51/騎士への道。その第二歩

 後日、ジークフリード亭。
 再び貴族衣装に身を包み、シャランシャラァ〜ンと扉を開けて帰宅を果たした彼は、どんよりとした空気に「アレ?」と首を傾げた。馬鹿な……空ければフローラルな森林の中の日向なる香り漂う我がヒロミティック空間が、何故にこんなどんよりとした空気に?
 とことこと奥に行ってみれば、どうやら客人が居る模様。しかも部屋の中に。

中井出「主の……ではないね。数は三人。主合わせて四人か」

 ということは、バッカスナルシスサンドリオンかな? と気配探知。……なるほど、間違い無くあの三人だ。
 もしやいろいろと話し合いに来たのかもしれないと、コチャリと部屋の扉をあけて中へと入った。すると───

カリン「わーい、いけー、騎士カリンー、悪をやっつけろー」

 …………焦点が合っていない、あははうふふと笑いながら床に悪戯書きをする主の姿を発見した。
 その周りには床にどっかと座り込んで頭を抱える三人組。

中井出 「あの……何事?」
ナルシス「うん? ああ、帰ったのか。すまないね、勝手に上がっているよ」
中井出 「や、それはいいけどさ。僕が出かけてるうちになにかあったの?」
バッカス「いや……なんというかな。オレが来た時はまだ多少は普通だったんだぞ?
     ナルシスが来たときもだ。少しカタカタと震えていて言動もおかしかったが」
ナルシス「それは普通とは言わないんじゃないかね……」
中井出 「まあ、それはそれとして。つーことは?」

 ちらりとサンドリオンを見る。と、やっぱり頭を抱えてトホーと溜め息を吐いていた。

ナルシス「サンドリオンが直々に陛下に言われたことを説明したらしい。
     ちょくちょくと陛下と話し合いの場を設けているらしいのだがね。
     その度にそれとなくカリンのことを言ってはみているんだが、毎度だめ。
     今回はとうとう“もうそやつの話はするな、覆らん”とまで言われたそうだ。
     ついでに姫殿下までもがここに来て、
     姫殿下のために杖を抜いたことを姫殿下自身が陛下に言ったらしいんだがね」
中井出 「あ〜……キングの意思は変わらなかったと」
ナルシス「それを最後の望みにしていたのだろうね。
     ダメだったと姫殿下の口から聞いたらこいつ、この調子で」

 楽しげなお子のようにきゃははははと英雄カリンを描き続けるカリンさん。
 笑っているのだが焦点は合ってないし、目尻には涙が。

中井出「主〜? 主、主〜?」
カリン「いけー、風まほうだー! ぎゅいーん! どかーん!」
中井出「………」
カリン「わー、すごいぞカリーン! また難事件を解決だー!」
中井出「ふぅん! 甘いぞ遊戯! その程度で解決とは片腹痛い!
    悪を滅ぼさんとする正義よ! この大魔王が相手をしよう!」
カリン「あく…………あく? 悪……悪!! 正義の前に立ちはだかる悪め!
    この英雄カリンがあいてだー!」
中井出「デュエルディスクセット! 先手は貴様に譲ってやろう遊戯!」
カリン「ウィンドォオーーーーーーッ!!!」
中井出「《ドフォォゥシャゴバシャアア!!》ギャアーーーーーッ!!!」

 そして大魔王は風魔法“ウィンド”で、デュエルディスクとともに吹き飛んだ。
 ドグオシャアと割と広い部屋を転がり滑り、壁に頭をぶつけてグビグビと痙攣。
 三人がおい大丈夫かと声をかけるが、彼はカタカタと震えながら顔を持ち上げ───

中井出「グフッ……見事だ英雄カリンよ……!
    貴様の力、この眼でしかと見届けたぞ……!」
カリン「せーぎはかつのだー!」
中井出「フッ……だがこの俺は四天王の中でも最弱。
    俺を倒した程度で大魔王四天王を全て倒した気で居るのは愚考ぞ」
カリン「なん……だと……!? 大魔王四天王……!? …………王がかぶってる!?」
中井出「おいおいなに言ってんだこのタコは……。
    四天王ってのは四人の天上を極める王が勤めることで成り立つものぞ?
    力、技、速、魔、それぞれを極めし者それぞれを天と唱え、
    集めた四人を四天王。それぞれを属性ごとに地、水、火、風で喩えてもいい。
    なので大魔王四天王と言う言葉が間違いなどということはないのだ。OK?」
カリン「あ、あ……ああ……?」
中井出「うむ! 納得したところで続きだ! デュエルスタンバイ!
    俺のターン! 俺はこのターンでアックスレイダーを守備表示!」
カリン「ウィンド」
中井出「《ドフォォオッシャドカァアン!!》ギャアーーーーッ!!!」

 そして彼は再び吹き飛んだ。
 拍子に場のモンスターであるアックスレイダーが撃破されたが、べつにどうでもいい。

中井出「アアーーーッ!! アックスレイダーーーーッ!!」

 どうでもいい。

中井出「な、なにをするだァーーーッ!! まだターン終了言ってないのに!
    まだ魔法カードセットする予定だったのに!」

 ……どうでもいい。

ナルシス「ま、まあまあ、よく解らないが話を進めようじゃないか。
     カリン、もう正気には戻ったね?」
カリン 「正気? なんのことだ?」
バッカス「……こいつ、忘れてやがる」

 溜め息ひとつ、彼ら四人はとりあえず店の方に出ることにした。
 中井出がお茶でも飲みながらと提案したからだった。

……。

 果たして、出されたのは本当にお茶だった。
 緑茶。ジャパニーズグリーンティー。グリーン・ディーだとスタンドになる。

中井出「《スズ……》で? 今日はまたどうしてここに集まったんだい?
    や、主が心配だったーってのは解るけど」

 ちらりと横を見ると、店の隅でジャガー目潰し(体育座り)をして頭からキノコを生やすほどにジメっとしているカリン。
 彼女が辿り着いた今を事細かに説明してやったら、あの状態になった。
 必死にのの字を床に書くのだが、塵ひとつ無い部屋でそれをやっても書いた気にはなれなかった。

バッカス「うむ。ここはひとつ励ましてやろうと思ってな。
     オレとナルシスでこうして来たんだが……サンドリオンが居たのには驚いた」
中井出 「あれ? 一緒に来たわけじゃ……ってさっき話の中でそれっぽく言ってたか」

 緑茶と一緒に出された団子を一口、サンドリオンは「ほう!」と目を輝かせた。
 ……ああ、サンドリオンの雰囲気、どっかで感じたことあるなーと思った。こいつ晦に似てるんだ。中井出はそう思い、自分の分の団子も彼にあげた。もう目を輝かせてお茶と団子を味わう姿は、本当に晦悠介のようだった。

バッカス「ところで友よ。ジークフリードよ。きみは何処へ行っていたんだ?
     オレが入ってきた時のカリンの様子、
     孤独で寂しいって顔に貼り付けたような感じだったぞ。
     一緒に居てやらないと可哀相じゃないか」
中井出 「その主の名誉挽回の機会を探りにね。
     ちょいとエスターシュの屋敷に忍び込んできた」
バッカス「なに!」
ナルシス「それは本当か!」

 それぞれが驚く。
 しかし中井出は声が大きいとばかりに、しーっと口に指を当てる。
 そして横をついついと指差してみせると……二人の視線が向いた先では、驚きのあまりに団子を喉に詰まらせてもがくサンドリオンの姿が。

バッカス「…………時々オレは、こいつも別に死んでいいんじゃないかと思う時がある」
ナルシス「その回数はボクがきみにそう思う回数に負けているとは思うがね」
中井出 「仲間の前でしか見せない無様ってやつでしょ。気ぃ許されてる証拠じゃん」
バッカス「なるほど! それは嬉しいな!」
ナルシス「そういう考え方もあるか。なるほどなるほど」

 三馬鹿はうむうむと頷きながら、やがて動きが鈍くなっていくサンドリオンを見送った。

……。

 で、まあ。

中井出 「じゃ、サンドリオンも気絶したことだし少し話を纏めようか」
バッカス「こいつめ、大胆な行動になるとすぐに止めに入るからな。たまにはいいさ」
ナルシス「そのことでカリンが後悔したばかりじゃないか。それでもやるのか?」
中井出 「まあ、主の名誉のため〜と言えば格好いいがね、そんなつもりはない。
     これは俺が道化道を極めるために、通らなくてはいけない道ぞ。
     なのでまずはまたエスターシュの屋敷に潜り込まなきゃいかんのだが」

 サンドリオンがぐったりと気絶する中、三人はカリンを囲んで話し合っていた。
 逃げようにも逃げられない状況に諦めたカリンも、黙って話を聞いている。
 カリンを囲んで、というのは言葉通りだ。
 三人が手を繋いで輪を作り、そこにカリンを閉じ込めて話し合っている。
 バッカスとナルシスにしてみれば男を三人で囲っている状況だが、中井出とカリンから見れば女を三人で囲む男の図である。常識的にはとても危険な状況だ。

ナルシス「それで、また潜り込むとして、どうして一度戻ってきたんだ?
     べつにきみが行動する分には、きみだけの方が安全な気がするんだが」
中井出 「や、主も連れていかないと手柄になんないかなーって。
     だから主連れてエスターシュのところに潜り込もうかと」
バッカス「こいつをか! うぬ、なかなか物凄いことを考えるな。
     だが確かに衛士隊から除隊された分、
     衛士隊に居る時よりは行動に自由が利くな!」

 バッカスはガハハと笑うが、ナルシスは少し微妙な顔で会話を分析。
 その上でちらりとカリンを見てから口を出した。

ナルシス「ちょっと待ってくれ。それはそれでいいかもしれないが、
     代わりに責任を負ってくれる後ろ盾がないことも意味するぞ。
     これでもしエスターシュにでも侵入がバレでもしたら牢獄行き。
     下手をすれば処刑なんてことにも成り得るんじゃないか?」
中井出 「本望さ!(俺が)」
カリン 「ちょっと待て! それって死ぬのはぼくだけってことじゃないか!」
中井出 「本望さ!(俺が)」
カリン 「言いなおすなぁあああああっ!!!」

 烈風吹き荒れ従者が切り刻まれる情景。この情景、あくまで“人の心を動かす光景”という意味であり、断じて微笑ましくはない。
 ギャアアアムと叫ぶ彼はともかく、バッカスとナルシスはカリンのことを心配した。中井出のことはそれほどもでない。そこには、しぶとさを知っているが故に奇妙な信頼があった。

中井出「まあ大丈夫さ。処刑ってことになったら俺が連れ去りましょう」
カリン「お前が言うと失敗すること前提に聞こえて怖いんだ!」
中井出「必ず失敗してみせる!《どーーーん!》」
カリン「もっと不安になること言うなよぅ!」
中井出「どうしろというのかね!!」

 当然なことだが、カリンの頭の中は不安でいっぱいなのだ。
 そもそも無茶を言ってマイヤールを出てきた。
 流れ流れていつの間にか騎士見習いになっていたし、姫殿下にも気に入られて嬉しいことばかりだったのに。たったひとつを誤ってしまっただけでこの状況。
 除隊にされて希望も失い、夢である騎士はどんどんと遠ざかってゆくばかり。
 同居人には頬を引っ叩かれるし、不安なのに従者は勝手にどっか行っちゃうし、なんとか強がってみてもからかってばっかりだし誰もやさしくしてくれないし。
 いっそ床に“心が折れそうだ……”とでも書けば、少しは紛れるんだろうか。
 そんなことをぶちぶちと誰にも聞こえない声量で呟き、口を波線にして涙を浮かべた半眼で従者を睨んだ。

バッカス「よぅし解った! なにをすべきかが見えたぞオレは!」
中井出 「おおマジか!? どうするんだね! さあ説明してくれたまえ山岡くん!」
バッカス「ヤマオカなんてものは知らないが、ようは元気づけてやればいいのさ!
     さっきの話になるんだが、オレとナルシスでカリンの様子に呆れたのさ。
     せっかく姫殿下が来たっていうのにこいつ、喜びもしないしそっけない!
     男たるもの、美少女にはやさしくあるべきだろう! 美少女にはな!」
ナルシス「そのことを問うてみたらカリン、そっぽを向いて顔を赤くするばかりなんだ。
     そこで思ったんだよ。こいつは、女を知らないんじゃないか、ってね」
中井出 「………」
カリン 「………」

 女を……知らない?
 いや……このお子、女なんですけど。
 ツッコミたいところ満載だが、ちらりと見た主が“言うな! 言うなーーーっ!”とぶんぶんと首を横に振っている。
 あまりに振りすぎた所為で少しくらくらとしているくらいだ。

中井出 「エ、エート。知らなかったら、どぎゃんすっとね?」
バッカス「当然、“男”になってもらうのさ! 拗ねるこいつはまるで子供だ!
     子供とは話ができん! 子供とはな!」
ナルシス「そういうことだ。チクトンネ街に行こうじゃないか。
     そこでカリンに女を知って、男になってもらうのさ」
カリン 「? チクトンネ街に行くと、女を知ることが出来るのか?
     よく解らないが……そうか、男らしくなれるってことなのか」
バッカス「その通りさ! きみは除隊扱いだが、衛士隊にはなくてはならない戦力だ!
     いつか何か手柄を立てて入隊許可が下りるまでは、
     今はいろいろと勉強してみるといい!」
ナルシス「きみに子供だとか勉強だとか言われるカリンに、心底同情するよ」

 それはともかく、と咳払いをして、ナルシスは中井出を見た。
 当然、きみも来るよな? と、誘っているのだ。

中井出 「いや、生憎あっしゃあ結婚もしたし子供も居たしで、
     女も知ってるし男でござる」
バッカス「結婚!」
ナルシス「子供!」
カリン 「……うん?
     なんでそこで結婚とか子供の話になるんだ? 女を知るって……」

 一瞬、不穏な空気が流れた。
 魔法で吹き飛ばされたら叶わんと、バッカスとナルシスは口早に事態を纏めてカリンの両手を片側ずつで掴む。

カリン 「えっ? あ、おいっ!」
バッカス「きみは誤解が解ける前にぶっ放すからな!
     きちんと理解できれば、最初は戸惑うかもしれんが受け入れるさ!」
ナルシス「大丈夫だ、あそこでもボクらは先輩だからね。
     やり方というものを教えてやろう。歩きながらだが、構わないね?」
カリン 「……よく解らないが、作法があるなら聞いておかないとまずいよな、うん」

 こくりと頷くカリンは、純粋で可愛らしかった。
 思わずバッカスが跪いて「お仕えさせてくださいっ!」と言ってしまうほどだっ「断る」……た、が、即答で断られた。

中井出「主……」
カリン「お、おいジーク! 助けろ! なんかこいつ怖い!」
中井出「……ハブア・グッド・エッチ!」
カリン「なにが言いたいのかよく解らんが助けろぉおおおっ!!」

 言っている間に中井出が逃げ出し、捕まってしまったカリンは「まずは体力をつけなくてはな!」と豪快に笑うバッカスにあちらこちらへ連れ回され、「次は美にも気を使うべきだ!」とナルシスにあちらこちらへ連れ回され、気づけばとっぷりと夜。
 辿り着いたチクトンネ街で彼女が見たものは、そういった夜のお店な場所だった。

カリン「……?」

 未だに状況の読めないカリン。
 女を知るってなんだろう。男になるってなんだろう。
 いろいろと考えてみるのだが、彼女自身が既に女なもんだから答えに辿り着けない。
 “天使の箱舟”と書かれた店に、二人で連れられて入ると……たくさんの女性に囲まれた。……ハテ、なんだろうここ。ここで女らしさでも学べというのだろうか。なるほど、それなら女を知るって言葉も頷ける。でもじゃあ、男になるってなんだ?
 こてりと首を傾げるカリンに、まあ素敵な貴族さま!と女性が殺到する。
 もみくちゃにされながらもとにかく意味を考えてみるんだがさっぱりだ。
 そのうちにバッカスとナルシスが「今日はこいつも一緒だ」とか「男にしてやってくれ」とか良くわからないことを言う。
 ……いやまて、まさか……もしかしてそういうことなのか!?
 ああ見えてバッカスとナルシスは…………男…………だったのか……!?
 つまりそれは男装させてやってくれってことで、彼らも自分と同じで女で……!?
 ……いやいやそれはない。あんなゴツい女が居てたまるか。女をはべらす女が居てたまるか。あれが女だったら、もう自分は女って存在自体を疑ってしまいそうな───

遊女1「筆下ろしはわたしが!」
遊女2「なに言ってるの! わたしよ!」
遊女3「このあばずれ! 私にきまっているでしょう!」

 ふでおろし? なに?
 頭の中がぐるぐるになってゆく。
 やつらが女で彼女らも女で、ふで、筆っていうのはあの化粧する時に姫殿下とかが使うような綺麗なものとか? え、ええとつまりふでをおろすっていうのはわたしにけしょーをするってことで、だからばっかすやなるしすもあんなにおとこっぽくみえて? あれ? じゃあやつらはおんなで? わたしは? いやいやあんなおんながいてたまる───

巨女「どきな。その貴族さまはあたしが男にしてやるんだよ」

 か、と続けようとした途端、店がどすんと揺れた。
 見上げてみれば、二階の手すりに極太のソーセージが五本。
 ……それが指だと気づくのに少々かかり、どう見てもオーク鬼にしか見えないそれがどかーんどかーんと下りてくると、カリンはひくりと喉を鳴らした。人間……うん、一応人間ではあるらしいのだが。
 ……バッカス、ナルシス、もうきみたち女でいいや。だからこれは夢だって言って、わたしのことを叩いて目を覚まさせて、お願い。

オーク「ぷふぅ〜……! おーお、いい顔してるねぇあんた。立派な騎士になれるよ。
    このエスメラルダ様で筆下ろしをした男は、みぃんな出世してるのさ」

 全身が警戒反応!
 筆下ろしの意味絶対違う! なに!? なにがわたしの身に起こるの!?
 ちょっ……バッカス助けて! ナルシス!? 女連れてどこ行くの!? わたしたち仲間じゃなかったの!? む、無理! こんなオーク鬼、わたしひとりじゃ無理!
 焦る彼女に、ぬう、と五本の極太ソーセージフィンガーが伸びる。
 周囲の遊女たちは、メスがオスの百倍はあるという深海魚の話を思い浮かべていた。
 そのうちにむんずと捕まったカリンはオーク鬼……もとい、エスメラルダに担がれ、どかーんどかーんと二階へと連れていかれてしまった。
 カリンはなんだか怖くなって、とにかく誰にでもいいから救ってもらいたくて暴れた。
 それが燥いでいるように思えたのか、「そんなに焦らなくても、たっぷり可愛がってやるさね」と、なにやら身の毛が弥立って仕方の無いことを言われた。
 心の中で従者を呼んでも来る気配もない。
 癪だけどサンドリオンも呼んでみるが、気絶中だ。
 どうしようもない絶望が彼女を襲い……やがて、彼女は考えるのをやめた。




52/ありがとうとさようならを

 ふと目を覚ますと闇の中に居た。
 闇といっても暗い程度であり、二つある月から下りる光が窓から差し込み、部屋の中の様子を見せる。
 どうやら眠っていたようだ……ここはジークの家か。
 ふぅ、と溜め息を吐いたサンドリオンは、テーブルに置かれたままの水を口に含んだ。
 相変わらず、ただの水なのに美味い。どうなっているんだか。
 これと緑色の茶葉とかいうのを合わせた飲み物、あれはいいものだ。
 お茶とかいったか。
 今度淹れ方を教わろう。水で作ってみたら、微妙な風味になってしまった。
 などと思いつつ魔法で明かりをつけると、自分が立っていた反対側のテーブルの椅子に、知っている顔が座っていることに気づいた。

サンドリオン「!? ……カリーヌ!?」
カリーヌ  「こんばんわ」

 なんでもないふうに、頬杖なんてついてグラスを傾けている。
 く……と飲んだ水に「あら、おいしいわ」なんて笑っている。

サンドリオン「……っ……お前……!」
カリーヌ  「あらやだ、怖い顔」

 散々探した相手が目の前に居る。
 会いたかった人が、かつて愛した人が居る。
 焦がれた相手に向けて届ける態度とはどんなものだろう。
 抱き締める? キスをする? もう一度好きだと言う? もう離さないと言う?
 サンドリオンがとった行動はそのどれにも当てはまらない。
 腰にあった杖をシュピンと抜き取り、彼女に突きつけた。顔は、カリーヌが言う通りに怖い顔のままで。

サンドリオン「もう逃がさん! 動くなよ!」
カリーヌ  「どこにも逃げたりなんかしないわ」
サンドリオン「じゃあ大人しく捕まるんだな?」
カリーヌ  「なにをいうのよ。わたしはいつだってあなたの虜よ?」

 ギリ、と歯が軋む。
 なにをぬけぬけと、とかつて愛した人へ向けて握る杖に、自分のものなのかと疑ってしまうほどの握力がこもっていた。
 そのまま立ち上がるように促し、立ったカリーヌの腕に水の戒めをかける。
 両手が後ろで手錠で繋がれた状態になり、しかしカリーヌはくすくすと笑いながら「なにをするのよ。わたしはあなたとお話をしにきたのよ」などと言っている。

サンドリオン「話ならたっぷりと、陛下の前でしてもらう。来いっ」

 そのまま外に連れ出し、歩いてゆく。
 そんな言葉を聞いても、抵抗もせずに「……怖い顔」とだけ言ってついてくる。

サンドリオン「………」
カリーヌ  「………」

 ただ歩く。
 いつかもこうして、二人で歩いた日々があった。
 その時は彼女は綺麗な服を着ていた。
 今のような暗黒を煮詰めたような、見ていて気色悪くなるような修道服ではなかった。
 黒よりも深い黒なんてものがあるなんて知らなかった。
 見ていられない。
 それでも……それに身を包む彼女の顔は、いつかのままだった。
 まるで自分だけが成長してしまったような……置いてきてしまったものを今さら見せられているような、哀しい気持ちになる。

サンドリオン「……お前を蘇らせたのは誰なんだ」
カリーヌ  「あなたの知らない人よ」
サンドリオン「……なにが目的で街をひとつしかばねに変えたんだ」
カリーヌ  「結果がほしかったのよ。失敗だったけれど」
サンドリオン「今もそいつのもとに居るのか」
カリーヌ  「ええそうね」
サンドリオン「……そいつのもとへ連れていけ。
       お前が使っている体を、本来の持ち主のもとへ返すんだ」
カリーヌ  「……ふぅん?」

 ずかずかと歩くサンドリオンの後ろで、くすっと笑い声。
 振り向くとあの黒に飲み込まれてしまいそうで、振り返ることはしないで歩く。

カリーヌ  「わたしはわたしよ。あなたが愛したわたし。
       操られているわけでもなければ、別人になったわけでもない。
       ずうっと昔のままのわたし」
サンドリオン「違う。悪魔の魔法で入れられた心に操られているだけだ。
       じゃなければ、きみは……!」
カリーヌ  「だから、わたしはわたしなのよ。昔から変わらない。
       あの日あなたに殺されたとして、わたしの体を誰が操っているというの?
       わたしを蘇らせた人? 本当にそうなのかしら。
       そうなら、何故その人は街ひとつを感情を持つ木偶に変えなかったの?」
サンドリオン「───……、……え……?」
カリーヌ  「水の魔法で動く木偶。
       のろのろと動いて、のろのろと攻撃することしか出来ない。
       それなら最初から感情のある木偶を作ったほうが速かったわ。
       あの人数が感情を以って素早く攻撃してくるなら、
       あなただって生きていたかは解らない」
サンドリオン「な……にを……」

 サンドリオンの中で、中井出の話を聞いてからずっと引っかかっていたことがパチンと音を立てて明るくなる。……明るくなったのに、目の前は暗くなってゆく。
 心臓はどくんどくんと痛いくらいに脈打ち顔はこわばり、歩ませていた足はつまづき、危うく倒れそうになった。

カリーヌ「同じ木偶なら、
     どうしてわたしはあなたやあの可愛い騎士さんが降らせた雨で、
     死体に戻らなかったのかしら。
     今もこうしてあなたの前に居るのはどうして?
     ……ねぇ。あなたは、わたしのいったいなにを知っていたというの?」

 体勢を立て直しながら、きゅっと強く握った手の先を見る。
 漆黒に身を包み、愛したままの笑顔で微笑む女性が居た。
 懐かしくて涙が出そうになるのに、心は心臓を鷲掴みにされたみたいに鼓動のたびに痛んで、それがかつて彼女を魔法で貫いてしまったものと同じだということに気づき、吐きそうになる。
 そんな震える喉と口とで、彼は……確信を得るため、涙しそうになりながら、言った。

サンドリオン「……っ……きみ、が…………好きだ……」
カリーヌ  「ええ、わたしも愛しているわ」
サンドリオン「ずっと一緒に居たかった……」
カリーヌ  「願っているなら叶うわ。一緒に来てくれるのなら」
サンドリオン「……おれは…………っ……っはぁっ……! おれはぁあっ……!」

 涙が出る。
 恋に溺れ、冷静じゃなかったあの頃の自分はいったいなにを見ていたのか。
 目の前の彼女はやさしく笑う。目は笑わず。
 目の前の彼女は愛を語る。まるでオウム返しの玩具のように。
 全てを包み、慈しむような巨大なやさしさを手に、しかし冷たい笑顔で自分を見る。

サンドリオン「おれはっ……あの時、きみにこそ……!
       一緒に逃げましょうと言ってほしかった……!」
カリーヌ  「そうね。わたしは否定したわ」
サンドリオン「“つきあってはいけなかった”ときみの口から聞いた時、
       きっと何が正しかったのかなんてもうとっくに解らなくなっちまって」
カリーヌ  「自分のことさえ見えなくなっていたもの。
       大道芸人のために立派な家を捨てるなんて、正気じゃないわ」
サンドリオン「ただ夢中だったんだ……。
       好きで……好きで、好きで好きで、たまらなく好きで……!
       身分なんてどうでもいいって思えた……なのにきみは否定した。
       身分が違うから付き合ってはいけなかったなんて、聞きたくなかった!」
カリーヌ  「事実でしょう? そうであったからわたしたちは追われ、
       あなたは魔法を唱え、わたしは死んだ」
サンドリオン「きみはっ! ……きみは……!
       あの時、おれが貴族だったから付き合ったのか、
       おれをすきになってくれたから付き合ったのか……どっちだ?」
カリーヌ  「かわいそうな人。一度疑り始めたら止まらないのね」

 再び杖がしなる。
 突きつけた杖は震えているが、そこには激昂と覚悟が混ざっている。

カリーヌ  「ねぇ。あなたはどんな言葉をもらえば納得するというの?
       何を言ってもそうじゃないと否定して、どう言ってもらえれば笑えるの?
       あなたのしているそれは、子供の駄々よ。昔からちっとも変わらない。
       与えられるものが自分が望んでいるものでなければ嬉しくなくて、
       自分が喜べる玩具を相手がくれるのをいつまでも指を銜えて待っている」
サンドリオン「質問に答えろ!」
カリーヌ  「ほら。……けど、そうね。昔のことだから忘れたわ。
       けど、あなたの愛にはずっと応えてきたじゃない。
       愛していると言われれば愛していると応えて、
       キスをしたいと言えばキスをした。
       そうそう、あなた、キスをするとき下唇を噛むわよね」

 ……言われた瞬間、目の前がどくんと朱く染まった気がした。
 求めれば与えてくれる存在に、自分はきっと夢中だった。
 自分を愛してくれる人が居るとうかれていた。
 彼女がどんな思いで自分の傍に居たのか……自分は、それを考える余裕がなくなるくらい、余裕があるつもりで燥いでいたガキだった。

サンドリオン「……お前」
カリーヌ  「すごい顔。どうしたの? 傷ついた?」
サンドリオン「お前……」
カリーヌ  「あなたはいつもそう。
       浮かれるばかりで、目が合えば愛してる、好きだって。
       わたしの気持ちがどこに向いているのかを確かめてばかりで。
       そのくせ、その根元を見ることを一度もしなかった。
       好きと言ってもらえれば頷いて。それで満足していたわね」
サンドリオン「っ……お前、は……!」
カリーヌ  「結局あなたは、本当になにもわかっていなかった。
       わたしのことも自分のことも、そして自分がなにをしていたのかも」

 ぷつん、と自分の中でなにかが切れる音を聞いた気がする。
 気がつけば杖にブレイドを込め、振るっていた。
 それを、ふわりと浮いて避けるカリーヌ。
 驚愕と同時に胸を突き刺す動揺。
 魔法なんて使っていない。なのに浮いている目の前の存在はなんだ?
 先住魔法? 貴族たちとは違う、エルフなどの先住民が使う……?

サンドリオン「お前はっ! おれを騙していたのか!
       おれに近づいたのも、好きだと言ったのも、
       財産目当てなんてそんな下種な目的があったからなのか!」
カリーヌ  「そう思いたいならそう思ってくれていいわ。
       ……それで、あなたが救われるのなら」
サンドリオン「誤魔化すな! エスターシュと組んでなにを企んでいる!」

 水の魔法を放つ。
 それもひらりひらりと揺れる木葉のように避けられ、当たらない。

カリーヌ  「あらいやだ。あなたエスターシュ大公とわたしの関係に妬いているの?
       そうね、確かに援助は貰っているわ。
       けれどあなたが考えているような関係じゃなくてよ」
サンドリオン「っ……嘘付け!!」

 瞬間的に顔が赤くなった。
 図星だったのだ。援助と聞いて、その見返りとしてエスターシュと彼女がベッドの上で……などと考えてしまった。

サンドリオン「くそっ……くそ! くそ! くそぉっ!」

 彼女の馬鹿にしたような視線が突き刺さる。
 振るう攻撃も全て避けられ、そういえば彼女はいつだって、自分が本当に望むものはくれたことがなかったな、なんて静かに思ってしまった。
 もはや陛下の前に突き出すことなど忘れ、普段の彼とは思えないほどに取り乱し、地面に下りた彼女をキッと見た瞬間……二人の秘密の場所で見せてくれた笑顔を向けられた途端、自分の中にあった大切な何かが壊れる音を聞いた気がした。
 ……やめろ。お前が、その顔でおれを見るな。
 それはカリーヌのものだ。おれが愛した女性のものだ。
 それなのに…………それ、なのに……。

サンドリオン(……ああ……)

 否定し続けていた心が、とうとう認めてしまった。
 ……きみは、カリーヌなんだな、と。
 既にこぼれていた悔しさの涙を押し退けて、ただ悲しみの涙がこぼれた。
 動かしていた手はとっくに止まって、微笑む彼女を見つめていた。
 この手がもう一度彼女の頬に届くならとどれだけ泣いただろう。
 もう一度会いたいとどれだけ焦がれただろう。
 でも、会えてなにを届けたかったんだろう。
 目の前に居る彼女にブレイドを突きつけた自分は、どんな言葉がほしかったのか。

カリーヌ「弱い人。隣に誰かが居てあげないと、すぐに潰れてしまいそう」

 彼女の声が耳に届く。
 弱い人。そんなこと、あの日きみを貫いてから何度も思って何度も泣いた。
 “だけど”と言いたい。好きな人を殺してしまって、泣けないなんて嘘だと。
 そうならないことが強さなら、おれはそんな強さも勇気も要らない。
 弱くてもいい、誰かのために泣ける勇気こそを、おれは求める。

  だから……───ああ、だから。

 ……きっと、カリンに自分のことを語ったあの日。
 あいつが自分のために泣いてくれた時、おれはあいつに救われていたのだ。
 知らぬ間に。自覚できないうちに。
 誰かのために泣けるあいつが眩しかった。
 おれみたいに後悔したからじゃなく、話を聞いて泣いてくれるあいつが。

サンドリオン「………」
カリーヌ  「なにも言い返さないのね」
サンドリオン「……もう、きみはおれが欲しいものはくれないのだろうからね」
カリーヌ  「まあ。くれなくなった途端に捨てるの?」
サンドリオン「……怖いものが溢れてる世界で、
       眩しいものに手を伸ばしたくなるのは当然だよな。
       人は本能的に暗闇を恐れる。
       心が死んだ時はそんな闇を求めちまうこともあるけど───」
カリーヌ  「? なにを言っているの?」
サンドリオン「笑わせてくれたやつが居たんだ。腐るだけだったおれを笑わせた道化が。
       おれの過去のために泣いてくれるやつも居た。
       おれを仲間だと言って、肩を組んで笑ってくれる馬鹿も二人」

 涙は流したまま、ただ彼女を見た。
 きょとんとした顔もあの日のまま。
 それが眩しいとは思うけど、もうその顔に手を伸ばすことはないのだろう。
 おれは、彼女を否定しなくてはならない。
 死んだというのなら受け入れよう。蘇ったというのなら受け入れよう。
 おれに近づいた理由なんて、もう過去のことだ。
 だから……今は、自分にとって眩しかったことだけを胸に、過去と向き合う。

サンドリオン「……ありがとう。きみがおれを本当に愛していなかったのだとしても、
       おれには、あの日々がとてもとても眩しかった」

 心が痛む。
 けど、怖いのは痛みなんかじゃきっとない。
 周りにあれだけの仲間が居るのに、それに応えてやれない自分なのだ。
 無謀は勇気と違う。散々言った言葉だ。
 じゃあ無謀を恐れて勇気を出せないで、おれは何に立ち向かえばいい?
 ずっと酒を飲み続けて、自分からも逃げて。
 ……よく考えた。悩んだ。後悔して、泣いて、かつて愛した人と向き合った。

カリーヌ  「わたしを殺すの?」
サンドリオン「殺せるだなんて思っていない。言ったろ、陛下に全て話してもらう」
カリーヌ  「驚いた。あなた、そんな顔も出来たのね」
サンドリオン「……? ……ああ、ははっ、なんだ」

 何気なく言われた言葉に自然と笑ってしまう。
 カリーヌは再びきょとんとすると、何故笑い出すのかを問うてきた。
 サンドリオンは楽しそうに、しかし杖は突きつけたままに言う。
 彼女の真似をして、少し馬鹿にしたような風情で。

サンドリオン「なんでもないさ。
       ただ、きみだっておれのことを知らなかったんだなって」

 そう言った途端、カリーヌが驚いた顔をする。
 飾ったものではなく、本当に驚いたような顔を。
 ……恋人であった時に、もっと自分の知らない顔を見ておきたかった。
 そう思うのは、もう……未練なのだろう。

サンドリオン「抵抗、するか?」
カリーヌ  「抵抗はしないわ。ただ、話すことも話したし、帰るだけ」
サンドリオン「逃がすと思うのか」
カリーヌ  「“黒”を捕まえることなんて不可能よ。
       人は闇を捕らえられない。せいぜい光で照らすことしか出来ない。
       ほら、もう夜が深いわ。
       あなたさえ黒く染める現象を、あなたは水で照らせる?」
サンドリオン「おい、なにを言って───」
カリーヌ  「それじゃあね。また縁があったら会いましょう。
       ……ああそれと。あなたの友達の仮面の貴族さん。
       あの人に言伝を頼まれてほしいの」

 仮面? ……ジークか!
 何故ここであいつの名前が出てくる!?

カリーヌ  「エスターシュ大公の屋敷を探るのは結構だけれど、
       あまり大っぴらに動くと足を掬われるわよ、って」
サンドリオン「なっ……」

 エスターシュの屋敷!?
 気絶する前にも聞いたが、また行っているのか!
 バッカスもナルシスもカリンも居ない……まさか全員で!?
 危うさを感じて、思わずジークフリードの店の方向へと振り返る。
 しかしハッとして視線を戻すと……もう、そこにカリーヌの姿はなかった。

サンドリオン「………」

 今さら、動揺したりはしない。
 彼女は間違い無く人間ではないのだろう。
 全ての原因を突き止めることは出来なかったが、今は……あのばかたちをなんとかすることが先だ。
 そう思い、サンドリオンは夜のトリスタニアを駆けた。





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