夫人  「まあ」
ジョゼフ「だが、すまない。あの時の俺はどうかしていた。心を砕いていた。
     冷静な判断が下せぬほどに心が腐り、全てがどうでもいいもののように見えた」
シャルル「兄さん……」
ジョゼフ「それにな……低かろうが理屈が通用する称号をと当てたが、
     やはりシュヴァリエなのだ。手柄も無しに与えることは出来ん。
     だからイザベラに任せておいたのだ。
     シャルロットはイザベラと仲がよかった……と思っていたからな」

 そう。シャルルが殺されるまでは仲が良かった筈なのだ。
 しかし子供というのは、親の想像の範疇では捕らえきれない場所にいるものだ。
 イザベラは魔法が苦手だった。虚無の所為で系統魔法が使えないというわけではなく、苦手だったのだ。さすがは無能王の娘だと笑われるくらい。そして、シャルロットの魔法に嫉妬するくらい。
 嫉妬は、感情豊かな子供を狂気に走らせた。
 親が王。娘であるイザベラは、王族ではなくなったシャルロットへと、迷うことなくそれまでの鬱憤をぶつけた。父が死に、母が薬で倒れ、そのことがショックで倒れ、目覚めてからイザベラに見せられたのが、心を壊してタバサという人形をシャルロットと呼び、シャルロット自身を悪魔と呼ぶ母の姿だった。

シャルル「……兄さん。つまり……カエルの子はカエル……なのかな」
ジョゼフ「あれは魔法が苦手だったろう?
     魔法が使えるシャルロットに嫉妬し続けていたらしい。
     まったく、誰に似たのだろうな」
シャルル「それで、兄さん。最初の任務はなんだったんだい?」
ジョゼフ「…………キメラドラゴン」
シャルル「………」
夫人  「………」

 ───イザベラが最初にシャルロットに任せた任務。キメラドラゴン討伐。
 戦ったことはおろか、生き物を殺したこともないシャルロットにとって、キメラが住む森は地獄に等しかった。
 いつしか任務よりも死ぬことを求め、歩き続けた。
 当然、死にそうになれば悲鳴もあげたし死にたくないとも思った。
 しかし生きていてもなにがあるのだと、簡単に諦められる条件が揃っていた。
 だから死を求めたが、そんな森で出会い、彼女を救ってくれた人物がジルというキメラを殺しながら森で生きる女性だった。

シャルル「兄さん。殴っていいかい? この拳が血に染まるまで。
     もちろん虚無が使えないよう、サイレントをかけてから」
夫人  「陛下、いえ義兄上さま。お話があります。そこにお座りになって?」
ジョゼフ「そこに? いや、床しかないが」
夫人  「それがなにか?にこり》」
ジョゼフ「い……いや……解った。シャルロットを危険な目に遭わせたのは事実だ。
     首でもなんでもくれてやろう」
夫人  「では髪と髭を」
ジョゼフ「いっそ殺せ」

 感情豊かだった少女は、その森で戦い方と生きる意味を教えてくれた女性と、己の髪を失った。髪は自分で切り、それと一緒に感情を切り、今の彼女が居る。
 彼女は後悔しているだろうか。
 そんな道を歩んでしまったことを。
 それとも、もしもはもしもだと納得しているのだろうか。
 その森で、ジルと出会うことが出来た事実を胸に。

シャルル「……ふぅ。兄さん、とりあえず拳が痛いからもうやめるよ」
ジョゼフ「老けた俺も仕留め切れぬか。お前はもう少し体を鍛えろ」
シャルル「そうだね。一度、兄さんと思い切り殴り合いたいなとは思っていたよ。
     もちろん今はごめんだけどね」
ジョゼフ「ふふっ……」
シャルル「さ、それじゃあ続きだ。キミに一つ訊きたいことがあるんだけど」
夫人  「なんです? わたくしが知っていることならばなんでも」
シャルル「うん。シャルロットが今一番気にしている男性。誰か居ないかい?
     いや、むしろ居ないほうがぼくとしては───いや、けれどこれは」
夫人  「気になっている殿方……ですか。まあ、ふふっ」
シャルル「居るのかい!? だだだっだだ誰だ!」
ジョゼフ「少し落ち着けシャルル」
シャルル「兄さんは黙っていてくれ!」
ジョゼフ「…………ふふっ。その怒声……もっと早くに聞きたかったものだ」

 ジョゼフは天井を見ながら呟いた。
 今頃娘たちが話し合いをしている頃だろうか。
 上手くいかせよう。
 これを乗り越えて、娘の歪んだ心も一緒に超えられればいい。
 血の繋がりでの争いなど、自分たちまでで十分なのだから。
 ジョゼフはそう呟いて、あたふたする弟を眩しそうに眺めた。

シャルル「ヒロミツ? ヒロミツ・ナカイデ?」
夫人  「ええそう。あの子の中の勇者さんですわ」
シャルル「むっ、ゆ、勇者か。シャルロットは勇者が好きだからね。勇者が」
夫人  「まあ、あなたったら……」

 くすくすと笑う。
 夫人は、変わらぬ夫の姿を、本当に楽しそうに見つめていた。

ジョゼフ(ヒロミツ、か。ふふっ、なるほど。
     ……さて、肝心のヤツの方は、それを知っているのかいないのか。
     うむ。知らんだろうな。まず間違いなく)
夫人  「それで、そんなお話をなさるということは、
     あの子と勇者さまを引き合わせるつもりなのですか?」
シャルル「あ、ええっと。それももちろんあるんだがね。
     シャルロットに、してあげられなかったことをしてあげようと思って」
夫人  「まあ。してあげられなかったこと、ですか? それはいったい?」
シャルル「そのために、リュティスで一番の菓子職人に、頼んだものがあるんだ」
夫人  「あ───」

 夫人は、シャルルの言葉でハッとした。
 気づいた時には涙が溢れ、「もう。再会したばかりだというのに、こんなにもわたくしを泣かせて」と文句を言った。
 これにはシャルルも謝るしかないが、気持ちはずっとあの時のまま。
 可愛いあの子がやってきたなら、思いきり、自分の全てを籠めて抱き締めてやりたいと思う。それを可能にしてくれた彼に、シャルルは何度も何度も感謝した。
 ……さて。このあたりで散々噂された馬鹿者がくしゃみをしたわけだが、この三人がそれを知る由も無い。



【Side:中井出】

 ……誰もが“やあ”を返してくれないことに、体育座りをしながらいじけている姿があった。言うまでもなく馬鹿、もとい中井出博光である。
 かつての時代、エロマニアンデビルと呼ばれて恐れられていた眼光は輝きを無くし、寂しげに潤んでいた。近くに落ちていた小石を拾い、とりあえず水の中に放りたい気持ちになったが、近くに水がないことに気づくと余計に落ち込んでいた。

中井出「学院に居てもやることないし、そろそろ戻ろうかなぁ」

 ルイズかシャルロットが居たなら、ヒロラインの魔法の練習に付き合うつもりでいた。
 二人とも物覚えがよく勉強熱心なので教え甲斐があった。
 ルイズはチェーンスペルが上手く、シャルロットは応用が上手かった。
 チェーンスペル。一つの魔法が弾け、散るマナと自分のマナを繋げ、消費を少ないままに次の魔法を放つもの。これの最終強化版が、ホギーのガトリングスペル。あれはバケモノ級なので、なれと言われてもそうそうには無理だろう。
 応用。ハルケギニアの系統魔法にヒロラインの魔法を合わせ、クラスを上げるもの。ドットならラインに。ラインならトライアングルに。トライアングルならスクウェアにと、足りない属性系統を足して魔法を強化する応用。
 それを用いてスクウェアクラスの魔法を使った際、シャルロット自身が驚いていた。
 つまりスクウェアクラスになれば、まだ見ぬペンタゴンスペルが可能になる。
 それに目を輝かせたシャルロットが魔法の練習をする姿は、微笑ましかった。

中井出「ルイズは居るけど、あれじゃあなぁ……」

 姉のことで幸せいっぱい胸いっぱい。
 話しかけても上の空なので、ついに中井出は考える……もとい、話しかけるのをやめた。

中井出「よし、ちょっと気分転換しに行くか。
    どこがいいかな……考えてる時ってちょっと楽しいよね。
    決まらないとイライラするけど。でもOK!
    もはやこの衝動、誰にも止められぬ! 気分転換第一!」

 彼は走った。
 そろそろ弱齢の時期であることを自覚し、出来るだけマナを蓄積させるために走った。
 走り、通りかかったヴェストリの広場で───突然、前方に竜が。

中井出「ぬおお!? だ、誰!? ……って、シャル?」

 現れたのは、シルフィードを駆るシャルロットだった。
 相当に急いでいたらしく、短い髪はボサボサになっている。
 シャルロットだけではなく、シルフィードもネックレスを持っているのだ、AGIを強化して速度を上げることが可能だ。それで来たのだと推測した。

中井出「え、えーと。やあ!」
タバサ「………」
中井出「………」

 返事はなかった。
 少しだけ淡い期待を持っていた彼は、やはり“やあ”が返ってこないことに落ち込んだ。
 しかし、代わりに───

タバサ「一緒に、来て」
中井出「だめだ」

 ───一緒に来てと言われたが、気分転換第一と叫んでしまった彼は断った。
 次にシャルロットは杖を構え、もう一度言う。

タバサ「一緒に、来て……!」
中井出「だめだ」

 しかしやはり断った。
 むしろキミが一緒に来て、僕と気分転換しよう!と言いたげな目をしている。
 ……三度目の正直。彼女は振り絞るような声で、唱えた。

タバサ「一緒に……来て……!」
中井出「むう……おいさんこれからちょっと大事な用事が。
    いや、思いきりワタクシゴトなんだけどね?
    でもそれはとても重要なことで───えと。一言訊きたいんだけど、
    それはキミの楽しいに係わる《シャヒィンッ!》おぉわっ!?」

 ……もはや躊躇無し。
 シャルロットが放ったアイシクルが中井出の頬の横を通り、消えてゆく。

中井出「な、なにをするか! え? な、なに? 魔法の練習したいの?
    それなら用事が済んでから必ず付き合うから! ね!?」
タバサ「……っ……」

 放つ。放つ放つ。
 放たれる魔法を避ける中井出は、まるで状況が理解できなかった。
 弱齢の時期が近付くと、武具からの声も聞き取り辛くなり、彼自身もヒロラインの恩恵をあまり受け取れなくなる。
 残るのは超筋肉痛によって齎された、完成された筋肉のみ。
 ヒロラインのレベルの影響までもが相当に下がり、それには大して望めるものはない。
 だからこそ力の維持のためにマナを蓄積しておく必要があるのだ。
 そして、武具からの声を聞くことが出来ないということは、中井出は我武者羅な戦闘経験以外の経験がない、技術もへったくれもない凡人と化す。
 それでも筋肉があるだけマシとは思うが。

中井出「《ザゴッ!》いぃってぇっ!! っ〜〜〜……シャルっ! おやめなさい!
    今の俺はちょっと事情があって痛みとか軽減できないの!
    本気で当てるのはやばいんだって!」
タバサ「ならば一緒に来て……!」
中井出「そう言う前に理由を話しましょうよ! 普段の俺なら“いいよ”って即答だけど、
    今の俺は戦闘とかそっちのほうでは役に立てないし、
    癒しのほうもちとまずいんだって!」

 マナがたくさんあるところ……オルニエールに居る時ならばまだ平気。
 しかしそこから外に出てしまえば、ほぼ凡人である。
 だからこそ彼は即答しなかった。

タバサ「───!」

 それを聞いたシャルロットは余計に動揺した。
 そんな彼をプチ・トロワへ……イザベラが待つ城へ連れていって平気なのか?
 自分のお気に入りを連れてこいと言った彼女が、彼になにもしない保証は無い。
 痛みを軽減できない状態で、もしあんな、猫であったときのような状況が展開されれば、彼は───

タバサ「っ……く……!」

 それでも母が大事だと思った。
 話せばきっと来てくれる。
 けど、厚意で来てくれた彼を騙す形で従姉に差し出すくらいならば、自分が裏切った形で差し出したほうがまだいいと思えた。
 そうすれば、彼は信じてついてきて裏切られたのではなく、わたしに気絶させられて連れてこられただけになる。……裏切り者はわたしだけ。それで、きっといい。
 彼女はそう結論づけると、自分を救ってくれた恩人へと……本気で杖を向けた。

中井出「……わけがわからない……。な、なぁシャル? なにがあった?
    黙ってちゃ解んないだろ? 困ってることがあるなら言えって。
    そりゃ、俺今いろんな能力使いづらい時期だけどさ《どぼぉっ!》ごはぁっ!?」

 なにも無い、恐らくは空気の圧が腹を打ち付けた。
 エア・ハンマー。
 風の魔法で吹き飛ばされた中井出は、数メートル滑ったのちに咳き込んだ。

中井出「シャル……! 怒らないから、言ってくれ……!
    本当に、わけがわからないんだよ……! 俺、なにかしたか……?
    知らないうちにシャルのこと怒らせたなら、謝るよ……。
    俺、みんなの意思がないと人が怖くて、その所為で不快に《ヂッ!》くあっ!」

 耳が氷牙で削られる。
 すぐにコパァッと嫌な音が鳴って、血が吹き出した。
 ……魔法は止まらない。
 直撃をくらっても起き上がる中井出に、魔法を放っているシャルロットのほうが泣きそうな顔で挑んでいた。
 気絶させるつもりで撃っているのに、それでも彼は立った。

中井出「〜〜〜っ……くそっ! なぁ! なんでそんな、泣きそうな顔してるんだよ!
    なんで楽しんでてくれないんだよ! 俺はっ!
    そんな顔が見たくていろいろ教えてきたりお節介焼いたりしたわけじゃないぞ!?
    全部俺が勝手にやったことだけど、勝手な言い分だろうけど、嫌なんだよ!
    っ───腹筋! 気合ガード!《どごぉんっ!》ヘキュエェエーーーッ!!?」

 腹筋を固めてみたが、衝撃は顔面にきた。
 ドザァーーーと地面を滑った彼はピクピクと痙攣していた。

タバサ「………」

 これで、連れていける。
 直撃だ。
 いくら彼でも、これで起き上がれるはずは。
 そう思い、近付いたのだが……彼は起き上がった。

中井出「げっほ……! ああ、くそ……!
    何度も何度も起き上がるなんて、どこの英雄だよくそ……!
    こんなことを俺にやらせる、可愛いシャルロット……!
    事情がどうあれ、このじいめはいい加減怒りましたぞ……!?」
タバサ「……」

 ドキリと胸が跳ねる。
 怒らせないようにと思っていた。
 彼の気分を害したくはなかったから。
 だというのに、どうしてこんなことになったんだろうと自問自答し……いつだって、自分は自分を罵っていたことを思い出した。
 誰かの所為にしたところで救われる人生ではない。
 誰かを頼ったところで、誰も望むものは与えてくれなかった。
 なのに……“誰か”はだめで、彼は与えてくれ、救ってくれたのに。
 自分はそれを自ら怒らせ、理由も告げないままに裏切った。
 彼に対する“裏切り”が、どういう意味を持っているのかを知った上で。

中井出「そんなことを言うとビクリとなって冷静になれた経験があります。
    えーと、攻撃やめない? 冷静に《ドボォッ!》ゲブゥ!!」

 直撃だった。また腹部にエア・ハンマー。
 バキベキゴロゴロズシャーーアーーーッ! と豪快に転がり滑っていく様は、見ていて怖いくらいだ。
 しかも今度は立たない。
 立とうとはするが、打ち所が悪かったらしく、立てないでいた。

中井出「ぐっ……! アバラが五本持っていかれたか……!」

 もちろんその言葉はウソである。
 いつだって楽しいを求める使徒を自負したい彼は、なんとか冗談で自分の中の不安を消し去りたかった。だがそれも、この場に訪れた者を気遣ったために余裕が無くなり頓挫する。
 これだけ騒いでいれば、当然気づく者も居る。
 そこに現れたのは、キュルケだった。

キュルケ「うわ、なにこの惨状……」

 キュルケは抉れた土や壊れた壁や花壇などを見て、そのままの感想を述べた。
 足元に転がる、痙攣する凡人は無視だった。

キュルケ「って、タバサ!? これ、あなたがやったの!?」
タバサ 「………」

 キュルケの言葉に、シャルロットは静かに頷き詠唱をする。
 尋常ではない冷たい視線に、すぐに中井出に事情を訊こうとするが……中井出は歯を食い縛って無理矢理起き上がり、「離れてろ」と言うだけだった。

キュルケ「離れてろって、あなたは───」
中井出 「いいから、早く……! 俺の近くに居るととばっちり受けるから!」

 放たれるウィンディ・アイシクル。
 傍にキュルケが居る以上、避けるわけにもいかず、中井出はマジックキャンセラーでウィンディ・アイシクルを削り取る。
 しかし放たれたのは魔法ではあるが、“魔法で作られた氷の刃”。魔法部分は消せたが、勢いよく飛ぶ鋭利な氷自体を削ることはできず、それらは彼の体を容赦無く突き刺した。

中井出 「がぁあっ! っ……っづぅう……!!」
キュルケ「ちょっと! タバサ!? あなた本気で───」

 血が噴き出る。
 しかし、一方では涙が溢れ出ていた。
 杖を突きつけ構える自分の親友の姿を見て、キュルケは困惑する。
 ……彼がタバサになにかをした? いや、だとしてもここまでするのはおかしい。
 しかも泣きながらだなんて異常だ。ならば……?

タバサ「っ……早く……気絶して……! お願い……!」
中井出「……ふ、ふふふ……! 生憎だがこの博光……!
    四天王最弱を自負してはいるが……仲間の涙にはとっても敏感……!
    仲間が泣いてるのに、理由も解らず黙して気絶など……!《ゴドッ!》ごっ!?」

 油断、ではない。
 安心が、彼を気絶させた。
 彼を殴ったキュルケは、少しも納得していない様子でシャルロットを見て、「これで、いいのよね?」と訊いた。

タバサ「………」

 シャルロットは何も言わなかった。
 すぐにシルフィードを呼んで、中井出を乗せると自分も乗る。
 急がなければいけない。
 事情を説明している時間すら惜しい。
 シルフィードもそれを知っているからか、シャルロットが何を言うよりも先に翼をはためかせ、風を切った。

キュルケ「……蚊帳の外、ね。
     まぁ、あの子のことだから、話せる時には話してくれるでしょ。
     それよりも…………どうしようかしら、この惨状」

 親友の強引なデートの誘いを断る男の図として勝手に解釈した先ほどの光景。
 なにもここまで強引じゃなくてもいいじゃない、と呟いて、彼女は頭を掻いた。


───……。


 どれほど気絶していたのか。
 殴られて本当に気絶なんて、久しぶりかもしれないと思いながら彼は目を覚ました。

中井出「……? どこだ、ここ……」

 頭がぼうっとする。
 辺りを見回してみるが、どうやら牢屋の中らしい。

声  「ふん、ようやく目が覚めたか」
中井出「え……」

 声をかけられ、格子の先を見ると、そこに貴族らしき男が立っていた。

中井出「こ、こりゃ貴様の企み《ズキィッ》いィッ……ツ……!」

 立ち上がろうとして驚いた。
 体があまり回復していない。

中井出(こりゃ……まいったな。いよいよ弱齢の時期の襲来だ)

 久しぶりの人間らしい感覚に、喜びよりもゾッとした。
 どうせなら平和な世界で時期がきてほしかったと。

中井出「ってそうじゃない! もし、そこの方!
    シャルロットは……青髪のお子はどうされた!」
貴族 「シャルロットぉ……? 青髪のお方といえばイザベラさまだろう!」
中井出「いや違うでしょ! 俺が訊いてんのはシャルロットのことだって!
    イザベラ様!? イザベラ様をきちんと様づけで呼ぶのは大変いい仕事だが、
    それと俺が訊きたいこととは違うのですよ!?」
貴族 「……ふん。ボロボロになって連れてこられたというのに心配とは。
    裏切りというものを信じたくないのか?」
中井出「裏切られたかどうかは俺が確認する。
    それまでは信用するだけだ。どれだけ人に怯えようが、それだけは譲れねぇ」
貴族 「チッ、口汚い平民めが! なんだその口の利き方は!」
中井出「うるせー!
    いいからシャルロットが何処に居るのか教えろってんだコノヤロー!」

 試しにナビを起動させようとするが、反応がない。
 内心で舌打ちをする。

貴族 「……まあ、貴様は丁重に扱うようにとのイザベラ様のお達しだ。
    あんな、魔法も満足に扱えぬ小娘に命令されるのは癪だが……まったく、
    王族が無能揃いでは先代も浮かばれん」
中井出「王族って……」

 貴族の言葉に中井出は動揺した。
 王族。シャルロットとイザベラ。
 そんな些細を集め、ここでようやく中井出は───

中井出(……どこの国も派閥とかいろいろ大変なんだなぁ)

 ───気づかなかった。
 意思からのバックアップがなければ相当のアホゥなのだ。

中井出「それで、貴族さん? シャルロットはどこへ?」
貴族 「……どう判断されるかは殿下が決めることだろうが、
    あの癇癪もちが連れてこられた玩具をただで手放すわけがない。
    それも、あの人形七号のお気に入りならば余計にな」
中井出「にんぎょー?」
貴族 「貴様が行方を知りたがっている、無表情の小娘のことだ」
中井出「…………シャルロットは、そのイザベラ様に命令されて僕を?」
貴族 「ああ。哀れだろう? 無様だろう?
    親を盾にとられれば、お気に入りさえ痛めつけて連れてくる。
    あれでは根っこから信じてくれる仲間なぞ出来るはずもない。
    貴様も騙されて裏切られて、見捨てるだろう? 私だったらそうするさ。
    だから私はせめて貴様は哀れんでやろう。あんな人形に気に入られたことを」
中井出「…………」
貴族 「はっはっは! 声も出ぬほどショックだったか!
    だが安心しろ、あの小娘もとうとう幽閉された!
    殿下もなにがしたいのか、人形が貴様を連れて来たら牢屋に入れておけなど。
    どうやら最初からそうするつもりで今回の任務を任せたようだ」

 ……静かに、拳を握る。
 呼吸は一定。
 乱れることなく何度も繰り返して。
 彼女が事情を話さずにこんなことをしたのは何故だろう。
 話してくれれば素直についていった。
 けれど彼女は最初の三回以降は一緒に来てとはいわず、攻撃のみをしてきた。
 それは何故だ? それは……こうなることを予測していたから?
 話して連れてきて騙す結果になるくらいなら、自分が俺を裏切ってでも、って?

中井出「………」

 ゆらりと立ち上がる。
 貴族はニヤニヤして、そんな様子を格子から離れた位置で見ていた。

中井出「……なぁ。知ってるか……?」
貴族 「うん? なにをだ」

 格子を握る。
 力を籠めてみるが、曲がりはしない。

中井出「人間ってさぁ、普段は自分の力を勝手に抑えて生活してるんだ。
    自分って器を破壊しちゃわないために」
貴族 「……? 何を言っている?」
中井出「俺には人器って能力があって、その限界を超えることが出来るんだ。
    でもそれは能力で、100%なんてとてもじゃないけど今の俺じゃ引き出せない」
貴族 「…………?」

 貴族が困惑する。
 しかし次の瞬間、口から漏れたのは短い悲鳴だった。

中井出「……次の質問だ。“順応”って知ってるか……!?」

 格子が千切れた。
 超筋肉痛によって鍛えられた体と、順応によって、外せる限界の数が増えた力によって。
 それはヒロラインの能力ではなく、“人体の順応力”。
 さすがに頭痛が走ったが、それよりも杖を構える貴族を殴るのが先だった。



【Side:シャルロット】

 イーヴァルディは竜の住む洞窟までやってきました。従者や仲間たちは、入り口で怯え始めました。猟師の一人が、イーヴァルディに言いました。

「引き返そう。竜を起こしたら、おれたちみんな死んでしまうぞ。お前は竜の怖さを知らないのだ」

 イーヴァルディは言いました。

「ぼくだって怖いさ」

「だったら素直になればいい」

「でも、怖さに負けたらぼくはぼくじゃなくなる。そのほうが、竜に噛み殺されるより数倍も怖いのさ」


 ───もう、何度も読んだ物語を読んでいる。
 戻ってきたわたしを待っていたのは幽閉という絶望だった。
 彼を裏切ってまで母のためにと急いでみれば、そこで待っていたものは従姉の姿ではなく別の貴族だった。貴族が渡してきた紙には一言だけ。

  “時間切れ”

 と書いてあった。
 それが絶望じゃなくてなんだろう。
 目の前が真っ暗になった。
 あんまりな現実に立っていられなくなり、座り込み、杖を落としてしまった。
 杖はすぐに他の騎士に取り上げられ、目の前の貴族はわたしに杖を突きつける。
 シルフィードが助けに入ろうとするが、既にわたしは人質だった。
 シルフィードの背に乗せられた彼も引き摺り下ろされ、乱暴に引きずられ、連れていかれる。やめて、と言いたかったが、この口は開き、閉じるだけで言葉を発してはくれなかった。

タバサ「………」

 ぺらり、とイーヴァルディの勇者を見下ろす。
 それは捕らえられたわたしに与えられた、唯一の荷物。
 物語の中では、イーヴァルディが一人で竜の洞窟へと入っていくところだった。
 たった一人で松明を片手に、真っ暗な洞窟を進む。
 それがどれほど怖いことか。
 しかもその先には竜が住んでいる。
 けれどイーヴァルディは先へ進む。
 くじけぬために、何度も自分に言い聞かせて、先へ。

  “力があるのに逃げることは、卑怯なことなんだ”と言って。

 ……勇気と無謀を考える。
 けれど、そんなものは状況によって幅などころころ変わってしまう。
 わたしがやったことは無謀だっただろうか。
 頑張って急いだはずだった。
 でも、どれだけ急いでも従姉が“お終い”と言えば、出た直後でもお終いだった。
 それはとてもずるいことだ。
 ずるいことなのに、やらなければいけないことだった。
 結局自分は母も助けられず、恩人である彼を傷つけた。

タバサ「………」

 力があるのに逃げるのは卑怯。
 でも、彼は力があるのに無闇に人を救おうとはしなかった。
 それは卑怯なことだろうか。
 そう考えて、彼が自分を“外道”と呼ぶ理由が解った気がした。

タバサ(……勇者……)

 勇者、という部分を指でなぞる。
 力が抜けた途端、声が出なくなった喉を震わせてみるが、やはり声は出ない。
 魔法が使えないばかりか助けも呼べない。

タバサ(……助け?)

 こんな自分を誰が助けてくれるのだろう。
 親友に説明もしない、恩人を裏切り、人を救う力もない自分を。
 ……ああ、なんだ。
 自分はもうとっくに、憧れていた囚われの少女になっていたじゃないか。
 勇者に憧れる皆の中、幼い自分が憧れたのは囚われの少女。
 いつか自分を退屈な日常から連れ出してくれる勇者を待ち侘びた。
 でも……勇者はこない。
 こんな少女を救ってくれる勇者が何処に居るのだろう。
 そんなものは勇者なんかではない。
 ただの偽善者ではないだろうか。

タバサ「………」

 いい顔がしたいから自分に親切にする人を何度も見てきた。
 それはその時には気づかなかったけれど、そういう顔をしていたと今なら思い出せる。
 みんな、父の娘のわたしにはやさしかった。
 父が死んだら、掌を返した。
 この世界はそんなもので満たされていたのだ。
 今さらこんなわたしを連れ出してくれる人など、勇者であるわけがない。

タバサ「───、……」

 本を読む。
 勇者は勇気を持って洞窟を進む。
 勇者イーヴァルディではなく、イーヴァルディの勇者。
 勇者である少年を描いたものではなく、少年の勇気を描いた物語。
 そんな本を読んでいると、どうしても期待してしまう。自分にも、この物語の少女のように、自分を助けてくれる誰かが……と。
 けれど助けてくれる人なんて居なかったじゃないか。今も、昔も。
 一番最初に死のうとしていた自分を助けたジルは死んでしまった。
 自分に深く係わる人は、自分の前から消えてしまう。
 そして、ようやく現れた自分を救ってくれて、やさしく頭を撫でてくれた存在を、わたしは自分の手で傷つけ、裏切ったじゃないか。

 ……自分は一人だ。
 昔からずっと、ここに閉じ込められた今まで。そして……ここで死ぬその時まで。
 悲しいわけじゃない。ただ、悔しい。
 どうすればよかったのだろう。
 彼とともに立ち向かえばよかったのだろうか。
 母が死ぬことになっても、そうするべきだったのだろうか。
 そうすれば少なくとも、友達は残った。
 でも、家族は亡くしてしまう。それはもう二度と嫌だった。

タバサ「………」

 物語の中、勇者が竜と対峙する。
 竜が投げ掛ける質問に、勇者は応える。
 怯えながらも助けに来る理由。それは、少女がただ、立ち寄った村で自分にパンをくれたという、それだけの理由だった。
 竜が問う。「それでお前は命を捨てるのか」と。
 勇者が言う。「それでぼくは命をかけるんだ」と。



【Side:中井出】

 少女が幽閉されていた場所への道には、何人ものメイジが居た。
 皆、豪奢な衣服を着ていた。

貴族1「どうやって出たのかは知らんが、ここは」

 全てを語る前に殴り飛ばされる。
 殺しはしなかった。
 もう殺させないと、彼女に言われたからだ。

貴族2「貴様正気か! この数を前に、何も持たずに!」

 貴族の何人かが馬鹿にするように言う。
 彼に向けた杖は十から数えたほうが早い。
 軽く口ずさむだけで魔法が放たれ、今の彼など容易く打ち捨てるだろう。

中井出「正気かどうかなんて関係ないんだよ……馬鹿だなぁ。
    友達で、仲間で、大事だから……笑っててほしいんだ。数がなんだよ。
    何も持ってないからなんだ? そんなの、走る理由となんの関係もない」
貴族3「ふんっ、大方あの娘を使って王権をなんとかしようという魂胆だろう!
    平民が元王族をたぶらかし、考えそうなことだ!」

 貴族の一人が魔法を放つ。
 それは彼の左腕に直撃し、腕を燃やした。
 すぐに払ったが、皮膚は焼き爛れていた。

中井出「っ……王権も、平民も貴族も関係ねぇ……。
    いつだって同じだ……俺は、俺が勝手にそうしたいから……!
    俺が、あいつの笑顔が見たいから、お節介焼くだけだ! 文句あるか!!」
貴族4「……ハッ! 馬鹿な平民だ! 金でも握らされたかと思えばそのようなこと!
    お前はそれで命を捨てるのか!?」

 鼻で笑う音ののち、魔法が放たれた。
 一斉に、独りに向けて。

中井出「馬鹿にするなら勝手にしやがれ! それで俺は、命を懸けられるんだよ!!」

 轟音が響いた。
 地震かと思うほどの振動。
 貴族たちの笑い声ばかりが、長く響いていた。




Next
top
Back