38/キミがその手で掴むもの

 クロムウェルは内心をざわめかせながらも、ことの報告を待っていた。
 連合だかなんだか知らないが、総力戦になれば負けるのはこちら。
 しかしアンドバリの指輪を上手く使い、逆転してみせた。
 あとは追い詰めて徹底的に叩けば、二度と自分の地位は脅かされない。

クロムウェル「くそ……どうしてこんなことに」

 彼は王になりたいと願った。
 だが、戦争をしたいなどとは願っていなかった。
 トリステインやゲルマニアと争うつもりなどなく、ただ王になりたいと冗談で言った。
 王になれて嬉しかった。
 このまま平和に暮らせればよかったのに、シェフィールドがそれを許さなかった。
 ハルケギニアはひとつに纏める必要があると言った彼女は、策をクロムウェルに授け、クロムウェルはそれに従った。
 結果がこれだ。この戦争だ。

クロムウェル「あれからシェフィールド殿は現れもしない。
       ガリアからの連絡も途絶えた。
       ならば、この戦に完全に勝利すれば私は───」

 自分は、平和に、王として生きていける。
 そう思ったからこそ、総攻撃を仕掛けさせた。
 待機する必要などない。もはや自分の勝ちは確定だ。
 ───そう、思ってしまった。
 だから、ロンディニウムではなくサウスゴータまで来ていた。
 戦の勝利を自分の目で確かめようなんて思わなければ。
 援軍要請を受け、全軍を走らせなければ。
 彼はきっと───

クロムウェル「……? やけに風が強いな。いくら浮遊国とはいえ、
       こんな現象はそうそう《ドガァアアンッ!!》むわぁあっ!!?」

 轟音。
 一人ぬくぬくと安全で暖かな家屋に潜んでいたクロムウェルを、吹き飛んだ窓と吹雪が襲った。突風が彼を打ちつけ、気づけば彼の身体は雪まみれになり、腕を動かせない状態になっていた。

クロムウェル「なな、なんだ、これは」

 焦る彼の前に、風で屋根を破壊して舞い降りるは、一体の鋼の龍。
 そして、それに跨る……かつての、プリンス・オブ・ウェールズだった。

クロムウェル「っ……!? ウ、ウェールズ・テューダー!? なな、なぜここに!」
ウェールズ 「なぜ? 決まっているだろう。───我が国を返してもらいにきた!」

 ウェールズは鋼龍クシャルダオラから飛び降りると、床を蹴った。
 クロムウェルはもがいて、なんとか腕だけ雪から逃がすと、ウェールズに向かってアンドバリの指輪を掲げた。
 水を操るのなら、人など水の塊。操るなど雑作も無い───そう思った瞬間には手首から先を切り落とされ、呆然としたのちに悲鳴をあげた。

クロムウェル「ひ、ひぃ、ひぃいいいい……!!」
ウェールズ 「……私はミス・マチルダに謝らなければならない。
       復讐の時などこないものだと思っていた。
       だが……私はお前が憎い。全てを奪ったお前が憎い。
       そして───今ある暖かさが、
       “貴様”に全てを奪われなければ手に入らなかった事実が悲しい!!」
クロムウェル「たす、たすけ……! 兵は、兵はどうし───」
ウェールズ 「兵は私の家族が引き付けてくれている。……命懸けでだ。
       派手に暴れて、貴様の周囲を手薄にするという作戦だった。
       貴様が司教でよかった。軍人であれば、こんな馬鹿な真似はしなかった」

 ウェールズは剣を構える。刺突の構えだった。

クロムウェル「ひぃいい! こ、殺せ! 殺せぇええ!
       誰でもいい! 目の前の敵を! 早くぅう!!」
ウェールズ 「っ!!」

 クロムウェルがひぃ、と声を出した時には、それはクロムウェルの心臓を貫き。
 少しの痙攣ののち、彼は絶命した。
 仮初の王の最後など、いつでもあっけないものだった。

ウェールズ「……父上。レコン・キスタは死にました。
      アルビオンは、再び翼を広げます」

 ウェールズはそう呟き、地面に転がったクロムウェルの手から、アンドバリの指輪を抜き取った。
 早く終戦を知らせねば。
 ウェールズはクシャルダオラに跨り、再び空へ。
 途中で見かけた大軍のもとへ、早く。


───……。


 それは、突然起きた。

中井出  「……、…………」
ホーキンス「うん……?」

 もはや事切れる寸前だろうか。
 敬礼のままに中井出を見下ろしていたホーキンスは、中井出の口がぱくぱくと動き、何かを言っていることに気づいた。
 遺言くらいならばと、彼は中井出の傍に膝をつき、耳を傾ける。
 か細く聞こえる言葉を耳に、ホーキンスはやりきれない気持ちになった。

  ……そんな、最悪のタイミングだった。

 指示もしていないのに、急に兵が構えたのだ。
 それぞれは矢を構え、魔法を詠唱し、空へ向けて一斉に放った。

ホーキンス「なっ───!?」

 副官が叫ぶ。
 ホーキンスは言われるままにその場から離れ、ハッとして振り向くと───もはや動けぬ一人の男を目に、手を伸ばしかけた。
 しかし副官に引っ張られ、それも叶わぬままに……

中井出「…………、かえ、るんだ……ぜ、ったい……。
    みんなが……待って…………、…………めーる、したんだ……るいず、に……。
    また…………みん、なで………………」

 うわ言のように同じ言葉を繰り返す中井出へ、矢と魔法の雨が降る。
 光の灯らない目で、そんな光景を見つめた。
 魔法の束は空中で密着して、まるで光の天井のよう。
 それが自分に迫ってきて、中井出は無意識に小さな悲鳴をあげた。
 自分の所為で天井に潰されてしまった、祖母を思ってのことだった。

  ごめんなさい

 最後に漏れた言葉が誰に向けてのものかも解らないまま。彼は動けぬ身体を矢と魔法に散々と貫かれ、その姿が見えなくなるほどの爆煙に飲まれた。

ホーキンス「……なぜ、こんな……」

 ホーキンスはその惨状を見て、怒りを覚えた。
 兵らに振り向き、その怒りを解き放とうとした。
 単騎になろうが最後まで勇敢に戦った者に、なんたることをと。
 だが……振り向いた先には、何も言わずに転がる“ヒトだったもの”があるだけ。

  “目の前の敵を殺せ”

 それは、クロムウェルが最後に放った言葉だった。
 状況も解らないまま、だが少年がどうなったかを知りたくて、ホーキンスは駆けた。
 魔法で煙を払い、その場へ。

ホーキンス「…………」

 ホーキンスは何も言えなくなった。
 そこには肉体から弾かれたであろう血だけが残り、腕の一本すら残っていなかった。
 彼が守っていた妙な物体も壊れ、煙を出していた。

ホーキンス「……ッ……」

 ホーキンスは歯を食い縛り、拳を硬く握り締め、自分を殴った。
 それが何になるわけでもなく、ただ、何かを殴りたかった。


  鋼龍に乗ったウェールズがその場に降り、クロムウェルが死んだことを伝えたのは。

  それから、ほんの少しあとのことだった。


───……。


 才人やギーシュは、最後に出航した船の上に転移された。
 ぼろぼろの状態のまま、急に空中に現れて、甲板の上に落ちる。
 その様を見ていたジュリオは驚き、落下した才人の傍で寝ていたルイズが、その音と衝撃で目を開けた。
 ……気づけば船の上。
 すぐに思い出し、「敵を食い止めなきゃ!」と言うが、自分が居るのは確認した通り“船の上”だった。
 どうしてか隣にはぼろぼろの才人とギーシュが転がっており、時折苦しげに呻く。
 事情は解らないが「大変!」と叫び、水メイジが居るかを訊いて回った。
 幸いにして水メイジが居てくれたお陰で応急処置は完了。
 それが済むと、ルイズは改めて状況を確認した。

ルイズ 「船……よね。ラ・ロシェール行きの」
ジュリオ「そうだよ」

 ルイズの声に反応したのは、同じく船に乗っていたジュリオだった。
 不思議そうな顔を向けるルイズに、彼は自己紹介をした。

ルイズ 「そうだわ。わたし、寺院でワインを飲んで……」
ジュリオ「そのワインには眠り薬が仕込まれていた。きみは今まで寝ていたんだ」
ルイズ 「眠り薬? なんでよ」
ジュリオ「きみを守るためじゃないかな」
ルイズ 「守……」

 ルイズの脳裏に、父が自分のことを中井出に頼んだということが思い返された。
 その時には身体は柵に駆け寄り、離れてゆくアルビオンを見た。
 見える景色の中で、赤く眩しい光がドーム状に集ってゆくのが見えた。
 どうしてだろう。嫌な予感がして、船の上を確かめた。
 そこに、あいつだけ居ない。
 ルイズは腕を組みながら壁に背もたれをしていたジュリオに事情を訊いた。
 返ってきた言葉に真っ青になり、ルイズは柵を飛び越え船を下りようとした。
 アルビオンに戻ろうとしたのだ。だが、それをジュリオは許さなかった。

ルイズ 「離して! 離してよ! あいつはっ……あいつは違うの!
     勇敢なんかじゃない! 名誉が欲しくて立ったんじゃないの!
     いつだって怖いくせに無理して我慢してっ……!
     あいつを独りにするわけにはいかないの! お願い! 行かせて!」
ジュリオ「もう無理だ! 今さら行ってなにが出来る!」
ルイズ 「何も出来なくてもいい! あいつの傍には誰かが居てやらないといけないの!
     離して! おねがい離してぇええっ!!」

 遠くで、光が爆発するのを見た。
 ここまで届く大きな音。
 ルイズは指先に痛みを感じ、人差し指を見た。
 それは、中井出が勇気の魔法をかけてくれた箇所。
 そこに籠もっていたはずの温かさが、ただ静かに、ゆっくりと消えてゆく。

ルイズ「いや…………いやぁ……っ!!」

 嫌な予感というものはどうして当たってしまうのだろう。
 やがて、暖かさが全て消えるのと同時に、ルイズは叫び、泣いた。
 不老不死ではあった。
 だが、弱齢が彼を縛っていた間、タバサの事件に係わり、魔法をくらって炭化した彼は、オルニエールに行かなければ治らなかったじゃないか。
 その意味がルイズの中に溢れた時、どうしようもないことが解って、泣いた。

……。

 アンリエッタは帰還したルイズや才人やギーシュの姿に喜んだ。
 無事でよかったと、ルイズに駆け寄り抱き締めて、何度も言った。
 しかし───その場に居ない中井出の姿を探し、ルイズに問うと、彼女は俯いた。
 また、なにかよからぬことでも考えているのだろうか。
 隠れて、わたくしを驚かせたりするのかもしれない。
 既に、先に戻ったウィンプフェン参謀長からは逃げの戦になったことは聞いている。
 けれどこうして生きて戻ってくれただけでもよかった。
 だからこそ……こんな雰囲気だからこそ、それを壊すために隠れて驚かすつもりなのか。アンリエッタはそんなことを思っていた。
 ……ウェールズからの通信で、勝利の報せとともに……“中井出博光の戦死”についてを聞かされるまで。

アンリエッタ「───………………え……?」

 眩暈が彼女を襲った。
 立っていられなくなり、そのままルイズの傍でぺたりと座り込んでしまった。
 何事かとマザリーニや将軍が駆け寄るが、アンリエッタは一筋涙をこぼすと、そのままその場に倒れ───意識を失った。

……。

 貴族どもは我先にと逃げ出したくせに大燥ぎだった。
 中井出のことなどはやはり捨石程度にしか思っていなかったのだろう。
 オルニエール子爵が戦死したと聞きつけた貴族は、こぞってオルニエールに入り込み、私が領主になってやろうだのと言って回った。
 だが、そんなものが許可されるはずもない。
 人の死を喜ぶドチクショウがと怒り狂った領民全員に叩き出され、以降、その領地は身内以外を必要以上に拒絶した。目を覚ましたアンリエッタも散々と泣きはらしたが、現実を受け止めた上で、オルニエールを手中に納めんとする働きの一切の禁止を、貴族連中に言い渡した。
 ……そんな、すっかりと静かになったオルニエールにて。
 マチルダは、大樹の下でティファニアに膝枕をしながら、ぼうっとしていた。

マチルダ「……すっかり、静かになっちまったね」

 領民から元気が無くなった。
 賑やかさも薄れ、静かになった。
 元々蓄えもあるし、食料が豊富なここだから、今さら客が来なくなった程度では揺るがない。しかし、あの馬鹿が居ないのは、揺るぎにしかなりやしない。
 マチルダはそう思いながら、泣き疲れて眠ってしまったティファニアの頭を撫でた。

マチルダ「泣かせたら殺すって……死ねって意味じゃなかったんだよ、おばか……」

 手のかかる弟のような男の死の報せ。
 不老不死でも、弱った身体から血が流れ、身体が粉々になれば、不死なんて関係がない。
 ウェールズがホーキンスから聞いたという状況を耳にして、マチルダは耳を塞いだ。ティファニアは泣き、ジョゼットはシャルロットにしがみ付いて号泣した。シエスタは何かの間違いですと言って信じようとはしなかったが、一人隠れて泣いているのを何度か見ている。

エレオノール「マチルダ。おちびは?」
マチルダ  「ルイズかい? あの子ならほら」

 静かな日。
 急に訪ねてきたエレオノールに、あそこさと促す。
 大樹の木陰から指差した先では、魔法の練習をするルイズが居た。
 エレオノールはルイズに近付いていくと、一言三言話し、ルイズを連れて戻ってくる。

マチルダ  「なんなのさ、いったい」
エレオノール「グラモンの末っ子に聞いたのよ。
       おちびが、あの方からの大事な手紙を預かってるって」
マチルダ  「あの方? ……ヒロミツからのかい!?」
ルイズ   「……ええ」

 ルイズは頷いた。
 エレオノールは確信を得たとなるやルイズの肩を抱き、出せと言う。
 マチルダも落ち着いてはいられなかった。
 ルイズは静かな手つきでナビネックレスをいじり、メールボックスを開く。タイトルは“ルイズへ”。そのメールを開き、画面を大きくして二人に見えるようにした。
 もう、何度も読んだものだ。
 目を通せば泣きたくなるのは変わらないが、彼がそこに居た証だから、消すことは絶対にしなかった。



  ───ルイズへ。

 まず最初にごめんな。
 せっかく魔法の練習とかしたのに、土壇場で眠らせることになって。
 差別はしない俺だけど、幸せになってほしいって人には贔屓します。うん。
 つまり、なにを言いたいかっていうと、うん、あれだ。
 幸せにおなり。
 これから俺達は無茶するけど、才人とギーシュだけは絶対に逃がしてみせるから。
 才人と恋をするのもいい。立派な魔法使いになるのもいい。
 幸せにおなり。
 無事に帰すキミに、俺はそれだけを望もう。
 でもね、俺に言われたから目指す幸せじゃなくて、掴めそうな幸せを掴んでほしい。
 前だけじゃなくて、いろいろな方向を見て生きなさい。
 そして、出来るだけ面白おかしく、そう、楽しく生きよう。

 いやしかし、最初はあれだけ嫌ってたのに、まさかこんな気安い関係になるとは。
 なんだかんだあったけど、ルイズと騒ぐ日々は純粋に楽しかったです。
 って、なんか遺書みたいだなこれじゃあ。
 とりあえずアレだ、絶対に帰ると言っておきまする。死にたくないしね。
 でもウェールズの国も取り返してやらないといけないし……難しいなぁ。
 あ、じゃああれだな。戻った時の楽しみをとっておこう。
 帰ったら、珍しく“ルイズのために”クックベリーパイを焼きましょう!
 誰かのためなんて久しぶりだから、匙加減間違えるかもだが構いやしねー!
 残したらひでーからなコノヤロー!

 だから、あれだ。
 帰ったら、またみんなでヤハラしよう。
 みんなで騒いで、みんなで楽しもう。
 俺達は家族だ。
 俺はみんなが大事だし、もちろんルイズだって大事だ。
 だから、幸せにおなり。

 あ。言い忘れた。
 無事に戻れたらこのメールは消させてもらうね? 恥ずかしいし。
 既にこれを読んでて、戻ってきた俺が急にメールを消去しようとしたらすまん。
 襲いかかってでも消しにかかると思うから、どうか消させてやってくれ。
 俺、なんか今の生活がすごい好きなんだ。調子に乗りすぎてるって自覚できるくらいだ。
 信じるのも裏切られるのも怖かったけどさ。
 そんなもの抜きにしていいくらい、みんなが好きだから。
 帰りたいって思う。絶対に帰ろうって思える。
 だから、無事帰ったら、また騒ごう。

 では。

   10万以上の敵と戦わなければいけない恐怖に怯える男、スパイダーマッ! より


                            うそです。中井出博光より

                              P.S.───私は怖い




 ───メールは、そんな文で終わっていた。
 書いてある通りに怖かったのか、ふざけて書いたのかは解らない。
 けれど、彼の記憶はいつだって恐怖ばかりだったのだから、きっと怖かったのだろう。
 エレオノールはキリッとさせていた顔をとうとう崩し、泣いてしまった。
 マチルダも目を逸らし、肩を震わせている。
 ルイズは自分の無力感からか、また魔法の練習に戻った。
 涙しながら、杖を振るった。


───……。


 ウェールズが、レコン・キスタを再びアルビオンという名に戻し、王子ではなく王として王位に戻ると、人々は彼を支持した。
 クロムウェルは保身が過ぎ、民を民とも思わぬ行動を繰り返していたらしい。
 それは、サウスゴータから食料を奪っただけでも十分だが、それ以外にも冷たい部分はあったらしい。魔法が使えない人間が王になり、贅沢の限りを尽くす。ただの司教でありメイジではなかった彼にとって、やってみたかったことだ。
 そんなことを続けていれば人心は離れる一方だろうに、貴族というものは民を虐げ私腹を肥やす者ばかりで、それが間違いであったことに気づけた貴族が何人居たか。
 結局クロムウェルに与し、貴族派として王党派の様々を殺した貴族たちは処刑された。
 ウェールズは手を伸ばそうとしたが、誰も彼もが「あれはクロムウェルが勝手にやったことだ」などと言い、とにかく醜くも誰かに罪を擦り付け、助かろうとした。
 こんな者達を救ったところで、またいつ裏切られるか。
 ウェールズは“家族”であるオルニエールの皆に相談を仰ぎ、決定を下した。
 もちろん考えを纏めた上で、家族にそうしろと言われたわけではなくだ。

ウェールズ「…………広いな。それに…………静かだ」

 王位に戻り、思ったことなど、かつては賑やかだった国が静かだと知ったことくらい。
 まだここを離れて一年も経っていないというのに、ここは随分と変わってしまった。
 これからしなければならないことが山ほどある。
 まずは資金繰りをしなければいけない。復興問題は、それこそ山積みだ。
 その金をどうするのか、といえば……

ウェールズ「やれやれ……私はきっと、尻に敷かれるのだろうな、ヒロミツ」

 従妹を頼るしかなさそうだ。
 だが、この時点で考えることもないわけではない。
 復興するのなら、別の形での復興でもいいと思っている。
 どのみち、自分一人では取り戻せなかった王位と国なのだから、このまま───そう思い、彼は迅速に行動を開始した。

ウェールズ「……やあ、アン。きみと、マザリーニ枢機卿に頼みたいことがあるんだが」

 アルビオンが立ち直るまで、国民だけではいくら時間があっても復興など難しい。
 だから、そう。いっそ、一つの国になってしまおう。
 一度は潰れかけ、自ら戦死することも名誉の死と受け取ろうとしたこの命、この国だ。
 トリステインと一つになり、そこからもう一度始めよう。
 ウェールズはその旨をナビネックレスの機能で話し、これからのことを煮詰めていった。
 耳に届くアンリエッタの声に、元気がないことを知りながら。

……。

 アルビオンがトリステインに吸収される。
 その話は降臨祭に発表され、あっという間に各国に広がった。
 雪が降り大地に白銀の絨毯を積もらせる降臨祭。
 “銀の( しろがね )降臨祭”と呼ばれた日々に、皆は笑いながら騒いでいた。一部を抜かし、だが。
 連合戦だったというのに、トリステインしか得るものがないのかと、ゲルマニアが多少怒っていたが、位置を考えれば、わざわざトリステインのラ・ロシェールに行かなければ向かえもしない場所に領土を持つなど、と諦めた。
 そして、アンリエッタはその吸収を切欠にウェールズと念願の婚約をすることに。
 反対する者も少なくはなかったが、国一つが手に入るならと渋々納得。
 結婚するのならばゲルマニアのほうが……と口を滑らせる者も居たにはいたが、同盟を結んでいるとはいえトリステインは、ゲルマニアに多少の苦手を意識を持っていたことがここで吉となった。
 しかし、ここでゲルマニアは一つの条件を出した。
 アンリエッタの王家の血筋を求めていたゲルマニア皇帝・アルブレヒト三世が、それを諦めてでも欲しがったもの。それは───オルニエールの領地だった。

アンリエッタ「そんな……それは、あまりにも───」

 当然アンリエッタはこれを反対。
 自分の勝手な呼び方意識上の兄とはいえ、兄が愛した領地を兄に無許可で差し出すなど。
 が、それを相談されたマリアンヌ大后、ピエール、カリーヌはこれに賛成の声を上げる。
 アンリエッタはもちろん悲しみ、怒り、反論したが、三人は悪戯っぽい顔をするだけ。
 のちにマリアンヌ大后が直々にゲルマニア皇帝と会い、その場で話し合いをし、書類を用意し、皇帝の署名を得た。
 ……オルニエールは、正式にゲルマニア皇帝のものとなったのだ。
 後日、意気揚々とオルニエールを訪れたゲルマニア皇帝は、その光景に唖然とした。
 なんと、澄み切っていると噂されていた空気はどこのものとも変わらぬもので、屋敷やら畑やらが全て姿を消していたのだ。
 ゲルマニア皇帝は言った。「やられた」と。
 その一方、トリステインはアルビオンのウエストウッド。
 今はトリステイン王国の一部である“アルビオンと名づけられた浮遊島”の森の中に、その領地は納められた。

ピエール「彼は国の英雄だ。
     トリステインのものとなった領地のいくつをあげても釣りが来るだろう。
     もちろん、ゲルマニアには“オルニエール領”をくれてやる。
     なに、間違ったことは言ってない。一言としてな。
     もういいと言って手放すのも、そのまま持っているのも皇帝次第だろう」
黒ノート『まったく、領地ごとの転移など……マナと癒しの大樹が無ければ、
     いくら私でも消滅しているぞ』
カリーヌ「それは主のためと思い、どうか容赦を。精霊殿」

 そう。オルニエールはくれてやった。
 約束上での嘘など何一つついていない。
 領地はあげた。それ以外の、民や田畑などは一切やらない。

カリーヌ「しかし、英雄……ですか。言われたら怒るのでしょうね、彼は」
ピエール「それは間違いないだろう。映像を見るだけでも十分だった」

 英雄───そう。
 中井出は多くの民や貴族の背中を守り、さらには負けるかもしれなかった状況を覆した英雄と称され、伯爵どころか侯爵扱いになっていた。もちろん他の貴族が彼の領地に迂闊に手を出せない状況にするため、という事情もあった。
 なにより“故人ならば”と、目障りになることなど二度と無いとし、トリステインもゲルマニアも彼を祀り上げ、死と引き換えの名誉などいくらでもくれてやるとばかりに、彼の功績を認めた。それにレコン・キスタ戦で認められた功績が重なり、伯爵を飛び越えた。大出世だ。
 故人がどれほど認められようと故人は故人。
 誰もが英雄だ英雄だと悪ノリをはじめ、認め続けられ受け入れられ、盛り上げた結果が侯爵の爵位だった。しかし当然……それらの勲章や名誉を彼自身が受け取ることは無かった。
 ヒロミツ・シュヴァリエ・ド・ナカイデ・ド・ウエストウッド侯爵。
 ウエストウッドに新たに敷かれた十キロ四方の癒しの地。
 それが、彼の名と彼の家族の誇りの名だった。

マチルダ  「まさか、こんなかたちでここに戻ってくるとはね」
ティファニア「孤児院もそのままだわ。懐かしい」

 かつてはそこに住んでいたマチルダもティファニアも、子供たちも嬉しそうだった。
 だが、領主が居ないことだけが、ただただ本当の笑顔を見せることの出来ない原因だ。
 新たな領主には才人を、と言われていたが、才人が「俺にあいつの代わりなんかできるもんか!」と怒った。それどころか「あいつは絶対に死んでなんかいねぇ!」と言う始末で、結局は代理としてマチルダが領主となっている。

マチルダ「……馬鹿だね、本当に。こんなかたちで爵位を譲り受けたって、
     あの坊やが喜ぶわけがないじゃないか」

 中井出の部屋は、故人の部屋をそうする例に漏れず、いじくられていない。
 掃除はするが、家具を動かすようなこともない。
 ただ、静かな時間だけが普通に過ぎていった。


───……。


 此度の戦で山のように積みあがっていた書類があらかた片付いたのち、アンリエッタは才人とギーシュを王宮へ呼び出した。
 謁見の間に訪れた彼らが、アンリエッタに「なにを」と訊ねると、なんと二人に騎士叙勲をするというのだ。 

ギーシュ「シュ、シュシュシュシュヴァリエ、ですか!? 僕が!?」
才人  「シュヴァリエって……あの騎士とかいうのだよな?」

 ギーシュはたまげ、才人は首を傾げた。
 レコン・キスタとの終戦から一ヶ月。
 どれだけ悲しかろうが人とは慣れるもので、この場に居る四人は、いつかと比べれば随分と普通に話すようになっていた。

才人  「騎士って、平民でもなれるもんなのか?」
アニエス「私も平民の出だが、なにか文句があるか?」
才人  「いぃいいいいやいやいや! なんでもないですはい!」

 ギロリと睨まれ、才人は慌ててうんうんと頷いた。
 そんなやり取りも出来る。
 時間ってのは残酷だなと、才人は心の中で溜め息を吐いた。

アンリエッタ「アルビオンの将軍から聞きました。
       あなたがたは兄さまとともにレコン・キスタの軍から皆を守ってくれたと。
       あなたがたが居なければ、我が軍はおろか───
       連合として立ったゲルマニアの軍も全滅していたでしょう」
才人    「いえ、そんな……」
ギーシュ  「我々はただ、自分たちの身勝手で闘っただけであり、ですね……」

 普段ならば飛び上がってまで喜びそうなことだが、ギーシュは悪い気がしていた。
 自分は確かに勇敢に戦ったが、それは自分の名誉を守るため。
 それも途中で気絶してしまい、中井出に助けられ、助けた彼は……。
 そう思うと、素直に受け取るのは難しかった。
 難しかったが、それが、彼が残したなにかになるのなら、受け取るべきだと思った。

才人  「……ギーシュ」
ギーシュ「……そうだね。あの戦いは、僕らの傍に彼が居た証だ」

 だから頷いた。
 アンリエッタの前に跪き、言われるままの礼をし、略式であるためか、ひどくあっさりと騎士になった。
 だがそれでも、誰かに認められた喜びは、二人の胸に染み込んでいった。

アンリエッタ「これからもこの弱い女王に、
       あなたたちの持つ力をほんの少しでいいからお貸しくださいますよう。
       シュヴァリエ・ギーシュ殿。シュヴァリエ・サイト殿」

 それで略式の叙勲は終わった。
 なんだかんだで嬉しかったらしく、ギーシュはふるふると震えて喜んでいた。
 才人は一礼だけすると静かに去り……王宮前で待っていたルイズに説明し、叫ばれた。
 平民がシュヴァリエなんて! と。
 そんな様子を、王宮の窓から見ていたアンリエッタは、小さく儚げに笑った。
 私室を見渡してみると、自分のものである家具が置かれている。
 一つの国とはいえ、金は無限ではない。
 しかしながら、此度の戦でそれほど資金面で苦労しなかったのは、兄さまと呼ぶ中井出博光の働きがとても大きかった。
 金や食べ物まで援助してくれて、挙句に軍まで救われた。
 お礼を言いたい。だというのに相手が居ない。
 それは、とても寂しく辛いことだ。

アンリエッタ「………」

 ウェールズとの婚約も決まった。
 王同士の結婚など、在り得るものではないと思っていた。
 けれど叶ってしまった。しまったのに……なにかが足りない気分だった。
 そんなアンリエッタのもとへ、マリアンヌ大后は静かに歩み寄った。

マリアンヌ 「陛下」
アンリエッタ「あ、お、お母さま───やめてください、陛下だなんて」
マリアンヌ 「……では、アンリエッタ。常に凛々しく、とは言いませんが。
       そのような顔をしていては、いらぬ心配をかけますよ」
アンリエッタ「……お母さま。けど」

 アンリエッタは俯き、口をきゅっと引き結んだ。
 そんな娘であり王であるアンリエッタを前に、マリアンヌは口を開く。

マリアンヌ 「ウエストウッド侯爵のこと?」
アンリエッタ「……はい。元々、彼は戦には出ないと仰っていました。それなのに……。
       わたくしやウェールズが、言葉を逆手に取って参加などさせなければ……」
マリアンヌ 「………」

 マリアンヌは、静かに窓際に立ち、未だ騒いでいるらしいピンクブロンドの少女と、黒髪の少年を見た。止めようとするグラモンの末っ子が巻き込まれ、杖を振り上げた少女に追われている。
 自分もあのくらいの頃が一番楽しかっただろうな。
 思い出に軽くひたり、大后は微笑を浮かべた。

アンリエッタ「お母様?」
マリアンヌ 「アンリエッタ。昔に聞かせたお話を、あなたは覚えていますか?」
アンリエッタ「お話……? あ……」

 アンリエッタはうんと小さな頃、マリアンヌに話して聞かせてもらった昔話を、おぼろげながらに思い出した。
 たしか……

アンリエッタ「“トリスタニアの愉快な騎士”」
マリアンヌ 「ええ、そうです」

 アンリエッタは、それがどんな物語だったかを思い出そうとする。
 たしか、出だしはこんな感じだった。
 杖を持たない貴族が、道ゆく人に声をかけ、「あなたが私に望むものはなんですか?」と訊いてくるというもの。

アンリエッタ「あの……そのお話が、なにか……?」
マリアンヌ 「その騎士の名前を言ってごらんなさい」
アンリエッタ「騎士?」

 ……なんだっただろう。
 思い出そうとするのだが、どうにも答えが見つからない。
 アンリエッタは困った顔でマリアンヌを見ると、マリアンヌが笑って言った。

マリアンヌ 「アンリエッタ。ラ・ヴァリエール殿の三女、ルイズ・フランソワーズ殿は、
       彼からの手紙を受け取ったらしいですね」
アンリエッタ「……はい。この目で見ました。
       必ず帰ると……また、家族みんなで騒ごうと、書かれていました」

 メールの内容を思い出し、嗚咽が喉を突く。
 それをなんとか我慢している時に、マリアンヌは嬉しそうに「そう」と言った。
 ……なぜ笑っていられるのだろう。そう思ったアンリエッタは思わずマリアンヌを睨んだが、マリアンヌはあくまで穏やかに言った。

マリアンヌ「大丈夫ですよ、アンリエッタ。必ず帰ると言ったのなら、彼は必ず帰ります」

 睨んだ矢先から、その瞳は戸惑いに溢れ。
 次にマリアンヌが放った言葉で、余計に混乱した。

マリアンヌ「彼は……ジークは、大切な人へ向けて、
      どうしようもない嘘をつくことなんて、絶対にしなかったのですから」

 だから大丈夫。
 マリアンヌは少女のような悪戯っぽい笑みを浮かべ、娘に近付き、その頭を撫でた。


───……。


───…………。


……。

 何処かも解らぬ場所に居た。
 目を開ければ、空はどんよりと濁っている。
 曇天の空の下、彼……中井出博光は、もはや動かぬ体で空だけを見ていた。

中井出(…………生き、てる…………?)

 声が出ない。
 呼吸だけはなんとか出来たから、けひゅ、けひゅ、と呼吸だけを続けた。

中井出「………」

 視界の隅になんとか見えるのは草花、だろうか。
 横を見ることが出来るのならば、きっと綺麗な花畑が広がっている。
 身体でそう感じていた。
 彼はそんな景色に謝りながら、なんとかして少しずつマナを集め始めた。
 相変わらず身体は言うことを聞かない。
 それでも殺気はもうないし、自分は助かったのだろうかと考えてみて、途中で考えることが辛くなって、やめた。
 生きていることをとりあえず喜ぼう。
 そうして目を閉じた彼の傍には、転移装置のかけらが転がっていた。

……。

 ずっと倒れ、雨が降っても倒れ、彼がようやく動けるようになるまで、三日かかった。
 動けるようになった彼は、なによりもまず食事を求めた。
 そこらへんに生っている木の実などを食べ、栄養にした。
 痛いのはもちろん嫌だが、空腹は不死には地獄だった。
 乾くのだ。なによりとにかく乾く。
 雨が降っていなければ発狂していたかもしれない。

中井出「…………どこだろ、ここ……」

 何日か歩いた。
 しかし、町らしい町は見つからない。
 途中の森で見つけたリンゴっぽいものをたらふく食べて空腹は消えたものの、身体は本調子には程遠く、走って探すのはまだ無理そうだ。

中井出「……しまった。探すまでもなく、バックパックに料理の材料くらいあるじゃん」

 何十人前とかそれほど多いものでもないのだが、一人で食うなら十分すぎる量。
 それを忘れていたことに、中井出は溜め息を吐いた。

中井出「とにかくアルビオンに戻らなきゃな……ていうかここ、アルビオンか?」

 雲が近いなんてこともない。なにより空気が違う。
 困惑しながらも歩いた。

……。

 身体の調子が戻ってきたが、弱齢は相変わらず続いていた。
 跳んで走っては余裕で出来るが、能力解放までは無理とくる。
 あれからずっと水のソーサラーを解放、癒しを行っている。
 それでも回復までかかりすぎて、「普通の人間の方が回復早いよ絶対!」と誰も居ない草原で叫んでいた。

……。

 川を見つけて、今さら自分が血塗れであることを思い出し、身体を洗った。
 洗い終えるとロサイスでそうしたように、火のソーサラーで服も身体も乾かした。

中井出「……さすがに、村人の服はまずいかな」

 一応子爵ということで(侯爵になったのはもちろん知らない)、彼なりに領民に気を使っていた。領主がいつまでも村人の服にマントじゃまずいよねと。
 この世界に居る時だけでも、少しは着飾ってみよう。
 そう思い、中井出はブリュンヒルデに頼んでカタチを変えてもらった。
 ……もらった途端にマナが尽きて、昏倒した。

……。

 せっかくなので仮面をつけてみた。
 謎の仮面騎士、ヒロミトゥである。
 顔全体ではなく、なにに反逆したかったのか鼻から口を覆うような、キン肉族チックな仮面だった。忍者マスクといったほうが理解が早いだろう。
 頭には長靴を履いた猫が被るような貴族らしい帽子。ただし黒い。

騎士「シュヴァー!」

 シュヴァリエと言いたいらしい。
 いつか見たワルドのような格好で、シャアアアとレイピアで虚空を連突していた。

騎士「…………行くか」

 虚しくなったようだ。

……。

 ともかく位置が解らなかった。
 適当に走り回り、息切れして、ぜぇぜぇと荒く息を吐いた。
 旅にはオトモが必要です。彼がそう思うのに、時間は必要なかった。

……。

 ある森で、はぐれマンティコアを発見。
 どこぞの貴族が召喚し、使い魔にし、しかし主だけが死んで野放しになった……そういったところだろう。
 中井出はとりあえず話をしてみることにして、頭痛を感じながらも万物との会話能力を発動。マンティコアとの会話を成功させ、町を見つけるまでという条件で背に乗せてもらうことに成功した。

……。

 そんなこんなでいろいろな条件が揃ってしまったのち。
 中井出は、町を目指してマンティコアで空を駆ける途中、二人の少女を発見することになる。

騎士「ややっ!? あのピンクの髪は!」

 その髪の色にルイズを連想し、マンティコアに頼んで駆けてもらう。
 向かう先で、ピンク髪の少女はフライかなにかで空を飛び、巨大な崖の先の花を取ろうとしているようだった。
 しかし途中で集中を途切れさせたようで、落下する。

騎士「チョワァアーーーッ!!? いぃ急いで! 急いでぇええ!!!」

 ルイズ本人……ではないとは思うが、“家族”に似た外見の子が崖に落ちそうになって、中井出は肝を冷やした。
 幸いにも少女はなんとか崖にしがみつくことで、九死に一生を得たようだが……そのしがみつく腕が、どんどんと面積を減らしていっている。

騎士「くっは───! っ……間に合えぇええええっ!!!」

 マンティコアが空を駆け、中井出はその背から劣化烈風脚で飛んだ。
 劣化とは言え歩法奥義。
 弾丸のように風を切った彼は一気に崖の向こう側まで跳び、その過程でとうとう崖から手を離してしまった少女の手を掴んだ。
 しかし、そうして掴んだ手の面積も心許ない。
 中井出は珍しく真面目な声で、少女に「暴れるなよ」と忠告、もとい頼んだ。
 暴れられれば落としてしまう確信があった。

……。

 少しののち、助けられた少女は中井出をじーっと見つめていた。
 その顔にやっぱり見覚えがあるなぁと思いつつ、とりあえずは崖から跳んで反対側へ。
 心配して見ていたもう一人の少女のもとにピンク髪の少女を運ぶと、二人は抱き合って安堵した。

騎士(もう大丈夫そうだよね)

 ならば行かねば。
 目覚めてから既に何日も経ってしまっているが、状況を確かめないことには話が進まない。少女たちに訊こうかとも思ったが、なんというか、訊ける状況ではなかった。
 感動に水を差すのはよろしくない。外道でもそれは理解しよう。たまに無視するけど。
 そんなわけで訊くことはしなかった。が、代わりに少女に訊かれた。めっちゃ訊かれた。
 お名前は、どんなお顔を、あの崖が怖くないのですかなどなど。

騎士「怖い」

 だから言った。きっぱりと言った。
 名前も名乗らなかったし顔も見せなかったが、言って、少女の頭の上でぽふぽふと手を弾ませて、ハタと思いつく。
 少女は怖くてたまらないのだと言う。
 崖を見ただけで、今にも腰が抜けそうなくらい震えていた。
 ならば。

騎士「……うん」

 いつかルイズにもそうしたように、少女の手を取り、小さな指先に式を埋め込んだ。
 それを“勇気の魔法”として教え、左手に勇気と書かせて飲み込ませる。
 ……少女は、もう震えていなかった。

騎士「もう大丈夫。怖くなったら、今言ったとおりのことをやってごらん」

 笑んではみたが、目が細まるだけで、それが笑みかどうかなど伝わったかどうか。
 しかしそれで満足したのか、中井出はマンティコアに乗ると空へと飛び立った。

……。

 騎士が遠くの空へと消えたあとも、ピンク髪の少女はその空を見つめていた。
 姉が、そんな彼女を何度も促した。

「ねぇ。もう帰りましょうよ」

 しかしそんな姉の言葉は、少女の耳には届いていないようだった。
 ぼんやりと、夢見るような声で少女は言った。

「わたし、騎士になる」
「なにを言うの? 女の子は騎士にはなれないんだから!」

 姉は笑った。
 けれど、妹は本気だった。

「騎士に……」

 少女は指先を見下ろした。
 まだぼうっと熱く感じる、勇気の魔法が籠もった右手人差し指。
 もう一度“勇気”を書いて、舐めた。
 熱くなった心をそのままに、少女は空を見る。

(わたしは、自分の運命を見つけたんだ)

 その目には強い意思が籠められていた。



  ───少女の名は、カリーヌ・デジレ・ド・マイヤール。


  これは、彼女がまだ十歳の頃の、幼き思い出のお話である。





Next
top
Back