39/烈風の騎士姫1

 トリステインの王都、トリスタニアに着いた中井出は、早速情報収集を始めた。
 まず最初に驚いたのがトリステインの形。
 あったものが無くなっていて、存在していなかったものが存在していて。
 アルビオンに居たはずの自分が何故、トリステインに居たのか。
 それらを考えるに、中井出は首を捻ったのちに答えを出した。

中井出「夢か」

 冗談だが。
 恐らくは自分の傍にあった、転移装置の暴走。
 元々不安定なものだったのだから、魔法やら矢やらが当たった瞬間、爆発したのだろう。
 その暴走に巻き込まれた結果が現在であり、これがパラレルワールドなのか過去なのか未来なのか。ともかく訳の解らないままに情報を集め続けた。
 少なくとも知っている者は誰一人として居ない。
 レコン・キスタとの戦争を問うたら笑われた。ならアルビオンとの戦争と訊いたら笑われた。ここでは、戦争が無かったことになっていた。それともそもそも起こっていないのか。
 町に着いたということで、マンティコアと別れたばかりだが、彼はオルニエール領を目指して走った。ぜぇぜぇ言いながらも駆け、やがて着いた場所には───……オルニエール領はあったにはあった。
 だが、そこには大樹も豊かな田畑も存在しない。
 そこには、いつか“年収一万二千エキュー”と謳われた領地があるだけだった。
 もちろんこの現在でそれほどの年収を受け取っているのかどうかなど、来たばかりの彼に解るはずも無いのだが。

中井出「過去か」

 適当に決めてみた。
 だが、こんなことが在り得るのか……? と首を傾げて笑った。今サラダ。もとい、今さらだ。

中井出「未来だの過去だのなんて、ある意味常識に近くなっちまってて……」

 本当に今さらだった。
 彼は溜め息をひとつ吐くと、これからのことを考えた。
 そもそもの問題として、弱齢が終わるまでは歴間移動なんて出来ないので、ここで待機ということになる。
 問題そのに。どうやって食おう。
 ……まあいい、適当に働いて、適当に食っていこう。
 そう結論づけて、彼は歩いた。
 まずは現状を知り、この場を知り、その上で……楽しみながら弱齢の終わりを待つ。
 それだけだった。


───……。


 それから───どれほどの時が経っただろう。
 ぶっちゃけてしまえば、中井出がトリスタニアに根付き、既に五年が経っていた。
 ここまで来てようやくほんの僅かずつ回復し始めたマナを思い、彼は安堵する。
 しかし完全に回復するまでは無茶は禁物。
 なのでこうして、変装をしながら時を過ごしていた。

ジークフリード「やあやあ、そこいくお兄さん。ちょいと手品を見ていかないかい?」
貴族     「そんな暇はない」
ジークフリード「おやおや残念」

 名前を相棒からとってジークフリードとし、首都で仕事をしていた。
 といってもパントマイムやジャグリング、道化っぽいものを好んでやり、願われれば招待されるままにパーティー会場などでそれらを披露。
 仮面をつけた杖を持たぬ貴族は、そうして“道化のジーク”として奇妙な二つ名で知られていた。トリスタニアではちょっとした名物だ。
 そしてもう一つ。
 気に入った相手に訊ねる言葉がある。

ジークフリード「あなたが私に望むものはなんですか?」

 これである。
 訊ねられた方はといえば、驚くしかない。
 しかしノリの良い人は望む在り方を唱え、ジークフリードはそれに応えた。
 それがまた見事なものだから、観客は喜んでいた。
 酔っ払いに執事になれと言われればなり、金が払えないのなら出てゆく。
 護衛になれと言われればなり、兵になれと言われれば。
 そうしてトリスタニアに根付いた道化はコツコツと生き、既に五年近く。
 相変わらず賭場ではズルをして金を巻き上げていたので、金には困っていない。
 せっかくなので家をひとつ買い、そこで趣味の料理店を営んでいる。
 趣味なので、不定休が多いのだが。

ジークフリード「やあやあそこのおじょ……おにい? ……りょっ……両生類さん」
???    「誰が両生類か!」

 そんな、生活が大分安定したのちの日々。
 彼は、ある者と出会うことになる。

……。

 騎士姿の少年が首都の門をくぐる。くぐったそれその大きさに、田舎の貧乏貴族な彼は驚いた。あたりをきょろきょろと見回し、しかしそんな自分に気づくとすぐに視線を真っ直ぐに。
 服装は一昔前に流行った、青い厚手の上衣にケバケバしいフリルのついた白いシャツ。時代遅れの膝が出た乗馬ズボンに、色あせた黒いブーツ。
 腰に下がった杖はメイジの証。だが、その拵えも上等とはいえず……しかしところどころに傷がついているところを見ると、かなりの修羅場を潜り抜けてきたのだろうと思わせる。

「ひ、広いな」

 呟く。
 その顔に浮かぶのは焦り、だろうか。
 ともかく歩くのだが、ぎくしゃくと身体が揺れる。
 そんな後姿を見て、他の貴族が顔を一目見て馬鹿にしてやろうと回り込むのだが、その少年、恐ろしいほどに美青年だった。
 急に前に現れた貴族に若干驚くが、軽く睨んでみせる。
 その表情の、なんと整っていること。
 思わず“ほう”と溜め息を吐いて、ばつが悪そうに去っていった。

「………」

 また、歩く。
 こんなださい格好をした者はどんな顔なんだと回り込む人は、後を絶たない。
 そのくせ、顔を覗いてみればとんでもない美少年。
 服装のダサさなどどうでもよくなってしまい、むしろ彼に似合ってさえ見えた。

「?」

 そんな彼の目に、ひとりの怪しい男が留まる。
 細かに手を動かして、呆れるくらいの球をお手玉しているのだ。
 思わず少年の心がくすぐられるが、彼は首を横にぶんぶんと振った。

「とにかく、魔法衛士隊のドラギニャン殿を訪ねなくっちゃ」

 今の自分がしなければいけないことは、ともかくそれだった。
 なので怪しげな男の前を素通りしようとしたのだが、声をかけられたと思ったら両生類扱いだった。

「誰が両生類か!」
「おお、これは失礼を。わたくし、このトリスタニアで道化をしております、ジークフリードと申します。あ、性別は男でございます」

 仮面をつけた怪しい男だった。
 年の瀬は17・8くらいだろうか。
 緑に主体を置いた色合いの貴族衣装に、頭には大きな緑の帽子があり、深く被れば顔も隠れてしまいそうだ。さらには鼻から上以外のほぼが白銀の仮面に覆われていて、その顔を判別するのは難しい。

「じ、じーく?」
「はい。どうぞお気軽にジークと呼んでください。さて、お兄さま、でよろしいですかな? 私はこう見えて、このトリスタニアで道化を始めて5年。向かいたい場所があるのならご案内致しましょう。もちろん御代は結構。私は人に“楽しい”を提供することをなによりの喜びとしています」

 道化はぺこりと礼をする。
 色はアレだが、服装はどう見ても貴族。それも爵位を持った者のソレだった。
 慌てて頭をあげてと願う少年だったが、気づくと強張っていた身体がほぐれていた。

「ジークフリードは道化としての偽名です。この通り爵位を持つ貴族ではありますが、これは趣味でございますのでお気になさらず」
「爵位って……ど、どれくらいの?」
「子爵にございます」
「子爵!」

 少年はたまげた。
 “子爵がこんなところでなにやってるの!”……思わずそうツッコミたくなった。

「趣味にございます。……あなたはよい風をお持ちのようだ。それに、様々な意味で真っ直ぐな様子。その桃色の髪の毛も、大変よく似合っておいでだ」
「あ、う、……」

 急に褒められ、少年はたじろいだ。
 しかしキッと道化を睨むと、「お前の助けなど、いらん!」と言う。

「左様ですか。では気が向いたらいつでも。私はここにおります。気に入った者の願いに付き合う道化、ジークフリードを……どうぞ、覚えていてくださいますよう……」

 ぺこりとお辞儀をし、ジークフリードは他の者への挨拶をし、願われれば子供にも芸を見せる。何もないところから鳥を出したり花を出したり、ともかく不思議なものだった。
 思わず目を奪われたが、道化が自分を見ることでハッとし、肩を怒らせながらその場をあとにした。

……。

 結論から言おう。
 父の知り合いであるドラギニャン殿は既に家を手放し、その家自体はレストランになっていた。ドラギニャン殿だけが頼りだった、右も左も解らない少年は身体が震えた。
 どうしよう。
 確かに父に貰った30エキューがあるが、頼るべき場所が無い今、これでどうしろと?
 王宮に乗り込んで騎士にしてくれと志願するのか? 紹介も無しに?

「……うぅ」

 小さく唸ってみるが、救いの手を差し伸べる者など居る筈もない。
 そもそも居たとして、初めて来た場所で手を差し伸べられて、緊張のしっぱなしの自分がそんな手を信用出来るだろうか。出来ないだろう。
 ここで立っているわけにもいかないが、どうすることもできないのは事実だ。
 薄手の皮の手袋の中は、既に嫌な汗で濡れていた。

「………」

 そんな手で頭を掻いてみせるが、そうしたところで解決策が見つかる筈もない。
 頑張ろうと意気込んだ分だけがっくりと首を垂れ、ちらりちらりと辺りを見渡した。故郷にはない賑わいがそこにあった。

「……ぅ」

 その賑やかさに、少し心が惹かれる。
 まだまだそんな明るさに手を伸ばしたい年頃でもあり、憧れもあったのだ。
 ……あっさりとネタばらしをしてしまうなら、彼は彼ではなく少女だった。
 幼さの残る顔立ちと、女性と言われても首を傾げてしまうほどのぺったりな胸とが、その境目を曖昧にしていた。
 だから男装の令嬢だと言われれば頷けるし、女性に見える男性だと言われても頷ける。
 頭の後ろに結わった長いピンクの髪の毛も手伝って、どちらとも言える格好をしていた。
 名は、カリーヌ・デジレ・ド・マイヤール。
 ただ本名を名乗るわけにはいかず、“カリン”と名乗っている。

カリン「いや、いやっ……」

 彼女には夢がある。
 その夢を掴むまでは、迂闊な行動は避けるべきだ。
 少女のように燥ぐわけにはいかない。
 騎士は男性しかなれない。
 自分の正体がバレれば、親に迷惑がかかるのだ。

カリン「勇気を……ただ、勇気を!」

 親は引くことをしてはならぬとしつこいくらいにカリーヌ……カリンに言った。
 マイヤールの名に恥じぬように、王や隊長相手ならばまだしも、それ以外ならば誰が相手でも引くなと。勇気を持てと。
 幸いにして自分には勇気の魔法があったから、それを使えば心が負けることはなかった。
 そうして女だてらにガキ大将のような気質を持ってしまい、現在に至る。

カリン(臆病な自分とは、もうさよならしたんだから)

 歩きながらこれからのことを考える。
 ……臆病な自分が嫌いだった。
 だからそうでないものに憧れ、その憧れは……いつか自分を救ってくれた騎士の姿にカチリと嵌まり込んだ。“自分の運命を見つけたんだ”と思えるほどに。
 幸いにして魔法の才能はあり、風魔法だけならば他に引けを取らないほど……いや。初級の初級、ウインドだけでも激しい風を巻き起こすそれは、才能というよりは一種のバグめいた能力だった。
 しかしそんな力を持っていてもいざという時には怯えてしまい、宝の持ち腐れもいいところ……だったのだが。そこに勇気の魔法が加わることで、彼女はその才能を思う様に振るい、騎士になるだけの能力“だけ”は備えるに至ったのだ。

カリン「《ドッ》うわっ!?」

 と、考え事をしていたからだろう。
 周りも見ずにどうしようどうしようと考えていた彼女は、誰かとぶつかってしまった。
 拍子に軽い体は後方に倒れてしまい、ぶつかった相手は暢気にガツガツと骨付きの鶏肉を食らっていた。

大男「わっはっはっはっは!
   どうしたボウズ! 歩く時は前を見ないと怪我しちまうぜ!?」

 デカい図体の男は、倒れたカリンを心底おかしそうに見つめて言う。
 文字通り見下ろしていた。
 自分も周囲の仲間と喋り、前を見ていなかったというのに“自分は悪くない”と確信した態度だ。
 大男にデカい声でそんなことを言われれば、大抵は怯えもするだろう。少女ももちろんそうだったし、基本が臆病な彼女はもちろん目を逸らして歩き去りたい気持ちでいっぱいだった。
 しかし父に言われた“とにかく勇気じゃ!”という言葉を思い出し、立ち上がると同時に歩き去ろうとしていた大男に向けて声を放っていた。

カリン「ひっ……人を突き飛ばしておいて、黙って去るとは何事か!」

 微妙に怯えも混ざったが、言えた。というよりは言ってしまった。もう逃げられない。
 見れば、楽しげだった顔をひくりと歪ませた大男がゆっくりとこちらを睨みながら向き直ってくる。肩まで伸びた髪をオールバックにし、前髪の中心にだけひょこりとあるクセっ毛のようなもの。そこだけ見た上に顔も細ければこうまで怯えることもなかったんだろうが、生憎と強面だった。
 体は言った通りに大きく、腕の太さなどはカリンの腰ほどにもありそうだ。
 思わず“ひぃぅっ!?”と叫びそうになったが、なんとかこらえる。

大男「なんだァ? なにか言いたいことがあるのかボウズ」

 遠巻きに見ている市民は当然怯えている。あんな巨漢に文句を言うなどどんな馬鹿だと顔を見るのだが、その整った顔や体躯に思わず息を漏らす……が、印象は“馬鹿”のままだった。

カリン「ああ、あるな。お前みたいな大男は邪魔だから端っこを歩くべきだ」

 そんな視線の只中に居るカリンは、なんとか声が震えないように丹田に力を込めるようにして声を絞り出す。
 カリンの言葉に周囲が小さな悲鳴を上げるが、カリン自身も随分といっぱいいっぱいだ。
 あとには退けないとばかりに、口から勝手に出る文句に途中からぐるぐると目を回しながらも、逃げることだけはしなかった。

大男 「はんっ、オレみたいな勇者は堂々と真ん中を歩くもんだ。
    お前こそネズミのように端っこを歩くべきだろう。
    今のように倒れて、潰されてしまうぞ」
カリン「ふざけるな。ぺしゃんこになるのはお前の───」
大男 「お仕えさせてくださいっ!!」
カリン「ひぃぅっ!?」

 突然だった。
 カリンの目の前で、ンゴゴゴゴゴと怒気を放っていた偉丈夫が跪き、仕えさせてくれと叫んだのだ。思わず悲鳴を上げてしまったが……ちらりと見ると、偉丈夫は通りがかった美しい貴族の令嬢に向けて叫んでいたのだ。
 令嬢に付き従っていた数人の供が「何事だ!」と叫ぶ。カリンも何事だと叫びたかったが、ぱくぱくと口が動くだけに終わった。こんな時にも勇気が出せない自分が嫌になる。
 そんなカリンのことなど完全に忘れている様子の偉丈夫は、跪いていた姿勢を崩すと令嬢の足に頭を擦りつけ、令嬢の困惑の悲鳴も知らぬ顔で叫ぶ。叫び続ける。

大男「切にッ! 切に申し上げるッッ!
   わたくし、あなたさまのような美しい少女に仕えることを夢見て、
   騎士となった男でありますっ!! どうか供の一人にお加えくださいますようっ!」
令嬢「いやぁああああああっ!!」

 ……のちに、偉丈夫はカポォーンと小気味のいい音が鳴るくらいに強く、少女に顎を蹴り上げられてもんどりを打った。
 その隙に令嬢は供を連れてその場を去ってしまい、残されたカリンは偉丈夫を見下ろしながらぽかんとしていた。

カリン「……何事?」

 今度こそその言葉は放たれた。
 それを聞いた偉丈夫はシャキィンと立ち上がると、ニカッと笑って言う。

大男「オレは可憐な美少女に弱いんだ。
   少女に仕えるために都に出てきたが、中々上手くいかなくてな」

 お前が男でよかった、なんて笑いながら言って歯を輝かせる偉丈夫。
 男でもそうそう居ないくらいの整った顔だちや体躯をじろじろと見られ、カリンは思わず「……変態」と呟いてしまう。
 もちろんそんな呟きは多くの場合は拾われてしまうもので、偉丈夫はせっかく笑っていた表情に青筋をモキリと浮かび上がらせ、再度カリンをねめつけた。

大男 「オレが変態だと!? オレは変態じゃない! 人より愛が深いだけだ!」
カリン「黙れ変態。やはりお前のようなヤツは道の真ん中を歩くべきじゃない。
    というか家から出るな。部屋からも出るな。
    みんなが迷惑する。なによりぼくが不愉快だ」
大男 「《モキッ……》なっ……な、な、ぁぁ……!!?」

 浮かんだ青筋とコメカミがバルバルと躍動する。
 もはや怒りは頂点に。ギウウと握り締められた大きな拳がベキンッと音を立て、白くなっている。
 そしてカリンはそんな音に心臓をびくりと震わすと、勇敢な言葉とは裏腹に心の中で“しまったぁああーーーーっ!!”と叫んでいた。出来ることなら今すぐ頭を抱えて座り込み、石になってしまいたいほどの後悔が彼女を襲った。

大男「……いいだろう! ならば決闘だ!
   明日の二時にセント・クリスト寺院の裏に来い!
   逃げても無駄だからな! 王都中に友達が居るんだ!
   すぐにきみを見つけ出してみせるからな!」

 そしてあっさりと突きつけられてしまう決闘。
 カリンが腰に下げていた杖に気づいていたのか、偉丈夫は自分の杖をカリンに突き出して叫んでいた。
 こうなってしまえばどうにもならない。“引いてはいけない”と父に言われてしまったからには、逃げてしまえば勇気は失われ、マイヤールの名に泥を塗る。貴族とは面倒なものなのだ。
 肩を怒らせながらのっしのっしと去ってゆく偉丈夫を後悔とともに見送りながら、カリンは呆然としていた。そんな彼女の心境など知らない通行人は、なんと肝の太い子供だと感心するのだった。

……。

 ゴ〜〜〜ン……

カリン「…………」

 現状。
 フォッソヤールという街角で、カリンは頭を抱えて座り込んでいた。
 偉丈夫との決闘はもちろんそうだが、つい先ほどもやらかしてしまったのだ。
 ……少し前、居酒屋で外にテーブルを持ち出して、女性数人を囲っていたキザっぽい男を発見した。べつにどうということもない、こういった街ではよく見かける光景なのだろうと、明日に控えた偉丈夫との決闘を思いながらぼーっと眺めていたのだ。
 しかしそのキザっぽい男というのが、どうにも自分にとって在り得ない存在だったからいろいろと面倒なことになってしまった。もちろん自業自得ではあるのだが。
 その男。光が反射するようにラメが編みこまれた紫色のシャツを着て、そのシャツが胸元でハートのカタチを描くように開いているのだ。襟はアクセサリのようなもので止められており、その中心にはやはりハート型の赤い装飾が存在していた。
 金色の髪をさらりと指で流し、上機嫌でぺらぺらと理解が追いつかない言葉を並べている。おそらく口説き文句なのだろうが、どうにも語彙というかボキャブラリーに欠けていた。人の美しさを例えて甘い囁きをしているつもりなのだろうが、全てバラにしか喩えないのだ。
 「空に星が輝くように、地にはきみたちの星光る。その星は瞳。吸い込まれそうなバラのつぼみ。バラ色のほっぺ。バラのような唇」……なんてことを言っていた。星とバラしかなかった。

ジーク「言ってしまえば星は遠くにあるから輝いて見えるのであって、
    間近で見たいなら地面を見たほうが早かったりします。
    流れ星に願いをというが、滅びる星より母なる地球に願いなさい。
    何も叶わないから」

 とは、通りがかりの道化の言葉だ。

カリン「お、お前は……」
ジーク「やあ、またお会いしましたね。ジークフリードです。
    星がどうのこうのと言っていたので、
    少々思っていたことを割り込ませていただきました」

 いつの間にか、つい先ほどのことを振り返っていたカリンの横に、道化が座っていた。
 ここはつい先ほどまでキザったらしいナルシストが座っていた居酒屋の席なのだが、そんな彼女の傍でにこりと笑った……ような気がする道化。

ジーク「よろしければお話を耳にしましょうか?
    辛いことも、言葉にすれば随分と楽になるといいます」
カリン「………」
ジーク「それとも、言うだけの勇気がおありになりませんか?」
カリン「むっ。勇気。……あ、あるぞ、もちろんあるともっ」

 ぼくを馬鹿にするなとばかりに彼女は口車に乗った。
 道化はとてもやさしい目をするとこくりと頷いて、彼女が口にする後悔の出来事を耳にするのだった。

カリン「おかしな男が居たんだ。あれはきっと変態だ。体が大きいだけの」
ジーク「ほほう」
カリン「どこぞの令嬢の前に急に跪いて、お仕えさせてくださいって叫んだんだ。
    しかも相手の足に頭をこすり付けてだぞ。信じられるか?」
ジーク「目的を達成するためには手段を選ばず。
    もしその男の夢が令嬢に仕えることなのだとしたら、
    彼の行動は間違っていたかもしれませんが、行動力は認めるべきでしょう。
    私の友にも似たような方が居ますが、ある意味では真っ直ぐですし」
カリン「む。そうか、そういう考えもあるのか。けどぼくはあんなやり方を認めない。
    あんなことをして、相手が仕えさせてくれるわけがないじゃないか」

 道化が頼んだ軽い食事が運ばれる。
 どうぞと促されると、そういえばろくに食事も摂ってなかったことを思い出し、悪いと言いつつも食べろ食べろと押し切られるままに口にした。

ジーク「考え方は人それぞれですよ。たとえばとても大事な夢があったとして、
    目の前にそれが叶う可能性があったとしたら、飛びつかずにはいられますか?」
カリン「うっ」

 ごくりと、食べていたものを嚥下する。
 ある日王様が目の前に来て、“うん”と頷いたなら騎士にしてやろうと言ってきたらどうするだろう。念願の騎士になれる。跪けば騎士になれる。足に頭をこすりつければ騎士にする。条件をいろいろ出されても、そこに辿り着けるなら───

ジーク「どうでしょう。迷ってしまいますよね?
    その男の方は、それだけ令嬢に仕えたかったのですよ。
    だから決して、変態だの不愉快だの家から出るなだのと言ってはいけま───
    ……おや? どうされました?」
カリン「い、いや……なんでも。
    そ、それでだな、そのあとのことなんだが───決闘を申し込まれたんだ。
    明日の二時、セント・クリスト寺院の裏に来いと」
ジーク「それはまた…………行くつもりで?」
カリン「と、当然だ。ゆゆゆゆゆ勇敢だからな、ぼくは。そ、それで次なんだが……」

 そうして話は戻る。ナルシストの話だ。

カリン「またおかしな男が居たんだ。ここに。えっと、たしかナルシスとか言われてた」
ジーク「ナルシス、ですか。さすがに偽名ですかね」
カリン「ナルシストでナルシスなんてすごい名前だ。
    そうなるように育てられでもしなきゃ、こんな名前がつくもんか。
    偽名にきまってる」

 ふむ、と道化が頷く。同じ偽名の友が居るのですが、まさかね、と。

カリン「そいつは女性を数人囲って歌を歌ってたんだ。
    なんというか身の毛が弥立つような気色の悪い歌だった。
    顔は美少年ってくらいだったのに、服で全部台無しだ。
    在り得ないくらいに目によくない」

 けばけばしいくらいの衣装だった、と身振り手振りを加えて熱心に語る。
 自分も中々のけばけばしい衣装だということは、完全に忘れて棚上げ状態のようだ。

ジーク「しかしですね。本人が真面目に歌い、誰かを喜ばせようとしているのに対しては、
    あまり良い言葉ではないかもしれませんよ。
    身の毛も弥立つように聞こえても、受け取り方も人に寄りけりです。
    あなたにとっては気色が悪くても、他の人にとっては楽しめたかもしれません。
    ですから間違っても、ひどい歌、などと言っては───」
カリン「お、お前っ! 見ていたのか!?」
ジーク「………」
カリン「………」
ジーク「……あの。もしや、言ってしまわれたので?」
カリン「う、うぅううっ……あ、ああっ! 言ったさっ! 言ったがどうしたっ!」

 思わず目じりに涙が溜まった。

カリン「確かに言ってしまったさ。ひどい歌って。
    けど、どうしてそれが決闘になんかなるんだ。確かにぼくも言い過ぎたさ。
    やってしまったって思った。でも、さきにこの服をばかにしたのはあっちなんだ。
    そりゃあ田舎から来たようなことだって事実だし、
    この服が時代遅れだってことも解るさ。こんな服を着ているやつなんか居ない。
    それでも、わ……ぼくにとっては大事な服だ」

 カリンはとりあえず無駄な諍いは避けるべきだと、言葉を濁した筈だった。
 ナルシスが“そこの少年とボクとどちらが美しいか”なんてことを口にしたから、“どちらが美しくても美しくなかろうと関係ない、きみは十分に美しいのだから競う必要なんてないだろう”と、確かに言った。
 それで“それもそうだ”と終わればよかったものを、彼が囲っていた女性たちが“そうよ、その通りよ”とナルシスに向けて放ち、カリンの味方をするような姿勢をとったのがまずかった。
 囲っていた女性らをカリンに取られたように感じたナルシスは、カリンを睨みながら怒り始めたのだ。
 ……しかしながら自業自得と唱えたように、ここからは明らかにカリンの自業自得だ。

カリン「あのギラギラのシャツはいくらなんでも、ない。
    あんなもの、芝居の道化だって着ないに違いない。
    だからそういうことを指摘してやったんだ。そしたら……」
ジーク「そしたら?」
カリン「…………お気に入りの服だったんだって」
ジーク「………」
カリン「………」

 深い悲しみが二人を襲った。

ジーク「ナルシストが好んで着ている服をダサイとか真正面から言う人……
    本当に居たんだなぁ」

 しみじみと呟いたが、それはカリンには聞こえなかった。
 ともかく、どうやらその言葉に静かにキレたナルシスを前に、カリンは口早にして足早にその場を去ろうとしたのだが呼び止められたそうで───

カリン「で……明日の二時、セント・クリスト寺院の裏に来いって……」
ジーク「ははあ……明日の二時に───って、おや?
    あの。偉丈夫とも、同じ時間にと───」
カリン「………」
ジーク「………」

 頭を抱えている。なるほど、落ち込むわけだ。

カリン「しかも、当てにして家を出てきたっていうのに、
    父の旧友のドラギニャン殿まで十年も前に屋敷を引き払ったっていうし……。
    ドラギニャン殿の推薦無しでどうやって騎士に、魔法衛士隊になれっていうんだ」

 決闘でさえ死にたいくらいに怖いのに、その上頼るべき人まで居ないとくる。
 目の前は真っ暗だ。
 だが、こんな時だからこそと、カリンは両手を顔の前に持ってきて、左手に右手人差し指で“勇気”と書くと、ぺろりと舐めた。

ジーク(おや)

 それを見て、道化も確信に至る。少女を見る目が、一層にやさしいものへと変わったが、カリンはそれに気づくわけもなく。湧いてきた勇気に励まされるように、うんと頷いた。

カリン「大体父も父だ。ドラギニャン殿が屋敷を引き払ったのは十年も前だというのに、
    今までそんなことも知らなかったなんてどうかしている」

 湧いてきた勇気と、空腹を満たしたこともあって、カリンは強気で父への文句をぶちぶちと飛ばした。
 そこでハタと気づき、会って間もない相手になにをべらべらとと恥じる。

カリン「すまなかった。こんなことを急に話されても迷惑だろう」
ジーク「いえいえ、道化とは人を楽しませるものです。
    そうすることであなたが少しでも心を軽く出来たなら、
    それはそれでいいのですよ。あ、ただし報酬は頂きましょう」
カリン「報酬? 聞いてないぞそんなことっ!」
ジーク「言ってませんから。まあそう難しく考えないで、
    さらに言えばキザったらしく受け取らずに聞いてくだされば」

 “ほう、報酬っ……!?”と困惑しながら、放たれるであろう言葉を想像する。
 まさか金? 報酬っていうくらいだからそうなのだろうか。それとも、それとも。
 いろいろ考える中で、道化は「あー……」と仮面をカリカリと掻いて、一言言う。

ジーク「えー……笑ってくださいますか?」
カリン「───………………へ?」

 もちろん、さらに困惑するしかなかった。
 いきなり何を言い出すのだろうかこの道化は。
 もしかしてあれか、さっきのナルシスと同じようにおかしな歌を歌うやつなのか。こいつもキザなやつなのか。
 そう思ったが、ならば顔を出していないのはおかしいじゃないか。
 じっと目を見てみれば、驚くくらいにやさしい目をしていた。
 こちらが思わず安心出来る、ともすれば深い友情にも似た目だった。

ジーク「道化は人を笑ませてなんぼのものですから。
    笑ってくだされば、それが最高の報酬となります。
    あ、もちろん見下したような笑みは無しですよ?
    わたくしの願いは純粋な笑顔。無邪気な子供のような笑顔こそを望みます」

 言って、道化は突然バッと立ち上がると、その場で手品をやってみせた。
 手から鳥が出て、ポケットからは花が咲き乱れ、帽子からは色とりどりの紙吹雪がこぼれる。

ジーク「笑顔でいられないのなら笑顔にさせましょう。
    そして、気に入った誰かの願いを一度だけ叶えます。
    ───さあ、あなたが私に望むものはなんですか?」

 カリンの肩に留まった鳩が、クルッポーと鳴いてカリンの頬に頭をこすりつける。
 その小さなくすぐったさに、思わず笑ってしまうと、慌てて表情を引き締めた。

カリン「大概にしつこいな、お前に望むものなんてないって言っただろう。
    お前はなにか、ぼくが願えばぼくを騎士にしてくれるとでもいうのか」
ジーク「…………それが、お望みで?」
カリン「っ……」

 やさしかった瞳が、キッと引き締められた。
 思わず目を逸らしそうになってしまったが、“騎士になるには勇気!”と父に教えられた彼女は引くことを良しとせず、売り言葉に買い言葉のままに言ってしまった。

カリン「あ、ああそうだっ、ならばやってみせろっ!
    ぼくが騎士になるまで、ぼくに付き従ってなんでもやってみせてみろっ!」

 同じく椅子から立ち上がり、ビッと指を差して叫んだ。
 その声に通行人がなんだなんだと寄ってくるが、叫んでいるのが少しずつ噂になっていた美少年だと知るや、またあの少年だだのこっちでもやっていたのかだのと囁いている。
 当のカリンはといえば、叫び終えてから心の底で“やってしまったぁああーーーーっ!”とまた叫んでいた。なにせ相手は子爵である。騎士志望で、文字通りシュヴァリエにもなっていない自分が偉そうに言っていい相手でもないというのに。
 どうにも親しみやすく優しい雰囲気に流されるままに叫んでしまっていた。
 しかし言ってしまったからには後には退けず、退くつもりも湧いてこなかった。
 どうせ出来ないに決まっているのだから、このまま押し切ってしまえばいいのだと……そう思っていたからだ。……しかしまあ現実というものは実に思い通りいかないように出来ているもので、目の前の道化はカリンの前に礼儀正しく跪くと、自分に付き従う旨をその場で大きく語ってみせた。

カリン「───……」

 今日というこの日に、いったい自分は何度呆然とすればいいのだろう。
 真っ白になってゆく頭の中で、そんなことを小さく考えていた。




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