49/城勤めの日々

 カリーヌの墓から戻った三人を待っていたのは……なんのことない普通の日常だった。
 朝起きて、食べて、城へと向かって仕事をして、終われば屋敷で過ごして、疲れたら帰る。普通の日常だ。
 その中で、サンドリオンは一人で調べごとをしているらしく、城勤めの任務から外れていた。何を調べているのかと訊いてみれば、いつぞやの旅芸人一座のことを調べているのだとか。
 なるほど、それでその一座が存在していない、もしくは操られていた屍だったなら、なにかと浮かんでくるものもあるのだろう。カリンはなるほどと頷きながら、いつものように「ぼくもやる」と言った。
 しかし現状、それは許されない行為であるとともに、サンドリオンも「一人の方が動きやすいんだ」ときちんと断った。
 カリンも仕方ないことだと解っているのだ、素直に受け取る。
 ……というのも、カリンには城勤めである警護任務の他に困った仕事があるのだ。
 それが……

マリー「カリン! カリン!」

 城に辿り着くや王女の寝室に案内され、その度に抱きついてくる少女な殿下である。
 ドーヴィルでの王女の危機を無傷で救い、得意の風魔法で死者の群れを追い払ったとして、カリンは城では既に相当に有名な存在になっていた。
 あれは自分だけの手柄じゃないのにとどれだけ思おうが既に手遅れ。
 警護の衛士もカリンにはにっこりと微笑み、通りゆく侍女らもわざわざ足を止めてお辞儀をしてゆく。自分はまだ騎士見習いで、ここは宮廷だというのに……相当な顔だ。
 それら全てがドーヴィルでの出来事が関係しており、さらには王女マリアンヌのお気に入りということもあって、カリンは逃げ道を失っていた。出世は嬉しいのだが、やはり自分だけの手柄ではないことで認められても嬉しくない。一応は自分も関与しているのだから、その分の栄誉は欲しいとは素直に思うものの……これはおかしい。

カリン(それもこれも、サンドリオンとジークフリードの所為だ)

 サンドリオンは目立つのが嫌だという理由で手柄の全部をカリンに押し付け、中井出はここで国に借りなんぞ作っておいたらあとでどうなるか解らんからキミにあげるなどと言って、やはりカリンに押し付けた。
 結果どうなったかといえば、屍に囲まれて危なかったところをカリンが指揮し、とっさの判断で潜り抜け、魔法を使って屍どもを追い払い、利用された哀れな町人たちを弔ったと……なんだか美談っぽく広められてしまった。それ故の周囲のやさしい目だった。
 マリアンヌ自身も気絶していたために、言われるままを信じるしかなく……カリンを王子様としてみている彼女は、“まあ! もしそうだとするならなんて素敵なの!”と受け取ってしまい、いつしか自分の中でそれが真実になってしまっていた。

カリン「……なぁジーク。真実を話してもいいだろうか」
中井出「いいよ? 俺しらばっくれるから」
カリン「おいっ!」
マリー「もうカリン!?
    わたしと一緒の時はわたしだけを見てって言っているのに!」
中井出「そうだこのタコ!」
カリン「くあっ……! お前は本当にこういう時は容赦なく乗って……!」
中井出「ククク、このジークには、
    “それ”をすることで自分がどうなろうとも構わんという覚悟がある。
    殴られる程度で好き勝手言えるのであれば、
    一発殴られる程度、どうということもない。痛いけど」
マリー「まあジーク、それじゃあどうということもじゃなくて痛いんじゃない」
中井出「あれ? ……まあいいじゃん、それよりどうしますかねこれから。
    デート? 一応従者だから一緒に居るけど、邪魔なら失せるよ?」
マリー「本当にジークは話が早いわね。でもいいわ、一緒に来てちょうだい」
中井出「アイ・サー!」

 何故か海軍っぽい敬礼をしつつ、彼は二人のあとをしずしずと付いて行った。
 ご丁寧に歩行音がジャリ、ジャリ、などではなくしずしずと鳴っているのだ。不気味以外の何物でもない。

カリン「……なぁ。耳障りというか、聞いたことがない音というか。
    ともかく心がざわつくような不快な音がお前の足元から聞こえるんだが」
中井出「お、大人しくついてきている従者に向かってなんてことを!」

 不好評だったのですぐにやめたそうな。

マリー「ジーク、きっとカリンは照れているのよ。
    急にデートなんて言われたら驚きもするわ」
中井出「なんと! そうかそうか照れてたのかこやつめ。
    しょうがねぇなぁああ〜〜〜〜っ、まったくよぉおおお〜〜〜〜っ!
    しょぉおおおお〜〜〜がねぇなぁあああ〜〜〜〜〜っ!!」
カリン「ギッ……ギィイイイイイーーーーーーーーッ!!!」

 照れてなどいないのだが、嬉しそうにするマリアンヌと、まだ周りに居る侍女の手前、強く否定することが出来ないカリンはコメカミをバルバルと躍動させながら声にならない悲鳴をあげていた。もちろん怒り側の。
 しかしそんなカリンを見たマリアンヌがくすりと笑うと……足を止め、カリンの目を真正面から見つめた。その視線に怒りはぴうと走り去ってしまい、カリンは焦るばかりだ。
 いい子なんだけど、この子ちょっと苦手……。
 それはカリンの紛れもない本音だった。

マリー「緊張しているのね。
    でも平気よ、わたしが今からとっておきの詩をあなたに聞かせてあげる」

 ほら来た。
 カリンは自分の目が“遠い目+半眼”になりそうになるのを必死でこらえ、表情筋とンゴゴゴゴと格闘しながら「人目がありますゆえ……!」と囁く。
 しかし侍女の視線がなんだというのだばかりにマリアンヌはぷんすか怒り、「まあ! あなた、わたしの詩が聞きたくないというの!?」と言い出す。機嫌を損ねるわけにもいかないので、やはり聞くしかないのか……と諦めそうになりつつも、侍女たちに助けてとばかりに視線を飛ばすと……ソソッと視線を外す歴戦の侍女たち。恋に夢見る姫殿下のこういった行動は一度や二度ではないので、対象からの救援要請へのやり過ごし方など見事なものだ。
 ついでカリンは自分の従者に視線を向けるのだが、そこには侍女さんと世間話を白々しくする男が居るだけ。
 キサマァアアアと叫びたくなる衝動を抑えつつ、カリンは始まってしまった詩に耳を傾けるのだった。

マリー「おおカリン。あなたの名を呼べば、星降る雨降る猫も降る。
    落ちた猫がにゃーと鳴く。にゃー」

 ───。
 時が、止まっていた。
 カリンは頭の中が真っ白になってゆく感覚をなんとか押さえ、侍女たちもこの状況に目を回す。なにより対処に困るのだ、この詩というものは。
 褒めなければ落ち込むし怒るし、かといって適当に褒めればバレる。
 そしてその“褒める役”はカリンにしか務まらないわけで、自然とその場に居る全員の視線はカリンのもとへ。
 ちなみに一度、中井出が盛大に笑ってやったらマリアンヌは拗ねた。盛大に拗ねた。そして中井出は周囲にボッコボコにされ、素のままの顔を殴ってくれようかと仮面と帽子を掴んだカリンに対して「やめろー! 芸能人は歯が命ー!」と訳の解らない言葉を発して抵抗。
 その隙に他の者にボコボコにされ、以来マリアンヌの詩は危険視されている。

カリン(だ、だから嫌なんだ! わたしに詩の感想なんて求められても、
    なにがいいのかなんてまるで解らないのに!)

 今度こそ助けてくれとばかりに、彼女は従者を見た。
 わざわざマリアンヌの後ろに回った彼を。
 そんな不自然な行動をとった彼に視線は集中し、しかし夢見るマリアンヌ嬢だけがカリンを見つめる中……それは始まった。
 中井出は姫殿下の背後で紙芝居を始めたのだ。
 地上で少女がカリンと叫ぶと、なんと空から星と雨と猫が降る悪夢の瞬間。
 星々がメテオのごとく落下し、次に雨が降り、最後に猫が降る。
 ロマンチックさの欠片もないが、星が降った時点で地上は崩壊。
 雨が降り続けることで長い年月とともに大地を癒し、その大地には空から落下して潰れた猫の死体だけが───

カリン「きしょっ───ハッ!?」
マリー「きしょ?」
カリン「あ、いえ、そのぅっ…………うぎぎぎ……!!」

 気色悪いわ!と叫ぼうとしたカリンの前で、こてりと期待の眼差しのままに首を傾げる姫殿下さん。
 ギンッと睨むカリンの視線の先には、マリアンヌの後ろで人を逆上させるダンスを踊る従者の姿が……!

カリン「《ミキミキミキミキ……!!》ごぉおおおおお……!!」
マリー「まあカリン! 顔が真っ赤よ!? どうしたというの!?」
中井出「どうしたというの!?」
カリン「おぉおおお前はぁあああっ!! ここぞとばかりに人をからかって!!」
マリー「? ジーク、あなたなにかしたの?」
中井出「マリンの詩を絵にしてみました。ほら見て、ファンシー」

 見せる中井出。「ひうっ!?」と止めに入るカリン。
 直後、「まあっ」と笑顔になるマリアンヌ。

カリン「……へ?」

 笑顔になる要素が何処にあったのかと一時停止したカリンは、マリアンヌの横からその絵をもう一度覗き見てみた。
 すると、よくあるヒトデ型の星が可愛く降る夜空に綺麗な雨が降り、流れる星に乗ってにゃーと鳴く猫の絵が……

カリン「ちょっと待てさっきの絵と全然違うだろうこれは!!」
中井出「…………?」
カリン「なに言ってんだお前って目で見るなぁああああああああっ!!!」
中井出「主……ここは宮殿ですぞ? 姫殿下に会えて嬉しいのは解りますが、
    もう少しTSUTSUSHIMIというものをですな」
カリン「どの口が慎みとかほざくか!!」
中井出「主。このジーク、常に主の成長を望んでおります。
    あなたは少々、心が幼すぎる。焦るような場面でも冷静に対処出来ぬようでは、
    いつしか盛大なる失敗をやらかしてしまうでしょう。なので成長を望むのです」
カリン「お前は人をからかって楽しんでいるようにしか見えない」
中井出「え? 楽しんでるに決まってるじゃないっすか」
カリン「姫殿下、目を閉じていてください。今から血の雨が降ります」

 笑顔のままに拳が振るわれた。


───……。


 朝食を摂り終えると、マリアンヌには作法の勉強が待っていた。
 十三の少女が学ぶには多すぎだろってくらいの作法の勉強だ。
 カリンはその間、マリアンヌに付きっ切りだ。姫殿下が望み、周囲も温かい目で見守っているのだから断れるはずもない。
 その間の中井出といえば……

中井出「でね? この時にこの調味料を入れると、ピリッとしながらもまろやかに」
料理人「おお! これは素晴らしい!」

 宮殿の料理人と、厨房で無駄に仲良くやっていた。
 マリアンヌに付きっ切りのカリンがそんなことを知るわけもなく、どこに行ったんだあいつはぁあ……! と震える心と戦っていた。
 何故震えているのかといえば……

マリー「………」
カリン「───」

 目の前に、目を閉じて軽く顎を上げている女性が居る。
 いわゆるキスしてポーズである。
 何故こんなことになったのか。
 自分はただ彼女の護衛として頑張っていただけのはずでは?
 疑問が疑問を呼ぶが、目の前の光景は変わってくれない。
 「街にいきたい」と言い出した我が儘姫さまに、危険だだの護衛をもっと増やすべきだだの言ってみた結果がこれ。どう繋がるっていうのよ、と思わずツッコミたい状況だが、言われたものは言われたのだ。
 カリン一人でなければいやだ。どうしても護衛をつけるなら、キスしてちょうだい!
 とまあ、そんな感じなのだろう。
 カリンはそれはもう真顔で、姫殿下の肩に手を添えつつ「街にいきましょう」と断言。肩に手を置かれた瞬間、“これからキスがくるのね!”と目を輝かせた姫殿下は、それはもう半眼でカリンを睨んだ。

マリー「カリン……あなた、わたしとキスをしたくないの?」

 無茶言うな!
 本音が喉から出そうになるのをなんとか堪え、ピグピグと引きつる口角をも押さえつけて、カリンは一介の騎士見習いと姫殿下の立場の違いを丁寧に唱えていった。
 だというのにマリアンヌは全てを耳に入れた上で、「そんなに嫌がるなんて、わたし傷ついたわ」などと言って涙顔になっていくではないか。
 人のファーストキスをなんだと思ってるのこの子!
 再び叫びだしたくなる衝動を抑えつつ、本気で泣きそうなカリンは周囲に助けを求めた。といっても現在は作法の教師が来るのを稽古部屋扱いの綺麗な部屋で待っている状況。助けなど誰もいない。
 カリンは目がぐるぐる回るのを感じつつ、自分でも訳の解らない言葉を並べ立てた。しかし涙目のマリアンヌはどんどんと顔を歪めてゆき───

カリン(神様……)

 カリンはほろりと一筋の涙をこぼしつつ、恋する少女の口にふわりと自分の唇を押し当てた───そんな時。

中井出「ヘーーーローーーウ!!
    料理長とおやつ作ったからそろそろ休憩にキャーーーッ!!?」
カリン「キャーーーーッ!!?」

 おやつを我が主に! と来訪した中井出が、そんな現場に出くわした。
 彼は彼でカリンが女だということを知っていたし、サンドリオンともチッスをしているところを目撃したこともあるのでもうなにがなにやら。
 ただ、慌てて離れたカリンの傍で、ポーとうっとりしているマリアンヌを見れば、それが彼女も望んだことだと解りそうなもので───

中井出「あ、ぁああああ! ごごごごめんなさいねぇいつまでも気の利かないわたしで!
    おおおお母さんすぐ出て行くから!!」

 いつかの焼き増しみたいなセリフを吐きつつ、素早くおやつをテーブルに置くとそそくさと逃げようと

カリン「うわぁあああ待てぇええっ! 行くなっ! 行かないでくれぇええっ!!」
中井出「《がしぃ!》ヴォウッ!? な、なにをする! 離せ! ええい、離さんか!」

 ……する過程、カリンに捕まった。

カリン「事情があるんだっ! 誤解だっ! 濡れ衣なんだぁああっ!!」
中井出「ん、大丈夫。お母さん解ってるから。……まさか主が両方いける口だったとは」
カリン「お前誤解してるだろ! 確実に誤解してるだろ!!
    ていうか頼む! お願いだ! ここに置いていかないでくれぇ!!」
中井出「主……キスまでしといて誤解もなにもあるまいて……」
カリン「だっ! だからそのっ!」

 そこからカリンの言い訳タイムというか、説明の時間が始まった。
 マリアンヌは夢心地で、既に声など届いておらず……その脇で結構ひどいことを言っているカリンの言葉も、耳には入っていなかった。

カリン「そういうわけで! ぼくはべつに!」
中井出「主……そこは王に報告してでもチッスはしないを選ぶべきでしょ……。
    こんな、エスターシュの目がどこでシャイニングしてるか解らん状況で、
    まさか暢気に外に出ることを選ぶとは…………主よ……」
カリン「えぅぅっ!? え!? 報告してもよかったのか!?
    だだだって、ぼくは姫殿下の……!」
中井出「従者じゃなくて、任務で就いてるんでしょうが。
    王の許可を得てこうして護衛してるんだから。
    護衛任務の最大と最低の必要条件は?」
カリン「……ご……護衛、すること?」
中井出「その通りでございます。だから」

 あなたのはただ、断る理由を並べるのを諦めてキッスしただけです。
 そう言う従者を前に、カリンは目の前が真っ暗になるのを感じた。

……。

 ぐったりと頭の上に陰を乗っけたカリンが街で目撃されたのは、それからしばらくのことだった。
 中井出は中井出でやりたいことがあるからとさっさと別行動を取り、マリアンヌに「上手くおやりなさい、ウェヒヒヒヒ」とおかしな笑みとともにサムズアップ。
 マリアンヌもそれに笑顔で返し、別行動を取った。
 ……さて。その後の中井出はといえば、

中井出「エキサイティン」

 その日の昼、自分の家で料理をしていた。
 既に忘れている者も大勢だろうが、この男、自身の家を料理屋として構えている。
 気が向いた時にしか開かないものだから、食べたいと思う人にとっては迷惑この上ない店だ。しかし味は誰もが認めるものなので、開いているのを知れば客は寄ってくる。
 味も良ければ値段も手ごろ。
 平民にこそ食べてもらいたいとし、店の前にはデカデカと“偉そうな貴族はお断り”と書いてある看板が置いてあったりする。
 そのことについて随分と貴族との悶着があったものの、彼が子爵の勲章や騎士勲章を見せると一様に黙った。偉い人であり、しかも騎士の経験もある相手とは迂闊に戦えるものか。そんな満場一致を彼は見届けた。

ナルシス「相変わらず献立表はないんだね」
中井出 「…………そんなもの、ウチにはないよ……」
バッカス「客を見て料理を作るのは変わらないんだな。ははは、まあいいさ!
     結局はどれも美味いのだからな! さあジーク! 手を見てくれ!
     酔いつぶれたお陰で体調は実に良くない!」
ナルシス「その割りによく笑っているようだがね。ボクも頼むよ。
     美しいボクがこの有様では、周りに咲く花に陰りを抱かせてしまう」
中井出 「ほいさ」

 返事をしつつ、少ないテーブルへと歩いてバッカスとナルシスの掌を見る。
 それをどう読み取ったのか、ふむりと頷いてからコップと水を創造。
 キリマンジャロの5万年前の雪解け水だ。
 氷もないのにキンと冷えた水が、これまた冷えているグラスとコプコプと注がれる。
 二人はそれをクイッと飲むと、清らかさの所為か涙を流し始めた。

バッカス「わはは、これだこれだ!
     せっかく寝不足になったのなら、これで解消しなければもったいない!」
ナルシス「この自然と流せる涙がたまらない。
     哀しくも嬉しくもないのに流せる涙の、なんと清々しい」

 詳しくはジョジョの奇妙な冒険第四部、イタリア料理を食べにいこう!をどうぞ。
 と、そんな宣伝は横に置き、早速中井出は料理を始めた。
 実に平和、実に静かな時間。
 店内に流れる音楽も落ち着くもので、空気もマナと癒しの苗のお陰で綺麗なものだ。
 最近ようやく植えた種を苗にまで育てられたので、植木鉢からぴょこんと出ている芽は彼にとっては我が子同然の可愛さを誇ってそこに存在していた。

バッカス「んんーーーーっ!! 眠気が吹き飛んだぁああっ!!」
ナルシス「いつやっても爽やかだね! だがすまないジーク、テーブルが涙びたしだ」
中井出 「いつもみたいにそこの布当てれば吸い取ってくれるから、よろしくー」
バッカス「おお、了解だ」

 バッカスが円状のテーブルの端にある小さな布巾を手に取る。
 そしてそれを自分の目から流れた涙に当てると、ソレがびょるんと布巾に吸い取られて消え失せた。そのままついでにナルシスの涙にも当てると、スイッチひとつで戻る伸ばしきったメジャーのようにじゅぽんと布巾の中に消える水分。
 どうなっているのやらと首を傾げる二人だが、それよりも漂ってきた香りに喉を鳴らした。
 その間に手が空いたのか、中井出がとことこと歩いてきて新しいグラスと食前酒を用意してくれる。

中井出 「アペリティーヴォ……食前酒デス。
     リフレカズラの樹液を蒸留して果実に漬け込んだお酒になりマス」
バッカス「おお! これだ! この酒がまた嬉しい!」
ナルシス「酔い潰れたというのにまた酒というのも、また面白いものだね」
中井出 「お酒はお酒ですガ、度数は低いしさっぱりした口あたりデス。
     どうぞ、ユックリとお飲みくだサイ」

 静かに注ぐと、ツ……とそれぞれの前に静かに差し出し、彼はまた厨房へと戻る。
 二人は互いを見てこくりと頷くと静かにそれを口に運び、傾けた。
 すると、眠気は吹き飛んでも多少の重さが残っていた頭から酔いというものが静かに取り除かれてゆく。
 しかも食前酒というだけあって、少しだるめだった腹が急に活性化。
 ぐう、と鳴ってしまう腹の虫に、二人はうぬ、ともらした。

バッカス「ううぬ、焦るな焦るな。オレはただ腹が減っているだけなんだ」
ナルシス「今日は何を出されるんだろうか。
     こうなると、病気になるのも悪くないと思えてしまうから困る」
バッカス「やめておけよ、友よ。ジークのやつは自分から病気になるやつを嫌うぞ」
ナルシス「知っているさ。けど、そうしてでも食べたくなるものだってあるだろう」

 そら、と指差すと、知らず垂れている涎にハッとするバッカス。
 大雑把な性格とはいえ貴族だ、すぐにハンカチを取り出すと口元を拭く。腕で拭うなんてことはしなかった。

ナルシス「ああ、それにしてもいい香りだ。来るたびに香りが違うのは実にいい」
バッカス「この音楽もたまらないな。
     楽団が居るわけでもないのにこの広がりのある音楽。
     これを耳に落ち着いて食べるサラダがたまらないんだ」
ナルシス「ボクはスープだね。ジーク特製の香草スープ。
     あれを口に運びんで、香りを鼻腔に通しながらゆっくりと飲み込むんだ。
     食道を通る清らかさに、
     体の中のボクという香りが音楽に溶け出すようにゼロになる瞬間。
     あれがたまらない。恋していると言ってもいい」

 二人は互いに自分の至高を口にしながら料理を待つ。
 やがて調理音が聞こえなくなると二人の目がテコーンと輝き、今準備出来る全てのものを装着、姿勢を正して料理を待った。
 べつにこの店、マナーにうるさいなどということはなく、むしろ楽しんでくれればそれでいいという店。実に彼らしいものだが、一度だけそんな店だからと別の客にちょっかいだして馬鹿笑いした馬鹿貴族が居た。
 ……その日、彼は地獄という名のフルコースを味わうこととなり、地獄の九所封じを受けて一週間行動不能になったという。それから、この店で他者に迷惑をかけるほどに騒ぐ馬鹿者は居なくなった。

中井出 「お待たせシマシタ。まずはアンティパスト……前菜からデス」
バッカス「待っていたぞ友よ!」
ナルシス「さ、さあ! 今回はなんだい!?」

 ソッと差し出された皿にはチーズとハムと野菜などが並べられ、その上になんらかのソースが網目状にかけられていた。
 二人の前にコト……と静かに置かれたソレに、二人はナイフとフォークを構える。

中井出「ホルスタウロスのミルクチーズと公身鳥(こうしんちょう)の鱗ハムのサラダデス。
    ホルスタウロスは気性が荒く、
    しかし荒ければ荒いほど美味いミルクが取れル猛牛で、
    それから採れたミルクで作ったチーズデス。
    公身鳥は体全体がハムのような鱗で覆われた甲殻鳥でアリ、
    それから採れる硬くない部分を香草で燻ったものデス。
    これに特製のソースをかけることで、完成とシマス。
    サラダにはベジタブルスカイを想像して創造した野菜群を用意シマシタ。
    さあ……料理を続けマショウ」

 ニコリと笑い、彼は二人に食事を奨めて厨房へと戻ってゆく。
 残された二人はもう我慢ならぬと怒り出す貴族連中のように、もはや誰にも止められぬ勢いで料理に手をつける。
 まずチーズを食べる。濃厚な味と弾力。だというのに唾液と混ざると軽く溶けるように口内に広がり、しつこくないとくる味わい。
 次にハム。
 このハムも弾力の割りに唇を閉じるとさっと溶け、舌の上に力強い味を残してくれる。
 そしてソースとサラダ。
 これがまた憎い演出をしてくれる。
 溶けてしまう二つの食べ物に対し、サラダはその存在感を主張するように歯応えを十分に感じさせてくれる。
 だがここの前菜で一番目を引くものは、それらを纏めて食べた瞬間にある。
 二人はやはり見つめ合うと、いざ、と頷きあってフォークで刺すことで纏めたそれらを……一気に口へ。
 途端、

二人 『ゥンまァ〜〜〜イィ!!!』

 たまらず叫んでいた。
 そうなるともう止まらない。
 少しでも味わえるようにとナイフとフォークを巧みに使い、各種を何個にも分けると、小さくなったそれらを一纏めずつ口にしてゆく。
 意地汚いと言ってはいけない。美味いのがいけないのだ。

バッカス「うぬ! この量では食前酒による腹の活性を抑え切れん!
     なにかもっと───!」
中井出 「モメントォー……お待ちクダサイ。胃袋が活性化するのは今がピークなダケ。
     スグに落ち着きマス。それよりも……さあ、料理を続けまショウ」
ナルシス「いつも憎い場面で出てくるね。次はなんだい?」
中井出 「プリモ・ピアット……
     主菜はパスターフィッシュのロリコニア風スパゲティーデス」
ナルシス「ロリコニア?」
中井出 「ワタシの知るロリ道化師ホギーが適当に作ったら美味かったというモノデス。
     適当に作ったのに美味しかったという味の開拓をご堪能クダサイ」
バッカス「なるほど。では早速いただこう!」
ナルシス「話よりも食い気だね、きみは」

 言いながらもナルシスの目もスパゲティーに釘付けだ。
 二人は早速フォークを手に、パスタとの格闘を始める。

中井出 「パスターフィッシュとはヒトデの仲間で、珍しくも温水地帯に生息する生物。
     温水といっても高温なので、手を突っ込めば火傷は確実。
     そんな生物がある一定の期間のみ、パスタのようなヒゲを大量に生やしマス。
     それを切り取ったものがこのパスタとなるのデス」
バッカス「味に目覚めたァアーーーッ!!」
ナルシス「な、なんだねこれは! 手が! 口が止まらない!
     音を立てて食べるのは作法がなっていないと解っているのに!
     パスタ! 食べずにはいられないッ!
     手が、口がもっともっとと叫んでいるッ!!」

 ガツガツムシャムシャと食べる二人を笑顔で見守る彼は、そこでペコリと一礼すると厨房に戻る。
 客席から喜びの悲鳴が聞こえる中で次の料理を作り……次々と二人を喜ばせ続けた。

……。

 夕刻にもなるとさすがに駄弁っているわけにもいかず、二人は重い腰を持ち上げることにする。出来ることならこの空気に包まれたまま、健康体のままに寝泊りしたところだが、そういうわけにもいかない。

ナルシス「随分と長居してしまったね。そろそろ帰るよ」
中井出 「お? そか? もっとゆっくりしてけばいいのに」
バッカス「客以外の対応だと口調が戻るのは条件反射みたいなものなのか?」
中井出 「まあそんなところ。トラサルディーマジックとでも思ってくれ」
ナルシス「よく解らないが、美味しいは正しいだとボクは思っているよ」
中井出 「喜んでもらえるならそれが一番ですとも」

 他の客も帰り、あとは店じまいをするだけ。
 特に問題もなく今日という日が終わる……のだが、ただ問題が一つだけ。
 ……自分の分の材料を残しておくのを忘れた。
 まるでやらないキッチンのやらない夫のようだと彼は頭を痛めていた。
 だが大丈夫。量は少ないがとっておきの料理が作れる材料が───

サンドリオン「すまない、まだ開いているか」
三馬鹿   『あ』

 ───残りそうになかった。
 よろしい地獄へ落ちろ。
 入ってくるなりそう言われ、サンドリオンは訳も解らず困惑していた。


───……。


 そんな調子の日々が四日続いた。
 彼の主であるカリンを城まで送るのはいつものこと……なのだが、今日はマリアンヌの様子がおかしかった。
 ソッとカリンに訊いてみれば、なんでも自分の立場を弁えながらも我が儘を言っていたことに気づいたんだと。カリンに熱を上げているのは現実逃避にも似たものらしい。
 いつか大きくなれば、父であるフィリップが“彼がきみの王子様だよ”と他国の王子を婿に呼び寄せることなど想像がついていると。我が儘放題だなどと周りは言うが、こんなの全然自由じゃないと言われたと、カリンは語った。

中井出「ナルホロ。やっぱ子供は見ているもんだね。知らないのは大人ばかりか」

 今日も彼は店を開いていた。
 主は現在、四日前にマリアンヌに注文してもらった服を取りに行くとかで、街の仕立て屋へ向かっているとか。
 昼には食べに行くから、なにかご馳走してくれと頼まれているので、こうして待っている……のだが。なにやら急に外がやかましくなった。
 現在は衛士隊の何人かが集っているこの店で、ハテと首を傾げる彼は……

衛士隊員「お、おい大変だ!
     向こうの通りでカリンとユニコーン隊のやつらが騒動を起こしている!」
バッカス「なにっ!?」
ナルシス「なんだって!?」

 突然入ってきた衛士隊員の言葉に、思考回路にポムと火が灯るのを感じたのでした。

中井出 「どういうことかね! あの主が騒動!? 以前の主なら解るけど、
     今の主はそうそう揉め事を起こすようなお子にアラズヨ!?」
衛士隊員「そんなこと知るもんか! 実際に騒いでいる今が現実だろう!」
中井出 「グ、グムーーーッ!!」

 まったくもってその通りだ。
 ならば事情をとバッカスとナルシスに続いて店を出て、残された衛士隊員はサンドリオンを呼びに走っていった。

……。

 十人ほどの隊員が通りを抜けた広場に辿り着くと、そこではカリンが二十人ほどのユニコーン隊を相手取り、暴れまわっていた。
 既に三人ほどのユニコーン隊の隊士が倒れ、呻いている。
 そんな騒動の中にあって、市民たちはやっちまえやっちまえと囃し立て、いい暇潰しを見るかのように余計に騒ぐ。
 カリンはといえば……なにやら珍妙な服装で、まるで幼児が着る着ぐるみパジャマのようなものに身を纏い、だっていうのに華麗に杖を捌いては隊士を次々と薙ぎ倒している。

バッカス「なんだ! あの人数でカリン一人に勝てんのか、ユニコーン隊というのは!」

 その姿に気をよくしたバッカスが大声で笑う。
 もちろん反応したユニコーン隊隊士たちがバッカスを睨み、こちらへ来るわけだが……

中井出 「こ、これバッカス!
     今揉め事を起こすのはまずいとサンドリオンが言っておったでしょうに!」
バッカス「構うものか! 一人を二十で襲う卑劣漢どもに、
     衛士隊の鉄槌を食らわせてくれる! カリンに加勢するぞ!」
ナルシス「言われるまでもないさ!」

 言うや否や突撃を開始する衛士隊。
 二十対十という明らかに不利だと解る体勢の中でも、しかしまったく怯むこともせずに衛士隊は突っ込んだ。
 元々のユニコーン隊への鬱憤はもちろん、腐っていた衛士隊によい刺激を持ってきてくれたカリンに加勢するという名目も手伝って、衛士隊はそれはもう元気に突っ込んだ。
 倍の相手にも善戦してみせ、負けるどころかカリンとバッカスとナルシスの活躍で、次々と隊士を転がしてゆく。
 こうなったら自分も突っ込もうと構えた中井出だが、ようやく駆けつけたサンドリオンの姿を見ると「あっちゃあ……」と頭を掻くだけに終わった。
 その頃には争い事は済んでいたようで、ユニコーン隊が負傷した仲間を担いですごすごと去ってゆく姿があるだけ。しかしサンドリオンは頭痛を耐えるようにして「なんの騒ぎだこれは!」と叫ぶ。

中井出   「サンドリオン……ツッコみたいのは解るけど、もう終わったんだ。
       争いは……終わってしまったのだよ……」
サンドリオン「いや、そういう意味ではなくてだな……!
       お前が居ながらどうして争いごとなんて起きてるんだよ!」
中井出   「いや、それが俺にも解らんのだ。
       昼に寄るから〜ってんで、店で主を待ってたらこの騒ぎ。
       駆けつけてみたら主がユニコーン隊と争ってて、
       バッカスもナルシスもウゴバシャドアシャアって水を得たナマズのように
       ユニコーン隊へと突っ込んでいきまして」

 始まってしまったらどんな言い訳を並べようともコトはコト。
 サンドリオンもそれは解っていたのか、キッとカリンを睨んだ。
 ざまぁみろとばかりに衛士隊は沸いているし、二十人相手に立ち回っていたカリンはたいしたヤツだなどと持て囃されているが、サンドリオンの目はそうじゃない。
 つかつかとカリンに歩み寄って、その感情のままに「バカ野郎っ!」と叫んでいた。

カリン   「えっ……」
サンドリオン「あれほど手を出すなと言っておいただろうが!!
       相手がどんなことをして、何を言ってこようと!
       今のユニコーン隊を相手にすること自体が相手の思うつぼなんだ!」
カリン   「う……だ、だからどうしたっていうんだ!
       ユニコーン隊なんて見かけだけさ! 正面からだって勝てる!
       現に十人って数で二十人を退けられたんだ!
       思うつぼがどうしたっていうんだ!
       また蹴散らしてやればいいじゃないか!」

 衛士隊は倍の数を退けたという言葉に得意になり、そうだそうだと口々。
 しかしサンドリオンの表情は怒りに歪んだままであり、カリンは軽く怯む。
 な、なによぅ、勝ったんだから褒めてくれたっていいじゃない……。
 彼女の心はそう言っていたが、彼の心内はそれどころじゃない。

カリン「先にやつらがこの服を侮辱したんだ。
    この服は姫殿下がぼくのために仕立ててくれたものなんだぞ。
    お前はっ、それを黙っていろというのか!?
    護衛対象を侮辱されてなんともない顔をしていろと!?
    じゃあ訊くけどな、サンドリオン!
    姫殿下の居ない場所では悪口を言われてもへらへらやり過ごすやつが、
    姫殿下の前では激しく怒ったりして、
    それは王族に仕える者として正しいのか!? 貴族として正しいのか!」

 睨んでくるサンドリオンに向かい、カリンは自分の中の疑問をぶつける。
 サンドリオンに言ったところでなんの意味もないことではあるが、言わずにはいられない。こんなものは理不尽だと。

サンドリオン「どちらにせよお前が挑発に乗って先に杖を抜いた。そうだな?」
カリン   「っ……」

 ぎしりと歯を食い縛る音がした。
 カリンだ。
 質問には答えないくせに、自分の言葉には頷かせようとする。
 その反応に苛立ちが走り、それが誤魔化しのように聞こえたカリンは、つい感情のままに苛立ちをぶつけるように言葉を発した。

カリン「いつも……いつもいつもいつもいつもそうやってやり過ごして……!
    人が欲しがってる答えはくれないくせに、自分ばかり答えをねだって!
    ぼくはお前のそういうところが大嫌いだ! 何様のつもりだ!
    お、お前に、お前なんかにこの事件が解決できるもんかっ!
    臆病者で、卑怯者のお前なんかに!」

 その直後、パァーーーン! と乾いた音が響いた。
 サンドリオンがカリンの頬を叩いた音だった。

サンドリオン「解決を急ぎたいならどうして挑発に乗った!!
       服をけなされて怒ったとして、それを姫殿下が望んだのか!?
       勘違いするなこのばかっ! お前は姫殿下の護衛に当たっていただけで、
       服の護衛でも名誉の護衛でもなんでもない!」
カリン   「あ……う……」
サンドリオン「相手の反応を待つどころか、
       これじゃあ自らが餌に成り果てたようなものじゃないか!
       これで相手の出方を見たとして、
       正式な処罰から下されるものをどうやって取り押さえろっていうんだ!」
バッカス  「おいサンドリオン! そのくらいにしておけ!
       こいつ、たった一人でユニコーン隊を相手取ったんだぞ!
       こいつが居なけりゃオレたちは負けていたんだ!」
サンドリオン「こんなことで勝ち負けを決めてどうする!
       ……〜〜〜……はぁ……! ……現状での勝ちっていうのは、
       エスターシュをなんとか出来て初めて言えることだろう。
       こんな揉め事を起こして、どんな罠にハメられるか解ったもんじゃない」

 言われて、バッカスはぐむ、と息を飲んだ。
 そうなのだ。
 どれだけ因縁をかけられても、抜いた刃物はこちらが先。
 刃物を抜かれれば刃物を構えるのは当然のことだし、正当防衛ということになる。
 それを相手にやってしまったのなら、衛士隊への処罰は免れない。

ナルシス「確かに、カリンは感情的になっていたかもしれないね。
     しかし、今感情的になっているのはきみだけに見えるのだがね」

 く、とサンドリオンが拳を握り締める。
 そうこうしている内にカリンはぽろぽろと涙をこぼし、何も言わずに走り去ってしまう。

サンドリオン「あ、こら! 何処へ行くんだ!」
中井出   「まあまあ。今きみが追っても喧嘩にしかならんよ。
       それよりヴィヴィアンに報告が必要でしょ。行っといで。
       主は……まあ、出来る限りコトの重大さを教えて、
       首吊り寸前まで追い詰めておくから」
サンドリオン「さすがにそれはやりすぎだ!」
中井出   「OK、怒る相手の心配が出来るくらいの余裕は持っておきなさい。
       噴気は損気だよ? いろいろあって焦るのは解るけどね」
サンドリオン「………」

 ね? と肩を叩かれると、サンドリオンは自分を振り返ってから頭を乱暴に掻いた。
 それから、すまないと中井出に言おうとして───目の前に既に彼が居ないことに呆れた。

サンドリオン「どういう速さをしてるんだ、あいつ」
ナルシス  「さあね。まあ、きみの言いたいことは解るつもりさ。
       確かに今、ことを荒立てるのは危険だったね。
       どのみち、なるようにしかならないがね」
サンドリオン「………」

 なるようにしかならない。まったくだ。
 そう呟いて、サンドリオンは衛士隊を連れてヴィヴィアンの屋敷へと向かった。


───……。


 さて。一方で、逃げ出したカリンは足をスパーンと払われ、折り畳まれ、正座をさせられていた。もちろん相手は中井出なわけで。

中井出「逃げてどうなるわけでもございませんよ?」
カリン「だって、あいつたたいた。たたいた……わたしがんばったのに。
    ひめさまのめいよ、まもったのに」

 叩かれた頬を押さえながら、えぐえぐと泣く騎士見習いの図。
 暮らしているのがサンドリオンの家なので、あいつに叩かれてあいつの家に行くのは嫌だという理由が彼女をこの場へ向かわせた。
 言わずもがな、中井出の家である。
 澄んだ空気と穏やかなBGMの中、店の中心で正座をする少女KARINは、それはもう少女然とした様相でえぐえぐと泣いていた。貴族らしさなどそこにはなく、彼からしてみればアンリエッタの指令でうっふんヴァーで働いていた際に、“もうやだ、おうちかえる”と言っていたルイズのようなものだった。
 思わず頭を撫でそうになった彼は悪くない。

中井出「まあ、ともかくメシでも食って落ち着きなさい。
    今回のはさすがにどっちが悪いかで言えばどちらも悪い」
カリン「なんで!? あいつら姫様の仕立てた服をばかにしたのよ!?」
中井出「だったらこれは姫殿下が仕立ててくれたもので、
    あなたたちはそれをバカにした、ってことを王様にでも報告すりゃよかったの。
    そしたらユニコーン隊の評判はまたガタ落ち。衛士隊万歳」
カリン「うあうっ!? そ、そんな裏技が!?」
中井出「大体、サンドリオンには揉め事を起こすなよって言われてたんでしょ?」

 中井出はサンドリオンの物言いを思い出しつつ言ってみた。
 すると押し黙るカリン。ビンゴらしい。

中井出「ともかくね、主。きみは相当な覚悟をしておいたほうがいいやもしれん」
カリン「か、覚悟?」
中井出「そ。最悪、とんでもない時期にやらかしてくれたってことで、
    除隊を命じられるやもしれん」

 さあ、とカリンの顔が蒼白になった。
 サンドリオンに叩かれた時でもここまでではなかったってくらいに。
 相当なダメージを負ったのか、両手がわたわたと宙を彷徨い、しかし正座のままで混乱する騎士見習いの図。

カリン「…………姫殿下の名誉を守ることは、そんなにいけないことだったのか?」

 しかし観念したように俯くと、小さくそう漏らした。
 どうなるか解らないことをくよくよ悩んでも仕方ない。報告があるまで待つしかないのだと開き直ったともいえる。
 そんな彼女に、中井出はウムム〜〜〜ッと肉チックに唸ると自分の意見を並べる。

中井出「僕にとっちゃあ名誉とかはどうでもいいかなぁ。
    言っちゃなんだけどさ、主。
    きみ、もし侮辱されたのが姫殿下じゃなくてさ。
    どうでもいいようなヤツの話なら……杖、抜いた?」

 中井出の質問に「抜くもんか」と即答。
 当の中井出もそりゃそうだよねと笑って答える。

中井出「つまりさ、きみは名誉を守ろうだなんて考えてなかったんだ。
    俺はそういう時……まあ俺の主観になるわけだけど、そういう時はさ。
    名誉とかじゃなくて“気に入った相手が馬鹿にされたから”怒るよ。
    いちいち名誉だとか目に見えないもののために怒ってたら疲れるし、
    俺がその相手の名誉を吐き違えてたらただの馬鹿でしょ?」
カリン「……じゃあ、わたしも?」
中井出「それでいいんだと思うよ?
    難しく考えないでさ、マリアンヌを馬鹿にされたから怒った、でいいじゃん。
    名誉を守ろうと〜なんて言ってたらきみ、
    そりゃあ言い逃れる道を並べてるようにしか聞こえない。
    なにかあっても“姫殿下のためだったんだから”って言葉で逃げてるだけ」
カリン「……それは、なんか悔しい。わたしはちゃんと姫殿下を思って行動した。
    背伸びして精一杯子供を演じているような人だ。
    そんな人が仕立ててくれた服を、最初こそわたしはおかしな服だって思ったわ。
    でも、胸を張って着ればいいって思えたのは、
    あの人の思いが大事だって思えたからよ。
    それを笑われて杖を抜くことは、名誉を守ることじゃないの?」

 真っ直ぐな質問に対し、中井出は容赦なく否だと首を振った。
 なんで! と怒鳴るカリンだったが、とりあえず立ってテーブルに座ってと言われると、素直にそれに従う。
 そんな彼女の前に料理の皿を置く中井出は、否定したわりに嬉しそうだった。

中井出「ほんとにそう思ってたなら、
    サンドリオンとの言い合いでわざわざ事件のことを持ち出さなかったよ。
    きみはね、主。その時は確かにそう思って杖を抜いたのだとしても、
    サンドリオンを前にしていい格好をしようと言い逃れを選んだ。
    理由を並べて逃げ道を探した。それは名誉じゃなくて侮辱だ」
カリン「───」

 引っかかることがあったのか、カリンの喉がひくりと引きつる。
 嗚咽が漏れそうになって、それを抑えてから息を吐く。
 嗚咽を抑えても涙は出てきて、どうしてか哀しくなってぽろぽろと涙がこぼれた。

中井出「貴族って難しいね。格好なんてつけなければいいのに、
    格好つけるから全部が全部ダメな方向に向かう。
    怒られるかもって思ったら、名誉がどうのを盾に逃げ出すことばっかり考える」

 人間ってのは偉くなると、誰でもそんなもんだろうね。
 そう苦笑すると、一度大きくぱんと手を叩いてにっこりと笑った。
 もちろん、仮面付きだからなんとなくでしかその笑みは届かないのだが。

中井出「ともかく、今はのんびり処罰を待ちなさい。
    除隊だったら手柄を立ててまた戻れば良し。
    謹慎処分なら、謹慎されながらも出来ることを探す。
    どちらにせよ、僕ァきみが騎士になるまでは付き合うアマスから」
カリン「……ごめん」
中井出「ホ? なにを謝るかね」
カリン「……こんな、前途のない問題ばっかり起こすわたしに仕えさせて」
中井出「………」

 今度こそ迷いはなく、彼はカリンの頭をくしゃりと撫でた。
 驚いて振り払うカリンだが、すぐにまたポムポムと撫でられたのち……わははははと笑われた。

カリン「なっ、ななっ? え? なっ? ななななにがおかしい!」

 心底楽しそうに笑う従者を前に、彼女はただただ混乱した。
 彼にしてみれば人を気遣ってくれる態度が嬉しかっただけで、あのしかめっつらばかりしてた主がなぁ! とばかりに笑っただけ。少しばかりの成長が嬉しくて、なんというか心行くまで撫でたいと思った。もはや近所の気のいいおっさん状態だ。

中井出「まあさ、ほら。言った通り、除隊されてもエスターシュは追えるんだから。
    それで尻尾掴んで王様に報告すりゃあ、入隊くらい楽なもんさ」
カリン「……簡単に言ってくれるな」
中井出「なに言ってんのさ、姫殿下に就く必要がなくなっただけ、
    エスターシュを追えるってもんだろ。
    むしろ尻尾を掴む条件でいえば、以前よりやさしくなるくらいさ」
カリン「素直に喜べない。くそ、食べてやる。食べて、この怒りも消化してやるんだ。
    なによあのわからずやっ! 頑張ったのに! わたし、頑張ったのに!」

 やがてガツムシャと食べ始めるカリンさん。
 もはや自分が女言葉であることも忘れ、勢いのままに。
 しかしその美味しさにパアアと顔を輝かせると、勢いを増して食べ始めた。
 コースとしてではなく、多く盛られた料理をぺろりとたいらげ、気分のいいままに食後のデザートに手を伸ばし……

カリン「ンブゥウウッフェ!!?《ゴプシャア!!》」

 ……デザートであるシャルベットの前に撃沈した。





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